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2006年11月28日

世界の歴史 <6>

J. M. ロバーツ
創元社 2400円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 このシリーズはとても面白い。日本人の大学教授さんたちが編纂した教科書に「面白いものは存在しない」のはなぜだろうとつくづく思う。山川の教科書を読んで歴史に興味を持つ人はいないでしょう。ちゃんと世界を探せば、バランスがとれた「読ませる」教科書が存在しているのですね。高いけど、質が高いです。

 この巻は、世界史が「結合」していく過程を扱っています。大航海時代、という言葉でくくられる時代。それぞれの地域がそれぞれの歴史をたどっていた時期は過ぎ、どの地域も互いに影響しあうようになる。それは航海術、貿易、武器、領土拡張などだが、世界中に伝搬していく過程。今までと違うのは、影響が自分に短時間で跳ね返ってくるというところにあるようです。

 そういうダイナミックな状態を綺麗な図をつかって説明してくれる。こんな教科書をまともにとりあつかっていたら高校生は世界は受講する、きっと。

2006年11月25日

ロンドンゆきの飛行機の中で読む本

三澤春彦
光人社 1600円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 ロンドンでの生活経験者からロンドン旅行者・生活者へ送るちょっとした知識、TIPS集のようです。内容は良いも悪いも無く、「へぇー」という雑誌とは違う感じの話題が中心で、病院なども紹介されていますので、読んで損はないです。こういう本では情報よりも「語り口」が大切で、この本は合格ですね。ただし、これを読んだとしても、イギリスで生活するための情報源としてはいろいろ心配は残りますが。

2006年11月23日

イギリス式生活術

黒岩徹
岩波新書 700円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 イギリスについていろいろ知る必要ができたので、とりあえず手にした本である。岩波新書だから、まぁ、大丈夫だろうと。最近いろいろ新書シリーズがでているが調べものをする取っ掛かりになる新書というのは、岩波、中公、講談社くらいなものである。あとは、無理やりネタにしているものがおおく、消えていくだろうなぁとこういうときにしみじみ思う。

 イギリスではこうしましょう、こうしてはダメ。こんなことに気をつけましょう。まぁ、そういう事を知りたいのだが、この本の前半1/3はそれに答えてくれた。内容も書きかたもちょうどよい。面白いなぁと思っていたところ、残りはダメでああった。要するに内容がイギリスの話ではなく、ただのエッセイなのである。世界中の時事ネタ。各章の書き出しはイギリスについてなのだが、1段落以後は世界の話になってしまう。

 ちょっと失敗したが、この著者の本はもっと以前の本を当たってみたほうがいいかもしれない。

山本勘助はいなかった

山本七平
ビジネス社 1500円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 山本さんの本は「勉強」になるのでなるべく読むようにしている。しかし、なぜ、今でも新刊が続々出版されるのかちょっと不思議である。この本は、ビジネス書として再編集した武田信玄についての歴史談義である。日本史についてあまり知らないので、この武田信玄像はどの程度一般に流通している武田信玄像と違うのか判断できない。司馬遼太郎さんの本をリファレンスにしたいところが、あいにく武田信玄についての本は読んだ事がない(あるのか?、あるだろうけど)。
 ビジネス書で戦国時代を扱うとリーダ論にならざるを得ない。そんな人は戦国武将を人間の分類タグにして妄想しているのだろう。それがビジネスにどの程度役に立つのか、私はビジネスマンではないので分からないのだけど、たぶん「人間を型に当てはめて、そう決め込む」だけにしか使えないような気がする。
 それで、この本であるが、淡々と武田信玄について語っている。私は「へぇ」というだけである。正直、物足りない。が、しかし、山本さんが話してくれていると思えば、それだけで楽しいのだけど。

異端の脳がホンモノ

竹内薫・茂木健一郎
だいわ文庫 743円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 文庫だから新刊なはずはないよなぁと思い、ぱらぱらめくってみると「茂木さんが初めて書いた」といある。昔出版された本を再編集したのだろう。読んだことは無いので、買ってみた。
 どうなんだろう。前半と後半でテーマの乖離が激しい。前半は、どうでもいい本である。いや、雑学くらいにはなるだろうけど。後半は、ちょっとまじめに書こうとして未完成な感がある。脳の最新知識を盛り込もうとしてる姿勢は面白いのだが、視点が玄人好みなのかもしれない。池谷裕二さんのエッセイような感がある。

 正直買わなくてもいいように思う本だった。売れっ子になった後に出版される本は、気をつけないといけないなぁと、改めて思った。

やわらか脳

茂木健一郎
徳間書店 1500円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 茂木さんのブログを再編集してまとめた本。当然だが、エッセイの原形のような記事である。自問自答や怒りをぶちまけているような者があったり、前後関係の説明がはっきりしないものがあったりする。茂木さんのような方でも、ブログって粗削りなものなのだと分かる。しかし、幾ら再編集したとしても、1500円は高いかもなぁ。

 最近はきっと忙しいのだろうから、あまり多くの本は出版できるはずはないと分かっていながら手をだすと、やぱりがっかりしてしまう。

2006年11月19日

住宅の射程

磯崎新・安藤忠雄・藤森照信・伊東豊雄
TOTO出版 1600円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 ひさびさに建築についての本を読んでみた。といっても、建築家の素養がない私は建築家の話を聞くだけのだが、それでも昔憧れていた職業の雰囲気を取り戻すことができるので休日には持って来いの本である。磯崎新を初めとしてこの4人は素人の私でも知っている有名人なので、ちょっとうれしい。

 内容だけど、キャラクターって変わらないなぁと納得してしまう。磯崎さんや安藤さんは相変わらずキャラも発言内容も表現方法も7,8年前に建築に興味をもっていろいろ本を読んでいたときと同じである。「住宅は建築なのか?」なんて、磯崎新しか大声で言いそうもない気がする。この講演はプロの卵宛てにしてものなのだろうとは思うが、それにしてはちょっと物足りない感もある。もっと思想のようなものを語ってくれるといいのになぁ。

それでもがん検診をうけますか

近藤誠
文春文庫 486円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 医療業界もペテン氏の集まりだとうことがよくわかった。なんでまた、人間を食い物にする集団が後を絶たないんだろうか。近藤さんという著者に会えて、命拾いした感がある。

 ガン検診には意味がない。肺ガン、胃ガンの検診は実質効果がないことが世界レベルでは既知であり、大腸ガン、子宮ガン、乳がんもその検診の有効性は見いだされていない。それなりに、なぜ国を挙げて実施されているのかといえば、データのいんちきな解析・解釈であり、その結果生じる検診産業の飯のたになるからだ。要するに、社会にいる人をかたっぱしから百害いあって一利無しという検診装置にぶち込んで、どうでもいいような「がんもどき」を発見し、治療と称した切った貼ったを行い、検査費、治療を稼ぎ取る装置になっているのだ。そこには、人のためなど考えていない「偉い人」がいるわけで、それにリエゾンとして技師だの事務だの業者だのがぶら下がっているのだ。なんだかどこでも同じ構図なのだから、やり切れない。少なくとも、私は金輪際がん検診など受けることはないだろう。

 がんの分類を単純に考える。(1)転移するがんは助からない、(2)転移しないがんは助かるかる公算が高い。(3)早く成長するがんと、ゆっくり成長するがんあり、ゆっくり成長するものはそもそも「寿命」までかかえても問題ない。早いものは当然症状がでてくるので、その段階で処置すればよい。問題は、転移するがんは検診で発見できるよりも小さいときに転移していまうので、検診には意味がないということだ。転移する前に発見すればいいというのが早期がんの発見を推奨する根拠で、じつのところそれは不可能に近い。とうことは、がん検診で見つかるのは、ゆっくり成長するがんであって、それは自覚症状がでてから処置をしないと、余計な手術で臓器を奪われ不幸への道をまっしぐらになってしまう。不条理なことに、余計なことをしておいても医者は「感謝せよ」といってがっぽり稼ぐことになる。まぁ、建設業界でも道路業界でも、根は同じ連中がやっているのだ。実に阿呆くさい。

 なぜ、池田さんがこの本を紹介しているのかよくわかった。結局この本も、圧力がかかって絶版になってしまったようだ。社会というのは、人間を食い物にしている装置が至るところにあるようだ。

"一般的にいまや人間ドックをふくめ検診業務は、病院にとって、重要な収入源です。検診をすることによる収入があるばかりではなく、検診で発見した病気を治す過程でまたもうかる、という一石二鳥の構造があります。それがゆきすぎると、ささいな異常所見を協調して、病気や病人をつくりだすことにもなってしまいます。
 それにしても、検診部門の構えだけは立派で、一般外来や病棟はうす汚い、という病院が多々あります。それは構えを立派にして、なんとか一般人をよびこんで病気を発見して病人に仕立て上げ、仕立て上げてしまえば逃げないから、きたいない外来や病棟に送り込んで収支を改善しようという、アリ地獄的発想が根底にあるのです。”

 なんとか検診を受けさせよう(カモを沢山引き込もう)ということになる。

”ひどい話ですが、ひまなときには精検(精密検査)率を高め、忙しいときには精検率を下げている検診機関もあるといいます。
 つまり、検診機関やそれと関係のある医療機関では、毎週何人かの検査受診者があることを予定しているのです。予定した数の精検受信がないと器械や技師があそんでしまうし、経営にもさしつかえあることになりますから、要精検と判断する率を調整して、精検受診者が絶えないようにしているのです。”

 検診を受けたら必ず病気になる。異常なし、だと「保険料がおりない」から。

 日本の社会は、じつに馬鹿馬鹿しい落とし穴が沢山ある。また、ひとつ生き残る知恵を得た感がある。まぁ、医者ったって、薬害エイズの悪党であった阿部という人や、そもそも、製薬会社の創立者は731の幹部だったということから、医療にも悪いヤツが多いのだろ。普通の職業人の集団である病院というものは存在できないものか。まったく、いやな世の中である。

2006年11月18日

科学教の迷信

池田清彦
洋泉社 1900円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 ”システムもまたDNAが作ったのだと、ナイーブなネオダーウィニストたちは考えているのかもしれない(このような幼稚な考えは、たとえば、「個体は遺伝子の乗り物である」と言った言明に端的に表れている)。しかしこの考えは、検証するまでもなく、論理的な水準で破綻している。”

 要するに、ドーキンス、アホちゃうかというわけである。「生命は遺伝子の乗り物」という利己的な遺伝子という本については、最初はへぇと思ったがそのうちアホなこと言うなぁと思うようになっていた私は、構造主義生物学を知るにいたって、「ドーキンスは間違っているな」と確信した。DNAと遺伝の考え方について、一般の人にはどう関わりがあるのだろうか? アメリカのセレブの世界で流行しているという遺伝子の冷凍保存は「アホやな」と思ってニュースを見ればいい程度のことか。人間の能力は遺伝子が決めているから、しょうがないのだと思う程度なのか。池田さんは、DNAについての話と才能のあるなしについては、両方語っているけど関連についてはたいして感心がないようなので想像するしかないが、才能はDNAが決めているとは思っていないと思う。ただし、才能の違いは純然と存在するとも思っている。まぁ、当たり前なのだが。

 この本では、構造主義生物学と同時に「論文を書かなければなんらない科学者という職業」について、国家レベルでのペテンの構造とその例である温暖化問題、国家が個人に干渉するなという主張について語られている。このような話は、まぁ、他のところでは読めない。しかも、池田さんの発言は、私の経験と照らし合わせても正しいであろうと思うので、ついつい感心して読んでしまう。

 この本を含め何度か紹介されている医療行為について、別の本を読み始めているのだが、これが面白い。もう、ガン検診など受ける気がしない。結局、他人なんてどうでもよい、そんな事より、いかにして自分たちの権威を保持して、設けるのかという人間くさい医者の行為、医療組織の行為を知ることができるのだが、それについてはその本を読み終わったあとで。

生きる力、死ぬ能力

池田清彦
弘文堂 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 一般公演を本にしたもののようである。生命の発生について、人間社会についてをテーマに「ですます」調のやわらかい説明である。だからかもしれないが、「なるほど」というズバっとした切り口は少なく、物足りない感がある。ただし、根尾・ダーウィニズムはうそであるということや構造主義生物学のさわりが語られているので、取っ付きやすいかもしれない。ただし、その説明は別の本にあるものなので、何冊か池田さんの本を読んだ事があるのならば退屈するかもしれない。

やぶにらみ科学論

池田清彦
ちくま新書 700円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 やぶにらみ(斜視)している対象は、「科学」と科学である。つまり、一般に「科学的」と表現される結論なり知識なりについて「それは科学的でない」ということを主張しており、また、そもそも科学という人間の考えかた・行為についても、それが人を幸せにする部分としない部分とがあり、著者は科学を全面信頼できないと言っている。引き合いに出される内容は著者が感心を持っている分野だし、論理も明解な故に非難されるほうは「身も蓋もない」ことになる。言われたほうはむかつくだろうなぁ。だから、池田さんの本の一般の評価はamazonでも☆が5個と1個とに二極化している。

 ”温暖化脅威論は地球規模のマインドコントロールかも知れないことを喝破している。気候変動論の最大の弱点は、気候の正確な長期予報は原理的に不可能なところにある。”

 このテーマについては別途本で語っている。言われてみれた、はたと気付く。少なくとも、暖冬だと予報がでて暖冬だった試しってあまりない。スパコンをつかっても半年レベルの予想もつかないのだ。しかし、一方で計算機にシミュレーションを見せられると「それがホント」が本当のことのように思えてしまう。なるほど、確かに単なるマインドコントロールなのかもしれない、環境問題は。いや、砂漠化していることは確かだし、アマゾンの森林が減っているのも確かだが、それが氷河期とのメカニズムにどう関係するのかは、「よくわからんだろう」というのは、計算機シミュレーションの現状をから考えても納得できる。たぶん、温暖化についてはよくわらんのだ、本当は。

2006年11月12日

さよならダーウィニズム

池田清彦
講談社選書メチエ: 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 自然淘汰という考え方はそんなにおかしなことではない。キリスト教原理主義者でもない私には、ダーウィニズムは「そうかもしれない」という程度のレベルで受け入れらる。また、DNAと突然変異を考慮したネオ・ダーウィニズムも科学的な帰結だといわれれば、そうなんだろう。そう思っていた。ただし、「性能がまわりよりも良いものが、結果的に生き残る」という考え方では説明できない事実も人の臓器や昆虫の不思議のような読み物で知ったことはたしかで、これまで引っかかっていたのだ。それが、この本を読んで、「ダーウィニズムは根本的におかしいのだ」ということを知った。これは、久々に衝撃的な科学的知識である。


 ”考えてみると、ブルアントの巣のなかに入るには、ブルアントそっくりな科学的な物質を擬態しなければならない。これは徐々に擬態していくわけにはいかない。徐々にやっていたのでは、その間に殺されてしまう。”

 ”自然淘汰では、普通の擬態の説明はうまくいくが、そうではない化学擬態や免疫擬態が説明できないのだ。ということは、もしかすると普通の擬態も一気に擬態している可能性もないわけではない。”

 ”DNAそのものの変異はランダムだとしても、システムに許された変異しか選ばれないのだから、生き延びて自然淘汰(外部選択)がかかるDNAの変異はランダムではないのである。”

 ”魚類という、脊椎動物のなかではプリミティブなシステムの上に、新しいシステムを開発したのが両生類で、両生類は、魚類のシステムを全部持っている上に、さらに何らかのシステムを付加したものだ。sらにその上に新しいシステムを付加したのが爬虫類になる。”


 環境に適応したものが、徐々に生き延びていき、その数を変えていく。それが進化につながる。しかし、実際には「それでは間に合わない。ありえない」ことが多いのだ。一気に擬態しなければ、生き残れない生命の擬態をネオ・ダーウィニズムでは説明できない。ならば、この節は間違っているとしかいいようがないではないか。

 構造主義などをもうすこし勉強してみよう。

2006年11月11日

科学はどこまでいくのか

池田清彦
筑摩書房: 1100円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 池田さんの著作は、別の本を読んでいると予言がでている。というか、気になったたびに別の本でまとめて書いている。だから、一冊よりも多くを読むのが楽しい。関連していることもあるが、一人の人がどう考えを構成させていくのかを知ることができるから。

 この本もまたまた「身も蓋もない」ことばかりである。科学というか、論文を書く世界で時を過ごしたことがある人ならば、誰でも感じる疑問や矛盾点をずばり言葉で表現しているから。そういう発言ができる理由は、おそらく、(1)高額な研究費を必要とする研究をしていないこと、(2)経済的自立の基板を持っていること、があげられるだろう。この2つのことは、科学を遂行するうえで実は前提になるものなのかもしれない。職業でやる人は「結局自分が偉いをことを見せびらかしたいだけか、だれかに媚て金をもらおうとしている」ことが本当の動機だから。ただし、こんなこと言ってしまうと「身も蓋もない」のだ。

 ”要するにパラダイムが確立して、学会が設立され、学会誌が刊行されるようになると、凡庸で保守的な研究者は有利になるが、天才的で革新的な研究者は不利になりやすい。制度化され細分化された科学は、凡人の凡人による凡人のための科学なのである。”

 ”加速器の建設というのは、とてつもなくカネがかかる大事業である。最新の加速器を造るには数千億円以上のカネがかかる。それでは、次々に新しい加速器を造らなければどうなるか。素粒子物理学は新しい情報を生み出す力が衰えて、魅力を失い、優秀な人材の流入がストップして、衰退せざるを得なくなるだろう。
 これは何を意味するか。科学は一般に、モノとカネをコンスタントにつぎ込んでいるだけでは、新情報を生み出せなくなり、衰退する可能性が強いのである。科学というシステムは、システムに流入するモノ・カネ・ヒトが増大し続ける限りにおいて、健全に機能する運動体なのである。特に最先端の科学では、この傾向は極めて強い。これは科学が知識累積的な営みであることに、もちろん強く相関している。”

 ”科学に優秀な人材が集まらなくなると、モノとカネをつぎ込んでも、質の高い情報を産み出すことが困難になってくる。これは、科学から情報を資本として、新技術、新製品を造り出し、金もうけをしようつする資本主義にとって由々しき自体である。”

 ”例えばノーベル賞をとるためには、ほかのことにはわき目もふらずに研究しなければならない。競争に勝ち抜いてノーベル賞をとって、社会的な発言力を獲得しても、政治や経済や社会や文学や芸術に対する知識は素人と同じであるから、発言を求められても、そのへんのオッサン以上のことが言えるわけのものでもない。”

 ”科学者がエリートであり続けることと、科学が自己増殖を続けて科学者の数が増えることは矛盾する。科学の自己増殖性は科学のバブル化と空洞化の原因なのである。”

 さて、これだけ身も蓋もない、かつ、本当のことを言われると目が覚めるし、自分の立ち位置をはっきり把握することができる。そして、自分がやっていることをさめ目で見れるようになる。だから、多く科学・工学の専攻のヒトに読んでもらいものだなぁ。

正しく生きるとはどういうことか

池田清彦
新潮OH文庫 505円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 全く身も蓋もない指針である。いかなる道徳書も哲学書も読む必要はないと思います、これを読んでしまったら。それくらいのインパクトのある本です。アマゾンで池田さんの著者を探すとたいてい「絶版」になっています。なんだかんだ言っても、圧力があるのでしょうね。結局、私の人生で「アマゾン・マーケットプレース」が与えてくれる本は貴重なことを教えてくれるものが多いです。

 道徳なんて、誰が「気もちよくなる、自分が偉そうに感じる」ためにつくったお話で、たぶん本人も実践しておらんだろうと思っていた私は、池田さんの発言に納得します。

”他人は、自分とは異なる規範を選ぶこともあり得る。他人の選んだ規範は、自分の選んだ規範と原理的に等価である。さしあたってこれを承認すること。これは正しく生きるための第一歩である。自分の選んだ規範と他人の選らんだ規範が、齟齬をきたし衝突する時、どのような調整をどう行うのか。これは次の問題である。さらに、様々な個人的な規範をもつ沢山の個人がいる中で、個人的な規範を調整する一般的(理想的)な方法 はあるのか。これは第三の問題である。”

 対称性ですね。大抵は「偉い人」かどうか、マスコミのように「物語としてよいか」どうかで判断しちゃいますけど、本来「どっちだっていい」んですよね、大抵のことは。人間以外に根拠がないことで、大抵の問題はもめているのです。逆に言えば、人間以外に根拠がないからいつまでももめているということになります。

 こういう発言を聞くと、怒り出す人がいます。早いところ逃げた方がいいのです。「法はお前よりも重要なのだ」という人は、みんなのためというより「自分のため」に言っているのです。

”法は道徳を守るためにあるわけでも、人の心を左右するためにあるわけでもない、犯罪防止するためにあるわけでもない。単に法を違法したした人を処罰するためにあるのだ。”

 実に単純なことです。でも、社会などバカの集まりでそれをオレは支配するのだ、と思っている官僚(高級官僚はみな例外なしにそう思っていますよ、彼らと甲乙で仕事をする機会を持った人は知っています。)は、支配装置が脅かされるから困るのだろうなぁ。まぁ、そんなものを潰すことよりも、どうやって生きていこうかを始終考える道を私はとりますが。

やがて消えゆく我が身なら

池田清彦
角川書店 1300円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 身も蓋もないエッセイ集。他の本よりもマイルドなのは、掲載していた雑誌のトーンに合わせたためなのかもしれない。池田さんの主張は「全く自然」に感じるのは、根本的なところで似た価値観を持っているからかもしれない。もっとも、私は普通の人なので、比べることはおこがましいのだが。例えば、

"会社でイヤな役目を今年か来年引き受けなければならないとしよう。上司はきっとあなたにこう言うだろう。「どうせやらざるを得ないのだから、早くやってしまった方が精神的に楽だよ。それに、客観醸成からして、来年は今年より大変なのは確実だからね。」でもねぇ、と私は思う。会社今年の暮れまでに潰れてしまうかもしれないし、あなたも今年中にリストラされてしまうかもしれない。それいそのイヤな役目は会社の都合で今年限りで廃止になるかもしれないではないか。”

全くその通りである。あるいは、

”最悪なのは、子供はみんあキラキラしたすばらし才能をもっているという何の根拠もない予断の下に、すべての子は個性を発揮して輝くべきだ、といった愚にもつかない思い込みを子供に押し付けることだ。断言してもよいが、ほとんどの子は人並みの才能しか(すなわち何の才能も)もっていない。”

 人間の現実を直視し、現実の社会をマスコミの押し付けをはがしてみれば、そうとしか言い様がない。政治や社会に悪など存在しなくても、普通の人で構成した社会が「機能する」ことが軌跡な感じがする私には、子供だからといってなにか特別な存在のように扱う「物語」と「その物語のフリーク」には私もうんざりしている。実に池田さんの言っている意味がわかるのだ。

他人と深く関わらずに生きるには

池田清彦
新潮文庫 362円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 生き方の指標である。基本原理は「対称性」。ある人の主張が「よい」か「わるい」かを判断するのに「対称性」があるかどうかを探すとよいのだ。しかし、そもそも、あらゆることに「絶対的な根拠などない」ということをお忘れなく。なぜ人を殺してはいけないのかという言葉が流行したときに、宇宙の視点からながめると「そんな根拠は存在しえない」という私なりの結論と通じるところがあったので、池田さんとは気が合うかもしれないと思った。

 ”法律を守るためにだけに法律を守っているのはバカである。”
 ”官の威光がどんなにすごいかを民に見せつけるためにやっているとしか思えない。殺人犯を捕まえるのは大変だけど、シートベルト未装着の運転手をつかまえるのは簡単だもんな。”
 ”交通信号というのは、交差点に同時に車や人やらが入ってきた時に、どちらが優先かを決める便宜のために作られたに過ぎない。元々、便宜であったものを金科玉条にする。これを原理主義という。だから青信号で道を渡っていて車にはねられる人が後を絶たないのではないかと私は思う。”

 身もふたもない。先日も車が全くこないのに赤信号で待っていて、青信号になったら脇目も振らず全速力で自転車を横断した小学生を見たが、あれはろくなヤツにならんだろうなぁ。

脳は何かと言い訳する

池谷裕二
詳伝社: 1600円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 暇つぶしには良いエッセイなのだが、池田清彦とかベンヤミン・フルフォードとかを読んでいる最中に読むと「なんとつまらん本なのだ」と思ってしまう。もちろん、この人は一流の科学者であり、エッセイの内容も最近の研究雑誌からネタをとっているので、サイエンス・ライターさんのものよりも質は高いだろう。私個人が読むタイミングを誤ったのかもしれない。

 みのもんた的な「こうすると健康に良い」という話は、例え確からしいものであっても、どうでもよいと思う私にとって、興味深いエッセイは「血液型」に関する考察についてであった。A,B,AB,Oという血液型のバランスはシミュレーションを行うと将来一つの型に収束するのではないかという結果がでたというもの。現在の血液型構成比は過渡的なもので、O型の人は減るだろうということだ。だからなんだ、という気もするのだが。

 つまるところ、本にして読むほどのことではない。本人も「口述筆記」したと言っているくらいだから、要するに与太話である。

日本のマスコミ「臆病」の構造

ベンジャミン・フルフォード
宝島社文庫: 600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 マスコミの実業についての紹介。記者クラブにいて、そこに投げ込まれる記事や張り出しの記事、あるいは、記者会見が「取材」であり、その要約を文章にまとめることが実際やっていることだということがよく分かる。当然、政や官、闇の権力にやすやす取り込まれ、取材結果は「都合のよい物語」になっていく。その鬱憤は、政や官、闇の権力ではない方向に向けられるという、毎日目にする光景へとつながっていく。変な正義感などもたずに読むと「なるほどなぁ」と理解できる。とても良い本である。当然、宝島からの出版になる。

 給料がよければ余計なことはしないだろうし、かといって、意味ないところで力を発揮させるマスコミの力学がよくわかる。それを是正するなどということはおこがましく、そうやってその環境で生きていくかによるのだ。新聞やTVは電通だと思えば腹も立たないだろう。

 この本のなかで、著者は面白い視点を提供している。マスコミの力学を理解すれば、信用できる情報ソースは、右翼街宣車、週刊誌、雑誌、新聞・テレビ、NHKなのだそうだ。なるほど。本当のことを隠す作業をしている人にとって、本当のことを言われると一番堪える。そういうことなのだろう。こんど街で遭遇したら、ちょっと聞いてみるか、という気になる。

 それにしても、人は情報よりも「物語」しかも「勧善懲悪」の物語が好きなんだなぁ。世の中にそんなものは起きないことを身とめれば、大抵のマスコミのニュースは「物語になるように」構成されていることに気付く。つまらなかったり、断片だったりする記事をいかにうまく取り込んでいくのかが、世の中での身のこなしになっていくのだろうか。

脳死臓器移植は正しいか

池田清彦
角川ソフィア文庫: 552円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 少し前に購入し、どこかへしまったままになっていた。先日大掃除をしたらでてきたので、読んでみた。ぐうの音もでない。身も蓋もない。私が感想を書くよりも、いくつか言葉を拾ってみる。その方が役に立つだろう。

" さらに、ここへきて、脳死者は本当に死んでいるのか、という根源的な疑問がはっきりと浮上してきた。一つは脳死と判定された人にラザロ兆候と呼ばれる複雑な動きが見られる事例が多数報告されていることである。ラザロ兆候とは脳死と判定されて人工呼吸器をはずされたり、脳死判定の無呼吸テストを施された直後に、腕を胸の中央部や首の近くに動かす運動のことだ。さらには顔面のけいれん等を含む自発運動も観測されている。”

” 二つ目は、脳死と判定されたドナーから臓器を摘出する際にドナーの大半が急激で激しい血圧上昇と頻脈を示すことがたくさん報告されていることだ。通常の施術でこのような兆候が見られた場合は、患者は痛みを感じていると判断され、麻酔薬の量を増やされるという。脳死ドナーも場合も、このまま何もしなければ、ドナーは動き出し、のたうち回りはじめるという。だから、ドナーからの臓器を摘出する際には麻酔をかけたり、もっとひどい場合は筋弛緩剤を投与されて強制的にうごけなくされてしまうのだ。”

” 執刀している医者たちが一番嫌うのは、脳死者から臓器を摘出するときに、苦しがってバタバタ暴れるようにしか見えない行動が出現する場合だ。”

” 移植推進派はそういう議論は全部ネグって、ドナーになることはすばらしいことだ、といったプロパガンダに余念がない。そして事あるごとに「ここに臓器移植でしか助からない子がいます。一方、脳死になったら臓器を提出してもよいと言って下さる善意の人がいます。それでもあなたは臓器移植に反対できますか」と言っている。「いま、お国は存亡の危機にただされています。自分の命を犠牲にしてまで国を救いたいと考えている特攻隊の若者がいます。あなたはそれでも戦争に反対できますか」という言説とどこが違うのか。”

結局、交通事故を頼りにした人間の狩り場ができ、それによって医療産業に税金を投入してもらうという構造できるので、よくある「官と民の一部の人の癒着」という関係に落ち着くことになる。そんなもの関係を維持するためのプロパガンダだってことが、よく分かってしまう本である。しかし、身も蓋もないことを教えてくれるなぁ、この人は。