« はじめての宗教論・右巻 | メイン | 「狂い」の構造 »

絶滅した奇妙な生物

川崎悟司
ブックマン社
お勧め指数 □□□□□ (5)

 昔の動物のイラスト集で、たぶん子供向きに作られている本だろう。漢字にはすべて読みがなが振られている。動物の絵もどちらかといえば可愛らしく、ユーモアがある。怖いあるいは気持ち悪いタイプの生物が描かれていても、まぁ人前で見る事も可能なものである。気持ち悪いようなリアルさはない。

 この本は、本屋さんの店頭でぶらぶらしていて目に留まった。古生代、中生代、新生代の動物に興味があったというわけではない。生物が進化してきた途上の「実験的な」形態に魅かれたことが理由で手にした。古い生物程不思議な気分がする。なんでまたそんな形をしているのだろうか、という驚きである。仮面ライダーに登場する怪人よりもずっと「挑戦的」なものがいる。というより、人の想像よりもはるかに「想像的」な生物がいたんだなぁと再発見するのは面白い。自分が新しいものを作り出すときは、最初の段階ではこういうきてれつな生物のような実験的なものをつくらないといけないな、などと参考にするつもりなのだ。

 恐竜といえばステゴサウルスやティラノサウルスやプテラノドンを思い浮かべるが、あれは「かっこいいな」と子供の頃のぼくが感じた印象がいまでの更新されず残っているからである。サイや象やトカゲ、鳥などから類推できる動物の形態がもつであろう「許容範囲内」に形態がおさまっているといえなくもくなく、恐竜の姿に気持ち悪さや不気味さを感じない。ところが新生代の生物や中世代の魚類などには違う。へんなものが多いのだ。変なというのは、現代にまでは生き延びなかった形態であり、「許容範囲」に収まっていないという意味である。例えば、歯が「ら旋状」に生えてくるサメなんてものが存在したらしい(化石が残っている)が、そんなものどうやったら想像できるのか。人の想像力よりも自然の想像力が上手である。まぁ、当たり前なことなのだが、昔の生物の姿を見るにつけ、そんなことを再確認してしまう。

 日々の生活では人が作ったものを目にしながら生きている。家具や都市に住んでいる限り、見えるものはすべて人の想像の産物か、想像しうる範囲にある。そして、それが世界だと思ってしまっても不思議ではない。

 古代の生物のイラストを見ていると、いやいやどうして、自然はスゴイなぁと思う。昆虫にはいろんなものがいるし、深海魚にも不思議なものが多いが、そいうものは本物を見る機会が少ないからかもしれないからかもしれないが、よく見慣れたものであってもあらためて考えると生物は良くできているものだと感心する。単純だが、そんなことに気がついた。さらに不思議な生物のイラストをじっくりと見たあとでは、うまくできているものと、うまくできてないものの違いもわかり、どっちかというとうまくいかなかった(つまり、絶滅してしまった)ものほうが面白いことに気がついた。もはや動物園では物足りなさを感じると思う。

 同時に、人が考えるものの限界を感じるようになった。最近何冊か読んでいた宗教論(キリスト教が多かったが)について、ちょっと思い返してみると実に馬鹿馬鹿しいものを読んだなという気分になる。例えば西洋の聖書物語にある想像なんて、所詮は人が考えつくものだとわかる。天地は神が想像されたものだということになっているが、聖書の視野にはたかが数万年程度であり、基準が所詮は人間世界でしかない。ところが、生物の進化というものは3億年前からいろんなものが試されていたことがはっきりしている。だって化石があるんだから。いろんな動物を試してみて、それが環境に適応しながら形態を変え、結局今にいたっている。人間なんてその結果の一つにしか過ぎない。しかも、数万年の歴史しかないし、人の知性の歴史といえるものは1万年程度じゃないか。人は「たまたま」存在しているだけだよね。そんなことがわかるようになった。人が考えた雄大なものなんてのは、生物の歴史を前にすると実にスケールが小さいものだ。

 人の存在を越えるようなものを意識的にしろ無意識的にしろ考えてしまうような人は、この本のようなものをじっくり読んで見たらいいのではないだろうか。