« 2006年4月 | メイン | 2006年6月 »

2006年5月30日

ラテン語の世界

逸身喜一郎
大修館書店: 2500円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 ラテン語の入門書以前の雑談。著者が授業の合間に話すこぼれ話を一冊にまとめた、ラテン語の世界への紹介を試みた本である。ラテン語を知らない人に向けての本なのだが、ちょっと難しいところもあるので、気楽に読めるのは半分くらいまでであろう。

 ラテン語のABCがあるのわえではない。ラテン語が使われていた時代(今でもバチカンでは公用語のようだが)ローマの話が多い。セネカやキケロの格言やホラティウスからの引用のちょっとした背景が紹介されている。英和大辞典のようなものの巻末にはラテン語で書かれた格言が記載されているのだが、そのなかのいくつかを拾って「実はこういう意味である」というような解説がされていて、面白い。

 ラテン語について、へぇ、ということを感じることはできたのだが、それ以上に、キケロやセネカの発言が全く現代でも色あせていないことに驚く。いまでもいないなぁ、こんな格言をのたまわれる人は。ほんと。

 一つ気に入ったものがある。
nulla res tantum ad dicendum proficit quantum scriptio.
よく話すためには、よく書かなくてはならない。

 話がうまい人は、特に、人を説得する演説の能力は「文章を書くことで磨く」ということ。キケロは弁護士だったのだが、結構苦労したんだろうなぁ。その教訓は今でも生きているだろう。ならば、ぼくも書くことに精進しなければ。

2006年5月29日

デザインの生態学

深澤直人 佐々木正人 後藤武
東京書籍: 2200円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 三人の雑談をまとめた本である。深澤直人の本を探していて、それで購入してみた。深澤以外の部分がいまいちだったので、評価は低いかな。

 佐々木正人さんの本は何冊か読んでいる。アフォーダンスの概念には魅了されている。にもかかわらず、佐々木さんの本はいまいちですよ。結局、ギブソンの話ばかりになるので。
 一方、後藤武さんの話も、要するに建築についての蘊蓄だけであって、この人自身の魅力をあまり感じないので、雑談を聞いていてもいまいち。ぼくは建築についても、興味をもっていたので何冊も本を読んだので、ごく浅いところは知っているのだが、後藤さんはそんな話ししないので、つまらないのだ。

 深澤さんの本を読むなら、この本ではなく、「デザインの輪郭」の方が断然お勧めですね。

2006年5月28日

デザインの輪郭

深澤直人
TOTO出版: 1800円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 深澤直人さんのデザイン論。まさに、ずばりです。あの「静かな佇まい」のデザインは、この本で紹介されている「意図」からでているのですね。つまり、「無意識に働き掛ける」という試み。私のようなで「単に、深澤さんの作品が好き」というだけの人間でも、「なるほどなぁ」とうなずける発言がいっぱいあります。

 巷にあふれている「クリエーター」という部類の人たちと全く次元が違う世界がそこにありますね。

”大学に入学する少し前まで、彼ら、彼女らは人一倍センスにうるさい、こだわりの若者だった。それを自負していた。Tシャツ一枚を選ぶために何件も店を見てまわった。それが、入学したとたんにデザイン学生という称号を得、こだわりのセンサは、自分のデザインしたみにくいデザインに理屈をつける、独りよがりの若者に成り下がってしまう。昨日の若者が、急にデザイナーになり、「私のデザインは」とは「ぼくのアイディアは」とか話し始めるのだ。いきなりデザイナーになって、とたんに自分がゼロからものを生み出さなければならないと思い込んでしまうのだ。”

 うーむ。デザイナーでない私にとっても、痛い言葉です。何かになる、とは、「自分を主張する」こととは違うのですが、まぁ、若いうちは仕方がない。その状態であることにいつ気がつくことができるのか。これが、ほんとの「運・不運」ですよね。

2006年5月24日

英語にも主語はなかった

金谷武洋
講談社選書メチエ: 1500円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 主語が鋭角に現れたのは、実は英語の歴史でも比較的最近なのだ。人間の意図が幅を利かすようにあったあたりから発展してきたのだ。非人称主語など考えれば、本来は主語などない表現が英語でも普通だったのだ。

 著者は、英語は他の印欧語と異なり、言語をしゃべる人が攻撃的な性格になると言っている。それは、バイリンガルな子供が英語と別の言語を話すときで性格が豹変することがよくあるという一般的にしられた事実と照らし合わせて解説している。自己中心的で、すべてが「意識のもと」にあるという、アメリカ、イギリスのやりそうなことである。これらの国が、その言語を話す限り、地上からそういう人類がいなくならんだろうなぁ。

 私はスペイン語やイタリア語が好きである。論理的なものを求めるのであれば、ラテン語がよい。一方で、「自分の行動とは関係なく、自然にそうなったのだ」という真理が下支えをしている日本語も好きである。そんなことをゆっくり考え直す機会になるよい本である。

2006年5月23日

日本語文法の謎を解く

金谷武洋
ちくま新書: 680円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 "映画館を出て「ああ、楽しかった!」という時、何を主語に選んでそう発話したのだろう。「映画」だろうか。「私」だろうか。”

 日本語に主語はない。この主題について、前作よりも柔らかい感じで話をすすめる。上の文は「完全な」日本語である。何かを将来したり、砕けた悪い表現であったり、ということは全くない。ということは、日本語には基本的に主語はないのである。

 主語をもつ言語は、何かが主役である必要がある。それが人である。そして、人が意図をもって何かを「する」。それが印欧語の文法の基本である。その関係をもとに「文法」を作り上げたのだから、主語・述語は必要なのであり、主語、述語が文法の柱になる。一方、日本語はそうではないはない。自分とは関係なく「ある」言語である。その説明が余すところなく、この本でなされている。

 人が文章の主役ではないので、日本語には他動詞が本質的に「ない」。一方、印欧語では他動詞が多く存在する。場合によると、他動詞の目的語を自分自身(再帰代名詞)にして自動詞をつくることがある。これくらい、人間の行為中心の言語なのである。いやはや、英語は面倒である。

2006年5月22日

日本語に主語はいらない

金谷武洋
講談社選書メチエ: 1500円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 すばらしいです。日本語には主語はなかったのですね。そもそも、主語、述語という文法のとらえ方は印欧語の研究から生まれてきたものであって、日本語の構造とは関係ないのですね。「(ヨーロッパの)文法では主語・述語がある」から、日本語にもあるはずだと仮定し、無理やり日本語の文法をねつ造しただけだった。そんなことが暴れています。もう、感動的です。

 明治はあらゆる意味において偉大であったというようなことを司馬遼太郎さんが言っています。私もそう思います。だからといって、大槻文彦や橋本三吉に従う必要などないのですね。文部省が正しいと言っても、権威ある有識者が「日本語に主語がある」と言っても、「そもそもないものはない」のだから、アホみたいに付き合う必要ないです。日本語には主語がない。ないものはない。

 日本語の基本文型は3つ。(1)名詞(だ、です)。(2)形容詞。(3)動詞。これだけです。英語みたいにSVCなどのS(主語)は必要ないのです。これが、どこまで理解できるのか。
 印欧語には「動詞が主語によって変わる」という仕組みがあります。主語がないと動詞が言えないのです。一方、日本語は主語がなんであっても、動詞は変わらない。だから、必要ない。

 このような論理の展開は、愉快といえますね。今までずいぶんとくだらないものに付き合って文章を書いてきたのかと思うと悲しくなります。論文を日本語で書くときに、無駄な努力をずいぶんとしてきたのだと思いました。

2006年5月21日

地中海

樺島紘一
岩波新書: 740円
お勧め指数: □■■■■ (1)

 本の帯に「宝玉のエッセイ」とあったので購入したのだが、どこが宝玉なのだろうか。つまらないです。地中海の歴史、地政学について、歴史、科学、賢者、真理、予言、景観というテーマについて、二人の歴史的人物の紹介をするだけです。その片方の人はアラブ人、ベルベル人なので「イブン・ちゃんちゃら」という名前で一般には聞かない人なので、少し目新しいですが、だからといって現代にまでつながる深い内容があるわけではない。知識を「エッセイ風」にして本にしてあるだけです。私がこのような本を書けるわけではないので、批判してもしかたないですが、つまらないものはつまらない。同じようなテーマでもおもっと面白いものがあるのだから。

2006年5月20日

須賀敦子のローマ

大竹昭子
河出書房新社: 1800円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 須賀さんの軌跡をたどるエッセイ集。須賀さんの文章で紹介された土地、人を巡りながら須賀さんの生き方を理解しようとしている。この本だけ読むとすれば写真がよいかんじなので楽しめるだろうけど、須賀さんの4部作をよんで、その半生に思いをはせることができるのならば、かなり興味をもって読めると思う。

”「須賀さんは、自分の作品を書く前から、作家のような話し方をしていました」
  須賀と三十近く齢が離れていながら、さまざまな面でつながり持つ友人がこう語るのが、私には興味深かった。
  (中略)
  では、「作家のような話し方」とはどのような話し方を言うのだろうか。作品を読むときに、なぜ、このように書いたのかと作者に問いかけ、その対話が成立するかどうかによって作品の価値を判断する。作家と作品を過度に切り離すこともなければ、作家の生い立ちや性格を直截に作品と結びつけることもしない。作家が生まれ持った素質と、人生の過程で得た素材と、醸成された思想とがどのように作品化されているのかを、自分の生と重ね合わせて学びとうろうとする態度、つまりは書くことを生き方の問題としてとらえるということなのではないだろうか。”

 なるほど。そう考えれば、架空の物語を書いてそれを楽しんでもらえることにもきちんとした「意図」が入り込む余地がある。文学というが果たして学問なのかと以前から疑っているのだが、上記のような「意図」をどう作品に反映するのかという結果を体系化すれば、表現の手法についての学問になる。道具の学問が工学になるように。

 そんなことよりも、眺めるだけでも、ローマの普通の風景写真がなんともいえない雰囲気を醸し出しているので、見るだけでも楽しめる本です。


2006年5月19日

ニッポンを解剖する

養老孟司(対談集)
講談社: 1500円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 対談集である。最近は対談集を出版しすぎの感があるのだが、この対談集はそのなかでもまともである。そのなかでも、奥本大三郎との対話は面白かった。養老孟司と「大切だ」と考えることが似ているからであろうか。

”いまの子どもにふつうに課題を出しても、デジカメで写真を撮って、インターネットの辞典や記事からとった文字を適当に貼りついてつくってしまうでしょう。でも、それだと、頭のなかを知識が素通りしちゃう。ほんとうにものを見るには、自分の手を動かして形をなぞったり、色を塗ったりしないとダメだと思うんです。"

 頭で考えることを現実に「接地」させること。そうでないと、おかしな方向へとどんどんずれていってしまう。これは、自然の見方だけにかぎらない。人間の活動はおしなべてこの「接地」という方法が必要なのではないかと思う。

ヨセフス

秦剛平
ちくま学芸文庫: 1100円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 フラウヴィウス・ヨセフスについての解説。結局、イエスがいた、という記述がなされている文書というのは、じつはヨセフスがかいた「ユダヤ古代史」しかないのだ。それ以外のあらゆる古文書は、すべて、「主催者側発表」になっている。だから、歴史としてキリスト教紀元について探るには、ヨセフスに頼るしかない。西洋社会では、キリスト教が顕著に力を持っていた時代でも、聖書以外に認められていた書物はヨセフスくらいものだったらしく、そのころの一般の人の書棚にも聖書と寄席スフスがあるのは普通だったということだ。

 私は塩野七生の「危機と克服(ローマ人の物語)」におちてヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスの時代の記述でしっただけである。しかし、秦さんの聖書関係の文献を読むうちに、ヨセフスの著者に興味をもった。山本書店のヨセフス全集からも何冊か購入してみた。ローマ人の視点からも、古代キリスト教のしてんからも歴史を眺めると実に面白く、古代についての想像の幅が広がる。

 この本は秦さんの本だけあって、「まともな」感覚の持ち主ならば面白いと思うであろう。まともとは、どちらかないひどく偏っていない、といういみであるのだが。

2006年5月16日

ユダの福音書を追え

ナショナルジオグラフィック
日経ナショナルジオグラフィック社: 1900円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 イスカリオテのユダはじつはイエスに忠実な人だったということが記述された古文書が見つかった。そりゃ、びっくりだろう。なんでまた、そんなものが今更発見されたのだろう。ナグハマディ文書や死海文書のような発見である。その古文書がどこで発見され、どういう経緯をたどって公にされるに至ったのかについての物語である。思わせぶりというか、商売上手というか、この本には問題のユダの福音書の中身については簡単な紹介しかされていない。

 実はわたし、ユダの福音書の中身については、鯨統一郎の本で読んでいるので、「あ、あれか」ですんでいる。ただ、本当に発見されると、それはそれで面白い。ダ・ビンチコードの影響にものっかれれば、日本に置いてすら注目されるものになるかもしれない。

2006年5月12日

ネイティブスピーカーの単語力

大西泰斗 ポール・マクベイ
研究社: 1700円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 このシリーズの動詞についての解説。「状況そのものを持つ」というhaveの使い方には感動してしまった。そうだったのか、という目から鱗の理解ができた。また、長年疑問だった、speak, tell, talk, sayの使い分けについても「言う、話す」という日本語訳の理解を越えた英語の語感を知ることができた。とくに、「sayは単語という言葉に着眼した使いかた」というのは、これまでの疑問をぶっとばしてくれた。この本のおかげで、英作文のときにぐっと自信が持てる。

 同じ意味を類語辞典で探して英語っぽくしてもで「だめ」ということがよくわかった。意味が違うから、ニュアンスが違うから違う単語が割り当てられているということをまず優先して考えようと思うようになりました。

2006年5月10日

ネイティブスピーカーの英語感覚

大西泰斗 ポール・マクベイ
研究社: 1400円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 must, may, can, willといった「助動詞」を中心に説明している。単なる「使い方」を説明しているのではなく、それらを使い分けるさいの「感覚」を説明している。方程式のように「機械的に」は使い分けできるようにはならないが、一方で、その単語を使う状況の「気持ち」にを説明しているので、読む人にシーンを想像するチカラがあれば、他の参考書とは全くちがう「英語感覚」を知ることができるだろう。

 わたしはcanとwillの感覚を知ること、とくに、canの感覚を知ることができてうれしかった。日本語の「できる」という記号の変換では到底達することができない領域の理解ができたと思っている。

2006年5月 9日

ネイティブスピーカーの前置詞

大西泰斗 ポール・マクベイ
研究社: 1400円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 このシリーズの二冊目。前置詞をまとめてある。単に頻出するものや決り文句として前置詞を覚えようとするのではないのはこのシーズの特徴。in, atの違い、over, byの語感などが「間違えようがない」くらい語られている。

 たとえば、at the stationとin the stationは「全くちがう」意味である。すくなくとも、駅で、という日本語訳ではその違いが目立たないのだが、意味するものは全く違う。 atは「点」として捉えている。一方、inは「空間の中」として捉えている。この言葉を聞いたときに「何を思い浮かべるのか」まで突っ込んで考えれば、間違いようがない。atは「地図上の一点」としてとらているので、駅の風景は頭にイメージされていない。一方、inは駅の内部の改札やら人ごみやらお店やらの「場所」を頭に思い浮かべている。

 このような説明は類書にはない。買って損なしの本です。

2006年5月 7日

ネイティブスピーカーの英文法

大西秦斗 ポール・マクベイ
研究社: 1500円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 素晴らしいないようです。時制やa,theの違いなど一発でわかります。NHKで放送された番組の元ネタなんですね。だいたいかぶっているのですが、一部NHKでは取り上げられていないかった内容も含まれています。

 現在分詞の感覚や未来表現willとbe going to のにゅあんすの違いは完璧にわかりました。もう、間違えようがないです。あぁ、10年前に読んでいたら、もっと違った世界に行けたのかもしれないなぁと思うと残念な気もしますが、とはいえ、今からでも勉強できるのだから、気にする必要はないですね。

 時制や仮定法など文法を「まともに」勉強したい人ならば、絶対に読んだほうがいいです。

2006年5月 6日

ハートで感じる英文法 会話編

大西秦斗 ポール・マクベイ
NHK出版: 980円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 何気なくTVをザッピングしていたらNHK教育でこの番組をやっていた。30秒くらいみて、引き込まれた。「おれが知りたかったのは、これだよ!」という内容を解説していた。微妙なニュアンスについては、英語のネイティブな人からコメントをもらっていることで、解説の中身も信頼ガ置ける。

 普段、英語については読み書きしかしない。話すことなど殆どない。ところが「会話編」とタイトルにある番組なのだが、話の内容は「時制」「倒置」など、英文を書くときにいつも「あー、どっちだっけなぁ」と思うような内容を解説しているではないか。しかも、変に易しいないようだったりしていない。そこそこ英語がわかっている人向けだ。ビジネスだの喋ってみようだのの番組ではなく、文法を教えてくれている。

 そんな番組の本がこれ。「まだ、英語の教科書を読んで勉強できる可能性がおれにはあったのだ」とばかり嬉しくてしかたない。こんなレベルの本が欲しかったのだ。久々に「英語の教科書」をじっくり読んで、休日を過ごした。

ハートで感じる英文法

大西秦斗 ホール・マクベイ
NHK出版: 980円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 この本は偉大である。いや、もとになったNHKの番組は偉大である。いや、NHKで番組になる前から結構有名だったらしいのだが、私はこの本にあえて良かったと感謝している。あぁ、本当。

 aとtheの違い、仮定法、現在完了形。学校で習ったのはずいぶんと昔。それ以後、ことあるごとに「わからん」と思っていたのだが、とくに失敗したりということはなかったのでそのままほったらかしになっていたトピックがほぼ完璧に説明されている。番組ならば30分、本ならば10ページという内容なのだが、それを聴いて20年来の謎が完全に解けた。ウソみたい。

 なんでこういう説明がされてこなかったのだろう。高校のときto不定詞の用法を「こと・べき・ため・して・なんたれば・そして」と暗記させれたのだが、あれはいったいなんだったのか!! 社会にまん延する英語が喋れない、英文学を感じることができない「英語教師」のいいカモになったのだ私は。あーくやしい。今でもかわんない、いやよりひどくなっているのだろうきっと。

 こんなことを教えてくれる、あるいは、説明してくれる本は存在しないと思っていた。結局、何年も留学することでしか身に付けられないものだと思っていた。だが、今日知ることができた。あとは訓練次第で「身に付けられる」だろう。ホントに、勉強できるって、幸せなことである。それくらい、素晴らしい本です。

2006年5月 5日

あまのじゃく聖書学講義

秦剛平
青土社: 2400円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 カルチャースクールなどの講義をいくつか編んだ本。前作「描かれなかった十字架」ほど挑戦的な描きかたではないが、歴史学者としての(つまり、宗教家としてではない)旧約、新約聖書にまつわる講義。一般の人向きなのだが、きちんと裏打ちされている(文献に通じている)ところが信頼できて、読んでいて楽しい。

 秦さんの本は何冊か読んでいる。科学者のように資料をきちんと取り扱い、資料がないときは仮説としての想像を提示する行動が、とても愉快に思える。つまんない学者とは全く違うのだ。この人は単に「知りたい」のであって「信じたい」のではないことが明らかなので、宗教そのものに興味はない私でも、聖書のトピックを楽しく読める。まぁ、しょせん、人間がまとめた本ならば、聖書であっても、あらまほしきことだけが残る「物語」になってしまうのだが。指輪物語でも、3000年たてば聖書になるのかもしれない。結局、歴史に残る本のパターンはいつも同じだから。そんなことを考えた。

2006年5月 4日

ローマ人への20の質問

塩野七生
文春新書: 690円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 古代ローマ人について、新書での紹介本。現在の日本人との比較を生活感のレベルで行うことで古代ローマ人についてい想像しやすい記述である。資料を鵜呑みせず、資料から推定できる人々の生活をリファレンスにすることで、「言葉の紹介」に過ぎない専門家の教科書と一線を弾いている。実際問題、この人のローマ人の方が長く残るのだろうと私は思っている。

 面白い歴史というと、結局司馬遼太郎さんのような歴史小説になってしまうのかもしれないけど、塩野さんの描く世界は、結果的に現実に迫ろうとする作品もお薦めであろう。もっともっと読まれて欲しいですね、世界の人にも。この人の他にこんな本を作れる人がいるのかどうかは知らないけれど。

 今回で読むのは3回目かな。それでも、なるほどなぁ、と思える本、しかも「新書」は殆どないだろう。

2006年5月 3日

議論のウソ

小笠原喜康
講談社現代新書: 720円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 議論というよりも「論理」の本。いわゆる「だまされるな」という主張の本。本書で扱っている内容は具体的なので、倫理・哲学コーナーにある本とは違い理解しやすい。ただし、記述が簡単だというわけではなく、それなりにしっかり(ある意味めんどうに)書いてある。

 電車の車内アナウンスで「携帯電話はうんぬん」というのを聞いたことがあるだろう。守っている人を見たことがない。実際問題、技術的には関係のない無意味なこと客にリスク転化しているだけのことなのだが、とはいえ、未だに人におしつけてくるのが腹立たしい。その問題にある背景、現状についてこの本で解説してある。あるいは、少し前評判になった「ゲーム脳」というお馬鹿な理論についても、論理的にたたいてくれている。ありがたい本である。

 ゆとり教育の弊害についてもこの本で触れられているけれど、上記の2台については「普通の人が勘違いする・だまされる」のは仕方ないような気がする。一人一人にウソを見抜ける論理教育が行き渡っていないことを嘆くのはなく、その状態をちゃんと把握し、批判できるマスコミが機能していないことが問題なのに、という感想を私はもった。もちろん、自分自身で、おかしいところを検知し、防御していくための勉強は大切。それを論述する議論も必要だけど、実際問題としては、この本の著者のような人が、もっとパブリックな媒体をつかって、論理戦を行ってほしいなぁと思う。

不勉強が身にしみる

長山靖生
光文社新書: 720円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 学ばないと大変なことになる。事実、まともなことを子供におしえられるのだろうか? 収入が多い人は学べる機会に恵まれた人で、当然だが、その子供も学べる機会を持てるだろう。義務教育はこの状態を事前に防ぐことが目的で、それはそれなりの結果をもたらしたのだが、近年は上手く機能しなくなった。では、どうするか。

 このような問題意識から書かれた本である。「ゆとり教育」の弊害を含めて、お寒い教育事情は自分でなんとかしなければならない。子供に「やれ」と命令するよりも、自分でその困難を乗り越えて学んでいく姿勢を子供に示したらどうか。あまたある「勉強の仕方」はしょせん根本的なところで勉強好きな人向けになっているようだから、それさえ読めば自分も勉強ができるようになるわけではない。正しい勉強法すら、今は探すの苦労する状態。働きながらであれば、なお難しいであろう。それでも、今スタートしないと・・・。

 まったく同感なのだ。対して私も勉強してこなかった。受験のときは「やった。数学の問題1問に3日かけた」という時期もあったのだが、大学を卒業したあとでは、ろくな勉強はしていない。すくなくとも、体系だてやっていない。これでは、まずいという感じはひしひししている。
 ただし、幸運なことにだが、勉強することは楽しい。苦しいけど、楽しい。それは知っている。これは、ある程度勉強をした経験があるひとにしかわからないのかもしれない。

 そもそも、この本を読む対象の人は、新書なんて読まんだろう。そこに大きな問題がある。人間の世界も、まぁ、Δx=K x (K>0)という形になっているのだ。なんとも、言えないことだが。

2006年5月 2日

水族館の通になる

中村元
祥伝社新書: 750円
お勧め指数: □□□■■ (3)

水族館に対する素朴な疑問に答えている本。読みやすくて、ユーモアがある。日常生活にはトリビア的な内容ではあるのだが、飲み屋でいろんな話しを聞いたような、ちょっと得した感じがする本である。普段聞くことができない話しを通勤電車で読んでしまえる文章で読めるのでありがたい。

 最近は大きな水槽が増えた。あれはガラスではなくアクリルだそうだ。割れることは絶対にない。あの阪神淡路の震災でもっとも被害をうけた地域にあった水族館でも水槽は壊れなかったそうだ。ただ、配管系がこわたので水は漏れたそうだが。なるほど、それならば私も行ってみようかな。そんな気分にさせてくれる。

 裏話というほどではなくとも、ある専門化した仕事の常識というのは普通の人にとったら非常識なものばかりになる。そういうのって、役に立たないのだけど面白い。なまじ役に立つという知識は遊び後頃がなくなるのでつまらなくなるのかもしれない。そんな感想を持った。

2006年5月 1日

地中海世界 新書西洋史(2)

弓削達
講談社現代新書: 650円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 地中海世界のつち、ギリシャとローマを主に扱っている解説書。文部省検定済みの教科書のように無色透明かされていない、特色がある本であると前書きにあるのだが、私には無味乾燥な教科書にしか思えない。学者世界のなかでは特徴的な記述なのだろう。塩野七生さんのような「びっくりする」ような面白い記述からはほど遠い。

 とはいえ、ポリスの発展やローマの衰亡などについて読むのが私は好きなので、それなりに面白く読ませてもらった。ヘロポネス戦争やデロス同盟、アテネとスパルタについて人間について考えるときのよすがになる。結局、極端な方向に行動を振れば、過去のどれかに当てはまってしまう人間の行動を知るには過去を知っておくに限る。この本は100円だったのだが、その程度はペイした本だと思う。