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2007年7月23日

携帯電話はなぜつながるのか

中嶋 信生+有田 武美
日経BP社 2520円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 以前から疑問に思っていた。携帯に着信があったとき、ふっと考えていた。電話局はオレの電話だけ鳴らすことはできないはずで、非常にたくさんの電話を呼び出しているはずだ。しかも、呼び出されるオレは九州にいるか北海道にいるかもわからないはず。だったら日本全国を探すのだろうか? 何か工夫された方法があるはずだとは思っていたが、ホームメモリなる仕組みを使っていたとは知らなかった。この本は、そういう素朴な質問からそれなりに高度な内容までカバーしてくれる本です。ちょっと知りたいなぁというときにWWWを漁るのは一つの方法ですが、短時間でこの本なみの内容をカバーするには本がよいと実感する。

 この本の紹介はあるブロガーの記事にあった。評価が高かったので気になっていた。しかし、値段がそれなりにするし、買いそびれていた。週末、やっぱり買おうと思って購入した。結果的には対価に見合う知識を得たのだが、僕が読んだブロガーがうらやましくなった。彼は出版社から「献本」されているんですよね。いいよなぁ。まぁ、でも、その人への献本は結果的に私のような購入者を生んだのだから出版社のもくろみはあったのだが。
 知識を仕入れるときには「時期」を無視してはいけない。今ちょうど携帯に興味がある。そういう人は読んで見るとよい。3日もすると、別の物に興味をもってしまい2度と携帯の知識を得る機会は巡ってこないかもしれないし。

2007年7月22日

太陽の塔

森見登美彦 新潮文庫 420円 お勧め指数 □□□■■ (3)

 京大生の内面を垣間見る物語。暗いんだか明るいんだか良くわからないキャラに見えるが、他人に迷惑をかけてないし、誰も死んでもいないし、徒党を組んで騒ぎを起こすわけでもないので「明るい」方の主人公だろう。読んで嫌な気分にはならない。

 最近高校生、大学生の男子が主人公の女性作家の小説を何冊か読んだが、そんや奴いないよと言いたくなるものばかりだった。小説としては面白けど、女の人からみる男の人ってどうして空想的なんだろう。一方、今回の主人公の男子大学生はさすがに男性作家(当時大学院生だった)が書いただけあって、そういう人いるかもと納得できるものだった。しかし、女性の登場人物が(ちょっとしか出てこないけど)何を考えているのか本当にさっぱりわからない感じがした。これは小説なんだから誰の考えをも見通せるはずなのに、読者である私も女登場人物が何を考えているのかわからんという主人公と同じイライラを共有してしまう。逆に、女性ならばそれがわかるのかもしれない。その意味で良く書けた小説なのか、それとも本当に女性の心理や行動までは作者は単に書けなかったのかどちらなのかは分からない。

 読んでみれば他愛もない妄想なので、読んでなにか得るものはあったのかと言われると心もとない。単なるファンタジーを読んじゃった。気分的な余裕がある人は愉快に読める一冊だろう。

2007年7月16日

古代末期の世界

ピーター・ブラウン
刀水書房 2800円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 古代末期をビザンツ帝国の影響力が衰退する時期においている。東ローマは存在するがイスラム教の国がオリエントで力を持ち始める時期の8世紀あたりの状況をキリスト教の普及についてという視点から解説を目論む歴史書ということなのだが、残念ながらよくありがちな「つまらない」記述に陥っている。とくに後半はダメだ。前半にはローマ社会でキリスト教が受けいられていく下地についてのそれなりの解説があり、それなり読める。しかし後半は、だれがどうした、しかない。著者はさぼっとたのだろうか。

 この手の本を読むとき、頭の中には『ローマ人の物語』で得られた風景をリファレンスとしている。塩野七生の考えたとと「どう違うのか」を探すように読む。例えば、この本ではシンマクスについての評価がちがう、といった具合に。ページ数の制約もあるし、翻訳というハンディーもあるので、『キリストの勝利 ローマ人の物語XIV』と比較するのはフェアーではないが、それでもそちらを読んだほうがよい。事柄の背景だけでなく「それはなぜか、どのような状態でか」という視点が明快なので、同じ時間をかけるのならばそちらのほうがお得だから。

 とはいえ、少し別の視点から古代ローマ末期とキリスト教をあつかった本を読みたい。素人でもとっつけるものはないだろうか。



2007年7月14日

「狂い」のすすめ

ひろさちや
集英社新書 680円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 人生に意味はない。意味のない人生がさも意味があるかのような発想で生きているとつまんないことになる。そもそも「存在しないもの」を「それが得られなかったから」という理由で悲しい気持ちになり、そのまま死んでいくのは全くばかげた事ではないか。そういう発想をこのエッセイで諭してくれる。著者は70を越えているが、文章には「全く」説教臭いところがない。この文章は年代を感じさせない。この人には「自分はスゴイ」ということを人々に知らせようという意図がまったくないので、実にさわやかな文章と論旨になっている。自分もじいさんになったらこうなりたいものだ。そういう印象をこの本から受ける。著者は仏教の学者ということだが、ところどころで聖書が引用されているので宗教学者なのだろう。著作もすでに400冊を越えてるとか。仏教を会得した人は、なんとなくだが、あらゆるものやことに対する執着が薄い。だからだろう、その人の話を聞けばすんなり受け入れられる。老人とはかくありたいものだ。

 書名にある「狂い」とは、世間の基準からみて「狂っている」という意味である。著者によれば、そもそも世間であたりまえだと思われている基準そものが「狂っている」のであって、その基準に照して「狂っている」のならば、正常にもどる「かも」しれないという。戦前の教育をちょっと見てみると、国のために人が存在していると規定していることが見て取れる。あの時代は狂っていた、と現代の人は判断するかもしれない。しかし戦前では「全く正しい正常なこと」だった。こう考えれば、、現在の世間で「当たり前」なこともそのうちひっくり返るだろう。そこで著者は世間の基準から離れるために、世間の基準を「見下げて」しえと言っている。それが「狂う」ということだ。

世界はすべてお芝居だ。 男と女、とりどりに、すべて役者にすぎるのだ。 登場してみたり、退場してみたり。


とシェークスピアの一説をひいた説明がる。役者として人は生きている。しかし、その配役に意味はない。ただその役が必要なのだ。いろいろな役があるが、ムダな人は存在しないのだ。そう主張している。非運ばだけの人生も役柄の一つ。どうせ一度の人生だし、それに意味がるわけではないのだから、その役柄をPLAYする(遊ぶ、演じる)としょうではないか。実に爽快な諦観に私はしびれた。

 人生に意味がないと主張に頷く一方で、『それでも人生にイエスと言う』というV.フランクルの主張も捨てがたい。どっちが正しいという訳ではないが、両方の本に感動するところがある。ある主張を理解すると、それと反対の主張も同時に理解できる気がする。表面的な反発心からではなく、その主張が形成される過程に思いをはせる事が出来るから。

 キリスト教は終末に天秤にのらないといけないので、無意味な人生を適当に過ごすこともできない。彼らは大変なのだ。仏教はあるところまでいくと気楽になる。それは多分自意識が薄くなるからだろう。自分のことばかり考えているとどうにも自分の人生には特殊な意味があるような感じがするのかもしれない。そんなことより、どんな状態でもその役割を演じるだけと考えたほうがさわやかな気分でいられると思う。

 この本、とても気に入ってしまった。


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2007年7月11日

国家の崩壊

佐藤優
にんげん出版 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 ロングインタビューと研究会での講演を整理し、ソ連崩壊の様子を佐藤優の視点から再構成したもの。聞き手に答える形での話だから自ら何を語るかの外枠を規定していない。だから、話の運び方は聞き手の考えにも影響されているところがあるだろう。また、本書で紹介されるトピックは別の本でも紹介されているものもある。けれどそれを読むのもまたよい。別の本で登場したキャラについての言及にほっとする(もっと詳しいことを別の本で読んだぞ、という安心感)ので、暗い話であるのだけど全体を通して読むのを楽しくしてくれる。

 本書を読んでいて、へぇと思った細かい知識をいくつかあげる。


 それから、チェチェンには、独特の「血の報復の掟」があるんです。チェチェンでは、子供が生まれると、男の子だけですが、七代前までの名前を全部暗記させるんです。それから、どこで生まれてどこで死んだのかということも全部暗記させるんです。そして、もし祖先の七代まえまでのうちに殺された人がいたら、誰に殺されたかも同時に暗記させるんです。それで、殺した奴の七代前までの報復をしなければいけないのです。殺したほうの家の男系七代に渡ってそれは続くんです。そういう「血の報復の掟」があります。これは今でも厳しく守られています。仇討ちの旅に出なければならないんです。そうじゃないと一族が許してくれない。

 なるほどチェチェンは怖いところだ。数年前、チェチェン人が立てこもった劇場にロシア軍が突入した事件の映像を思い出した。「なんでロシア軍は覆面しているのだろうか?」と疑問に思ったのだが、これが原因か。顔から身元がわれると七代に渡って報復を恐れないといけないから覆面をしていいたのかもしれない。こういう実際問題教科書に載せられない知識が国際ニュースをみるときに手がかりを与えてくれる。
 となると、チェチェンでは殺人事件はすくないだろう。リスクが大きすぎる。交通事故やケガでもおなじ掟が適用されるのか。よくわからない。

 あるいはこんなもの。


 ブレジネフ時代を通じてずっとあった「明日は今日より良くなるかどうか分からないけれど、悪くなる事は絶対ない」という関係、それを信じていい状態が崩れたこと、明日は悪くなるかもしれない、いやきっと悪くなるに違いない、という不安こそが、この物不足パニックの背景にあったと思うのです。

 ブレジネフ時代といえば行列の映像を思い出すが、ゴルバチョフ時代はそもそも別の意味で物がなくなった。ロシアではウォッカ、タバコ、じゃがいも、といったものに政府が手を付けてはいけないそうだ。これが出回らなくると確実に暴動がおきるそうだ。ゴルバチョフはそれをやってしまったので、人々の不満は高まるばかりになったことが崩壊の原因の一つだったということだ。
 これって、人が「幸福ってなんだ」を考えるよすがになる。どんな状態でも明日はよくなる、と思えれば結構やっていけるもの。逆にどんなに恵まれた環境にいても明日は良くならないと思ってしまったら幸せとはほど遠いものになる。

 それはさておき、「聞き手」の発想には「もう一つ」を感じた。「リーダーがアホだと国は崩壊する」などとまとめてとして言っている。このての発言には全く意味がないと知らないのだろうか。なぜなら、リーダーがアホでも滅びなかった国はたくさんあるし、そもそもこの手の発言は「後知恵」だから。過ぎた後なら「なぜ気付かなかったのか」といくらでもいえる。聞き手は全くそう考えていないようだ。この手の本を読むと、聞き手と佐藤優には越えられない壁があるように感じる。自分はこの聞き手のような「頭のいい人の尻馬に乗ろうとして馬脚を現してしまう発言」はしたくないとつくづく反省する。


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2007年7月10日

国家の自縛

佐藤優
産経新聞社 1500円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 インタビュー記事をまとめている。ロシアや国家、外交についての考え方を語っている。『国家の罠』と同時代のものなので、その本ではよく分からなかったかもしれないことを補ってくれている。インタビューアーもその道の人なので、素人の私でも全体をつかめることができたと思わせてくれる。

 佐藤優の発言には感心する。それは、一貫した発言の裏にはきちんとした論理・価値が構築されていいること。この人の発言や行動はそれにしたがってのものであると確認できるので、あった事もない人だけど「この人の話は聞いておく価値はある。他では聞けないだろうか」と思ってしまう。行動原理が明確でぶれない人は誰であっても尊敬してしまう。若い頃から深く思索してきた人なのだろうか。神学が専門なのだから、本を読んだり考えたりという大学生活だったのだろうか。この本にも同志社の頃の話が少しでていたが、現代の理工系の研究室しから知らない私には想像しがたいので、結局どういう生活だったのかはわからない。

 佐藤さんはことあるごとに「国益」という。外交官なのだからそうだろう。ただし、本心からそういう発言がでているのだろうか。

 チェコ人ができる時にはドイツ人を敵とする、「敵のイメージ」があり、ポーランド人が形成される時にはロシア人を敵とする、「敵のイメージ」があるんです。ロシア人がロシア人だという意識を草の根から持つのはナポレオン軍との戦争を描いたトルストイの『戦争と平和』が流行ってからです。ロシアではナポレオン戦争を祖国戦争と呼び、第二次世界大戦を大祖国戦争というんですね。「敵のイメージ」ができることによって民族ってできてくるんですよ。  中国で今回初めて、内陸部を含めて本格的な産業化、近代化が始まった。その中で日本は「敵のイメージ」を付与されてしまっているように私には見えます。だから中国との関係はなかなか良くならない。

 外交官ならば、他国と接しているわけだから日本を意識する。相手がODA援助対象国でないなら、常に駆け引きがあり失敗して日本が損することになった経験をもつ人も多いだろう。となると、それがきっかけで「国」を意識する。日本で普通に生活しているかぎり、敵のイメージは外国にはならない。それは競合組織か同じ組織の上司、部下、同僚、あるいは恋敵くらいものであろう。だから、間違っても国益という発想はない。外交官でつばぜり合いをするくらいに外国とやり合った人ほど「国益」を考えるようになる。となる、まるでドメスティックな人の口からでる「国益」ほど怪しいものはない。それが、政治家かなり役人なりマスコミなりの発言を評価をするリトマス試験紙になりうる。

 しかし、この本を読んだ役立つことは日々の生活ではほとんどない。それであっても、なにか勉強した気がするので佐藤優の本が好きなのだ。



2007年7月 8日

メソポタミア文明入門




中田一郎
岩波ジュニア新書 740円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 ジュニア新書のコーナーをスキャンしていたら「メソポタミア」について引っかかったので購入した。中学生用?ということだから読みやすいのだろうと思ったのだが、ダメだった。著者は名誉教授をするくらい偉い人なのだけど、経歴をみると翻訳書と共著しか著作がない。ならば、正直新書ってだれが読むのかまで想像されなかったのかもしれない。

 メソポタミア文明については、へんな想像を入れなくても現代と同じような「法律」や「社会における問題」があったことを紹介すればいい。網羅的な紹介や神や王様の固有名詞を詳細にトラックするようでは、面白くなりようがない。その時点でこの本は学者本となってしまう。
 N・クレマーの古い本や小林登志子の『五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語』、三笠宮崇仁の『文明のあけぼの―古代オリエントの世界』を読むほうがジュニアだって面白いと思うだろう。


生物と無生物のあいだ

福岡伸一
講談社現代新書 740円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 生命科学の本でやけに評判がよいし、丸善本店で百冊レベルでの平積みになっていたので購入した。以前出版されれた狂牛病についての本『もう牛を食べても安心か』は興味深かったので、きっとよい本なのだろうという期待があった。
 著者のちょっとした(研究についての)自伝的な本のようで、科学的な解説を盛り込んで一般の筋を通している。DNA発見のエピソードや著者の研究分野でのメルクマークとなる成果をだした研究者を紹介することで、著者の研究の立ち位置を専門外の普通の人に興味を持って知ってもらえるような配慮がある。このような配慮は「教えてやる」というニュアンスでは逆に拒否されるのだが、さすがに著者はそのあたりを理解しているようで、自然に反発なく読めてしまった。
 ただし、生命とは何かということに正面から答えていない。300ページ弱で紹介するのはそもそも無理だからどんな視点で結論付けるのかが興味の対象になる。シュレーディンガーの『生命とは何か―物理的にみた生細胞』に触れておくことで前提条件を与えておくが、その拡張としてのアイディアを表明していない。つまり、生命とは〜のことだとは言わない。生命は人が操作できないものだ、といような生命の属性を述べるにとどまっている。ただし、この言葉は著者の経験と長い研究成果(それも、一流のグループでの結果)を踏まえた上での感想なので、たぶんそうなのだろう。
 生命とは〜のことだ、という記述を期待するのは無理なのかもしれない。生命は〜の性質をもつ、とか、生命は〜ができる(あるいはできない)という結論しか言葉では表せないのかなと素朴な感想になる。

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2007年7月 5日

ゼフィロスの卵

池田清彦
東京書籍 1500円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 池田さんの本を見つけた。エッセイ集だけど、たぶん社会評論と虫の話なんだろうと思って手にとった。目次を見ると養老孟司さんのかと勘違いする。人生に同じような目的をもつお二人なのだろう。エッセイまでもが似ている。

 ざっくりよんでみると、ボヤキの対象はいつもと同じ。とくに、医療、マスコミについては何度でも言っておきたいようだ。池田さんのエッセイを読んだ事がない人、あるいは本まで購入するとは思えない層の人には、池田さんのエッセイは新聞連載コラムなどでしかお目にかからないであろう。

健康にいいといわれたことをみんなやり、健康診断を律義に受けて、医者の言う通りにしているといった人だ。でも、こういう人だって、あるとき具合が悪くて医者に診てもらったら、余命三ヶ月と宣言されないとも限らない。科学は好コントロール装置だから、という意味はコントロールできないことに関してはお手上げだから、余命三ヶ月の人の面倒まで見てくれない。「先生どうしたいいんでしょう」とすがりついても、「どうしようもありません。好きにしてください」と言われるのがオチだろう。ならば、最初っから好きにいきていたほうがよかったんじゃねぇか、と私ならば思う。

 ガン検診などについては、慶応大学の先生の本からの引用をして紹介している。そういえば、私も健康診断を全部無視するようになってしまった一人である。

 池田さんは定年になったのか、現在は早稲田大学の先生をしている。昆虫とりの余裕がなくなったんじゃないか。手っきり昆虫への傾斜を深めるのかと思っていたが、まだまだ先生をやるのかと意外に思った。あれだけ本を書いても生活はむずかしいのだろうかと疑問になる。好きに生きていけばいいと言い続けている人なんだから金銭的な余裕があればそうするはず。それとも、昆虫を題材にして学生を教えるのが一番すきなのか。などといろいろ想像してしまう。
 


2007年7月 1日

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?

ひろゆき(西村博之)
扶桑社新書 740円
この人と話すと自分がアホであることを痛感させられそうだ。
お勧め指数 □□□□□ (5)

 養老孟司と同じように「語りによる」新書である。大丈夫かなと不安になったが、数ページ読んでみればこの人のスマートさに気付き、話に引き込まれる。2chってのはこういう人が立ち上げたのか。ひろゆきさんと話をすると自分がバカにみえてくるから嫌になると言われているそうだが、おそらくホントだろう。読んでいるだけなのに自分がバカに思えてくる。このあたりは、対談者二人のうちの一人目の方を読むとあからさまにわかる。一般の人(非プログラマー)の人にもついていける話だけに、対談者は損をしている。かわいそうなくらいだ。
 Web2.0ってなんですか? オライリーの有名な論文をよんでもピンと来ない。明確な定義があるようでない。時流と関係のない人が純粋な論理として読んでみれば「Web2.0って、わけわからない」ということになるはずである。ところが、多くの人が、それもコンピュータを得意に思っている人たちが、さらにはマスコミが、本屋さんのコンピュータコーナーに並んでいる本のタイトルが「Web 2.0ってすごい」を連呼している。だから、本当にそんなものがあると信じてしまう。本書ではWeb2.0を「裸の大様」扱いをしている。ひろゆきは、そんなものはない、気分の問題なんじゃないかと表明している。そして、その理由を話してくれている。読むと確かにWeb2.0って「doesn't make sense」であろうと納得する。すくなくとも定義がない、あるいは人によって違いすぎていることを知る。
 雰囲気に流されるのは「知ったかぶり」の行動である。それは「自分が知らないことがバレる、自分がアホだと思われる」に対する恐怖への防御行為である。しかし、ひろゆきは執拗に疑問を口にする。このような態度を取れる理由は「冷静に考えればそれはない」と判断する自分に信頼を置いているからである。大抵の人がそういうそうゆうたぐいの表明をしても、大抵「反証」が提示されてしまう。自分が真実であると論理的に判断したものが誤りであることがバレてしまう。そんな経験が積み重なるにつれ自分が信用できなくなる。P109ページのひろゆきの目をみてみるとよい。対談相手にこんな目をされたら、大抵びびるだろう。この人は失敗した事がないような気がする。

 個人的に一番好きなやり取りはこれである。


ウェブ進化論』の梅田さんに対して、カリスマプログラマーである小飼弾さんが、ブログ上で、「それで、梅田さんは、『はてな』でどんなコードを書いたの?」という反論をしていました。僕もそれだと思うのです。
 技術者でない人間が技術を評価するというのは、医者でない人間が下した「この医者の技術はすごい」という評価があまり納得できないのに似ています。医者同士で、その技術について語り合ったら、いったいどうなの? ということと同じです。本当に技術を理解して褒めているのであれば、それがどこなのかを教えて欲しい。もし、理解もしていないのに褒めているのであれば、それは手品師を見てすごいと言っているのと、あまり変わらない。

 長い間表現したかった言葉を見つけた。それだ。評価できるのは自分の理解できる範囲である。また、そのスコープが必要なのだ。もし、はてなのサービスあるいはそれを受ける人の印象にについて「すばらしい」という話ならばよい。しかし、そのサービスを支える技術については理解していないからわからないか、あるいは触れる必要がない。レイヤーを切ってしまえばいい。
 自分の良く知っている仕事場で受ける違和感の原因はこれなのだ。サービスの話か、技術の話か。サービスを褒めるならば問題ない。が、技術について評論するな。こう言い換えてもいいだろう。理解していない技術を評価するな。それは「ミスター・マリックの浮遊や壁抜けは一流の工学的な技術であり、素晴らしいものだ」と工学関係の学会で表明するのようなものだ。手品エンターテイメントとしては素晴らしいし、それは人を幸せにしていることには異論ないが、それを支えているものに対する評価はトリックを理解していないのだからするな。今度からそういう態度を取ろう(全く個人的な話だが)。
 しかし、一歩間違うとネガティブな領域に入ってしまう。お前は技術者じゃないのだから黙っていろ。薬害エイズでの悪党「阿部」という医者が徹底的にこれだった。新聞記者に向かって「お前は医者か? 違うなら黙っていろ」という態度をとって巨悪になった。結局は、監査できるかどうかによる。監査ができないなら市場原理にさらせばいい。プログラマーの人たちが「技術者以外はだまっている」といえる根拠は、最終製品が使えないなら別のものを選べる、という状況が保証されているからだ。あるいは、その状況が保証されていないなら「技術者以外が口をだすな」と言ってはいけない(対偶)。

 なにはともあれ、この本は読んで損はない。できれば梅田×ひろうきという対談本を読んでみたいものだ。

 どうでもいいけど、この本のタイトルは「さおだけ屋は〜」来ているんだろうなぁ。




インテリジェンス 武器なき戦争


手嶋龍一+佐藤優 幻冬舎新書 740円

ラスプーチン、ラスプーチンと呼ぶ言葉の裏に嫌みを感じる。
お勧め指数 □□□■■ (3)


 ともに実際の外交シーンで重要な情報を交換しあう、あるいは、それをし得る情報を持っているもの同士の対談である。手嶋が「ラスプーチン」と呼ぶときになんともいえぬ感情の奥底にある嫌みを感じてしまう。素直に言えばいいのに。内容も「実はあの時・・」とか「ああしなければダメだ」という話が多く、佐藤優のロジックからなにがしかを学び取りたい人には物足りない感じがする。というより、手嶋の話が夾雑物のように感じてしまう。なぜだろう。両者ともに重要な仕事をしてきたし、手嶋は『ウルトラ・ダラー』とうベストセラーを出した人なのに。外交官と記者という昔の立場の違いがうめられていないような気がする。

 この本でとくに気にいった一説はこれ。


佐藤 それから、インテリジェンス・オフィサーになる人間には、現地で怪しまれずに情報を収集するための擬装(カヴァー)の訓練を受けさせなければいけないのですが、その際、インテリジェンスの仕事を辞めても食べていけるような専門技術研修でみにつけさせることが重要です。ジャーナリストとか、料理人とか、古書店の店主とか、職業何でもい。先ほど言ったように、インテリジェンス業界の人間は国家元首は情報機関のトップに認知されたいという欲求が強いので、政争や組織内の人事抗争に巻き込まれる事も少なくありません。そうなったときに、組織にしがみつくしかない人間は、生き残りや復讐のためにめちゃくちゃな事をやるんです。しかし、別の職業で生きていける道が担保されていれば、その被害を最小限に出来ます。

 少なくとも外交官の人が全員こうであれば、おかしな事にはならない。首になったら高額な給料を貰えるはずがないと分かっている人が、ただ組織にしがみつきおかしな事をするのだろう。この人は実際それをたくさん見てきたのだろう。