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2010年12月30日

黒と茶の幻想

恩田陸
講談社文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

同じ本を何度も読むことがある。
この本もその一つ。
もう4回目くらい。
結構厚い本で、読み通すのにも時間がかかる。けれど、どうしても読む必要があるという思いで読みはじめてしまい、最後まで読んでしまった。

内容は『夜ピク』の中年版だろう。
男女が歩きながら思索する物語だから。
歩きながらあーだこーだと話し合い、そうやって過ごした時間の流れを一日の中で振り返って観賞に浸ったりする。
あの夕焼けを見てたときからこんなに時間がたったのかぁ、みたいな。

登場人物は4人(男性二人、女性二人)。
それぞれに過去と謎を抱えている。
それぞれがもっている謎を小出しにしながら歩きつつ、みんなで語り合う。
それらの話は謎であり、過去への郷愁であり、現在の自分の生活の不思議さである。
だから語り合ったからといって必ずしも結論は見えてこない。

そして最終にゴールし、それまで歩いた道のりや場面場面での会話を、さらにはこれまで生きていた自らの人生をも振り返る。

やっぱりこれ、夜ピクじゃねぇか。
読みながら何度も確認したわけである。
じゃ、つまらないのか。
いやいや。
むしろ恩田陸作品の名かでもかなり面白い方だ。
ぼくにはお気に入り。

歩きながら思索するという形式は、森本鉄郎さんの旅の本に通じるものがある。
といっても、あちらは思索であるし、その対象は哲学だったり文学だったりと、もっと高い山の上の話である。
恩田陸さんのほうはもっと下世話なもの。
悪い意味では決してない。
恩田陸さんは森本哲郎さんの著作に若い頃憧れたらしいので、そういうところが混じっているのかもしれない。
などと勝手な感想をもってみる。

中年の男女が大学時代の恋人と再開して何を話すのだろうか。
ぼくにはとんと想像がつかない。
そういう経験はこれからもありそうもないから。
それでも興味だけはもっている。

歩いてくたくたになってそれで終わりだから健全な物語であって、そこが恩田陸さんの本の安心して読めるところである。

それぞれに生きて行くのは大変だな。
なんだか若者を鼓舞するような物語ではないが、その微妙な苦さのようなものが現実世界で生きるぼくを魅了しているのかとも思う。

そんなに人生楽しいことばかりじゃないってことか。

2010年12月23日

うさぎおいしーフランス人

村上春樹+安西水丸
文藝春秋
お勧め指数 □□□■■ (3)

なんか変な本。
決して不快な気分になるわけではない。
購入して後悔するほどでもない。
遊び心というか、ほのぼのさというか、こころの余裕差があってよろしい。
それでいて子供向きというわけではないんだけど。

馬鹿馬鹿しい駄洒落を言い合っている人がいて、それに合ったかわいらしいイラストをさらさらと書いている人がいる。
そういう感じがする。
笑うというより、楽しい気分がする。

結果的に見て良かったな。
なんか疲れたときにまた読み返すか。
絶望したときとか、この先あるかもしれないし。
 

2010年12月18日

神の子どもたちはみな踊る

村上春樹
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

飛行機に乗るとき成田空港の本屋さに必ず立ち寄ってしまう。
第一と第二で品揃えが微妙に違うのだけど、どちらでも流行作家の文庫本は置いてある。
すでにたくさん本をカバンに入れてあっても、この売店で買いたくなる。
道中の安全を祈願しての儀式のようなものなのかもしれない。
そんな折り既に買って読まないで持ち帰ったのだろう。
机に置いて合ったのを半年ぶりに発見した。

この短編集では「タイランド」が一番好き。
どうという話ではないかもしれない。
それでも読んでて考え込んでしまう。
村上春樹さんの小説は、こういう作品が一番好きなのだが、必ずしも多くないのが残念。

どういうところに魅かれるのか。
意外なことをきっかけに「何のために生きているのだろうか」という問いが突然出てくるところ。
思いも寄らないところでそれを問い掛けられるところ。
突然すぎて構えていないときに不意打ちを食らったような気分になる。

当然答えはない。
いつも考えるような内容じゃないから。
しかし、自分なりに答えはしっかりともって生きていたい。
そういう質問ではある。

こういう、答えのない問いがあること、そしてそれに自分は答えを持っていないことを思い出させてくれる。
なんとも有り難い。

メメントモリ。
そういうのって日常生活のなかではなかなか見つからない。
推理小説が好きな人だって、たまにはこういうのを読んでもいいと思うのだけど。

暗いと評価されることかもしれないが、ぼくは好きだから仕方ない。
 

2010年12月17日

僕はいかにして指揮者になったのか

新潮文庫
佐渡裕
お勧め指数 □□□□□ (5)

指揮者の話といえば、ずいぶんと昔に読んだ小沢征爾さんの『ボクの音楽武者修行』のことを思い出すことしかできないでいる。
そもそもクラシックファンではないのだから、それでも思い出せるものがあるだけよいだろう。

書店で見かけたから。
それが動機で本を買うことは少なくない。
この本もそうで、新潮文庫の棚に平積みされていた。
最近書いたのかなと思い手にしたが、ずいぶんと昔に書かれたもののようで、もう15年も前に出版されいている。
音楽を専門にしていた人なのに、なかなかどうして小気味よい文章。
立ち読みしていたらそのまま引っ張られてしまった。
普通の人でも十分と楽しめるものだった。

若い頃に業績を得た人は「おれはスゴイ」という主張をいろんな形でするもので、それが場合によっては嫌みになり、人格にアクを付けしまうものである。
しかし、この人の場合は違う。
もっとも謙遜しているわけではなく、むしろぼくは才能を見出された人だと言い切っている。
不思議とそこに嫌みを感じない。
なぜなんだろう。

そう思いながら読んでいて思ったこと。
それは、自分の才能を認めることと、他人を見下すことがセットになっていないことが原因だろう。
つまり、みんなにクラシック演奏の良さを知ってもらえたいし、そいうものを自分も多く体感したいということが行動や発言の先頭にあり、それで終わっているからだろう。
人々は自分がけなされるのでなければ、また、他人がけなされるのを見る心配がなければ安心して着いて行く。
この人の本にはそういうところがある。
この人に付いていったら面白いよなという信頼。
そこにぼくは魅かれたのだろう。

本文中で面白かったのは、登場する人物の会話が関西弁であること。
バーンスタインが関西弁をしゃべっているのは、なんか新鮮だった。
 

2010年12月15日

はやぶさ、そうまでして君は

川口淳一郎
宝島社
お勧め指数 □□□□□ (5)


さすがにこの本は読まないと。
書店で見かけてすぐに購入した。
この先生の書くものがこんなに読みやすくて面白いとは、正直ちょっと想像していなかった。
実に意外。
もっと論説調になるか、逆に説明を端折るかのどちだろうと思っていただけに、ビックリしてしま、その間に全部読んでしまった。

「はやぶさ」について、これまでうんざりするようなテレビの紹介番組が多数つくられ、放送され、人気を得たようである。
そういう番組についての感想は、「確かにそうなんだろうけど」、という実字誤認のなさは認めるのだが、無理やりな感動物語を付けすぎていて、ちょっと引いた一から見ると下手な浪花節世界のマンガであって、ぼくはむしろ不快だった。
一昔前の「プロジェクトX」的なもの。
こんな風にしちゃうから飽きられるのも早いんだろうなと感じていた。

宇宙開発の紹介本についてこの風潮を作った張本人は的川という人である。
この人の書く宇宙開発話は、もう、昔中国で人気を博していたであろう共産党賛歌みたいなもので、読むに堪え難いものばかりだった。
題材に取り上げられた人たちは悪い気分はしないだろうが、現実を脇で見ていた人には、むしろの胡散臭さを感じるくらいものばかだろうな。
物事にはいろんな見方があるのに、感動ドラマを演出したいだけの本ばかりで、もううんざりだった。

もちろん、結局のところ広報のとしての機能は高く、多くのところからお呼びがかかっている。
実際それはそうで宇宙開発に貢献しているから、表立って反論するつもりはない。
ただ、「あぁ、またやっているよ」的な評価がいいところでしょう。

そういうこともあって、「ぼくたちは努力して、凄いことをしました」的な本なのかとも予想していたので、この本を読み予想に反していてビックリしてしまったわけである。

的川さんならば、本書にあるNASAに対する見方を絶対に表にださないだろう。
子供に良くないから、とかいって。
でも、人の行動の源泉にある思いは清濁合わせ持つもっているのが普通である。
そういうことはちゃんと示さないとダメだと思っている。
そこをきちっと書かかれいているからこの本は信頼できるわけである。

2010年12月13日

くじけないこと

アルボムッレ・スマナサーラ
角川SSC新書
お勧め指数 □□□□□ (5)


スマナサーラさんの著作は、読んでいると気分が楽になる。
仏教とは何かを信じることで成立する宗教ではなく、人の心情を上手に扱うための心理学的な技術野体系であり、それらをベースにした哲学である。
そう思ってしまう。
きっとそうなんだろう。

たしか茂木健一郎さんの著作だったと思うが、仏教を哲学だと言い張る人を見るとその考えの浅さに腹が立つと発言しているのを読んだことがある。
他人の考えに反発して怒る態度はいかにも茂木健一郎さん的でほほ笑ましいともいえるが、その仏教が宗教であるという認識は日本の仏教についてにしか適用できないだろう。
スマナサーラさんの説く上座部仏教について読んだ後でならそんな発言するとは思えない(自分を曲げることがあの人にできるのかは知らないが)。

日本の文教にはいろんな「神様」がでてくる。
それは仏様や観音様という名称で呼ばれるキャラクターである。
さらに加えて不動明王だのなんだのいろいろいて、なるほど仏教は宗教だと思ってしまうのに無理はない。
不思議なのだ。
どうして同じ仏教なのにこんなに違うのだろうか。

ある宗教がいろいろなところで受け入れられるには受け入れ場所にすでにあった神話と同一視されなければならない。
それは一つの手法である。
例えばキリスト教はそれを巧みにこなした。だからクリスマスなんてのが世界中でお祭りとしてある。

新しい宗教を既存の宗教、あるいは聖なるものの伝統に対してある種の「バージョンアップ」のような感覚で受け入れてもらえるようにしている。
そういう人々の錯覚を利用する技術が結果的に成功をもたらしてきたのは事実である。
神話体系が根強く人々の考え方を縛っているところほど、それが効く。
日本には当然そういうのが強かった。
中国もそう。
それらに合うように仏教は変容したのだろう。

フロイト以後の心理学を勉強し、人の心を把握しようとするのと比較して、スマナサーラさんの説く仏教から入る方法がそんなに不利なことではないだろう。

2010年12月12日

手離す技術

桜井章一
講談社プラスアルファ新書
お勧め指数 □□□□■ (4)


この人の日本語は簡潔で分かりやすくて、それでいてちょっと面白みがある。
立ち読みしていているうちに、もっと読んで勉強しようと決心し、購入した。

面倒くさい理論や権威の引用という方法を使わず、俺はこうやってきたし、実際うまくいった、と自ら得た世の中の仕組みを語ってくれる本である。
それは押しつけがましくなく、理路整然としている。
おそくら著者は、大半の日本人の平均よりも高いところでモノを見ることができている。

学校で勉強したり、子供の頃から技を磨いたりしないと「世の中を見わたせる人」にはなれないという暗黙の了解がぼくにはあった。
ならば著者のこれまでやってきたことはそれに匹敵するということだ。
この人は、偉大な戦歴を持つ麻雀師であり、現在は雀荘のオヤジだと自分を語っている。
この事実だけから判断すると、「どうしてそんな人の本がいいのか?」と首を傾げる人が多いかも知れない。
しかし人ってどんなことをしていても、うまく上手に偉大にやる人とそうでない人に別れるものである。
そしてこの人は、前者である。

不思議なことかもしれないが、この人のいっていることはスマナサーラさんが説く仏教の教えと共通するところが多い。
なぜだろう。
何が実力で何が運なのかよくわからない世界で生きてきた人の発言は、何が実力で何が運なのかよくわらない現実の人生を生きて行くときの考え方と共通することが多いのかもしれない。

この人のような文章力で論説文を書けるようになりたい。
この本を一つの目標としてみることにした。

2010年12月11日

生きる勉強

アルボムッレ・スマナサーラ+香山リカ
サンガ新書
お勧め指数 □□□□■ (4)


最近、香山リカさんの対談本を書店でちらちらと見かける。
新書もいろいろでているから、鬱病といった精神的に疲弊する病に人々の感心が向いているのだろう。
世間で苦労している人、とくに対人関係で苦労している営業サラリーマンさんには切実な問題なのだろう。

そこでスマナサーラさんの登場である。
この人の発言は仏教、おそらく上座部仏教に根ざしたものであろう。
発言全てがこの仏教の教えに沿っているとしたら、そしてそれが気分を実際和らげてくれるとしたら、仏教もいいものだなと思うのは当然。
スマナサーラさんの新刊は発売と同時に売れ出し、アマゾンでは品薄になってしまうのだが、それはなっとくできる。

この二人が対談するとどうなるのか。
何を巡って意見を交わすのか。

精神医学は科学をベースにした行為である。
理論と実験が両輪。
精神医学も例外ではない。
ならばそれについてとやかく言い合うことはないだろう。

両者ともに心を癒すという機能では同じである。
スマナサーラさんは、それが病気ならば管轄外だと明言している。
仏教ができることがあるとしたら、少なくともそれが治ってからだと。

確かに、統合失調症を発病してからでは手に負えないだろう。
なぜならスマナサーラの話を聴くことができないのだろうから。

この本においていろいろ話し合って、香山さんはそれなりに理解をしたようである。

ではぼくはどうか。
なるほど、仏教といえでも、発病しちゃったあとは無力なんだ。
当たり前だがなるほどと。
とにかく人の話を聴くレベルまで戻すことができるのは精神医学しか今のところないみたいだ。

スマナサーラさんの本が売れている。
ならば世の中だれもがそれなりに住み難いんだろう。
一方でぼくはそういう状態にない。
ずいぶんと幸せなものなのだ。
自分の生活もバカにしたものではないようだ。