考えることを続ける

2015.04.29 

考えることをやめないで続けるのは結構大変な思いをする.哲学者や文学者でなくとも,普通の人だっていろいろ考えている.だけど多くの人は考えるというより好き嫌いを判断している.何を食べようか,どこへ行こうか,いつ誰々さんに話すのか.話す順序や構成といった論理的な道筋をあれこれ考えることはあまりしない(仕事ではあるでしょうけど).

そうは言っても誰だって「いろいろ」考える.そりゃ当然.その「いろいろ」には論理的な説得方法や今後の身の振り方も含まれる.しかし,「いろいろ」のほとんどは「あの人はやだなぁ」とか「いつ納品されるのか」とか「土曜日の昼ごはんはうなぎにしよう」とか,日常生活での予定か他人との関係について思い出したり後悔したり,結局のところ「好悪」の判定でしかない.

なるほどと思う.いや,ぼくだってそんなことは昔から気がついていたさ.例えば文章を書くことが辛いのは,実は作文にではなく「考える」という作業そのものが辛かったのだよ,と知っている.それが嫌だから好き好んでわざわざ文章なんて書かないで過ごしてききたわけだ.多くの人だってそうだろうと思う.

いや違う.最近はメールもあるしSNSもあるし,10年前と比べれば文章を書く機会は誰でもずっと増えた.ただしかにそうなのかもしれない.女子高生は平均で8時間くらいはスマホを使っているそうだが,具体的にはWEBを眺めてLINEに反応するだけではないかと想像する.だったら,絵を見ているか,句読点なしの短文を綴っているだけだ.日本語の基本文型には主語さえ必要なく,動詞,形容詞,名詞を一つおけばそれで成立する.単語を置くだけの作業ならば考えないでも長々とやりとりを続けることができる.

そうかもしれん.しかし普通の人は論文を書く必要なんてないのだから論理的になんて考えなくていいだろう.そう思ってしまうかも知れないし,実際そうなっているのだろう.そうでも考えなければ今の政治ニュースのほとんどが放つ「アナクロニズムの世界」違和感を感じ取らない人が多い理由がわからない.ちょっと考えればだ,辻褄が合わないことばかり平然とやっている政府をみて,それはやり過ぎだろうと感じるはずだろう.なんでみんな「疑問」に思わないのだろう.

市民運動なんて意味無いじゃんよ.うん,確かにぼくもそう思う.霞ヶ関でシュプレヒコールを上げて更新する必要はないし,官邸前や日比谷公園に集まることもないと思っている.そんなことをしなくてもいいと考える.ただ,日常生活において,おかしなニュースを耳にしたら「これ,おかしいよなぁ」とぼやくくらいはしないのか?と思っている.日常生活では近くに家族がいるか,電車に乗り合わせた乗客がいるか,喫煙室にはスモーカーがいるかするはずだからだ.そこで議論なんてする必要は「まったくない」し,「なぁお前どう思う?」なんてけしかける必要なんてない.ただ,ため息をつく,というくらいのことは必要なんじゃないか.

NHK.tiff例えばこんなニュースがあったとして,これに無関心でいるのは「どうかしている」と思うわけだ.Twitterでだれかがつぶやいたもので,「おぉ,NHKは大本営化した」と感慨深く思ったのだ.とはいえ原文が分からない.いまのNHKならばやりかねないと思っていたのだが,考えてみればアメリカ大統領の発言が文字になっていないわけがない.そう考えて探すとちゃんとある.

Our new guidelines complement our effort to realign U.S. forces across the region, including on Okinawa, in order to lessen the impact of our bases on local communities. And I reaffirmed our commitment to move forward with the relocation of Marines from Okinawa to Guam.

なるほど確かに修正する必要があります.それどころか辺野古はさらに進めると宣言している.

Against this backdrop, we have reaffirmed our resolve to steadily move forward with the realignment of the U.S. forces in Japan.  The dangers arising from the Futenma Air Station being surrounded by housing and schools should be eliminated by relocation to Henoko as soon as possible.  We will move forward with mitigating the impact of the base in Okinawa, founded on a strong relationship of trust between Japan and the United States.  It is prosperity that brings peace.  These beliefs make us eager to see the early conclusion of the TPP.

大統領は,ぼくが聴きたいこととは反対のことをちゃんと言っている.当然ですが,米軍はそもそも「味方」なワケがない.当たり前だよなぁ.こんなときにため息を付けばいい.

こういう記事をみるとき,たんなる感情にのるか,ちょっと立ち止まって確認するくらいはやるべきかどうか,こういうことが物事の「好悪」とは別に考える必要がある.そういうところからまずはやってみる必要ではなかろうか.やれるのか,やれるとしたらどこが限度という問題もあるし,そもそも記者じゃないんだから全部はやれない.ただ,嫌いな気分を盛り上げるだけだとしたら,結果的に危ない目を見るのは自分だ.

こんなツイートをみたら脊髄反射でリツイートして「踊る」だけだったら,感情にのかってなんでもできてしまうので危ない.もちろんぼくもそういう傾向があることは否めない.しかし,驚き,疑い,そしてため息をつく,そういう一連の「ちゃんと考える」ことはしておかないと結果的にまずい.

ではどうしたら考えることができるのか.それは簡単であって,文書を書けばいい.ホントだ.原稿用紙1枚分でいいので何か書くと「自分は何も考えていない」ということがよく分かる,ホントに.短文の連続では原稿用紙一枚は埋められない.現代詩を書いているわけじゃないのだから.いや,書けるならばいいことだけど.

普通に文章を書く.そこには論理が入り込む余地がある.いや,論理を使わざるを得ない.映画をみて面白かった,という感想を書くことがコアにあってもいいけれど,何が面白かったのか,どういう種類の面白さなのか,似たような面白さには何があったか,面白くないところはどこか・・・.ちょっと広がりをもたせることができる.その調子でいくらでも文章は広がるし,やがて収拾つかなくなる.こうなるときは落ち着いて書いたものを読む.他人に読んでもらうために論理を骨格にするというクセがつく.

そう思ってほそぼそとブログを続けているのだけど,実際のところ上手くいっているのかどうかは不明.



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人の知能の発端を知りたいです。ハードウエアとしての人は二万年は変わっていないらしい。それなのに、文明といわれるものはローマ以前の数千年までしか遡れない。ローマ以後の二千年で海王星の写真を撮れるし、原子も見られるようになった。文明以前の一万年以上、一体全体「人類」は何をやっていたのだろう?それが知りたいんです。



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