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2008年7月31日

磯崎新の「都庁」

平松剛
文藝春秋 2190円
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 amazon.co.jp

 タイトルからして「即効買い」の本。磯崎新って、なんだか面白い建築家。建築については素人のぼくだけど、それでも磯崎新の著作は大抵読んでいる。筑波や水戸、お茶の水くらいしか磯崎建築を見たことがないけれど、ちょっと普通とは違っている。

 内容はタイトルの通り、都庁の設計をめぐるコンペ。磯崎新の師匠である丹下健三と磯崎新との考え方の違い、目的の違い


2008年7月23日

文学賞メッタ斬り! たいへんよくできました編

大森望
豊崎由美
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 八重洲ブックセンター

 毎年恒例になってしまった文学賞にまつわるあれこれを知る本。ちょっと読むとちゃかしているような感じがするかもしれないが、両人の眼力は信頼できるものである。彼らの論評を読んでから読む本読まない本を決めることにしている。盲目的にそうしているのではなく、実際彼らがお勧めの本を読んでみて、そして、まったくダメといっている本で世間で評判が高い本を読んでみた結果そうしている。絶対的なものではなく、少なくとも彼らのいっていることが全うであり、その選別の見識は僕よりも高いと思っているからそうしている。

 彼らは権威に対しておちょくるところがある。既に何かをなし得たからということではなく、今その人がどういうことをしているかによって評価している。そのおちょくり方は高齢の人に(というは、爺さんには)納得しがたいもの、あるいは噴飯ものかもしれない。しかし、よく考えると非難する爺さんどもは単に爺さんというだけの人だったりする。すくなくともぼくにはそうみえる。著者の二人のほうをぼくは信頼する。

 さて、紹介されているのは主に芥川賞、直木賞である。マスコミで騒がれる賞だけど、その実体はどういったものか。普通どういうモノかを知りたいと思ったら読むほうがいい。しかし、時間もおかねももったいないことになることが「まま」あるので、一応お二人の評論を聞いてからしている。

 ここ数年、どうも読む気にならない。賞をとって「まぁ、そうだろうよ」というものであっても読む気にならない。彼らは絶対的に推しているのではなく、候補作の中ならこれ、という評価をしている。だから、いくら彼らのポイントが高くてもつまらないような気がする。もちりん、彼らが幼いものは全く興味がない。彼らが推しても興味が湧かない。

 なんでだろうか。読んでも勉強になった気がしないからだろう。お笑いならば楽しめる。本ならば学びとる。そうしたいのだけど、最近はそういう作品に出会えていない。別に崇高なものをほしがっているのではない。恩田陸ならば喜んで読む。しかし、ないんだよなぁ、最近。

 不思議に思う。この評論本は読んでいて楽しいし、来年のものも読みたいし多分買う。しかし、そこで紹介されている小説は面白そうに思えないし、だから多分買わない。へんな気分がする。この本の役割は一体なんだろうなと思う。レベルの底上げの啓蒙書なのかもしれない。あるいは、尊敬する先輩のおしゃべりを聞くことが楽しいのかもしれない。


2008年7月21日

思想の冒険家たち

森本哲郎
文藝春秋 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jpマーケットプレース

 旅人と思索の世界へ。だれけた格好で冷房のきいた部屋でソファーにねっ転がっているくせに、なんだかスゴイ思索をしている気分に、あるいは世界中を旅した記憶を思い出している気分になってしまった。ぼくの完璧な娯楽の一つである。これだけだらだらの生活をしているが、学ぼうというマインドだけは持っているのだと苦し紛れに自分に対して実証しているような気分がしなくはない。なんといわれようと、ぼくは勉強しているのだが。

 この本も旅と文学と思索のセットである。対象は20世紀の人。取り上げられた人は文学者も哲学者も歴史家もいろいろいるけれど、著者が旅人セットで語るにふさわしい人を選択したものだろう。それぞれの章において、対象となる本、引用箇所、それにまつわる思索、その人にふさわしい旅先の記述がある。司馬遼太郎の街道が行くというようなものをずっと昔からやっていると思えば良い。しかも、世界規模で。

 どこかへ行きたいなと思っていてもなかなかでかけられるものではない。金銭的な理由や社会的な理由がある。そんなときに腐っていても時間は過ぎてしまう。想像力を使えばいいのだ。今は写真なりビデオなりが無料で入手できる時代なのだがけど、人を動かすものは「物語」であろうと思う。

 旅行記でつまらないのは、旅先を紹介するだけのもの。珍しい話があっても、おいしい食べ物を紹介されても、結局心にのこらない。旅行記ではあるものの、きっちり勉強した人が現場でいろいろ思索したことが、その土地ならではの人やり風景なりを交えた物語を語ってくれる。そういうものがぼくはすきなのだ。

 この本も紹介される人たちの物語を語ってくれている。それは知識ではない。著者が自分の成長の糧になったような、本当に考えて学んだことを語ってくれている。だから、この本にあるのは情報とはいえない。森本哲郎から離して語っても意味がないことがこの本にあるのだと思う。

 いいなぁ。もっと勉強して、できれば旅をしてみたい。人生の目標など大それたものをもう抱くことはないが、しっかりと考えていく道を歩いてきたいものである。


2008年7月19日

がん患者よ、医療地獄の犠牲になるな

近藤誠+ひろさちや
日本文芸社 838円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jp

 近藤誠の本は自分を防衛する意味で読む必要がある。これまでがんや現代の医療についての本を読み、衝撃をうけた。近代医療と言われているものが実はあまり力をもっていなかったということ(たいていは衛生環境が向上したことが原因であって、医療の力や薬の力によって病気の致死率が下がったということはないという事実)、ガンであれ高血圧であり、コレストロールであれ、自覚症状というものが治療開始のきっかけにしたほうがよいということ(つまり、健康診断の無意味性)を知ったから。

 この本も死というものを著者二人の視点から語ったもので、結論は同一になっている。現代の仏教も医療も、ビジネスに取り込まれてしまっていることを教えてくれている。

 考えれば当たり前だ。医者になる人が人格者なわけはない。医者などはとくにそうだ。その選抜過程(高い学費、エリートマインド)、当然あってしかるべきだという高額な報酬と現実の乖離。病院などへは行く必要がない。だって、自ら食い物になりに行くだけだ。弱っている人から巻き上げるのが仕事だし、医療ってそういうものだから、ぼくはなんとか逃げたい。

 このほんでもがん医療の実体をよく教えてくれている。ガン患者ってのは、どうせ治らないから資金源のよなものだとうこと。恫喝して施術させそれで終了。あとは大抵死んでしまう。死んだところて仕方ない的な雰囲気がある病気だから、医者は気にしない。だいたいつぎから次へ患者がやってくる。ならば、がん医療なんて構造的によくなるはずはない。そういうことなんだ。

 がんは老衰なんだ。よくわかる。歳をとって死ぬことから逃れられないのと同じだ。抗がん剤や摘出施術のナンセンスさ。これ、統計学などをしっていれればがん医療という人災から逃れることは可能というところがせめてもの救い。

 近藤誠の本を読んでからここ数年会社の健康診断を受診していないが、受けろ受けろとうるさい。あんな検診は「かもネギ」なんだよと庶務に説明する気にもならない。つぎは受けますといって、ただ逃げるのみ。知識と理解力によって食い物にならないように自己防衛が必要な現代って、ほんとに煩わしい。医者はこちらの味方じゃないんだから。



2008年7月18日

こんな日本でよかったね

内田樹
バジリコ 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jp

 内田樹のブログを編集者がピックアップ、再構成したエッセイ本である。この人の著者にはこのタイプのものが多い。本を書いてやろうという直接の企画がない状態で書きためたものが本になっていき、それがベストセラーになっていくというすごさである。確かに並のエッセイよりは面白い。

誰もが「被害者」の立場を先取りしようと、必至に競い合っている。だが、被害者の立場からの出来事の記述は、そうでない人間の記述よりも正確であり、被害者の立場からの提示されるソリューションは、そうでない人間が提示するソリューションより合理的であるという判断には論理的には根拠がない。

 たとえばこの引用を読むと、一気にいろんなことの解決ができてしまう。というか、これまで感情が湧いてきてうまく考えられなかった問題にどう対処したらいいかがわかってくる。それは、殺人事件だったり誘拐だったりといろいろある。そのどれもが、上の「認識」を持つことで考える道筋ができてくるのだ。

 大学三年生相手の就職セミナーでリクルートの営業はまず最初に「みなさんは自分の適性に合った仕事を探し当てることがもっとも重要です」と獅子吼する。  その瞬間に若者たちは「この広い世界のどこかに自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事が存在する」という信憑を刷り込まれる。  もちろん、そのような仕事は存在しない。  だから、「自分の適正にぴったり合ったたった一つの仕事」を探して若者たちは終わりのない長い放浪の旅にでることになる。

 なるほど、とひざをうつ。リクルートって会社のトンデモ性がわかるわけだ。さすが、創業者が御縄になってもなんともないだけはある。

 自分にぴったりを探すというモデルが仕事として成功すれば、次は転職であり、結婚相手であり、式場であり・・・といくらでもビジネスモデルを応用できて設けることができる。

 社会って、そういうことで儲ける人がたくさんいるわけである。もちろんお客さんは、長い目で見ると「カモ」になってしまっているのだ。

 社保庁の乱脈ぶりが伝えられたとき、「これほど腐敗した官僚たちに食い物にされながら、それでもまだ年金支給の原資が残っていた」ことに私は感動した。社保庁にだって、まじめに働いていた人がそれだけいたということである。(略)  社会システムというのは五人に一人くらい「働き者」がいれば十分回るように設計されているのである。それ以上の「働き者」を必要とするシステムは設計の仕方が間違っているのである。

 こういう見方をはっきりと提示してくれる。なるほど、善人が善意で年金運用などするはずがないのだ、ということをよく考えれば「あたりまえ」なことが起きたのだ。そもそも、相手は「役人」なのだ。5人が5人まじめな人間なはずはない。普通の会社だって5人に一人なのだから、50人に一人くらいはちゃんとした人がいるはずで、その人たちがかろうじて年金なんだぞ、ということを理解してくれるているのだけなのだ。悲しい現実だが、そういうものだ。

 ばら色の世界にぼくは住んでいるのではない。それを思い出させてくれる。普通のエッセイだし、楽しいことが書かれているわけではないのだけど、知恵を手にした気がして感動する。


2008年7月15日

東京ファイティングキッズ・リターン

内田樹+平川克美
バジリコ 1500円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jpマーケットプレース

 二匹目のドジョウ。ではあるけど、前回の往復e-mailに量の制約はなかったのだし、両者はずっと友人であって昔からこういうやり取りを続けてきたのだろうから、この企画はいつまでもつづけらるのかもしれない。読んでいて、前回からの続きだとか、2冊目のテーマといったようなものは全面にでているようには感じられなかった(ぼくがわからないだけかもしれないが)。つまり、始まりも終わりもないような、川の流れのようなやりとりがずっとあったのだし、あるのだろうという気がしている。ぼくはたまたまある一部分を本という形で読んだけ。

 そのなかでも個人的に気になった箇所がある。

 ぼくは、標準化、大量生産、分業生産といったものが、ものづくりの中心的な課題を破壊させたと書きましたが、それは別な言い方をすれば、ものづくりの中に脈々とながれている時間といったものが消失してしまったということだろうと思います。

 ビジネスについての件でのやり取りなのだけど、工学をやっているぼくは以前からずっと同じことを考えている。とりたたて新しい主張ではないのだけど。

 すぐに結果を得られれば効率は高い。効率が高いと「よい」という判断をされる。これが研究であってもそうで、「この研究は〜の効率を上げることを目的とする」というものを見かける。それに、いわゆる「プロジェクト」というものが分業の最たるもので、研究活動までがプロジェクトになってしまう。一体なんんだろうかとずっと思ってきたので、ビジネスに向けられての言葉であっても気になるのだ。

 そういう話ばかりではなく、たまにおばちゃんのような意見を目にすることがある。それは、人の生活を第一に考えるという姿勢からの記述である。政治家の問題とか国際関係の問題かなにかについてのコメントをいろいろ集めた記事があったそうで、その中での小林カツ代の意見を取り上げていた。

「他国が嫌がることで、すぐやめられることならばやめましょうよ。誰も損をしないんですから」

 まったく。こういう発言をひろってくるのがすごい。全く妥当な話なんだよね。オッサンは、なぜか「床屋談義」が好きで、それが本当に社会に貢献できると信じているからくえないのだけど、そういうところをおばさんはついてくる。

 二人の会話もいろいろ言っているけど最後は現実に設定されている。すべきろんとうか、天下国家を論じるオッサンたちではない。マージャンをやりながら話すとお二人はいっているようだけど。

 だから、こういう発言もでてくる。

 大きな政府と小さな政府のどちらを選ぶんだと問われれば、俺は、「そうねぇ、中ぐらいがいいんじゃないの」とあいまいに答えるしかない。

 「本当に」考えるとそういう答えでしかない。白黒つけない。というか、白黒つけるという選択そのものがバカなんだよ。そいう教えてくれるようだ。


2008年7月13日

南無そのまんま

ひろさちや
ビジネス社 1400円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 PISMO人形町

 近所には何店か書店があるが、よく行く店は一つだけだ。書店の大きさではない。扱っている本の微妙なセレクション、書店の顔というか胆というか妙に凝っている棚というものがどの書店にもあるものだが、そこのどんな本が置いてあるかで決まる。その棚はカテゴリーや著者という枠、ベストセラーというマーケとは離れての書店主なり店員なりのセレクションで置かれる本が決まるのだと勝手に想像しているのだが、その出来で決めている。あるいは、新刊書を一角に平済みしてあれば、そのセレクションで決めるときもある。ともあれ、そこに売れ筋とかつまらなそうな本がなければ行くことはない。amazonで最古有りならば、翌日には手に入るからリアル書店で特定の本を買う理由がないから。
 この本はひいきにしている書店にあるそういう本だで見つけた。ま、結局のところ著者で選んだのだけど、ぼくがそのとき読みたい本が置いてあって、ついつい買ってしまったのだ。

 ひろさちやの本である。いって見れば現状肯定に近い本である。人によっては嫌いかもしれない。でも、最近のぼくの結論に近い考えなのでいろいろ勉挙させてもらうにはちょうどよい。しょうがねぇじゃねぇか、こういう自分なんだか。それを肯定してくれるのだ。ムシのいい本のようにも思えるけどね。

 あるべき姿というものがあって、自分がそこにいない、あるいはそこへ向かっていないことに対して叱咤激励するような本は、まぁありだろうということになるだろう。一生懸命にやれ、ということだ。それを悪いことだと思う人はあまりない。
 しかし、大抵の人はそんなにがんばれるような人ではない。そうなると、他人からも自分からも「ダメ人間」のレッテルを貼られることになる。そうなると、生きていない気がする。一種の恐怖心がわく。それが、やりたくないけどやらざるを得ないように考えさせ、それが不幸の元なんだということがかかれている。
 著者は仏教からの結論として、あなたは今そうなんだからしかたないじゃない、ということを諭してくれているのだと思う。あるべき姿ではなく、今を見よというわけだ。
 そういうことを言ってくれる人がいたらその人は結構幸せなかじ取りをできるのだろうと思う。全員が全員裕福な暮らしができるわけではないので、他人と比較する限りどういう方法をとっても不満な結果になるだろう。つまり、そういう行動はそもそも負け戦なのだ。

 この本はインタビューでの問答で構成されている。だから、ちょっと本を読むのはめんどいなぁ、と思っている人でも抵抗なく読めるのだと思う。


2008年7月12日

ビジネスに「戦略」なんていらない

平川克美
洋泉社 780円
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 amazon.co.jp

 なぜビジネスなのに「戦略」ということばを使うのだろうか。おかしいだろう。だって、戦争じゃないんだよ。そういう物言いが、いつもまにやら自分たちの考えを侵食し、「戦争をやっているんだ、弱肉強食なのだ」という幻想を持たせてしまうのだ。

 要するにそういうことを教えてくれる本である。会社をおこし、経営し、たのしく生きていくということをずっとやってきた人だからかける話なんだろうと思う。世間で戦略戦略いっているひとは、会社を経営するのではなく、ずっと勉強してきた人ばかりなんだなということにも気付かせてくれる。考えてみれば、あたりまえなんだ。

 単純で明解な目標を与えれば、人材は馬車馬のように磨り減るまで使えるはずだと思い込んでいるわけです。
 わたしは、人がその力を発揮するためには、自らの仕事への敬意と自らがフルメンバーであるところの会社に対する信頼が必須の条件であると考えています。


 当たり前だよね。でも、MBAマインドの人は「青臭い」とか「それじゃ生き残れない」とか「グローバルスタンダードではない」とコメントするはず。ぼくはどちらかといえばそういうマインドの本ならば相当読み込んだので、読まないで言っているわけではない。

 「戦略」という言葉を使うことで、いつのまにやら「死ぬか生きるか」という状況におちて、兵士は道具ということを受け入れるようになってしまうのかもしれない。そういうことって、あるような気がする。

 だからといって、そういうことを言って働いているのはその幻想の中にいるので非難しても意味がない。そういうところからは「逃げる」のみだろうとぼくは思う。なんとかなるよ、たぶん。

 なんでもそうだけど、生きるってなんだろう、を本気で考えないでくると人生おかしなことになるのではないかと思う。働くことまでが小学校の続きでやってくれば、生きるってなんだろうなんて考えない。馬車馬のように「使われる人」も「使う人」も、どちらも小学生のマインドなんだな。そういうのって、注意したところでどうにもならないだろう。

 こういう本を読めて、自分は本当に幸せだと思う。今の自分を後悔しないですむことも幸せなことだと思う。


2008年7月11日

MADE TO STICK

Chip and Dan Heath
arrow books
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 amazon.co.jp

 『Presentation zen』の中で紹介されていたので購入した。どうすれば記憶に残るのだろうか、についての考察である。アイデアでもプレゼンでもいい、それがどういうものならば人は憶えてくれるのだろうか。そのコツが紹介されていた。

 それは、SUCCESsということだ。よくある頭文字をつなげたもの。Simple, Unexpected, Concrete, Credible, Emotional, Story。どういうわけか、この性質を持てばもつほど憶えちゃうのだ。簡単で、思い掛けなく、具体的で、感情に訴えてくる、物語。これらの性質を合わせもてばもつほど、憶えちゃう。この本はそれだけしか説明していない。

 どうすれば印象付づやすいかを教えてくれる本なのだから、この本自体がそういう作りになっているはずである。もっといえば、この本の内容を読んだ僕が覚えいていないようならば、この本の主張はおかしいことになる。リトマス試験紙となるものだ。

 で、どうだろうか。憶えているのかといわれれば憶えている。内容についての違和感を感じないところには「Unexpected」をバイオレーションしているが、論理的な説明であったので引っかかることなしに読み勧められた。そして、今後のぼくの行動には大幅に採用されるアイディアになるとも思っている。

 ただし、本書の内容をよく覚えている理由は別にあるかもしれない。というのは、この本を読むには実に時間がかったのだ。通勤電車で読んでいて3週間もかかった。英語力に自信がつき始めていた矢先だったので、ちょっと思い上がっていた自分の頭を冷やしてくれる本となった。

 なので、英語の得意な人にはお勧めできるのだけど、そうではないひとにはもうひとつかもしれない。


2008年7月10日

街道をゆく

司馬遼太郎
朝日新聞社 各1100
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 神保町の古本屋

 どれでも一冊100円と表示がある段ボールが道端にだしてあった。覗くとわりとよい本が入っていた。司馬遼太郎のものが何冊かあり、ぼくのお気に入りもあった。持っている本を買ってもしかたないなぁと思っていたところ、この本が目に付いた。ちょっと前に恩田陸のエッセイを読んだのだが、イギリス旅行中に読んだのはこの本だけだったということだ。そういう記憶が頭によぎった。ぱらぱらとめくれば、ロンドンやリバプールのことがそれなりに書いてある。これは買いだなと思って、店の人に2百円払った。神保町にも安い本は結構でているのだが、100円まで値段を下げたものにはあまりよい本はない。ブックオフじゃないから、そういう商売ではないのだ。このあたりの本屋さんも結構なりふりかまっていられなくなったのかな、などとと思った。

 エッセイだ。読んでいて心地よい。上手だというものをこえて、日本語を読む喜びというものを感じる。そういえばときたま「いい日本語が読みたいな」と思うことがあり、そういうときは結局司馬遼太郎を読んでいる。もはやストーリがどうのこうのいう問題ではない。好きな音楽は繰り返し聞いても楽しい。ぼくにとって良い日本語を読むのは、その感覚に近い。好きな絵を見るも音楽を聴くのもエッセイを読むのも、結局同じような快感を求めているのだろう。

 話をこのエッセイに戻す。イギリスには3ヶ月滞在した経験があり、週末必ずロンドンへ通っていた。だから街の風景や空気について、少しは知っている。そして、好きな街である。司馬遼太郎がどんな感じを持ったのか、その辺りを読むは面白い。へぇそうなんだ、という気分にもなるので楽しい。もちろん、バックボーンとなる知識があるから楽しめる話もあり、そういうものをぼくはこういう本を読んで知る。次にロンドンへ行った時楽しめるように。

 リバプールの話のところで、ビートルズに触れている。司馬遼太郎はビートルズについて日本で調べる段階で何をしたのかというと、文献をたくさん読んでいるだけで済ましている。音楽は聴かないということだ。音楽で世界に名をはせた人たちについて知るのに音楽を一切聞かないという方法もありえる、ということだ。そのなかでビートルズのメンバのメンタリティーついて語っている。彼らのあるインタビューだ。

 『ビートルズ』に、アメリカ公演したときの記者会見の一問一答が掲げられている。そのなかで、記者が、コドモのようなこの連中に愚弄されているのである。たとえば、記者が、「ベートーヴェンをどう思う?」ときく。ばかな質問である。  四人のなかのリンゴ・スターが答える。かれも、アイルランド系である。「いいね」と大きくうなづき「とくにかれの詩がね」。

 久々に大笑いしてしまった。なるほどビートルズについて音楽から攻めないと、こういう方法で彼らの人を知ることになるのか。なるほど。


2008年7月 7日

東京ファイティングキッズ

内田樹+平川克美
朝日文庫 660円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jpマーケットプレース

 内田樹と平川克美の往復e-mailの本である。e-mailでの対話が本になるのかと思ったが、なっている。なんだかきっちりした内容を交換しあっていて尊敬してしまう。扱うテーマが高尚なものではないけれど、だからといって読んでいてい学べてしまう。出版されることを前提にかわしたメールだけれどよそ行きな雰囲気がしない。おそらく、両者はいつもこのような会話をしているのだろう。ぼくの知らない世界を覗けた気分がする。

 普通の人はこういう会話をしているのだろうか。ぼくの身近にはいないかもしれない。なるほどなぁと第三者が頷くような論理なり考えなり思想なりを普通のe-mailで出せてしまうのはなぜだろうか。明らかなのは、地に足がついた考察結果だということだろう。何かの引用があるにせよ、彼らが深く考えて自分の言葉でしゃべっているからだろうか。抽象的なものいいがあっても、それが「抽象的だな」という気分にならないのだ。それって、自分で考えた言葉の特徴なのではないかと思っている。

 人がもつ欲望の無制限生についてとか、贈与とか、これらはすべて一般には「高尚」と見とれられた学者の研究成果を下敷きにした会話として取り上がれている。その使い方が実に的をえているために、それら学者について知らないぼくですら、なるほどなぁと「意味」に感心してしまう。キーワードをならべて「おれってスゴイだろう」ということを相手に伝えることが目的じゃない人の現代思想の話が出来る人は内田樹くらいなんだろうと思う。まったく。

 友達って大切だなと思う。彼らは物事がよく見得ているのだろう。高い山から過去や外国など見晴らしがいいところで会話をしているのだろう。おれにもいればなぁ、などと思ってしまう。しかし、まぁ、それは無い物ねだりだろう。それに、そんなことを言っては現在の自分の友達に失礼というものだ。今のままでいいや。


2008年7月 6日

日本人とは何か

網野喜彦
講談社 1500円
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 amazon.co.jpマーケットプレース

 読んでいて鳥肌がたった。寒気がした。これは感動している。もしぼくが今の頭のまま高校生だったら、この学問分野に進んだのではないか。そう思った。学問というものがあるとしたら、これだろう。

 内田樹の本だったと思うのだが、この本にある「環日本海諸国図」を見たいと思った。それで、すぐにマーケットプレースで購入した。本を開いて冒頭にあるカラー見開きの地図をみて、思考が一瞬停止した。富山県を中心にして、関東を上にした日本地図。中国から朝鮮半島、サハリンがある。そして、日本列島、沖縄が日本海を縁取るようにつならっている。これ、どうして人が人がシベリアや中国、朝鮮から渡っていかないのだ、と思わせてくれる地図である。これを一目見たら、なるほど海に閉ざされた国、なんてのは言葉の綾だということがわかってしまう。というか、バレてしまう。と同時に、教科書にのっていた日本の歴史のインチキさが全部見えてしまった気がした。

 単一民族日本ってウソなんだ。大和魂のヤマト、和歌の和、そして日本。これがトリックだったのか。日本はどうして単一民族であるといえるのだろう。東と西、東北以北と琉球。全部違うじゃないか。そもそも違う。石器時代から違う。石器時代の日本など、そもそもない。海に囲まれた島国だったから単一だったなんてウソだったのか。関東と関西の違いも、感覚的にはわかっていたが先の地図をみたり、網野喜彦の視点からの日本史を聞かせてもらえば、一発でわかってしまう。

 縄文と弥生、瑞穂の国というウソ、百姓=農民というウソ、関西での差別問題が関東では全くない理由、平将門、なるほどなるほど、こういうもののを題材に「なぜだろう」を問えば答えがでてくる。胃にしみるくらい、網野喜彦の視点を有り難く思えた。すごい、すごすぎる。そして、これも塩野七生と同じように、権威筋は無視するんだろうか。多分そうなんだろう。何かを学ぶときには人を選ぶ必要があることがよくわかる。

 日本海という名称を変えようと韓国が国連?に提案していることは知っていた。なにいってんだろうか、とぼくは思っていた。しかし、環日本海諸国図や日本とは何かを教わってみれば、あれは日本海であるのはおかしいと思うようになった。青海という名前が提案されているそうだが、ぼくは大賛成だ。学問って面白い。自分の発想が変わるのだ。根拠のない感情に支配されていたものが、歴史の視点を獲得することで、自己愛のようなくだらないものから開放される。勉強するとは有り難いものだ。

 さて、網野喜彦の本を早速何冊か購入した。これでまた読みたくてうずうずする本が見つかった。

2008年7月 5日

株式会社という病

平川克美
NTT出版 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5)
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 内田樹と親しい人で、若い頃会社を立ち上げていた事もある人だそうだ。内田本でもよく登場する、尊敬すべき人ということだ。以前から気にはなっていたが、マーケットプレースで安いものがあったので購入してみた。

 のっけは少し「きちっとした」説明から始まる。株式会社とは何か、それがどういう問題をもっているのかについて。読みごたえ十分で、この前書きだけでもこの本を買ったかいがあったといえるものなのだが、休日にソファーで座って読む本ではないかもしれない。読み始めでは頭のモードが切り替わっていなかったので少しくらくらした。水を飲んで、姿勢を正して読み始めた。

 会社というものが輝いてた時代、サラリーマンが憧れだった時代、その理由と社会背景の説明、社会の変化、会社は誰のものかという問題がある。この辺りは、どこかで一端を読んだことがある。なるほどなるほど、と読み勧められる。そして、利益を追求する態度、限界がある自然な欲望と無限に拡大する人の欲望の話。働くというプロセスから結果を求めることへのショートカット、そして金で金を買うという論理。自分の父親の時代から自分の時代へと流れるように現象、背後関係、その先を見せてくれる。この辺りは、感動てきである。頭のいい人が自分の周りにいて、こういうことを折りに触れ語ってくれる人がいたらなぁとつくづく思う。まぁ、そのためにはぼくがすごくないといけないから、ちょっと無理かな。

 つまんない授業をやるよりも、こういう話をしてくれたほうが先生の存在意義があるんじゃないかと反省した。たまに学生と接することがあるが、次からはそれとなくこういう話をしてあげられたらと思うが、まぁ、「説教」という認識になるからムダかもしれない。それでも、ぼくにこういう助言をしてくれる先輩友人後輩がいたらなよかったなぁと思うから機会があったらしてみたい。結局、内田樹や平川克美を読め、ということで話を締めくくるだけかもしれない。それだと効果ないのだが。

 『ウェッブ進化論』への疑問提示が印象に残っている。知はネットで検索可能であるという主張の本にたしての平川の疑問。お前のいう「知」は、情報ではないのか? すごい、すごすぎる。インターネット礼賛のなかで、こういう疑問を提示してくれた人はいなかった。まったく、いなかった。つまり、これは「漢和辞典があれば、漢字博士になるのか?」というものに近いだろう。教科書持ち込みにしたら記述式テストは100点がとれるのか、に近い。いや、最近はネット検索でレポートを書く人が多いのかもしれないけど、それって要するに「カンニング」だよね。カンニングは結局自分の損にしかならないのだけど、それが「知」なのか? そういうことを考えさせられた。というか、ぼくも気付かなかったのだ。

 ということで、平川克美の本も漁ってみようと思う。


2008年7月 4日

わたしだけのホームページを作る本

オブシュキュアインク編
毎日コミュニケーションズ 2400円
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 amazon.co.jp

 BiNDの本がでていたので購入。コンテストで入賞したベージなどBiNDを使ったサイトの参考例が上げられ、作者のコメント・インタビューがある。本の作りもきれいで、ぱらぱらめくると楽しい。

 しかし、どれだけ参考になるのかと問われるとなんともい得ない。ある意味、Webサイトの原則のような指南が述べられているだけだから。いや、結局のところ、よいサイトを作るには基本に忠実ということしかないのもかもしれないが。

 では参考例となったサイトからは何が得られるか。なるほどなぁと思う。普通の人でもいいせんいくなぁと感心する。同じソフトをつかっている僕は全然なんだな、と自分の立ち位置がわかる。それって大切だけど、それだけじゃ物足りない気もする。では何がないのかと問われても、自分でもわからない。

 つまり、本はいいのだけど、何かが足りない。そして、それが何なのかぼくはわからない。そういう仕上がりの本だ。