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2007年10月30日

エコロジー幻想

武田邦彦
青春出版社 1400円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 バランスがとれた読みやすい啓蒙書。環境についてあまたある議論のなかで、この視点で書かれたものは他にないんじゃないかと思う。エコロジーについて、心情的な賛成でも偏見的な反対でもなく、リアリズムに徹した視点で発言するとこうなるのだろう。観念ではなく現実を相手にした本。

 環境論を扱っているはずなのだが、そもそもなぜ人が環境との共生やエコロジーということを主張するにようなったのかから話を起こしている。
 要するに、「みんな未来が不安で、現実に満足していない」という視点から考える。だから、養豚場の豚のように成長過程で一度も「振り向くことがないような人生」を送っているという仮説を提示し、現在社会の都市における普通の人の生活を考えてみて、どうすれば「不安を軽減し、満足を得ることができるか」を論じている。
 一見、エコロジーとは離れているような気がするのだが、実はそれがかなり有効な方法であろうということが後半になって分かる。

 この人の主張はマスコミでは正面からとりあげられないだろうな、と思う。こんな考え方があることを知るには本を読むよりない。なんのためのテレビなんだろうなぁと思うが、それも仕方ないか。


 この著者はペットボトル再利用は環境に悪いという主張をされている人。本も読んでなっとくしていたのだが、この本を読んでいて別の意味での理解を得られた。
 そもそもペットボトルは使い捨てをするためのギリギリのデザインなので、それをリサイクルするというのは設計意図に反しているな。だったら、別の設計にしたものをリサイクルにするのが自然だ。
 素人のアホな思い込みが、現実も事実もしらない人の思いつきが、なぜ法律になってしまうのだろうか。



2007年10月28日

三つの都の物語

塩野七生
朝日文庫 各600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 架空の自分物を二人だけ登場させ、ルネッサンス時代の代表的な3都市とその時代の事件とを物語る小説。著者の興味は、このあと当然古代ローマ人へと移っていくだろうことが暗示されている。登場人物が動き回る合間に展開されるこの時代の解説が完璧なまでの塩野七生さんのもの。

 主役の二人は架空ということだが、読んでいるうちに気がつくだろう。この二人の物の感じ方や考え方は「塩野七生」さんだろう。小説に登場する人物は小説家の想像によるのはあたりまえだが、この二人は「これ、ようするに塩野さんだろ?」と言いたくなるくらい本音が語られていて愉快なのだ。

 歴史とは所詮、想像力なのだ。肉体の眼で見るのと同時に、心の眼で見ることも忘れてはならないのが歴史の世界である。

というのは、塩野さんの根幹にあるもの。そしてこれがまた、学者たちが塩野作品を無視する理由でもある。

 そして、少し長いが引用したい。これは、架空の人物二人の会話である。古代ローマの遺跡から刺激をうけ、それをその時代の芸術へとつなげる事業に取り組む二人の行動をみたあとでのセリフである。この一文を読めば、要するにこれが塩野七生のルネッサンスを扱った作品全部がもつメッセージを言葉にしていることが分かる。

 あの二人の対話は、横にいて聴いているだけでもさまざまなことを考えさせてくれる。  ファルネーゼ枢機卿はなかなかの人物だ。あの若さにして、ローマの再開発を考えている。ミケランジェロこそその大事業を共同で進めるのに最適な人物と信じていて、芸術家のほうも充分に乗る気だ。  だが、十六世紀の人間であるあの二人が考え実現するに違いないローマの改造も、古代のローマを意識しないでは、いや意識してこそ、真にローマ的なるものの創造につながるような気がする。  あの二人の頭の中では、古代とルネッサンスという一千五百年もの長い歳月は、離れていると同時に離れていないのだ。  二人とも、十六世紀のローマでしか創れないものを創造しようと考えている。この点では、千五百年は離れている。だが二人とも、十六世紀ローマをほんとうの意味で創造するには、千五百年前のローマの延長線でやるしかないこともわかっている。この点では、千五百年は少しも離れていないのだ。  あの対話を聴いていて、わたしにはこのことが実によくわかった。そして、フィレンツェ人のミケランジェロにとって体内を流れる血のようになっているものが、ヴェネツィア人であるわたしにだって、もてないはずはないと思ったのだ。  もちろん彼は、それを形に表現できる才能に恵まれた人物だ。一方、国政の世界で成人し、おそらくはこの世界で生を終えるであろうわたしは、この種の表現方法に恵まれていない。  しかし、オリンピア、精神(スピリット)ならばこのわたしにも共有できるのではないだろうか。そして、もしもこの共有に成功したら、政治の世界に生きていようが商人として後半生を終えようが、その精神を生きていくという意味では変わりないと私は思っている。

 この一文にたたどり着くと、書物がもつメッセージとはこういう形で埋め込むこともありなんだなぁと感心すると同時に、いままで塩野作品を読んできた自分としても記憶と経験が「結実」し、それを今後に生かして生きていこうと前向きに考えてしまうのだ。それが、通勤電車での帰宅途中だったりするのだが。

 
 さて、この3部作を読むのも5年ぶりくらいだろうか。前回も同じように感動して生活を改めたはずだが、職場が変わったと事もあり、この影響なのかこの小説の影響なのかはわからないが、変わったことは事実であり、かつ、自分にとって良い方向に進んでいるように感じる。本との出会いは大切なものだ。

 塩野さんは文化功労賞をもらうそうだ。きちんとした形で国家がこの人を評価したことは、ファンとしてはありがたいことだと思う。

2007年10月20日

ヒトデはクモよりなぜ強い

オリ・ブラフマン+ロッド・ペクックストローム
日経BP 1800円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 最初は中心なしの組織構成についての本だろうと思った。ヘッドとなるヒトがいないのに、なぜか組織がだすようなアウトプットを出力する集団は結構目につくからだ。
 ただし、社会学の本か、自然科学の本は、ビジネスの本かで着眼点が違うはずだが、購入前はよくわからなかった。

 結果からいうと、この本は自然科学的な現象の説明を試みたあと、ビジネス本へと転化しようして完全にはできなかった感がある。ちょっと宙ぶらりんの読後感だが、内容はわるくない。途中話を膨らませすぎのところがあるので、そういう部分をはしょると本人の主張が分かりやすくでると思う。

 この本で気に入ったところは何点かある。

・社会には中心(リーダー)がいないにもかかわらず、集団として結果を出す人たちがある。その人たちは、中心をもつ通常の集団との争いで勝つことがある。

 → 支配者と奴隷たちとう構図以外にも、人々が集団としてまつまる方法があるのかと興味をもつ。アパッチ族の実例やデジタル音楽ファイルの交換などを例に、そういう組織の耐性について説明があり、実感しやすい。

・リーダーがない集団にリーダーはいないが、触媒となるヒトとイデオロギーは存在する。

 → 共通の価値観を持っており、その場その場で具体的な行動を率先して行う触媒格のヒトがいて、あとの人はその人の行動を真似るという構図である。逆に言えば、この要素がそろえばどのような集団もヒトデになれる。

・リーダーがない集団では、情報は至るところに存在する。情報が整理されていないかわりに、断片的なものは誰でも入手できるし、場所も特定されないでいろいろなところに転がっている。

 → 行動を起こすときには情報が必要。ヒトデタイプでは集団のメンバ個人個人が自主的に行動するので、情報はだれでも入手できるようにばらまかれている必要がある。行動の目的はイデオロギーとして共有されている。

・リーダがない集団が崩壊するのは、その集団に外部からエネルギーを注入されたときである。

 → 外部から資源という形(エネルギーやお金、土地などなんでもよい)がその集団に注入されると、注入ポイントの近くにいる人が「分配」を担うことになる。一人で独占するか、他の誰かに分配することになる資源はその集団のなかで「流れ」を形成する。流れは「幹」と「枝」に分岐していき、末端まで伝わる。もちりん、全員に伝わることはない。この流れに関わる部分が「派閥」になり、幹に近いヒトほど「支配権」が発生する。こうなると、ヒトデ組織ではなくなる。


 ヒトデかた組織についての記述は聞いたことがある。その原理も生態も所見ではない。しかし、崩壊する理由については初めて知ったし、それで納得した。
 集団が壊れる流は外部からエネルギーが入り込むことだ。もし、集団がその内部から出力を生成するだけだならば、利権は発生しえない。自分たちでつくったものだから。
 
 これは、教訓になる。なんでもそうだが、外部からのエネルギー注入には気をつけること。それは想像性をなくすし、集団を分解するからだ。


レパントの海戦

塩野七生
新潮文庫 438円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 5年くらい昔に読んだ本だが、再び本箱から取り出してみた。
 レパントの海戦はベネツィア、スペインのガレー船がトルコと闘う話だった。トルコ軍のなかに海賊をしている一人のイタリア人が傭兵として参戦し、この海戦後逃げられたのはその一団だけだった。戦いの後、その付近の海域が血で赤く染まった。
 かなり忘れている。内容も場面もおぼろげだ。しかし、最初に読んだときよりも、少しは世界史が頭に入っていたし、塩野さんの本は全部読んでいるので小説とも説明ともつかない塩野さん作品の中での立ち位置などを感じながらゆっくりと読むことがでいた。通勤電車の中でではあるが。
 


2007年10月16日

イエスの言葉

ジョン・ドミニク・クロッサン
秦剛平(訳)
河出書房新社 1942円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 秦剛平の本を読んでいたら、この本が参考文献い挙げられていたので早速読んで見た。とくに目新しいことはなく、購入は失敗した感がある。バートン・マックの本を読んでおけばQ資料についての話はとくにあたらに読む必要はないのだろう。
 キリスト教のそもそもの始まりなど知り得ないことは承知だが、それでも歴史として知りたいという興味はある。あるコンセプトが人類史に長く受け入れられた理由はそのときの人々の生活の実際の様子が知りたいのだ。

 今と昔は情報伝搬量も人々の教育度も違っているから比較はできないのだけど、それでも人の根の部分は変わりようがないはずで、いつでも同じような問題にまみれて暮らしているはずだ。ならば、今後同じようなことが起きることも考えれるから、自分の生き方にも影響を与えられてしまうかもしれない。
 今でのおかしなことを人々に強要するくにはあるし、日本もちょっと昔はそうだった。またそうなることがあるだろう。
 せっかく現代に生きているのだから、過去の大きなイベントについて「なぜ、そんなことが起きたのか」を知っておく必要はあるだろう。

 この本語録福音書部分に図像として掲載されているフレスコがヤ石棺の所在はほとんどローマであることに驚いた。あれだけ破壊された後でも残っているということは、当時はとんでもないくらいそういう物があったということか。
 どうでもいい感想だが。

木洩れ日に泳ぐ魚

恩田陸
中央公論新社 1400円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 またか。また、兄妹の話か。異母兄妹でないだけいいか。
 書き出しから引き込まれたがしばらくして小説の全景らしきものが浮かんでくると、この世界も恩田陸のものだなぁと思う。
 『夜ピク』のような明るさや、『黒と茶の幻想』のような暗さはないのだが、初夏の地中海のような気分はするはずもなく、晩秋の東北のような感じがする。トーンが灰色から白というものだ。
 とはいえ、この悲しみとも痛みとも思えない雰囲気のなかで、主人公の女性が一人考察する過程は恩田陸ならではだ。
 こんなふうに考察する人って、世間にどのくらいいるのだろうか。
 一人で自分の生活に関わることを考える場合、言葉と論理を積み重ねていくものなのか。すくなくとも、自分はしない。信じがたいくらい長時間考察しないといけない。
 小説の主人公がそれをするのならば、すくなくともそれ以上の考察を著者はしたわけだ。ならば、著者は普段からこんなふうに考え事をするのかもしれない。
 自分の過去と照らし合わせてみても、数学の問題に取り組んでいるときでも、そんなに考えないような気がする。

 一人で考える。あれやこれや考える。そういう過程が面白い小説なのだから、映画や演劇の題材にはならないだろう。小説ならではの面白さである。

2007年10月13日

井沢式「日本史入門」講座(3)

井沢元彦
徳間書店 1575円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 店頭に並んでいれば悩まず買って読む。歴史についての本ということなら、この人の本は買って損なしだから。この本も即買いした。

 扱っている時期は奈良から平安京までの時代で、例によって宗教(言霊)の影響をベースに日本史年表にある事件や文学作品の成立理由や彼らにおけるその意味について井沢さんの考えるところを説明してくれている。
 当然、目からうろこに違いもので、こんな授業ならば日本史に支払った時間もお金もムダではなかったのにと自分の過去を残念に思う。もっとも、これは井沢さんの本を読んだあといつもそう思うのだが。

 言霊の影響を補助線にすると、日本史における事件のそもそもの理由を思い描くのがずいぶんと自然なものに感じることができる。あまりにそう感じるので、いわゆる教科書なぞ、犬にでも食わせておけ、といいたくなる。教科書問題なんて、どうせ誰も読んでない教科書だからどうでもいいんじゃないか、とすら思うようになる。
 ただし、言霊を宗教として扱うのには少し異論がある。これは、「現実の問題をどうにかしようにも、どうしたらいいかわからない」という状況での人の自然な選択だと思うからだ。どうしたらいいのか分からないのだから、祈るしかないだろう。なぜなら、祈れば「少しは気分もおさまろう」から。
 権力を持っていた人の気分が静まれば、あとはどうだっていい時代だったはずだ。だらが、唄さえよんでいればよかったし、それ以外「やりようがない」ではないか。なぜならば、日本人は古代ローマ人とは比べようもないほどサルだったのだから、しかたない。

 それにしても、日本史はくだらない。もっといえば、どうでもいい。日本人って、サルだったんだなぁと思い知るために勉強するにはよいが、そもそもそれって意味があるのだろうかと思う。
 織田信長と幕末から明治にかけて。この時代は「現実」と接点をとる必要があった。だから歴史的に「意味がある」事象に満ちているし、その時代の人の「工夫」に感心することが多い。それ以外はゴミだ。すくなくとも、駄作を読んで過ごすには人生は短かすぎる。だから、日本史はどうでもいいだろう。井沢さんの本を読めるならば、他の学校で行われる授業は必要ないだろう。



新約聖書を美術で読む

秦剛平
青土社 2400円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 秦先生のキリスト教についての話は目からうろこばかり。キリスト教に対して抱いていた疑問や違和感を払拭してくれる、しかも、すべて「合理的な」説明によって。これがキリスト教ではなくイスラム教ならば一発で暗殺されているような内容ばかり。
 だから、秦先生の本では私はタブーを恐れない合理性を垣間見る思いがするし、おかしな人間をヤってつけてくれた爽快感までも感じることができる。

 昔の西洋絵画の題材はキリスト教に関係するものが多い。キリスト教といっても、その精神や考え方ではなく、福音書の「物語」の場面を絵にしたものばかり。
 印象派などの近代の絵画とちがい、それらを絵を見て、楽しむためには「前提知識」を持っている必要がある。知識を前提にして絵画をみるという方向。
 ところがこの本は、絵画の場面を説明して、それに関してのキリスト教側の物語とそのおかしな意味付けなどを講義している。

 キリスト教の信者なければその手の海外を楽しめないということはないだろう。何を表現しているのか、場面設定とその意味を共有することができれば、その教義の部分は無視して表現の工夫や結果の善し悪しを楽しむことができるだろう。少なくとも、自分はそう思っている。

 秦先生の本はキリスト教と関係ない人が読むとよい。その宗教の本質を理解できれば、「なんでまたそのような考え方が出てきたのか」について考える機会を得ることができるし、その結果、その宗教を完全に相対化することができて、その宗教についての無知からくる違和感を感じなくてすむだろうから。

国家を斬る

佐藤優
同時代社 1143円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 政治にはまったく興味をもたないままこれまでやってきたためか、佐藤さんが語る前提知識のようなものがすっぽり抜けていることに気付く。この人は相当な政治史の知識があるので、一般の人が読んでも多くはピンとこないだろうとは思うだろうことでも、誰でも知っているようなこととして話題に取り上げられている。
 専門セミナーであるからこそのシーンだと思うが、話題についての参考情報として本を挙げることはあまり見られることではないだろう。専門家たちが議論するような場は別だが。
 この本の元になったセミナー?にはどんな人が集まっていたのだろうかと少し興味をもった。普通の人でも、政治に興味を持っている人はいろいろ知っているんだと意外に思った。同時に、それを持っていない自分に対して、おれってダメなぁと反省してしまう気分になった。

 この本の内容は、官僚組織っておかしなことを平気でやっているんだなぁという話があふれている。現代人で頭がいいと言われている人たちでも、せっかく現在に生まれたのにこんな人にしかなれないんだなぁという、絶望を感じる。
 そういうひととのかかわり合いをなるべくゼロにして生きていくことは、道端に落ちている犬のうんこを踏まないように歩くのと同じような気分でいくよりないだろう。
 そういう、一種の覚悟をせまってくるようなことをこの本は教えてくれる。日本ってのはくだらないところだ。そんなところでも、一部の人は日本を世界の舞台に持ち上げてくれた。それは軌跡だな。自動車や半導体などを築いた人をまつる神社でもつくったほうがいいだろうな。

2007年10月 7日

騙されるニッポン

ベンジャミン・フルフォード
青春新書 730円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 陰謀説という言葉でフルフォードさんの本を封じる人がいる。普通の人には知り得ないことばかりで、不安な未来が描かれるような話は都市伝説ということで丸め込まれてしまう。
 しかし、全部が全部陰謀説や都市伝説なのではない。言霊に憑かれていない人ならば、たとえおかしなマスコミのだす情報であっても、断片的に組み合わせることで知り得ないことを知ることができる。
 大事なことはすべてプラウダに書いてあったと解説してくれた佐藤優のような視点があれば、日本でも同じようなことが可能なはずだ。

 フルフォードさんの主張はちょっと別の記事当たれば確認できるものがある。911の問題や不良債権の問題などもそうだった。現時点で日本はまだアルゼンチンタンゴを踊ってはいないが、だからといって「あれはでだまった」とうもう「すーぺー(超悲観的)」だとも思えない。

 こういう人が本を出版できるのは、外国人だからであろうと思っていた。ところが、フルフォードは古歩道と書くのが正式な日本人になってしまった。今後、こういう本を出版しづけられるのか不安ではある。

環境問題はなぜウソがまかり通るのか2

武田邦彦
洋泉社 952円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 さすがに1がうれたので続編が出版された。中だるみが多いかなと思ったけど、すこし切り口が違っている説明だったし、明解な論理と根拠による論証は読んでいて気持ちが良い。
 「自分は理科系でよかった。」と思わせてくれる本だ。

 ペットボトルの再使用は困難だしコストがかかる。温暖化による海水面上昇など対したことないし、森林うんぬんは視点がちがった議論になっていることがよくわかる。巻末に池田清彦さんとの対談があり、マスコミと役人とのおかしな行動についての話を読むと少しブルーになる。

 PETボトルの再生のイメージとして金属と同じに考えていたときがある。溶かせば元通りになると。多少の不純物なら簡単に取り除けるのだろうと。でも、よくよく考えると、PETは無理だ。高重合化合物が簡単にできるはずない。となると、材料の精練に偉くコストがかる。
 実際は、トラックで運んでくることや溶かすという工程の段階で、新しくPETボトルを作ったほうがエネルギー的にはとくなのだそうだ。都心ですらそうなのだから、東京以外ではそもそも輸送の段階で採算が合わないらしい。

 環境問題を推進する人たちは、戦争中の大本営と同じことを普通の人も一緒になってやっているわけだ。分けがわからないで環境問題を推進する人は、非国民と連呼していた人と同じということだ。

 そういう基本的なことをきちんと説明してくれている。もし、まともな環境問題推進をする気があるならば、この本の論点になっているところを自分たちなりに考えて結論付けたほうがよい。それでもやる、と結論するならばそれはその人たちの結論だから仕方ない。
 実際は「言霊」問題がるから、「そんな発言はするな、みんな一所懸命やっているのだから」と言って、バカが推進させるだけなんだろうけど。

 そう言えば、最近ゴミ回収の決まりが変わって、ほとんどのプラスティックゴミは「燃えるゴミ」になった。あれだけ分別回収を強制していたくせに、役人どもはしれっとやる。だったら、プラスティックとしてPETも追加すれば、おかしなPETボトル騒動も終焉するのに。

言霊 (2)

井沢元彦
詳伝社黄金文庫 505円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 カエサルの言葉に次のようなものがある。

人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。

 でも、日本人が「見たくないものを見ないし語らないし、ましてや考えることもしない」という態度をとっても、それは人はそういうものなんだから仕方ない。そう思ってきた。
 しかし、言霊という補助線をいれると、すこし別の景色が見えてくる。

 ところが、日本人はまずその危険の想定というところで引っかかる。いうまでもなく言霊の世界では、言えば起こるわけだから、危険を想定するということは、言霊の世界の感覚では、それが起こることを望んでいるということになってしまう。あるいはその実現を祈るということになってしまう。  だからこそ、日本人はまずこれを嫌い、自分が口にすることも、他人がそれを口にするようなことも嫌うようになる。そしてあまつさえ、社会的圧力をかけ、その発言を弾圧するということにもなる。

 言葉を封じることで、無かったことになる。だれも口にしなければなくなる。憲法9条問題の根拠もそこにあるのだと分かれば、その問題を解決するには日本人全体のもつ「言霊」に関する認識を変える必要があり、多分無理なんだろうということまで予想がつく。

 ここで絶望するかと言われればそうではないとこたえる。日本人全体はかわらないだろうけど、言霊の作用をしった自分については返ることができる。また、言霊の作用に気付いていない人のとる行動も高い確率で予測できる。そういう人たちの中で、工夫して生きていくにはよい知識をもらったと思う。

言霊

井沢元彦
祥伝社 NON POCHETTE 480円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 なんだかよく分からなかったことがあるキーワードによって真っ青な空のように理解できることがある。それを「補助線」という比喩をつかう。
 日本の普通の生活において、マスコミやら世間やらにおけるタブーの根源をこの言葉で理解することができる。それが「言霊」である。言った事は現実化する。いや、言わないよりも言ったときの方が現実化する可能性が高くなる。
 幽霊だの宇宙人だのに興味を持たない人でも、言ったら現実化する可能性が、全く無視するよりも高くなるような気がするというような「感覚」はもっているのではないか。ばりばりの理科系だと本人は思っている私ですら、「言霊」の意味を知るまでは思っていた。

 だから、日本史では不可解なことがおきるし、日本軍はおかしなことをするし、いまでもマスコミや役所はおかしなことをする。口する、発表する、そういうことはつねに「現実化するかもしれない」というタブーに近い感覚を共有している日本では、言葉にできない。いまでも言霊が生きている。
 山本七平のとく日本教や員数主義、あるいは三島由紀夫が主張していた内容とその結末が井沢さんの補助線でよくわかった。

 一つの補助線を見つけると、今後似たような問題に接することがあれば、まずは使ってみるほうがよい。新聞のたて吊り広告もこの補助線でいろいろ楽しめるので今からワクワクする。