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2008年9月27日

夜のピクニック

恩田陸
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 成田空港三省堂

 読むのは二回目である。前回読んだときは、恩田陸の初めての本としてだった。歩きながらの思索。しかも、青春モノで嫌なところが全く無い。ビックリしたことを覚えている。
 今回は成田からヒースローマまでの機中で一気読みをした。

 ヨーロッパ便はロシア領へ入った直後ぐらいまでは快適である。エコノミーでも疲れていないし、旅のワクワク感もあるし、目も疲れていない。いつもは塩野七生作品と決めているのだが、今回は空港で購入した夜ピクの文庫本である。

 夜通し歩くという学校の行事を舞台にした青春モノ。何があるというわけでもなく、只歩くだけ。歩きながらの会話と思索、反省。これで文庫本400ページ強の作品ができ、しかも一気読みさせられる面白さがある。

 青春モノだから映画の素材にしたくなる。それはわかる。しかし、この本の面白さは、主人公があれこれ思索するとこころにある。あれこれ反省するところにある。こんなもの、どうやって映画にするのだ。出来た映画を観てみたが、すこし視点が違うものになっていた。だからといってつまらないことはなかったが。


 映画を観た影響で、今回読んだときにイメージされる主人公甲田貴子は多部美佳子になる。内容は自分で本を読んだ方が濃いのだから、映画よりも楽しく過ごせるわけである。映画を見る前と見た後では、見た後の方が楽しいかもしれない。
 
 人が考えることをここまで物語にすることができるのかと感心する。恩田陸の言語能力にはただただ感心する。貴子が考えている内容は、本来ならば「言語」を使っていないでなされているものである。ある場面のイメージか、痛みや悲しみといった心情的な感覚である。それを適切に言葉に置換えてある。読んだ人はその感覚を想像する。全てではないないにしろ、ある程度まではぼくにすらわかる。新聞を読んでもコトバの力など信じる気にならないが、これを読むと言葉の力を信じてしまう。

2008年9月25日

本質を見抜く力

養老孟司+竹村公太郎
PHP新書 546
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 環境問題について、安心して聞いていられる意見を言ってくれる人は数少ない。代表格に養老孟司がいる。対談形式であれば、読んでいてフムフムと頷く。

 対談相手は元役人である。いろいろなデータからちゃんとしたことを主張しているようである。この人の経歴が紹介されていなかったが、ぼくはなるほどなぁと安心して読んでいたことだろう。

 しかし、この人はもと河川局長だということだ。環境問題の元凶の一人ではないか。自分が散々やってきたことをどう思っているのだろうと思って読んでいると、どうやら「正しいことをした」という認識らしい。

 彼はOBである。悠々自適で高いところから世間を観察している。何を言っても自分の身が危うくなることはない。だから、ある意味正しことを言う。政府だろうか役所だろうか、関係者だろうか、ダメなことを一刀両断している。どうして、気づかないのだろうなどと言っている。まったく、迷惑な人である。

 自分の身が安全になれば何でも言えるだろう。なぜ、日本の河川行政でも農政行政でもいいが、それがおかしなことをしているのかといえば、過去のお前のようなヤツがその職についているからだろう。まずは、我が身、ついで仲間たち。そういうメンタリティーの人が、どうして現在の行政を批判するのだろうか。読んでいて不愉快になる。すべてお前が責任者のときにやれ。

 なぜ、今「良い人」のような発言をこういう人がするのかといえば、おそらく勲章が欲しいのだろう。自分はいい人だったと、日本が散々迷惑を被ったその元凶の人に感謝しろと言っているのだろう。早く消えて貰いたいものである。

 養老孟司の発言だけをピックアップして読んでいったので、結構苦労した。

2008年9月23日

旅巧者は、人生巧者

ひろ さちや
ヴィレッジブックス新書 13
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 saga書店長津田

 パオロの本を行きだけで読み切ってしまったので、帰りの電車で読むものがない。しかたないので電車に乗る前に新書の一冊でも買ってみようと駅の書店に寄った。ざっとコーナーを眺めたのだが、読みたい本がない。そりゃそうだ。昨日大分買い込んだのだから。などと考えていたら、あと数分で急行が発車する。どうするどうする。

 そんなとき目についたのが「ひろさちや」という文字。この人の本はゆるい。なんというか、さぁがんばろう、という気にならない。まぁ気軽にやろうや的なテーストなのだ。これを癒し系と呼ぶのだろう。なんだかやり切れないなぁ、という落ち込んだときにはもってこいの本である。

 しかし、今日はそんな気分ではない。むしろ元気一杯。しかしまぁ、ともかく読んでみる。江戸時代の旅の手引きを参考になにやら言っている。旅についての本のようである。

 楽しいことばかりが旅ではない。嫌なこともある。むしろ、不案内な土地へいくのならば嫌なことが起きやすい。旅先は自分の家とは違う。当然、おかしなこともある。腹も立つかもしれない。そういうものである。
 しかし、それはそれで旅の機能でもある。もっといえば、目的を持つことすら、旅にはお勧め出来ないものだ。とまぁ、そういう話である。

 確かにそうかもしれない。おっしゃることに反論はない。なるほどと思うことも多い。この本は悪い内容ではない。

 しかし買って後悔したこともある。この本の行間は広く、文字も大きい。30分くらいで読めちゃう内容である。まだ一冊にするような内容のまとまりがない。巻頭の話と巻末の話が同じことを言っていて、編集も手を抜いているようだ。なんでこんないい加減なことするのかなぁ。これは、出版社の問題だろう。この会社の新書は注意するほうがいいかもしれない。


コドモダマシ

パオロ・マッツィリーノ
春秋社
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 八重洲ブックセンター

 パオロさんの『反社会学』は痛烈でしかも面白ろかったので、それ以後出版されるたびに読んでいる。イタリア人を名乗ることである種の本音暴露の許しをアピールしている。普通ならば、それをいっちゃぁおしめぇよ、ということを堂々と言っても許してね、ということである。煮詰まった人間関係からすこし離れて、あーあ言っちゃったという話を聞ける面白さがあった。

 本書を見たとき小躍りしたい気分で即効購入、読んでみた。しかし、あれれ、どうした。なんだか雑誌のコラムみたいに弱い内容。平凡なサラリーマンとその息子というステレオタイプの設定であり、ないようも切れがわるい。ほんわかタイプのものを目指しているようである。掲載された雑誌のカラーに合わせたのだろう、内容に毒がない。

 ひょっとしたらパオロさんのご自身の子供との会話のあるべき姿が投影されているのかもしれない。だから、未来に希望をもてるような人になってほしいのだけど、そのために必要な視点を何気なく教えてあげよう。そういう、か弱さのようなものを感じた。まぁ、それはそれでいいけど。
 

2008年9月22日

きのうの世界

恩田陸
講談社
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 丸善北千住

 この本は1年前に出版されるはずだった。出版日を待ち遠しく思っていた。しかし、春にでるはずが夏になり、秋になり、そして未定になってしまった。一体何があったのだろうか。この本にあったような事件が実際起きたのだろうかと、内容を知らないのに勝手に想像していた(な、わけないよなぁ)。

 今年の夏になってやっと出版された。ぶ厚い。嫁さんは一気読みだった。その後で読み始めたぼくは、寝る前に一章ずつ読んでいた。わりといい。すっごくいいのかどうかは後半次第である。
 今日は夏休みなので、読み残しの半分くらいを一気に読んだ。

 さて、この本のジャンルはなにか、と問われると即答できない。話の最後でおかしくなってしまうことはなかった。恩田陸の本の半分弱は最後までテンションがもたないのだろうか、話がうまく着地できてないとぼくは思っている。しかし、今回はちゃんと着地していると思う。もっとも、この分野のディープな本読みはどう思うのかはしらない。

 この本は、主人公の視線から物語るという形式ではない。複数の人が登場し、それぞれの視点からの物語が織り込まれている。そういう形式の場合、適当に読んでいると誰が誰だかわかならくなってしまうことがあるが、この本では視点の切り替えについていくことができた。

 それにしても、こういうものがよく書けるものだ。作家は偉大だ。なにか下敷きになる話があったのだろうか。幾本もの筋が並走し、交差する。全体を俯瞰すれば、ふーんと言ってしまう。

 秋の夜長に読むといいだろうな。虫の音を聞きながら。

2008年9月21日

お金とモノから解放されるイギリスの知恵

井形慶子
大和書房
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 ブックオフ

 人々が歴史を経て勝ち得た知恵には一目置く必要がある。この本のタイトルを目にして、イギリス好みでもないぼくの手が動いた動機はそこにある。本だなから引っ張り出す行動は半ば無意識であった。
 「こうするとお得ですよ」という知識に必要ない。年収いくらいくらでも贅沢できるということにもない。チープなものを工夫して使うといったことは嫌いである。それは本音を騙しているから、だましは実践してもストレスがたまり侘びしい気分になるのが目に見えている。

 未来への不安は収入の安定性とつながっている。要するに、えさ場の確保は大丈夫かということだ。今あるものがなくなってしまうかもしれない。これが恐怖の源泉である。つまり、お金やモノが無くなってしまう恐怖。
 幸せになる方法には2通りある。一つは継続してお金やモノが増えていく日々を疑わない方法。もうひとつは、お金やモノに対しての別の見方を獲得する方法である。前者は自分のがんばりのみに依存するストレスフルな方法である。後者は簡単には獲得できないがよりローエネルギー・ローコスト・ロー欲望な生活を実現できる可能性がある。ある種の悟りに近いものだろう。ぼくは後者を探している。

 イギリスは世界の頂点にいた時代があった。文化的な面でいえば、頂点の座から追われたとはいえ、今でも世界一流の面がある。人々には賢い人がたくさんいる。
 彼らは彼らなりに歴史から学んだ事がある。1000年スケールでの蓄積は、教科書にのらないある種の価値観を形成しているはずである。それは何か。そこに興味をもっている。

 (親との子との人間関係があいまいなまま成長していく)多くの日本の子どもたちは大人になっても親に要求することを止められない。その背景には買い与えてもらうことを当然と思わせてきた安易な親の接し方も原因になっている。それが再び物への執着を生み、次世代に受け継がれてゆく悪循環を作り出しているのだ。
 「日本人の限りない物欲は実は家庭の中から発生している。幼少体験に基づいたこんな習慣は簡単には切り替えられないわ」
 新宿のデパートでおもちゃをつかんで泣きわめく子どもを見ながらイギリス人の主婦がつぶやいた一言は忘れられない。(P212)

 欲望をコントロールすること。これができれば人は相当幸せになれるのだと実はとうの昔に解明されている。少なくとも、仏教はそうだし、それを目指したのが仏教である。
 とはいえ、現代に生きる自分は、だからといって出家することはしないし、その必要もない。
 原因は既知であるが、それをどうすればいいのか。「これこれこうしなさい」と他人から教われることなのだろうか。

 イギリス人は一端上昇しすぎた生活レベルを、満足度を保ちながらいかにして下げることに成功したのだろうか。その工夫は歴史の検証をへたものである。とくに、市民生活に根付いた工夫は、日本人のぼくでもいろいろ参考になるだろう。この本を読んでその一端を垣間見ることができた。
 これからの日本で生きていくには、なるべく幸せに生きていくためには、先輩の工夫を大いに吸収するほうがよいだろうと思っている。

2008年9月19日

他者と死者

内田樹
海鳥社
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 amazon.co.jp

 ぼくは哲学の専門的な訓練を受けていない。そういう人にもわかるように書いてくれるのが内田樹である。ならば、内田樹が著者の本ならば、ぼくにも分かるだろう。そういう勘違いをした。逆は真なりではないと身にしみた。

 一回読んだからといって分かるものではないかもしれない。哲学ってそういう学問なんだろう。いや、思想だったかな。
 そういったことを扱った本では、頭の使い方や用語の意味する範囲が日常生活と大分違っているのだろう。ゆっくり考えていけば、少しずつ確認していけば、あるいは、なれればなんとかなるかもしれない。

 となると、なぜそうしてまで読むのかという疑問が浮かぶ。自分が求めている問題の解答がこの本に書かれているわけではない。非常に興味を魅かれているわけではない。本来ならば、読む理由など見あたらない。
 などと読まない理由を思いつくが、それは自分がすんなりと理解できなかったことへの拒否反応なのだろう。この本に書かれていることが自分にとって必要かどうか。それはこの本を理解できたあとでないとなんとも言えないはずだから。

 この本には既知のトピックがあった。弟子と師匠の関係とか村上春樹のウナギなるものだとか。これまでの内田樹の本にたびたび登場した話である。それらの話は、この本をつくる過程で思いついたものなのかもしれない。
 この本の内容でピンとくるのはそういう話の部分だけであった。著者が本当に伝えようとしたことはついにはわからなかった。

 また、しばらくして読んでみよう。今よりまともな感想をもてれば、自分はそれだけ進化したということになる。

偽善エコロジー

武田邦彦
幻冬舎新書
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 八重洲ブックセンター

 世の中に流布している信憑をとりあげ、それが単純なウソであること、そして、なぜそれがウソとして流布するばかりか法律となっていたり、あるいは、行動が推奨されているのかを一つ一つ言及してくれている。
 こういうことをきちんと本にし、義務教育終了時点での知的水準で十分に理解できるかたちで発表してくれる人は、その国に暮らす人にとってとても有り難いことである。

 テーマは環境問題についてである。いわゆるレジ袋からはじまる「市民運動」や「環境行政」には、まともに科学・工学を学んだ人からみるとおかしなことが沢山ある。
 話をあいまいにしようとせず、一問一答という形で「全く効果がない」とか「意味がある」とか結論づけている。普通の大学の先生はちがう。揚げ足をとることが目的であるクレーマーを相手にすると切りがないので、大学の先生などはあいまな結論をだす。一番多いのは「場合による」という語法で語る。しかし、この著者は本当に主張しておかないと日本が危ないと考えているから、自分で火中の栗を拾う覚悟をもって断言してくれる。そういう人の言葉は傾聴に値する。

 テレビのコメンテーターや国(いわゆる役所)の人が国民の幸せを願うことはない。かれらは、自分の幸せを願っている。できれば、行政職の人が優遇される社会であるべきで、一般の人などどうでもいいと考えている。こういうことは、実際に役人と向き合って話をすればよくわかる。
 ただし、法律も国家予算も手にしているのは彼らである。マスコミの制御権すらある。普通の人が戦うにはあまりにも勝算がない。役所のまわりをシュプレヒコールを挙げてうろうろするのでは全く効果がない。
 どうころんでも転げ落ちていく日本をよくすることはできないだろうとぼくは思っている。

 この本がどんなに話題になっても、100万部とかいうオーダーである(そんなにいかないことは分かっている)。とすると、この本で示唆されている環境問題の風説や根拠のない対策のおかしさに気づく人は最大100万人である。
 となれば、おかしなことを正すという行為は無理である。普通の人はそれすら分からないからである。

 「ところで、先生は結局どうしたらよいと思いますか?」と、環境の講演をするとよく聞かれます。そんなとき、私は、
 「好きな人がいれば、1杯のコーヒーでも夢のような2時間を過ごすことができる。もし好きな人がいなければ、電気街に行ってパソコンを山ほど買い、一人で家にこもるよりない」
 と答えることにしています。(P221)

 環境問題は果てしない欲望からきている。大抵のことは必要以上の量を求めることに元凶がある。仏教のように欲望を捨てることを人々に説いてもムダである。
 結局日本がどうなるのか。ハンドルは持っている人の普通の人がない。だから、おかしくなっていく時代を自分の体験として吸収するよりない。これもこういう時代に居合せた因果である。今現在はとても過ごしやすい時代である。それは長続きしない、とその時代にいる人がわかるわけがない。昨日の続きに明日があることはない。歴史がどれだけ教訓を残してくれていても。

 そんなときに何をもって自分の幸せとするのか、そもそも何を得たいから生きているのか、得る必要があるのか。そういった基本的なことを長い時間をかけて自分で考えていくよりないと思っている。
 そして、その回答は意外にコスト安で達成できるのではないかと思っている。

2008年9月16日

狼少年のパラドクス

内田樹
朝日新聞社
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazonマーケットプレース

 教育論である。ポイントは『下流思考』に尽くされている。同じ路線で話が進んでいる。何か新しい知識を得たい、という人にとってこの本はもうひとつかもしれない。

 しかし、知識を獲得するだけが本の楽しさではない。本=知識では学校試験のメンタリティー。そんなの無視して、内田樹という面白い人を話を聞こう。そう思えば、読んのが楽しくなる。それだったら、聞いたことがある内容ほうが楽しく読めるではないか。この本は論文でも教科書でもなくブログを再構成して編んだ本なのだから、気軽に楽しべいい。

 そういうわりには教育論ではなく、「大学き残り」に目がいってしまった。著者は大学の先生だ。少子化に対応するための苦労を知る。あまりマスコミには登場しない話であろう。マスコミには派手な改革や勝ち組負け組のラベル付けくらいか上がってこない。だから現在稼働中の大学システムをどう修正していくのか、稼働中のシステム変更という雰囲気が面白いのだ。失敗はできないし。

 親も子供も下流指向、あるいは2極化という状況のなか、教育そのものが大変難しいらしい。それに加えて大学の生き残り。大学教授も大変なんだ。よく考えれば当たり前のことだ。大学が減るから教員が余るという単純な問題。そんなことはわかっていただろう。そう思っていても実際起きないとなんのアクションもとれない。大学教授も人の子ということだ。

 もう増えることが予想されない学生に対してなにをすればよいか。一番確実なのは縮小均衡である。ダウンサイジングともいう。小さくすればいい。ところが普通の大学は巨大化を指向する。なぜだろうか。別のタイプの学生を獲得するといったことをやる。それは危険だろう。

 例えば研究費が増えないとわかったならば、研究費が小額でも面白いことができるように準備するが普通だろう。ぼくはそう思う。だから自分ではそうしている。しかし、周りの人は違う。以前よりも大きなことをやろうとする。大きなことを提案して減額され、それで結果的に現在と同じ。そういう方法のようである。


映画の構造分析

内田樹
晶文社
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jp

 映画論ではなく、映画を題材として現代思想を語るというお話である。お話というところがよい。

 物語を語るな、ということは、知ることも、批評することも、コミュニケーションすることも、すべてを断念せよということです。(P19)

 そういえば、あらゆることで「わかった」という事柄は「筋」をもっているような気がする。理解できたことは、「お話としてたとえ話をつかって説明できる」ことであるような気もする。

 「意味のある」断片を組み合わせて、「意味の通る」文脈を作り上げるのではありません。逆です。文脈が決まらない限り、断片は「無意味」なままなのです。まず「物語」の大枠が決まって、その後に現実的細部を帯びるようになるのです。「知る」ということは、それまで意味のわからなかった断片の「意味のが分かる」ということです。そして「意味が分かる」ということは要するに「ある物語の文脈の中に修まった」ということです。
 「知る」とは「物語る」ことです。物語抜きの知は存在しません。

 ああぁ、そうだったのか。いや、そうだよね。よく断言してくれました。そうかぁ、やっぱりそれでよかったのか。物語に変換出来た時点で「理解しちゃったもんね」となるのか。だから、人は物語を聞きたがるのかもしれない。

 そういえば、子供の頃、本を読むことが勉強することだと思っていた。小説を読んで勉強になるのだろうかという疑問はもたなかった。物語というものをたくさん自分に入れていくことで、また、物語が物語として面白かったりつまらなかったりするというバリエーションを知ることで、何かを理解したときの疑似体験にはなったのかもしれない。

 この本は映画をテーマにしている。それからいえば本筋の、あの場面はあのメタファー、みたいな説明って面白くなかった。「気づかなかったかもしれないけど、実はそうなんだよね」という説明はあとあと聞くと感心する。ブライアン・キーのCMの説明みたいなものだ。

 しかし、そういうのって製作再度の技術のような気がする。「なぜこの映画は面白いのだろう」という解説ならばありだと思うけど、あることに興味をもったとして、その理由を解説されると興ざめないか。面白いものを面白いという印象をもったまま生きていたほうがいいんじゃないかとも思ったりする。
 

2008年9月13日

恋愛の格差

村上龍
幻冬舎文庫
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 三省堂

 内田樹のエッセイにこの本の引用があった。村上龍の本はずいぶんと昔に『トパーズ』を読んだきりで、とくに読みたいなという気分になるものはなかったから、この本は村上龍の本の2冊目である。

 恋愛論ばかりだったら勘弁してほしいなと思っていたが、時事ネタのようなものや普通の人の問題(結婚とか、パラサイト生活とか)のものもあった。意外に普通のことを言う人なのだと知った。へぇ。

 エッセイで扱っている話題は発散しているので、一体何の本だったのか、もうひとつ記憶に残らない。「なるほど」と思ったこともある。しかし、あぁなるほどぉなぁ、すげぇや、というものはなかった。心に引っかかるものがあれば、その前後は記憶に残る。しかし、なにも引っかからないと記憶になにも残らない。ぼくにとっては、この本をいま読むべき本ではなかったのだろう。

 で、内田樹が引用したエッセイが見当たらないなぁと思っているうちに読み終わってしまうところだったが、最後のエッセイにそれがあった。まったく。結局全部読んでしまった。

2008年9月12日

まわりにあわせすぎる人たち

名越康文+ロブ@大槻

お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 amazonマーケットプレース

 くわー、ってくらいつまらない。内田樹との対談ではとても面白いことが読めた先生なので、別の本も読んでみようと手に入れたのだが、なぜか苦痛なくらいつまらなかった。

 扱っているテーマはいまのぼくとは縁が薄いからつまらないと感じたのだろうか。しかし、内田樹との対談でも同じようなことを言っているのにそれは面白いと感じた。だから違う理由だろう。

 すでに知っていることだからつまらないと感じたのだろうか。知っていることを再読しても面白いものは面白い。だから、それが理由ではない。

 では、対談者だろうか。それはあるだろう。ライターの人の文章は好きではない。ライターってなによ、という不信感があるからだろうか。調査して調べて書く。その行為は探究だから、研究者と同じ。となると、ライターが「フリーの研究者」だから気にいらないのだろうか。

 よくわからない。ただ、信用の問題なのだろうと思っている。ぼくにですら底の浅さが見えてしまったら好きになりようがない。それ以外、はっきりした理由は思い浮かばない。

 この本に対しては不当な感想といえなくもない。しかし、身銭切ってかった本がつまらないのはなんとも残念な気分がするのだから仕方ない。

対話する生と死

河合隼雄
だいわ文庫
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 八重洲ブックセンター

 店頭で目に付いた。ぱらぱらとめくる。ユング心理学のことがあるようだ。神話についても書いてある。読んでもいいかなという気分。購入。

 執筆された時代が少し古いこともあり、新聞をにぎわせるような事件の解説には興味がもてなかった。猟奇殺人のようなものついて、これまでいろんな人がいろんなことを言っていた。どれもこれも証明不可能だから、適当なことを言っているよなぁという印象だけがぼくに残っている。だから、これを読んでもその一つのような気がしたのだ。立派な人の発言だからといって、それが正しいわけではないから。

 河合隼雄という人はとてもいい人だと聞いてる。カウンセリングができる人だから、人の話をきちっと聞くことが出来るはずで、そういうところが評判になったのかもしれない。だからといって、エッセイもいいかといえば、それは作品によるようだ。ぼくは残念ならが引き込まれるには至らなかった。

2008年9月10日

健全な肉体に狂気は宿る

内田樹+春日武彦
角川ONEテーマ21
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 amazon.co.jp

 精神科医との対談。うーーーーん、つまない。内田樹の本は全部面白いものだろうと思っていたが、そうでないものもあるんだとわかった。

 つまらない理由を明示できない。なぜ、面白いと感じなかったのかをはっきり言えない。内容が重複しているとか、科学的な根拠ない発言だとか、そいういった理由ではない。

 話がかみ合ってないという気もしない。でも、読んでいて「両者は本当に面白がっているのだろうか」と疑問に思ってしまうようなところがある。本人たちは良かったと言っているのだから、それはぼくの勘違いなんだろうけど。

 

2008年9月 8日

パン屋再襲撃

村上春樹
文春文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 八重洲ブックセンターの5階、エレベーターを降りて売り場に入ったすぐのところに平積みされていた。ぼくは村上ファンというわけではないので、この本は新刊なのかなと思った。手にとってみると80年中ごろの短編のようだ。羊とかそういう頃の話なのかな。あの寂寞感は好きだなと思って買った。

 村上春樹の話に登場する女性って、話好きの人が多いような気がする。いや、実際そうなのかは知らないが、そんな印象を持っている。おかしな話(というか、そもそもナンセンスな話)であっても、夢としてありがちな支離滅裂な話でも、落ちがなくても聞きたがる。そんなシーンがあるような気がする。なんでだろうか。

 この本には、説教でも情報でもない変な話がならんでいる。全部に寂寞とした雰囲気を感じる。なぜなんだろうか。こういうの書けといわれても無理だ。多くの人はそうなんだろう。なんでナンセンスでありながらしかも寂寞とした雰囲気のお話つくれるのか、ぼくは皆目わからない。

 文学的な研究をしている人はそのあたりの秘密を掴んでいるのかもしれない。

 ぼくは文科系の教育をあまり受けてない。だから、文学の研究というものを知らないし、何をやっているのかも、どうやっているのかも知らない。サイエンスとは違う方法で研究するのだろうけど、皆目検討がつかいない。

 村上春樹の研究も沢山あるのだろう。そこでは「なぜナンセンスな話なのか」とか「寂寞感はなにから醸し出されるのか」とかを明らかにしているのだろうか。

 もし、そんなことをしているのならば、そして、それが成功しているのならば、それを身に付けると村上春樹っぽい小説を書けるようになるのだろうか。

 で、また読んじゃう。結構好きなんだろうな、村上作品のことを。

2008年9月 7日

14歳の子を持つ親たちへ

内田樹+名越康文
新潮新書112
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 今現在14歳くらいの年齢の子供がおかれている社会環境についての考察。対談形式だから論理の鎖が長くなってしまうことがなく、話題もぽんぽん連想的に移っていくのでテンポよく読めてしまう。

 筆者の一人である精神科の先生の話。診断に訪れる14歳くらいの子供とその親たちについて、どんな現状なのかを教えてくれる。なんでも、子供よりも親がおかしいということだ。親がまずいことになっているんじゃないか、当然そういう環境だから子供も結構辛い状況になってしまう。そうなんだ、ふーんと半分人事になる。親の年代といえばぼくらもそれに該当する。となると、ぼくも注意しないといけないのだろう。

 話はそこから「下流思考」の枠組み(文化資本の不平等制の結果、消費者として社会に登場する子供)へとリンクしていく。

 文化資本の話になると、自分を省みて心もとなく思う。ぼくも「消費者として社会に登場した子供」であったはずだし、まぁ、下町育ちなので「上品な文化資本」を持っていない。しかし、そういうことは今言っても始まらないだろう。まぁ、そうだろうな、で済ますよりない。

 文化資本がなかろうと、下流に属していようと、楽しくやっていければいい。下流だから精神的におかしくなるわけではないだろうし、そんな相関もないだろう。ただ、自分の行動や「自然だ」と思える行動指針をすこし客観的に見るクセを強化したほうがいいだろう。

 この本で語られている親・子の関係を知って少し怖くなるのだが、それは精神科医師の窓からの風景でしかないはずだ。みんながみんなそうではない。だから過度に心配したり不安になったりする必要はない。そう考えるようにする。

 NHK教育でたまに放送している中学生くらいの子供を集めた話し合い番組。発言する人は、一昔前ならば、みな病気と診断されていてもおかしくない表情なんだそうだ。でも、今は正常ということになっているとか。ぼくはそういう番組をみると気持ち悪くなる。だから見ない。あの気持ち悪さを感じる理由、それはまだ一昔前の基準をぼくの身体は持っているからなのかもしれない。などとムシのいい解釈をする。

 消費者というという存在、人類の存在のあり方としてはよくないことなのだろう。どうにかしなきゃといって、どうにかなるのだろうか。おそらくならない。となると、日本もある坂を下っているのだろう。それはそれで仕方ない。

2008年9月 6日

死と身体

内田樹
医学書院
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 bk1.co.jp

 医学書院という出版社名と本書のシリーズ名が「ケアをひらく」ということとから、この本は医学っぽい内容なのかと思いきや、なんてことはない普通の内田本であった。カルチャーセンターでの講演などをベースにした、コミュニケーションなどについての論考で、気軽に読めた。

 じゃぁ、どんなものだったのかまとめて言えといわれると難しい。合気道での身体の使い方からの発想なんかの話だと、個人的にそのような経験がないので「これこれですよ、はは」という説明ができない。

 それじゃ読んだ意味ないではないか。確かにそんな気もするが、読んでいるときにずいぶんと頭を使ったし、楽しかったし、それ聞いたことあるとか、そんな風に考えるのかなどという細かいことは沢山あったので、勉強にはなったであろう。たとえばメタメッセージについて。最近メタメッセージに関することで失敗したことがあり、酷く身につまされた。メタメッセージとはそういうものか、なるほど。一端理解できると相手への腹立たしさが払拭されてしまった。と言う感じの「読んだかい」はある。

 しかし、こんな立派な本を読んでも、それに見合うような立派な感想を持てないでいる。なんだか情けない。読んだ直後はいろいろ考えたことがあったのだけど、1週間もするとほとんど忘れてしまっている。するとまた、読んだ意味あるのかなという疑いが頭をもたげてくる。

2008年9月 4日

身体知

内田樹+三砂ちづる
バジリコ
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazonマーケットプレース

 女性の身体についての話を軸に展開されている対談なだけに、もうひとつピンとこない状態であったが、時たま面白いこと言ってくれる。

 極論しちゃうと、なんでもデタラメな時のほうがいいんです。アウトプットの査定が標準化してくると、活気がなくなってきて、やがてジャンル自体が死滅する。そういうもんなんです。ぼくのいたフランス文学がいい例です。仏文は一九五〇〜一九六〇年代の途中まではすごく活気があった分野なんです。戦後のフランスという国に文化的な発進力があったからですけど、実際に仏文科から面白い人が輩出した。日本では六〇年代から大学の新設ラッシュがありましたね。(中略)

 その後で大学数が落ち着いてきて、大学院卒業生がコンスタントに供給されるようになると、標準的な評価システムが整ってくる。そうするともう秀才しか大学の教師になれなくなる。そして、ほんとうに不思議なことですけど、大学の教授陣が秀才だけになると同時に、その分野の学術的な生産性が一気に落ちるわけです。あたりまえですけど、秀才というのは、定義上、既存の標準的な査定基準でハイスコアを取る知性ですから、既存の領域では累積的に研究は進むのですが、新しい学術的パラダイムの創出にはほとんど寄与しない。逆に、学術的な地殻変動をおこすような因子は構造的に排除されるようになる。

 だって、業界の承認を受けないと教師になれないんだから。教師になるためには既存の学問での標準的な査定をパスしないといけない。どれほど独創的な知性でも、スタート地点では同業者集団の規範を受け入れなければそもそも教師になれない。結局、標準的な査定システムが整った領域には、秀才だけが集まるようになる。そうやって英文も独文も仏文も国文もダメになった。

 この発言は本書の本流からすこしはずれた場所のものだけど、何度か読み返してしまった。これは文系の話だけど、大筋理科系でも同じだ。標準化ということが対象にまで適用されると、そもそもそんな学問どこが面白いのだろうと思えてくる。ぼくはそう思っていたし、周りの人もそうなのかと思っていたが、意外に違うようだ。自分では新しもの好きだとか言っている秀才君は、自分が中心になれそうもない話は「くだらない」って言うんだよね。べつの学問にかぎらず、いちいち全部そうだったりすることに気付くと、秀才君と一緒にいるのは人生のムダでしないことに気づく。

 こんなことをこの本で語るべきではないだろうけど、人って読んでいる内容から勝手な結論を引き出して頷いていることが多いのだから、まぁいいだろう。


2008年9月 2日

身体の言い分

内田樹+池上六朗
朝日新聞社
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 神田三省堂

 武道をやっているわけでもないから、身体の話をされても想像できるけどピンとは来ない。そういうことがあるだろう思うところ止まり。

 この本で印象に残った言葉はチャンスについての考え方だ。それは向こうからしかやって来ない。

 社会的認知を求めるということが全部エゴイスティックな動機づけの語法でしか語られない。その能力を使って、どんなサービスをして他人を喜ばせて、世の中によいことを積み増しできるだろうかとということを本気で考える人は、「キャリアパス」なんてことを口走りませんよ。

 そうやって、キャリアを積んで云々という人は、「ドア」を自分でこじ開けようとするんです。でも、その「ドア」というのは自分じゃ開けられない。

 池上先生は先ほど仕事はあちらから来るとおっしゃっていましたけど、ぼくもほんとうにそう思うんです。仕事って「これ、やってくれる?」ってあちらから来るもので、「これ、やらせてください」って自分から言うものじゃないと思うんですよ。本来は。

 「あなた、これをやってください」って向こうから行ってくるわけですけど、何でそんな事を言うのかと思うと、「あなたなら、これできると思って」というわけです。この「あなたなら、できるんじゃないの」という評価をもって社会的承認というのであって、ドアをこじ開ける力のことを言うわけではないんです。ドアは向こうからしか開かないし、梯は上からしか降りてこない。それを自分で「ステップアップ」と言って、あたかも梯を自力でかけて自力で上がれる可能ような幻想をふりまいて、「成功のドアを開けよう」なんてとんちんかんなことを言っている(笑)。成功のドアは向こう側からしか開かないし、ステップアップの梯は上からしか下りてこない。

 この言葉の意味が体感としてわかる。いろいろな条件がそろって行動できることがある。ある人が成果を挙げることがあっても、それはその状況に居合わせないとそもそも成立しないことがあって、それはその人の実力に入らない。だから、自分で努力したら何とかなるということでもない。

 この言葉はただちに「理不尽さ」へとつながる。つまり、運不運という人とは関係ないことだけが問題ではなく、誰からから好かれているから嫌われているからという贔屓の結果であるもあるから。嫌われている人がチャンスを得られることは、好かれている人よりも少ない。まぁ、そういうことである。だから、努力云々がまず第一にあるのかといえば、そうでもない。これは事実なんだけど、多くの人は目を伏せることだろう。だって、元気が出ない話だから。

 幸せないなりたいと思ったら、人の作ったシステムをあまり当てにしないことだ。システムはみんなのために出来ているのではない。少なくとも、作った人が有利になるようにできている。自分にとって、そのシステムが常に有用だとは限らない。

 皆が法律にしたがうと幸せになるというのはウソで、法律通りに社会が動くとひどく得をする人たちと、奴隷になってしまう人と、その中間の人とがでてくるはずである。考えてみれば当たり前なのだけど。これは、どのようなシステムを取ってもそうなるのであって、現行のルールに欠陥があるとう話ではない。

 さて、うまく生きるにはどうしたらいいか。自分の場所を探すことだろう。それは仕事を探すいみでもあるし、住む場所を探す意味でもある。どこへ行ってもいい。そこで、ドアが開きそうなところを探すことだ。そして、準備することだろうな。それ以外に方法はない。努力と結果は無関係であるのだ。

 なんだからいろいろな思いがあまたを巡る。考えるきっかけを与えてくれる本はいい。市井のぼくは偉大な人に出会うチャンスがないのだから、せめて本を通していろいろな人と会っているのだと思っている。