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2007年9月30日

古寺歩きのツボ

井沢元彦
角川Oneテーマ21 724円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 日本の古い寺に観光で行ったとする。さて、一体何を見ればいいのか。普通の人はそう思うだろう。古刹とあっても、確かに古い木造建築物だなあとか、仏像が並んでるなぁとかいうのでは面白い筈がない。知識がないと「物事を見ることもできない」という良い例なのだが、普通の生活をしてきた日本時ならばそんなものをもっている筈がない。それて、それが誰かの責任というわけでもない。

 この本は、そういう場合に「何を見ればいいのか」を指南してくれることを目指したものである。うーんまぁ、そうなんだけど、どんなによい視点を教えてもらっても、土台となるものに興味を持てなければ企画自体が成立しないような気がする。そんな感想をもった。

 なぜ、寺には棟があるのか。それは何を意味しているか。仏像にはどんな種類があり、配置によって表現していることが違う。仏教の歴史的変遷と日本の歴史との関係について、古寺を回ることで気がつくことがある。などなど、いろいろ書かれている。なるほど、なるほど。そう思ってみて半分くらい読んだところではたと気付く。ギリシャ美術、ギリシャ哲学の授業を聞いているような気分だ。その疑問をかいつまんで言えば、「それが、おれとどういう関係があるのさ」である。

 当然だけど、自分の経っている位置に興味を持ち始める中年にでもならないとこの本の紹介を楽しめるようにならないのかもしれない。時間がくれば誰でも興味を持ち始めるのだから、私がいまここでこの本が面白くないといっても的外れだ。

「科学的」って何だ!

松井孝典+南伸坊
ちくまプリマー新書 760円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 安直な一般の人向けの科学啓蒙書をねらった対談による新書。科学に疎い一般人代表を南伸坊にしたからといって何かが分かりやすくなるわけでもないし、回答者が松井孝典だからといって面白いことを言ってくれるわけでもない。それに、松井孝典の回答の節々に「うざったさ」を感じるから対談は決して成功していないだろう。編集者、もっと楽しい本にしてよといいたい。

 科学的なことを語り、またそれを理解してもらうにはそもそも両者に「ちゃんとしたことを教えたいし、それが社会にまかりとってほしい」という動機が必要だろう。とはいえ、高度な技術は魔法と区別がつかないだろうから、携帯とスピリチュアルは同じ土台で扱われることになる。一般の人にとってみれば、なんだっていいから使えればいいじゃんだろう。それはそれで正しいことなのだが。

 科学的な考え方(実際にやってみて、ダメならリジェクト)というものがなぜ必要なのか。それが抜けたら、知識を分かりやすく伝えたところで忘れ去られるだけ。徒労というものだ。科学的な方法で物事を見る目を持っていないと結果的に不幸になる、と人々が考えるようにならないならどうしようもない。やる気のない子供の家庭教師をやったことがる人ならば、それが可能かどうかわかるでしょう。

 とは言え、そういう努力を放棄してはいけないことも十分理解している。一体どうすればいいのか。そのこたえは、科学的な考えを身に付けた人が結果的に幸せになっている実例を示すよりないだろうと思うのだが。

旅する会社

平野友康
ASCII 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 デジタルステージの新しいソフトを購入したら付いてきた一冊。雑誌MacPowerに連載されていたエッセイをまとめたものだけど、デジタルステージという会社の様子について知ることが出来る。この会社はすっごく面白いし便利なソフトを作っているけど、会社を大きくするとうマインドがないのか、一品一品をじっくりとリリースしている。頻繁にアップデートだのバージョンアップだのをするソフトよりもずっと使いがいがあるので気に入っている。『発想する会社! 』のIDEOのような雰囲気なのかとおもったけど、意外にふつーだったようだ。最近は会社にカフェがあったりしてちょっと変わっているのだろけど、ぶっ飛んではいないみたい。働いている人が夕食を作るといった、家族的な雰囲気なところのようだ。

 書名の「旅する」というのは、新製品を詰めるときには合宿作業をするということを習慣的に行っており、その場所が熱海だったり屋久島だったり、イギリスだったりといろいろあるということを言っているのであって、そのことはこの本の言いたいことのトピックのようなものだった。この本では、どうやってアイディアを練っているのか、どういう事を考えて商品を企画しているのかを代表者自ら語っているところになる。

 この会社でうらやましいのは「受注、発注」発想がないこと。だれかから仕事を受注しているのではない。自分たちで「これやったら楽しいんじゃん」というものを企画し、出力していることだ。これは、会社の雰囲気だの、オフィスの様子だの、会議の場所だの、社長のメンタリティーだのいったこととで測れる会社の基準からみるとぶっ飛んでる。社会において必要な仕事を組織として解決することを請け負うという「会社」の考えから大きく離れている。私が思うに、彼らは一種の芸術家集団のようなものだ。

 ソフトのおまけにあった本だけど、すごく良い内容だったし、自分の生き方も鼓舞された気がする。とても良い一冊です。リーマン以外の生き方をもっともっと社会に知らしめて欲しいものです。


ボウリング場が、学校だった。

中谷彰宏
ベースボール・マガジン社新書 760円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 久しぶりに中谷彰宏本を買ってみた。まことに中谷彰宏的であった。相変わらず、分かりやすく、ロ論理的に明解で、しかも面白い具体的な教訓本を書いている。すごいです。この人の本はほとんど全てこの特徴があります。なんといっても、具体例が本人の体験をベースにしているだけあって積極臭さがまったくない。普通こういう内容を扱うとかならず「説教」になります。自分の体験が唯一極上のものか、さもなければ架空の物語を述べます。ところが、中谷は自分の個人的な体験をベースにしているから、細かいところでリアリティを感じます。読者も中谷彰宏と一緒に成長できそうだと応援してくれます。自分でも汗を流すビリー隊長か、うるせいだけでのハーベイ隊長かの違いがあります。ビリーのように、この人は受けます。

 揺れたピンが、マシンが振れる前に倒れたら「倒れた」と認識されます。  マシンに触れて倒れたものは、「マシンタッチ」といって、1本残ったことになります。「マシン」は微妙です。  マシンかマシンでないかは、一緒にゲームをしている人の判断に任されます。「今、マシンぽかったけど、誰も見ていないからいいか」という時は、必ず負けます。  自分に後ろめたさが残るのです。

だとか

 上達する人の共通点は、マナーがいいことです。  100点いくかいかないかという人がボウリングを始めたとしても、伸びるかどうかは、マナーによります。

 禅。そこから武道につながる。道徳というより宗教。そして、日本人ならば「それはそうだ」と口にしなくても心情的に納得する人が多いでしょう。学校の掃除当番という制度に対する考え方と同じ日本のベースとなるものだから。

 中谷彰宏は、普通の人を鼓舞する方法をずっと考えているようです。それも、おいかぶさってくるような説教臭さがないけど、内容は完璧な日本人の古来からの考え方をベースにしたものを。そして、抽象的な話をせず、「ボウリング」というような具体的、個人的な趣味をも題材にしてかたる。ネタは尽きないはず。

 中谷本は相当読んだ。普通の人以上に読んだ。ざっと数えても280冊は本箱にあるから。もういいだろうと思っていたのだけど、みそ汁のように飽きずに今後も読むんだろうなぁという気がしますね。

2007年9月24日

ヴェニスの商人

シェイクスピア
新潮社 362円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 ヴェニスに旅行へ行くということもあって読んでみた。仰々しい言い回しになれれば薄い本なのですぐに読めてしまう。で、感想だけど、「なに、これ?」 実際読んでみてビックリしたのは、こんなヴェネチア人の商人、この頃にいたのか? なんで、こんなアホが「貿易王」なんだ? ユダヤ人問題など私にはピンとこないのだけど、シャイロックは気持ちのいい人ではないが普通の人ではないか? たんなるいじめ物語なんじゃないのこれ?

 リスクヘッジという発想は当時ですらあった。金を借りた貿易王さんは、失敗を穴埋めするために大金を借りてさらに同じようなものにつっこんでいるが、これ、ギャンブルで破綻する人の典型例なんじゃないの?

 どうしてこれが名作なのかまったくわからんかった。

日本史集中講義

井沢元彦
詳伝社黄金文庫 670円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 なんとはなしに読めば、普通の人は腹が立つだろう。「小学校、中学校、高校の歴史の授業ほどくそみたいなものはなかった」ということに気付くはずだ。まぁ、それは言いすぎかもしれないど、あの時間はぜんぶこのような本を読むのに充てていればよかった。歴史を専攻している人でもない限り、そのほうがよい。世界史Bの授業なんて、どうせくだらねぇことを読み上げるのを聞くだけの時間だったはずだから、それを別のことに置換えられた学生はラッキーだったんだ。とういうか、本音は授業を提供する人、ひょっとしたら先生もそう思って世界史Bをやらなかったのかもしれない。言って見れば、良心だったのかもしれない。

 「真実を知る」など不可能である。『薮の中』になるから。あるいは、情報サンプリングと再構築という発想からいっても無理。だから、歴史というのは結局物語にならざるを得ない。すると、あえて現代の人が時間をさいて勉強させらる必要があるすれば「ああしたらこうなった」という人の行動傾向を知るためだろう。人は生まれたとき過去を一切もっていない。ならば、同じような人が同じようなシチュエーションになると同じようなことをするはずだ。それを知ることが普通の人が歴史を勉強する意味だ。

 ならば、学研マンガだっていいじゃん。司馬遼太郎や塩野七生をよめばいいじゃん。それが歴史なのかと呆れるのは、歴史学の学者だけだし、そうなって困るのも彼らだけだからほっておけばいい。まぁ、ちゃんと本を読める人ならば学者の論文など読まなし、学者の書く本はつまらないから実害ないのだけどね。教科書問題といっても、そもそも教科書をまともに勉強する人などいないのだから、実はどうだっていいのかもしれない。普通の人が普通の書店に行って手に取れる本がちゃんとするようなことに出版会の人が気を配ってくれればだけど。

2007年9月 9日

名画の言い分

木村泰司
集英社 2400円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 名画の鑑賞には知識が必要だと言われる。ヨーロッパの芸術って、キリスト教を知らないとピンと来ない。綺麗な絵だからということで興味を引かれることもあるが、でもそれならば日々の生活の中で出会うグラフィックアートやイラストあるいは漫画のほうがずっとピンとくる。それが普通の人の実感ではないかと思う。

 それではもったいない。単に「綺麗かどうか」「面白かどうか」を頼りに西洋絵画が製作されてきたのではない。アーティストが自分の表現を行えるようになったのはほんの100年ちょっとなのだ。ちょっとした知識があれば絵の味方が変わる。もっと楽しくなる。そのためには、以外に思うかもしれないが、読解力が必要なのだ。それは、なぜか。

 西洋の芸術は古代ギリシャに始まる。古代ギリシャが古代ギリシャなのは、精神活動のうちの理性を全面にだしてきた結果である。哲学から始まる「理性的」な活動に単を発しているギリシャ芸術と向き合うには、感情(あるいは感性)よりもむしろ理性による読解力が必要とされる。それは、ごく自然な話なのだ。この本は、このラインにそって絵画の歴史を紹介する。

 そういう内容なのだけど、カルチャースクール的な内容だけで正直面白くなった。若桑みどりさんの方がよっぽど面白かなぁ。

しあわせになる禅

ひろちさや
新潮文庫 400円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 いろいろ思い悩むことがある。病気といえるほどでなくも「いやだなぁ」と意識的にあるいは無意識に感じることがある。その程度はだれでもあるだろう。「思い出し笑い」ならば楽しいことだが、「思い出し怒り」というのはなんとも嫌なものである。もう済んでしまったことなのに、イライラする。そんなことに精神的なエネルギーも時間も使ってしまう。あるいは、友人などが信じられなくなり(実際本当にそうであることもあるが)、周りの人が敵に見える不安に駆られることもある。なんとも、面倒なものだ。これが悪化すると、鬱病などの精神世界へ沈んでしまうのだ。

 思い悩むことは単なる「妄想」なのだ。と、この本は教えてくれる。言われてみればそうだ。人と口論しているのはない。口論したことを思い出しているか、口論することを想像しているのだから、妄想以外のなにものでもない。だったら、妄想なんてしなければいいではないか。これが著者の主張である。実に明解な主張で、電車のなかで読んで驚いた。妄想し始めたら「莫妄想(まくもうそう)」と念じる。それは妄想だろ、考えるのをやめろ。そういう注意を自分に促し、妄想を中止する。やってみると、実際結構よい。例えば、電車のなかで外を見ている。あるいは、改札で定期を出す。この程度の生活においても、社会にはいろいろ気にくわない人がいて腹立たしくなることがある。そして気がつくと「妄想」しているのである。「あの時のあいつの態度はなんだ!」とか「こいつ割り込みやがって」とか。そういう不愉快さを「自分の行動」として話を先にすすめる妄想をしてしまう。自分の人生って、こうやってムダにすごしているのかが「莫妄想」と言うことで気付くのだ。

 どんな人でも実践できる程度の教えがかかれている。また、宗教色はない。哲学書と言っていい。ただし、若い人にはこの本は無用かもしれない。妄想すると同時に行動してしまうかもしれないので。この本は妄想によってイライラをためている中年向きものかもしれない。