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精神のけもの道

春日武彦
アスペクト
お勧め指数 □□□■■ (3)

 けもの道。林や野原のなかにある、人が通る道から少し外れた道のことで、普段は動物しか通らない。ハイキング中うっかりけもの道に入り込むことがある。遊歩道を歩いていたはずが、いつもまにやら薮の中を進んでおり、「あ、けもの道に入ってしまった」という具合に。

 「精神の」とあるのは、その人の行動を決めている考え方を道にたとえているから。それまではふつうの社会人として行動していたはずの人が、気づけば無差別傷害などの動機不明な事件を起こしたりする。多くのケースで殺傷事件に至る。こういう人は病院に連れて来られ、自己の行動責任をとれるかどうか鑑定される。そんな人を診断し、治療する医師でもある著者が、この人はどこで人の道から外れたのかを考える。そのとき「人の道」と「けもの道」という比喩がぴったりするというのだ。ただし、この本は論説文でも教科書でもなくエッセイである。だからだろうか、なんだか面白い。

 精神的に病んで異常な行動をとる人でも、意味なしに行動しないらしい。その人は「その人なりの論理」で動いている。なるほどそうかもしれない。自分でも身に覚えがある。例えばイライラするのは衝動であり、とくに論理的帰結ではないが、自分としては相手の行動にイライラの原因があると信じるようなものである。あいつの目が俺を笑ったとか。そんな場合の論理は冷静な人が聴いたら「おかしい」ものだろう。それでも自分としては論理的に考え、理屈を付けて、イライラしたのだと考えるものである。

 電車のなかでイラっとしたとしよう。ぼくの場合、頭の中でその先を想像してしまうが、行動に及ぶ事はない。その想像のなかでは、「なぜこんなことをしたのか」と問われたときの回答はつねに用意してあり、理屈の上ではイラっとさせた人に否があると断定したうでの行動を想像している。

 テレビを見ていると、おかしな事件を目にすることがある。借金や別れ話かなにかが原因で殺人に至ったニュースは日々起こっている。分かりやすい動機はべつとして、なんでそんなことで事件を起こしたのかと驚き呆れるニュースも意外にある。そういうときにこの「精神のけもの道」を考えるのである。あぁ奴は獣道に迷い込んじゃたのだなという具合に。ある種の神の視点を持って世間を眺めるような気分がある。

 けもの道は人が住んでいる近くにもある(とくに、地方ではだが)。同じように、普通の人の行動から近いところに精神のけもの道もある。あるとき、ある偶然がきっかけでけもの道に迷い込んでしまうこともある。そのまま進むと、「あーぁ」という感想を持つことになる。とはいえ、人はつねに論理的に行動しているはずだから、自分の行動を論理によって「けもの道」かどうかを知ることは難しい。それでも、迷い込んでないかなと周りの風景を見わたすことは必要だな。

 そんな感想を持った。