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2006年1月29日

「責任」はだれにあるのか

小浜逸郎
PHP新書: 720円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 事件が起きる。会社の偉い人が頭を下げる。記者が「そんなんで責任がとれるのか」と罵倒する。ばかばかしい茶番劇がいまだに繰り返される。誰もが不愉快な気分になる「演劇」である。
 そのような場で問われる「責任」とは一体なにを意味するのであろうか? それを考察してみた本がこれである。


 「責任」とう概念は、法や道徳や契約関係における義務のような明確な輪郭をもたないので、現実の生活のなかで、予想できなかったことが起きたときに、そこに発生する感情にもとづいてこそ立ち上がるからです。そのとき、その責任のとり方、引き受け方が妥当であるかどうかは、私たちが住む共同体の「よき慣習」に支えられて定まる以外にないのです。

 ひざを打つ。なるほど。だから「責任をとる・どらない」でもめるのか。発生前に決っているルールに従うのであれば、もめる理由がないのだ。辞職することで責任をとる、取らないでもよくもめる。「今ここでやめることは、むしろ無責任だ。」という偉い人の発言に対して、もめる理由はここになる。要するに、なにをやってももめるのだ。いかなる方法をとっても「無責任」になるのだ。長い間疑問に思っていたことが、この本を読んで解けた。

 責任をとるという場面は、責任者のとった行動に原因があるとする立場です。そうすることもできたが、そうしないこともできたはず。ならば、こうなってしまった原因はあなたの選択の結果にある。だから、あなたが悪いのである。そういう論理をもって「責任をとれ」という追及がなされるわけです。
 しかし、これは嘘です。人間ならば必ずしも意識的に動いているわけではない。そして、過去において「本当に選択する自由があったのかは絶対にわからない」という問題もある。

 運転をしているときに、なんとくなく脇見をしたら、そのとたんに事故を起こしてしまった、というようなときの過失責任は、その典型だと思います。いくら脇見をしたって事故なんか起こさないような場合が圧倒的に多いですからね。ここに、責任という概念の本質的に理不尽なありかた、不条理がすでに顔をのぞかせています。

 まったそうです。起こってしまったことにたいして、腹を立てているだけで、被害者・損害者は何をやっても「怒っている」状況に代りはありません。つまり、どんな方法で責任をとると申し出ても「そんな方法ではダメだ」ということになるのです。人間社会の不条理に双方参ってしまうわけです。法律で済む話しならば、たんたんと処理すればいい。そこには「義務」はあっても「責任」は存在しようがないというわけです。

 責任をめぐる正しい洞察からすれば、「意図→行為→損害の事態→責任の発生」という時間的な順書があるのではなくて、「起きてしまった事態→収まらない感情→責任を問う意識→意図から行為へというフィクションの作成」という論理的な(事実の時間的なながれに逆行する)順序になっているのですね。このことを私たちはよくよく自覚しつつ、責任論議をする必要があります。

報道でよく見かけるシーンがあります。新聞記者が声を荒げて怒鳴りつける。これ、新聞記者がアホ以外の何者でもないことがよくわかります。責任とは感情の表現に過ぎないのです。だから、法的な、契約的な事項以外の追及は「当事者間の問題」です。記者は責任の追及など全くできようはずがないのです。今後、こういうシーンを見かけたらその報道関係者の発言はすべて無視していいはすだとわかります。

 この本の著者と「国」に対する考え方は私とちがっています。だから、100%意見が一致するわけではない。しかし、「責任」という言葉をまともに考えて考察された非常に珍しい本です。誰に対しても推薦します。

多神教と一神教

木村凌二
岩波新書: 740円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 宗教はどのように変遷してきたのか。古代シュメールからキリスト教までの間の代表的な宗教の移り変わりを簡潔に紹介する。その視点は、「いつから人は神を身近に感じなくなったのか」ということ。地中海史をちょっぴり知っている、という程度の背景知識は必要でしょう。
 著者はジュリアン・ジェインズと同様の疑問を最後に考えたいようです。つまり、言葉を使う文字を使うことによって、人間の能力のある部分は消失してしまったのではないか。文字を使う前の右脳の能力が「神が語りかけてくる」ことを可能にしたのではないか。そういう疑問です。ジェインズの本は500ページ強なので、読み通すのには大変です。ただし、ローマ史を専門にしている人も疑問に思うようですね。
 イシュタル、イシス、ギリシャ、ミトラス、ユダヤ、キリスト、イスラムといった流れの下には、社会的な要因もさることながら、人間の能力、あるいは、心のありようも大きく影響しているだろう。古代人の感じていたものを現代人のわれわれがわかりようがないかもしれないけど、想像くらいはできないのか。そんなことに興味がある人には楽しく読める本だと思います。


2006年1月28日

ラミーのすべて

「ラミーのすべて」製作プロジェクト
LOCOMOTION Pub: 1500円
お勧め指数: □□□■■ (3)

万年筆を買おうと思い伊東屋へ行った。ペンがずらっとならんだショーケースを見ていた。如何にも万年筆という形態で、しかも高いペンばかり並んでいる中、簡素なデザインのペンに気がついた。それが、ラミーの製品だった。文具に興味がない人でも、ラミーのペンは他のペンから見分けがつくと思います。デコレーションがあまりない簡素なつくり。メタルと黒、ヘアライン仕上げ。触ってみると「精度追及の結果からでたドイツ製品」という感じが伝わってきます。そんなラミー製品についてのカタログとラミー本社の訪問記、社長へのインタビュー記事でまとめられた小雑誌です。

 何らかの雑誌の記事を一冊にまとめた感じはしません。本の構成はシンプルなので、考えないで読めます。ちょっとしたカタログを兼ねているので、ペンを買う前に見ておくといいでしょうか。私は各ペンのリフィルの型番まで覚えてしまった。午後の紅茶を飲むときのお友にいいと思います。

2006年1月27日

やっぱり欲しい文房具

土橋正
技術評論社: 1580円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 文房具を紹介する本。この手の本は、万年筆とノートについて語るものが多いが、この本は一般的な文具をあっさりと示す程度なので、趣味人でなくても愉しめるでしょう。ロディアやモレスキンといったちょっと大きめの文具店ならば扱っているノート、トンボやラミーのペンについての簡単な紹介なので、いいなぁと思ったら購入しに出かけよう。バカ高のものはないので、2回くらい夕飯を地味にすれば手に入れられるものばかりです。

 わたしも文具が好きです。この本を読んでから、伊東屋・丸善を回ってみました。高いものではないですが、ペンを買って幸せな気分になってしまいました。ちょっとした、休日の過ごし方です。


2006年1月26日

ローマ・ミステリーガイド

市口桂子
白水社: 2200円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 2回目の旅行者のためのガイド。紹介されている場所はメジャーではない。1週間くらいローマに滞在して、歩き回る人にはお勧めでしょう。著者がその足で確認して、面白いと思ったところについてのちょっとした歴史、行き方、その場所の雰囲気などを交えて紹介してくれます。
  カプチーニ修道会地下聖堂や犯罪博物館といったマイナーなところ。一方、有名なサンピエトロではイスの台座の彫り物とその由来。ようするに「見落としがち」なところやものです。こういうのって、帰ってきたあとで「えー、気付かなかった」と地団駄を踏むですよね。
 塩野七生さんのエッセイは全部読んでしまった、という人にはお勧めの本です。


2006年1月25日

天使の出現

野口悠紀雄
日本経済新聞社: 1575円
お勧め指数: □□□■■ (3)

日経に連載されていたエッセイを下敷きにしたものです。内容はばらばら。「時間」をキーにしているということですが、科学あり、経済あり、歴史あり、文学あり、音楽あり、思いであり。新聞で読む程度の深さの小品がそろっています。

 この本では、それぞれのエッセイの後で、「あとで考えたこと」というエッセイが書き足されています。新聞紙面では文字数が制約されているので書けなかったことや、後日談です。そこで、あることに気づきました。

 なにかを説明するとき「たとえば、〜という本に詳しく紹介されている」というような本の紹介です。自分の視点だけではく、本の内容を下敷きにすることで内容に「普遍性」を持たせている。研究論文では「あったりまえ」のことです。ただ、エッセイではやり過ぎるとうるさくなる危険がありますが、巻末に参考文献としてあげるよりも「どこを読んでどう考えたのか」がわかるので、このような紹介はうれしいものです。

 それのどこが気になったのか。紹介されている本の数です。明らかに著者が読んでいるというものだけでも、挙げてみましょう。

ケネス・クラーク 『レオナルド・ダ・ヴィンチ』 法政大学出版局
シャーウィン・ヌーランド 「レオナルド・ダ・ヴィンチ」 ペンギン評伝双書 岩波書店
シェークスピア 「テンペスト」
シェークスピア 「マクベス」
トールキン 「指輪物語」
レオポルド・インフェルト 「ガロアの生涯」 日本評論社
木村俊一 「天才数学者はこう解いた、こう生きた」 講談社選書メチエ
高木貞治 「近世数学者史談」 岩波文庫
ケインズ 「雇用・利子・貨幣の一般理論」
リチャード・ディーコン 「ケンブリッジのエリートたち」 晶文社
クウェンティン・ベル 「ブルームズベリー・グループ」 みすず書房
ダン・ブラウン 「ダ・ビンチコード」 角川書店
ヴァザーリ 「ルネサンス画人伝」 白水社
清少納言 「枕草子」
ロバート・キャリンジャー 「「市民ケーン」、すべて事実」 筑摩書房
バーバラ・リーミング 「オーソンウェルズ偽自伝」 文芸春秋
ツヴァイク 「人類の星の時間」 みすず書房
ツヴァイク 「マゼラン」 みすず書房
シェークスピア 「ロミオとジュリエット」
イワン・エフレーモフ 「星の船」 早川書房世界SF全集22巻
アーサーCクラーク 「宇宙のランデブー」 早川書房
ロバード・フォワード 「竜の卵」
ダニエル・キース 「アルジャノンに花束を」
アンリ・ゲオ 「モーツァルトとの散歩」 白水社
宮田隆 「モーツァルト ピアノ・コンチェルト」 音楽の友社
井上太郎 「わが友モーツァルト」 講談社現代新書
小林秀雄 「モーツァルト」 新潮文庫
エッケルマン 「ゲーテとの対話」 岩波文庫
ゲーテ 「ファウスト」 
伊丹十三 「ヨーロッパ退屈日記」 文春文庫
ツヴァイク 「メアリ・スチュワート」 みすず書房
サイモン・シン 「暗号解読」 新潮社
マーガレット・エスピーナス 「ロバート・フック」 国文社
D・H・クラーク 「専制君主ニュートン」 岩波書店

 野口さんは文筆業は副業のはずです。経済では有名な人。それでも、その背後にはちょっとエッセイをかくだけでもこれだけの読書の記録があるのです。最近の本もありますから、今でもずっと読んでいるのでしょう。忙しい人は、どこで読むのか。

 一冊のエッセイの背後にこれだけの本があると、さすがにエッセイも光るんですね。

2006年1月24日

「超」旅行法

野口悠紀雄
新潮社: 1400円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 旅行のときにすると良いこと。哲学的なことでも詩的なことでもない。著者の備忘録がそのまま本になっている。例えば、どのような荷物を持つべきか、出かけるときに注意することはなにか、どのようなホテルに泊るべきか、どうやってレストランをさがすのか。「旅行のしおり」のような本にある、誰にも当てはまるようにしたために記述が抽象的になってしまった、という本の対局です。具体的。というより、著者はこうしている、という紹介です。

ミシュランの使い方。電車の乗り方。ホテル予約のFAXの例。現地での行動パターンなど、普通の人の目線でおしえてくれてます。読んだときに意味なく旅行に行きたくなりますね。 旅行好きの人の嫌みな本ならお断りなのですが、「超」シリーズの他のホント同じように、簡潔で信頼できそうな内容です。お勧め。

2006年1月22日

帰ってきたソクラテス

池田晶子
新潮文庫: 438円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 ソクラテスの対話による哲学。哲学を学ぶには自分で考えるよりない。考える行為が言葉を連結するだけにならないように、現実をもとに「よい」と思われる方向へ自分の思考を向ける手伝いをしてくれる本。哲学とはいたってシンプルな行為で、地中海ギリシャで発達したものらしく「明るい」もののはずだが、何故かアカデミックな哲学と呼ばれる学問は暗い。そもそも、知識が重要しされる。へんなの。

 ソクラテスに現代日本社会の問題を語ってもらう、解きほぐしてもらう、慣れない人もついていけるように考える道筋を照らしてくれる本がこれ。ソクラテスと問題当事者との対話。きちんと論理的に考えることができるのならば、今社会で問題だと言われていることは、実は殆ど解決するのかもしれないと思わせてくれる。これが、ある意味「哲人政治」の世界なのかもしれない。現実には決して達成できない形而上のものだとわかってはいるのだが。

超バカの壁

養老孟司
新潮新書: 680円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 バカの壁の新作。というより、一人語りによるエッセイ。養老さんの本を読んでいる人ならば、違和感を持たない内容。おそらく、どこかで断片的に語っているのを聞いたことがあるであろう。バカの壁のときもそう思った。両者は内容として同じ推薦評価があるのだが、こちらの本は売れるのだろうか。

 本文中に、普段から私が思っていることがそのまま書いてったので、引用したい。

 研究は金で買えるか

 これについては大学の研究費のことにからめて何度か書いたことがあります。嫌みな言い方ですが、潤沢な研究費があってした仕事は、研究費がした仕事であって、おまえがした仕事ではないだろうということです。
 ほぼ同程度の能力なら、金を与えたやつのほうがいい仕事をするに決っている。そうなると金で研究はある程度買えることになる。すると買えない研究とは何かという問題に突き当たる。
 べつの言い方をすれば、本当の価値とは何かという問いにぶつかるはずです。お前しか生み出すことができないものは何だということです。
 こういう疑問は、人生はなんのために生きるのかということと直結しています。

 こういう話しをしてくれる人はあまりいないです。皆さん、なにか焦っている。将来ばかり考えて、自分が有利になるような手ばかり探している。そこまで生きていられるのか、そうなったからといって何がよいのか。結局死ぬんだろう。もっと、現在の自分の行動について自分で「これだ」といえるレベルまで考えて、手を動かしてみよう。養老さんの本は、そういうメッセージがあふれています。

2006年1月16日

さよならソクラテス

池田晶子
新潮文庫: 476円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 決してうまい役者とは言えない口調で喋るクサンチッペ。この人がいないソクラテスの対話ってのはさぞかし寂しかろう。そう思えるほど癖になる対話集である。抽象的な内容ではない。「失楽園」にあきれるといった話題から、癌についてなど考えさせるものまで扱っている。

患者:要するに、諦めろと。
ソクラテス:いや、僕はそんなことは言っていない。「闘う」とか「諦める」とかいうそのこと自体に、意味がないと言ったのだ。だって、いいかね、がんってのは、治るものは治るし、治らないものは治らないのだろう。
患者:ええ。
ソクラテス:治るものが治るとわかるのは治ったときだし、治らないものが治らないとわかるのは、治らなかったときだ。
患者:ええ。
ソクラテス:つまり、治るか治らないかは、そのときにならなければ、誰にもわからないわけだ。
患者:ええ。

こんな感じで対話が進みます。このような対話のなかで、あるときハッとするものに出会えます。お薦めです。


2006年1月15日

ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け

池田晶子
新潮文庫: 438円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 かなり面白い哲学書?です。ソクラテスと妻クサンチッペとが、なにやら言い合う対話なのですが、読んでいると吸い込まれます。会話が自然だとか、ミステリーという意味ではありません。クサンチッペの話し方はどちらかというと「ふざけて書いている」感じがするくらいですが、ソクラテスとからむことで普通の生活をしている私の思っていることを代弁してくれるかのような気がしてきます。むしろ、好きになってしまうのです。
 対話の内容は、どちらかというと時事的なものなので少し古い気がしますが、しかし、「シンドラーのリストのいけすかなさ」や「ハンチントンのまとはずれ」などは、私には「確かにそうだな」と思わせるものがあります。対話だからこそ、説教くさくなくソクラテスの話が聞けるのでしょう。
 この著者の本、もっと読んでみようという気になります。

2006年1月10日

おとなの小論文教室

山田ズーニー
河出書房新社: 1300円
お勧め指数: ■■■■■ (0)

 うーん、面白くなかった。というより、久々に損した。山田ズーニーさんの本、私好きなんでが、これはくらだんかった。いや、このような本を読みた人がたくさんいることは分かるけど、それは20歳まででしょう。3chで高校生がうだうだ言っているような番組やら、恋の悩み相談やらが好きな人はきっと「興味深く」読めるのだとは思います。が、書名と著者を信頼して買うと「なんじゃこりゃ」という事になる人も多いでしょう。

潰れないのはさおだけ屋だけじゃなかった

リテール経済研究会・三銃士編・著
宝島社新書: 700円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 ベストセラーを補完する本です。フォントは大きいし、小説仕立ての構成は「へたくそ」ですが、内容は面白いです。とっても、「宝島社」的です。悪い意味ではなく、視点が面白いという意味です。ただ、どうなんでしょう。会計とは関係ないです。「なんでこんな店がここにあるのだろう? お客は?」という素朴な疑問に答える本です。だから、読んでいて「はー、そーなんだぁー。なるほどなぁ。」という感想を声に出してしまいます。よく、大自然の中でいきる「おもしろい」植物や昆虫のような話しがありますね。あの「商売版」と想っていただければまちがいないです。商売って、生命とおなじように「進化」している生命体系のようです。文化遺伝子ミームのような気配すらします。いや、金を稼ぐ仕組みとしては、ウイルスようなものに近い工夫まであるのかと驚いてしまいます。私は「さおだけ屋は」の本よりも、こっちの方が好きですね。


2006年1月 9日

さおだけ屋はなぜ潰れないのか?

山田真哉
光文社新書: 700円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 タイトルから興味をそそる本です。そういえば、なぜなんでしょうか? 近所にもたまにやって来ます。その理由がわかるのか? ミステリーのようですね。ならば、ここでその回答を書くわけには行かない。会計の精神ようなものが寓話でかかわれている。プロの会計士ならば書けないだろう本です。すくなくとも、会計に「疑い」をもっていて、それを理解する格闘の結果をこの本のタイトルような形で紹介しているのですから。ただし、これを読んでも会計を知るにはほど遠いですけど。


2006年1月 8日

説明上手になれる「らくがき」の技術

ミリー・ソマネン
PHP: 1200円
お勧め指数: □■■■■ (1)

 落書きをすることで、意外によいことがある。ビジネスで話しを進める上でも、馬鹿にできないメリットがある。さぁ、あなたもやってみよう。そういう感じの本です。アメリカのビジネス本です。落書きというより、視覚的に「考察」するための手引きに近いと想います。べつにうまく書く必要はないです。絶対に、視覚的に考察することにメリットはあります。ただし、「絵心がない」という言い訳をたてて、殆どの人はそうしません。そんなの損ですから、もっとやってみよう。そういうセミナーのような本です。
 私自身、内容にはピンときませんでしたが。絵を描くということの面白さを想い出すきっかけにはなりました。通勤電車のなかで手帳を広げ、いたずら書きする。考えていること、心配なこと、風景、向かい側に座っている人の顔やしぐさをらくがきする。すると、〔良く見える」ようになっていることを体感できます。その意味から、無駄を承知で読まれてもいいかもしれない。


2006年1月 6日

キリストの勝利

塩野七生
新潮社: 2600円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 冒頭の「読者へ」が著者の内心を良く物語っている。というより、この本を書いているときの気持ちそのもの。一人廃虚にただ済み、この別邸に住んでいた人に思いをはせている。


もしも彼が生きた時代が前一世紀であったら、ユリウス・カエサルに従ってルビコンを渡っていたかもしれない。それが後一世紀ならば、初代皇帝アウグストゥスの秘書官の一人にでもなって、諸制度の抜本的な改革とその定着に、田園のヴィラ生活など愉しむ暇もないほどに忙しい日々を送っていたであろうか。もしも彼が生きた時代が二世紀であったならば、ハドリアヌス帝に随行して帝国の辺境をくまなく観察してまわり、広大なローマ帝国の安全保障と統治システムの再検討に、壮年の男のエネルギーを使い果たしていたかもしれないのだった。だが、実際に生きているのは、ローマはローマでも、四世紀のローマ帝国なのである。

 生まれた瞬間に「有利・不利」「幸・不幸」は決っている。時間、場所、家族という外敵条件、および、身体や性格という内的条件。一生を左右する決定的な因子が他人と違っている。だから、平等などという発想は「おそろしく高級」なもの。山本七平ならば「満腹ならではの発想」というだろう。

 時代の転換期に生きることになってしまった人でも、選択の自由ならばある。
 流れに乗るか
 流れに逆らうか
 流れから身を引くか

 ものを考える事ができる人は、本心からは宗教に染まらないのではないか。哲学の徒となったというユリアヌスを見てそう思った。ただし、「哲学」という学問分野があるのではなく、自分で考えるという技術を獲得したという意味でそう考える。自分で考えれば、考えた結果に自信を持てる。そして、その考えの結果をもとに行動した結果が失敗だったとしても、さらに考えることができ、行動した事実からLessons Learnedを得られる。ユリアヌスの軍事的な結果の推移は、まさにそのように進んでいるように本書からは読み取れた。

 時間が過去から未来に流れているはずなのに、ローマ人の生活は「悪くなる一方」のように見える。進化とは、文明には常に当てはまるものではないと実感できる。不思議なのは、なぜ時間発展の方向と文化水準発展の方向とが常に一致することがないのだろうか。ひょっとしたら、「因果律が成立世界というのはおとぎ話なのである」ということを意味している様な気がする。こんなところで因果律が破綻していることの影響をかいま見ているのではないか。なぜか、そんな感想を持っている。

2006年1月 4日

最後の努力

塩野七生
新潮社: 2600円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 最後の努力。古代ローマ史が確定している現代からみれば「最後」であったが、当事者はどう考えていたのだろうか。

 ディオクレティアヌス、コンスタンティヌスの二人は現代の意味での「帝政」を始めた。相談して決めていたら間に合わない、という判断から意思決定を一人にさせたカエサル、アウグストゥスだが、彼らは「法」を尊重していた。つまり、法の範囲で行動していたし、行動でどうしても必要な法は「暫定」であることを認識していた。ところが、ディオクレティアヌス以後は「俺が言ったことが法なのだ」といういわゆる絶対王制を確立させた。絶対王政になればもはや「政治」は個人の問題になる。ならば個人の問題を処理していく際の「そもそもの目的」はどうなっていくのか。

 皇帝一人がオリエント式の絶対王政を発想しても、100年前ならばそのように実行できなかったであろう。ところがこの時代、ローマ人の質は低下し、蛮族の質は向上した時代なのだ。とくに、帝国国境近傍で働くローマ軍と蛮族の状態がそうであった。それに対応するには、これまで通りはダメで、対処方法を考えなければならない。周りの者がダメなら、自分でやるよりない。そんな発想から生まれたのだろうか。ディオクレティアヌスの引き際(引退)を見ていれば、この人までは「個人」よりも帝国を考えていたことが分かる。まだまだローマ人。

 しかし、コンスタンティヌスにいたって「中世」に入る。この人の行動を見ていると、本当にローマ人なのか不安になる。最晩年で気が弱くなる時期、宗教に頼ることは仕方がない。ただ、壮年期のこの人は、本当にキリスト教徒になろうとしたのだろうか。この本のタイトルは「帝国を維持する最後の装置としてのキリスト教」という意味なのだと思う。人々を制御する仕組みとしてのキリスト教に本人は足を踏み入れたのか。しかし、まぁ、最後の努力をしたのがいいがこれが人類史を不幸に陥れる中世の始まりになってしまったのは、つくづく残念な気がする。

 ミラノ勅令の文面を見れば、あれは宗教の自由化であってキリスト教の公認ではないことがわかる。この時代ならば、まだ5%以下の帝国民しかキリスト教徒ではなかったのだが、あえてキリスト教を増やす画策をコンスタンティンスは行う。税制の優遇やら農奴付き土地などをコンスタンティヌスは教会に寄贈していまう。その後の1700年近くを決めてしまう行動をたった一人が行う。そんなことまでしてローマを生かす必要は、本当にあったのだろうかという問いを考えてしまう。しかし、まぁ、自分が責任を負っている組織ならばその他がどうなろうと未来がどうなろうと「守る」ものなのだろう。

 現在社会に生きていれば、何かしらの組織に属することになる。少なくとも、国籍というものがある。自分が属している組織が、この時代のローマのようになったとき、自分は一体どうするのだろうか。60年戻れば、そんな選択をした人がたくさんいただろう。しかも、その殆どは「流れに乗った」。コンスタンティヌスを否定できる人など、ほとんどいないのかもしれない。

2006年1月 2日

老人力

赤瀬川原平
筑摩書房: 1500円
お勧め指数: ■■■■■ (0)

 1月1日からブックオフは開店する。毎年ついふらふらよってしまう。ちなみに、初詣は行かない。100円コーナーにはたまに掘り出し物があるので、漁ると楽しい。取りあえず、この「老人力」を手にとってみた。この著者は少しかわった視点をもっているので面白いのだし、損はしないだろうと思ったが、それが間違いだった。

 びっくりするほどつまらない。年をとって、物忘れがおき、また、「ま、いいか」的な緩い発想ができるようになることを「老人力がつく」と言うらしい。それはそれで面白いのだが、このエッセイはそれをコアにして、私はこんな物忘れをしてしまったということをゆるゆると書いている。それが、実につまらない。いや、私がエッセイに求めているものとあまりにも違うだけなのだろうが、ちょっとあきれるくらい読んでいてつまらかった。

 正月一発目から不発。まぁ、しかたない。これを通勤電車で読んでいたら悲しいだろうが、ソファーで眺めていただけなのである意味害はない。というより、休日の無為さを強調するようなアイテムとして、あるいみ役に立ったのかもしれない。