« 2008年4月 | メイン | 2008年6月 »

2008年5月30日

ロードス島攻防記

塩野七生
新潮文庫 400円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 5年くらい前に一度読んだ本である。今回、ロードス島で開催される学会に参加するために、この本を携えていった。行きの飛行機で読む時間はなかったので、現地のホテルでぱらぱらと読んでいた。

 学会も終わり、半日ほど自由行動をする時間がとれた。ならばこの本をその現場で読もうと、ロードスシティーの城壁内へ足を伸ばした。金曜日の午後。騎士団長の館は3時でしまるのだが、その30分前くらいに滑り込むことができた。広い中庭の橋にある日陰に座り、ペットボトルの水を飲みながらこの本を読んでいた。時間がないから仕方なくの行動だったのだが、いざやってみるとこんな贅沢はなかなかできるものではないものだ。その後、小説のシーンが進むたびにその現場まで歩いていき、そこでその部分を読むという行動を繰り返していた。人生、こういう経験はなかなかできんだろうと思いながら。

 この本もどこかの修道院にあった古文書を参考した物語なのだろうと思うが、眼前の風景をもとに想像力を働かせながらの体験にはちょうどよいと思う。ある意味、これはツアーになりえるかもしれない、などと思ったのだ。


2008年5月24日

ルネサンスとは何であったのか

塩野七生
新潮文庫 580円
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 丸善

 この本はすでに何度か読んでいるのだけど、文庫本で発売されて人気がでているようだし、たまたまギリシャに出張することもあったので機内で読むために購入した。ぼくが一番最初に手にした塩野七生本である。

 ヨーロッパへ行く機内、最初の3時間は極楽である。元気一杯でワクワクした気分の中、シャンパンを飲みながら塩野七生本を読む。涙がにじみ出るくらい幸せなひとときである。それが狭いエコノミーシートであっても、最初の3時間はなんとも思わないのだ。ただし、3時間過ぎから地獄のような苦しみがまっているのだけど。

 この本は書き下ろしである。体系だった説明をしている。もちろん、そこは塩野七生である。素直に先生の言われることを感心しながら聞く気分になる。勉強するって、楽しいな。そういう気分全開で読むのである。歴史を学ぶことそのものの意義を完璧に教えてくれる。おそらくだが、日本に現存する歴史の先生の授業を受けるだけならば、歴史の授業なんてないほうがいいのではないとすら勝手に想像する。なぜならば、それは「歴史とはつまらない」という認識しか与えてくれないからである。

 この本のおまけである対談ではビックリすることがあった。単行本にはなかったもので、最近収録されたものなのだろう。だから時効という意味ものあったのだ。日本にいるルネッサンス研究者やマキャベッリ研究者の塩野七生いじめがどいうものなのか初めて知った。この学者たちはバカである。そうとしか言えない。すなくとも、塩野七生が絡んでくるなら金輪際仕事をしない、という脅迫をNHKなり出版社なりに出してくるような人しか、学者にはいないようである。だれも読まない日本語の研究所を出版する愚行くらいくだらないことをやっている人はないのだけど、まぁ、仕方ない。この程度なのだ、日本の学者などというものは。

 ぼくは普通の人である。だから、普通の人の生活を支援してくれるようなものが本として存在してほしい。ぼくは、学者が学者であるための理由付けのようなものにいかなる価値も見出せない。できれば、税金も使って欲しくないが、まぁ、しょうもない人が蠢く世界もつくっておかないと、かれらが普通の人に害悪を及ぼすとも限らないから、ほそぼそと大学の一角で生息していても仕方ないだろう。そんな気分になる。

 まぁ、そういう悪口はどうでもいいや。中世を経て、人が「自分でものごと考えるようになっていく」過程を描いて見せてくれるこの本は、人生になんどか立ち寄るにたるものをもっていると思う。多くの人に読んでもらいたいと素人ながらに思うのである。


2008年5月23日

Inside Steve's Brain

Leander Kahney
Penguin USA 2730円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jp

 ジョブズの考え方というよりも、ジョブズが率いるアップルでのモノづくりのベースになるものを各種メディアの記事、関係者のインタビューを引きながら考察した本。ちょっと前に読んだ林信行の本と被る内容が多い。これ翻訳してくれればそれでいいような気もする。じゃ、林さんが内容をパクったのかといえばそうではなく、Kahneyさんの本の後書きに林さんの名前が謝辞にでているから取材仲間なのだろう。このあたりの状況は全く知らないけど。

 不思議だなぁと思うのだけど、Jobsはビジネス系の知識を学問として学んでいない。そのほとんどが、我流なのではないかと思う。考えてみれば、ほとんどの学問は我流だ。科学だけは、我流の考えを現実に設置する方法をもっているが、ビジネスや社会学などはその方法がない。なんだが頼れそうな気がするかもしれないけど、科学ではない。つまり、評判のよい我流にすぎないわけだ。とうことは、深く考えることを、そして現実を見る目を鍛えることをいとわなければ、ビジネス論などなくていいし、増してや学ぶ必要はないのかもしれない。もちろん、ルールにそって手続きをとる必要があるものは法律と同じ意味で学ぶ必要があるかもしれないが、それ以上の意味はない。となると、なんでまた世の中にはビジネス本があふれているのか不思議な気になる。

 この本は翻訳されるんじゃないかと思う。読むのに時間がかかったけど、翻訳本を読むよりさきに読めたわけで、ちょっと気分がよい。


2008年5月22日

花のスケッチレッスン

永沢まこと
小学館 1500円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店

 永沢まことさんの水彩画教室。読むというよりも、見るために買って、通勤電車で眺めていた。普段見慣れているような場所が劇的な花のスポットとして描けてしまうのだと、固まったように見ていられる。座っている時間も忘れ、気付くと乗り換え駅についている。朝からいいものを見た、疲れて帰るときには元気のもとになる。軽くて紙が柔らかいので、普通の画集を眺めるよりもずっとよいと思う。

 永沢さんの絵を見ていると、自分でも描けそうな気がしてくる。で、実際書いてみる。水彩画って、面白い。薄く色をつけていくだけならば、かなり綺麗な仕上がりになる。それが自分の絵だから満足できるのだが、他人から高い評価をもらえるような絵ではない。それでも、楽しい気分で我を忘れることができる。永沢さんの教本は、どれでもとてもやさしい。おそらく、自分自身が心底楽しんでいるからだろう。日本人にありがちな「道」を追求するという態度からは遠く離れている。

 海外の風景の絵をみると、その場所へ行って見たくなる。しかし、そう簡単にはいけない。しかし、花の絵ならば、季節さえ合わせれば近所でも咲いている場所があるものだ。週末に気軽に行けるような場所だ。この気楽さは、何度も見返そうという動機になるので、本としては「買い」だろうと思う。


2008年5月11日

アップルの法則

林信行
青春出版社 730円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jp

 アップルのモノづくりの姿勢がよくわかる。読んでいると、胸があつくなるような感情がわく。自分にはアップル製品に携われるチャンスはなかったけど、マスコミの宣伝や人の噂などと関係なく、「うん、これはよい商品だ」と判断したものの背景に、しっかりした「考察」があることがうれしい。つまり、非常によく考えられた製品であることがうれしいのだ。

 物事はよく考えられていくとシンプルになる。まさに、今のアップル製品のことだ。この本にも紹介されているが、ジョナサン・アイブも「もっとも、シンプルなデザインは、見れば『これだ』とすぐにわかるが、そこにたどりつくまでがなかなか大変だ」と語っているそうだ。思いつきはだれでも出来るレベルかもしれないが、そこから考えに考えて線を引き、消していくうちに形が見えてきて、最後にシンプルな解が発見される。ぼくがやってみたい仕事でも、この考えは使えるちがい。いや、大抵の人だって、考えて考えて行動すれば、シンプルな解をその分野なりに見つけられるのではないかと思うのだが。

 この本でなるほどと思ったところ。それは、「できない理由ではなく、やるべき理由、実現方法を考える」という章。出来ない理由は当然たくさんでるが、それをどうやればできるのかを考えようというようなことは、大抵のビジネス書に出ているし、大抵の人はそうやっていると思って全くやっていないのだが、アップルの発想からいえば、「なぜ、それをやるのか?」をまず考えるほうが大切なのだそうだ。それはそうだ。その結果、それをやる理由が固まれば、出来るできない論をする必要がないではないか。

 ちっとここで、想像してみてほしい。

 仮に、あなたが自分の会社で音楽配信サービスに乗り出したいと言い出したとする。その時、周りの人たちは何と言うだろう。

「レコード会社でもなければ、音楽業界でも経験もないのに、そんなことができるわけがない」、「レコード会社との交渉が大変で現実的ではない」、「著作権団体が文句を言ってくるに違いない」、「わざわざうちの会社のサービスから購入する顧客なんているわけがない」、「そんなのアップルが既にやっている」・・・・。

 できない言い訳を考えるのは簡単だが、そこであきらめたら物事も生む出すことができない。

 今度は逆に、なぜあなたの会社が音楽配信サービスをやるべきかをかんがえてみよう。

「特定の音楽レーベルと絡んでいないから平等なサービスが展開できる」、「全国の店舗を使って神曲のプロモーションがしやすい」、「顧客層が、これまであまり音楽を購入して来なかった層なので、開拓の余地がある」・・・。

 少し時間はかかるかもしれないが、ちょっとした発想力があれば、できる理由、やるべき理由も、できない理由と同じくらいの数は思い浮かぶはずだ。

 アップルだけに限らないが、アメリカ西海岸シリコンバレーのIT系企業の人たちは常にこうしたポジティブな発想の訓練を受けている。

 なるほど。なぜ、それをやるのかをもっともっと考えろ、ということだ。それが不十分だと「だめな理由」に負けてしまう。

 しかし、それはある意味当たり前のことのような気がする。もし、ダメな理由によって企画が潰れたというのならば、そもそも企画について考えが足りないだけのことかもしれない。数の勝負でいうのならば、感ではなく、論理的に「やるべき理由」を考察し、その量で畳み込んでいくような作業が必要なのだろう。

 iMacのデザインには、ヘッドホン端子の位置や画面の傾斜の角度、すべてのポート本体の一ヶ所に集めたことなど、すべての理由がありストーリーがある。

 そして合理的な説明ができない不要な要素はすべて削られた。

 アップルでは、その後も、こうした理詰めでつきつめたものを、人間の感情に訴えるまで美しいデザインに昇華する作業が日夜繰り返されている。

 理詰めてつきつめたものを人の感情に訴えるまで美しいデザインに昇華する。

 こういう作業があると素晴らしい製品がつくれるのだろう。それは、デザイナーがスゴイとかいうレベルの問題ではないことがよくわかる。

 せっかくの人生なんだから、こういうことを(自分なりにだが)やろうと思う。やる気がでる本であった。

2008年5月 6日

ぼくの哲学日記

森本哲郎
集英社 1500円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazonマーケットプレース

 哲学日記というタイトルだが、思索日記のほうがふさわしい。さすがに厚みがある内容で、そのいくつかの哲学的な単語や哲学者の話におよび、気軽には読めないものもある。対象とする人がどういう人にしぼったのか、毎月の連載だったからか、苦しい内容もあったりするのだが、それでも「そもそもの不思議を考えること」はずっと続けられている。

 70歳を過ぎてからの内容だから、旅の話というわけにはいかない。その時点でも砂漠に行ったりしているのかよくわからないが、年に何度か数週間ヨーロッパには出かけているようことが書かれている。時差への耐性は歳とともに落ちるらしいようなボヤキがある。サハラのジャンネで絵を見に行ったときの森本哲郎ではないのだなと感じる。

 サハラへ行ったきっかけになった本が紹介されていた。『青い種族』と『沈黙の世界』と言う本だそうで、早速ネットで探して購入した。両者ともに1000円しない。古本探しは本当に便利になったが、だからといってサハラへぷらっと出かけることはできない。それはシステムではなく自分の問題であるが。

 歳をとるとなにを考えるのだろうか。昔から考えていること、昔の思い出、死である。あれだけいろんなところへ旅した人であっても、考える傾向は普通の人と同じなのだ。とすれば、ぼくが今考えていること、今思い出となるような行動は、なるべく多く持っておく方がいいはずだ。考え、行動する。これは現在の自分のためであると同時に、未来の自分のためでもある。もっとも、そこまで健康で生きていれば、であるが。

 73歳になっても、多少トーンに元気がなくなるが、森本哲郎の文章にでてくる「ぼく」は健在であり、哲学についてもエッセイで十分語っている。ぼくも、それくらいまで持っていけるモノを自分に蓄積しておきたいと思っている。そう、思わせてくれる本である。

2008年5月 5日

人類最古の文明の詩

大岡信
朝日出版社 1400円
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 丸善日本橋店

 詩についての本をわざわざ購入するほどの文学への興味を持っているからではなく、「人類最古の文明」というのはおそらくシュメールだろうから、シュメールの詩について読めるのだろうかと思い衝動買いした。一冊のうち極一部をとても気に入ったので、全体的にはよしとする。詩についてのあれこれは、どうもぼくにはピンとこないのが残念。

 さて、シュメールの詩はこんなものがあった。

 人の楽しみに結婚がある
 考えてごらん、離婚もある

 ちょっと、お面白い。

 腹がふくれるのは楽しいが
 腹が膨らむのは面倒だ

 これなんかもくすくす笑える。と当時に、やっぱりというか、都市に住んでいる人の生活というはかわらんものだと思う。これらは詩でもあるが、川柳という感じである。ないより、シュメール語(アッカド語?)を上手にトランスレートしている。訳者のセンスが光っている。

 個人的な内面などを綴って芸術だとうそぶいているへ若い人の詩などは読みたくもないが、こういう人類的に普遍なものを直観でわかるような形式で言葉にしてある詩ならば大歓迎である。そういうモノはもっと読みたい。

 ゆく河のながれはたえずして、しかももとの水にあらず。
 よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、ひさしくとどまる例なし。
 世の中にある、人と栖とまたかくのごとし。

 こういう内容があり、形式におぼれれず、かつ日本語の音声パーサー(語句を切り取る機能)にやさしい(3,4,5,7文字の切れ目)をいれているエッセイのような詩が良いと思う。エッセイは論理で人を納得させるが、これは論理もあるのだけど、言葉の響きとイメージで感情から納得させてしまう優れた能力をもった言葉である。最後はこういう日本語をすらすらと書きたいと思うが、まぁ、その実現はどうでもいい。

2008年5月 4日

聖書を読み解く

山形孝夫
PHP 1600円
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 巌松堂

秦剛平さんの本がないかなと古本を探してたときに目に止まった。この著者の本は以前何冊か読んだ事がある。レバノンの本はよかった。この本はずいぶんと最近のものだ。この著者はキリスト教どっぷりの学者さんじゃなさそうだし、他に新書なども書いていたはずだ。ならば、ねっ転がって楽しく読めるかなと思ったので購入してみた。

タイトルにある「読み解く」というスゴイ作業まではしていない。旧約と新訳のさわりを概観させてくれ、その記述なり人々の習慣なりの背景を地理や歴史や習慣などの関係を示してくれる。だから、ぼくのような門外漢からすると見通しの良い本になっている。

そういう習慣なり風習なりの発生について「なぜ」と問うポイントやその解説が古代オリエントの歴史から解説されている部分は読んでいて納得する。「そもそも」を知っていく喜びを感じる。神話にも起源があるはずだ。

内容の雰囲気が新訳にはいると急に変わる。自分が突然違う世界に放り込まれてしまった気分がする。旧約の物語はそれがとっぴなものであっても「まぁ、古事記見たいなもの」だし、それが教訓化されていく背景として「その風土で生きていくための方法」のようなものを感じ取れたから、にこにこして読める。しかし、新訳は「いかん、教団に紛れ込んでしまった」というような「不自然さ」と「人の意図」を感じてしまう内容で、正直集中できない。

著者は教団が周りの迫害のなかで行きていくための複数のような、あるいは、当時に時事問題ような解説をつけてくれる。だから、新訳成立の過程とその当時の人についてわからないではないが、共感できない。

しかし、読んでしまうところもある。それは例外なく「詩」である。マタイの山上の垂訓は、なるほど実に見事な「詩」なのだ。翻訳もわるくない。だから、内容と関わらず詩として人を魅了する。現代の人ならば、この詩に惹きつけられる人もいるだろう。なるほど、新訳は論理ではないのだ。

さて、ねっ転がって読むにはちょうどよかったのだが、巻末に著者の言葉に、この本はもともと「朝日カルチャーセンター」講義のメモから発展したものだという旨の記述があった。朝日カルチャーセンター、おそるべし。

2008年5月 3日

反ユダヤ主義を美術で読む

秦剛平
青土社 2400円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 毎年楽しみにしているシリーズが今年も出版された。今回にテーマは反ユダヤ主義である。著者が長年追っているテーマのはずで、今回も(あるいみテロの標的になることも恐れず)ずばっと断言してくれているので、キリスト教やユダヤ教とは無縁の順な日本人であるぼくのも「そういうことか」と疑問が氷解する講義であろうと期待し、そしてその通りの内容であった。

ユダヤ人たちは、その場所がどこであれ、民族の習慣を守って生活する。民族独自の慣習を遵守すれば、その生き方は周囲の者たちの中で浮き上がる。浮き上がれば、ひそひそとその習慣が貶められる。なぜ彼らは皇帝像の前で頭を下げないのか? なぜ彼らは金曜日の日没時からシナゴークに集まるのか? 好奇心は猜疑に転じ、猜疑は憎しみに変わる。異邦人たちがユダヤ人にたいする憎しみを共有するとき、それは煮沸しはじめ、飽和点に達すると爆発する。その爆発は凄惨である。肉片が四方八方に飛び散る酸鼻をきわめるものである。

 反ユダヤ的感情、反ユダヤ主義を順をおって解説してくれる本書の内容であるのだが、上記の引用はその核心を短く表現しているので、この引用が含まれている前書きだけ読んでも目的は達成できるのではないかと思う。

 要するに、猜疑が憎しみに変わってしまうという人ならばだれでももつ心理の特性があり、それが容易に再現してしまような社会の中での生活をしてしまう人たちが(いまもだろうけど)いた。なんというか、運が悪いということなんじゃないかと、ぼくは思ってしまう。

 いったん憎しみに変わってしまったものを「教義」としてキリスト教は取り込んでいる。それは、容易に出される場合と背景に塗りこめられてしまうけど、キリスト教の図像をみるについて、なんともこまったものを内包しているのだなとよく理解できる。とくに、部外者である日本人の多くは「なるほど、西洋史ってのはこういう心理ダイナミクスの積み重ねなんだな。それを、まだやっているのか」ということに気付くことができる。

 人の心理ダイナミクスは、場所も時間も越える。だから、「猜疑は憎しみに変わる」という反ユダヤ的な感情は、現代で普通の生活を営んでるぼくにだって容易に理解できる。いったん猜疑心をもった相手は、憎らしく思ってしまうのが普通だから。

 また逆に、おかしなことをやっていると他のグループから猜疑の目で見られることになり、それはすぐに憎しみに変わりひどい目にあってしまうことにもなる。人と違うということを、故意に主張し続けるとろくなことにならないだろういう教訓が引き出せるわけだ。


 それにしてもこの秦剛平という人はスゴイ人だ。あまりに関心してしまったので、この本の元ネタになっているセミナーを受講しようと思っている。

2008年5月 2日

対談・日本人と聖書

山本七平
TBSブリタニカ 1400円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 巌松堂

 古本屋でぷらぷらしているときに発見し、即効購入した。珍しいかどうかではなく、山本七平の本で、対象が聖書で、対談者に森本哲郎、三笠宮崇仁、秦剛平、秀村欣二などの名前が入ったから。これはもう、読まずにはいられないでしょう。

 中心的なテーマは聖書とは何か。とくに日本人がそれをどう受け取るかとか、日本にどういう影響を及ぼしたのかという話ではない。対談者それぞれの専門領域が違うため、同じ内容を別の言葉で表現している部分がある。同一の内容を、ある人とは山本七平が説明を受け、ある人に説明している。

 秦剛平との対談で、秦は旧約の話、反ユダヤ主義の話をしている。最近毎年のように出版された秦剛平の本の視点と基本的には同じで、学者というのは一つのことを調べ、考え続けているのだなと知った。頭がいいとか着想がスゴイといかいうところではなく、学者本人が何を真剣に本心から疑問に思い追求しているのかがぶれていないと、結果的に良いモノができるのだろうとぼくは理解した。全く興味本位だが、七十人訳は地味に古本で集めているので、そのうちどかっと時間をとって読もうと思っている。

 30年も前の本だけれど、30年前ならばこういう内容でこういう人と対談をしたものが本として出版できていたのだなと関心する。今ではできないだろう、多分。この本の内応は数十年で変わるようなものではないので、古本であっても読むに値するものはたくさんある。もっと、古本を探してみようと思う。