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2011年8月28日

マツ☆キヨ

マツコ・デラックス+池田清彦
新潮社
お勧め指数 □□□□■ (4)

ずいぶんと不思議な取り合わせだなぁ。

震災直後でもあるので、おしゃべりのとっかかりは当然震災のことになる。
時期的に生々しいニュースが絶え間なく入ってくるときでもあったのだろう。

仮にマツコのような人が被災したらどうなっちゃうのだろうか、とマツコは心配している。
当然だろう。
避難所では、マツコも周りにいる人も「どうしていいか」わからないだろうから。

そういう技術的な問題もさることながら、社会的な問題もある。
マイノリティーの存在とその扱いについて、ということだ。


マツコのような人は、ある種当然ともいえるのだが、大多数の人からは「差別」される。
普通じゃないと理由で。
言葉にしなくても、避けられる。

存在自体が共同体の不利益になるわけではないのだから、べつにいいんじゃないかという意見もある。
が、多勢に無勢になるほうが確率的に高いだろう。
しかない、というのが正常の反応だろう。

確かに問題ではあろうが、そういうことは普通の人にとって喫緊の問題ではない。
大変だろうなぁ、という程度のことでしかない。


では池田清彦さんはどういう反応をしているのだろうか。
おおまかに言えば、マツコさんのような人は「いる」のだから、それを単純に社会も受け入れる必要あるよね、ということだろうか。

社会にとって不都合になりそうなことがあっても、人々は社会のために存在しているわけではない。
実際あるのだから、それに社会をどう合わせたらいいかね。

思ったこともないような昆虫にであると、へぇ、と思う楽しがあるのように、普通から逸脱している人がいても、へぇ、といいつつ受け入れていくマインドって、どうやって涵養すればいいのだろうか。

例えがあまりよくないが、要するにそういうことを考える必要があるかな、とぼやっと思った。

それにしても、マツコさんってしっかりしているな。
だから面白いのかもしれない。
きっと長いことマスコミには残っていく人なんだろう。

2011年8月15日

報道災害

上杉隆
幻冬舎新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

原発報道に絞った上杉さんの報道批判かと思って読んだ。
が、半分は記者倶楽部批判であった。

社会にインパクトを与える問題をきちんと取り扱うことができない、あるいは多くの人が認識すらできないでいる。
その根本原因の一つに記者クラブの存在がある。

だから社会の問題のどれを扱っても、すぐにできる「第一歩」は記者クラブの廃止。
それが実現可能な処方箋になる。

今となっては原発処置は簡単ではないし、現に放射性物質が未だに漏れている。
やろうとしてもどうにもならない。

しかし、記者クラブの廃止はできる。
人が決めているルールなのだから。
記者同士の談合をなくせば、「まともな報道」があっというまに実現が可能。

原発報道については今でも問題が多い。
被害状況を小出しにしたり、誰かの失敗を隠そうとすることがつづけられている。
だから今後も被害はより拡大していく。

「社会に不安を与えるから」という理由で統制されている情報が、目に見える形(食品におけるセシウム汚染の海外からの補償要求とか異様なまでのガン発生率とか)になったところで、やがて少しずつ報道されはじめるだろう。

原発事故は地震が発端であったとしても、その後の経過は公害問題と同じ。
水俣病や薬害エイズと同じ。
報道がまともだったら「自分がおかれた状況をまともに理解できる」はずの人々が、むざむざと被害を受けて続け、その数は増えていく。

こういうシナリオに至る不幸の原因と処方のうち、すぐにでもなんとかできること。
それは、記者クラブを廃止であり、まともは報道の活性化ということである。

上杉さんの主張はこういうことに収斂していく。
なるほどなと思う。

これだけ割りやすい論理を言うにもかかわらず、上杉隆さんをテレビで見かけることはほとんどない。
MXTVの夕方だけだろう。

紳助問題を堂々と弁護し、闇権力の利用を肯定するような、「アウト」な司会者小倉のワイドショーみたいのは一杯あるのだが。

ぼくとしては政治報道よりも原発報道とそれにまつわることについて小杉さんに話をしてほしい。
しかし、なかなかチャンスがないでいる。

テレビがだめならラジオがあると思うのだが、それも難しいかもしれない。
電通・博報堂が入っているメディアでは、お笑い芸人さんが自分の意見を表明しただけでも、謹慎や解雇という検閲があるから。

本を読み終わり、ため息をつくしかないでいる。

2011年8月14日

原発はいらない

小出裕章
幻冬舍ルネッサンス新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

昨日読んだ本と同じテーマの本。
講演をもとに編んだ一冊のようで、重複するところもあるが、話のながれ上必要なことだし、なんど聞いても大切なところなので、前の本を読んだ人でも読む価値がある。

原発の問題は、結局のところ人災だったってことだ。
津波は「とどめ」をさしただけで、原発の配管類はすでの地震で壊れていたようだし、外部電源を引き入れる鉄塔や変電所がだめだったんだから。

そういう目前の危機は既存メディアでもちらちらとリークがでてきたが、もっと根源的なことを忘れてはいけない。
燃やした後の燃料、どうするのさ?
廃炉って、どのくらいの費用がかかるのさ?
いずれやらなければならないことに目をつぶって「安価だ」なんて言っている連中は、どうせ自分は死んでいるから関係ないと思っているやつらなんだら、信用に値しない。
もっとも、かれらが「革新的」な技術を生み出す可能性もあるわけだから、話はつねに聞いていないといけないけど。

人間というか、金儲けしか頭にない経済連中って、社会のがんだよなぁ。
まずはそういう人たちから被曝すればいいと思うのだが、そうはいかない。
かれが一番安全なところにいるので、生きながらえるのかは彼らなんですね。
そういう「社会の歪み」は人々との心にわだかまり、やがて宗教へと発展するのかもなぁ。

一連の著作を読んでて思うのだが、経済人は信用してはいけないし、物事を金で計る連中からはなるべく遠くはなれて生きている方がいいってことだ。
もちろんそんなことは社会で生活するかぎり難しいが、個人の生活の範囲では可能なはずだ。

不安で怖いものについては、それをみないようにするのではなく、むしろよく見て勉強したほうがいいだろう。
年内いっぱい原発については、一般向けの人の本でまともなものを読み続けることにする。

2011年8月13日

原発のウソ

小出浩章
扶桑社新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

うなる一冊。
そうだったのかの一冊。
マスコミで流される情報、なにか変だと思ってきたし、武田邦彦さんの本も読んだけど、なかなか現実を教えてくれていないと思ってきた。
それでこの本を読んだのだが、いろいろな疑問が氷塊した。
アマゾンで探しても著作は4冊くらいだから、これを気に小出さんの著作を一気に読んでしまおうと思っている。

正直に言えば、この人の本は「あおり」だと思っていた。
すごい悪いことが起きるぞぉ、という脅しというか。
人は「怖い話」は嫌いなようで、実はすきだから、そういう性質を逆手にとった「商売」で原発のことについて語っているのだとずっと思ってきた。

しかし、それは間違っていた。
この人、もっと紳士に、自分の人生をかけて「原発は難し、危ない」ということを語ってきた人なのだと知った。
偏見に毒されていたのは、僕の方だったというわけだ。

逆風の中で生きていた人の言葉は、静かだけど思い。
実際、この人の発信する情報が「まとも」だと思う。
どんな分野でもそうだが、いわゆる「市民運動」のようなものは、今でも信用してない。
あれは宗教と同じ、原理主義者と同じだから、僕にとっては嫌悪するものである。
一方小出さんの物言いは、静かでアジな部分がない。
科学者らしく、結論から言及する。

今のところ信頼すべてソースの一人だと思っている。

2011年8月12日

千年震災

都司嘉宣
ダイヤモンド社
お勧め指数 □□□□■ (4)

地震の研究って、すすんでいるんだかいないんだかかわからない。
とくに「予知」にはいろいろあったはずだが、今回の震災では「無力」だったし、その後もあまり役になっていない。
地震という研究ならば、役に立とうが立つまいが関係なくあっていい。
だって、研究なんだから、興味ある人が興味の赴くまま何かをしてくれればいいはずだ。
ところがこれまで地震予知は研究としてではなく社会インフラとしようとしてきた。
多額のお金が流れたはずだ。
それって、どうなんだろうかね。

この研究者はちょっとちがうようだ。
日本の古文書なんかを読んで、過去の自身についていろいろ調べているようだし。
そういうことをするには、科学としての地震、歴史学としての文献調査ができないといけない。
そんな人、あまりいないだろう。

過去の日本の文献には、地震のことがけっこう書かれているらしい。
どこでどういう被害があったのか、それを丹念に調べていけば過去の地震について多くを知ることができる。
理論やシミュレーションの裏付けをするための一級のデータとなりえるわけだ。

これまでぼくが抱いてきた地震学にたいする「うさんくささ」は、研究費欲しさの研究者集団にたいする軽蔑からきているのだが、この人はちょっと違うようだ。

本文中ではっとしたことがある。
今回の震災について、「予兆」となる現象はいったいどれくらいあったのか?
もしそれがなければ、あんなにも大きな地震でそれがないのならば、地震予知は原理的に不可能なんだということだ。
ぼくはこういう人の出現を待っていた。
地震学、ちょっと気になるようになってきた。
まともな学者もいるんだってことだ。

2011年8月11日

「気立てのいい人」宣言!

香山リカ
東京図書
お勧め指数 □□□■■ (3)

香山リカさんの著作は、気分がめいって鬱病になりそうな(なってしまった)OL向けのものが多い。
どれもこれも「頑張る」とか「しっかりしなきゃ」とか、そういうものとは反対の方向の出口を照している。
猫みたいに昼寝していることで人生過ごせるなら、それでもいいじゃん、結構幸せだよ。
そう教えてくれる。
そして、ご本人もそういう風に生きている人のようだ。

そしてそんな生き方をしている人は周りの人からみれば「気立てのいい人」になってしまう。
After you。
我先にと行かない。
こういう簡単なことが積み重なると、生きやすいし人からも良く思われる。
ビジネスパーソンとは無縁の世界なわけである。

他人との比較をしないし、自分が先にということもしない。
こういう生き方は自然と50過ぎくらいになると出来る人がいる。
「同窓会を楽しめるか」という指標をあげている。
歳をとって同窓会へ行くと、若い頃には勝ち組・負け組の競い合いになってしまって嫌な気分も感じることが多かったが、ある程度歳をとると「なんだ、結局おんなじようなことになるね」となるそうである。
浮き沈みはあれど、人生ならしてみれば大差ないよね、ということ。

結果的にそうなるのなら、それはそれでいいかもしれない。
ぼくもそういう人生へハンドルを切ってみようかと思う。

2011年8月10日

「つらいな」と思ったとき読む本

中谷彰宏
あさ出版
お勧め指数 □□□■■ (3)

別段「つらいな」と感じてはいないのだが、手に取ったのも何かの縁、と思って購入。
「チャンスの前にはピンチがある」など、そうかもなぁと感じさせる言葉をシステムとして組み上げた、完璧なる中谷本。


2011年8月 9日

くらべない幸せ

香山リカ
大和書房
お勧め指数 □□□■■ (3)

タイトル通りの内容。
まさしくその通り、比べることは優越感を抱こうか劣等感に苛まれようが、どっちにしても幸せはほど遠い。

そういう比較をしたりされたりすることが問題ならば、比較されようがないことをすればよい。
結婚相手でそういう問題がおきるなら比較しようがない外国人にしちゃうとかね。
しかしそうだろう。
そうしたあとでも、ヨーロッパ人なのか東洋人なのか、そういう比較が待っているわけで、結局比較のわなから逃げられない。

比較するという行為との間のとり方が生き方のベースを決めているのかもしらんな。

2011年8月 8日

大事なことは先のばしにしなさい

香山リカ
ビジネス社
お勧め指数 □□□■■ (3)

大事なことは先のばしに「しない」

大事なことは先のばしに「しなさい」
とでは一文字違うだけなのだが、180度違うことを言っている。
一般的には後者が普通で、しつけや啓蒙書などでよくでてくるだろう言葉である。
この言葉自体が悪いわけではない。
多くの人もそう思っている。

香山さんらしく、肩の力を抜いた主張である。
今この瞬間に解決できないことって、あるんだよね世の中には。
がつがつ成果をづんで成り上がろうというビジネスパーソンは反対するだろうし、実際そうだろう。
でもね、みんながみんなビジネスパーソンじゃないし、勝間和代さんを目指しているわけではない。

本書の内容は、多くの面で「普通の人は普通でいいよ」というメッセージである。
だって、病気になるくらいなら、普通のままでいた方が幸せだよね。


2011年8月 7日

エネルギーと原発のウソをすべて話そう

武田邦彦
産經新聞出版
お勧め指数 □□□□■ (4)

日本に戻ってきたら、また原発のことを気にする生活に戻った。

武田さんの本はそもそも普通の人にわかるように書かれているし、原発村や行政についての怒りも押さえて書いてあるので、冷静な気分で読めるのが特徴である。
この本もそうだった。
もちろん、彼らのインチキについてはちゃんと記されているけど、おこってしまったことは仕方ない。
それに、原発事故は起こるべくしておこったわけだから、それを押さえられなかったことについての反省も書かれている。
まぁ、それは今となってはどうでもいいことなのだけど。

それにしても、東電と政府の発表は8月になってもウソが大変な量まぎれこんでいるのだなと驚く。
ほんとうに彼らに聞きたい。
いったいそれで「何を守りたいのか?」と。
自分たちのメンツもあるだろうし、業界保護といういともあるだろう。
でもさぁ、福島県の人は直接害をうけているわけだし、東北から首都圏の人も被害をうけているわけだ。
しかも「終わってない」どころか「より悪化する」ことだって十分ある今の状態において、なんでまた原発を動かそうとか、原発近隣の人に戻れる可能性のあるようなことを言うのだろうか。
現実を話して、それからどうするかの作業をすればいいのに。

ぼくは3月当時、さすがに大本営発表なことはしないとは思っていたが、やるんだなぁ今でも。
中国の高速鉄道の話を槍玉に挙げては馬鹿にする日本人は多いけど、日本政府や東電が全く同じレベルなんだってことを、この本を読むことによって知る。
はぁ、ほんと、どうしようかなぁ。

テレビなんかみてても原発のことはわからない。
結局は「自衛」しかないのかぁ。


2011年8月 6日

おとな二人の午後

五木寛之+塩野七生
世界文化社
お勧め指数 □□□□■ (4)

もうだいぶ昔に読んだ本なのだけど、10月にローマへいくこともあるし、海外移動中の機内では塩野七生さんの本を読むことに決めているので、今回はこれを鞄に入れていった。

おとなという言葉がふさわしいの頃の写真が載っている。
12年前のお姿。
僕が塩野さんに握手していただいたのは3年前かな。
きりりとした人であった。

対談を中心にした本で、内容は「ふむふむ」という感じで「学ぶ」ようなことを扱っているのではなく、おとなの二人がお茶をしながら、あるいは食事をしながら語る内容とはこういうものなのかなと関心したわけである。
ぼくには無理だなぁ。

現在ではすっかりと「出家」してしまったかのような内容を語ってくれる五木寛之さんが、レーシングカーのことをあつく語ったり、イタリアの靴についてご自身の経験を教えてくれるのだが、そこに違和感をもって楽しめた。
こういうもの、金やうんちくばかりだと「スノップ」かあるいは「成金か」となって、決して楽しめるような内容にはならないはずなのだが、そこが大人の二人、自然と聞いてしまえるから不思議だった。
それどころか、おれもイタリアでちゃんとした靴を買おうかなとか、ちゃんとしたスーツやジャケットを買おうかなと思ってしまったのである。
すごい影響力。

いずれの趣味も、先生となる人かあるいは長い時間をかけた試行錯誤がないと身に付かないだろう。
大人になってお金の余裕ができたからお店に行ったら相当なものが購入できる、というわけではない。
ほんとうそういうことを初めるのならば、今からやらないとだめだろう。

すっかりと勉強になってしまった。
さて、と我が身をみる。
ユニクロのジーパン、無印良品の白シャツ、サムソナイトのリュックサックに、サンダルか靴。
こういう出で立ちでずっといる。
ここ10年はそうなんだよなぁ。
日本でも外国でも冬でも夏でもかわらない。

うん、無理だわ。
お金もないしね。

なるほど日本のおじさんはかっこわるいわけだよ。
でも、年を取っていくほど「ちゃんとした服をきなさい」という塩野七生さんの言葉は響いているから、少しずつちゃんとしたものを身につけようかとは思っているのだが・・・。


2011年8月 2日

寝ながら学べる構造主義

内田樹
文春新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

面白い。
もう3、4回読んでいるはずだが、それでも面白い。
面白さが薄れることがない。
なんなんだろ、この本。

飛行機にのるとき、機内で読みたくなるであろう本を予測して持ち込むわけだが、基本は塩野七生さんの著作にしているのだが、今回は内田樹さんもそれに追加した。
今後はこの二人の著作が一冊ずつ選択されるであろう。

この本は、日本語で書かれた「わかりやすい論説文」の最高傑作の一つだと思う。
とくだん内容に興味を持っていない人であっても、その論説の骨組み、言葉の選び方、ユーモアなど、内田樹さんを超える人をぼくは知らない。
いや、ぼくが知らないだけで多く人がいるのだろうけど、まぁそういう本に出会えていないのだから、とりあえずない、といっていいだろう。

来週しめきりで、社内報に出張した先での紀行文を書いてほしいという依頼が広報からきている。
安請け合いしたのはいいのだけど、だんだん締め切り日が近づくにつれ、どうゆうものにしようかと真剣に考えるようになる。
作家じゃないし、そういうの得意だったことがないのだから、これが最初の文章なんだけど、ぼくとしては内田樹さんのようなものにしたい。
そういう文章を体得するための一つの方法として、機会があるごとに読みかえすようにしている。
今回の機内荷物として選んだのもそういう理由がある。

読んだ後にまた感心する。
参考になるようで、参考にならないかもしれない。

2011年8月 1日

脳が変わる考え方

茂木健一郎
PHPエディターズ・グループ
お勧め指数 □□□■■ (3)

ちょっと気になって買ってみた。
最近めっきりと弱くなった飛行機内で気軽に読める内容だろうし。
脳の使い方についてあれこれ知りたいとはさすがに思わない。
なぜなら、「脳が自分の使い方を変更する」ってのは、意味不明なことだから。
脳なんて、自分でなんとかできるようなところではないだろう。

まぁ、そういう理解とは別に、茂木さんのお話は面白いものはひどく面白いし、読んでて疲れない。
そういう部分を期待したのだ。

主張される内容は、最近いろんなところでおっしゃっていることで、「へぇ」という新味のあるものではなかった。
根拠のない自信を持てというもの。
それはそれでいいことだと思うのだが、何度も言って聞かせるには無理がある主張だろうなとも感じる。

20前後の若い人が自ら考え実行することについて、それぞれの人が考えているようなことは、そのほとんどが「ご都合主義」的なことが多いもので、それって別の言い方をすれば「根拠がない自信による行動」と言えなくもない。
茂木さんが主張されているのは、20前後の人になってやってみたら?ということに他ならないといそうだな。

それって、おじさんになってからやらない方がいいんだと思う。
というか、その歳になっても二十歳と同じ程度だったら、なんか不思議だなぁとも思うわけ。

まぁ、でも全体を通して茂木本らしいものだった。