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2005年3月22日

笑いの力

河合隼雄・養老孟司・筒井康隆
岩波書店 1300円
お勧め指数 ★☆☆☆☆

 3人をパネリストにした講演録と対談録。フォントが大きく、行間が広い。対談集だって割には、装丁がきれいで立派な本。1300円もする。
 内容は全然だめです。笑いについて語る、というより銘々勝手なことを言って逃げ腰。笑いの話しをしても面白くない、と論者は口をそろえて言うが、本当に面白くない。

 養老孟司の講演で次の一節があった。いろいろなところで話している。
 ”いまの若い人には変わらない私がある、それがほんとうの私で、それが世界にたった一つの花だと、どこかで思っていますよ(笑い)。それが自分の勝ちだろうと。どうして、死ぬまで変わらない自分がある、ということになってしまったのでしょうか?”
 全くそうですね。そんなものは、ない。

2005年3月21日

虚報の構造 オオカミ少年の系譜

井沢元彦
小学館文庫 619円
お勧め指数 ★★★☆☆

 朝日新聞を材料にして、日本のマスメディアのおかしいところを指摘する本。悪いところは明白。「事実を伝えればよい。意見を言う必要はなし、ましては、記者様に指導してもらう必要はない。」そういう簡単なメッセージ。また、「無謬性」についても取り上げており、「他人の間違いは指摘し、撤回を求めるが、自信の誤りは無視する」ということの事例をたくさんあげている。ひどいとは効いていたが、こんなにひどいとは。

 指摘は至極全うで、論理的な論戦が行われるといいのだが、まぁ無理でしょう。そして、大手マスメディアはフィードバックとは無縁の商売ですから、何も変わらないでしょう。そして、そのマスメディアを自然に取り込んできた人に疑問を持つ人は現れないでしょう。その意味で、マスメディアについては悪魔のサイクルに入り込んでいる。マスメディアに対してまともになれと叫ぶよりも、別の情報収集方法を確立することに時間を費やしたほうがよいと、私は思っています。

2005年3月18日

世界の「宗教と戦争」講座

井沢元彦
徳間文庫 590円
お勧め指数 ★★★★★

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、神道、儒教といった宗教についての解説。「世界にも常識がある。それを知っておけ。そして、無宗教だと大抵の人が思っている日本人も、「和」や神道の影響にどっぷり使っていることを気づいて欲しい。」というのが、著書の意図のようだ。

 この本の特徴は、「和」と「神道」を浮かび上がらせること。「言霊」や「ケガレ」という、日本人の無意識のレベルに実装された、気づかないけれど強烈な価値判断基準を世界宗教と比較しているところにある。いつもならが、井沢さんの迫力にたじろいてしまう。

 興味を持ったのは2点。法華経とバイウォーター氏の本について。

 ”日蓮の立場からすると、阿弥陀を信じることも禅も間違いである。禅者がいうように自分の力で救われることなど人間にできるはずがない。法華経だけを信じれば良い。信じるだけでなく、広めなければいけない。それが、大事である。そしてそういうことをやった人間こそが救われる。”
 なんだ、コンセプトは違うが一神教っぽいですね。人の行動は宗教に関わらず収斂するのかもしれない。

 もう一つはバイウォーターさんの本。神道にからみ「言霊」の説明のくだりで引用されている。この内容が私には衝撃的だった。長いけど、引用してみる。
 ”中国に於ける権益問題でアメリカと対立した日本政府は、内政に対する国民の不満をそらす意図もあって、対米開戦を決意する。開戦当初日本は海軍力においてアメリカよりもやや優位にあり、その優位を維持し戦局を有利に展開しようと、海軍はフィリピンに奇襲攻撃を掛けマニラを占領し、西太平洋の制海権を握る。しかし、生産力に勝るアメリカが、海上封鎖による持久戦法を採り、中ソ両国も反日に転じ、戦局は逆転する。そして、艦隊主力をもって行われたヤップ島沖海戦でも日本は敗北し、アメリカはグァム島などの南洋の島々を次々に占領し、日本側守備隊は次々全滅する。そしてマニラも奪回され、この間ソビエトは樺太に侵攻しこれを占領する。中国軍は南満州を支配下に置く。ついに内閣は総辞職する中、アメリカの爆撃機が東京上空に来襲する。ここに至って日本は、アメリカの講和勧告を受託し戦争は終結する。”
 フィリピンがハワイに、ヤップ島沖がレイテやミッドウェーにに変わっただけで。この本は、大正13年に刊行されているのです。はぁ? えつ? 本当?
 馬鹿くさくなりませんか? 一体日本は何をやっていたのかと。日本は神道の「言霊」を信じていますから、口にしたことが実現すると信じます。だから、この本に対して、『アメリカおそるににたらず』という本が出版されベストセラーになったそうです。そうです、バカなんですよ、この国の人。

 言霊を信じることは現実を無視して、なおかつ適切な行動をとらないこと。そう思えます。もちろん、私も無意識だと言霊信仰になっています。日本の歴史はそれなりに長いし、当然私に大きく影響しているでしょうから。ただ、言霊を信じて行動すると、先人の失敗を繰り返してしまうでしょう。マキュアベッリではないが、「天国に行く唯一の方法は、地獄へ通じる道をしることだ」ですから、言霊の影響から逃れないと。

2005年3月15日

「言霊の国」解体新書

井沢元彦
小学館文庫 514円
★★★★★

 口にしたことは実現する。言霊は存在する。それが日本の宗教。この主張を一貫して行った「SAPIO」の記事を編んだ本。しつこいほどに日本の「現況」を指摘している。また、それが理にかなった説明。こういう新聞記事がないから、私は新聞を読まない。こんな記事で埋紙面が埋まっていたらなぁと想像してみる。ため息がでる。

 言霊と一緒に日本の「礎石として存在する精神構造」の説明されている。それが見事。日本史に何度かあった狂信的な(流れに乗る)人々の挙動を「言霊(コトダマ)」を使って説明している。

 「しかし、その絶対的な価値であったはずの「天皇」は、敗戦と共にその座から滑り落ちた。しかし、絶対的な価値への忠誠をたたき込まれた「奴隷」は、何らかの忠誠の対象がないと落ち着かない。「三つ子の魂百まで」だからだ。だから、その対象として、ある人々は「共産主義」を選らび、多くの他の人々は「平和憲法」を選んだのだろう」(本文から引用)

 言霊信仰であるかぎり、この性格からは抜け出せない。それは日本に住んでいる限り変わらない。つまり、日本で生まれ育った人がもつ潜在的病状を示している。

 日本の社会を論じた本であるのに、我が身に覚えのあることもある。マスコミの問題点などを説明する一本の強力な理由を私ははじめて理解させてもらった。 

2005年3月13日

逆説の日本史(4) 中世鳴動編

井沢元彦
小学館文庫 619円
★★★★☆

 汚れと穢れはちがう。穢れは目に見えない。洗い落とせない。物理化学的なものではない。他人のハシは穢れている。洗っても、だめなのだ。これも、日本人を考える上での外すことのできない特徴。これを知らないと、「なぜ、抗菌コート」があるのかわからなくなる。抗菌コートは汚れ防止ではない。穢れにたいする絶望的な防衛なのである。

 「経済的に豊かになると、ハングリーな部分が消え、代わりにケガレ思想が頭をもたげてくる。中国には「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、日本は「衣食足りてケガレを嫌う」のである。」

 高度成長期に「抗菌」なんてなかった。

 しかし、ハシの件だけを自分について考えれば、ケガレは「意識ではどうにもならない感情・情念として生成してきてしまう」ものである。理性ではなく、感情なのだ。そして、それが私の「差別感」と直結していて、間接的とは言え、自分の行動にも影響している。
 だからどうにかできる、というものではない。しかし、それに気づいた。だから、それを放置することは許されない。自分を変えるポイント、あるいは、評価軸が見えてきた。

2005年3月11日

逆説の日本史(3) 古代言霊編

井沢元彦
小学館文庫 619円
★★★★☆

 言霊。日本人の宗教。それも、相当根深いのだが、意識には上がらない。無意識が信仰している宗教、ということかもしれない。

 コトダマの世界では「外国の侵略」などというコトアゲをするヤツは、「侵略されることを望んでいるヤツ」である。だから、意見をいわさなければいいのだ。そして、一方で憲法を読む。「祝詞」だから、読めば読むほどその霊力(すなわちコトダマ)で世界は平和になる。

 これは、まさに日本の信仰を言い当てたものだ。口にすると実現する。口にすることは望んだこと。嫌なことは口にさせない。「それをいっちゃぁ、おしめぇよ。おっちゃん」である。

 なるほど、これはで「実際的」な行動をとれるわけがない。能書きばかりになる。そういう人は歳をとるほど多い。はじめて日本人の信仰を知った。いや、自分の「無意識が信仰している価値」を知った気がする。 

2005年3月 9日

逆説の日本史(2) 古代怨霊編

井沢元彦
小学館文庫 675円
★★★★☆

 聖徳太子は別に聖徳というわけではなかった。剣を持って自ら先頭をするような人だった。古代では、「徳」という字が諡名(死後つけられる名前)に入っている人は「恨み」をもって死んだのだ。そのたたりを恐れ、「あなたは徳のある人だった、だから、安らかに」という意図で「徳」がつけられた。
 とくに、怨霊について日本(貴族)はどこまでも恐れおののいていた、という説を繰り広げているのだが、かなり証拠をそろえて著者は説得している。何が、この人をこうまで語らせているのかと疑問に思う。東大寺の大仏をあっさり捨てる理由は、「要するに効き目がなくて捨てたのだ」ということなのだが、「そうかもしれない、なぜならば、現代でもあのプロジェクトがあったから」という気がしてくる。

 内容は論理的でありながら興味深い。説に「息」がある。読むほうも力が入る。何度も何度も、同じ内容のことが書かれているが、不思議に「嫌み」がない。読んでいるうちに、著者のペースにはまっているのだ。

2005年3月 6日

逆説の日本史(1) 古代黎明編

井沢元彦
小学館 650円
★★★★☆

 古代の解釈は歴史の教科書とはちがうものがある。そして、歴史の教科書より「面白い」ものかもしれない。学者が編纂した「事実列挙」は、それが事実であれば害はないが、思考停止やイデオロギーによるものならばかばかしい。歴史は現在の理由を「正当化」するものであるがゆえに、言いように書き換えられているものもあろう。著者のそういう態度は、資料不在が理由で「存在していない」という主張や古代人と現代人との宗教観のずれをもとに、日本史を再構築に結びついた。そういう主張のシリーズ。

 前置きには感心するし、同意もする。ただし、論理的には「切れが悪い」。自己矛盾しているところもある。まぁ、数学ではないのだから許せる範囲ではあるが、著者の限界を感じてしまう。
 ただし、内容は面白い。500ページの本であるが、つい読み込んでしまう。文庫本であるし、シリーズすべてを読破しようと思う。

2005年3月 1日

邪馬台国はどこですか?

鯨統一郎
創元推理文庫 700円
★★★★★

 日本の古代についてのミステリー。邪馬台国や聖徳太子などの歴史を解説する。「新・世界七不思議」よりは若干知識が必要かもしれない。しかし、論理を骨格とする話しの構成は感動的なほどである。小説の部分は会話が主体でぱっとしないが、本来は論文や解説として世に出したほうがよいものかもしれないので、この程度でよいのかもしれない。

 多くの専門家の感心がある特定の領域に収斂し、煮詰まっているときに全く新しい方向を提示されると部外者は快感を感じる。煮詰まった世界にいる人は立場がなくなるので嫌だろうけど。科学的であれば、そのジャンプを快感として感じるはずなのだが。

 この小説の態度は、科学よりも工学で有益ではないか。論理的と実践的な態度とは、この小説の主人公「宮田」さんのようなものであろう。