韓国について興味をもつに至った経緯

2016.05.28 

週末は土日とも本屋を巡回していることが多い。平積みの本をチェックするのが趣味ようになっていて、気になるもの本がないかなとワクワクしながら書店内を回遊するのが休日の過ごし方として10年以上定着している。

次の本は、このとき書店で見かけ興味をもったので購入し、どんなもんか、途中で投げ出すかもしれないけどと思いながら読見始めたところ、全部読んでしまった。

(1) 関裕二 『検証! 古代史「十大遺跡」の謎』  PHP文庫
(リンク: http://www.amazon.co.jp/検証-古代史「十大遺跡」の謎-PHP文庫-関-裕二/dp/456976567X/ )


「おじさん」というか「爺さん」の年代になると日本史への興味が強くなるようで、博物館での特別展やニュース番組で報道される遺跡の一般公開の映像なので「興味深げに見学している」のは大抵の場合「引退された夫婦」の列という印象をぼくは持っている。

いや、実際には遺跡に足を運んだことなどないので、「単なる偏見」だろうと思うのだが、ただ、人生を振り返るような歳になると「自分の人生は一体なんだったのか」という哲学的な問いにリアリティを感じるようになるってくることは大いにありそうで、だからせめてもの努力として、自分の遙かなる祖先のような存在の痕跡を(多くは土に穴があいているだけなのだけど)を書店に確認しに行くのではないのだろうか。

そしてそんな気分がぼくにもあるのかもしれない。だからこの本を大変おもしろく感じたのだろう。

さて、面白かったのでこの著者のひとつ前の本を読みたい、と思っていたら別の本が平積みされていたことに気づいた。だって表紙が同じだから「あれ、文庫になる前の単行本かな?」と勘違いしてしまったくらい。

(2) 関裕二 『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』 PHP研究所
(リンク: http://www.amazon.co.jp/なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか-関-裕二/dp/4569827888/ )


この本、縄文人・弥生人の考え方の「最近の理解」からの考察があって、大変よい。

古代史の話をする人は、日本書紀、古事記あるいは魏志倭人伝東夷伝とかばかりをベースに話を構成するけど(それしか資料がないからだろうけど)、この著者はちょっとちがう。適切に科学的成果に目を配っているから。自説披露が目的ではなく「ぼくは知りたいんだ」という気分がちゃんと読み取れてしまう。

例えば、ミトコンドリアDNAと染色体YのDNAをつかい極東の人々の関係性をハプログループで説明したりして、なるほどすんなり受け入れられる。稲の伝来についても、プラントオパールという「そこでその稲は育ったんだ」という確かな証拠から説明を組み立てている。日本の稲は中国から直接来たものと韓国経由のものと2系統あるということを認めると、弥生人の考え方が変わる(ハプログループでの分類を考えても同じ結論)そんな歴史家は大変珍しいのではないだろうか。偉い先生たちの本のように、変なドグマや自民族中心主義からの説明(自分の意見が正解、その他は間違いといっているものが多い)ばかりの連中にはとても思いつけない、あるいは繋げられないような理路をつかって綺麗に説明している。この本は個人的に大変あたりだった。

関裕二という人は井沢元彦本の元ネタだということをどこかで耳にしたことがある。ぼくは著作をあまり読んだことがないのだけど(在野の人のようだし)。ならば邪馬台の台の発音は「ド」あるいは「と」とするべきだと思っているのではないと想像する。つまり「やまたい」ではなく「やまと」と読むほうがいいと。だからだろうか、本書では「大和朝廷」としないで「ヤマト朝廷」と表記してあるのかなと勘ぐったが、ちがうかな。


この2冊を読んだら古代韓国に興味が湧いてきたらしく、いつもならば気づかないような情報に目が止まるようになった。韓国紀行本を茂木健一郎が帯を書いていることをツイッターで見つけ、早速書店で買って読んだのだが、次の本。これは面白かった。

(3) 前川仁之 『韓国「反日街道」をゆく: 自転車紀行1500キロ』 小学館
(リンク: http://www.amazon.co.jp/韓国「反日街道」をゆく-自転車紀行1500キロ-前川-仁之/dp/4093798850/ )


タイトルと中身はあっているようであっていないようで、ただ「キャッチー」なところは満点だろう。このタイトルでないと「買おうかな」という気にはならなかったかもしれない。ただし、書店では棚差しされていたから、多くの人は手に取らないかもしれない(わからない)。

去年の春に自転車で韓国を一周した話といってしまえばそれだけなのだが、韓国の現代史(戦後の民主的活動や事件)について途中でいろいろ入っていてきて、初めて知ることが多い(勉強になる、まずマスコミじゃやらないから)。民主化運動なんて日本にはなかった。映像記録では60年、70年の安保闘争くらいしか市民の運動なるものを目にした記憶がないのだ。しかし、韓国では内地での戦争(朝鮮戦争)こともあるし(日本だと沖縄くらいでない、『ひめゆりの塔』くらいは読んでいる)、軍事政権時代もあったので、民主化の市民運動がスゴかったことがあったんですね(天安門なんて比じゃないくらいの市民殺戮があったようだし)。
日本は誰も民主主義を勝ち取ってなんかいない、たんに負けたらもらえちゃったんだから。なるほど、そういうことに由来する感覚が日本と韓国では違うのも頷けるわけだ。

それと韓国における詩、あるいは漢詩についてもわかって面白い。韓国で漢文はどう発音するのだろうか? 考えたこともなかった。が、李氏朝鮮はガチの儒教国家だったんだから「読めないわけがない」。現在における百済と新羅の確執なんて、いまでもやっているのがスゴイです。


こりゃ、もうちょっと韓国を知りたいなぁと思ってもよくかわらないので、ここは絶対に大丈夫な司馬遼太郎を読んでみた。

(4) 司馬遼太郎 『韓のくに紀行(街道をゆくワイド版)』 朝日新聞社
(リンク: http://www.amazon.co.jp/ワイド版-街道をゆく%E3%80%882〉韓のくに紀行-司馬-遼太郎/dp/4022501022/ )


(3)の本は著者の処女作なんだけど、(4)を読んでしまうとその違い、その凄さにやられてしまう。司馬遼太郎の「知的な分厚さ」ってスゴイです。もう、参っちゃうくらいスゴイ。うわぁ、って感じでした(とくに(3)を読んだちょくだったからだと思うけど)。比べる必要ないのだけど、続けて読んだので違いを鮮明に感じてしまった。

当然だけど、百済や新羅、高句麗(今の北朝鮮なんだろうか)についての話が面白いし、また「朱子学」ってのはいかに「よろしくない」ものかがよく分かる。韓国は鎌倉から室町くらいに李氏朝鮮となり、以後韓国併合(1910)まで、儒教べったりだったわけで、これがいかに「よくないことになったのか」を納得する。まぁ、一般に生まれ(あるいは所属する国・地域)を自慢するようなやつには近寄らないに越したことはないんだけど、韓国人が全部この主のプライドを持っているのだとしたら、なかなか近寄りがたいことになることは確かで、二国間の問題はそういうところに根ざしているのだから、今後もあまり変わらないかもしれないとも想像した。

日本は東の端で、なおかつ海で区切られ直接接していなかった。これが大変な幸運だったなぁと改めて思った。古代からの中国皇帝たちに飲み込まれないためには、儒教どっぷりにするしかなかったのかと大変よくわかりました。

しかし、さすがわ司馬遼太郎本、古代百済と新羅をめぐる旅なのに、どうしても半分は日本の古代の話なっているのが面白い。それだけ、西日本と百済(あるいは任那だろうけど)は同じ由来だということなのだろう。


で、せっかくだからということでもう一冊。

(5)司馬遼太郎 『耽羅紀行(街道をゆくワイド版)』 朝日新聞社
(リンク: http://www.amazon.co.jp/「ワイド版」-街道をゆく-28-耽羅紀行-遼太郎/dp/4022501286/ )


済州島をめぐる話なんだけど、(4)の十年後に行っている。これも結局日本の文化との連続性がわかって面白い。
シャーマニズムはツングース系のサガなんだと。

今の日本は政権まるごとネトウヨばかりだけど、

ナショナリズムは、どの民族、郷党にあって、わるいものではない。
ただ浅はかなナショナリズムというのは、老人の場合は、一種の呆けである。壮年の場合は
自己についての自信のなさの一表現かもしれぬ。若者の場合は、単に無知のあらわれでしかない。
(P304)

という司馬遼太郎の言葉を頭にとどめておくたい。


最近めっきり老眼がすすんで、本を読むのがつらくなってきた。キンドルはだから便利なんだけど、全部あるわけじゃないしね。いい本は活字が大きくなっているのでありがたい。

昔やりたかったことは後を引く

2016.05.04 

子供の頃にやりたかったことが突如として思い出され、過去を鑑賞していたつもりがいつのまにか今現在の欲望として立ち現れる、ということがあるな。

12の枝道とは別のサイト立ち上げ

2016.05.02 

significa.jpは自分のドメインを管理してみたくって始めたサーバーである。立ち上げ最初はグローバルIPを取得して自宅サーバーを運用していたが、途中からプロバイダーのサービス劣化が著しくなり、またADSLから光にするときIP保持のための費用がまかえなくなったので、それを機会にレンタルサーバーにした。だから、今はDNSだのSMTPだのを動かしていないし、だから攻撃にあうこともなくなった。管理らしきことがない気楽な日々である。

ここ1,2年、仕事先の計算機ネットワーク周りのセキリティ−が一段と厳しくなり、メールの検閲だけでなく端末にスパイウエアをインストールすることが義務付けられたことを機会に会社のネットワークから離脱してしまった。今は結構なんとかなるものだ。そして、それに関わる諸々の必要性から新たにドメイン名を一つ取得した。そして、ついでにウエブも立ち上げることにした。

significa.jpはぼく個人のブログでしかないが、新しいサイトはもっとまともなものにしたい。個人の趣味の色彩を消して、パブリックドメイン向けのノートのようなものにしようと構想している。これまで大学院向けの授業をやってきたし研究もやってきたし、一般公開している論文も書いてきた。そういうものをベースに「情報をオープンにします」という態度で運用しようと思っている。

でも、一人でやるにはいろいろ限界がある。どこまでやれるのか。やりながら考えてみるよりない。



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人の知能の発端を知りたいです。ハードウエアとしての人は二万年は変わっていないらしい。それなのに、文明といわれるものはローマ以前の数千年までしか遡れない。ローマ以後の二千年で海王星の写真を撮れるし、原子も見られるようになった。文明以前の一万年以上、一体全体「人類」は何をやっていたのだろう?それが知りたいんです。



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