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2010年2月23日

日本辺境論

内田樹
新潮新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

 内田樹さんの著作は何度読んでも面白い。同じ本を読むのをぼくは避けてるが、内田さんの本は話が別で、読みたいナと思ったら迷わず読むことにしている。この本もすでに一度読み、読書メモも書いている。が、また読んで、またメモをつけることことにした。普通の新刊を読むよりも面白かった。

 印象深いところはいくつもあったが、日本語がもつメタメッセージ送信の部分の記述には感心する。いや、もう感動する。

 私たちの国の政治家や評論家たちは政策論争において、対立者に対して「情理を尽くして、自分の政策や政治理念を理解してもらう」ということはあまり(ほとんど)努力を向けません。それよりはまず相手を小馬鹿にしたような態度を取ろうとする。テレビの政策論議番組を見ていると、どちらが「上位者」であるかの「組み手争い」がしばしば実質的な政策論議よりも先行する。うっかりすると、どちらが当該論件について、より「事情通」であるか、そのポジション取り争いだけで議論が終わってしまうことさえあります。自分の方が「上位者」であることを誇示するためには、いかにもうんざりしたように相手の質問を鼻先であしらって、「問題はそんなところにあるんじゃないんだ」と議論の設定をひっくり返すことが効果的であるということをみんな知っているので、「誰がいちばん『うんざり』しているように見えるか」を競うようになる。お互いに相手の話の腰を折って、「だから」とか「あのね」とかいう「しかたなしに専門的知見を素人にもわかるように言ってあげる上位者の常套句」を挟もうとする。

 なるほど、本当にそうだ。

 この方法はあまりにも効果的なので、政治家や評論家ではない人も使っている。自分だって、使ったかもしれない。他人がぼくの専門についてとやかく言ってきたときなど、実際に使った記憶はないが、こういう論法で「うんざり」した顔で、ようするに「だまれ」ということを言ったことはきっとあるだろう。

 内田樹さんの指摘は心理メカニズムのすぐれた物理学のようなものだ。もう、ぐうの音もでない。当たっている、ホント。自分の感じ方や行動理由の自覚していない理由を内田樹さんから教えてもらっている。

 さて、メタメッセージについての話に戻る。一度「上位者になるためのコツ」を知ったら、何にでも使いたくなるもの。それは誰でも同じだろう。自分についてはなんとか気をつけるにしても、他人からの挑戦には巻き込まれたくない。あとは以下にして、この状況に入り込まないかがぼくの考えることだろう。そしてそれは生き方ということになるのだろう。

2010年2月19日

Cello Love

石川敦子
パレード
お勧め指数 □□□□■ (4)

 アマゾンのお勧めということでプッシュされた本。なんな気になったのでそのままクリックして買ってしまった。いかん、年収の10%以上をアマゾンに吸われつつある自分に若干の嫌悪感を感じてしまった。

 大分前に『ネバー・ツー・レイト』という本を買った。その関係からお勧めが来たのだ。その本では、オジサンが一念発起してチェロを始める過程が綴られており、それを読んだ時期にぼくもオジサンになってからチェロを弾きはじめたという事情があり、読んでいた。まぁ、あまり良い本ではなかったのだけど。

 この本の著者はニューヨークでバリバリ働く30代女性がヨー・ヨー・マの演奏に感激してチェロを習いはじめるという話である。見つけた先生が良い方で、毎週の練習が楽しくて楽しくてしかない。毎夜の練習がとれないこともあり、会社にチェロを持ち込んで空き会議室で練習するという熱の入れよう。だからだろう、初めて7ヶ月目で市民オーケストラに入ったり、アマチュア対象のチェロ合宿に参加するためイタリアへ行ったりとバイタリティー溢れる女性の奮闘記である。嫌なことは何一つふれられておらず、あったとしてもすべて「不安」に置換えられ、それら最後に驚きへ昇華されている。

 こういう女性象は、ある種の女性のからはみれば完璧であり、ロールモデルであろう。そういう人が好きか嫌いかは別として、この本はほぼ一気読みだった。

 が、正直途中から引いてしまった。ごく普通の人が感動してチェロを始めた、という話だと思って読んでいたが、石川敦子さんは働きバチたる普通のの人ではない。「スマート」な人である。一市井のオジサンたるぼくとはそもそもからして違う世界の人なんだよね。ニューヨークでばりばりと働くという設定からして珍しい(でもないかもしれないけど)。

 だいたいにおいて、オジサンになってからチェロを始めるというのは、毎日の生活に満たされないものがあるからであって、しかも「働き盛り」のはずに練習時間がとれるんだから、要するにコースアウトしているということなんだよなぁと思うのである。まぁ、そうではない人もたくさんいるんだろうけど。

 ダメ人間が成長し何かを成し遂げるという形であれば、それはある種のおとぎ話の型だし、それはそれで面白いだろう。ただし、実際にはそんなうまい話はない。

 石川敦子さんのように、そもそもできる人がやっぱりできるんだよねという話の面白さは、自分がどの世界に属しているのかで変わってくる。ぼくのように、音符も読めないところからスタートした人にはそもそもからして参考になるところは少ないのが現実。単に、音楽好きの人はこういう生活するんんだなぁと知るだけで終わる。なるほどねぇ、というため息と一緒に。

 途中から気なったのは文章である。最初はとくに気にしないで読んでいたけれど、途中から言葉のリズムにどこか定型的なところが気になりはじめた。章の長さがまちまちだったから、これってブログかなぁと気がついた。なるほど読みやすく編集されてるが、プロの文章ではない。というか、市井の人の上手な文章とプロとはやっぱり壁のようなものがあることを初めて体感した。とはいえ、この文章はとても読みやすいので悪口ではない。ただ、気がついちゃったことを述べたまでである。

 この本を読み終えた翌日、チェロのレッスンへと通う。ため息がでる「下手くそさ」である。がんばってもできんやつって、いるんだよね。もっともそういう話は、「それは世間によくある話」だから、あらためて言うまでもないけど。

2010年2月18日

日本の宗教

村上重良
岩波ジュニア新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

 書店で新書コーナーを見ていたら、帯に「待望のリクエスト改版」とあり、それが目に入った。よっぽどよい本なのかなと手にした。触った本には縁があると思うので、ちょっと今月本を買いすぎの感もあるが、我慢して購入した。

 原始から現代までのおおまかな宗教の流れを解説する本だった。対象は「ジュニア」ということだが、中学生向けの感じはない。出版された当時は中学生向けだったのかもしれない。ぼくが中学生だったら読まないだろうから、昔はみんな賢かったのかもしれない(とは本気では思っていないが)。

 読みはじめるとなかなか親切な書き味で、教科書とは全然違っていてよい。解説風の本ではあるが、大学教授が書くような「おれはえいらんだ」的な意図は伝わってこない。著者は歴史が好きだった人なのだろう。

 読み進めるうちに、歴史のイベントというか宗教が盛んになった理由についての考察がないことに気がついた。それは著者の憶測だからだろうか。

 「そうなりました」的な解説は、間違いは少ないのかもしれないが読者の記憶に残らない。何故かを問わない本は内容を記憶にとどめることはできない。だから、読んでも意味がないことになってしまう。ということは、結果的に歴史の教科書と同じになる。自分の記憶力が弱い事を棚に上げて、と言われるかも知れないが、現実的には読んでいないとの同じ結果なのでそう言うのも仕方がないだろう。

 こう考えると、井沢元彦さんの本がいかに強烈なものなのか。驚くと同時に、市井の人向けの教科書としては井沢元彦さんの方がいいだろうということになる。ぼくが読み続けている井沢さんの日本通史は最後まで読もうと決心してしまった。

 この本で良かったところ。それは現代に属する箇所である。戦前・戦後の宗教について「なるほどなぁ」の連発だった。その部分は最後の10ページに収まるから、その部分だけでも立ち読むする価値はあるだろう。

2010年2月16日

食糧がなくなる!本当に危ない環境問題

武田邦彦
朝日新聞出版
お勧め指数 □□□□□ (5)

 温暖化批判についての本を何冊かつづけて読んだので、ここは少し目先を変えようと食料事情の本を読んだ。といっても、武田邦彦さんの本なんだけど。

 この人の本を読んでいると役所やマスコミに対してついつい腹が立つ。だから読んでいて楽しくない。楽しくないものを時間をかけて読むのは嫌である。だけど、生きていくためには読んでおいた方がいいかなとも思う。そんな心境でこの本を手にした。

 なるほど。地球は温暖化したほうがいいという理路はわかった。寒冷化して得な事はない。それに現在は徐々に寒冷化しつつあるという研究もある。この意味からも、温暖化防止なんていらないとまわ思う、ホント。

 マスコミでもてはやされる理由は、人々が注目するからだろう。節約が悪に繋がることはないし。それに、人々の怠慢が絶滅を呼ぶという悲劇的なストーリーは「魅力的」でもある。

 悲劇を予感し、そうならないように立ち振る舞う行為こそ英雄への道である。地球温暖化を唱える人たちはある種の英雄像に自分たちを同化させているのだろう。温暖化防止に対して実際問題なにもできない市民でさえも、英雄になりたいのだろう。休日は高速道路1000円でマイカーを走らせ、スーパーではエコバックを使うことで貢献していると思っているレベルの人がいわゆる標準なんだから。

 地球温暖化防止の活動について、それ意味ないですよと現実的なことを言うと、彼らは猛烈に反発する。それが現実だと彼らが「良い人」「素晴らしい人」である根拠がなくなってしまうから。となれば英雄たちはこう主張する。地球温暖化懐疑の人はバカである。しかしそうならないことが現実になると、彼らはむしろ世間崩壊のシナリオが到来することをひたすら待ち望むようになる。人の心理ってのはそんなところがある。だから、地球温暖化防止を唱える人は、危険な人たちなのである。

 閑話休題。

 日本の食料自給率は低い。米くらいが安全圏にあるように思っているだろうが、米だけあっても意味がない。もう輸入なしには動かない社会に最適化されている。輸入が止まったら、都市部は全滅するだろうが、農村部だって生きれない。そんな状況になれば、いろんなところから侵略があるだろうし、それで一つの歴史に終止符が打たれるんだろう。

 では個人的に何が出来るのか。これも温暖化防止の活動と同じようなものかもしれない。実質何ができるかといえば、ない。「生活を変えない」ようにする方法は存在しない。置かれた状況に自らを対応させるよりない。そんな意識をもつくらい。

 食料についてどう考えるか。これって、政府レベルでしか対応できない。都市に住む人には対応する術がない。だからそうならないように、食糧事情について現実を知ろうなどと触れ回るのは、おそらくABCテストに引っかかる。というのは、

 A:食料自給率を上げると救済が約束される

 B:国内の食料事情について海外との関係による変動予想などの理論が存在する。

 C:人々にこの考えを理解してもらおうと広める。

 なるほどだからこの話をうっかり世間の人々に理解してもらうべく説いて回ると立派な「宗教」になってしまうのである。実に面倒なことである。

 となれば、個人的には「心構え」くらいしかとれる方法がない。それって実際にはなにもしないに等しい。なんとも無力感を感じる。

 何気なくこの本の出版社をみたら朝日新聞社とある。ホント、マスコミの主張っていい加減だよなぁ。 

2010年2月15日

しつこさの精神病理

春日武彦
角川oneテーマ21
お勧め指数 □□□■■ (3)

 しつこいって、人としてダメな性質なんだろうか。しつこい人は嫌われるけど、職人さんは歓迎される。芸術家なんてのは「美を追求する」と言われ良い評価が普通だが、なんてことがない「しつこい」からそれが可能のはず。ならばどうして良い評価なのだろう。

 この本のタイトルを見たとき、そんなことがちらっと頭に浮かんだ。

 この本を読んでみてわかったのは、しつこさが問題になるのは、あくまで「程度」であって、しつこさが「異常」だからなのか。そりゃ、異常というくらいだから異常なのだろう。そう突っ込みたくもなる。がよくよく読めば、「ネガティブなことにたいして忘れない」ということも問題視されている。

 良い出来事については、予感することも体験することも思い出すことも気分が良い。楽しい。うれしい。一方で悪い出来事は全てにわたって悪い気分になる。どうやら、その気分のあり方が精神に与える影響が問題のようだ。

 嫌な事をずっと忘れない、憶えている、思い出す。つまり恨みをずっと抱えている状態が続くと、それ自体はどんな人にもあることだが、頭の中で反芻する機会が増えてくると何が現実で何が想像なのかの境目がわからなくなってしまう。人によっては嫌な気分が増幅していく。となるとどうだろう、最後には現実よりも想像のなかにいる嫌なものを相手にして生きはじめてしまう。

 人は、長いこと考えているものに現実感を感じるものである。現実感を感じるからそれに合わせて現実の行動を変えてしまう。養老孟司さんの著作で読んだが、現実とは、その人の行動に直接影響を与えるものだということだ。ならば考えた事を理由に行動するとしたら、考えていることは現実なのである。こうして精神の病と呼ばれるものが発生する。 とまぁ、この本をよんで僕なりに理解したことはこうである。もちろん勘違いかもしれない。ただし、そんなに間違っていないとすれば、しつこさについての対処方はいたって簡単なものである。

 嫌な気分になることからは、全速力で逃げろ。

 それでいいんじゃないだろうか。それが出来ない場合があるとしたら、可哀相だけど結局のところ精神の病に近づいている。もし周りにそういう人がいたら、状況を少し想像できるだろう。なにが危なくて何が大丈夫か、動機次第では全速力でその人から逃げないといけない。それは、他人ばかりではなく自分にも当てはまる。

2010年2月12日

新・井沢式日本史集中講座―鎌倉新仏教編

井沢元彦
徳間書店
お勧め指数 □□□□□ (5)

 徳間書店のこのシリーズは講演をまとめたものなのか、全体に渡って重複が見られる。重複しているところこそ重要なところであり、何度も何度も強調するという意図があるのかもしれないが、その方法は講演ならば普通のことだけど、文章としては感心できない。もっと編集すればいいのに、と感じてしまう。もっとも編集が入っていないはずもないから、読む人への配慮ということだろう。本書に問題はない。むしろ素晴らしい本である。

 日本仏教について。南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違いがさっぱりした。阿弥陀が救ってくれるということを信じるかどうか、これを軸に話が展開されているのが日本でメジャー仏教ということになる。それだけを引き合いに出すと、確かに仏教である。しかも真宗になると、なんもしなくても救ってくれることになる。こうなると、生活の行動を正すという昨日が宗教に全くなくなってしまう。

 最初厳しかったことが時代を下るにつれて「解釈を拡大し、楽な方へと流れていく」ことは当然なのかもしれないが、正直、その結果をぼくがお金と時間をかけて崇めといわれても無理である。海外に行ったとき、religion:buddismとは書けんと思った。もっとも、自分が参加するかどうかは別として部派仏教や禅くらいならば宗教の面影があるが、浄土系や日蓮系がどうして「仏教」なんだろうか。

 もうひとつ、日蓮のほうはといえば、これ新興宗教だということがよくわかった。もう数百年たったから新興ではないけれど、それでも「トンデモ」であることは「読めば」わかる。なるほどイワシの頭も、と言われる宗教の世界の怖さを感じる。これも、どうして「仏教」の仲間だとはとうてい思えない。現在でも日蓮系の人はいるが、関わらない方がいいということは宗教の教義の面からも納得できた。

 釈迦のことについては一般向けの本を何冊か読んだけれど、その内容と現在の日本の仏教との「直接」の繋がりはないと言えそうだ。日本の仏教は、仏教の「サイドストーリー」なんだろうな。もちろんぼくは市井の人に過ぎないから、仏教とは、なんて語る事はできないのだけど、そんなぼくでも「インチキだよなぁ」ということを見抜くことはできる。釈迦の考え方をもとにした行動をとる人は宗教家ではない。懸命に努力している人だ。そういうことに情熱をもっている人は、それに共感できるかどうかは別として、どの時代のどの世界の人も尊敬することは可能だろう。考えは宗教ではなく、思想や哲学である。一方で、日本仏教はそれとは関係ない「宗教」である。まったく、ABCテストをパスしているところが、恥ずかしい限り。

 井沢式は「因果」を遡っていく態度がとても鮮明で、「どうしてなんだろうか」という問いがわかりやすく、時間をかけて回答される。だから読むかいがある。結局のところ「おれは偉い」を主張されたい大学の人とは全く違う。日本史の教科書として、きっとこれが残っていくだろうなという予感がする。

2010年2月11日

「CO2・25%削減」で日本人の年収は半減する

武田邦彦
産経新聞出版
お勧め指数 □□□□□ (5)

 文句なしの一冊。読んでいて、良い気分には全く慣れない、つまり「反省」や「懐疑」や「疑問」が頭の中を渦巻いてくる。それらはすべて国とマスコミに対して向けれたもの。科学技術立国なのに、国もマスコミもどうして現実に立脚しないで「自分たちが不幸になる物語」や「外国人礼賛」の心理に乗っ取った政策をとり報道をするんだろうか、と腹立たしくなる。むらむらとしてくる。

 もしも武田邦彦さんが一連の著作を発表していなかったら、ぼくの現在の生活はずいぶんと「どうでもいいもの」に気を使っていたことだろう。ぼくだってマジメな市民だから、きっと分別したりマイバックをもったりしていたことだろう。考えもしないで、自分でできることをやろうとしただろうな。なかなかこういうところを根底から考えようとはしないものだから。

 普通の人が考えるチャンスを奪われる状況には型があるように思える。戦前ならば「東大教授」と「役人」が国民に有無を言わせないような社会だったはずで、それが一つの型だ。太平洋戦争突入までの社会の推移と現代とはさすがに違うルートをとっているが、その最大の理由は、圧倒的におかしな報道をする人たちに対抗する「まともな人」が著作を表してくれていること。NHKをはじめ、マスコミ連中が「温暖化の国教化」活動をしているなか、武田邦彦さんのように市井の人にもわかりやすい形で著作を表し、それを出版してくれる世の中の仕組みは、かろうじてだけど日本にはまだ存在している。正直、よかったよなぁと思う。

 だからといって、ぼくは悲観していないわけではない。日本人の集団愚をあなどってはいない。温暖化については、おそらくこのままマスコミがねじ伏せてくるだろう。お雇い帝大教授の数もことかかないし、かららの「無謬性」は役人とどうよう治らないだろう。ならば、多かれ少なかれ日本は衰退、しかもある時点で衰退するだろう。そう確信する。つまんない世の中になるだろうな、棲んでいる人は不幸なところになる。ならば、自分の子供をここに住ませたいなどとは思わない。

 仕事で役人と接した人ならば、彼らの無謬性や他人を見下す性質を体感しているはず。霞が関に魔法があるかのように、面白いように誰もがそうなっている。どうしてなんだろうな、と当時考えたのだが、小さい頃から「俺は偉い」を成就するために試験勉強に励み、東大を卒業してきた過程で「おれらは常人とは違う」という信憑を受け入れ、役所に入ってからは「国民などどうでもよい」と仕事の本来の意味を忘れた人たちが群がっているからだろうと思う。これはもう、治んない。

 地球温暖化問題については、「クリミネート・ゲート事件」によって世界のマスコミのスタンスは大きく変わるだろう。ただ、日本はどうだろうか。間違ったことをしたと絶対に認めない役人やマスコミが、その本質的な性質である無謬性を破って、クリミネート・事件を取り上げたりするのだろうか。期待薄である。だから日本の政策はそんなに変わらない。それどころか、逆ギレして議場仕分けで「温暖化対策」が優先されるようになるかもしれない。

 結局、日本の場合は、まともな情報は少数の有識者が自身の著作を出版することで、水面下で広がっていくことでしかないのだろう。とすれば、そういう本は自分で探して集めるよりない。テレビ番組を見る事で一気に知る方が効率が高いのだが、この国では期待出来ない。

 新聞社が出版している本なのか。だったら、新聞で報道すればいいのに・・・。

2010年2月10日

復習は道徳である

永井均
河出文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

 永井均さんの一般向けの哲学の本である。これまでに『翔太とインサイトの夏休み』をはじめ、子供向けのものや新書を何冊か読んだことがあり、ぼくでも理解できるような話を展開してくれるという印象を持っている。哲学者の教授の話というのは、意図的なのだろうけど、普通の人にわかってもらおうと言葉を選ぶ人はほぼいない。おれは偉い、という事を主張したいだけの人ばかりだ。ソクラテスは普通の人に向けて話したのに、いつも間にやら現代の哲学者は同僚たちにさえ話す言葉を持っていないようである。だからこそ、永井均さんのような人がいてくれるほっとする。

 ニーチェのルサンチマンについて最初の100ページぐらい読む。なるほど、ふむふむ。「なんとなく」わかるし、多分だが、著者の話に付いていけた。第一章は読み切れた。

 ところが、続く章はちょっと様子が違う。こりゃ論文だ。数ページをめくってみたが、「読むと面白そうなこと」がこの先待っているような予感が全くしない。読んでいる時点で面白くなく、この先も面白くないだろう文書を読むのは苦痛なことで、あっさりと放棄した。

 最後の川上未映子さんとの対談を読みはじめる。川上未映子さんの作品をぼくは読んだことはない。彼女は哲学者と語るほどにインテリだったのか。すげーなーと思ってページをめくってみたが、正直ピンと来ない。がっかりして読み終わる。
 

2010年2月 7日

今そこに迫る「地球寒冷化」人類の危機

丸山茂徳
ベストセラーズ
お勧め指数 □□□□□ (5)

 武田邦彦さんや池田清彦さんの本に触発され、何冊か地球温暖化問題の本を読んできた。この本の主張もそれらの流れにある。

 研究者が、自分たちの扱っている分野のメインストリームに反旗を翻すのはなかなか勇気がいる。相手がご用学者だったりするときには、実質「総スカン」をくうことになり、科研費を諦める必要がでてくるから。

 研究者だのなんだの言っても、所詮は研究費をいかにして入手するか、どれだけ偉くなれるかという欲望をエンジンとして活動している人が多く、とくに東大などの「秀才」といわれてきた人たちほどそうだというのが現実である。どうしてなんだろうかと個人的には不思議なところだ。もちろん彼らにと言わせたところで否定するだろうけど、現に彼らがやっている事を集めていけば結局は「俺が偉い」と言いたいだけなのかとわかる。なんとも哀しいところである。

 地球温暖化については、もはや「国教化」をねらっている人が政府の多数派になっている。地震研究と同じで、必要性を一般に訴えることことが容易であり、どんな人に賛成していただけるような分野では、大抵実際の内容がともなわない。大きな地震はメッタに起きないし、起きたとしても被害や対策の方に感心がいくから、だれも地震予知の研究の不備などに興味をもたない。それでいて、研究費は増額される。こういうおいしい分野になるように温暖化研究の人たちは余念がないのだろう。

 温暖化問題を餌にしている人について考えると腹立たしくなるので、正直あまり読みたくない本である。知識の更新が必要だから読むのだけど、それでも世の中にや嫌な奴が偉そうな顔をしているものだと、厭世的な気分になる。本は楽しみとして読みたいから、ある時期一気に纏め読みして、しばらく読まないという方針にしている。

 この本は、そういう嫌な気分が十分に味わえる。温暖化が話題となるまえ(数十年前)はこれから寒冷化に向かうと言われていたそうだ。また、エネルギー問題も合わせて考えると、地球温暖化にかまけている場合はないと思うのだが、なんとも残念な現実がある。

 この本は、温暖化についての考え方を知る以外にも、歴史や地球科学などの科学番組を見えているようで、ちょっと楽しい気分にも慣れる。啓蒙書はこんな感じのものが好きである。

2010年2月 6日

顔面考

春日武彦
紀伊国屋書店
お勧め指数 □■■■■ (1)

 期待したものと方向が全然違う本だった。なんか気味悪い。

 骨相と精神的な気質との関係のようなものがつまったエッセイを期待したのだけど、あまりまとまりのないものがあるだけだった。

2010年2月 5日

問題は、躁なんです

春日武彦
光文社新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

 躁については、鬱の対立概念から想像できるだけで、それは一体どういうものなのかを知らないできた。暗い時期と明るい時期を繰り返す傾向がある友人がいたが、躁はそのうちの「調子がいい」程度の雰囲気の方だとおもっていたので、それを精神病として捕らえることはなかった。いいじゃん、明るいのだから。

 鬱病の人はある種のオーラを周りに発しているために、秋の日の晴れ上がった空の下を歩いていても、その人の周りだけ暗くなっているように感じるからすぐにそれとわかる。躁についてはよくわからない。明るくなってはきはきして、という状況ならば、それはそれで結構なことのような気がするのである。が、どうやらそうではないようだ。

 躁になった人は明るいというだけでなく、他人への配慮は全くなくなるらしいのである。つまり、誰かの迷惑などという概念が消失し、世界には自分だけが存在すると信じるような人が登場する。どうやら、躁の人の面倒くささはそこにあるらしい。要するに、完全なる自己中心の人になる。そんな人、いくら明るいからといっても一緒にいたくないだろう。病気の症状があるとすれば、他人への配慮がゼロになることから生じる不愉快さであろう。

 躁の状態はずっと続くわけではないらしい。調子がいいときにしでかしたことをしらふになったときに反省するというパターンなのだろうか。なんだか酒飲みのような症状であるが、実際は知らない。そんなこところまでは本書から読み取ることはできなかった。

 具体的な症状の例として、笑っていいともに出演されたある作家のことが触れられていた。躁状態で出演されたため、番組の進行と関係なく一人でしゃべり続けたそうだ。お笑い番組で、司会はタモリさんという中で、番組ジャックが行われた状況は気味悪かったということである。

 そういう人が近くにいたらさぞ面倒だろう。それに、この手のものは「治らない」ようである。精神病で回復するものは、典型的な鬱病だけだそうだから、仕方ないのかもしれない。幸いなことに、躁の人は身近にいなかった。これからもそうあることを祈るままである。
 

2010年2月 3日

「治らない」時代の医療者心得帳

春日武彦
医学書院
お勧め指数 □□□■■ (3)

 研修医たちの疑問にQ&A形式で答えを出すという趣旨の本である。医学用語どっぷりというわけではなく、むしろ普通の人が読めば「お医者さんも職業なのね」と当たり前のことを納得できる気がする。

 回答は春日武彦さんなので、精神科的な解説やそれを現実に適用したアドバスがある。ここ最近、精神病についての春日武彦さんの本に興味を持って読み進めており、その流れの中の一冊として読んでいるけれど、普通の読みものとしてもなんら遜色はない。

 各設問ごとにイラスト(というか一コママンガ)が付いていて、精神病の本を読んでいるときに感じる怖さや気味悪さといったものが感じられない紙面になっている。なので、通勤電車でも気軽に紙面を広げて読める。ありがたい。

 では内容は。残念ながら正直ピンと来ない。ぼくは医者になるつもりはないし、それがどういう具体的な仕事なのかわからないからだろう。

 人間関係に起因することに悩んでいる若い人の相談ならば、どんな職業にせよ自分にも体験があるだろうから、読んでいて面白い。自分でも相談に応えられる部分があるので、著者の回答と自分の意見とが比較できるからだ。しかし、医者となると、そんなもんなのかなという感想しかでない。切実さが想像できない。だから、もうひとつ乗れない。

 本としてはよいのだけね。

2010年2月 2日

それでも地球は回っている

ペレ出版
青木満
お勧め指数 □□□■■ (3)

 アマゾンのアフェリエートをこのWEBでやっているが、このページをきっかけにして本を購入する人はほとんどいない。まぁ、あなたは素人のろくでもないサイトを経由して本を買うのかと問われれば、ないだろうと答えるだろうから、考えてみれば当然だ。人に本を勧められたとき、その本を読むかどうかは内容の宣伝よりも、勧めた人をみて判断するものだ。知らない人だったら、せめてブログをいくつも読んで感心したというようなことがないとダメだろう。

 ところが、なんでもそうだが、長くやっているとチリも積もる。5年間で1500円分のポイントがたまった。このめでたきご褒美としてアマゾンで購入したのはこの本である。天文学が好きだった頃の自分を思いだしてみようという気分で買った。

 この本は、天文学について普通の人の目線で書かれた良書である。アマゾンの評価も信用できるものとできないものがあるが、この本に限ってみれば「正しい」。

 一番注目したところは、ティコとケプラーについて。ティコとケプラーの仲が良くないことは別の本で読んだことがある。片や観測の鬼で、片や理論の人。考え方や行動指針が違うから議論をしてもわかりあえないことが多かっただろう。だからお互い師弟関係であっても仲が悪い。

 ティコはあるとき頓死してしまい、死後データを引き取り解析を重ねた結果ケプラーの3法則が見出され、それを根拠にニュートンの力学の正しさが世界に証明されるという科学史のメインストリームにつながっていく。なんとも感動的な道筋なのだけど、そもそもなんでティコが死んだのか。

 ティコ家は現在でも続いており、20世紀になってティコの墓からその遺体を確認することがあり、その際髪の毛を採取した。死因について調べて見たところ、通常の何十倍という水銀を死ぬ前に一気に服用したということがわかった。要するに殺人だったのだ。

 犯人は殺人の結果によって利益を受けるものであることはミステリーの定石。当時の遺産分配や周辺の人を調べてみても、金銭的にも名誉的にも特をした人はいなかった。ただし、ケプラーを除けば。

 死後ティコのデータの取り扱いには親族とケプラーで一悶着あったし、ケプラーはデータを独占したということだから、なんてことはない、犯人はケプラーだったのだろう。科学といっても人の行為だよなぁ、と通関する出来事をこの本で知ったのである。


2010年2月 1日

人生に退屈しない知恵

森毅+鶴見俊輔
編集グループSURE
お勧め指数 □□□■■ (3)

 この人に会いたかった:森毅さん。

 タイトルに魅かれて薄手の本(というより、冊子)を手にし、そのまま買ってしまった。
内容は対談である。対談者同士世代が近い(ぼくと森毅さんを比較してだけど)ので、盛り上がっている話にぼくにはピンとこなかった。戦後や学生運動の時代の話をされて、あぁなるほどとはならない。それは仕方ない。それでも、発言には森毅さん的なものがあるので、人は変わらないものだなと思いながら読んだ。

 森毅さんはこの対談が行われた後、たしか去年の初めの頃に、料理をしていたら自分の服を焼いてしまうという事故に遭い、そのままやけどで入院したというニュースを目にした。そのあとどうなったのだろうか。高齢だから何にせよ治るには時間がかかるだろう。良くなっているといいのだけど。