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2008年8月31日

脳あるヒト心ある人

養老孟司+角田光代
扶桑社新書 032
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 丸善日本橋

 養老孟司さんはもう本を書かないだろうと思っていた。そんなことよりムシを見ていた方がいいだろうから。となると、今後期待できるのは過去の記事をまとめたものか、対談かである。bk1から新刊案内のメールが届いたときうれしかった。対談ならば相手が誰かも気になるところだ。今回は女性作家のようだ。名前は聞いた事があるが、その作品は読んだことはない。嫁さんにも聞いたのだが、読んだことはないが豊崎さんの評価は良かったそうだという話を聞き、少し安心した。

 新聞のリレーエッセイをまとめていたようで、実に養老孟司調の文章である。自分の意見、それにたいする問い掛け、その応答。こういったものが地の文でつづく。養老調のエッセイはある種の気持ちよさすら感じる。ぼくもこういう調子でさっぱりとしたことが書けないものかと憧れている。

 読んでいて驚いた。リレーエッセイのお相手も養老調のエッセイなのである。文章が養老と同じように、地の文をボヤキのようにつづけていく。この種の書きかたは、自分の思考の流れを写すことになるので、そもそも論理的に無理のない、つまりジャンプがない発想が続かないと何を言っているのかわからなくなる。この作家さんはさすがは上手である。ただし、話の内容そのものが女性のものである。もし、養老孟司さんが女性だったらこのリレーエッセイのような文章になるのではないか。

 3年くらい続けれた往復書簡を読んだ。短いものが続いているが、一つ一つには「うま味」のある内容で、考えされられたり自分でも意見をいってみたくなっりするものが多い。実に得な気分になる。最近の新書ブームでは中身がない本が乱発されているが、たまにはこういう価値のある新書も読みたい。でないと、次から買う気分が失せるから。

 自分でも同じテーマで考えをまとめてみようと思う。彼らと比較して自分の考えることも文章力もいかにないのかを知る良い機会であろう。ブログは素人でも参加できる。だったら、やってみて何の問題もないだろう。

 読後(読んでいる最中)にヒトの行動を促すような本は、本として素晴らしい。この本はその意味で買って良かった。


2008年8月30日

カルメン

メリメ
岩波文庫 赤-534-3
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 ブックオフ

 森本哲郎のエッセイを読んでいて何度も紹介されていた小説。ビゼーの音楽と歌劇で有名なことはしっている。ピンクレディーのヒット曲もしっている。しかし、そもそもどういう話なのかは知らない。教科書にもでてこなかったので、ぼくには接点がない物語であった。偶然、ブックオフで見かけたので手にした。

 古典がなぜ古典なのか、読んでみてわかる。面白い。時代も習慣も社会背景も違うし、日本に紹介された時期も昭和5年という昔のことにもかかわらず、ついついページをめくってしまう。何に突き動かされているかといえば、カルメンという女性である。こういうキャラクター、小説のなかには姿を変え形をかえ何度も登場しているとは思うけれど、多くの人が今だって魅かれてしまうのだろう。まったく、人の中身は時代よってあまり変わらない。習慣は教育のたまものだろうけど、魅かれるかどうかは本性のようなところがある。それは、時代によっては変わるようなことはないのだろう。

 少し前の時代についてぼくはよく知らない。じゃぁ、何時なら知っているのだといわれても、どの時代もよく知らないのだが、江戸時代や戦国時代の人の生活がどのくらい今と違うのかといわれても、すっごくちがうのだろうとしか言えない。で、実際こういう物語を読んでみて、そんなに違わないじゃんと言いたくなる。そう思えるものでないと、長く世に残っていかないのであろうけど。

2008年8月29日

ヨーロッパ文化と日本文化

ルイス・フロイス
岩波文庫495-1
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 bk1

 元亀天正の頃に日本に渡った宣教師ルイス・フロイスが、日本と母国(ヨーロッパ圏?)とで大きく違う習慣(あるいは生活様式)の対比表的な記述がまとめられた本で、発見、翻訳されたのが戦後というものである。人々に生活の視点から語られたものであり、今の社会には当時のヨーロッパ的な習慣もかなり入っていることがわかる。当時の日本の風習が奇異に感じる。

 とはいえ、人に家を訪問するときは何かを持っていくとか、招待された人ではなく招待した人が訪問者に礼を言うとか、まぁそうだろうと日本の記述を当たり前だと感じるところもあるで、今の世の中はフロイスの対照表は役に立たない。4,500年たつと違いがあったものはだんだん混ざっていく。そういつところは、人の習慣も濃度が違う塩水も同じようなものだ。


2008年8月28日

解体されるニッポン

ベンジャミン・フルフォード
青春出版社
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 bk1

 以前からそうなのだが、最近の本はことごとく陰謀論になってしまった。著者は陰謀論ではなく実際の仕組みを説明しているというのであろう。その真偽は普通の人であるぼくはわからない。FRBがどうであろうと、ロックフェラー財閥がどうであろうと、それが事実であったとしても個人的な対応は全くとれない。

 ベンジャミンの本はもはや都市伝説本になってしまった。本来であれば、なんらかの主張をする場合にはそれなりの証拠を積み上げていく必要がある。俺のいっていることを疑うのか、という態度では結果的に有力な情報にならない。ある人はそれを信じ、ある人は信じない。どんな主張をしようと、結果的にそのどちらかの判断をなされるのである。そのための根拠が、僕は事実をしっているのだ、という展開ではあまりにも弱い。

 この著者が『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』を出したときは衝撃を受けたのだが、それは著者が自分の知名度のレベルを把握しているため、親切な説明を試みていたことが理由であった。しかし、この本になると、知名度があったためだろうと思うのだが、主張の根拠が与太話になってしまっている。すくなくとも、そういう世界と無縁の人が読む限り、単なる都市伝説でしかなくなってしまっている。

 出版社から考えれば、この本を読む人は素人であるはずだ。素人を相手にするには説明が必要だ。それは、「実はこんなことを知ったのだ」という噂程度の根拠ではなく、きちんとした証拠をつかって論理を積み上げていくあるは検証していくことが必要なのだ。そうでなければ、たんなる血液型入門と同じではないか。あえて出版する意義はない。

 著者が世界の闇を主題にしているのならば、そもそも普通の人はその論拠も事実も知り得ないはずで、そういう人に以下に都市伝説を記事にしていくのか、に注意を払わないと読み捨てされる記事になってしまう。これがいい例であろう。なんだか寂しい気分がする。


2008年8月25日

現人神の創作者たち(上)(下)

山本七平
筑摩文庫 880円 900円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 bk1

 こういう凄い本について語ることができる人がうらやましい。上巻の1/4のところまではぼくでも理解できるレベルで、その内容もため息がでてくるような凄いものであった。通勤電車のなかで、世の中にはこういう偉大な人もいるのだなぁとあらためて感心してしまったのだ。しかし、それ以後、引用される文章がそもそも漢文調で、たとえ読みくだしをしたもので紹介をしてあっても、文語だとピンとこないということがあり、何を言っているのか大意程度しかとれなくなってしまった。著者の解説を読めばそれで事足りるのかもしれないが、それだと自分との接点があいまいになってしまい、なんだかよくわからないままに話が進んでしまう。後半はそういう状態だった。だから、この本を読んだのかといえば、なめた程度であって、まったくもって自分の能力のなさにがっかりしたという感想になる。

 数年経ったあとにまた読んでみて、自分の能力の向上を計測しようと思う。


2008年8月23日

ぼくの旅のカタログ


森本哲郎
角川文庫 お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazonマーケットプレース

 これまでの旅先の写真に文章を添えた旅の記録。ただし、どこどこへ行ったという事実が主題ではなく、また、本人しか味わえない感傷がつづられているのでもなく、読んでいる自分がその場所で目、思索しているような気分にさせてくれる森本本の良さが残っている。結構な冊数の森本本を読んできたせいで、この本に掲載された写真と同時期に取られた別の写真が思い浮かぶ。これは、あの本から取ってきたのか、これはあの旅先のあのガイドなのかな。冊数をこなすと既に読んだ別の本との関係が頭の中に起きていて、単にこの本を一冊読んだ以上に味わい深いものを感じてしまう。これが一人の著者の本を読破していく楽しさでもある。

 それにしても、掲載されている写真は上手だ。被写界深度が浅いものばかりだが、よく撮れたなぁこれと、撮影時の様子を想像してみて俺では無理だなと、少し悔しい気がする。誰かに教わったのだろうか。


2008年8月22日

定説だってうそだらけ


日垣隆
WAC お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 bk1.co.jp

 軽い気分で読んでみるもの悪くないかな、まぁ、勉強というよりもどちらかといえば休憩として。日曜日のラジオ番組の書籍化らしい。全体的にそういう雰囲気の本である。少し古い感じの喫茶店でまったりとコーヒーを飲みながら過ごす時間。そういう本だった。

 内容は武田邦彦、池田清彦、近藤誠という人たちで、何を主張するのかはわかっているようなものだから説明せんでもいいやろ、という話である。


2008年8月16日

ぼくの旅の手帖・四季の旅・音楽への旅(森本哲郎 世界への旅)

森本哲郎
新潮社
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazonマーケットプレース

 『ぼくの旅の手帖』『四季の旅』『音楽への旅』の三冊が1冊になっている。これは全集のようなものを意図したシリーズのようで、こういうシリーズがあることをぼくは知らなかった。3冊買うよりも安いだろう。マーケットプレースでは送料がネックになるから1冊になっていると助かる。ただし、文庫本や全集だと表紙や口絵や扉、挿し絵のようなものがないというデメリットがある。森本哲郎の本はその写真も味わいがあるので、できるならば全集は避けたほうがいいかもしれない。まぁ、これは本棚や購入可能な本があるかどうかの問題であろう。

 音楽への旅は、音楽を主題とした旅の思い出である。音楽を言葉で語るのは無理である。だから、結果的に森本エッセイのいいところが出せずじまいで終わっているなという気がした。また、四季の旅は日本が主題になっているため、ぼくが森本エッセイに求めるとは微妙にちがっている。結局、3作のなかでは僕の旅の手帖が気に入ったものだった。

 パリのカフェに席をとり、往来の人を眺める。何かを探すでもなく、歴史や芸術に思いをはせるわけでもない。どういうわけか、ぼーっとしてしまう。何をするわけでもなく眺めた風景や聞こえた往来の音は、緊張しながら記憶に刻もうとしたものよりも「より心に」残るそうである。無防備で心を街にさらしていることが理由かもしれない。
 なるほど。貧乏性の小市民であるぼくはどうしても「損得」のいやらしさがでてしまうため、そんな場所にいたら周りをみたり、次の予定を決めたりするだろう。それではダメ、ということか。今度旅行したらそういうことをしてみよう。ただし、それがふさわしいカフェは世界でもあまりないそうだ。できれば、通りに向けて椅子がならべてあるパリのカフェがいいそうだ。

 パリのカフェの話から、イタリヤ、ギリシャ、イラク、アフリカ、中米、アメリカと世界中旅した場所での思いでが語られる。読んでいるとその場の風景などが思い浮かぶ。しかし、この読んでいる行為そのものは、パリのカフェでぼーっとしているとき森本の心に浮かんでいるものなのかもしれない。そういうモノを無意識に楽しむ。いわゆる夢。
 パリのカフェで、そういう夢を見る。いいなぁ。その夢の中身は自分の過去である。ならば、まずは旅の思い出をつくって、たまったらパリに行って見みるとしよう。
 そんな妄想をした。


2008年8月10日

宮大工 西岡常一の遺言


山崎祐次
彰国社 1890円 お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jp

 極東ブログで紹介されていた一冊で、そのままアフェリエートのリンクをクリックして購入してしまった。その書評で何が書かれていたのか、実は覚えていない。この本は読む、と感じたので書評は見なかった。自分で読めばいいから。

 本を読むときにガイドラインがあると助かることがある。プロの書評家のものより、普通の人のもののほうがよい。あえて紹介する必要もない本について語っているほうのが信用できる。一文の得にもならないのにわざわざ文章におこして語ってくれる内容のほうが信頼できる。もっとも、それが誰でもいいというわけではないけれど。その点、この本は極東ブログで紹介されている。読む価値は十分にあるだろう。


 西岡常一は法隆寺の宮大工の棟梁だった人で、この方を扱った本を何冊か読んでいる。生き方が「職人」のお手本のような人。ぼくの身近にいた職人は町の小さな鉄工場の旋盤職人しかいなかったが、工場の親父さんという感じで西岡常一を想像していた。まぁ、だいたいあっているだろう。

 この本を読んでいるときも、学者と棟梁との意見の違いでもめるようなところをつい探してしまう。学者ってのは、自分じゃなにもできんのになぜ自分を信用できるのだろうか。役所は大抵学者の見かたで、結果的に棟梁がこっそり学者のアイデアのダメなところを補修するということが書かれている。現場でやっている人は、現物を相手にしているか誤魔化しがきかない。役人や学者は、適当に誤魔化す人生しか送っていない。結果的にどちらが長生きするかは明らかなんだけど、世の中はダメな方法を選択する。不思議な気がする。

 なんでもそうなのだが、現実に接地している人が強い。アイデアは大切だけど、アイデアをきちっと現実につなげて、価値を計っておく必要がある。アイデアは人の頭の中で実行され構築されるけれど、現実のものは現実の世界で実行され構築される。実に単純な違いを、どうして気付かないのかと不思議に思う。


 気になるのは、次の世代で西岡常一のような人がいるのだろうかということ。しかし、考えてみれば、昭和に西岡常一が存在しえたのだから平成にもその先にも一人ぐらいはいてくれるのだろうと想像している。
 


2008年8月 9日

ベンジャミン・フルフォードのリアル経済学

ベンジャミン・フルフォード
日経BP社 14870円
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 bk1.co.jp

 ベンジャミン・フルフォードの本はこれまで「えー、そうなんだ」というため息をつくようようなモノばかりだったはずだが、この本はもうひとつだった。とくに、後半は株の買いかた指南みたいなもので、これを本にする意味を全く感じない。どうしちゃったんだろう。

 「日本がアルゼンチンタンゴを踊る日」のような衝撃的なものはもうかけないのかもしれない。それは、著者が有名になったから。よくわからん外人だからかける。そういう立場にいない。それに、日本に帰化してしまったので、日本の問題も冷ややかにみる目がなくなってしまったのか。

 もし、そうだとすれば残念だ。大切な視点を失ったということだから。

 本書には、水を燃料としてエンジンを回すという永久機関でマスコミを騙した会社のことが、新技術をつくる会社ということで紹介された。ベンジャミンが科学の記事を書くとしても、それは人からの受け売りだろうということがバレてしまった。なんだか、また一人お気に入りの「視点」をもった人がいなくなってしまった感がある。


2008年8月 6日

耳と文章力

丸山あかね
講談社 1365円
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 bk1.co.jp

 気になるタイトルだから内容を確認しないで買ってみたけれど、感想はといわれれば・・・。

 著者は「絶対文章力は存在するか」という問いを何人かの作家に投げ掛け、自分なりにも考察している。テーマは面白そうだ。ぼくもちょっと気になる。文章は耳で善し悪しが判断されると感じているとぼくも思っているから。

 しかし、「えぇ、そうなっちゃうかなぁ」というずれを憶えた。着眼点は同じでも行動や考察が同じにならない。人の思考は「その人なり」だし、べつに著者が間違っているとは思わない。だけど、学生のゼミ発表でこの本にあるような展開をしたら相当叩くだろう。

 この本の主題はページ数でいって本書の半分で尽きている。まずいなぁと思って読んでいたが、本書の後半はあきらかに埋め草だったので全部飛ばした。題材が未消化。大半が引用。正直、なんとも残念。焦らないでゆっくり展開させて本にしてもよかったのに。

 著者はライターさんということだ。ライターの仕事の内容について詳しく知らない。その職にある人はどんな動機で文章を書くのだろうか。書くことが好きだから? だったら作家になりそうなものだ。取材が好き?インタビューが好き? ぼくのは想像できない。

 人から言われて書くのだとすれば、テーマが不安定だし、勉強に時間もとれないかもしれない。技術といっても、ライターさんのつくった文章をあれこれ評価してくれる人も少ないだろう。題材の取り上げかた考察方法で腕を振るうことに愉快さを感じるのかもしれない。

 ただ、文章を書き、それを本にしたいという動機でかかれた本。その背景にはいろいろ動機があるのだろうけど、そういう本は面白くないということがわかった。

 ブログをつくることが目的でブログを作る。とすれば、ブログも同じだろう。だから、ブログも面白くないのだろう。


2008年8月 3日

名作の旅、伝説の旅

森本哲郎
角川文庫 300円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazonマーケットプレース

 世界の名作を読み、その場所へ行ってみる。世界名作の旅という新聞日曜版の記事をまとめ一冊にした本である。

 動機は単純なものだ。今ならばテレビ番組でいくらでも見ることができるような企画である。しかし、この本の企画が組まれた時代は1960年台。海外旅行など普通の人が行くには大変だった時代であろう。だから、普通の人には珍しい事柄を森本哲郎の記事をもとに想像する。舞台のだいたいの設定は世界の名差になっているお話である。

 なんだ、じゃぁテレビで見たことあるようなところだし、知識も少しあるし、旅行で立ち寄ったことがある。読まなくていいか、と思ってはいけない。森本哲郎が行った時代と比べて、情報という切り口でこの本を評価したら、確かに当時よりも見劣りするかもしれない。しかし、いくらアイドルやアナウンサーや芸能人が名作の場所にいって建物や人の世界を紹介したところで、この森本哲郎の本には遠く及ばないものがある。それが、思索。おそらく誰もマネできない。

 名作を読み、その場所に行ってみる。そこで見たもの体験したことをエッセイとしてまとめる。実に単純な企画である。しかし、魅かれる。本当に魅かれる。このエッセイを読んでいると、自分も森本哲郎と同じ視点に立てる気がする。そして、同じように考えるような気がする。ソファーでゆったり座り読んでいると、自分が体験したようなきになるエッセイなのだ。

 いつか行って見たい。あるいは、紹介された本を読んで見たい。ぼくも、そんな旅行ができるのではないかと勘違いして、実際やってみるとビックリするくらい、思索なんかする余裕がないことに気付く。よっぱり、この本は読んでいるほうがいいや。

 


2008年8月 1日

9条どうでしょう?

内田樹+小田島隆+平川克美+町山智浩
毎日新聞社 1200円
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 amazonマーケットプレース

 夏休みムードが深くなるこの時期には、原爆と終戦とが同時に思い出される。といっても、ぼくはしらないけれど。24時間テレビが夏の終わりを告げるように、夏真っ盛りを告げるのはお盆の前の終戦関係のニュースである。

 内田樹の本を物色しているときに、タイトルがしゃれているので気にはなっていたこの本を、ちょうどいい機会なので買って読んで見た。ずばり、もうひとつだった。

 4人のエッセイが含まれているが、内田樹と平川克美だけあればよく、あとはわざわざ本にする必要ないだろう。もとは雑誌の記事かなにかだったのだろうか。書き下ろしだったのだろうか。よくわからないが、視点も仕上がりも違うものをバインドして一冊にされると、抱き合わせ商品をかわされた気分になる。他の二人のエッセイは面白くもつまらなくもないけれど、かわされた感を感じてしまうのでこの著者によい印象を抱かなくなる。結果的に損なものだろう。

 戦争によって問題化を解決するつもりはないし、そのために軍隊をつかうつもりはない。そして、軍隊をもつ。自衛隊と9条との矛盾を一体どうしたらいいのか、というのが9条問題であるとぼくは理解している。

 この問いに対し、内田樹の発言は明解である。9条によって軍隊を封印しているのだ。

 なるほど、その考え方はありだろう。使うために所有しているのならば、出来るだけ使った方がいいじゃないか。使わないのに持っているのはムダじゃないか。9条の問題は、言葉の無純正を追求する人か、ムダをなくせという主張する人がなんとかしろと言っているだけのような気がする。

 使いやすいように法律を整備する必要ないだろう。軍隊は使わないほうがいいに決まっている。だから、封印しておくのだ。そしてそれが憲法だったらいいじゃないか。何をいっても、問題がおきれば平気で法律などやぶるじゃないか。言葉の世界に生きている人の美観を守るために、現実に世界で生きている大勢の人が迷惑を被る必要はないだろう。