未来を先取りしてしまった話

2014.09.23 

ブログをつけることに意味はあるのか.

不毛な活動だよそれ,単なる自己満足じゃん.
他人はそう思うことを続けるには,それなりの工夫がいる.
大好きでもないのに,しかもやる必要がないことをやっていると,どういうわけか「やめたら」と言われる.
なんでなんだろうかなぁ,迷惑をかけていないじゃないのに.

文章が上手なわけではないし,やむにやまれぬ事情があるわけでもないのだが,ちょっとブログをやってみたいんだよね.
そんな理由しか思い当たらないのだけど自分には「意味のありそうな内容」について記録をつける.
居酒屋で「そういえばね」と話しだす程度の内容を文章にする練習なのだ.
そう考えれば,ブログはわりと生産的な態度であるともいえる.
必要があってから練習を始めたのでは間に合わない.
日々いろんな理由から文章を書くが,それをラクにこなせるようになりたい.
そう考えればブログを続けることで文章の練習をすることはおかしなことではないだろう.

そう考えなおして,他愛もない話を一つ記載してみる.
この夏に体験した不思議な感覚について.

5月の終わりから6月いっぱいにかけて,えらく集中的に働いた.
そのときの体験談.

その作業は一人でこなすには量が多く,しかも何をやるにせよ一人が基本だった.
方法を考え,それをプログラムにして,機械に埋め込み動作させ,試験を行う.
最後の試験の段階では手伝ってくれる人がいたが,それより前の作業は一人でやるよりなかった.

終わらんかもしれんな.
そう考えつつ作業をしていた.
とはいえ作業自体は楽しかった.
「考えてみれば,ずっとこれをやりたかったんだよな」
そう言えることだったので,ストレスを感じたりイライラしたり絶望したりということとは無縁だった.
ただ単に「間に合わないかもしれん」と思いいつつ作業をしていた.

6月は一日も休みなく出勤し,夜は最終電車で帰宅,終電が間に合わずロッジに泊まったことも合計一週間はあったはずだ.
家に帰ってもすぐに寝るだけだから,ほっとする時間は限られていた.
オフィスから機械を試験する建物まで中庭をショートカットするのだが,その50mほど草むらの中を歩く.
土の上に雑草が生い茂り風が吹いていた.
そんな空気の中を歩くと,ふえぇと気分が楽になった.
「ほんとに間に合うのかなぁ」という思いが頭をよぎるが,「まぁ,がんばろう」という気力も同時に沸き起こっていたので,結果的に疲弊はしていなかった.

その作業はそもそもスケジュール的には「無理」なものだった.
でもそういう形でしか僕には幸運は来ないと知っていたので,「この無理なスケジュールの作業は女神の前髪なんだろう」と反射的にそれを掴んだ.
だからその後の作業がどんなに大変だろうと,淡々とこなした.

はじめた経緯はどうであれ,間に合わなければ大問題になる.
どこかで「間に合いません」と宣言することだってできるはずだった.
失敗するより延期したほうが被害が少ないから.
一方で,成功すればすごい.
ある種の表彰ものだろうと自分では思っていた.

ぼくの思いとは無関係に現実は進む.
こうやっていても間に合わないこともあるだろうな.
そう他人ごとのように想像することもあった.
「これは完成しない.中断しちゃうんじゃないか」という可能性を強く意識することもあった.

でもあるとき,本当にあるとき,心底「あ,間に合うな」と確信した瞬間があった.
ショートカットである草むらを歩いているときだった.

それはある種の「勘違い」なんだと思う.
そこには理由があっての「諦め」というか「不安から楽観への変化」というか,そういう形容しがたい「このさきのなりゆきに対する予想,あるいは未来の色彩」を感じた.
一瞬なんだけど瞬間があった.
その確信をもったときにいた場所もはっきり憶えているくらい.
ほんとに一瞬の心理的な現象だった.
この一瞬の例えていうなら,ララアの「だいじょうぶよ」というが聞こえたような,そういう気分(ガンダムファンでないとわからないだろうけど).

女神の声を聞いたように,「あぁ,これはできる,間に合った」と確信した.
それは締め切りの1週間前だった.
それ以後は迷いなく「最後にはできるから」という前提で物事を進められた.
もう,できるんだから大丈夫.
その確信のもとで作業をすすめた.
無理して自分に言い聞かせたのではなく,確定した未来を「すでに持っていた」という感じがしたのだ.
そして,結果的に本当に「完成」したわけだ.


おぉ,おれも「世にでるチャンスか?」と一瞬妄想したのだけど,結局のところそんなことはなかった.
8月の作業の出来栄えを確認した.
それが思ったとおりには動かなかった.
すごい損失.
すごい評判になるかもという期待は,「はい,そこまで」と目の前でロープをはられたような気分に変わった.
まぁ良くも悪くも,ぼくは普通の人だった,というわけだ.

2ヶ月にわたる集中的な努力は不満足な結果となった.
が,それをドブに捨ててしまったわけじゃない.
結果はイマイチだったが,根拠のない確信を持つことができるときがある,と知ったのだ.
それは,未来は先取りできる,ということを言っている.

こういう体験のなかで得た「気づき」はこの先失いようがない.
財産です,ホントに.

どんなに苦しいときでも,それが終わることが未来で決まっているのならば,
「あっ,これは完成する,だって今,女神が手を引っ張ってくれたから」
そう感じる瞬間がやってくるときもある.
いつもそうではないが,そういうときもある.

いろんなことにこの感覚をもてるといいんだけど.



IMG_1076.jpg

人の知能の発端を知りたいです。ハードウエアとしての人は二万年は変わっていないらしい。それなのに、文明といわれるものはローマ以前の数千年までしか遡れない。ローマ以後の二千年で海王星の写真を撮れるし、原子も見られるようになった。文明以前の一万年以上、一体全体「人類」は何をやっていたのだろう?それが知りたいんです。



header.tiff

logo_jr_234x120.gif