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2006年2月26日

木村伊兵衛 昭和を写す 2よみがえる都市

木村伊兵衛
ちくま文庫: □□□□■ (4)

 文庫サイズの写真集。戦後20ー47年くらいの東京を中心に撮影されている。木村伊兵衛といえばスナップ写真。この本の写真も普通の町の出来事をさりげなく撮影している。なにより視点が等身大。もっと言えば、自分の目に写った映像である。まるでそこにいるかのうような気がする。

 撮影場所は下町が多い。浅草、銀座など。とくに、浅草・向島は私の育った場所なので、どこで撮影したのかわかる。ただし、写っている人たちには違和感を覚える。着物・もんぺ・日本髪。普通の人でそんな人は見たことがない。しかし、昭和二〇年代ならばあったのだろう。いつもあそんでいた隅田川の堤防の写真に全く違う時代とおもわれる人が写っている。これは衝撃的である。このとき、インフラストラクチャーという意味を理解した。つまり、人や風俗が変わっても、残っていくものなんだということ。


2006年2月25日

99・9%は仮説

竹内薫
光文社新書: 700円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 そうに決っているじゃん。だって、それが事実なんだから。そう思う瞬間、そう発言する時はよくあります。でも、事実を人が取りこめるようになるのかなと以前から疑問に思っていました。現実を取り込むには境界条件(時間、場所、人間関係など)を決め、その中での状態を決め、それを時間的に推移させていく必要がありますので、膨大な記憶力が必要です。人には無理なんです。だから、大抵、話しを丸めちゃう。事実なんて、人間が把握することはできない。近似でしかない、モデルでしかない、印象でしかないはずなんです。それを小説というかたちで表現されたのが、芥川龍之介の「薮の中」です。

 事実だという事柄を思い込みと峻別する方法が科学です。それをブログのような文章で説明してくれているのがこの本です。正直、ちょっとゆるすぎるような表現です。一般の人向けすぎ、という気がするくらい易しい表現になっています。
 この本では、ホパーの反証可能性をつかって「科学的な表現と宗教」を分離させてようとしていますし、「仮説を倒せるのは仮説だけだ」という深遠な話しも入っています。

 新聞のコラム程度の気軽さで読み進めらますので、まずは手に取ってみてもいいと思います。損はしない本です。

2006年2月24日

1940年体制 さらば戦時経済

野口悠紀雄
東洋経済新報社: 1300円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 日本型の会社というと、終身雇用が思い出される。日々の生活で気になる制度といえば、源泉徴収という仕組み。私は賃貸住宅に住んでいるので、面倒な契約(更新料や礼金、保証人という制度)の不条理さを味わう。こう言ったものは、古くから、といっても対象あたりから?、続いているものだと思っていた。

 この本を読んで、これらの制度は1940年代、つまり、戦争続行のための処置としてはめられたのだと知った。そうだったのか。

”日本型企業や業者行政など、しばしば日本特有と考えられているものは、昔から存在していたのではなく、総力戦遂行という特定の目的のために投入されたものだった。金融もう、自由な市場での直接金融方式から統制的な間接金融に変質した。
 税財政制度もそうである。(中略)。農村の状況も、大きく変わった。江戸時代から継続していた地主と小作人の関係が、食糧管理制度の導入によって本質的に変化を遂げたのである。都市における地主の地位も、「借地・借家法」の強化によって弱体化された。
 制度だけでなく、人々のメンタリティーも変わった。(中略)
 戦後日本社会の特徴といわれる平等主義も、日本社会のもともとの特質とはいえない。日下は、それまでの日本企業では「月給取り」の正社員は少数で、「日給」の行員や職員との間に画然とした差があったこと、「オール月給化」は一九三八年頃からの新しい制度であること、これが従業員のモラル向上二大きく寄与したことを指摘している。
 (中略)現在の日本では、食糧管理制度により、コメの取引は政府管理下におかれている。しかし、江戸時代には、日本のコメ市場は、自由な市場原理の支配する市場であり、世界最大の大規模な先物市場を形成したほどである。”

 衝撃をとおり超え、あきれてしまった。そうだったのか。戦時中ならば、勝たなければならないのだから、そのような方法は意味があるだろう。そして、戦後のGHQもこの仕組みを見抜けないため、現在の法律でも戦時下のやり方がまかりとおた。さらに、高度経済成長はこのやり方が劇的に効果を現した。この方法はある意味無敵だったのだ。

”どんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派な ものであった。ユリウスカエサル”

 そんなうまいやり方とそれを通した官僚は結果的には「よかった」のだ。少なくとも、それは認めて感謝しよう。それを無視してマスコミや世論の敵にするだけでは脳がない。歴史から学ぶとはこういうことを言うのだろう。
 一方で、もう、そのやり方は効果がないということも認めていこう。でないと、結果的にまだ落ちるだけだ。

2006年2月23日

IT時代の社会のスピード 「超」整理日誌5

野口悠紀雄
ダイヤモンド社: 1600円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 連載100回を迎えるというタイトルのエッセイにつぎのようなことが書かれている。

” また、書き始めてから思いつく事項もある。仕事にとりかかっていれば、食事中でも出勤途中でも、無意識のうちに考えが進む。寝ているときでさえそうである(朝、目がさめたときに、アイディアを思いつくことも多い)。このような「熟成期間」を作るためには、少しでも早く仕事にとりかかるほうがよい。”

 これは本当にそうである。私もそういうことがよくある。今朝も朝起きたときに考えていたことは、昨日一に考えていたことの続きであった。「考えよう」と意識しなくても、考えちゃっているところが人にはあるようだ。
 また、やり始めるとあたらに思いつくというのも本当である。思いつくときは、文章をタイプしながらであっても、一気に思いつく。映画のように筋が見えるのではない。背中がむずむずする、というような「感触」に近い。一種のクオリアなのだろう。

 小説や映画の脚本は、初めに誰かが考えたものである。観賞していくに従って生み出されているわけではない。では、作者はどうなんだろうか? 時間順に考えていくのだろうか。それとも、空から地上をみるように、過去と未来とを一度に見るような「視点」からストーリーを組み立ててしまうのだろうか? 私はそのようなものを作成したことがないのでわからない。

 有名な画家の「素描」は興味深い。考えている途中がみえるから。ダ・ビンチも対策の部分をスケッチという形で残している。有名な「最後の晩餐」の登場人物の素描はウインザー城図書館に結構残っている。ピカソの絵も、X線で覗くと途中で上塗りした絵が見えてくる。やっているうちに変わっていくのだ。最初から完成していたわけではない。
 一方で、彫刻はそうはいかない。あれは、途中変更は不可能だ。運慶快慶の阿吽やミケランジェロのダビデ象は頭の中にあったものがでてきているはずだ。そう考えると、やり始める前から名作があったものと、なかったものがあるようだ。

 野口さんのエッセイはつねにネタ帖をもとに書いているそうだ。しかし、書いている途中で話しが変わってしまうこともあるとのこと。それが普通なのかな。
 では、私はどうするのか。まず書き出している。しりきれトンボになることも多い。それでも、書いていることで、他人の文章を見るときの「注目点」に気付くようになったのだ。素人が読書メモをつけるのも、まんざら意味がないことではない。


2006年2月21日

デフレとラブストーリーの経済法則 「超」整理日誌8

野口悠紀雄
ダイヤモンド社: 1400円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 数学よりも先に論理手思考力と題されたエッセイの中で次のようなことが書かれている。

”もし論理的思考力を身につけたいなら、論理学の基本的なルールを習得するほうが重要である。たとえば、「逆は必ずしも真ならず」というようなルールだ。これは、形式論理の最も初歩的なルールだが、日常の会話や文章では、実に頻繁に無視される。つまり、必要条件と十分条件を混同してしまうのだ。
 たとえば、「論理的思考力を身に付けるには、形式論理の基本ルールを習得するべきだ」とかくと、「そんな簡単なルールを習ったところで、論理的思考はできない」という反論が出てくる。「企業を改革する必要がある」と書くと、「政府の改革も必要だ。それに、構造改革だけで日本経済が活性化するわけがない」という反論が出てくる。私は、この類いの批判、つまり論理的に誤った批判(必要条件と十分条件を混同した批判)に、うんざりしている。”

 よくよく考えると、自分も良く間違っていることに気付く。とくに、逆も真なりという論法を考えてしまう。対偶ということばは知っているが、数学の枠のなかでしか意識しない考え方になっている。つまり、せっかくアリストテレスが遥か昔に整理してくれた道具をいまだに使いこなせていないのだ。これでは2300年後に生まれたメリットを生かしていない。人類史に申し訳いない気もする。

 このエッセイを読んで一つだけ実践しようと思っている。それは、せめて「形式論理」を一端確認した上で「何らかの発言(言い切り型のもの)をしよう」ということである。エッセイも勉強のために読んでいるのだから、実践に投入してその効果を観測していこう。そんなことを考えました。

日本にも夢はあるはず 「超」整理日誌7

野口悠紀雄
ダイヤモンド社: 1400円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 この本は古本として購入した。表紙の裏に「謹呈 著者」という札が入っていた。関係者の方がamazonマーケットプレースに流したのだろうか。まぁ、100円だからどうでもいい話しなのだが。

 ”小泉劇場”の構造崩壊という見出しのエッセイに「物語の構造」の説明が書いてある。野口さんは無類の「指輪物語」好き。別のエッセイ本で「風の谷のナウシカ」についての小論文も書かれていたので、ファンタジーもお好きのようだ。その野口さんは次のように言う。人気がでる物語は必ず次の構造を持つと。

 物語の5つの要素。(1)主人公が故郷を離れて旅に出る。(2)旅の途中で仲間が加わる。(3)敵が現われる。(4)最終戦争で勝利を収める。(5)故郷へ帰還する。
 なるほど確かにそうである。桃太郎も、ガンダムも。ローマの休日もそう言えなくもない。そういえば、歴史上最も古い物語である「ギルガメシュ」もそうだ。なるほど、本当だ。

 物語と映画の話しがこの巻では多かったようだ。


2006年2月20日

「超」英語法

野口悠紀雄
講談社: □□□□■ (4)

 「超」勉強法において紹介された英語の勉強法について書かれた本。本当に意味ある勉強として必要な英語はどのように身に付けることができるのかが野口さんらしく考察されている。私の感想は「もっと昔に出会っていればなぁ」である。ララアのような気分がする。

 ポイントは「普通の人が必要な英語は聞き取り。旅行へ行っても、講演会にいっても聞ければなんとかなる」。一方で、自己紹介などするシーンは殆どない。実用英語が会話というのは、勘違いである。それをあおっているのが英語学校なのである。この考察は正しい。実感をもっていえる。私もCMにだまされていた口だ。

 "弱く速く発音されているところは適当に聞き流して、強くはっきりと発音されているところに注意を向ける。”
”人間は、話される内容をある程度予期しながら聞いている。全体の枠組みの中に位置づけることによって、ココの部分を理解できる。従って、全く初めての話しや予期していない内容は、理解できないことが多い。

80:20の法則と脳の「context awareness」とを合わせ考えれば、上記のことは本質的なことをいっているのだ。私は英語が不得意なので、再び勉強を始めてみようという気になった。ついでにイタリア語もこの方法を使ってみよう。

 とても勉強意欲をそそる本である。教師との出会いって、運不運ですね。こんな人に高校生のときにあっていればなぁと思います。


続「超」整理法・時間編

野口悠紀雄
中公新書: □□□□■ (4)

 野口悠紀雄さんの本は読みやすい。すらすら読めてしまう。内容が興味深いこと、言葉が優しいこと、ユーモアにあふれていること。これらが面白さの根源であろう。内容が役に立つのは文句なしで、自分でも工夫の余地があると思わせるところに、さらに興味津々となってしまうのかもしれない。ひょっとしたらおれも思いついたのかも、という具合に引き込まれていく。

 この本の組立はわかりやすい論文の基本である。SCQA構造、トピックセンテンスメソッド。ビジネス書を研究すると身に付く読みやすい文章の特徴を備えている。だから、飛ばし読みでもよい。工学の素養と経済学の文章とが融合しているだけでなく、背後に多くの読書の結果が見受けられる。

 それだけで読みやすい本ができるのだろうか。そんなことはない。そもそも、この本の骨組みがシッカリしているからが第一原理である。この本の構成は章末の「まとめ」にある。「まとめ」とあるが、私が想像するに、これが本を書く時につかった内容の組立そのもである。このメモをつくりながら、この本を書いたのだろうと推定する。逆に言えば、この分量のメモが溜まれば新書一冊分の本が書けるはずなのだ。



(本文中からまとめだけを抜き出す)
1スケジューリングの基本は、自分の持ち時間となすべき仕事を、【目に見える】形で把握することである。
2このため、次の道具を用いる。
・数週間が見渡せるスケジュール表
・仕事の配置を示すTOーDOボード
・その日の仕事を示す「すぐやるメモ」
3従来式手帳の欠陥
・一覧できないため、スケジューリングの補助手段にならない
・不要になった部分も持ち歩かざるを得ない
・コピーを取りにくい
・A4時代に対応していない

1仕事の進め方五原則
・中断しない時間帯を確保する。スケジューリングの目的は、ここにある。
・案件が発生した現場で、少なくとも応急処置を講ずる。
・拙速を旨とする。八割できたら、他の仕事を先に片づける。仕事には、とにかく着手する。
・あるところまで来たら、意識的に寝かせる。
・所要時間が不確実な案件を先に済ませる。
2スケジュールのためのヒント
・昨年の記録を参照して、今年の場合を予測する。
・他人との約束などによって人為的に締め切りを設定する。
・ダブルブッキング防止のため、予定表を一つに限定する。
3不確実性への対処
未来が予測できないのは、スケジューリングにおける本質的な問題である。これに対処するため、予備日を【過剰】に作っておく。一定期間(三ヶ月程度)以上先の約束をしない。

1電話の問題点
・仕事が中断される。
・受けての体制ができていないところにかかる。
・知りたいことがすぐにはわからない。
・相手が捕まらない。
・【いった、いわない】問題が起きる。
・言い忘れ、聞き忘れ、早呑み込みなどのミスが起きる。
2ファックスの利点
右の問題は全て解決される。さらに次の利点がある。
・ファックス受信後の事務処理に使える。
・予定表が自動的にできる。
・相手を判断できる。
・定型文書の送信は電話より速い。
3時間順の電話番号簿と住所録
・恒常的な連絡相手でなければ、手帳の週間スケジュール欄に書く。
・過去の発信記録を番号簿、住所録として使う。

1組織内の簡単な連絡も、口頭から文書に切り替える余地が大きい。これによって、時間節約や時間差調整が可能となり、効率的なタイム・マネジメントを実現できる。
2日本型組織は、口頭連絡に頼りすぎている。産業構造の変化や情報技術の発展方向を考えると、これは大きな問題だ。
3会議には整理すべきものが多い。ここでの要点も、文書に切り替えることである。
4電子メールが普及すると、事務処理をコンピュータの中で連続して行えるため、効率が飛躍的に上昇する。ただし、メールの受信能力を超えるという【電子メール地獄】のおそれはある。これにいかに対処するかが、今後の重要な課題となろう。

1内容分類に頼る従来の整理法は、整理した直後は良いが、次第に秩序が崩壊する。
2押しだしファイリングは、書類を最小限にまとめて封筒に入れ、時間順に並べる。これがうまく機能する理由は、
・ワーキング・ファイルが列の左の方に固まっている。
・時間順の記憶は強い。
・色分けなどで区別する。
3タイム・マネジメントにおいても、押しだしファイリングが重要な役割を果たす。
4「超」整理法の基本原理は、【ぽけっと一つ原則】と、【時間順原則】である。この考えは、名詞、電話帳、メモに応用できる。

1時間は買うことができる。人的サービス以外の携帯でも購入できる。
2自分の方が効率良いという理由で部下に仕事を任せない上司は、組織全体の能率を下げている。
3教えてもらう、メモを書いてもらうなどの方法で、人の時間をわけてもらうこともできる。これらは、双方にメリットをもたらすことがある。
4時間泥棒を見分ける技術が必要である。余計な情報は最初から取り入れないほうが良い。
5通勤電車、待ち時間などの隙間時間の活用は、バカにならない。

1人間が一瞬のうちに識別できる対象は七個程度でしかない。一週間を超える期間のスケジューリングが難しいのは、このためである。
ただし、複数属性の対象の場合には、識別可能性が高まる。文書だと内容を把握しやすいのは、二次元配列になっているからだ。
2ワーキングメモリ(短期記憶)に保持できる限度も、七個である。ただし、これは【袋】の数に関する制約である。符号化して袋の中に多くの情報を詰め込むと、記憶できる情報量が増える。
3ワーキングメモリはきわめて速く揮発する。このため、中断シンドロームが問題となる。
4メモ手段として、入力の容易さでは録音が、編集・検索では電子的手段が優れている。神はまんべんなく優れている。カモの目もの場合、【ぽけっと一つ原則】を守ることが重要だ。


 A4サイズで2ページ程度の箇条書き。新書の内容のボリュームを初めて知った。あとは、論理的な説明、具体例、ユーモアを交えた文章力があれば、新書になる。もっとも、このメモを構成するのが一番難しいところなのだが。

2006年2月19日

365日の「超」知的生活

野口悠紀雄
三笠書房: 495円
お勧め指数: □■■■■ (1)

 野口さんが提案する方法のダイジェスト版。安直に紹介している本という気もする。何れにせよ、新しい内容はない。だから、あまり評価しない。ただし、押しだしファイリングなどの方法を全く知らない人には手早くまとまっているので有益かもしれない。その他、「超」整理手帳やWWWリンクの紹介と、98年当時の情報、そして、編集者のコメントなどがある。だが、そんなに面白いものではない。


2006年2月18日

地動説を疑う 「超」整理日誌9

野口悠紀雄
ダイヤモンド社: 1400円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 ご自身の書斎などの写真が載っていた。平机でなければならないそうだ。全くもって同感。北向きの採光窓も共感がもてる。そのなかで次のような文章があった。
"本の「積ん読」は、一般にはよくないこととされる。だが、私は、大変意味があると考えている。
 自分の蔵書なら「自分の側」にあると感じられるから、本のほうから近づいてくる。そして、いつかは読めて、本当に「自分の本」になる。五年も十年mのあいだずっと積んでおいた本を、何かのきっかけで読了し、自分のものとしたことも多い。
 これに対して、書店は図書館にある本は、なかなか読めない。いつになっても、「あちらの側」のままだ。だから、読みたいと思った本は、迷わず買うべきだ。”
 全く同感。わたしも、購入して5年位して、あるときふと読み始めて、その日に全部よんでしまったという経験がなんどもある。野口さんと同じような気分になれるのは、似ているところがあるからなのだろう。


2006年2月17日

「鏡の国」の経済学者 「超」整理日誌4

野口悠紀雄
ダイヤモンド社: 1600円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 この巻も面白い。野口さんが面白いと思って書いているエッセイは本当に面白い。時事批評は評論などはつまらないのだけど。この巻は教育についての話しが多かった。
"人間は、「先天的能力は低いが、後天的学習によって非常に高い能力を獲得する」という特性をもつ生物なのである。"
 要するに勉強することで賢くなるということです。賢さをはかる指標に文章があります。ダニエルキースのアルジャーノンのなかのチャールズゴードンという主人公が知能を発達していく過程をみせるのに文章を使っていまして、それを紹介しています。
"物語は、主人公チャールズゴードンの日記として展開されている。最初に現われる文章は、つぎのようなものだ。
Dr. Strauss says I shud rite down what I think and every thing that happins to me from now on. I dont know why but he says its importint so they will see if they will use me.”
稚拙さ、幼稚さというのが文面にでているのです。易しい単語の構成と言い回しで表現しているのですが、それははやり、「幼稚さ」を著していて、そんな文章を書くの人ならば精神も幼稚だろうと判断されても仕方ないということです。
 これを読んで私は確信しました。はやり、英語で論文を書くのはやめよう。だって、アホ見たいなものを残そうと必死になっても、意味ないじゃないか。それならば、日本語でマシなものを残そうと。賛否両論ありましょうけど、もういいやと。

 とりあえず、この原著をアマゾンで購入しましたので、それを読んでみて精神のレベルと文章のレベルの相関を味わってみよう。そんなことを考えました。


2006年2月16日

時間旅行の楽しみ 「超」整理日誌3

野口悠紀雄
ダイヤモンド社: 1600円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 先週読んだ「超」整理日誌シリーズの2冊はつまらなかったのだが、この巻は面白いと思った。「ためになること」や「こうするべきだ論」ではなく、野口さんの好きなことについて語っているのが原因でしょう。星のこと、スコットランドのこと、そして、昔の話など。その人が本当に好きなことを語っているのを聞くのはとても楽しい気分になれます。内容を通してではなく、直にその人の感情が伝わってくるから。人は楽しい人が好きなんです、幸せな人と一緒にいたいもんなんですね。

「もし星空が千年に一度しか現われないのなら、人々は神の都である星空を信じがたいものとして崇め、幾世代にもわたってそれを語り継ぐであろう」(ラフル・エマソン)
 こんな言葉がこの本の中で語られています。


2006年2月15日

歴史の夜咄

司馬遼太郎
小学館文庫: 580円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 日本人はとこからきたのかという素朴な問いについての対談集。酒を酌み交わしながらの雑談を隣できいているような気分になれます。古代(古墳時代、奈良、飛鳥)から鎌倉あたりを日本人の原形と考えています。貴族的な社会よりも、一所懸命の鎌倉の気質が日本的ということのようです。
 古代から平安にかけての朝廷は怨霊が怖い、ということが社会をドライブしてきたような感じがします。庶民など存在していないので、そんなものが社会を動かした。ところが鎌倉になると東国で公家が理解できないようなタイプの日本人が現れた。そんな語り口です。

 私はこの本をそんなに愉しめませんでした。司馬さんの対談本としては今一感はあります。


2006年2月14日

重大事件に学ぶ「危機管理」

佐々淳行
文春文庫: 505円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 公助、互助、自助。危機管理にも3つのカテゴリーがあるのだが、現在の都市社会で意味があるのは自助である。そういうメッセージがつまっている本である。著者は警察出身。浅間山荘などの高度経済成長期の日本の治安を担当した。今と違い、体を張っていたことが文章から、また具体例から読み取れる。だから、信用できる記述であろう。

 まず、公助は機能しないと考える。阪神淡路の例をみるまでもなく、役人が危機に対応できるとはゆめゆめ思わないほうがよい。彼らは逃げるか命令するかのどちらかで、実質いなくてもよい役職であろう。次に、互助。農村社会や企業城下町ならば機能する仕組みである。阪神のときも、実質意味があったのはこれだ。ただ、東京のようなところでは、そのような概念は存在しない。結局頼れるのは、自助。まさに、これである。できることは限られているが、すくなくとも、自分以外に頼れる人はいないと初めに諦めておこう。そこが、肝心なのだ。


 この本のなかで、危機管理以外に学んだことがいくつかあるので挙げてみる。

(1)便りがないのはよい便り、というのは嘘である。
 便りがない。問題があるのか、ないのかもわからない。原理上見分けがつかない。だから、問題がなくても、「問題がない」ということを連絡する必要がある。これは基本。自分が親に連絡するときは、面倒だったが、この原理を教えてくれればやったであろう。マスコミに対する記者会見などでも、事態が進展していない場合には「進展なし」と発表することに、多いに意味があるのと同じである。

(2)平和がつづけばスポイルされる。
 歴史を見るがぎり、そうである。古代ローマを筆頭にいくらでも例がある。つまり、人間の性質なのである。物理法則に近い。だから、「平和ぼけ」などとマスコミが批判論調するのは「全く意味がない」ことがわかる。問題なのは、そうなったら、同処置をするのかというメカニズムの提案であろう。官僚は保身にまわるのは当たり前なのだ。

(3)日本とアングロサクソンとは族長の選び方が違う。
 全くその通りである。それは、環境に適用した結果である。1万年スケールで獲得した適応なので、頭でなんとかできるはずはない。遺伝的に「淘汰」されているのだ。もし、これをやめたければ混血をすすめるよりないだろう。私はそう思った。

 一部の人は「学習すれば改善できる」と考えている。たしかに、それは正しいだろう。しかし、実際上は「全員を学習させる」ことはできないのだ。義務教育が限界で、しかもその効果は「教育制度がない国よりはまし」というところであろう。毎日起きる事件をひとつひとつ集めていけば、なんでこんなアホが社会をうろついているのだろうか?と怖くなるくらいだ。
 なすべきことは、互助と自助。それが現実的な解であろう。

「超」整理日誌2 無人島にもっていく本

野口悠紀雄
ダイヤモンド社: 1600円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 雑誌連載エッセイをまとめてある。書名に魅かれる。私ならば何をもっていくのだろうか。数学概論かな。一度じっくり読みたい本だろうけど、実際問題死ぬか生きるかというときには何を選択するのだろうか。野口さんは「星図」だそうだ。なるほど、粋な解答。

 この本では珍しく愚痴がかいてある。マスコミの批判について反論している。ある水準を超えている人ならば、野口さんが弁解しないのでも、野口さんの著書の素晴らしさはわかる。ほっておけばいいのにと、私は思う。ただ、「このようなやからは相手にしないでおくと、さらに追求してくる。だから反論するのだ。」そのような態度にでている。なるほど、そうなのかもしれない。

 一方で、「アルジャーノンに花束を」を名作であるとエッセイで書いたところ、それを「十代の小娘ではあるまいし」と批判されたことについて書いている。これは、福田和也という人の新書で「こういうバカ教授がいるからこまったものだ」というという例として書かれているのを読んだことがある。このK.F氏は典型的な「おれってすごい」的な人だと読んでいくうちにわかったので、他の新書を購入するのはやめた。どうやら私は野口さんの方と馬があうようだ。


2006年2月12日

イソップ物語に隠された人間関係の成功法則

植西聡
PHPエル新書: 760円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 イソップ物語は深い。ヘロドトスと同時代の人とは思えない。イソップ物語は人の行動のパターンがまとめてあるので、時代も場所も関係なく、人間の世の中において適用されている。また、それが、自分にも他人も思い当たるので、参ってしまう。これが「普遍性」という言葉の意味を実感させてくれる良い例である。

 イソップ物語は人の社会、個人の性向の比喩である。それがいまだに有効だということは、すくなくとも、2000年以上、人間は本質的に変わっていない。それを改めて実感する。クロマニヨン人以後の次の人類が発生したら、また別の童話が必要になるのかもしれない。

 私は、これを題材に義務教育の課題として教えるとよいと思う。なぜなら、人間であればイソップ童話のようなことは「必ず身の回りで発生する」のだから。役に立つことは「確実」である。何故、勉強するのですか?などという子供が抱く疑問にたいする明解な答えになる。なぜならば、と実名入りの具体的な出来事をつかって教えることができるのだから。

 岩波文庫にあるイソップ童話を読んだことがある。そのなかにない童話が何編かこの本に取り入れていた。ちゃんとした全集を探してみたいですね。


企画の教科書

おちまさと
NHK出版: 1400円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 「企画」の教科書。文字通りです。TV番組やイベント、新商品の企画とその他の社会活動での企画とに違いはない。結局、この教科書にかかれていることがほぼ全てではないでしょうか。

 この本は「発想法」の本とも言えます。結局、現在の自分(育った環境、置かれている社会的立場、その時の興味)をもとに、社会の何に着目して、その分をとりだし、それをどう拡大していくのか。いくつかの着眼点をどう組み合わせていくのか。「ほんとう、やろう」と思えば大抵の人にできることだけである程度の企画はできるのだという「教科書」として、この本は素晴らしいです。

 企画の立場にあるとき、マス(大勢の人)を相手にするには、マスが個人から成立していることを忘れるなという指摘がありました。自分が神様にでもなった気分で大勢の人を「マス」と見てしまうのは避けられないでしょう。でも、それをやると企画は外す。業界の人って、わりとちゃんとしているのだな。そんな感想を持ちました。


デザインのデザイン

原研哉
岩波書店: 1900円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 デザイン論。熱く語る川崎さんとは異なり、水のようにさらさら流れる無音の論。こうしよう、ああしようという煮えたぎる感情ではなく、山奥の温泉で一人静かに考える。本当にそんな状況から生まれたものがどこまでいいものなのかはわからないですけど。
 デザイン系の仕事をしている人でない、普通の人ならば、この人との接点は無印良品にあるでしょう。「これがいい、よりも、これでいい」。「が」と「で」の違いから普遍性を目材していることが読み取れます。時間に対しても質に対しても「不偏的」であることを目指すと、無印のようなものになるのでしょう。

 この本の中でいくつか紹介されていた「リ・デザイン」のプロダクトにとても興味を持ちます。四角いトイレットペーパー。丸いと使うときに紙を出しすぎちゃうけど、四角い筒だと引っ張り出した分だけしか出てこない。結果的に無駄がなくなる。こういう、制御、って私は感動するのです。僅かですが、またプロダクトを見る視点を教わった気がします。


2006年2月11日

レオナルド・ダ・ビンチ 復活『最後の晩餐』

片桐頼継
小学館: 1680円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 最後の晩餐の細部を写真で見せてくれる小冊子。小さくて薄いので取っつきやすい。特徴的なのは、部分に肉薄して撮影されたものが結構あり、絵の表面の感触や絵の具の乗り具合、剥がれ具合がよくわかる。本物にはここまで近寄れないから、ちょっとしたうれしさがある。

 遠近法をどうやって実現してたことがわかる記述がある。イエスのこめかみの部分に「釘」の跡がある。拡大写真で見ててとれる。本当だ。これは、この部分からヒモをひっぱって「消失点に向かう線」を書いていたという技術的な証拠になっている。糸に炭をつけて消失点からピンとはる。して、糸をピンとはじく。すると壁に黒い線がのこる。大工さんがやる墨壷と同じものだ。

 じっくりみても観賞に堪えうる。全体もスゴイが部分に人の手の動きを感じる。そんなことがわかる本です。

2006年2月 9日

ブログのもと

永沢和義
朝日コミュニケーションズ: 1680円
お勧め指数: □■■■■ (1)

 ブログについて学びたいなぁと思っていたところに、アマゾンの広告で引っ掛かった本。「続けることが大切」のような、ちょっとしたエッセイなのかなと思ってネットで購入。結果的には失敗。
 本として悪いものではないです。ブログを始めようという人には、ブログシステムのサイトの使い方まで説明されていますし、挿し絵も「萌え」ですから、取っつきやすいでしょう。ただし、電車の中で読むには適さないです、私の場合には。

 この本の作成方法について、なるほどと思いました。ブログをつかったそうです。各ブロックごとに書いていく。編集者はそれをみる。修正などを加える。構成を変更するには記事の日付を変更することで前後を入れ替えていく。ブログの運営者だからこそできる技でしょう。読みやすいと思います。だたし、私は面白いとは感じませんでした。

2006年2月 8日

「超」勉強術 実践編

野口悠紀雄
講談社: 1500円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 「超」勉強術の続編。より、具体的な方法に迫る、ということであった。しかし、前作とあまり変わっていない。

 英語の取得に重きが置かれている。口語は水泳の息継ぎと同じだ。吐けば吸える。話せば聞き取れる。ただし、単語に分解して、さらに音節ごとに聞き取ろうとしても無駄である。ネイティブでもそうだろう。それは、なぜか?
 言葉は「文脈」の上で成り立っている。”どのようなことが話されるかをおおよそ予測して、聞いている。だからこそ聞き取れるのである。”というだ。なるほど。一つの単語が聞き取れなくても、なんの話しをしているのか、直前、直後に何を言ったのかに気をつけて「流れなのかな」で把握することができれば、rとlの違いがわからなくても問題ない。

 これは、脳の「コンテクスト・アウェアネス」の機能そのものである。ホログラフィック的な探索方法。人間の脳の学習法はさすがに「人工知能ならぬ、天然知能」なのだなぁと感じる。


「超」整理日誌 情報メディア経済を捌く

野口悠紀雄
ダイヤモンド社: 1300円
お勧め指数: □■■■■ (1)

「超」勉強法にあった「速読」で読んでみた。といっても対した方法ではなく、音読しないで読むだけ。あとは無意識レベルが言語の解釈をしてくれると信じて読む。いや、80:20の法則を信じて読む(キーとなるのは全体の20%のみというもの)。連載エッセイだから「思いを込めた」文章が少ないので、この方法でよんでも読み飛ばしたとは言えないであろう(と信じている)。

 本書は2部構成になっている。1部は連載エッセイ。2部は「風の谷のナウシカ」を語るというもの。圧倒的にナウシカの方に勢いがある。もうちょっと書いてもらって別に出版してもいいんじゃないの。そう、思わせる。

 ファンタジーには「自然科学的法則」と「社会科学的法則」の2つが含まれている必要があろうそうだ。

 ファンタジーやSFの作者は、自然科学的リアリティにはかなり注意を払っている。しかし、社会科学的なリアリティは、往々にして無視する。あるいは、最初から無頓着である。怪獣映画で、怪獣が戦わねばならぬ動機や背景は十分に説明されていないし、地球防衛軍の類がどこから活動資金を得ているかも不明である。こうした粗雑さが、作品を興ざめにさせる大きな原因だ。

なるほど。SFが好きだという人は、機械好きだったりメカ好きだったりして、自然科学的なリアリティーしか見ていないのは確かだろう。歴史に残るような「よくできた」作品は社会科学的な面もきちんと考えれている、といえれれば確かにそうだ。単に、登場人物のキャラがだっているとか、時代設定がリアルだとかいうものを越えて、人の動機や収入といったことまで自然に設定されているものは少ない。なるほど。

 私の世代では「ガンダム」。あれは大河原のメカでも安彦のキャラが原因で、ロングセラーになったのではないだろう。「モビルスーツに乗りながら禅問答する」と言われた、人の動機などがきちんと書ききれているから、今でも人気があるのだろうなぁ。

2006年2月 7日

「超」整理日誌6 正確に間違う人、漠然と正しい人

野口悠紀雄
ダイヤモンド社: 1400円
お勧め指数: □■■■■ (1)

 野口さんのエッセイ集。雑誌に掲載されているもの1年分を1冊にしてある。これまで読んだ「超」シリーズとちがい、面白くない。無理に話しを膨らませている、あるいは、他で読んだ話しが紛れいている。なんか、損した気分にもなった。

 なぜだろう。恐らく、「締め切り」に合わせてエッセイを書いているからではないだろうか? 他の「超」シリーズは、書かんでええのに書いたのだが、連載エッセイは締め切りがあるために書いた。そんな感じがする。時事ネタを発端として、別の話しにつなげていく。最後はいかにも「まとめ」のような記述になっている。冴えないなぁ。


 ちょっと気になる段落があったので引用してみる。


利益もコストも所有者に帰属するのが私有財産

 公的援助に対して、私はなぜ否定的な考えをもつのか? その理由を以下に述べよう。
 基本的な理由は、住宅が私有財産だからである。私有財産としての所有は、その所有から生じるあらゆる利益を独占できることを意味する。例えば、無断で侵入しようとする人がいれば、それを拒否できる。警察は、無断侵入者の排除を助けてくれる。また、住宅価格が上がれば、利益の全ては、個人のものとなる。

 結局、昔から似たような問題はあったのだ。私も、上記の考え方を「原則」として採用することは自然だと思っている。

2006年2月 6日

爆笑問題のハインリッヒの法則

爆笑問題
祥伝社黄金文庫: 562円
お勧め指数: □■■■■ (1)

 ぱらぱらと立ち読みしたら、ちょっぴり笑ってしまった。隣で本を探していた女の人がサッと離れてった。まぁ、いいじゃないか、面白かったんだから。そんな気分になる本である。

 しかし、購入は勧めない。ちょっと、「薄い」気がする。TVの喋り(とくに、「検索ちゃん」)の方が濃厚な気がするので、読後感は「ちょっとなぁ」であろう。私の場合は衝動買いだから、まぁ、仕方ないや、である。

 ハインリッヒの法則は、リスク管理の話題で耳にする。ただし、現象はある確率で現実化する、ということを認めるのならば、自明な気もする。300:29:1という細かい数値はべつにして、100:10:1という比率だと思えば特段不思議な気分はしないものだと思う。ただ、それを、「ネタ」に読み替えて普段の生活に笑いを探すための道具にするあたりは、太田さんのさえですね。


2006年2月 5日

「超」勉強法

野口悠紀雄
講談社: 1500円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 勉強の方法についての小編。なるほど、確かに効果がありそうだ。現在の自分から、過去の自分に向けてアドバイスするのならば、この本の方法であろう。「面白いと思うことをやる。初めからではなく全体を見てから、必要なところに着手する。80%理解できたら先に進む。」 この方法は、部分的ではあるが、経験則によって「そうそう」と同意刷る人もいるだろう。私は、まずは全体から、というところに共感している。

 英語の勉強法は単純。暗記である。言葉を分解して覚えても、言葉が言葉である部分が消えてなくなっている。「するめをみてイカがわかるのか」 単語カードに書かれたワードは死体のようなものだ。それが生きたセンテンスに埋め込まれて「意味」を発する状況を想像などできまい。言語は丸ごと覚えるしかないのだ。私は高校時代、このような方針の先生にたたかれたものだ。英語は勉強した記憶がないのに、そこそこ受験で苦労しなかったのは、センテンスごと暗記という癖をつけていたからだろう。しかし、それで会話はできるようにはならなかったが。


 数学の勉強法にある「パラシュート法」は感動した。基礎から一歩一歩進んでいったらゴールまでたどり着けない。なぜなら、基礎は以外に難しいのだ。ε-δでつまずいたら、工学でつかう数学にたどり着けない。ならば、必要なところを上級から俯瞰する。つまり、飛行機で「数学」の地表を上級から眺め、必要な部分に直接降下する方法をとるのがもっとも速い。そこに必要なものだけを、必要だから勉強すればよいのだ。これは、私が普段やっていることではないか。ある程度わかるようになると、基礎を知りたくなく。山は下っていくのが楽しいのだ。


 いつも勉強を続けていることが必要である。勉強に「浸かっている」こと、勉強に関して「現役でいる」ことが必要である。これまで述べてきたように、数学の計算力、英語の単語や適切な言い回し、字数の把握、漢字、すべてやらないど「なまる」。運動選手が、練習していないとなまるのと同じである。

 さて、今日は何を勉強しようか。そう、思わせる一冊である。

2006年2月 4日

ホームページにオフィスを作る

野口悠紀雄
光文社新書: 700円
お勧め指数: □□□□■ (4)

  あなたもホームページが作れる。そんな、つらない内容ではない。個人情報を発信するサイトを作りたい人のための本ではない。賢いインターネットの使い方という本でもない。これは、野口さんが自身でWWWの個人ページを自分向けの道具として使い出し、結果的に多く人が使うようになったnoguchi.jpというサイト形成の際の「ノート」に近いもののようである。場面場面でノートしたことで、普遍的だと思われる内容がまとめられている。

 ホームページを作りたい。作ったら、多くの人に見てもらいたい。そういう人が殆どである。私も、その一人になっている。野口さんは次のように言っている。


 初めてホームページを作る人は、まず自分だけが使うつもりで作るとよい。  こう言うと、いかにも奇妙に聞こえるだろう。「自分が見るだけでは意味がない」と考えている人が多いと思う。しかし、「自分で使う」というのは、奇をてらっているわけではないし、思いつきで言っているわけでもない。これは、私自身の経験なのである。適切な利用法を見いだすと、まさに「革命的」といえるほどの成果が得られるのだ。  (中略)、「自分が使って意味がないようなホームページであれば、他の人が見ても意味がない」ということを確認して置こう。これは当たり前のことだが、ホームページ作りにおいて、多くの人が忘れていることだ。「ホームページを公開したのにアクセスが少ない」とがっかりしている人は、まず、「自分が使って便利なホームページなのかどうか?」を反省してみるべきである。
 全くその通りである。

2006年2月 3日

「超」発想法

野口悠紀雄
講談社: 1600円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 発想法についての野口さんノート(というべきもの)。考え見れば至極あたりまえなことを整理してある。「発想法」の本を読んでも、発想法が身に付くわけがない。そんなアホな話しがあるわけがない。方法が思考を促すことはない。そういった、案直な方法をばっさりと切り落としてもいる。

 発想のもとは知識である。知識がなければ、発想などしようがない。新しい発想とは既存の知識の組み合わせが変わったものなのである。ならば、これまでのことを知っている必要がある。過去から学ぶ必要がある。そして、頭に入れた知識を下に、自分の状況に則して思いを巡らす。知識がたくさんあればはるほど、反応は進むし、ちょっとやそっとでは思いつかないアイディアがひらめく可能性が高くなる。そして、それをしつこく考え続け、ついには、無意識の領域で醸造させる。そして、あるとき、ふとしたことがひらめきが生じる。無意識で生成された組み合わせが意識に伝達されるのである。


 発想は脳の中の過程である。方法論が発想を生むわけでは決してない。そして、発想法を「意識的に」実施するようでは、考えるスベースが頭にできるはずはない。だから、巷にある発想法は「オカルト」か「無限に時間ガある場合」にのみ意味を成すかのどちらかである。そりゃそうだ。考えなくてもよい組み合わせを考えないで済ます脳の(無意識の)能力にしか、発想のタネはない。だから、勉強して、学んで、考えるよりない。実に当たり前の結論である。もっと、早く知ればよかったと思う。

2006年2月 1日

イタリアの古都と街道

紅山雪夫
トラベルジャーナル: 1700円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 ローマのガイドブック。お店やレストラン、宿については全く書かれていない。歴史をもとにした遺跡、史跡の紹介である。杓子定規な解説文ではない。著者自身の愛情が感じられる「読みやすい、短い、といってもはずしていない」良質な記事を束ねたエッセイ集と史跡案内。本人が好きで歩いて、好きで解説している、という態度が見て取れる。写真が古いのが、ちょっと興味深い。何故だろうか。

 私は一度ローマに行った。7日程、毎日毎日歩いた。案内されている場所にはだいたい行っている。だから、説明が適切であることを知っている。ただし、この本に描かれているちょっとしたものを見落としていることがわかったので、是非このガイドブックをもとにもう一度歩いてみたい。6月ならば、最高だろう。