職業としての小説家(村上春樹)

2015.10.17 

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出版前から話題となっていたエッセイ集だけど、一読してみて100万部売れるのか心配になった。面白くないのではない。読む側の心構え、あるいは期待の問題。このエッセイはある種の説明文で書かれているので、安西水丸さんのイラストとして登場する村上春樹がコロッケとビールの話をしているような気分は味わえないからだ。だからパスタが茹で上がるまのでの合間にビールでも飲みながら食卓で読むような本ではない。となると、100万部は無理じゃないかと思う。これが第一印象だった。

それでも村上作品自体に、あるいは小説を書くことに興味がある人は楽しめると思う。それは、村上作品が如何にして出来上がるのか、その裏側がちゃんと語られているから。村上春樹作品の何に興味があるのか、どうして村上春樹の本が売れるのか、どうして読んちゃうのかに興味をもっている人ならば断然楽しめると思う。本当に。

とはいえ、ぼくもそうだだけど誰もが小説家になりたいわけではない。それでも『遠い太鼓』を読むときのように「村上さんといっしょに困った気分になる」ような楽しさが湧いてきたが、この本はそうはならなかった。しかし技術的というかメイキング的な意味で「あぁそうなのか」「そううやって小説を書くのか、それにしても何回手を入れているのだろうか」という内情を知ることがでいた。これまでそういう話を(対談や番組なので)語ってこななった人だけでに「へぇ」と知って嬉しくなることが多く書かれている。小説が書き上がるまでの過程、それを海外へうってでたときの経緯などは、物書きの人でない人は知ることができないのでなかなか楽しめたわけだ。「なるほどそういうことがあったので売れたのか」と。何にもしないで売れたわけではないのだなと。

文学作品をあまり読まないので、日本の文壇とか純文学とかについてはほとんど無知な状態での感想だけど、村上春樹はそういうものにかかわらなかったから良かったなと感じた。本人自身もそうお考えだろうし、だからこそその著者の作品が読めて楽しめる読者にとってもそうだ。村上春樹にネガティブな評価を投げつけ続けていた文学界の人って、おそらくはテレビ関係に群がる人たちと同じメンタリティーなんだろうなと想像する。テレビと文学とでは後者のほうがずっと「高級」な感じがするかもしれないけど、文学界というのは、電通・博報堂やリクルートといった人が「今しか残らないもの」を追求しているような、別の言い方をすれば「楽屋落ち」で盛り上がっているだけのような人たちなんじゃないかと想像しちゃう(実際は知らないけど、一般の人はそういう人とは付き合う機会もないのだけど、付き合えば時間を捨てるだけだろうなという集まりはいかなる世界にもあるものだから、想像はつくのだ)。

ものの良し悪しは、結局は「あとから参加することになる人がちゃんと利用できるのか」「どのくらい継続してそれが存在できるのか」「どのくらいそれを前提とした別のものが創造されてくるのか」による。製鉄の技術ってすごいし、三角関数って強烈に便利。表現方法によってものをごとよりよく知ることができるし、平均律によって音楽を演奏する楽器がいろいろできてきたし。結果的に「これらがある時代に生きてよかったな」と思えるようなものがほんとに良い物だ。そう僕は考えている。そう考えるならば村上春樹の世界だって「あぁ、わかるなぁ」と思うような気分がするし、「うさぎ亭のコロッケ食べたい」と気分よくなることだってある。どんな本でもそうだが、読んだ人に「あぁ」と感情を引き起こされ、嬉しさにつけ悲しさにつけ、生きてるなぁオレ、って思う瞬間を引き出してくれるものは良い物です。ほんとに。

この本の内容によると、村上春樹も65歳を超えたということだ。えーっと思う。年齢よって書かれる世界は違ってくるとは思うが、まぁこれまでとは別の世界を見せてほしい。ぼくは決して熱心なファンじゃないけれど、次がでたらまた買って読みますね。そう公言できる作家をぼくはあまりもっていないのが残念だな。

やっと新しいページを立ち上げられそう

2015.10.11 

やっと新しいページを立ち上げられそうだ.

ぼくは(一応)研究職についている.性分として「ちゃんと考えて,何かをやって,結果を他人にもわかるようにまとめて,そして次のことをやる」という活動が好きである.そしてそれを生きている限り繰り返すというか,そういう職種にあるわけだ.それにもかかわらず,これまであまりそういうことをしてこなかった.

考えたことを広く公表することに問題はないことしかしていない.だからぼくのやっていることは情報公開について考える必要のないし,そもそも公表することがタスクとして推奨されるているでどんどんやるべきなのだ.が,そういう発表の媒体を自由に使えるわけもなく,またそれほどまでに完成している成果物をつくれたためしもなかった.だから発表自体ができないでいた.

しかし,10年くらい前からはWEBが一般的になり,それで普通の人が個人的に世の中への発表がじゃんじゃんできるようになった.ならば自分でそういう場所を準備し成果物を公開しようと考えたのだった.早速 significa.jp というインターネット・ドメインを個人で取得し,個人でグローバルIPを保持し,インターネットでのサーバー公開することについてほそぼそと原理や技術を学んできたのだった(大変費用がかかるものだったが).

それにしても,これまで一体何をやっていたのか不思議なくらい上手くサーバーを準備できないでいたが,今日やっとこ「こうやって公表したらいいのではないか」という方法を思いつき(別に大した方法ではないのだが,踏ん切りをつけた),しばらくはこの方法でページを作っていきたいと考える程度のものを始めることにした.そして,始めたからにはずっと維持していきたい.それがどういうことに繋がるのかはさっぱりわからないが.

そもそもこのサイト名であるscienzaとは,塩野七生さんの本(『わが友のマキャベリ』だったと思う)で,「考えるだけではだめで,それをまとめてはじめてシエンツァと呼べるんだ」という記述を読んで,科学ってのはそこで完結するのかと感心し,いつか自分もそうしようと考えたことが発端で,それに由来した名称なのだ.とはいえ,ぼくは凡人中の凡人だとこの10年で思い知らされたので,ぼくの作業結果自体に「価値のある」ものはできなかったが,それでも「ちゃんと給料をもらって生きてきた」という事実はあるわけで,だから,それを広く公表することになんらかの意味はあると思っている.

インターネットにぶら下がっている情報は玉石混交だと言われている.実際そうかなと思うことはあるが,だからといって「それが理由で全部を見下し,そのわりに自分はなにもしない」ような愚か者でいたくはない.ダメならばダメなりに何かを残すべきだろう.Think Big, Act Smallという言葉をCMUの先生の主張には痛く感心したこともあり,それが一番だろう,ぼくもはじめてみるか,と思ったのだ.

岡本太郎とChim↑Pomの展示が並んでいて、感心した

2015.10.04 

岡本太郎の絵がどかんと展示されていた近代美術館の一室。幼稚園くらいの男の子に岡本太郎の凄さを力説するお父さんの話を聞き耳をたてて聞いていた。絵を言葉で語るのは絶望的な努力だなぁと感じたが、お父さんのただならぬ力説ぶりにきっと子供は分からないなりに何かがあると感じたと思いますよ、と心の中で拍手をした。

LinkIconhttp://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20150919/#section1-2

その部屋の反対側の壁にはChim↑Pomのビデオ展示があった。うわぁ、原発のビデオだよ、近代美術館はさすがだなと感心した。竹橋の近代美術館は国立なのだが原発問題を扱った作品も「まとな」展示をきちんとしていて、キュレーターさんに敬意を評したい、ほんとに。

Chim↑Pomをぼくが知ったのは311のあとで、渋谷東急の通リに飾ってある岡本太郎の大作の下に福島第一の図案を何者かが追加で飾ったという事件の報道だった。

あれはどう考えても「いたずら」ではない。岡本太郎の図案に完全に溶けこむ素晴らしい追加だったのだが、悪質だと即撤去された。それは「自称正義の市民」ようなクレーマーが物申したことと、東電援護のマスコミが騒いだ影響であえなく外されてしまったた。世の中の、とくにマスコミの事実に目を伏せる態度に腹立たしく感じたので、Chim↑Pomの名前も印象深かったのでよく憶えている。

Chim↑Pomは福島第一の近くの浜辺の公園で白旗に放射能マークを赤く入れて旗を上げるというパフォーマンをしたのだが、そのビデオが美術館で映されていた。近代というより現代の作品なのだが、うん、近代美術館の学芸員さんは「わかっている」のである。最近Chim↑Pomはイギリスで若いアーティストに対する賞を獲得していたから、世界からの評価を経由して日本が騒ぎ出すのかも知れない。

少し前に都立現代美術館の会田誠の展示で「文科省を批難する言葉」がかかれたインスタレーションの展示を取りやめるかどうかという騒ぎがあったが、このChim↑Pomの展示には近代美術館の担当者にはクレームは来ているのだろうか。あるいは、すでに福島第一について世間では風化してしまったために社会からの反応はないのだろうか。なんとも言えないが、ああいう場できちんとこういう作品を評価している近代美術館について、拍手を送りたい。

とはいえ、今日は無料入館日だったので行ったのであって、若干後ろめたい気もするが。

ちょっと長い文章は別のページに書き込むことにした.

2015.10.03 

ちょっと長い文章は別のページに書き込むことにした.このページにはブログを書き込んでいたが,この3,4倍の長さのものを書いてみたいと考えるようになり,試しに別のページに書き込んでみた.文章が中心になるのでブログツールを使う.これまで細々と使ってきたMovableTypeを中心にする.今はWordpressのが使いやすいのかもしれないが縁があってMovableTypeを選んだのだから,そのまま使うことにした.考えてみれば最初はMT2の頃だったのだ.何年も付き合っていることになる(保守にはそれなりに苦労したが).

ブログを始めた頃は短いものであっても書くのが大変だった.どうやって書いたらいいのさっぱりわからなかった.そもそも文章書きなんて苦手だったし,頑張って書いても我ながらダメな文章だった.それでも続いたわけだ.文章の質はたいして改善されなかったが,文字を書いて空間を埋めていくこと自体はそんなに苦にならなくなった.ものには慣れというものがあるということだ,本当に.

BiNDまで税金を徴収するようになった気がしてうんざりだ

2015.10.01 

WWWのページを作成するツールとしてDigitalstageのBiNDをこれまで使ってきた.それ以前はID for WebLiFEを使っていたのでDigitalstageのツールとは随分と長い付き合いになる.もう十年はたっているのではないかと思う.

BiNDはバージョン1から7まで全部購入して使った.ぼく個人の感触だが,BiNDからBiND4までは確実に進化した.バージョンアップのたびに「イマイチ」だったおころが良くなっていった.BiND5からは安定化や小技の追加という印象がある.つまり,ホントに必要な機能なのかどうかも疑わしいものが追加されていった.BiND5,6,7には本格的な改修はなく,むしろバージョンアップときくとお金を払ってくれる人からの集金のような機能追加だった気がする.いや,実際は違うのかもしれない.しかし素人目にはそう見えた.今使っているBiND7はBiND6と「そんなに」大きな違いはなかったので正直買う必要はなかったと思う.

最近はパッケージソフトウエアなのに「月極料金払い」みたいな売り方をするのが流行りのようで,Adobeみたいな売り方になろうとしており,ユーザーとしては辟易している.さすがにもうAdobeは買わない,買えない.どうしてこうMicrosoftのような「超税方式」をとるようになったのか.まぁ経営の安定化というようなことが理由なのかもしれないが,結局は会社で購入する人が定期的に納税すればいいような気がする.一般人相手は商売にならないと.それはそれで一つの知見ではあるが,「パーソナルコンピューター」は一体どうなっちゃったんだろうか,と問いたくなる.どいつもこいつも金儲けFirstになっていくことを肌で実感できる.

そんな矢先にBiND8が発売するというメールが届いたので内容を確認してみたが,わざわざ買い換える必要があるようには思えないなかった.もちろんResponsiveWebがどうしても必要な人がいるだろうから,待ってましたと考える人も多いのかもしれない.BiNDに「パーソナルユース」ではなく「会社ユース」なんだなぁとあらためて思った.そして「もうDigitalstageの製品も買うのはやめるか」という潮時を感じた.

以前は面白く,でも綺麗な製品をつくりだす会社だったのだが,最近はいいものを作るぞ的な勢いではなく,儲けるぞ気分が一般のエンドユーザにまで伝わってくるようになった.もはや個人で買ってWEBで遊ぶというような道具でもないのだろう,さて,会社を応援する意味での購入はやめるかと決心したのだ.

BiND7,これはこれで充分よいツールである.買い換えを推奨するために1,2年で保守もやめるだろうけど,最後まで使っていこうかなと思っている.BiNDを使っていて,技術が核心していくのを目の当たりにできて楽しかった.次はどういうWEBの時代なのかなと.絵心のない個人でも使えるツールとしてはBiND7で完成したのだなと改めて感じた(BiND8のほうが完成に近いのだろうけど,使わないので知らない).

これからはBiNDを使いたいからWEBをやるという倒錯した遊びはやめて,時代の流れに少し逆行していくかなと考えている.何をするにせよ,今はGoogleのツールで充分まかなえる.だから高度な道具はもう必要ない.それで何を作るのかという当たり前がよりいっそう問われてくる.今手にしているこの道具でなにができるのか.数年かけながらゆっくり考えていこうかと思う.



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人の知能の発端を知りたいです。ハードウエアとしての人は二万年は変わっていないらしい。それなのに、文明といわれるものはローマ以前の数千年までしか遡れない。ローマ以後の二千年で海王星の写真を撮れるし、原子も見られるようになった。文明以前の一万年以上、一体全体「人類」は何をやっていたのだろう?それが知りたいんです。



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