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2008年2月28日

ハートで感じる英語塾

大西泰斗+ポール・マクベイ
NHK出版 950円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 再び目からうろこの本だった。参った。この本のおかげで英語への理解が深まった。当時に、なんだかヒヤリングが楽になってきた気がする。これは気のせいではない。ヒアリングが楽になると、英語の読書も気が楽になった。ヒアリングとリーディングはつよく関係していると思う。おそらく、リーディングは黙読であってもぼくは頭の中で音に変換しているので、結局のところヒアリング能力が重要なんだろうと思う。

 この本はアメリカで読んだ。夜寝れないので、深夜から明け方にかけて読んでいた。まったく、と思うけど、それでも「なんでこういう風に学校で教えてくれなかったのだろうか」と恨みを感じながら、また、この歳であっても読めて良かったなとも感謝しながら読んでいた。私の真の意味での英語の先生はこの二人であると思う。一連の本との出会いは幸せなことだったと思う。

 何に感動したのか。それは実は単純なことだ。英語は単語を配置する言語である。ただ、それだけ。前から限定し、後ろから追加説明する。配置によって意味が生成される。これが、てにをはによって単語をくっつける言語との本質的な違いである。そんなこと、知っている。そう言われる人も多いだろう。でも、本当にしっているの? ぼくは知っていると思っていたが、この本を読んで「あ、わかった」と思った。だから、そういう人も結構いるのではないかと思う。英語は単語を置くだけで意味が生成される。TOとかATとINとか、そいうものがなくてもいいのだ。

 気付きは大切である。英語は左から順番に意味が確定していく。だから、左から順番に理解していくことができる。だから、全部を記憶して、遡って理解する必要はない。だけど、英文和訳って、大抵全部よんだあと順番をかえて自然な日本語に訳させるが、あれがヒアリングの能力を妨げているなぁと思う。ヒアリング時に翻訳をしようとすると、いったん全部憶えておかなければならない。そして、一文が終了したあとに一気に翻訳し、次の文章をまた記憶していく必要がある。そんなこと、できわるわけない。あの和文英訳のクセがぼくの英語力を羽交い締めにしていたのだ。それに気付いた。左から順番に理解することができれば、憶える必要はない。左から限定、右は説明。その繰り返しで英語を日本語を経由せずして理解できるのだ。大発見だ。

 なるほど。ぼくが英語を教える立場になることはない。とすれば、世の中の英語の先生、どうかこういう教え方を子供にしてくださいな。本当に、お願いしたい。でも、無理なんだろうな。

2008年2月25日

ひとはなぜ学歴にこだわるのか

小田島隆
知恵の森文庫 648円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 ずばりのタイトルである。なんでなのかといわれても、レッテルとしてすごく情報量がありますから、当然そうしますよ。この本でどんなにレッテル性に疑問を呈してもダメでしょう。世間がそれを欲していますから、負け試合になります。ほっておくしかないです。

 いろいろな大学の学生と接する機会が多いのですが、内容は大学によって変わることはありません。同じ大学でも個人としての違いが圧倒的に大きいです。ただし、大抵の人は大学のカラーに合わせてようとしているようです。早稲田は早稲田的、慶応は慶応的というように。直接モノを造り出す仕事に付く場合は、それが理科系であろうと文科系であろうとなんだっていいのですが、大学は関係ないです。一方で、管理職とはマネージャーのような仕事は大学名が幅を利かせます。だって、バレませんからね。

 この本では学歴を相手に、そのメカニズムを探ろうしていたり、実際をレポートしていたりとします。だだし、結局のところ早稲大学出身の著者のことが書かれている章が一番正直な言葉で淡々とかかれていてよいと思います。まぁ、その程度のはなしなんですどねぇ、と読める読者がどれだけいるのかは疑問がありますが。

 日本の社会が学歴社会である面が大きいので、この問題はどうにもなりません。会社員はつまるところ学歴しかないのです。役人や学者は東大倶楽部にいるほうが圧倒的にお得です。では、そうでない人はどうすればいいのか。この本では書かれていませんが、方策はあります。現実と接地した仕事をとることです。歌手だって画家だって、プログラマーだって、小説家だっていいです。結局、「面白い」とか「すごい」とかあるいは生き死ににかかわるような仕事につけば学歴問題は解消します。日本の社会で学歴がとやかく言われるのは、要するに実力がばれないサラリーマン社会だからでしょう。


2008年2月24日

無責任のすすめ

ひろさちや
ソフトバンク新書 700円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 出張があった。ロスだから観光ルートだし、目的地もヒルトンホテルだから経路上に不安はまったくない。遊びでいくよりも気が楽なものだ。だからだろうか、いつも飛行機では塩野七生を何冊か読むことにしているが、今回は成田空港のツタヤでこの本を見つけたのでまずはそれを読んでみた。わりと余裕があるシートだったので、最初の食事をはさんでの時間で読めてしまった。なんてことはない、いつものひろさちやらしくない本だからすいすい読めちゃったのだ。

 ひろさちやを読むときは大抵疲弊した気分なので、気分にしみるような言葉があるとじっくり立ち止まってしまうことがしばしばなのだが、この本はどちらかといえば政治批判だからそういうところがなかった。いつもは読者への語りかけなのだが、この本は政治批判なので読者への語りかけはどちらかというと少ない。「あなたは何も気にする必要もない。今のダメな状況はまずもって責任を取るべき人間がすべてそれを放棄していることにも問題があり、普通の人はなんら気に欠ける必要はない。」という呼びかけなのだ。

 それはそうだ。普通の人に何を反省しろというのだ、とぼくも思っているので読んでいてよどむところがない。だからといって、役所の周りを抗議デモするつもりもないが。どうやったって、ダメなんだろうなぁと、もはや諦めているのだ私は。

 でもなぁ、そういう本じゃない本を読みたいのだ。政府や社会は個人ではどうにもならなん。そんなのはすてておいて、何を考えて生きようかというような思索を読みたいのだけどなぁ。

2008年2月22日

<現代家族>の誕生

岩村暢子
勁草書房 1800円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 社会学というものがあるのだとしたら、おそらくこの本のようなものがアウトプットとして優れた評価を受けるのだろうと想像する。まったく、すごい。どう表現していいのかわからないのだけど。家族、という現象を中心に日本の現代社会がどう変遷したのかがわかる。物事はいろいろなものと関連をもっている。あるものが他のものによって影響され、その結果別のものへと波及する。実にダイナミックなものなのだ。そういうイメージをぼくに与えてくれる。テレビ番組でやってくれないかな、と思う。そうすれば、見る人はたくさんいるだろうから。

 現在の普通の家族の食卓風景について、ある意味本当の姿を見せる。そこが話の発端になる。食パンとラーメン、総菜がごちゃごちゃになって置かれているが、これが夕飯だというのだ。まさか。さすがにそう思ったのだが、どうやらこれが以上な風景ではない、とこの本は話を切り出している。まさに、驚きの風景である。一体全体、どうしてこれでいいのだろうか? どうして、こんな家族ができちゃったのだろうか? このお母さんはどうしてこれいいと思っているのだろうか? どんな育ちかたをしてきたのだろうか? これが、探求のそもそもの動機である。そして、それは十分に「科学」である。

 結論への解明の道筋はこの本を読んでもらうとしよう。別にミステリーでもないから結果をいってしまうと、戦争ってやぱりスゴイインパクと社会に与えているんだなということ。そして、現代社会の変化のし方は、親の機能を無意味にするくらいインパクトがあるのだとわかる。実にビックリする。親でさえモノを教えられないのだから、おばあちゃんが役立つはずはない。なるほど、家族という言葉が指し示す意味が、どうやら戦後社会で変わってしまったようだ。もっといえば、家族の形態が日本で定着してから数百年たっているが、それがここ数十年で変わってきているのだ。

 それだけではない。生活の色々なものも、絡み合っていることがわかる。電気洗濯機などの家庭電化製品が主婦の仕事を減らす。すると、ヒマになった時間ができる。テレビはワイドショーを料理番組を始める。町ではお買い物を勧める。情報交換が頻繁に行われる。考えてみれば、戦中戦後は食べるのが精いっぱいだったのだから、家庭の味なんてあるはずない。その世代が料理学校へ通い、婦人雑誌やテレビで料理を憶え、それを子供にだす。インスタント食品、冷凍食品、総菜屋が幅をきかす。いったい、どこに古くから伝わる料理がるのか? 生活のための道具が変わる。どうして、おばあちゃんが知恵があるのだろうか。社会に対応していくのは常に若い人であるならば、継承するべきものはない。かくして、家族が家族たる意味を消失される。

 なかなかうまく説明できないが、そういう色々なものを一気に知ることができる。稀にみる本である。私は勉強になった。そして、考えるようになった。家族って、本当に必要なんだろうか。

2008年2月21日

Googleに聞け

安藤進
丸善 1470円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 英語で論文を書かざるを得ないときに頼りになるのはGoogle。お金がないからNative checkなんて受けられないけど、だからといって英文に自信があるわけではない。むしろ、積極的に「ない」。この本に紹介されているフレーズ検索をぼくは多用している。丸ごと検索して、そういう文を含んだページがどれくらいあるか見てしまうもので、友人から聞いたときめからうろこだった。ためしに、"Is this a correct expression?" と "Is this expression correct?" とをGoogle先生に聞いて見たら、

http://okwave.jp/qa1755295.html

というようなページがでてきて度肝をぬかれてしまった。やっぱりGoogleはスゴイ。

 ぼくの場合は、「こんな英語あるのかな?」を試すときに丸ごとグーグルで検索する。ヒットする件数場多ければ多いほどありえる表現であって、そのページが英語圏のもならば信用できるだろうと考えるから。それは、この本と同じ。しかし、もしNativeの人が友人にいても同じことをするだろう。丸ごとその人に見てもらって、「これってありえるか?」と聞くのだろうから。

 ただし、Googleには限界があって、それは「より適切だと思われる候補を教えてくれる」ことがないことだ。文法的に正しいかどうかを計算機が判定することはできるけど、言いたいことかどうかを判定することはなかなか難しいだろう。文脈についての説明がなされえていないからだ。言葉の意味は、その言葉の周りが決めているのだから、周りについての知識なしで、つまり文脈なしで、適切な言葉やフレーズを選択することはできない。まぁ、ちょっと人工知能の話にはいってしまいそうだから、ここでやめる。

 それにしても、Googleに聞くと適切な回答を示してくれるのならば、それはチューリングテストをパスしてしまうようで、なんとなく本当にGoogleが先生に見えてくるかもしれない。

 言葉の正しさといったものは、人々が判断する。どんな表現でも人々がそれを今日すればそのうち正しくなる。物理のような正しさなる型は存在していないのだ。ということは、もしGoogleのバグかなにかで、ある表現についての検索結果が多くでたりすると面白いことが起きるかもしれない。その表現は「正しい」とグーグルがいっているようだからということで使った本かなにかがベストセラーになり、一般化してしまうなんてことがあるかもしれない。

 そんなことをぼやーと考えられたので、この本をとても気に入った。


2008年2月19日

インド夜想曲

アントニオ・タブッキ
白水社 1500円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 須賀敦子の翻訳を読みたいと思って購入し、一読。「ある家族の会話」のような、複雑な感じがする小説を覚悟していたので、この本のすこしライトな感じが驚きとともに清々しく感じた。そうだな、南の島の夕方に少し涼しい風を頬にうけて濃紺の空を見上げたときのような感じ、といったらいい過ぎだろうか。(そういう比喩は得意ではないのでご勘弁を)

 さて、小説といっていい。結局、ミステリーが開いておわるような感があるが、それでも本書の旅の感覚は普通のミステリーでは味わえないものがある。なんだろか。一般性がない例えかもしれないけど、森本哲郎の旅のような感じがしつつ、そこまで哲学的になり切れなかった、という位置づけがぼくにはしっくりくる。インドについてよく知っているかもしれなけど、その背景にあることへの哲学までは扱えなかった。だから、目で見るものを追うし、西洋とはちがう貧民国の生活を描くことで話にコントラストをつけているだけで、その背後にあるものまでたどり着けなかった。そういう感じである。

 キリスト教徒でないとしても、価値を評価するときの西洋人の基準がぼくの基準とは全く別で、なんだか「よくわかってねぇなぁ」と言いたくなる気がするものだと知った。だから、主人公が何かを言っているようで、なんだかうすいなぁ、とも思ってしまう。

 いや、そんな話はどうでもいいか。須賀敦子の翻訳はどうだったのか。外来語でいまと違うものが2,3あったが、それ以外は気にならなかった。というか、綺麗なものだったといいたくても、描写の対象がインドの普通の人の生活だから、いわゆる「綺麗な」ものになりようがないので、なんともよくわからなかった。読みかけの全集にもどるか。

2008年2月18日

科学は豹変する

養老孟司+和田昭允
培風館 1500円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 失敗。養老孟司と名が付く本は大抵面白いのだけど、対談相手が悪かったため本全体が全損してしまった感がある。別に和田昭允という人に悪気があるわけではないし、老人が嫌いというわけでも決してないけれど、「おれは偉い」という人には近寄りたくないという生理的な応答なので自分でもいかんともしがたい。老人になっても「政治」をやる人、つまり、何とかセンターのセンター長のような役をやる人には腐臭を感じてしまって、何故だろうと思う。この本の表紙に笑顔のじいさんという感じで和田という人の写真が掲載されているが、直感的に政治屋だとわかるような顔である。人生は短い、関わらなくていい人には近寄らない。くわばらくわばら。

 この件で自分の直観に信頼が置けるようになった。実はこの本は数年前に買ったはずで、ずっとほったらかしにしてったのだ。養老孟司の本は目に止まったら購入し、読んでいる途中の本があっても養老孟司の本を読みだすことにしている。それくらい好きなのだけど、この本は読む気がしなかった。なんだか、嫌な感じが表紙からただよっていたのだ。つまらない本をさもいいことが書いてある、あるいは、みんなが学ぶべきことがかかれているとでもいいたげな感じがして、嫌だった。培風館って、センスないですねぇ。この本も何かのバーターだったんですかねぇ。

2008年2月15日

レバノンの白い山

山形孝夫
未来社 1800円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 30年以上まえに出版されたレバノンの神について。著者は学者なんだけど、中身は予想に反して退屈しなかったし、飛ばしたりもしないですんだ(もっとも、本論だけでおまけの論文は飛ばしたのだが)。学者の書く本は動機にあいまいなものがおおく、要するにオレは偉いといいたのか、仕事だから情報らしきものを垂れ流しているようなものばかりだったので、この本もそうかなと疑っていたのだが、外れた。著者の体系化された知識の開示で、本が面白くなるわけがない。この本は、著者が本心から感心したり疑問に思っていたことを主題にしたからよかったのだろう。

 レバノンについて、知っていることなどほとんどない。中東にあり、イスラエルの上、シリアの横。それくらい自分とは遠い存在なのだ。著者は導入に、ちょっとしたら気候の不思議から入っている。寺田寅彦的なちょっとした物理の解説で、レバノン山があるために地中海から吹く冬の西風がレバノンに雨期をつくるというもの。砂漠ばかりある地域なのに、しっかり雨が降る。がゆえに、作物ができる。その環境が砂漠の民たちと違うメンタリティーをレバノンの人に与えた。その中に、毎年巡る雨期明けに植物が芽吹く「再生」という概念も含まれていた。そして、それが「神」となる。そういう解説なのだ。

 この本は解説だから日本語で表現されていることに疑問を感じないが、職業として作成する論文は日本語なのだろうか? いくら日本語で書いたとしても、読む人は日本人だけだ。中東の歴史ならば、そもそも中東の話であって、議論の中心も記録の中心も中東の方にあるのだろう。必ずしも英語で書く必要はないだろうけど、それでも日本語よりはいいような気がする。もちろん、この分野の研究者はアラビア語をはじめ何カ国語も操れるのだろうから、日本語にしたのは日本人に向けたメッセージだからだろう。その動機はどこからくるのだろうか。

 日本人は英語を本気で勉強するよりも、日本語訳をたくさんつくるという方法のほうが好きみたい。それって、すっごくコストがかかるのだけど、歴史的なクセなのかもしれない。日本人ならば日本語がつかえる。日本語の本があれば、読む努力を惜しまなければ大抵のことを知ることができる。この戦略が有効な理由は、この本の著者のような人がいるからだろう。業績を狙っているのではない、文化を蓄積してくれているのだ。せっかくだから、もっと古本を掘り返してみて、いろいろ読んでみようと思っている。


2008年2月13日

カカオ80%の夏

永井するみ
理論社 1365円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 スカパーのミステリーチャンネルのある番組で、女の子の書くハードボイルドの決定版とかいうことでお勧めされていた。年末の番組だったし、正月向けの本をたくさん書こうと思ってたのでこの本も候補としていたが、いつも出かける丸の内ブックセンターでは売り切りだった。その足で丸善本店にもよってみたがなかった。結構売れいているのだなぁ、と思って買わずじまいだったのだが、嫁さんがブックオフで仕入れてくれた。

 女の子のハードボイルドってなんだろう。そもそも、ハードボイルドがわからない。嫁さんに聞いてみたところ、「さぁ。酒とタバコと拳銃がでてくるんじゃないの? フィリップ・マーローみたいなもんでしょ」ということだった。よくわからん。なんでそれが、固ゆでなのだろうか。

 例によって通勤電車で読み始めたが、ルビがめだち、文字がでかし、行間も多いので、ライトノベルなのかと思っていたが、わりと面白い。人によっては違和感があるのだろうけど、清涼感がある出来事で、嫌な気分になるようそが全くなく、とっても感じがいい気分がした。いわゆる、ミステリー。場所も出来事も無理がないので、いい感じの多部未華子あたりがドラマをやってくれるといいなぁと思う。

 それにしても、ハードボイルドの要素はいったいなんなのだろうか。ロング・グッド・バイとカカオとの共通点って、ミステリーなところくらいか。それはそうと、この著者の別の作品も読んで見たい気がする。

2008年2月12日

亜玖夢博士の経済入門

橘玲
文藝春秋 1650円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 橘玲の本だから株や借金の本だろうと思って読んだのだが、かなりシュールなものだった。対象範囲は経済という枠ではくくれない「社会・心理」までおよんでいる。いじめや詐欺についての考察はマスコミには登場しない見方であって、的確とおもえるがゆえにシュール感がただよう指摘になっている。本としては悪くはないが、読んで楽しい愉快な気分はしなく、どちらかといえば寂しい気分がする。株については、「本気でやったら絶対勝てないけど、いい加減にやっている人は儲かるかもしれいが、それが家計を支えることはない」とぼくは考えているので、空売りの話には興味が持てなったし、今後もないだろうなと思う。

 連載だったせいか途中に苦しいところや不必要じゃないかなという記述、ちょっとどうかな感がある箇所がある。登場人物にリンレイという男の子がでてくるが、これが著者のアバターなのだろうか。それと、橘玲の本には、ホームレスの人が登場してくることが何度かるが、著者はホームレスとなることに抑圧された恐怖を抱いているような感じがする。そんな感じが本全体の通奏低音になっているように読める。おそろく、それを感じ取ってしまうから、良くできた話でも寂しげに思えるのかもしれない。

2008年2月10日

ひとりでいは生きられないのも芸のうち

内田樹
文藝春秋 1400円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 新刊で発売されていたので購入した。ブログによれば、夏までに何冊もの本がでてくるそうだけど、ソースはブログなのだろうからどの本もこの本と同じような品質を保ってくれると思うので、楽しみである。売れるとどばーーと本が出版されるが、次第にダメ本が多くなるのは世の常らしく、斎藤孝や茂木健一郎の本のような悲しい状態なることを心配したりすが、まぁ、大丈夫だろう。

 内容は、一人で生きるとうスタンスを生き方に採用すると、遠からずその人は社会のなかでは沈んでいき、その数が増えばその社会も消滅するだろうということ。下流志向と同様のテーマが全体に流れているもので、自分のそういう傾向があることを知っているだけに、少し反省したり不安になったり、でも、しょーがねーだろ、という気になったりしている。40代以下の人にならば、全員に該当しそうなことだから、読むことをお勧めする。しかし、100万部は売れないだろうから、本の影響力って少しパワー不足な気もするのだけど。

 個人の幸せを求める。まず、自分から幸せになることが大切で、他の人は他の人。そういう傾向がある人は、その人もその人が属する社会もあまり結果的には幸せになれないかもしれない。確かに、そういう人があまり存在していない時期のその戦略を採用すればいい思いをすることが多かっただろうけど、周りがそんな人ばかりになったら、その戦略を取るとダメなのだ。まず、それを認識できるか。

「日本というシステム」がクラッシュするときに、私はそのカオスを生き延びれるか、そのような破局的状況のときに生き延びる役に立つどのような資源を私は持っているか、あるいは開発しつつあるかという問いを切実なものとして引き受けている子どもたちは今ほとんど存在しない。しかし、それは、戦後六十年間の平和と繁栄のコストとして引き受けねば成らないことだろうと私は考えている。
 絶えず国家システムの崩落や通貨制度の解体や隣人によるテロや略奪の可能性を勘定に入れて行動しなければならない国民はたしかにデインジャー対応能力は高まるだろうけど、不幸な国民である。

 誰をせめても仕方ない。人は社会に適応するし、社会は人によってかわるという連立したダイナミクスをもっているのだ。これまで幸せだった分、今後不幸になるのは仕方ない。

 社会レベルの予測はいいとして、個人レベルではどうだろうから。普通のサラリーマンのような人にはどのようなメンタリティーに問題があるのだろうか。

 若い人は「やりがいのある仕事」を求めて、たびたび転職したりする。
 この場合の「やりがいのある仕事」という言葉を彼らは「受験勉強と同じような仕事」という意味で使っている。つまり、自分で選択した仕事における自分の努力の成果が、他ならぬ自分宛に、客観的評価を受けて、決められた日時に、開示されるような仕事のことである。

 まさにそうである。自分でやったら、自分が評価されるべきだ。そう思うのは自然だとぼくも思う。最悪なのは、自分でやったことが人の成果となること。しかし、そもそもは、自分でやったことも何もある組織のため、もっといえば、信頼しあう仲間全体と分かち合う結果に集約されるのならば、あまり文句はないだろう。でもねぇ、いるんだよねぇ、全部自分の徳に帰着しちゃう人が。こういう人が排除されないと、グレシャムの法則が聞いて組織全体がつぶる。だから、成果主義をやれば、そもそも組織は成立しなくなり、結果的に全体がダメにになるんだろうなぁ。もっというと、それはそれで自然の法則のような気もするのだが。

 となると、あとは逃げるよりない。そういう兆候のあるところから逃げる。それじゃぁ、何の解決にもならない。ダメだなラオレはといわれながらも、奴隷になるつもりはない。内田樹の本はなるほど現在の問題点と自分のダメなところをよく見せてくれるが、といっても解決しようもない状態だと認識するだけで、自分の今後を悪くしないようにはできるかもしれないが、よくする方法が思い浮かばない。まぁ、仕方ないのだけど。

2008年2月 8日

ソクラテス最後の十三日

森本哲郎
PHP研究所 1500円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 ソクラテスくらい知っている。無知の知だろ。饗宴で話し合うやつ。毒杯で死んだんだよね。とまぁ、いってみればこのくらいしか知らなかった。哲学でいえば、いろはのい。専門にする人ならば知っているのだろうなぁ、でも、普通の生活をする上でどこまで必要なのかわからないし、そもそも哲学の本って、人にわからせようと思って書かれていないので、好きじゃない。ぼくはそう思ってこれまで敬遠していた。本棚には一時森本哲郎の本を古本で買い集めた事があって、読んでないものも何冊があった。最近、森本哲郎の本を読んで、やっぱいいいと思った。そういうわけで、古本を読んでみたのだ。

 いわゆる歴史小説とも違う。森本哲郎の本は、旅と思索のエッセイとも小説ともつかない本なのだけど、この本も歴史小説といわれればそうなのかもしれないが、ちょっと変わっている。この本も、森本本なのだ。結局、思索が中心で、普通の人ならば理解できるようなレベルの言葉でゆっくりと考えがまとまっていく。論理を積み重ねて、だから正しいという人の話は聞かないことにしているのだけど、ソクラテスがもしこういうふううに考えて、それを議論していたのであったら、哲学は普通の人と値が鋳物だったのだろうなと思う。そして、おそらくはそうだったのだろう。

 誰の本だったか、ソクラテスは死ぬということを知らなかったはずだから毒杯をのむことについて全く恐れなどもっていなかったはずだ、と書かれていたのを読んだことがある。そのときは、そうなのかもなと思っていたが、この本を読むと知らないから恐れていたのではなく、精神が不滅だと「信じていた」から、恐れる必要ないと自分に言い聞かせていたようである。信じていたから恐れないのならば、ソクラテスも信心深かったのだ。もちろん、ギリシャの神々は信じていたから、言葉の使い方は間違っていないのだが。

 もちろん、牢獄に入れられていた期間の思索を含め、精神的なないようは森本哲郎の理解なのだが、もっといえば原本もプラトンの理解なわけで、結局本当のところなどわかるはずはないし、わかる必要もない。歴史学の場合は史実との関係で人の行動についての正確性が問われるが、行為にいたるまえでの思索まではあまり表現されない。だから、素人の私は歴史学に興味を持たない。なぜならば、自分にとって関係があるのは人の思索だから。事実とは異なるもものだろうし、プラトンの残したものとも違っているのかもしれいこの森本哲郎のソクラテスであるが、いわゆるソクラテスを少しは知っていることにしようと思う。

2008年2月 7日

異郷からの手紙

森本哲郎
ダイヤモンド社 980円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 ゆたかさとはなにか。生きるとはなにか。精神とはなにか。そして、わたしたちとは何か。こういう誰でも感じる哲学的な疑問について、旅をとおして考える小説。いわゆる結論はないのだけど、森本哲郎の本が好きな人ならば楽しく読めます。自分探しという、矮小化されたテーマとはちがう。いわゆる、今をリセットするための行動ではなく、数千年つづく、というか人がいる間つづく普遍的なテーマを追っている本ですが、ごく普通の人が出来そうもないたびを仮想的に体験することで、読み終わった後、ため息をつき、久しぶりに日本に帰ってきた気分がしてくる。森本「本」とでもいうジャンルなんでしょう。

 この本は確か文庫本にもなっているはず、入手しやすいはず。ぼくは神保町のガレージセールで3冊500円で買いましたが。テーマがテーマだけに、現代の人が読んでも言い本だといえるものだと思います。ただし、世界情勢は少しずつ変わっているので、バクダットのホテルに普通に泊まったりするところが時代を感じさせはするのだけど。

 森本哲郎の旅はヨーロッパではなく、インド・中東・ギリシャなど古代文明があったところが多い。そして、かならず修業するくだりがある。老師がでてくる。よくわからない言葉が、修業していくうちに体感できるようになる。そういう構造があるのだけど、それはその当時の型だったのだろうか。ぼくはよく知らないピッピーのいた時代の話には、どうもピンと来ない。そして、本でも求めているものが悟りの境地であるところが、ピッピーと似ていなくもない。このあたりも時代を感じさせるので、余り多く本が現在では流通していない理由なのかもしれない。

2008年2月 5日

ゆたかさへの旅

森本哲郎
ダイヤモンド社 750円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 神保町の古本ガレージセールで見つけた。森本哲郎の本を読むと、これが哲学なんだなと感じることができ、勉強になる。本当に勉強になったのかどうかは計測できないけれと、モノを考える大人とはこういう人をいうのだろうと思うのだ。ぼくが本を読むようになった頃(といっても、高校卒業後だが)、地元の古本屋で森本哲郎の文庫本を買って、面白くて読みふけった思い出がある。言葉への旅というシリーズだった。その頃は、自分で物を考えるという習慣がなかったし、用事もなくたびに出かけるなどという発想そのものがなかったので、いろんなことを学んでしまったと思ったものである。20年たった今でも、あの頃と余り変わっていないから、ぼくは哲学者になれれない性分なのだろうと思う。憧れと尊敬をもって、森本哲郎の本を読んでいる。

いや、まったく。日曜日というのはいまいましい日である。とくに午後がいけない。陽が午後に傾いていくのをぼんやりとながめて、やれやれ、こんなぐあいに休みは終わってしまうのか、などと考えると、なんともやるせない気になってくる。月曜日は忍び足で近づいてくる。しようと思っていたことは山ほどあるのに、なにひとつしないうちに休日は去っていく。

 この出だしの一文でやれてしまう。それは、ぼくも毎週思っている。ソファーにすわって窓の外の空の色を眺めながら後悔をする。ただし、「サザエさんシンドローム」ではない。会社が嫌いなわけではない。職場も仕事も好きである。それでも仕事とは違うことをやるには週末を使うわけで、やりたいことがいろいろあっても結局夕飯にワインを飲んだらもう寝るしかない。そういうものだ。オレはたいしたことができない人だなぁ。

 この本は、結局のところ「人にとっての豊かさとはなにか」を考える思索的な小説であり、インドへの旅を含めた経験から物語るワザは森本哲郎ならではのものである。結論めいたものは、別の本と同じであるのだが、たいていは一般的には貧しいと思われいている人たちの生活を近くでながめると彼らの方が幸せあんだろうという思いを紹介するのだ。

 こういう思索的な本を読むと、自分もつられていろいろ考える。だから、哲学の勉強には持って来いなのだ。ある人がどのように思索していくのかをゆっくり追体験できる。人の思考過程、とくに、数学的な表記ができないものは、こういう本をゆっくり読みながら考えることでしから学べない。もし、自分一人でやるしかなかったら、とても見晴らしの良い風景のところまでたどり着けないであろうと思う。若い人ほど読む価値があると思うのだが、この本の書き出しに共感することはないだろうから、その場合は別の本を紹介する必要があるだろう。

 この本を読んでこう思った。日曜日の午後2時から夕方までは、むしろ放心状態でいた方がいいかもしれない。効率的に思索するなど無理なのだし、ぼくのレベルではまず問題をゆっくり形にするところから始めないといけない。

2008年2月 2日

深海生物の謎

北村雄一
サイエンスアイ新書 952円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 深海生物はグロテスク。ぶにょぶにょしているか、目がでかく歯が鋭い。要するにお化けだ。魚屋でみかけるアンコウなど、どうしてこんなものが食えようかと思うだろう。透明ならばまだしも、妙に赤かったりする。漆黒の深海で写真を撮るのだからライトをつけるのだが、それがまた恐怖映画のライティング。どういう読者がつくのだろうか。気になったから買ってみる。カンブリア期の生命のような、不思議なものがたくさんいる。それも、今現在存在している。そういえば、日本の回りは深海だらけ。もっと、深海に関係する学問や技術開発活動がおこなわれてよいだろう。少なくとも、宇宙よりは成果が還元できそうな気がする。

 冷静に考え始めたら底なしの生命の多様性が気になる。なんでこんな不思議なものがいるのだろう。その生命は、とはいえ地上にいる動物よりは単純なのだ。深海生物にむかって気持ち悪いだのおかしいだの人が言えた義理ではない。人間を含む動物のほうがよっぽどおかしなものである。どうしてこんなものが進化によってできるのだろうか。

 ゆめナマコについて知ったところでどうということはない。知らなくて良い。とはいえ、気になるものは仕方がない。なんでこんなものがいるのだろうか。そういう疑問について妄想するならこの本はよきガイドブックになるだろう。