そもそもなんで「嫌な気分」になるんだろうね。その源泉について考えてみる

2013.10.08 

毎日のなかで、ときたま嫌な気分にとらわれてしまう。
誰だってあるはすでしょ、そういうこと。
ぼくは日に何度かある。

大抵のことは「誰かの態度が悪い」ということで、それは自動改札で逆向きに入ったのが先だったり、エスカレーターでぶつかってきたり、無茶して交差点に突っ込む車だったりで、どこのだれでもない存在にイラっとさせられる。
誰だかわからないので、数日経つと何にも覚えているわけもなく、綺麗サッパリ忘れて問題は解消される。
こういうのはあまり問題はない。
問題は「知った人」だろう。

基本的には「思い出すだけで胸の奥が痛くなるような嫌な気分」なのだが、日々職場で感じていることだから、休日の平穏な日々にも頭をもたげてくる。
その気分の原因は過去のことであり、他者のマインドのことなので、基本的にどうしようもない。
どうしようもないどころか、必然的に自分とは無関係なことである。

合理的精神で考えれば、それこそ「考えてどうにかなるものではない」ことであると断言できる。
そして、個人的には「積極的にあの問題について考えよう」などとはゆめゆめ思わないことだ。
ところが「それにしてもひどいもんだよなぁ」と考え始めてしまう。

しつこい汚れはこすっても無駄であり、力をいれてこすればこするほど疲れてしまうし、布地を痛める。
だから、努力などとはやめたほうがよく、考えないが一番だと分かっている。
そう、でもなぁ。

こういう嫌な気分を感じ続けることで、自分は一体どんな得をするんだろうか。
生物学的に「得」だからこういう感情が存在するんだろうと思うのだが、嫌な気分をどう使えば有効な生き方に反映できるのか思いつかないでいる。

この嫌なことを忘れる方法はひとつある。
別な嫌な思いをすればよい。
嫌な思いはい常に「直前に感じたこと」であるはずだ。

この性質が嫌な思いとはなんなのかを理解の助けになるはずだ。
そこから脱出するヒントになるはずだのだが。

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