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2005年11月28日

目玉の学校

赤瀬川原平
ちくまプリマー新書: 700円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 「路上観察学会」の人。視点が面白い。けど、だからなんだ、という気になる物でもある。新書だし、この人の見方のエッセンスでも知ることができるかなぁと思って買ってみた。内容は、過去を振り返ってというようなエッセイ?で、なるほど、という感想を持った。が、これも高いなぁ。ただし、この本で紹介されていた「ステレオ写真」はちょっと気になったので、本を購入してみます。

2005年11月27日

四国はどこまで入れ換え可能か

佐藤雅彦
新潮文庫: 590円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 佐藤さんの思いつきは面白い。ほんわかしたところがあるマンガも。この本はレジ前で平積みになっているので手に取った。表題の発送がおもろいじゃない。四国と北海道を入れ替えたマンガがある。こういう発想は私にはできないなぁと思い、買ってしまった。内容は、ようするにマンガでしたが、まぁ、悪い物ではない。ただし、高いかなぁと思ったが。

2005年11月18日

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因

西林克彦
光文社新書: 700円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 目から鱗がおちました。あぁ、そうだったのかと口に出し、私は電車のなかで固まりました。小学校2年生の国語の教科書に掲載されている文章が紹介されています。2ページ程度の短い、しかも漢字もほとんど使われていないもの。それを読んで「なんか、ちょっと気持ちが良い話し」という感想を持ちました。内容で分からなかったところなど、なにもない。かといって、「わかったぁ」という気もしなかったのですが。そして、その文章をつかって「読み」の確認をするわけです。「あーそうか、そういう構成だったのか、だからこんな言葉がここにあったのか。」 びっくりのオンパレード。と同時に、深い悲しみと絶望。私は、こんな文章すら「読めていなかった」ことがはっきりしました。小学校低学年の教科書すら完全には「読めない」のに、読書メモなんどつけて。「あーあ、ばかみたい」。

 私たちは普通、きちんと読んでいなくても、読んだ気になれます。飛ばし読み、斜め読みが可能だと思っています。なぜなら、知識がいっぱいあるので、「たぶん、こんな事をいっているんだろう」と察しがつくからです。あるいは、はじめから記憶することをあきらめ、「まぁ、いろいろあるんだろう」と納得していたからです。文字とその構成から読み取ることができる限界からはるか遠いところで「思考停止」が起きていた。それなのに、自分では「大ざっぱに内容をつかんだ」と勘違いしていた。そんな自分の馬鹿さ加減に、やっと気づくとができました。

 では、どうするか? 簡単なのです。「あぁ、わかったぁ」と心底思えない文章ならば、おそらく「私が分かっていない」と気づけばよい。「意味不明」「矛盾」「内容再検討」など、自分の知識(いわゆる既成概念)を使わず、文章から読めるだけ読めばいい。たいして読めなくても、それはそれ、現時点での限界。基本は、「おそらく自分は読めてない」と認めることから始めることです。

 新書でも、原点にまで引っ張りも度されるような本があるのですね! 私、小学校のとき著者に教わっていたら、もっと文章を読める人、かける人になっていたのになぁ、と残念に思います。でも、まぁ、それも人生の縁ですから仕方ない。

2005年11月16日

ザ・プロフェッショナル

大前研一
ダイヤモンド社: 1500円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 プロフェッショナルとはなにか。単にある分野のスキルがある、知識を持っているだけでは「スペシャリスト」である。では、スペシャリストとプロフェッショナルとは、なにが違うのか? この問題を平易な語り口で教えてくれます。奴隷家業のサラリーマンではなく、もっとプロフェッショナルが出現しないと日本は危うい。もっと、プロが現れてくれ。そういう気持ちで書かれた本だということです。

 この本の定義でいえば、「プロフェッショナル=スキル+規律順守精神」です。ある価値を信望することを告白する。これをプロフェスと呼び、それがプロの語源です。だから、単にスキルがある人や自己の幸せを追及する人はプロではない。

また、新たな権限が与えられることで、バケる人がいるのも事実です。それでも、あえて言わせていただきたい。あなたが成長するかどうかなど、実のところ、顧客にすれば、どうでもよいことなのです。あなたにすれば、失敗は成長の糧でしょうが、顧客にすれば、たまったものではありません。

 プロとして必要な「力」とはなにか。代表的なものは、「先見力」「構想力」「議論力」「矛盾対応力」です。ただ、これは、プロならば結果的に身に付いている能力であって、プロとしての十分条件ではない。本書の論理展開で引き合いにだされる事例は「私はこうして発想する」に近いタイプのものですが、この本での語り口はくだけたものではなく、年齢層の高い人も受容されるものになっています。

 ただ、個人的な感想を言わせてもらえれば、大前さんが日本語で書かく本は、どうも「歯ごたえがない」感があります。「The Next Global Stage」のような本を書くつもりはないのでしょう。

2005年11月14日

わたしはこうして発想する

大前研一
文芸春秋: 1429円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 大前式の発想法を「やさしく」語ってくれます。社会人対象の本ですが、言葉選びに配慮があり、これ以上ないくらい論旨を明確に絞って、しかも単純な論理で構成された本になっています。これなら、中学生の教科書として売り出せます。

 発想の手法としては、1:先入観を疑う、2:ネットワークの視点で対象を見る、3:オンリーワンを指向する、4:歴史の教訓をリアルに感じる、5:敵はどう考えているのかを想像する、6:他人に対して言葉を使って討論せよ、という具合です。(以上は、私の理解を列挙しているので、目次とは違っています)。

 この考え方のベースは、ギリシャ以来の哲学、ヨーロッパ生まれの科学をベースに、人の歴史を客観化する能力や言葉の効果的な使いかたなどを混ぜて方針としています。一見すると、当たり前だし、おれもやっていると言えるくらい簡単なことのようです。真実は、以外に簡単で易しいことなのかもしれない。ただし、これらのことを「同時に」「高速に」実施できるところがこの著者が常人と違うところです。

 発想することは、自転車を乗ることと同じで、自分で実施しながら身に付けるよりないです。この本を読んでも、なるほど、と思うところはたくさんあるし、具体例もたくさんあります。読んでいると楽しいし、勉強になるのですが、それで終わっては「ダメ」なんでしょう。

 この本で紹介された指針は、頑張れば覚えられる程度です。まずこれらを覚え、自分で何かを考える際に、「あ、この指針でやってみよう」と意図的に練習を積む必要があるのだと思います。私は、まず、(1)先入観を疑う、ことから練習するつもりです。マスコミの情報を耳にしたとき疑ってかかることにしていますが、これを無意識に「疑う」レベルまでには達していません。体にしみ込んでいない。要するに、できていない。継続は力なりです。私は1テーマずつ2ヶ月くらい意識的に実施するように訓練している最中です。

2005年11月13日

ローマ人の物語〈11〉終わりの始まり

塩野七生
新潮社: 2800円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 マルクス・アウレリウス、コモドゥス、混乱、セプティミウス・セヴェルスについての巻。下り坂はどのように始まり、どのように進行していくのか。

 マルクス・アウレリウスまでが賢帝で、その息子であるコモドゥスから下り坂になるとギボンが書いて以来そういうことになっています。しかし、塩野さんは「そうではない」という。人の世の中がそんなに簡単なわけはない。悪者を見つけると、そいつにすべての責任を押し付けるのは単純だし、そして多くの人が納得するのかもしれない。けれど、それではおとぎ話になってしまう。

 夏が終わったら秋になるのではない。夏の夜は、すでに秋になっています。五賢帝の時代の真っ最中に、あらゆることの種は蒔かれていた。映画では描くことはできない塩野さんの考え方を是非読んでみてほしいです。

 個人的な感想:マルクス・アウレリウスの自省録をパラパラと眺め、印象深い言葉を拾ってみる。すると、こんな哲人が皇帝だったのかと感心してしまいます。ただ、この人、生まれる時代を間違ったんですね。

2005年11月 9日

ガリア戦記

ユリウス・カエサル
講談社学術文庫: 1250円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 論文を書こうと思うなら、いや、文章を書こうと思うなら、カエサルのガリア戦記を参考にしなさい。そう、大学時代の恩師に言われたことがある。その当時、一度買って読んでみたのだが、地名の多さに辟易して数ページで挫折した。なぜ、こんなものがいいのだろう。10年前はそう思っていた。ところが、今はローマ史の探求をライフワークの一つにしようと目論んでいるくらいに心変わりしている自分がいる。となれば、カエサルの文章だって読むのだ。国や民族名についても、慣れのようなものがでてきたので「ベルガエ人」などと聞いてもビビらない。あっさり、読み通すことができた。

 カエサルの文章は「骨太」。簡潔、無駄がないという評価が高いが、それ以上に「すごみ」を感じる。なぜだろうか。書いている人の自信は、文章であっても伝達するようだ。たとえその意図はなかったにせよ。

二千年前の話しだが、ローマに肩入れしたくなる。「ったく、ガリアの野郎は日和見で、臆病だなぁ」と素直に本に入り込んでしまうのだ。ここは、2005年の東急田園都市線の中だというのに。
 古代ローマ史に慣れていない状態で、この本を読むことはすすめないです。おそらく、名前が多くてついていけない。キケロたちは「素晴らしい」と絶賛しているけど、あの時代の、しかも当時の人ならば今で言う新聞を読んでいる様な感じなのだろう。しかし、われわれは、彼らとなんの知識も文化も共有していない。だからおとなしく、塩野七生のローマ人の物語を先に読むことをお勧めします。

2005年11月 6日

ユルスナールの靴

須賀敦子
河出書房新社: 1553円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 「ハドリアヌスの回想」の著者、マルグリット・ユルスナールについてのエッセイである。須賀敦子という人について、私は詳しく知らないし、他に読んだ本もない。しかし、「ハドリアヌスの回想」という本はよく目にするので読んでみた。塩野さんと同じか少し前の世代の人であろうか。イタリア住まいの長い人という点でも興味をもってしまう。

 内容は著者のこれまでの生活(とくに、ヨーロッパへ留学したときのこと)の回想と、ユルスナールの生い立ちをパラレルに紹介したもの。ユルスナールの生い立ちや作家として変貌していく出来事を、著者の過去、そして、現在の出来事と並列して書き進めているエッセイ。

 同時進行だが、読んでいて混乱することはない。場面の切り替えを意識しないでも、自然に誰についての話しなのかわかってしまう。日本語が上手であるとは、こういうものなのか。これは、マネできない。そういう「文章術」について、ちょっと目を覚まされた。文学ってのは、こういうものなのかもしれない。

 ハドリアヌスについて、ユルスナールも須賀さんもどんな理解をしていたのだろうか?ハドリアヌスは「メンテナンス」というコンセプトをもって、帝国の辺境を見て回り、必要なことがあればその場で手を打っていった。「旅好き」が理由で、何年も視察していたのではない。それが、「ハドリアヌスの回想」ではどう理解されるのだろうか? 興味があるところではある。

イスラムの読み方

山本七平・加瀬英明
祥伝社: 1000円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 イスラムとの向き合い方についての対談。新装版になったものらしい。この本で、イスラムについて山本七平の理解を知ることができるかもしれない。ユダヤ教を座標原点として、イスラエルの地勢からはイスラムはとどうみえるのか。その問題設定ならば、私は山本さんの話しをもっとも信頼する。

 イスラムの本音をどうとらえるのか。中東ならば全部イスラムというわけではない。イランはイスラムというよりも「ペルシャ」「パンテア」です。原理に忠実なタイプではなく、本音と建前とが明確にある人々でしょう。

 例えば、共同体というイスラム概念が最優先するのならば、スーパー金持ち軍団のサウジやヨルダンがイスラムの貧しい国、人々を援助すればいいのであって、なにも日本がでしゃばる必要はない。そりゃそうだ。しかし、「オリエントの王」が、そんなことするわけない。いくらイスラムだといっても、ローマ史から現代までの中東の流れをみれば、一目瞭然。オリエントですよね、中東は。「その辺を勘違いすると、全く理解できなくなる。」というような主旨が書かれている。

 あの国はこれ、この国はこれ、という単純な枠組みで中東を把握できない。単純な図式しか理解できないならば、中東は理解できない。やはり彼らの歴史を知らないと。

 なぜ?を追及すると、「そもそも」を理解せざるを得ない。国の成り立ちや地勢、宗教の特性や、それらの変遷(歴史ですね)を知らないと把握できない。そんな当たり前なことを、この対談を読んでいるうちに再確認させられました。いくらニュースを見ていても、新聞の解説を読んでも、おそらく勘違しつづけただろう。読まない人よりも、むしろ危ない。数行で社会を理解できるはずだと考えること事態が愚かだということまで、この本を読んでいると気づきます。

2005年11月 5日

ローマ人の物語〈10〉すべての道はローマに通ず

塩野七生
新潮社: 3000円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 ローマのインフラストラクチャーについて。ローマ人シリーズの特徴として、人間の社会的、経済的な成り立ちについて、古代ローマ時代に生活する人の目線から語られていることがあげられる。いろいろ読んでいると、普通の人の視点からの記述は、実はかなり珍しい。未来(つまり、現代)から過去(古代ローマ)を振り返る視点、雲の上の視点からの解説する個所は当然あるのだが、それだけではないところに、大学教授たちが著す本と決定的に違いがある。この巻では、古代ローマ時代の生活のインフラストラクチャーについて、ローマ街道、水道といったハード面、病院、教育といったソフト面からローマのなしえた事を考える。

 本当にローマ人は存在したのか、と思うことがある。現代よりもずっと賢い面があるから。現在は「石油」を使えるので「利用できるエネルギー総量」がローマと圧倒的に違う。しかし、根本的なところでは、ローマ人たちの方が賢く工夫しているような気がする。もちろん、技術者はローマも現代も工夫をするのだが、政治を行うの人ならば、圧倒的に現代の人間が劣っている。だから、ローマが過去に思えないのだ。

 街道や水道というインフラは経済力があるからやるのではなくインフラを重要と思うからやるのだ、と塩野さんは言う。たしかにそうだ。しかし、前例がないと「何故必要なのか」は決して分からないはずだ。 では、そもそも街道と水道というインフラをそもそも「大切だから国がやるのだ」と主張し、実行した人間はだれなのだろうか? 

”アッピア街道に名を遺したアッピウス・クラウディウスは、ローマ式の街道の創始者であっただけではなく、ローマ人の成したインフラストラクチャーのもう一方の雄である、ローマ式の水道の創始者でもあった。これもまた、アッピア街道と同じく紀元前三一二年に着工されている。首都ローマから発する一二本の街道の一本目を通したアッピウスは、首都ローマに流れ込む十一本の水道の一本目を建造した人でもあるのだった。つまり、同胞たちに、道はただ単にふみ固めればできるというものではなく、水の単に汲み出せばよいというものではないことを教えたのである。”

 ここの技術を発明をした人ではないだろう。技術者は別にいたはずだ。しかも、スケールが小さいならが「例」は別にあったはずだ。そこから直感で「これはいける。人間らしいローマの生活には必要だ。」と理解して、政治が行える人がいた、というのが不思議なのだ。逆に言えば、そういう人が時代ごとに表れ、絶えず政治をつないでいったからローマがあったのだろうけど。

 人間は生まれてくるとには「ゼロ・リセット」されてくるのだとしみじみ実感。普通に、ニュースをみていても。なぜ、あの時期にかてないのだろう。

2005年11月 3日

ローマ人の物語〈9〉賢帝の世紀

塩野七生
新潮社: 3000円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 いわゆる五賢帝のうち、トライアヌス(トラヤヌス)、ハドリアヌス(ハドリヤスヌ)、アントニウス・ピウスについて。内容は重厚、読後感はクラクラです。

 なぜ、賢帝が賢帝たりえたのか。どういう状態において、賢帝たりえたのかを著者の視点から考えていきます。この本を理解できるスレスレのレベルまで私の思考力は成長したという、という感触を持ちました。賢帝たちは見えない部分や未来を予想して、手を打っていたのですね。私がこの時代に生きていたとしても、現在の精神力、知識力、体力では「やくにたたなかっただろうな。本当に、なんにもできんかっただろう」と思います。自分の馬鹿さ加減にはあきれることがありますが、それでも今の日本程度ならば生きていけることが不思議です。

 決して現在の方が過去よりも「進んでいる」わけではない。馬鹿ば自分が馬鹿だということに「気づかない」だけです。もっとも、すべてのローマ人が賢かったわけではありませんが。

”しつこく思われようとも、私は何度でもくり返す。人間にとっての最重要事は安全と食の保証だが、「食」の保証は「安全」が保証されてこそ実現するものであるということを。ゆえに、「平和(パクス)」が最上の価値であることを。”

 これを理解していれば、そして、その時代の状況(相手と自分と目標状態)を理解していれば、なすべきことは決ってきます。それを掴んで、実際に実施できた人が「賢帝」なのでしょう。結果は成功。だから、人類史に残っています。このパターンを学べば、普段の自分の生活に応用できるのではないか?

 これまで、私は「相手によって態度を変えない」という旨を自分に言い聞かせてきました。大前研一さんのポリシーを学んでみようと思ったのがきっかけでしたし、それは即座に実行できることでしたから。今でもそれを通しています。しかし、最近、どうも「おかしな」連中に対してこの一貫性を保つ必要はない、ような気がしてなりません。なんで、こんな馬鹿やろう(頭の問題ではなく、人間としての態度、素行が私は好きではないし、できれば離れたいと思っている人々の総称)にまで、一貫する必要があるのだろうかと思うようになったのです。なので、このやり方は変えることにしました。つぎは、ハドリアヌスの考え方も学んでみようと思ったからです。

”ハドリアヌスは、ローマ皇帝という最高権力者であったら、人々は彼に、誰に対してもいちように親切であることを求めたのであろう。だが、彼にはそれができなかったのだ。その結果、厳格であるべきときは厳格に、愛想良く振る舞ってよければ愛想良く、親切に値する人に対しては親切に、それに値しない人に対しては気難しさを隠さない。また、快楽に溺れても良いときはそれを味わいつくすが、抑制が必要なときとなれば禁欲者に一変する。ケチである必要があるときは、他人の思惑などかまわずにケチに徹し、報償を与えるのが当然と思えば、周囲が目をむく報償でも惜しみなく与える。誠実に対応する必要なしと判断した者には、不誠実どころか嘘でさえも言い、誠実に値する人に対しては、このうえもな誠実な態度で接する。容赦する必要もないと考える人には、情け容赦なくおいつめることをやめず、反対に、その人の功績を認める場合は、これが同じハドリアヌスかと驚くほどの穏やかさで寛大で丁重な態度で接する。「一貫していないということでは一貫していた」のではなくて、自らに忠実に振る舞うことでは、ハドリアヌスは「一貫していた」のではないだろうか。”

 今年の文庫本化のペースはかなり早く、もう追いつかれそうです。14巻の刊行日はいつなのか分かりませんが、それまでに、あと3冊年内には読み進めたいです。

生協の白石さん

白石正則
講談社: 952円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 生協のひとことカードのやり取りが本になっています。pyaというサイトで読んだことがある人もいるでしょう。こんな「粋」な回答があるのですか。質問は「サーブ」なのですね。それに腹を立てるか、冗談を返すか、回答者の人間性が全部でちゃうのでかなり難しいことです。そもそも、相手を「見下した人」では不可能だし、かといって、相手を「尊敬」していてもだめでしょう。同じ目線にたち、すこしずらす。次の問いに、どうのような回答をしますか?

”Q:青春の一ページって 地球の歴史からすると どれくらいなんですか? A:皆さんは今まさに1ページずつめくっている最中なのですね。羨ましい限りです。地球の歴史というよりも、私の歴史からすると、目次でいえばかなり前の方です。いつでも呼び出せる様、しおりでも挟んでおきたいものです。”

 実に上手なレシーブです。こう回答するには、相手を見下さないけど、相手にはしない、という態度をとるのかなと私は想像します。まぁ、私には無理な気がします。

 一件地味なタスクでも、楽しんでやれば創造的な結果がでることもある。そういう実例なのですね。人生、もっと楽しく生きられそう。