絵から考えると言葉がついてくるという不思議

2015.05.23 

真っ白の画面や紙,そういうものを目の前にして言葉を紡ぎ出そうとしても普通の人には難しいです.
白色に対峙して,一体何を「見ている」のでしょうか.じっと紙を見つめても文字なんて浮かんできません.当たり前です.
それでも何かを見ようとするから脂汗がでてきて,そのうち疲れてしまうのです.
考えるという行為に時間を費やしてきた思い出がない人は,脂汗がでるような考えるという行為を長時間していないはずです.脂汗が出る前に考えるのをやめてしまった,これですと,また次の機会に同じことやろうとしても今まで以上に先には進めません.そういうものです,経験上そう断言できます.だから考えるなんてことに意味を見出せない.

じゃぁどうすればいいのか.ぼくが今のところたどり着いている一つの結論は白色の紙ではない「絵」をみることです.絵と言っても印象派絵画のようなものではなく,「さぁ考えようかな」と思っていることと関係がある,あるいあは関係ありそうと感じられる映像などです.ただし映画のように「誰が見せて何かを考えさせるため」ものはよくない.あまり意識的に何かを彷彿とさせるようなものではないほうがよい.それは自分で書いた落書きでもいいですし,雑誌の広告に添えられたイラストでもいいです.風景でもいいんです.目で見えるものならばなんだって絵といえます.

ぼくは通勤電車のなかでは本を読みます.が,何か「問題」を考えていることは読みません.正確にいえば読めません,頭がいっぱいになるので.
そんなときどうすれば「解決に関係するヒントが浮かのか」についてはコツを持っています.過去の経験に照らすと,それは例外なく何かを見ていたときに閃きが訪れるということです.
目をつぶって考えるわけではないので,自分が意識するしないにかかわらず脳には何らかの映像が浮かんでいるはずです.そしてそれこそとが発想に劇的な影響を与えるわけです.本当です.

一つ憶えている例をあげます.「群れの習性」について考えてたとき,「あぁそうか」とヒントを思いついたことがありました.それは永田町駅から電車が出発するときの動く車窓に目をやっているときでした.永田町のホームを端から一気に舐めるようにすべて頭の中に映像が入ってきまして,それが「あぁ」という思いつきに繋がりました.

もう一つ上げましょうか.ぼくは「これやることを」をゼロから考えるときの方法です.白いノートに大量の落書きを文字を書き込みます.レオナルド・ダ・ビンチの手稿のようなものになったならぁ,と期待を持ちつつつそうしているのですが,まったくそうなりません.なぜなら僕は絵が得たですから.しかし,それでもずっとやっていると気に入った落書きが偶然浮かびます.そしたらそれにマカーで色をつけたり赤で注を入れたりします.こうしていくうちに自分が今まさに考えているのが一体何なのか,はっきりしてくるのです.そして,ある程度それが固まったらパソコンの画面に向かい,イラストレーターやフォトショップで関係しそうな説明図を「綺麗に」つくってしまいます.これで「発想」は完了します.ホントです.

出典をもう忘れてしまったのですが,「論文を速く作成するには,そのまま出稿できるレベルの図を最初につくることだ」というアドバイスを読んだことがあります.ひどく感心しました.そのとき自分のやり方を反省したのですが,「そういえば,おれは最初図を紙面に貼り付けて大体のページ数と説明の流れを決めているな」と気づきました.自分のこれまで無意識にやっていたことを他人からアドバスとして知ったわけです.著者が言っていることに痛く感心しました(あれは何の本だったのか,思い出せない,もう一度読みたいのだが).

絵でもいいし,風景でもいい,動く車窓でもいい.そういうものが目に映っている時に考えごとをする.これが一番何かを思いつくための方法であろうと思います.電車にのってぼんやり車窓を眺めるというシーンはどこかで見たことがあるはずで,おそらく「無意識に答えをだすための最適な方法」として皆知っているからかもしれません.
ただし,ぼくはアイディア出しのプロでも凄腕の研究者でもないです.まったく昇格が期待できない「うだつのあがらない」職責の人です.その人のが「これがいい」と言っていることは実際には価値はないと判断するのは一般的かと思います.上昇思考の人から唾棄されるようなものでしょう.
それでも結構楽しく毎日やっていると事実があります.だから,ぼくと同じような境遇の人にはきっと意味がある.そう思います.

携帯電話で毎月1万円の価値はあるのだろうか

2015.05.01 

携帯電話の料金,これまであまり気にしなかった.基本的に定額だし,毎日使うものだし,いまや個人として必要なデバイスだし.ならば月に5千円くらいはいいだろう.多くの人もそう思っているはず.

震災後に個人としてもつ携帯電話にたいへん魅力を感じた.その理由は「緊急地震速報」.当時はまだ大きな余震が東京でもつづいていた.緊急地震速報を受信したいから携帯電話を買ったのだ.
しかし今となって考えると,兄弟を持ったからといって助からないものが助かるようになるわけではない.だから意味があるのかと言われるとわからない.それでも緊急地震速報が契機となって携帯を持ち歩き,常時接続のもつ面白さに引き込まれてしまった.

それから4年たち地震がまた遠のいた.そして電車の中でとても疑問に思うようになった.毎日思うようになった.
みんな一体携帯で何をみているのだろうか.ぼくについて言えば,ニュースかツイッターかメールかだ.たまに乗り換え案内や地図情報を参照するし,それは大変便利だと思う.
けれどそれを毎日使うわけではない.だからさすがに自分でも気づいた.ほんとはこんなもん使う必要なんて無いんじゃないかと.

ぼくはソフトバンクのアイフォンで月に8000円弱の支払い,奥さんはAUで12000円の支払う.平和な日々がつづいていた.
ところが先月になって奥さんがAUは高いと言い出して,確かにAUのアンドロイドは高いなと「感じる」にようになった(これまで料金はあまり気にならなかったのだけど).それでは具体的に携帯で何をやっているのか奥さんに聞くと,基本的にPCを持たない人はいろんなメールを裁くのは携帯だと知り,奥さんには携帯が必要だと判断し.しかし,一方でぼくはいらないなと意識した.

そんなわけでAUを違約金を払って解約し,ぼくのiPhoneを渡すことにした.ぼくはiPhone4からiPhone5に機種変更したとき「電話だけつかうとお金がかからない」というような契約をしていた.ショップの人に勧められたからだ.なので奥さんにはぼくのiPhone5を渡し,僕はiPhone4をWIFI+電話として使うことにした.
これなら安くてよいだろう.二人で月に2万だったのが,八千円弱になる.そりゃ,かなりいいだろうと考えたのだ.

あれやこれや設定をいじり,とりあえずiPhone4をまた使い始めた.モバイルデータ通信だとか,そういうあたりをよくわからないままいじって,外に持ちだして試す.そんなことをやっているうちに幾つか新しいことを知った.

  1. 「ゼロから定額」というものは怖い
  2. うっかり「モバイルデータ通信がONになっていると,システム関連のパケット通信をしまくるので料金発生
  3. 3Gをオフにすると通話すらできないので,モバイルデータ通信はOFFだが3Gはオンでないとダメ

たった数日なんだけど,設定しては外で使っていということ繰り返した.しかしうっかりモバイルデータ通信がONのまま外へでたときがあったようで,結果的にすでに2600円も料金が発生している失敗をした(いや,まいった).WEBで検索をかけると同じような失敗をしている人が沢山いる.なんだかぼろい商売してにるなぁとため息がでた.

利用者のうっかりミスですから料金はいただきます.そういう対応しかしないだろうし,それは正しい.しかしそんな商売が長々と継続する「わけはない」.どの携帯電話会社も10年スパンで考えると,最初とは違う目標を掲げた集団になっているだろう.というのは,そもそも「携帯電話」で月1万円は「絶対に高い」のであって,これがそんなに持つするわけはないではないか.だからいろいろな付加サービスをつけて,そもそも携帯とは?という疑念をはっしないようにしているのだろう.不要なものは10年スケールで考えると続かない.かならず途中で変化がある.

これはマクドナルドをみているとよくわかる.原田という経営者が「赤いバスが出発します,嫌なら置いていきますね」ということで「徹底的に稼ぐ方式」を貫いた結果が今である.まともな職員を皆追い出して経営的には一時成功したかもしれないが,今はもう宴の後状態になっているらしい.たぶん携帯会社もそうなるんだろう.

そう考えると,これからさきは価格競争ではなく「自己責任詐欺」のようなものが横行するはずだ.うっかりミスをつかって収入を確保するという方式である.会社ほうだって長いことこの商売を続けるつもりなんてない.ただ,今の顧客からできるだけ金を引っ剥がすことを考えるはずだ.出口戦略といえようか.

こうなると顧客は大変迷惑する.すごい違約金をとれば儲かる.やめる人を増やすことで利益を生むことができる.
こんな妄想が浮かんできたので,ぼくはもう携帯そのものをやめようかと考えている.今ならば1万円を払ってやめることができるからだ.

ここでまた原点にもどる.本当に携帯って必要なんだろうか.ないと困るのだろうか.その回答は「人による」だろう.ぼくは自宅と会社の往復をするだけの生活だから,連絡が付かないのは通勤途中だけ.そんな時間に連絡をとらなければいけないことはない.実際「ない」.
じゃぁ,災害があったときはどうするのか? でも,311ときって携帯電話なんて使えなかった.公衆電話が一番よかった.首都直下だと電話なんてあってもなくても関係ないだろう.つまり,ぼくの生活では結局のところ「携帯電話はいらない」ということになる.

そうなんだよ,いらないんだよ.それを適当なCMに流行に載せられているだけなんだろう.携帯電話なんていらないものの最たるものなんだ.



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人の知能の発端を知りたいです。ハードウエアとしての人は二万年は変わっていないらしい。それなのに、文明といわれるものはローマ以前の数千年までしか遡れない。ローマ以後の二千年で海王星の写真を撮れるし、原子も見られるようになった。文明以前の一万年以上、一体全体「人類」は何をやっていたのだろう?それが知りたいんです。



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