作り話は言葉が誘う機能の一つだろうと想像する

2014.11.23 

このプログをどうしたものか.
そう,ぼやっと考えていたときに,ネット上の「釣り師」についての本を読んだ.


SNSや質問サイトなどで話題となるやりとりの少なくないものは,釣り師による創作作品なのかもしれない.
なるほど,そういうものなのか.

普通の人が普通の相談を持ち寄って,詳しい人が回答し,まっとうな人がアドバイスをする.
それが,質問をした人だけでなく,意外にも誰にも役立つ読みものなってしまった.
そういう偶然のおかけで「有名になるスレッド」というものが出てくるものだと思っていたが,違うのか.
掲示板へのQ&Aは検索結果に引っかかるものが多く,世の中には誰かが誰かに「ホントに」相談して解決することもあるんだ,などということは物語なのかもしれない.

チラっと見るだけでも,へぇ〜と思うようなやりとりがネットの掲示板にあったとする.
そういうものは「それなりの仕込み」があり,それなりの人がそのときの状況を鑑みながら,「あぁ,なるほどね」という読後感を多くの人が抱くようきっちり創作された可能性が高い.
ネットとの世界って,そんなことになっているのか.

ネットへ書き込まれるトピックの幅はずいぶんと広く,携帯やスマホから気軽に書き込む人も多いはず.
定形があるわけではなし,単語の説明や漢字入力間違えはパソコンでかく文章にも普通にある.
ならば入力デバイスが携帯だったりすると,論考なんてものを入力するのが難しいはずだろう.
書くことを依頼されたわけでもなく,また誰が読むのかわからんものに時間をかけて推敲なんてしない.

そう考えると普通の人が書き込む文章は「そんなに読みやすく,しかもわかりやすい」もののはずはない.
逆に言えば,読みやすくわかりやすいものはそれなりの人(練習を重ねている人)が推敲したもののはず.
その意味で,面白いものは創作だと考えるわけだ.

一昔前に流行った「電車男」なんてのは,まぁその典型例なんだろう,今思えば.
普通の人が自分の意見を持ち寄って誰かが助かることがあるっていいよなぁ.
そう思っただけに,ちょっと残念な気分になった.


とはいえ「釣り」といってもいろいろあるだろう.
要するに商品の評価をよくするためのもの,購入を勧めるものは釣りの動機が明確なので,「まぁ,そういうことってあるよね」と納得できる.

しかしそうではないものもある.
自分の身近に起きたことや質問してみたいことなど「演出の意図なし」で誰かに伝えたいことを文章にする.
それをネットに打ち込んでいるうちに,「ここ,もうちょっとこうした方がいいかな」と話を盛りはじめる.
そういうことはあるはずだ.
ネットへの投稿でなくとも,身近な人に「ちょっとした出来事を語る」段階で,ちょっと大げさに表現してしまうことは珍しくともなんともない.

とはいえ,盛りが過ぎると嘘つきと見られてしまう.
だから普通の人は適度なレベルに収めてはいる.

ところが写真を上げると話の信憑性を高くなるネットだと,その「盛る」のインパクトが予想以上になりぎ,結果的にやりすぎてしまう.
これはフォトショップで頑張らなくとも起きる.
ネットで画像を拾ってきたり,別の際に撮影したものを貼り付けたりしているうちに,意図した以上の盛りになる.


なんでもいい,ひとまとまりの情報を言葉で表現してみる.
すると,必ず「表現のレベル」という問題が付きまとう.
つまり「盛り」具合だ.
いわゆる週刊誌ネタ,新聞記事ネタ,あるいは政治や国際問題の時事ネタだって,その発生メカニズムが適用される.
文章を書くこと自体に「釣り」の衝動は埋め込まれており,記者によって表現の程度,つまり盛り具合がことなってくる.
とくに最近はマスコミだろうがブログだろうが自慢話だろうが,なんらかわりない.

画像を動かぬ証拠としているパパラッチによる証拠写真は,どこまでホントのことなんだろうか,と疑問がわいてくる.
紙メディアではEXIFがとれないけど,PDFからだったら運良くとれたりするのかもしれない.
小保方さんは科学の論拠となる写真を都合よく切り貼りしちゃったらしいけど,現在進行形の科学については「他の人が再現できない,あるいはしていない」ものについては,それがネイチャー上の論文であっても眉に唾をつけた方がいいような気がする.

歴史についても,「真偽不明のまま」となるだろうことはたくさんある.
20世紀のことであってもそうなんだから,古代史や考古学についてはどうにもならない.
あの会社が報道しているから確かだとも思えないし,有名な学者が主張しているから信用できる,ということもないだろう.
結局,どんな話が「一番おもしろいか」で支持が決まってきて,それが長く社会に生き残って,必然的に定説になったりするんじゃないか.
そう思うと,ちょっと怖い気もする.


改竄することが問題にんされるが,そもそも「出来事」を「言葉で表現する」ことには無理があるんだと思う.
現象を文字で記録する.
時間が立ってから別の人がそれを読んで,その人の頭のなかに「なんからの像」が浮かび上がる.

しかし考えてみればわかるが,どうしてそんなものが「正しい」といえるのであろう.
「人の頭の中」にある再生装置は創りだした極めて怪しい「像」が,万人にとって一致するはずがない.
要するに,過去の記録を含めて,言葉による記述は,すくなくとも自分が読んで理解するかぎり,書いた人の意図とは違った像になっていると,まず認識することが必要だ.

多くの人にとって大切であろうことの情報伝達の内容ですらこの状態になる.
だとしたら,普通の人を相手にした,ある意味どうでもいい内容のSNSの書き込みが「まともに総合理解されている」はずはない.
それが噛み合うのだとしたら,一人で提案して一人で回答しているのではないのか.
マッチポンでなければマッチポンプレベルで噛み合うことがないのではないか.
ネット上での受け答えが価値を持つ読み物になっているととして,もちろん全部が全部ダメではないだろう.
が,しかし,多くは「創作だね」と考えていいのではないかと.


小説に真実を求めることはない.
それと同じように,ネット上での書き込みが「リアルタイムに記述される創作物」であって悪いはずはない.

そういうものだと思って,みんなで楽しむということは逆にありだろう.
面白いものは創作物なんだよ,だって人が面白がるのだから.
ネットなんて好きに使えばいい.
事実だろうが盛りが激しいだろうが,どうでもよい.
スキーに行って楽しむのと同じように,ネット上の書き込みでワイワイ・ガヤガヤやって解決する.
あるいはミステリー研究会のような活動,(めんどくさそうな)知的活動と比較して,何一つ悪いことはない.
もちろん,論文レベルの発表をしてもよい.


ネット掲示板=ドキュメントという発想はひとまずおいておく.
それは新聞=事実,NHK=不偏不党というのと同じように,「な,わけねーだろ」というものと同じ.

という理解へ到着したら,ブラウザを立ち上げることは週刊誌を開くこととなんら違いがない.



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人の知能の発端を知りたいです。ハードウエアとしての人は二万年は変わっていないらしい。それなのに、文明といわれるものはローマ以前の数千年までしか遡れない。ローマ以後の二千年で海王星の写真を撮れるし、原子も見られるようになった。文明以前の一万年以上、一体全体「人類」は何をやっていたのだろう?それが知りたいんです。



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