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2010年7月31日

中世の再発見―対談

網野善彦+阿部謹也
平凡社ライブラリー
お勧め指数 □□□■■ (3)

網野善彦さんと阿部謹也さんの対談。
日本と西洋の中世の研究者たちだから、話がかみ合えば面白いかもしれない。
書店のレジで並んでいるときに目に付いたので、ついでに購入した。

しかし内容としてはよくなかった。
なんだか、表面上の受け答えが目立つ。
とくに網野喜彦さんが対談を面白がっていないようで、読んでいてそれが伝わってきた。

ヨーロッパ中世ではこうです。
そう阿部さんが話題をふると、日本ではこうですよと網野さんが答える。
それって、子供の勝負じゃねぇのか、という感がしてくる。
そんな話読みたいだろうか。

前書きを読むと、そういう本になってしまったという断り書きがある。
それを読んでいたら、買わなかったかもしれない。
 

2010年7月27日

怒らないこと2

アルボムッレ・スマナサーラ
サンガ
お勧め指数 □□□□□ (5)

前作は読んだ。
この本のタイトルを目にしたとき、多分同じ内容を扱っているのだろうと思い、買ってみた。
怒るとろくな結果にならない。
なるほど、少なくとも理性においては納得できた。

なぜ怒るか。
その感情を10通りの原因に分類し、それぞれについて何故そういう感情がわき出るのか、そのままそれを続けているとどんなことがおきるのか。
それらをきちんと説明している。
これ以上の説明は必要ないだろう。
理解はできた。
だが問題はどうやって実践するのかだろう。

「私」というものは存在しない。
「私」は概念である。
これを言葉通りの意味で理解すればよい。
身体は存在しているし、感情も存在している。しかし、それらを統御する「私」なるものは、「存在」などしていない。
現象でしかない。
つまり自我という感情の存在を肯定するための方便であって、そういう機能が動作しているわけではない。
そういうことのようである(ぼくの理解)。

なるほどそうかもしれない。
意志が先にあって行動が起きるわけではないということは、ベンジャミン・リベットという認知学者の実験で知った。
なかなか信じられないことである。
だが、自分の意識がそう判断するのは当然。
しかし考えてみれば、気分次第で意志なんてどうにでもなる。
ならばリベットのいうことは正しくたって仕方がない。
実際、意志よりさきに筋肉は動き始めているのだから。

意志がそんな具合なのだから、自我などは感情がより集まった集合でしかない。
頭の状態で現れたり消えたりする。
意志なんてものは、継続的に存在する機能ではない。
睡眠中に意志も自我も消えてしまう。
やっぱり「私」などというものは「勘違い」なのだろう。

ちょっと仏教的な発想が理解できた。

 

2010年7月23日

衝撃! EUパワー 世界最大「超国家」の誕生

大前研一
朝日新聞出版
お勧め指数 □□□□■ (4)

EUはもやは一つの国である。
アメリカ合衆国が州の集合体として一国をなしている。
その意味でなら、EUは国であろう。
リスボン条約が成立すれば、EUにも大統領が登場することになる。
ウェストファリア条約で成立した近代国家という一つの単位が、少し変わってくるかもしれない。
そのとき、人口、国土の広さや経済規模を考えても、EUは堂々たる世界一の国家というポジションにつく。
アメリカに最大の注意を払い、中国やインド、ブラジル、せいぜいロシアにだけ注目するようでは、目の前の大きな現実を見えていない。
こういう趣旨の本であった(とぼくは思っている)。

大前研一さんの著作だから、一般に理解されていない(マスコミでの報道されていない)ビジネスチャンスのある場所を提示し、日本がグッドライフをもとめるならばそこでのビジネスを展開するよう促す本である。
EUを一つの国家として扱うという報道はどのくらいなされているのか知らない。
BRICSのような古い発想が新しいトレンドとして放送されているんじゃないか想像するが、日経や夜のニュース番組での取り扱いはどうなのだろうか。

毎度毎度読み終わった後に感じるのだが、この本の対象読者にぼくは含まれていない。
なるほどそうか、と知ったからといってEUにビジネスを展開しようと思うような仕事をしていない。
また、そのチャンスもない。
もっといえば、そういうこととは関係ない市井の人である。
こういう本、何らかの組織の社長は部長といった人向けなんだろう。
でもまぁ、大前研一さん流の見方や考え方を知る上では面白いから、それでいいけれど。

 

2010年7月16日

心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」

名越康文
角川SSC新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

ラジオデイズの番組で名越康文さんの話を聴いて、この本を読みたくなった。
「著作」と宣伝していたから、読むのに骨が折れるかなと身構えていた。
が、インタビュー形式の内容なので読みやすかった。

分かりやすい本だった。
インタビューアーがあれこれ質問し、名越康文さんがどうすればいいか答える形式である。
そして「それはなぜか」の説明を加えていく。
話は重くなく軽くもなく。
簡単すぎてインチキ感がでてしまうこともない。
なるほどと自然にうなづけ、その内容に信頼を置けそうだと感じた。

いろんな事を考え込んでしまい、気分が暗くなる。
程度の差こそあれ、そういうことはどんな人にでもあるようだ。
ぼくもある。
思い出すと腹が立つことはかなりある。
何もすることがないとき、何かのきっかけで思い出して腹が立ってくる。
普段からよくある。
そしてイライラは顔つきに出るらくしく、奥さんが心配そうな顔をしてぼくを見たりする。
困ってはいたが、これは昔ッからの性格だからなぁ、と諦めていた。

嫌なことは考えても答えがない。
考えていいことはない。
怒りは外に出しても、内に押さえていても消えてなくならない。
「考えない」以外に除去方法がないのだ。
この本ではそう主張している。
実感としてわかる。
そういうもののようである。

腹立たしいことを考えながら、その怒りに耐える。
精神的に強い人ならば、耐えている間に時間が解決することもあるだろう。
しかしそうでもない人は、イライラしたりしている間に精神的にも体力を消耗し、より暗くなってしまう。
怒りを我慢することに、いいことない。
もっといえば、怒りを感じている状態は脳にとっても健康にとってもよくない。

怒ってはいけない。
怒ることを考えても得なことはないからだ。
この考え方はスマナサーラさんの本でも読んだことがある。
だから「それなら知っているよ」という方法であった。
しかし知っているからといって、実践していたわけではない。
出来るわけでもない。
名越康文さんもスマナサーラさんと同じことを言っているのだから、これを一つ実践してやろう。
そう思ってやってみた。
そしたら、びっくりするくらい「効いた」のだ。
とくにここ数年悩まされてきた「思い出し怒り」の症状は、まったくなくなった。
当たり前だよ、だって考えないのだから。

感情をコントロールするとは、こういうことなのかもしれない。
耐えることではない。
考えないことだ。
「納得する」を求める限り、いつまでたっても治らない。
そういうことがあるのかもしれない。
だから簡単な方法は、納得なんてどうでもいいと実践すること。
納得する必要がある、と考える自体が勘違いなのかもしれない。
そう思うようになって、そして実践するようになって、ぼくの日々の生活は大きく変わった。
本当にビックリするくらいである。

何かを成し遂げるには苦行をしないければいけない。
そう漠然に思ってしまう。
でも、それは嘘だろう。
なぜなら「考えない」という方法に劇的な効果があるのだから。

考えないなんて方法では、何も解決していないではないか。
そう批判する意見もあるだろう。
ぼくもそう思っていた。
しかし、それは間違っている。
少なくとも問題の建て方が間違っているのだ。

思い出し怒りなどというものは、そもそもが意味がないことなのだ。
その人の五感に感じていないことをベースに行動する必要などない。
自分以外の人の心で何が起きているか。
そんなことを知りようがない。

だったら、そばにいない人のことを想像しては腹を立てるなどという行為に、いかなる意味もあるわけないじゃないか。

それを体感できるかどうか。
暗い日々を送る人とそうではない人との分かれ目かもしれない。
実に単純なことだったようだ。

2010年7月12日

辺境

田中宇
宝島社
お勧め指数 □□□■■ (3)

国際問題についてほとんど知らない。
その最大の理由は情報源が面白くないから。
べつにお笑いを求めているわけではないのだが、テレビにニュースは解説する側の意図が丸見えになっていて、どうもそれに寄り添う態度を取りたくないから見る気になれないでいる。

それが明確になるのは少し前の報道を見ればよい。
マスコミ(新聞・テレビ)の報道は一見分かりやすいが、しばらくたった後でニュース解説を見直すと、すごいバイアスがかかっていることがわかる。
報道されてしまえば、あとはどうでもいいという態度でニュースを作っているのが丸見えで、どうも信用が置けない。

ならばアカデミックな側はどうか。
これもまったく期待できない。
政府か新聞社のご用学者の言葉ほど、当てにならないものはない。
独自に取材して考察して結論を出すということは、国政情勢については不可能なのだから、それはそれで仕方がない。
彼らが悪いわけではないが、だからと言って信用できるわけではない。

そんなことをぼやっと感じていたときに、この人の発行するメールマガジンを目にした。
なかなか「よさげ」な解説をしてくれている。
この人のニュースソースはアメリカの新聞であり、彼の考察方法として数多くを目にする事でアメリカが何を考えているのか、世界情勢はどうなるのかを探ろうというものである。
その記事を読めば、ニュースソースも明記されているので、新聞よりは信頼が置けそうな気がする。

この本を読めば、現在の世界情勢の一つの見方を知る事ができる。
そう信じたい。
記事の書き方はそれなりにまとまっているし、少なくとも普通の人に聞かせるための配慮である「物語性」を入れてくれている。
だから、ぼくですら興味深く世界の紛争地帯について知る事ができたわけである。

読んだ直後は著者に対して好評価だった。
いい人を見つけた。
別の本も読んでみようというくらいに。
しかし、あるラジオ番組でこの人講演を聞いたのだが、まったく反対の印象を持った。
今では当てにするとろくでもないような気がして、情報源のリストからは外してしまった。

本の評価は本自体で行うのが筋である。
しかし、それだけだと不完全なんだと知った。ラジオの存在はとてもありがたい。
 

2010年7月10日

新・井沢式 日本史集中講座「鎌倉幕府の崩壊」編

井沢元彦
徳間書店
お勧め指数 □□□□■ (4)

逆説の日本史を読んでいるので、内容に新鮮味を感じなかった。
別のこの本が悪いのではない。
先日同じ著者の同じ時代を扱った本を読み終わったばかりのところに、この本を読んだからそういう印象になっただけで、内容自体はこのシリーズと同じように分かりやすい。

皇居近くにわりとセンスがよい銅像がある。
なる程そういう人なのか。
そうわかった。
陽気が良い休日には皇居の芝生へ行く。
たまにその辺りを自転車で散歩?する。
楠木正成候の騎馬銅像があるが、なるほどこの人はこの時代の一大イベントであった南北朝の時代に天皇側について戦い、最後まで筋を通して死んだ人だったのか。

鎌倉幕府が滅んで、後醍醐天皇が力を持っていく様子を、いってみれば良質の週刊誌の記事のような目線でこの本は書かれている。
変なゴシップはない。
過去の経緯と民衆・武士・公家の世論の沸き起こり方を、いってみれば池上彰さんのように語ってくる。
学者の書く歴史を普通の人が読むのは人生の無駄だが、歴史は知らないと損をする。
井沢元彦のような作家をぼくのような普通の人はもっと歓迎してもいいと思う。


2010年7月 2日

日本人へ 国家と歴史篇

塩野七生
文藝春秋
お勧め指数 □□□□□ (5)

雑誌掲載エッセイの後編にあたる新書である

政治以外の話題が半分以上しめている。
ごく普通の市井の人で、かつ政治には無力感をもっているぼくにとっては、前編よりもずっとよい。
そりゃそうだろう。
ローマでの生活やイタリアのブランド品の実情話のほうが、だれだって愉快な気分になれるのだから。
わざわざ身銭を切ってまで政治のことなど聞いても人生の無駄遣いでしかないだろう。
そこまで思わなくも、政治ネタに目を通すのはヒマを持て余した時だけで十分。
少し狭隘なぼくのポリシーだが、そういう人は少くないだろうと思うが、どうだろうか。

政治エッセイとローマ生活エッセイを2冊並べて販売するとしよう。
どちらが結果的に売れるのか、それは内容次第のところがあるが、そうはいっても想像はできる。
書店でこの本の前編と後編を並べて平済みにしたら、おそらく後編のほうがずっと減っているだろう。

塩野七生さんのエッセイは政治を扱っているものが多い。
政治を語るにはある種の「強さ」が文章には必要とされる。
人を無理やり引き込み、それも強くひっぱり込み、日常生活を変えてしまうようなことにコミットさせる。
そのためには緊張感を持たせ、行動に走らせるような物言いのほうがいいのだろう。
それはそれで塩野作品には必要な味なのだが、たまには別の側面があってもいい。

この巻の内容で、楽しかったのはローマのワインバーの話、ブランド品の製作者は中国人集団であるという話、そしてローマの歴史遺跡散歩。
そういうものを読むと新鮮な気分になる。
日常生活というものか。
書店で購入した本を帰り道にワインバーに立ち寄る様子、そしてどんな風にワインを選ぶのかなど、ローマでの生活についての話になるほどと感心した。
ローマについての歴史が頭に入っている人で、在ローマ歴がない達人はどんな時間の過ごし方をするのだろか。
旅行で立ち寄る程度のことしかローマに滞在する機会がないであろう人だって、興味がわく話だろう。