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2007年6月28日

ジェネラル・ルージュの凱旋

海堂尊
宝島社 1600円

前作にある話とこの本の2冊の内容が並列に進んでいく。
相変わらずキャラが立っている。
お勧め指数 □□□□■ (4)

 一気読みをしてしまった。冒頭からの30ページくらいは前作『ナイチンゲールの沈黙』とかぶっている。2作目を読んだ直後にこれを読むと戸惑うことになる。一ヶ月くらい間をおいたほうがよいだろう。

 なぜ、冒頭が前作とかぶるのか。それは「時間的に並列な事件」を記述しているからである。前作と同時期に起きている事柄をこの巻で扱っている。面白い。前作についての背景説明などないので、前作を読んでいるほうがよりこの巻の話を楽しめる。このような手法、「別の本と絡まって話が進む」タイプの小説を読んだのは初めてなので新鮮だった。

 内容についての説明は当然できない。「いい感じ」の流れであった。小説はこうでなくっちゃ。そういう出来である。現役の医者だからこそ書ける内容である。なんらかの「モデルになる事実」がありそれを妄想と一緒に発展させたのだろう。仕事をしながら「ああだったらいいのに」という業務上の問題と「あの人との関係は」などのゴシップをうまくからめていくと、100%想像では難しい領域に踏み入る事が経験が浅くても可能になるのだろう。

2007年6月26日

地球を斬る

佐藤優
角川学芸出版 1600円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 一つの記事が2ページに展開されている新聞連載を集めたもの。きちんとした背景説明や論理展開のスペースがないため外交評論になっている。鋭い「見立て」が展開されていない。読み切り記事の良さと悪さが同居しているエッセイである。

 このような新聞記事は役所には影響力をもつ。NHKのニュースや特番や新聞記事に役所の人間は敏感に対応する。市民団体の抗議など屁と思わない人たちであろうがマスコミには弱い。その修正を逆手にとって佐藤優がいろいろ提言している。ただ、偉い人は基本的に人の言う事は聞かない。社会がどうなろうとも自分のメンツを優先させる。だから、この本での提言は採用される見込みはないような気がする。

 野球解説者と同様、そういう評論は観客ではなく先週に言ってくれ、と突っ込みたくなる。評論家の提言を選手がどう思うのかは知らないが、多分採用されないだろう。無視するか反対のことをする。おそらく、この本の記事に展開されている日本外交への提言もそれと同じ扱いになるだろう。それに、細かい戦術を新聞などのメディアにのせたら「バレバレ」の戦術になってしまうので、そもそも外交に使えない。よい働きをしたとみられる役人にエールを送ったりしている。部下から褒められるよりも上司から褒められるのを望む人たちが、評論家の称賛をどう思うのだろうか。佐藤優はそんなことを百も承知で書いているはずだから、本人の狙いは別のところにあるのかもしれない。

 読者にサラリーマンやビジネスマンを想定している。彼らが外交について知ったとしても戦力にはならない。ただし、くだらない床屋談義をしなくなるかもしれない。佐藤優の狙いはそちらの方にあるのかもしれないが、本当のところは分からない。

2007年6月22日

ナショナリズムという迷宮

佐藤優+魚住昭
毎日新聞社 1500円
「思想とは何か」など、市井の人にとって考えた事もないことから語り始めてくれる。
お勧め指数 □□□■■ (3)

 のっけから引き込まれる。

魚住 まず議論の前提として思想とは何かという話から始めましょう。私の中にはとても浅薄だけど拭いがたい疑念があります。それはいくら思想、思想と言っても、戦前の左翼のように苛烈な弾圧にあえばすぐ転向しちゃうのじゃないかということです。特に私のように臆病な人間がいくら思想をうんぬんしたところで仕方がないんじゃないかと。
佐藤 魚住さんがおっしゃる「思想」というのは、正確には「対抗思想」なんですよ。
魚住 どういうこと?
佐藤 いま、コーヒーを飲んでいますね。いくらでしたか? 二〇〇円払いましたよね。この、コイン二枚でコーヒーが買えることに疑念を持たないことが「思想」なんです。そんあもの思想だなんて考えてもいない、当たり前だと思っていることこそ「思想」で、ふだん私たちが思想、思想と口にしているのは「対抗思想」なんです。

 なるほど。思想とは考えのベースになっている「当たり前のこと」なのか。であれば、自分がどんな思想を持っているのかは相当客観的に意識しないと認識できない。また、考えのベースになっている「当たり前」ことに意義を唱える「対抗思想」は、感情的に「良くないもの」と判断される。思想を持つ人は怖い、という言葉は、正確には「対抗思想は怖い」と言っていることになる。なんとも、いろんな事柄、連続的に納得することができる。

 「キリスト教思想史」のような「〜思想史」を勉強すれば思想とは何かについて考えるのだから、このような「本人が、社会が当たり前だと思っている約束事、あるいは価値」を思想と呼ぶと知っているのだろう。しかし、そうではない人は

人がもつ,生きる世界や生き方についての根本的な考えで,その人の生き方・考え方を規定する。社会的・政治的な性格をもつものをいう場合が多い。(新辞林・第三版)

のうに、わかったんだかわからないのだかの説明を聞いて忘れてしまう。そして、マスコミ等で「思想」について語られると、事実を分からないまま要するに良くないという結論に誘導されてしまう。

 この本では、戦前戦後の政治史、差別、マスコミについて分かりやすく語ってくれている。こういう対談では、対談者が両者ともに切れる人であるより、ちょっととぼけた普通の人が突っ込みを入れながら話題を展開してもらったほうが分かりやすい。

 余談だが、この本はアマゾンで買ったのだが、今は全くアマゾンのデータベースで検索できなくなっている。品切れの場合は「品切れ」と表示されるはずなのだが、本が存在しないことにになっている。何かあったのだろうか。

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2007年6月20日

自壊する帝国

佐藤優 新潮社 1600円

国が滅びるときは帝政末期のローマのようだ。
お勧め指数 □□□□■ (4)

 ニュースを見て愉快に感じる外務省関係の報道は全くない。一市民の大衆から見て「うまい事やるなぁ」という仕事の面の意味での評価ではなく、ろくでもない役人気質がらみの事件への感想があるだけだ。要するに「なんでこんなやつら必要なんだろうか」というごく不通の市民がもつ感想である。

 しかし、佐藤優だけが飛び抜けているのかどうかはわからないが、この本に書かれている行動が「外交官の仕事」であるとすれば、なるほどたいした仕事であり外務省の本来の仕事内容を多いに尊敬してしまう。司馬遼太郎の明治初期のマリア・ルーズ号事件の際の日本の外務卿であった副島種臣の話をどこかで聞いたことがある。私のもつ「外交官」とはかくあるものだ。でも実際の外務省の人は、報道されているように、官房機密費で馬を買ったり高級レストランで毎日昼飯を食べたりすることが目的なんだろう。平然と使途不明金を使ってもバレる仕組みがなければ人はダメな方向へ落ちていくに決まっている。なぜ、機密費なんてものがあるのか、その歯止めとなる仕組みないのだろうかと訝るのもごく不通の市民がもつ疑問である。

 外交官の仕事がこの本にある佐藤優のとった行動を指し示すならば、なるほど経費というか機密費というものが外交にといって必須であることが理解できる。決済書にいちいち理由を残せないものある。だから、機密として組織長が決裁する仕組みが必要なのだ。外交官の仕事はつまるところ「交渉」であり、そのための「情報獲得」と「現状分析(見立て?)」と「戦略・戦術立案」および「実行」が実務である。そして、その対象は全て「人」である。人から物を聞き出すには相手に合わせる必要がある。情報持っている人が地位のある人ならばそれ相応に会う場所で交渉や下相談をする必要がある。そもそも、交渉以前に仲良くなり、信頼関係を築く必要がある。ちょっと考えれば、実に気が遠くなる話だ。それにはかなりの額の費用がかかる。仮に地位がない人でであっても、その人が有力な情報源ならば資金的な意味を含めての援助をする必要がある。金がなくては話の発端も作れない。要するに、相手が自分を金銭的な意味も含めて、人がもつ知識や思想などを信頼してもらえるように行動することが仕事のキーポイントになる。費用捻出もそうだが、そもそも「人」に興味がある人でないと勤まらないだろう。「自分がどう扱われるか」にしか興味がない人にはそもそも無理なのだ。試験上がりの人では不可能な仕事ということだ。

 西洋社会では「キリスト教」についての理解がどれだけあるかで、どれだけ社会の中に溶け込めるか決まる。宗教が忌避されていたソ連であってもそうだったようだ。佐藤優は同志社で神学を修めている。それだけでも西洋社会の内部へ入るパスポートをもっているようなもので、逸材だろう。また、本人の動機も継続して神学的な研究をしたいことにあるから、現地でも行動が積極的になる。東大では外国事情を、モスクワ大学では宗教について教鞭をとっていたくらいのレベルで見識がある。それだけでも食べていける能力がある。余談だが、そういう能力は公共の仕事の上層部に付くための条件にしたほうがいいのだろう。でないと、天下りのことを30代から考えるような人しか役所にいなくなるわけだから。

 もっとも、この本は「主催者側発表」であることを忘れてはいけない。いたるところに「薮の中」がある。あるいは、自分の希望が現実と沿うような記述や解釈があるはずだ。その可能性は割り引く必要がある。しかし、そうはっていってもこの本は「外交とは、ロシアとは、国が崩壊するときとは」について考えるのによい教材である。普通の人である私はこの本で十分満足だ。佐藤優のような外交官がもっと出て欲しいですよ、ほんと。

2007年6月17日

スーパーコンピューターを20万円で創る


伊藤智義
集英社新書 714円

なんだか悲しい気分になってしまうのは、著者の心情を察しているからか。
お勧め指数 □□□■■ (3)

 GRAPEの本が新刊で出ていた。「えっ、なんで? 今になって?」と驚く。重力の部分の計算だけを専用ボードで計算させるというGRAPEというアイディアには当時感心した。そういうアイディアを考えつき、しかも実行してしまうのはスゴイ。自分で作るから必然的に安いコストだし、回路も見通しがきくものになる。この問題に感心がある世界中の人がそう思ったはずである。やられたと。

 丁寧に書かれた新書なので一気読みができた。Project-X的な過剰な演出もない。渦中にいた人の目でみたGRAPEにまつわる人と事の流れが読み取れる。ただし、この本にはGRAPEの誇りを解説しているというより、ベースラインとしての悔しさのようなものが感じられる。著者が学生時代に原作を書いていた有名な漫画『栄光亡き天才たち』のような印象をうける。おそらくだが、著者は悔しいのだろう。もちろん、これはone-sideの見方であって、実際そうだったのはわからない。雰囲気は語る人の体調によっても違ってくるのだから。

 本文中に、最初に創った人よりも2番目の人の方が結果的に注目される、とある。これは発明、発見の2番目という意味ではなく、「性能がでない、見栄えしない」初号機よりもそれを改良・発展させた2号機くらいが一般の注目を浴びると言いたいようである。著者はGRAPEの初号機を作った。そして、それができたときに「とっても、簡単でした」を連発してしまった。その言葉を真に受けた人は、「なんだ、そうなんだ。では、この功績はアイディアを出した人と、実用的なものへと発展させた人にあるな。」と受け取られたのではないかと後悔しているようである。まるで、自分自身で書いた原作のような「栄光なき天才たち」の一人のように。これだけ成功していても、何か満たされないものがある。人間、面倒くさいものだ。

 それに関係してか、チームの意味について、一風変わった理解を述べている。チーム活動はオーケストラ(弦だけとか管だけとかも含むが)の演奏のようなものだといっている。個性をぶつけ合っても全体としては調和しているものがよいと。しかし、この理解は主張しないと周りに飲まれると言っているようにも受け取れる。つまり、GRAPEを設計するのは簡単だといったことへの後悔を語っているのだ。

伊藤の「GRAPE-1を作るのは簡単だった」という言葉は、GRAPEプロジェクトの内部の人たちにさえ文字通りに受け取れてしまう。 「GRAPE-1は簡単だから」「ズブの素人の学生にも」「作ることができた」その言葉は果たしてそうだったのか? あのときの登場人物が自分でなくても同じ結果になったのだろうか? いや、そうではないはずだ。

 そもそも、自分で簡単なものが他人には実はできないんじゃないか。自分のすごさを周りは理解してくれないんじゃないかと感じてもいる。

例えば、『栄光なき天才たち』が軌道に乗った頃、興味を持った大学の若手研究者からきかれたことがあった。 「原作の仕事って何をするの?」 「台本のようなものですね。セリフとト書きを書いて・・・」 「なんだ、絵は描いていないのか。それならオレにだってできるじゃないか」 伊藤は内心、「だったら、やってみればよかったじゃないですか」と思ったが、口にはできずに、「そうかもしれませんね」と答えた。

 この時期にGRAPEの話を出してきたのは、そういう疑心暗鬼に対する対策のように感じる。

 人は物語を求めてる。事実ではない。物語も「面白いもの」を求めてる。「英雄」の武勇伝ならば絶対に憶えてもらえる。そして、事実は忘れられる。この本の評価が3なのは、物語として弱いからだ。これは新書という性格上仕方がないが、キャラを実際以上に「たてて」しまえば、この本の話がメインストーリーになって語り継がれていくことになったはずである。どうなるかは、この本の売れ方とGRAPEの今後の活躍次第ではある。

2007年6月16日

一瞬の風になれ



佐藤多佳子
講談社 1470円(第一部)・1575円(第二部)・1470円(第三部)

もう一度高校生活を体験できる。しかも、立派なやつを。
お勧め指数 □□□□□ (5)

 三冊の厚さを感じさせないけれど、読んだあとにため息がでた。面白かった。まぶしかった。でも、疲れた。なんだかもう一度高校生をやり直した気分がする。女性作家だから現実離れした(ある意味女性の理想の)高校男子がでてくるのは仕方がない。言い面も悪い面もあるのだけど、それは小説だからよしとしよう。「好きだ嫌いだ」という話もこの世代には絶対に付きものだけど、この本は上手に扱っている。その流れに重きを置くと高校生より上の年代の人で離れる人が結構でてくるだろうけれど、この本は綿矢りさの『蹴りたい背中』のように絶妙に扱っている。読んでいるときに感じた感情の種類のそのレベルを総合的に判断すれば、小説としては満点の出来だろう。この本を読んで嫌な気分になる人はあまりないと思う。

 女性が高校男子の心理的側面を扱うのは難しいだろう。自分が男子だったとしても、内面は人それぞれだし、そもそもみな自分しか知らないのだし。テーマとして「成長」を強く扱う意図はないのか、主人公の考え方が時間を経て子供っぽいものから大人びていくというベタな展開はなかった。そうではなく、成長ぶりを行動(あるいは、クセ)で表現している。昔はそんなことやったよな、みたいな。去年、一昨年の同じ時期のイベントでの自分を振り返る形で「成長した」ことを読者に実感させる。この作品が映像されれば、主人公の顔つきや体つきが変わってくるところだ。

 で、テーマは何か。なんなのだろう。走ること、成長できたこと、仲間と協力して目標に向かって努力すること、自分の今いる位置は過去から未来へと色々な人が受け持って行くだろうこと(人生はリレー、みたいなもの)。道徳の教科書のようなものばかりだけど、こんな小説にのせてみると「そりゃいいなぁ」という気分になり、自らそういう目標のもとでがんばってみようという気になる。まさに高校生のような気分になれる。これが「元気のもと」。これから青春する人には憧れの生き方だろうけど、「青春は遠くなりにけり」の中年にとっても「あの頃に戻りたい」よりも「あの頃の気分になって、もっと一日一日がんばってみよう」という気分にさせる。給料が上がってもこういう気分にはなれないだろうから、お金では買えないものを本を読む事で得たことになる。

 単行本で3巻セットって無謀な売り方だよなぁと思ったのだが、出版社のもくろみは当たった。


2007年6月10日

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

佐藤優
新潮社 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 役所で一番大切なのは物語である。良い物語にはおカネがつき、つまらないものは消される。それはいかなるレベルであっても、いかなる種類の役所であっても同じ。これがこの本を読んだ感想である。

 普通の人は鈴木宗男や佐藤優という名前を聞くと、あっ、ムネオハウスの人ね。あるいは、あの大悪党ども。そういう認識であろう。政治問題に別段強い興味を持っていない人ならばそれですむ。悪いやつらが警察につかまった。そういう単純な理解である。このような犯罪についての真実を個人では知り得ないし、知ったところでどうしようもない。だから、マスコミ報道を疑うことはない。ハリウッド的な結末を物語を耳にして安心するというのが一般的な終わり方であろう。

 この本はその事件の犯人の一人とされた佐藤優自身が事件の経緯を綴ったものである。もちろん、その内容が全部事実だとは思えないし、そう期待しないほうがよい。記憶とは自分にとって分かりやすいように、都合が良いように整理される。また、受け入れたくない体験はどんなに正直な人であっても無意識によって封印される。だから、事実は人によって異なることになる。これが芥川龍之介の『薮の中』である。この本は佐藤優にとっての「事実」であるが、それが他の人にとっての「事実」かどうかは薮の中になる。ならば多数決原理はどうか。関係者の証言の多数決原理は本質的に意味がないようだ。自供をが一致する意味について、この本のなかでの検察側のテクニックとして紹介されいている。

 単なる自己弁護ならば、この本の内容ほどに興味深いものに成りえないと思う。この本は発売2年で23刷なのだから、関係者以外の普通の人にとっても面白いし勉強になると思われたようだ。もちろん、政治とはあまり関係がない私も興味深く読めた。読んでいると、「この部分は本当だがこの部分は丸めたな」という感じがするところがいくつもある。もちろん、それは私の想像でしかないのだけど。

 著者は「国家の罠にかかって逮捕された」のだと主張している。書名からそう判断できる。犯罪行為はしていない。私はやっていない。そうとも言っている。ではなぜ、この人の弁明が面白いのか。その理由は、具体的事例の説明に納得する事が多いからだ。例えば、なぜムネオハウスはあんなにしょぼいのかという疑問にきちんと回答している。著者は、「金が欲しかった」「権力が欲しかった」という動機を強くもっていないであろうことは、この本を読むとわかる。著者は東大エリートのような玉ではない。結局「おれが偉いのだ」に落ち着くタイプの人ではないようだ。面白い小説は例外なくキャラが立っている。そして、この話でも登場人物のキャラがたっている。だから、そもそもこの本は面白い。それだけで読む価値がある。

 養老孟司がある本のなかで「著者はロマンティストである」と言っている。読んでみて同意した。この本で説明された経緯が事実なのかどうかは知りようがない。それを議論しても仕方ない。それより、この人は何を主張したかったのだろうか。神学を専攻した経歴からわかるとおり、普通の人とは違う問題意識、違う価値観を持っている。その人が「常に国益を優先して行動した」といった場合の「国益」とは何をしているのか。よく分からない。一般人と佐藤優との間に勘違いがうまれるとしたら国益という単語の意味するところだろう。国民の圧倒的大多数は私も含め「熊さん、八さん」なのである。そういう人たちの利益を指しているのかどうか。

 この本で一つはっきりしたことは「国策捜査」というものがあることだ。要するに、政治的な理由により特定の人を逮捕することが目的で国が動くことがある。「事件があったので逮捕される」のではなく、「逮捕するために事件を探す」のである。罪をでっち上げるのではなく、逮捕の基準値を下げて微罪で逮捕するということだ。ならば、この手の事件において、マスコミの話を鵜呑みにするほどばからしい事はない。逮捕される理由は、実はどうでもいいことだから。著者が獄中から弁護士に送った手紙からの引用してみる。

・・・今回は、国策捜査の手法について、私なりの見解を記します。国策捜査の場合、『初めに事件ありき』ではなく、まず役者を決め、それからストーリーを作り、そこに個々の役者を押し込んでいきます。その場合、配役は周囲から固め、最後のカケラを『まっ黒い穴』にはめこむという図式です。役者になっていると思われるにもかかわらず、東京地検特捜部から任意の事情聴取がなかなか来ない場合は要注意です。主役か準主役になっている可能性があります。ストーリー作りの観点から物証よりも自供が重要になります。ストーリーにあわせて物証をはめ込んでいくという手法がとられます。私がかつて行っていた仕事の経験からすると、情報収集・分析よりも情報操作(ディスインフォメーション)工作に似ています。国家権力をもってすれば、大抵の場合、自供をひき出す事に成功します。特に官僚や商社マンなどは子供の頃からほめられるのに慣れ、怒鳴られるのに弱いので、ストリー作りのための格好のターゲットになります。情報操作工作の場合、外形的事実に少し嘘を混ぜ、工作用ストーリーを作り上げて行きます。ストーリーが実体からそれ程かけはなれていない場合、工作は成功します。国策捜査の場合、どの様なストーリーが形成されるかについて、私は注意深く観察しています。

 もし、真実はそもそも人によって違う「薮の中」ならば、捜査による事実解明は本質的に不可能になる。部外者が一番理解しやすい「物語」は何か。それが捜査のやること。この発想は、ホームズやポアロなどヨーロッパ世界が信じている「真実は一つ」という考えと矛盾する。日本人は、無意識のうちに「薮の中」を持っていて、真実は一つなどとは思っていないのかもしれない。だからこそ、「適当なストーリーをつくり人を逮捕するという仕事」に需要があり、それが正しい仕事とされている社会を作っているのかもしれない。

 こう考えると、国の活動のうち何パーセントくらいがこういう「物語作り」に費やされているのか気になる。ゴミ、医療、経済などいくら「物語」を作っても解決しない仕事は政治・官僚にもたくさんあるとは思うが、しかしほとんどの役人のほとんどの時間は、「物語」作りに費やされている。ならば作家にやってもらったほうがよい。少なくとも面白い話のほうがいいような気がする。

できる100ワザ・アフェリエート

小林智子+杉村崇+和田亜希子+できるシリーズ編集部
インプレス 1500円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 アフェリエートって一体何なのか。実際ちょっとやってみるか。そう考えていた時期に購入した。内容は親切丁寧で、この本の想定顧客層の人ならば満足するように編集されている。ただし、少しターゲットから外れた人には、もう一つ感が否めない。おれ、商品紹介サイトを作りたいわけではない。そういう気分になるから。

 せっかくブログを開始したいので、広告を貼り付けてみたい。それでどんな金銭のやり取りが生まれるのか体験してみたい。そういう人が不安に思いながら読み始めるにはちょっとピントずれになる。この本は「商品を紹介するサイト」を作りたい人向けなので、GoogleAdSensとかについての解説書ではないので、ごくわずかにしかない。思えば、その程度の知識に本の購入は必要なかったかもしれない。

 とはいえ、何かを始める前には何が結果的に役に立つのか知りようがない。もし、ウエブについてあまりしないで、商品紹介サイトを立ち上げたいという人がいたらこの本は完璧に役立つ。私はそうではないので、失敗した。アマゾンでの衝動買いには失敗は避けて通れない。書店でだったら買わなかったと思う。

プロのデジカメ写真術

齋藤清貴
草思社 1600円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 デジカメに興味をもった普通の人に向けてのメッセージ集として読める。技術のおかげで素人の人でも楽しめるカメラがたくさん市場にある。そうはいっても、シャッターを押しただけでは自分もうれしくなるような写真はとれない。知っている人に聞こうにも、プロの知り合いなどいないのが普通で、素人の先輩に聞く事になる。しかし、先輩はカメラが高価な時代から投資している人が多い。自然とオタク的な人になる。一昔からつづくPC好きの人と同じで「おれ様」見たいなのしかいない。さて、独学で上手になるにはどうしたらいいのか。こういう状況にある人は多いでしょう。

 今のデジカメならば、内蔵コンピュータが写真技術をサポートする。それに、構図だのなんだのいうのは美的センスなので、長い時間かけないと獲得できない。となると、必要なアドバイスは体を動かすだけでできるちょっとしたこと。この本はそれをずばり指摘します。的を得ている。

じっくりと時間をかけて構図を考え、決定的な一枚だけをばしゃっと撮るなんてことをしていたら面白い写真は撮れない。フットワークよく、気軽にたくさん撮ってみる。その中の一枚が気に入れば、それがあなたの傑作となる。

 なるほど。同じものをいろんな角度から撮ってみる。で、実際やってみる。構図なんて現場で判断できないので、ばしゃばしゃ撮る。体を動かしていろんな方向から撮る。すると、偶然よいものが紛れることがある。それが、プロでない人が良い写真を狙う方法だと。

 この著者の簡単な略歴とスランプの経験が最後に紹介がある。いろいろあったようだが、要するに好きで写真をとらんでどうする、というメッセージに読めた。普通の人はプロではないので、好きでもなかったらまさに写真なんぞとる必要はないし、それで困らない。それでも撮るのだからそもそも遊びなのだ。そんな人でも上手になるには撮るよりない。

 撮るときにいろいろ考えちゃって、枚数撮らない。そして、撮った写真をろくに見ない。もちろん、写真集も見ない、Flickrもあまり見ない。これでは上達しようにも不可能かもしれない。何かをするときに、何を持ってよいか悪いか決める基準は自分に中になければどこにもない。生まれつきには無いので、数多くの中から気に入ったものを見つける。そんなことを読んでいて思う。

 そういう心構えみたいなものだけでなく、現実的なアドバイスもある。ホワイトバランスとストロボ、画角に関するTIPSだが、すぐに試せる簡単なものになっている。それでも、マニュアルから読み取れないようなアイデアだと思う。

世界の路地裏100


ピエ・ブックス 2400円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 最近のコンパクトデジカメは素人の私が撮影してもそこそこの絵が撮れる。もちろん、だからといって人の興味をそそるようなのは1000枚のうち1枚くらいの偶然にとれるだけ。それでも、おぼろげだが撮ってみたい写真というものをぼんやりと持っている。だからこそ、普通の人がデジタル一丸レフを町中で持ち歩く。自分の手で自分が満足できそうなものを作ってみたいのだと思う。技術が進化したおかげで、ある程度のところまで能力を引き上げてもらっている。少し努力すれば、うれしくなるような成果がでそうな気分がするものなのだ。

 青い空、白い壁という地中海の天国のような風景に憧れる人は多いだろう。自分もその一人。丸の内丸善の写真のコーナーをぶらぶらしていたらこの本が目に留まった。そう、こういう写真好きです。綺麗なモデルさんや可愛らしい動物を撮影する機会は普通の人には巡ってこない。それでも、建築が好きだから街の写真には興味があるし、実際のところ写真をとる対象は構造物がほぼ全てになる。それは海外旅行でもそうであろう。例えばこんな写真とか。



St Paul's Cathedral

 反射的にこの写真集を買ったので、自宅でゆっくり眺めていたら地中海世界だけではなくてちょっと意外だった。プラハとかコルドバとか。ヨーロッパの風景は絵になる。しかし、イタリア、ギリシャはやはり別格。よい日光と真っ白な家並みは死ぬ前に見てみたい。「ナポリを見て死ね」という言葉があるが、実際は見なくてもいいと思う。それと同じように、ギリシャのエーゲ海も見たらがっかりするかもしれないけど。

 最終的にはこんな写真を撮れるようになりたいものだ。そういう目標として、しばらく折りにつけ見返してみようと思う。東京の下町に住んでいて、日曜日に近所にでかけることしかない生活だが、好きな写真を真似ることが勉強の王道であろう。

毎月新聞

佐藤雅彦
毎日新聞社 1300円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 ちょっとした視点の違いと受け取った内容を表現する方法のズレが読者をクスッと笑わせ、ナルホドと感心させる。スマートな内容だけど説教臭くない。こういう形式がエッセイの形の一つの完成形であろう。メッセージがあり、簡単な図がある。メッセージは絵ではないので必要以上にこだわらない。この本では「新聞」という形式を採用している。それが、もっとも優れたメッセージ伝達方法の一つであると判断したからだろう。

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 読み始めたら止まらなかった。挿し絵や3コマ漫画の絵がかわいい。なごむ。「だんご3兄弟」や「バザールでござーる」のCM、「ピタゴラスイッチ」という番組を作ってきた人だから当然であろうが、かわいいイラストを描けるのは偉大な才能だと実感する。文章は数タイプある。「〜いる、〜ある」という平易な記述、「〜です、〜ます」という語り。「〜である」もある。何を基準に使い分けているのか分からない。主張内容もそんなに複雑なものではなく世間的なものなので、高尚な読書の結果からの結論なのかもしれない。しかし、それらをネタに友人たちと世間話をすれば「それ、あるある」と同意をとれると思う。愚痴にならない世相批判がこの本にある。

 なぜ、こんなコラムが書けるのだろうか。それは、作者が文章だけでなく、挿し絵もいれていることにある。かわいい絵はすべて子供か動物なので大抵の人に受け入れられる。文章の後味はこれらイラストによって決まってしまうようである。内容が時事問題であっても、物事の新しい見方、街で見つけた面白いこと、どれでもあってもほほ笑ましく思えてしまう。

 この本の「情報の力関係」というトピックにそのヒントがある。次のような表示を見たとき、何を考えるだろうか。この本から引用してみる。

20070610-sato-2.gif

 矢印と言葉は反対のことを意味しているが、最後は矢印が勝つ。分かりやすいビジュアルが勝ってしまう。最後の印象、感じはビジュアルが決めてしまう。ならば、同じことがこの本にも言えるかもしれない。挿し絵が記事の後味を決めてしまうことになる。

 この本は、短いエッセイの書き方を模索している人にはいろんな意味で参考になる。


世界のイスラムジョーク集

早坂隆
中公文庫 629円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 イスラム教の人たちの間で知られているジョークをもとに、イスラム社会の生活、習慣、風土、政治について解説している。ちょっとした教養番組とクイズ番組とバラエティー番組のような感じがする。岩波新書のような堅苦しさはなく、かといって最近いろいろ出版されちている新書のような内容の薄さも感じられない。イスラムについて知らないであろう知識、出来事について読むにはよい。

 イスラムのジョークには明るく面白いもの、宗教的な敵対を感じさせるもの、近隣の国にたいする毒をもっているものがある。これらはどこの国にもあるので、ジョークはどこの国の人にも通用する。立ち読みの段階でクスッと笑ってしまったくらいである。面白さを追求するジョークを引用するとネタバレに近い効果があるかもしれないので、ちょっと別のものを引用してみる。

◎それぞれのやり方  モスクでの礼拝を終えたイスラムの僧侶が道を歩いていると、一人の男が倒れていた。男はカトリックの神父であった。イスラムの僧侶は手を差し伸べ、肩を貸して病院まで連れて行こうとした。神父は言った。
 「どうもありがとうございます。我々は方法は違っても、言わば神に仕えるもの同士ですからね」  それを聞いた僧侶はうなずいて言った。
 「そうですね。あなたはあなたのやりかたで。私は神のやり方で」

 一瞬、いい話じゃないかと思う。キリスト教もイスラム教も媒介者が違うだけ同じ神を崇拝している。聖書といわれている書物のグループ分けが違うだけで、同じ人物、天使が聖書にもコーランにも登場する。仏教から見れば、細かい事を気にしなければ要するに同じじゃなか。そういえる。東京と大阪は全く違うと主張しあうけど、中東諸国からみたら同じですよ。日本と韓国も同じにみえるでしょう。同一か同種類か、どちらの意味において議論しているのによって評価は変わっていく。

 引用したお話は「ジョーク」なのだろうだが、正直最後の一文のニュアンスがわからない。イスラムの僧侶は、キリスト教のやり方は「神のやり方」ではないと言っている。神は一つだからその礼拝のやり方も一つ。ならば、キリスト教のやりかたは「あなたのやりかた」であって「間違っているよ」ということである。しかし、敵としては見ていない。

 彼らに共通の敵ができれば、つまり、そもそも絶対神などはなっから認めない人たちが彼らの前に現れ、それが彼らの生活に強烈に強い影響力をおぼし始めたら、諍いはなくなるような気がする。とはいえ、世の中そんなに単純じゃないだろうけど。とまぁ、そんなことを考えるとっかかりとしては良い本です。

2007年6月 5日

フューチャリスト宣言

梅田望夫+茂木健一郎
ちくま新書 700円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 梅田望夫と茂木健一郎の対談。どちらの話が優勢か。クオリアになるのかネットになるのか。どちらの話に力が入るのだろう。結果はインターネットの方であった。ブログやネットの可能性を両者は信じているし、実際そうなんだと思う。いつものは、このような手放しの賛歌には気分がよくなっていたのだが、今回は気になる事もある。

茂木 ネットの上での新しいライフスタイルという意味では、中途半端なオタクもダメですよね。梅田さんがよくかかれているように、朝から晩まで大好きなプログラミングをやっていたいと心から思っている人、そういうギークやナードは、僕は好きなんだけど。でも、中途半端なものに対してはものすごく怒りを覚える。
梅田 中途半端だとサバイブできない時代になってくると思いますよ。というのは、ギークやナードでもギーク・オブ・ギークみたいなものでないと、今後はどんどん凡庸な存在になっていくというコモディティ化の問題が常におきます。

 要するに極端になれ、でないと存在の意味はない。そう読めてしまう。いままではそうだよな、と思っていた。でも今は、本当にそうなのかと疑問に思う。中途半端に「好き」ということが許されないのだろうか。なぜ、飯を食べるよりも好きにならないといけないのだろうか。それでは、生き残れない。つまり、そんな人の価値はない、茂木健一郎は死んでしまえと主張している。

 しかし、社会の構成要因である大多数の人は普通の人だし、その人たちは時代を変えるようなことをしない。それなりに夢をもって、自分の置かれた状況と折り合いをつけながらちょっとでも楽しい事をしようとしている。この二人にあっては、普通の人はどうでもよい存在なのだから、何もするなといっている。
 そんなフューチャなんて要らない。

 以前は二人とももうちょっと常人の感覚を持っていたのだが、彼ら自身が「技術」に取り込まれている。本人は自分の意思でやっているのかもしれないけど、社会の人のために主張しているのではない。自己目的化の要素になっている。

 いやなことを無理にやっていても、脳は絶対に変わらない。逆に言うと、ドーパミンの上流に何を持ってくるかに関しては、ものすごく自由度が与えられているんですよ。そう考えると、人生が突然楽しくなってこない? 普通は、「ああ、俺いま学生時代で自由に遊んでいくのに、社会にでたら仕事しなくちゃいけないのか。土日以外はずっと仕事か、なんだかいやだな、灰色だな」なんて思っていたりするじゃない。そうでなくて、灰色であるはずの月曜から金曜までの時間の流れがすべて「蜜の味」になるとしたら。そういう素晴らしいことが可能で、逆に、そういう人しか、本当の意味でのプロフェッショナルになれいないんですよ。

 確かにその通り。しかし、これまでもほんの一握りの人しか社会を変えてこなかったし、それしかできなかったという歴史がある。茂木健一郎のいう通りにほんの一握りのプロフェッショナルで社会全体が支えられるのか、できたとしても支えられる側の人が生きていけなければ、そもそもそんなものはどうでもいいような気がする。

 自分の言っていることが極端であればあるほど、自己陶酔に落ちる。そこには現実感はなく、ただあるパラメータを極限にふっていくときの高揚感しかない。著者の2人ほどの人でも、そういう罠にかかる。これまでの人類の歴史は、良くなっていく途中におかしくなる前兆が紛れ込んでいた。なんか、危うい気がする。

2007年6月 4日

逆立ち日本論

養老孟司 内田樹
新潮選書 1200円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 内田という人については全く知らなかった。ユダヤ人についていろいろ考察されている人ということで、対談の半分くらいは「ユダヤ人とは」になっている。「ユダヤ人とは、〜である」という定義ができないそうで、必然的に「ユダヤ人とは〜ではない」ということでしか規定できないとか。これについては両者の意見が一致している。なので、おそらくそうなのであろう。古代オリエントからローマ史に登場してくるユダヤ人については幾らか読んだ事がある。ユダヤ人は現代社会においても一層重要なプレーヤーであることは了承しているが、身近な話しではない。そもそも「〜人」でとらえる人ならば関係がない。だから、この本での「〜ではない」という定義が正解だろうとなかろうと実生活には関係がない。しかし、歴史や社会について今後勉強するとき、「ユダヤ教徒、一神教の人」などという幼稚な理解よりましであろう。ちょっと良いことを知ったと感じている。

 それ以外。日本人論があった。ただし、日本人とユダヤ人ほどの論述はなく、そういうところがあるねというまさに会話のなかで展開された寄り道のようなものではある。面白いですけど。

・・・どう考えても、そんなに追い詰められるより前に、「それは筋が通りませんよ、やめてください」と言って相手を制しておけば済んだ話なんです。でも、主人公はありとあらゆる理不尽に耐えてしまうんですね。ほとんど自分の方から理不尽で屈辱的な状況を進んで選択しているようにさえ見える。そして、最後に「もう我慢できねぇ」といって金子信雄をブスリとさして・・・。このソリューションを日本人は大好きなんですよ。『忠臣蔵』しかり。
戦争中威張っていたやつが、まったく同じでした。あそこまで状況が変になると、ほとんど精神に異常を来しているんじゃないかというヤツの声がいちばん大きくなる。だいたいが、声を大にして言うことは極端なことに決まっているのですよ。

 これらの言葉も文脈から切り離されると少し強調されるすぎるか、勘違いされるかもしれない。しかし、普段の生活でちょっと似たようなことを感じており、それが他人の口からでてくると「それだ!」とうれしくなってしまう。勘違いであったとしても興味を持ったならば一読するとよい。




2007年6月 2日

マゼラン|アメリゴ

ツヴァイク
みすず書房 2300円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 ヨーロッパから南アメリカをまわりマゼラン海峡を経て太平洋を渡り、フィリッピン、アフリカ、そしてヨーロッパへ至る世界一周に初めて成功した人の物語。

 マゼラン海峡、マゼラン星雲という名前は子供の頃から知っているが、マゼランについての伝記は読んだことがない。なんでもそうだが、世界初のことをするのは「死ぬほど」大変なのだろう。そう、漠然と考えている人ならば、この本を読んでみる価値はある。英雄を仕立て上げる冒険活劇がそこにあるわけではないが、普通の人を率いて「抽象的」にしか説明できない偉業を成し遂げるための一例が見て取れる。目的に対してどのような技術、知識、行動パターンを身に付けるべきか、どのように機会を待つべきか。どうやって一緒に行く人を束ねていくか。とはいえ、読んだところでとてもマネできないのではあるのだが。

 ツヴァイクの記述は一人称なので、ドキュメンタリーのナレーションのような物だと思えばよい。解説ではあるのだが、ある出来事の原因(過去)と結果(未来)とを繋ぎ合わせてくれるヒントをくれるので、推理小説のような快感はないかもしれないが、どの時点でもナルホドと思わせてくれる。主人公の視点から離れ、その時点での世界情勢の歴史における意味を教えてくれる方法が上手である。言ってみれば、塩野七生のローマ人のような感じである。いや、実際はその逆ですが。

 読むだけならば30分程度の苦労の連続だが、想像すれば長い期間の我慢の末マゼラン海峡を発見し、そこを通過する。そして、太平洋へ出る。生き残った人の手記が元になっているとはいえ、ツヴァイクの想像力には頭が下がる。素直に海峡が浮かぶ。パタゴニアの風景などろくに見たことがないのに、感動的な情景が浮かんでくる。

 世界についての新しい知識がざくざく集まってくる時代、その冒険の最前線にたつのは面白いだろう。けれど、実際は飢餓や死と隣り合わせ。人の感覚に対して両極端な世界はゆっくりと生きていくのになれてしまった人には本での物語として読むほうが楽しいでしょう。

 もう一人のアメリゴについては短い歴史的勘違いの説明。アメリカ大陸はコロンブスが発見した。おそらく誰でも知っている。しかし、アメリカ大陸のアメリカは「アメリゴ・ベスプッチ」に由来しているということを知っている人もいるだろう。ではなぜ、「アメリカ」であって「コロンビア」でないのか。アメリゴ・ベスプッチはたった30ページ程度の新大陸の話を書いた作者である。冒険なんてしていない。その理由は、いろいろな勘違いと偶然が重なって「新世界=アメリゴ」ということになってしまった。当時の本の編集とその売れ行きが、アメリゴが紹介してくれた新大陸、という考えを世の中に広めてしまった。当時だから、訂正なんてできない。その、一風変わった歴史について短く解説してくれている。