やるなぁKindleのペーパーホワイト,こりゃいい

2015.01.18 

キンドルのPaperwhiteをもらったので,早速使ってみた.
電子ブックはどうも抵抗があった.
そもそもきっちり読む必要のある文書がPDFだと,ぼくは一旦印刷しているくらい電子文書を読むことができないでいる.
WEBやメールなどはいいのだけど,線を引いたり書き込みしたりをパパっとするためには紙のほうがいい.

とはいえKindleは4年前から使っていた.
おもに新聞や雑誌を読んでいた(英文版をamazon.comから買っていた).
WEBでよめる記事よりはいろいろあったので使っていたが,震災を機に「不自然なことをしない」気分になったので,何も英文記事を電子ブックで読むという態度をやめてしまったのでKindleもそのままになっていた.

Paperwhilteのいいところはなにか.
よくわからないが,サイズが文庫本であることe-inkだけどバックライトが付いているのが気に入っている.
結構落ち着いて読める(CRTやLCDのようなスキャンがないせいか,e-inkは落ち着いて読めるのが好き).
そして,自分が好きな作家の文章を味わって読むことができる.
須賀敦子だったり森本哲郎だったりと,そういうホントに好きなものを読む.
これだと苦手だった電子ブックでもじっくり読めます,本当に.

これで飛行機に乗るときや人里離れた場所へ出張するときや海外などへ行くときも,あれもこれもと本を持たずに済むわけだ.
おおお,それは革命的にすごい.
もっというと,ぼくの通勤カバンも何冊は本が入っているが,それも減らせるわけだ.

今日もひとつ新しいことを知った.
満足満足.

気になっていたことをすこし整理できた(STAP細胞の行方とマスコミの怖さ)

2015.01.17 

小保方.tiff

今週の通勤電車のおともは須田桃子『捏造の科学者STAP細胞事件』文芸春秋した.
1600円という定価だから一般の人向けの概説ようなものかなと思って,ともかく購入し読んでみた.
新聞でも最近見かけなくなった事件だし(WEB見出ししかみていないから紙面のことは知らないけど),その後どうなったのか知りたいとモヤモヤしていたので,書店新刊コーナーに積んであったこの本を反射的に購入してしまった.

事件の鍵となる専門用語は本書で頻繁に使われているのだが,その用語の意味するアイディアを説明するためにごちゃごちゃ説明せず,過去に毎日新聞に掲載した記事を引用しているのがよい.
新聞記事はコンパクトでありつつ必要ことを入れるよう練られた文なので,ながながと説明されるよりわかりやすい.
そしてその用語は本文の中,コラムやら感想やらインタビューやら何度も何度も説明されているので,さすがに憶えてしまう.
簡単なことを何度も何度も説明されると「うんざり」してしまうが,そもそも一読しただけでは分からない専門用語の意味するところ,概念なり単語なりについては,繰り返し繰り返し説明されてもさほど抵抗がなく(そりゃそうさ.わかっていないのだから),そのたびにぼんやりと認識できることが拡大してゆき,10回も説明されるとさすがに分からないなりに「像」がしっかりしてくるのが不思議.

ES細胞だのTS細胞だの,GFPマーカーだのが自然に道具として認識されていくる.
「あぁ,分からないものは,何度も何度も繰り返し接することが大事なんだなぁ,そのうち慣れるのか」
そう,勉強の仕方を著者から教えていただいたわけで,STAP細胞の行方よりもこっちのほうが役に立った.

さて,STAP細胞だが,その存在は実際のところどうなのかはわからないが,小保方さんたちの方法では「検出」できなかったはずだという見解については理解し,大変さっぱりした.
それは今後もSTAPは発見されない,ということではなく,理研小保方さんの論文はファンタジーだったということだ.

それにしても,一度予算獲得ゲームに惹きこまれると業績がある立派な人の目も曇ってしまうのか.
「冷静な判断」を「女子力が狂わせる」ということは,まぁどの世界でもよくあることだろう(なんだかんだ言っても可愛ければOKってところがない世界はないだろう).
そう考え,だから各分野には「男女混合で幹部たち」を入れておけばいいんじゃないか,と思ったわけですね.
逆に女性幹部だとマッチョや腐女子が好きそうな男性若者研究者に判断を狂わされるかもしれんが・・・.

もう一つ思ったのは,人のクセは治らないということ.
三つ子の魂百までか,と.
コピペする人はずっとコピペするんですよ.
人のものを自分の物に数える人は生涯にわたってそうする.
これは多分治らない.
人の行動は「一事が万事」だと,また確信してしまったわけです
なんか残念なことなんだけど.

この本を読んでの教訓.
スーパースターのようなものやリーダーのようなものが現れたときは注意すること.
外から舞い降りた天使は,だいたい小保方さんのような感じかもしれない.
現実って,物語ではないもの.
自分が物語のような場面に出くわしたら用心することです.
もちろん本物の天使のような人はいるだろうけど,ぼくのような普通の人の近くには現れないものです.

こんなところが普通の読者の感想になるだろうと感じるが,別の見方があるだろう.

ただし,本当に言いたいことは違う.
逆に深く感心したことは,「新聞記者は大変怖い作家たちだ」ということ.
著者の記事はよくかけているし,素人でも内容を理解でき,そして説得力を持つ.
だから怖い.
須田さんの一連の記事を並べただけでもSTAP細胞に関してのある一つの物語に近づいてしまう.

STAP細胞でマスコミが騒いているとき,「どうせ記者は小保方さんが可愛いから騒いでいるのだろう」と東スポ的な記事を求め日刊スポーツ的な絵を見せたいのだろうと勘ぐっていた.
あるいは「人の不正を正したい人が他人を貶めたいから」という理由で,悪を罰するみたいな記事を書いているのだろうと.
どちらにしろ科学的な論争をしているのではなく,単に社会的な優劣合戦を試みているのだろうと認識していた.
この本を読むと,そうではない記者もいたのか,という感想を持つのが普通だろう.

読み終わってちょっと冷静になると,この人は,心底小保方さんが憎いんだろうなと理解した.
たぶん小保方さんのようなスターのような出現の仕方が許せない,と無意識で感じてたんだろう.

なぜそう判断したのか?
だって,小保方さんのやったことを考えてみて,それは何一つ「犯罪」ではないのに,それを悪事のようにかき立てているじゃない.
そもそもからしておかしくなんかない,一般の人が目を吊り上げるような話しはないんじゃないか?


(1)セル,サイエンスに論文を投稿して,全部リジェクトされていた.
・査読結果での指摘は,非常に的を得た全うなものだった.
・そしてリジェクトされた

科学論文の査読システムは機能していることが証明できている.


(2)笹井という人が共著に入って,ネイチャーにアクセプトされた
・若山という人は(1)の論文の共著だったいうので,著者名がすでに査読に影響するような効力はない.
・小保方さんは(1)の査読結果のコメントを反映していないので論文はブラッシュアップされていない
・新たな共著者が入って,それでアクセプトされた

STAP細胞の論文は,笹井という人が入ったおかげでネイチャーに受理されたので,この人の影響で査読システムを壊したとも言える影響力がある


どうしてこれで小保方さんが悪いんだろう.だって(1)では問題ないんだから.
追加実験なしで当たらなデータなしでアクセプトされたならば,共著者がアクセプトの原因をつくった.
文章なり構成なりの変更を指示したのは追加で入った共著者なんだから,直接の原因は共著者だろう.
しかもですよ,共著者はだれも「論文をちゃんと読んでいない!」という恐るべき態度にでている.
それなのにうまく行っているときはこの本の表紙みたいに「おれがやったぜ」的な写真を取られてご満悦.
大変危うい連中だなぁと感じちゃいます.

だいたいレフリーのコメントを反映しなかったら,さすがにアクセプトは無理です.
レフリーのコメントを反映すれば,アクセプトの可能性は大変高くなる.
それをやらない,というのは「この人論文を投稿したことあるんだろうか?」と勘ぐりたくなる.
経歴をみて思うのは,「たぶんまともに論文を出したことがないのではないか?」と思っている.


(3)STAPの研究は理研に入る前からのものだし,理研では「給料なし」の研究員のときのものだった
・雇用しないで研究していたときの結果を「理研発」の研究にしようとしていた
・こともあろうに最終段階で笹井という人が,にっくき?iPS細胞を蹴散らすためにSTAPを奪おうとした

理研はこえーな,無償で研究させて理研がバックアップしたというは無理だし,特許まで申請してやんの


無給で2年とは「任期付きの職」ですらないけど,の本ではこんなに厚いにもかかわらず「触れられてない」.
これですこれ,これが怖い.
事実だと主張できることを並べて自分の意図するゴールへ読者をミスリードさせて,一気に結論に引っ張る方法.
新聞記者がこれやってどうするよ.
須田さんという人はそういうタイプの記事と誘導をするのだから,全部この危険があるとみていいだろう,怖い.
(小保方さんが無給のポジションで2年居て,しかもSTAP論文はその間のものだったという事実は武田先生のブログで知りました,ホントびっくり)


理研は院生やポスドクから業績を奪うようなことを平気でするんだ(大人げないというか,怖い).
気をつけないといかんですね,若くて美人な女性研究者はとくに狙われるわけだ.


壁をピンクにする許可は,施設課を説得する材料がないと無理ではないかと疑問に思ってSTAP細胞の報道に注目したのだけど,途中から単なるイジメの様相がでてきて,自殺者がでて追求終了になったようで,ほんとマスコミって怖い.


この本の最後で著者は頓珍漢な比較をしている.
たとえば,捏造事件で並べているシェーンという研究者と小保方さんを比較しているが,シェーンさんは60本以上論文出していると本文にある(笑).
おいおい,小保方さんは2本だぞ.
しかも,無給時代の研究成果を「理研のもの」として扱おうとしているのに・・・.


どうしてこういう本を出せるのか大変不思議なのだけど,これってやっぱり「女性研究者への憎しみ」なんだろうなぁ.
無意識なんだろうけど.
本書のカバーの最後に著者近影がでているけど,「仕事ができる女性」的なイメージのものだけど,
こういう人は人が人を踏み倒しながら進む人なのかなぁと,ステレオタイプ的な印象をもった.

そういうスペクタクルが味わえたのと同時に,なるほど日本のマスコミは作家崩れなことをしかできず,まともに政権批判ができんのか,それがわかった気がする.
弱いものしかイジメないという特性を再度確認したことになった.

新聞記者のドキュメンタリーは,ろくでもないかもしれん.

2015年の抱負

2015.01.01 

P3231229a.jpg日比谷公園近くにある騎馬像,こんな感じでダッシュスタートをきって年末まで走れるか?

今年は自分でやるべきことがわかっている.

毎年,さて何をするか,と考えるものだったが,今年はどういうわけかやるべきこと・やりたいことが見えてしまっている.
もちろんそれらが全部うまく実現できるとは思っていない.
「もし失敗したらそれ以後はないだろう」と緊張する案件もあり,やるやらないを迷うことはない.
やよりない.

失敗したらどうしようかと考えてしまうのは,「どうしようか」という選択肢がある人なんだよ.
今年のぼくの場合にはない.
なので,どうしょうか,などと想像してもしようがない.
これはこれで実にさっぱりしている.

仕事のほかにいくつか個人的に力を入れたいと思っていることがあり,その一つがこのブログである.
これまで自分の日記ばかり書いていたが,それであっても文章を書くことが苦痛で辛かった.
しかしなんと今はなんともなくなっている.
書いた文章は上手でも読みやすくもないけど,人に説明するための文章を書くのに苦労はいらなくなった.
その変化,考えてみれば実に不思議なのだけど,あるときを境にいくらでも言葉が湧いてくるようになった.
その逆効果として,メールでもレポートでも論文でも言葉で説明しようとすると長くなりすぎる嫌いがある.

ともなく,せっかく文章を書くのが苦痛ではなくなったので,やろうとしていたやることにする.
それはブログではなく,説明文の集積である.
教科書のように体系を書き出すようなことはできないが,研究の過程でつくった文章のうち単体で切り離して発表しても意味があるようなものはこのサイトにまとめてアップロードしていく.
そういうものは論文で発表することが筋だけど,そんな機会はあまりないし,すでに論文として発表したようなものはさらに発表する場所はないので,自分で自分のサイトに掲載してしまえばいいわけだ.
論文にはページ制約があるが,個人のブログにはなんの縛りもない.
説明したいだけすればいい.
書いたものがそれなりにまとまっていればあとあと自分のためにもなる.

そのための方法にPDFはつかわない.
PDFにされると面白みが減ってしまう.
PDFを渡されると突き放されたような気分にある.
パッケージされた資料を読むのは,どうも楽しくない(個人的な偏見だけど).
「これ読んどいて」と渡されたときの味気なさ.
そういうのをたくさん並べてもあまりおもしろくないです(個人的な偏見).

PDFをつくって終わりって,なんか論文を書いて投稿するくらい楽しくない.
LaTeXでつくると論文になってしまい,最終的なアウトプットはPDFでとまる.
でもレイアウト能力が極めて低いワードを使うとかえって楽になる(僕だけかもしれないが).
ワードだと下書きというか,素材の集約ような気分で文章を足していけるので.
その感覚でWEBに資料を載せていくことにする.
これは「ぼくの仕事だ」と思ってしっかりやることにする.

そのためもあるが,文章の練習をさらに続けていく.
まともなものにより近づけようと,通常のブログをつける頻度をあげてみる.
どこまであげられるのかはわからないけど,でもやれるだけやってみる.
このブログは,ネット上で共有し会社からでも電車の中でも出張中でも,やれるところで文章書きをやれるようにした.
去年までの経験から練習量を維持するためは「仮想の締め切り」を設定しそれを守ることだとわかった.
誰からも頼まれていない作業なんだから締め切りなんかないし,そのために「あたふた」する理由はない.
それでも仮想的な締め切りに向かってあたふたすると,それは「ごっこ」ではあるが,作業に緊張感が生まれる.
その緊張をもって作業することが,ブログ以外の他の作業にも影響する.
終いにはその人が発する言葉にまで影響する.
これはあくまでも仮説ではあるが,ぼくとしは経験的にそうなると思っている.

ブログにはさらに講義の資料もまとめておくことにした.
講義資料は散逸したらもったいないし,かといってそれを発表してもしてもしょうが無いようなもの.
そもそも説明を必要とする配布資料だったりするし.
そのリポジトリをこのサイトにつくり,一つ一つためていったらどうだろうかと考えている.
ぼくが考えるものでありぼくが公開するものなので,自分のサイトでまとめておくことは大事である.

今年やりたいサイトの作業に,作成途中で止まっているページを整理し,加筆訂正してして一つの仕上げることがある.
とくに,旅行記などは情報として意味があるものもあり,体験を言葉で綴る練習には良い素材だと思っている.
それをわざわざ読む人はいないけど,実体験なのだから未体験の人には有意義な道標になるはずだ.
僕自身,ガイド本には詳しく記載されていないことはだれかのブログを読んで情報を集めて,それをたよりに実際に場所を訪ねた経験が少なくない.
その意味でぼくはすでに恩恵を受けてしまっているのだから,それを返さないといけないわけだ.
誰に返すのかはどうでもよく,それを受け取る人がいてもいなくてもやるべきだろう.
こう考えると,このサイトの管理更新作業だけでもやることがいっぱいという感じの一年になる.


ぼくは小説家ではないので言葉で面白がらせる必要はない.
しかし,文章を使って説明することはしなければならない仕事ではある.
そのために必要な道具建てはこの歳になってやっと揃った.
そういう気がしている.
だったら後はそれをひたすら使うこと.

そういう一年にします.



IMG_1076.jpg

人の知能の発端を知りたいです。ハードウエアとしての人は二万年は変わっていないらしい。それなのに、文明といわれるものはローマ以前の数千年までしか遡れない。ローマ以後の二千年で海王星の写真を撮れるし、原子も見られるようになった。文明以前の一万年以上、一体全体「人類」は何をやっていたのだろう?それが知りたいんです。



header.tiff

logo_jr_234x120.gif