どうして同じ方向に行くのかな、みんな

2013.06.17 

シンガポールについてなんかのことを書くにはライセンが必要になるそうだ。
シンガポール政府からライセンスをとらないとすごい罰金を払うとか。
すごいな、この国は。

いろいろな言い訳はあるだろう。
けど、結局のところこの国は個人の持ち物だ。
だからそんな決定ががまかり通るのだろう。

ハシム家のヨルダンという呼び方が公にある。
そんな感じで中東は歴史の始まりから「専制」であった。
だから、実質個人あるいは一族の持ち物のような国は現在でも中東にある。

いや、そんな歴史がなくたって、実質個人のものである国は他にある。
まぁ日本の隣国にもあるし。

治安を維持することが理由になっている。
語義通りの社会保証が実現されるのならば、誰だって反対はしない。
しかし現代でそんなことを言われると大抵の人が反発する。

その理由は単純。
「現在の王政を維持するために政府や民衆は存在している」というメタメッセージが聞こえるから。
言い訳を考える人たちとって自明なことをことさら協調しなくなるくらい層の上下の乖離が激しいわけだ。

しかし、多くの人がこう疑問をもつだろう。
ある程度「歴史」というものを学んだ人ならば、どう頑張って数百年は持たないのに、なぜ無理するんだろう?

シンガポールは極度に二層化しているが、政府や社会制度を設定している連中はそれなりに教養があるので、試験問題の回答としてはそのくらい知っているだろう。
「そんなことはわかっているよ」でやっているから、始末におえないのだ。

それでも、こんな法律を出してくるのが不思議だ。


たった数日WEBのニュースをページを避けるだけで、かなり違うことを感じることができる

2013.06.16 

たった数日だけど、WEBでのニュースページを見ないようにした。

そんなの簡単じゃないか。
そう思うかもしれないけど、すでにニュースのチラ見が「くせ」になっているので、これをやめるのは結構大変なことだ。

禁煙が難しいとか禁酒は無理だと嘆く人の気持ちもわからんではない。
両方ともに「くせ」をやめることだから。

クセであることをやめるのは、心理的に「怖い」という気分がある。
だって、日々のささやかな幸せの気分を奪うことになるかもなぁ。
そんな残念な気持ちが先に頭浮かぶので、クセはやめられないんだろう。


新聞を取らない人は増えているらしい。
実際どのくらいの人が取らなくなったのかの数値は知らないが、新しく購読する人の数は減り続けているはずだ。

一般の新社会人はWEB経由で取り込むことが常態化しているので、紙媒体をとることはしないだろう。
有料にだって抵抗があるはずだろうし。
まぁ、「日経よまなきゃ」と思っているリーマンは別だろうけど、

だからだろうか、最近のWEBニュースは「物語」であり、情報判断まで含めてあるものがほとんどだ。
ちょっと読めば「このニュースは、こういうふうに理解して、他の人と話題に上げたときはこういう見解を持つべし」というメタメッセージまでが含まれている。

たとえば、こんな選挙記事がある。
選挙報道については、世論調査で方向づけをして、出口調査の結果で「ダメ押し」をする。
それは常套手段にしまっている。
報道が規制される前に「さっさと」勝手な方向づけを読者にしてしまう方法だ。
新聞社も政党の制御下にあるのだから、当然そうなるのは仕方ない。

どの党がどのくらいの得票をするのがわかった。
そんな情報を報道機関が「社の方針」を読者に伝えるのである。

びっくりする。
昨日までブラジルに勝てる勝てないなどの解説を山ほどやっていた報道機関の先見性など、ほとんどどうでもいいレベルのものだと多くの人はわかるだろうなぁ、と思う気もするが、実際はそうではない。

新聞が書くこと、テレビで放映すること、マジそうにアナウンサーが話していることは、「多分そうなんだろう」と判断する人が、実は世間では大多数なんだよね。

選挙って、結局は「人事」の問題で、普通の人、とくにリーマンは人事が大好きだから、こういう話題からは逃れられないだろう。
まさに「ひとごと」だし、楽しいんだろうなぁ。


自分はそういう社会に生きている。
良い悪いではなく、実際そうなんだから仕方ない。

ならば考えるべきことは、どうやったらこの世の中で気持よく生きてゆけるのか。

ひょっとしたらその一つに、報道を一切見ない、という手段があるかもしれない。
そう判断している。

理由は簡単で、圧倒的多数の人がやることをやると「結果的にトラップにハマる」と思うから。


例を挙げてみる。

政府高官の愚かな発言が続いている。
が、その内容について云々するよりも、そんなのが政府高官であるという事実を重視したほうがいいと思う。
つまり、「そんな人でも高官になっちゃうのならば、他の高官だってそんな人である可能性は低くない」ということだ。

平和な時代が続いているときは誰が高官だって「どうだっていい」のであって、それはこれまでもあるいは徳川時代だってそうだったわけだ。

戦国時代の武将について語る人が多いけど、徳川中期の人について語る人はあまりいない。
なぜだかわかるだろうか。

だれだってそうだが、話題にするのは「その人なりに工夫をした人」だからであって、単に要職にいたからではない。
工夫するところに感心が集まるのは当然だわな。

現状認識として、要職にある人がまともである可能性は低い。
政府高官の発言だけからではない。
原発問題の対応をみても、「工夫する人」などいないじゃない。


そんな人達が報道をつかってばら撒く情報にのったら何がおきるのだろうか。
考えてみればわかるでしょ。

適切な情報を集めて判断することが大切だと言われるし、みなそうだろうと考える。
が、適切な情報が入らない場合はどうするかを考える必要があるだろう。
だって、原発問題をみていると適切な情報なんて流さないじゃない、って思うから。

となると、大多数の人に知らせる情報は、それは善意が敷き詰められた地獄への道の案内なんじゃないか。
そう思うなぁ。
となれば、そんなものがたくさん流されるニュースサイトなんて危険がいっぱいだよ。
だから見ないようにしよう。
そう思って実践しはじめたわけだ。


だけど、結局なにかの表紙に見ちゃうんだよね、ニュースサイト。
そのとき、びっくりする。
え、もう選挙あったんだっけ?って。
あぁ、これがコントロールか、とよくよく心することができたけど、この先はどうなるかわからない。

感情の湧き出し具合は意識で制御できないだろうに

2013.06.16 

個人名でツィッターをつけていた人がいろいろと暴言を書き込んだため、紆余曲折の末社会的に処罰されるという記事を目にした。

記事を深くは読んでいないのだけど、正義:避難された人、巨悪:暴言を吐いた人、という構図で報道されており、正義が悪を倒したような感じで「処分された人、ざまーみろ」的な印象を与える記事だった。
暴言を書き込んだ人は役所の責任のある立場にいた人だから、「まぁしょうが無い」とは思う。

しかし、それで終わるんだろうか。

仕事ではいろいろ嫌な人と接することがあり、逃げようがない時がある。
人間だしれしも「嫌な奴」とは付き合いたくないものだが、逃げられないときは我慢するよりないだろう。
とはいえ、いつまでも我慢できない。
ある種の秘密を握っているのと同じように、おお様の耳はロバの耳、と叫びたくなるのは自然なことなんじゃないかと思う。
それがツィッターでやっただけだろう?

ちょっと考えて見ればわかると思うのだが、新聞を見て悪態をつく、のは「普通」のことだろう。
反社会的な行為ではない。
どの政党が好きか嫌いかは、どの球団が好きか嫌いかくらいな感情を元にした意見表明をしているだけで、そこに悪はない。

良い悪い、好き嫌い、邪悪、というものの判断基準はいろいろあろうと思うが、個人的にどう感じようともそれは他人が制御できるものではない。

だから、我慢ならない人に対して、個人の名の下で嫌なものを嫌と意見表明することが、社会的に抹殺されるほどに悪いことだとは思えない。
だって、その人にとっては「本当にろくでもない」と思っているのならば、それは意見表明にすぎない。
好き嫌を表明するのは、もう仕方ないことだろうよ。


結論を言えば、人が人をコントロールできると考えるのは無理がある、と思っている。
奴隷制というものをぼくはちっとも良い物だとは思っていないから。

どんな仕事であるにせよ、他人には「仕事上の機能を果たす以上のこと」を求めてはいけない。
だから、「もっと親身に」とか「もっと真剣に」とか「もっと愛情をもって」とかいう副詞は、仕事の質を決めるだろうけど、だからといって個人の感情を超えて要求しても「それは無理というものだよ」と思っている。
仕事だからという役割以上のこと、つまり意識さえ制御できない感情までも仕事上のことで要求するのは無理がある。

担当者からみれば「嫌な人たちと気に入らない仕事」をしていたのだろう。
できれば辞めたいと思っていたのだろう。
しかし、仕事だから仕方なくやっていた。
そのストレスをツイッターで発散していた。

実に単純なことじゃないか。

国歌を恫喝で歌わせたとして、歌わされた人が「国歌っていいなぁ」って思うようになるわけはない。
むしろ、気持よく生きていけるからいい国だなと思っていた人ですら、できればこんな国なくなりゃいい、と逆に考えるようになるかもしれない。
そうなったとしても、「まぁそうだろう」と誰だって予想がつくし、異常なことだとは思わないだろう。

人の感情は、世間の建前を基準として湧いてくるものではない。
あくまでも自分を中心にして湧いてくるものだ。

個人が腹の底で何を考えているか、なんて探ってもしかたがない。
そんなものが自分の都合よく動くと考えるほうがおかしい。
だって、相手からみれば自分が相手の都合よく動いているわけではないのだから。

個人がどう考えていようとも、結果として現れる行為がどうなるのか。
それを考えたらいいはず。
なんと実に単純なのに。

自分たちは被害者であり、自分たちに振り分けられるリソースた直ちに遅滞なく、しかも恭しく届けられるべきである。
非難された人がみなそう考えているとは思わないが、結果的にそういうマインドを肥大化される結果になるとしたら、この先危ういことが起きそうな気がする。

他人が何をどう考えていようとも、自分たちの必要なものを確実に獲得するほうが優先だろう。
非常事態である、という認識があるとしたら、システムのあるべき姿などを基準に物事を遅らている場合ではないだろう。
どんな輩が仕事相手だろうとも、結果的に自分たちに有利となるようにことを進めるタフが必要で、そのために相当な知性を持った人が必要で、そうでないとうまくいかないような気がする。

まぁ、そういう気がする、ということである。
他の人は他の考え方をするだろうけど。

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