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2011年9月30日

原発と陰謀

池田整治
講談社
お勧め指数 □□□■■ (3)

タイトルからして「陰謀論」を思わせる元自衛隊の人の本である。
地震すら「某国の新兵器だ」と言わしめるほどにアレゲな本ではない。
いや、かなり違う。
なかりまっとうな本のようだ。
でも、本当にそうか、どうなんだろうか?
という疑問が湧いたので買ってみた。

内容は原発事故について「一通り」触れられていて、可もなく不可もないもの。
だから目新しい情報や考え方を知ることはできなかった。
その意味ではがっかりした。

読んでいて思ったのだが、この本は居酒屋で隣の親父がしゃべってる武勇伝のようだ。
「おれは予想できた」「家族にはそう行動しろと伝えてあった」「すぐにメルトダウンだと思った」
というような、震災後にわんさと出てきた内容が語られているから。
とはいえ、この人は
「原発を使ったテロで日本を壊滅させるのには爆弾はいらない、工作員にニッパと弁当屋の服装を渡せばよい」
というような警鐘を鳴らし続けていた人のようなので、マスコミでしたり顔してしゃべっていた人たちとは違うだろう。

原発についての本でぼくが求めているのは、「実際にはどういう経緯で事故が進み、どのくらいまでは確信をもって予想でき、また報告されていたのだろうか」ということに繋がる情報である。
そういうものは知り得ないことだとわかってはいる。
が、それでも「ひょっとしたら新事実がわかるかも」という期待で買ってしまう。

この本の結論は、頼れるものは自分である、という生物界の掟で、それで終わっている。
なんとも寂しい気分がした。

2011年9月29日

プルトニウム発電の恐怖

小林圭二+西尾漠(編著)

お勧め指数 □□□■■ (3)

プルサーマル計画の問題を公知するための本である。

プルトニウムはどういうものか、どのように危ないのか。
MOX燃料を使うとどういう技術的な問題があるのか、どういう危険があるのか。
そんな燃料を受け入れる側の設備にどんな問題があるのか。

こういったことについて、とても全うで正しいことを主張している。

こういう情報を最近では多くの人が著作に書いてくれる。
ぼくのような素人でも「なんか見たことある」とか「そうだよね」というように、知識を確認しながら読んでいける。

なるほど、危険を省みずMOXを燃やしてもいいことないのに、なんでそんなことするんだろうか。
こういう疑問を提起させたたら、あとは反対運動へ流れればいい。
行動派の人ならばそうするだろう。
この本の意図はそういうところにあるだろう。

ぼくは原発については「論理的に」は理解しているし、福島原発で恐怖している。
だからこそ原発の本を買って読んでいるわけである。

しかし、街頭で反対運動に参加する気分になれない。
あの人たちの中に入って、声を上げる気にはならない。
というのは、あのなかにも学生運動と同じような内部の世界があって、そっちのほうがよっぽどろくでもないのではないか、と予想するから。

この本を読めば、義務教育を受けてれば、MOXなりプルトニウムなりが「危ない」ということは理解できる。
その意味でよい本なのだが、何かが足りないか、違った方向を示しているような気がする。
その原因はなんなのだろうか。

2011年9月28日

内部被曝の真実

児玉龍彦
幻冬舎新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

内部被曝についての告発本である。

年間20ミリシーベルトなのか年間1ミリシーベルトなのか。
この基準の設定でいろいろもめたことを報じるニュースが連日報道されていたことがあった。
せめて5ミリにしてくれと国会でのやり取りがあったし、東大教授が泣きながら委員辞職をするというシーンもニュースであった。

素人のぼくは、一体どっちがいいのかわからんわけで、数値そのものの設定で何がかわるのだろうかという疑問を持っていた。
20ミリになっても大多数の人には「グレー」な症状しかでない。
じゃぁ、4.8ならどう?0.9ならば安全?
数値で判断するときは、閾値周りでは必ず会社の問題が起きる。
白黒つけれないからグレーなのに、安全だということばを求めても仕方がない。

とういわけで、「法律を決めたところで今ある汚染が減るわけでもないでしょう?」という意見である。
年間1ミリを越える福島市がダメだといわれても、どうにもなんないだろうから。
そういう事情を配慮して数値が決まっているのだろうと自分なりに納得していた。
要するに、言い方をどんなに変えてもダメなものはダメなわけだ。

で、実際どんな危険があるのだろうか。
それがこの本が教えてくれる。
年間20ミリは相当なもので、それが子供に許容されるということはとんでもない。

逆にいえば、これほどのことを官房長官がマスコミで国民に訴えるのはできないだろう。
枝野さんの言葉が日本に対する評価をネガティブな方に一変させるわけで、それだったら福島の人には「しかたない」と諦めてもらうよりない(気づかれずに)、という判断をしたのだろう。
そう思わない、とわれても実際やっているわけだから。

チェルノブイリで体内に入ったセシウムの量とガンとして症状に現れたというデータはまとめられている。
その分野の医者であれば知っている。
しかし、それがあっても「患者が多い」という事実に、できれば黙ってことを荒立てたくないという事なかれ主義は政府や役人に当然あるのだから、情報は役立てられないままこれから多くの意図がなくなるんだろう。

この問題は日本国内どこの人でも、明日の我が身ですね。
食品を媒介して、多くの人が福島原発由来の放射性物質でガンになっていく時代にぼくらはいる。
よくわかった。

2011年9月27日

2時間で学ぶ原発・電力の大問題

久我勝利
角川ONEテーマ21
お勧め指数 □□□■■ (3)

原発や電力にまつわるニュース報道を正しく?理解するために必要な用語集。

電力というか、発電ってどうやっているのですか?
東電にはどんな仕事があるのでしょうか?
原子力って、どんなふうに怖い?

半年にわたる連日の報道で、日本にいる人は「シーベルト」や「再生エネルギー」といような用語を井戸端会議にすら使うようになっている。
老若男女を問わず、原子力に対する「認識」は世界一流の普及率になっただろう。

この本の著者はジャーナリストということだけど、どういう立場なのかは鮮明ではない。
中立的なところを強調している。

内容は、WEBに転がっているレベルの解説で、これといって詳しく紹介してくれるポイントはない。
目次を設定してしまえばグーグルで集められる内容をコンパクトに新書サイズにしてあるところが便利なところだろう。
目次の選定をどう感じるかがこの本をどう感じるかと重なるかと思う。

便利なのかもしれないけど、ぼくにはいらなかった。
優等生のノートだよね、要するに。

2011年9月26日

まるで原発などないかのように

原発老朽化問題研究会
現代書館
お勧め指数 □□□□■ (4)

この本は読みごたえがある。
冒頭に材料力学に関する話題、中間に地震に関する話題、最後に反原発運動家からみた電力会社の見え方。
後半については読者の立ち位置によって評価が別れるところだろう。

物理現象である力学(材料力学、原子核力学、あるいは地震の力学)については、同じデータと同じ方程式を与えれば同じ結果が得られるので、基本的に誰とでも話し合いが成立する。

一方で、危ないということに対する感覚は、何をもってどう判断するのかによって全く反対の評価になる。
コップに半分ある水を「半分もある」とみるか「半分しかない」とみるか。
その現象の背後にある個人の考え方が価値に影響してしまうから。

電力会社も国も反対派もこの本の前半についての認識は一致するだろう。
マスコミの解説ってこの認識すら共有がない。
最初から「価値」が入ってしまう。
そんな情報しか流さないので、やらんでいい諍いが絶えない。
無条件に危ないと主張する人と、無条件に安全だとと主張する人で話し合いは成立しない。

電力会社が原発の安全性に寄せる信頼には「根拠」がない。
というのは、広報の人が材料力学や核物理学を治めているわけではないから。
それは反対派も同じなのだ。

この本を読めばわかるが、彼らの間の衝突は「マナー」から生じているような気がする。
電力会社の広報は「素人は黙っておれ」という態度であって、これは考え方の違う人に接する態度ではない。
それは言葉遣いではなく、接し方というわけでもなく、自分とは違う考えの人は違う根拠によって正しいことをいっているのであって、それは自分と同じことをやっているのだ、という認識がないのが衝突の原因だろう。

原発の問題もあるけれど、現実的な問題としては「意見が真逆の人との接し方」の問題が見えていると考えていいとぼくは思っている。

普通の人が多くしらなければはならないのか、自分の立ち位置に関係のない事実だ。
Q&Aみないな本よりもそっちの方がずっと大切だ。

この本はちょっと前の本だ。
福島原発のシミュレーションや今後のことについて、物理的な観点から解説してくれる本が出版されることを望んでいる。

2011年9月25日

福島原発でいま起きている本当のこと

浅川凌
宝島社
お勧め指数 □□□■■ (3)

出版社の信頼性はどの程度あるのか、若干眉につばを付けて読まないといけない。
この本の内容をそのまま出すのだとしたら、宝島しかないのかもしれない。

原発でメンテナンス作業を仕事としていた人が考える福島原発事故について、その実際の状況をどう見ているのか、それは今後どういうことになるのか、どうしてこのような事故が起きたのかについて語っている。
なるほど、ホントかよ、という驚きを感じる。
というより、むしろ怖い気がする。

この本の視点は他にないものがある。
それは「安全神話」というものがどのようにして現場で働く人に浸透していくのかを教えてくれるから。
どうして、「もしこうなったら、どうなるのか?」という単純な疑問を持たないで、ひたすら「安全だ」というお題目を掲げるだけしかできない人しか東電にはいないのだろうか。
どうして、「なるほど」という全うな意見を原発関係者はまじめに受け取らないのだろうか。
科学者サイドは金が欲しいからってことで理解できるのだけど、問題が起きたら被害を受けるのは自分たちじゃないか、という電力会社の人がどうしてあんなにアホなのか。

安全についての「全うな指摘」をもって、反原発の裁判があったことが何度かある。
また、死傷者がでる事故や地震で被害があった事故もある。
そういうことに対する電力会社広報の対応のまずさは、どうしたことだろう。
そう疑問に思っていた。

が、いまはその理由はわかる。
この疑問が氷解した。

電力会社の人は、要するに信者なんだ。
新興宗教(普通の宗教もそうだが)にはまった人の思考方法や普通の人に対する態度と電力会社広報の人の発言や態度など「全く同じ」だと気づくだろう。
一言で言えば、ごく普通の市民から見れば、電力会社というところはある種のカルトなわけだ。

ニュースを見る限り、原発事故での補償についてずいぶんとひどい保証方法を提示している。
訴訟とは無縁だった人には、まともに申請もできないだろう。

すまないということで支払うわけではないのだろうな。
「東電に過失はない」と彼らが考えているからで、あの保証は「善意でやっている」ということなのだろう。

なんであんなにひどいことができるんだろうと、不思議に思っていたが、いまは理解できる。
それは彼らがカルトだから。

なんだかんだいっても、原発で多くの人が実際に被害を受けている。
これから子供も内部被曝が進んでいる。
数年経つと多くの被害者ができるだろう。
彼らは、多くの人々の生活を「破壊している」のははっきりしている。

あれ、ちょっと考えると、これって昔あったよね。
カルトが大勢の普通の人に被害を与えようとした事件。
あれと同じだとしたら、東電には破防法の適用が必要なんじゃないかなぁ。

こんなことをこの本を読みながら考えしまった。
まぁ、東電は原発以外にも火力も水力もあるだろうし、そこの人はまともな人だろう。
いや、まともな人だと思いたい。
それにしても、東電の人はこの問題、どう考えているのだろうか。
今なお「世間が間違っている、原発は絶対に大丈夫、素人は口をだすな」とか思っているのかなぁ。

この本の著者である原発での作業者が、今後についていくつかの提案を行っている。
それには納得いかないところがある。
また、本書の内容にもいくつか問題があるなぁと感じる。
噂レベルの話が混在している(人から聞いた話とか)。
装置やプラントの構造についての解説は信頼が置けるが、それ以外のことについては話半分がいいだろう。

編集者がもうちょっと頑張ってみたほうがいいんじゃないだろうか。

2011年9月24日

二十世紀の知的風景




森本哲郎

TBSブリタニカ

お勧め指数 □□□□■ (4)


森本哲郎さんの文明論を読んで、世の中について考えてみたい。
考える道筋は森本哲郎さんのガイドによって決め、そこを歩いてみたい。
長らく積読状態になっていたこの一冊を取り出し、週末にかけて読んでみた。

いま、こういう本は出版されていないだろう。
発行しても売れないだろうし、こういうふうに語れる人もいないだろうから。

現在は海外へ行くことが楽なり、高校生だってフラッと行くことができる。
本だって、翻訳から原書まで、amazonやネット古本屋を漁れば大抵のものがそれなりの価格で入手できる。
一方森本哲郎さんの時代には、その二つをするには限られた人しかできなかった。
多くの人が森本さん以上の体験を得られる可能性がある現在において、この手のことをできる人がいないのは少し不思議な気がする。

森本さんの本を読んで「世界を知る旅」を歩いてみると、なるほど文科系の人の凄さを感じることができる。
単純にスゴイなぁと驚き、自分もその視点から世界を眺めてみたいと意気込んでしまう。

森本さんが通る道は、ぼくにはわからないところだらけである。
日本と世界の文学、哲学、思想、歴史。
そして、世界各地を自分の足で歩いて、現地の人と交流しながら話を聞く。
その経験から選択される話の道筋。
こりゃ、スゴイ。
そんなことができる人は、ぼくの知りあいにはいないだろうし、おそらく通った大学や働いている場所にもこれだけの人はいないのだろう
だから現実には会えないような人だ。
でも、本だから話を聞くことはできるわけだ。

息切れしながら森本さんの跡を辿るように読んでいくと、読み終わったあとに一つの風景が広がっていることに気づく。
その風景は、いわゆる「知識」の獲得によって見れるようになったものではない。
当然、他人に自慢するようなものでもない。
世界の見方の一つにちょっぴり触れることが出来たかな。
そういう風景を心に思い起こすことができるようになっているのだ。
この本も、そういう一冊だった。

知識を追いかけたり、何かを批判したり、あるいは人の愚行を思い知らされるものばかりを読んでいると気分がおかしくなるし、体調もわるくなる。
嫌な生活が続いたら山登りして精神のバランスをとりもどすように、森本哲郎さんの本を読んで、知的な山登りをしないといけないな。

2011年9月23日

この世で大切なものってなんですか

酒井雄哉+池上彰
朝日新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

こういう本が新書コーナーに並んでいるとつい手に取ってしまう。
結局のところ仏教的な考え方感じ方が一番楽な気分になれる。
そんな気がするからだろう。

池上さんの著作はそれなりに読んでいるので、おかしな本ではあるまいという信頼もある。

震災前の対談だったのだろうか。
一切その話題にふれられていない。
その話がない、そういう視点がない、ガンバロー的なものがない分、読むほうも気分は楽だ。

どんなに偉いお坊さんであろうとも仏教の人は言うことは同じだ。
仏教徒だもんね。
「へぇ、そうなんだ」という新鮮な驚きがない分、身体の内部に考え方が入り込んでくる。

繰り返し言われると、深層部分で確固とした価値観の指標が築かれるようだ。
子供の頃に母親に言われたことは、不思議なことにまずは感情として善悪の判定基準として立ち上がってくるので、その人はそこから逃れることはできない。
幼少期の親の教育の大切さを体感する経験はオジサンならば何度もあるだろう。
それと同じように、文化的な規範としての仏教というものが知らず知らずに身体の中に気づかれている。
そう、自分で再確認できる。

ある社会に生きるとはそういうことですね。
シュペングラーさん。

2011年9月22日

原発を作った私が、原発に反対する理由

菊地洋一
角川書店
お勧め指数 □□□□□ (5)

原発に反対する人は市民運動をやるような人で、そういう人の活動や説明、あるいは反対する理由というものは、危ないから、に終始している。
推進派の人は、それらのどれも「間違っている」と教えられているし、もっといえば「洗脳」されているわけだら、両者の話し合いなど最初から存在しない。
ユダヤとイスラムのような、原理主義同士の争いになることはわかっているから。
妥協もないだろう。
実際これまではそうだったし、多分今後もないだろう。

両者の議論はまともな人が耳を傾けるとしても、なんか変に思える。
ぼくはこれまでそういう感覚を持ってきた。
少なくとも震災前までは。

福島原発については、反対派の人の意見のうち「まともな意見だ」というものがあることを知って、何冊か本を読んでみた。
なるほどな、と頷くことが多かった。
もちろん、大丈夫そうな人を選んでいる。

原発についても、元メーカの田中三彦さんの本をよんで、設計と製造・施工のかい離について知ったし、事故がおきなきゃなんでもありなという東電のメンタリティーを知った。

だから、この本の著者の略歴にある、元GEの技術者(設計というより、工程管理)にはとくに興味をもった。
実際原発を作った人だし、という言葉が当てはまるから。
当然、何が一番危ないかについては、この人が知っているよ。
話を聞いてみようと思って読んでみた。

読んで、いよいよ確信した。
本当に東電って、日本を破壊する組織なんだなぁと。
配管やスカート部の大問題については、この人の話を聞いて初めて知った。
原子炉本体は150ミリくらいのステンだとニュースで聞いていたけど、その下部は燃料棒が入るし、それらの計装管がいくつもあるので、穴だらけというもので、一番弱いところは計装管の厚さの50ミリくらいだ、ということを聞いて驚いた。
そんな報道はこれまでなかったからだ。

現実って、そういうものだ。
都合のいいところばかり言ってね。
姉歯建築士の耐震擬装と根が同じ問題のようだ。
まぁ、東電や保安院などがそんなことを知る由もないだろう。

これから原発災害はひどい方向に向かうとしても、一度起きた事故は東電ではどうにもならんことはわかった。

しかし、だ。
こういう連中が運用するとわかっていてシステムを請け負った連中は、原爆を造った科学者と同じ立場にあることは忘れてはいけない。
言われたから作った、では「同罪」だなんだ。

2011年9月21日

原発・放射能子どもが危ない

小出裕章+黒部信一
文春新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

子どもが受けるだろう被害を食い止めたいという願いをもって出版された本である。
何ミリシーベルとなら大丈夫とか大丈夫ではないとか、そういう「考えない」タイプの本ではない。

原理的になにが起きるのか。
チェルノブイリの影響で被曝したこどもたちの実データをつかって、今後起き得るであろう問題を教えてくれている。
決して難しい内容ではない。

こういうものを読んでいくと、福島だけでなく近隣の県の子どもはどうなるのだろうかと考える。
国ってのは、水俣病と原発事故とを全く別に考えているけど、事故を隠したり過小評価したり、対面のために無関係の人が被害に巻き込まれていくことを認めているんだなぁと、あらためて認識させてくれる。

もっとも、読んで知ったとして、ではぼくに何ができるのかといわれると、あまりない。
放射能災害にたいして、見ているだけしかないということだ。

とはいえ、ぼくは「大人だから放射線量が多くても食べる」なんてことはしないけどね。
争って奪うことは絶対にしないけど、だからといって無関係な人の子どもを平等に大切に扱うということは、聖人にでもやってもらうよりないだろうと思っている。

2011年9月20日

日本を滅ぼす原発大災害

坂昇二+前田栄作
風媒社
お勧め指数 □□□□■ (4)

原発で事故が起きたらどうなるのだろう。
放射性物質はどの方向にどのくらい流れていくのだろう。

この本は、この問いに対するシミュレーション結果を示し、それを解説している。
本来、国や電力会社がするべきだけどそれは無理みたいで、この本の著者のような研究者が限られた情報から提示してくれたようだ。

こういうことをするために税金を使ってSPEEDIというシステムを作ったみたいだが、あれは結局一般の人を守るためのものではなく、国や電力会社の家族が最初に逃げられるように使われるシステムみたいな感じがする。
ヨウ素と同じように、結局付近の住人が被曝した後に「残念だったねぇ」といわんばかりに渡されるサービスなのだろう。

これまで、一般の人は逃げる可能性をどの程度教えられていたのだろうか。
破局を想定した事故を心配し、国や原発の人からSFとののしられることしかなかっただろう。
そんな人たちに向けて発信されたまともな情報はこれまであったのだろうか。
なかったんじゃないのか。

この本では、福島、新潟、福井、静岡、四国、九州の原発で放射能が漏れたらどんな被害がどの地域に予想されるかを教えてくれる。

ぼくは東京の住人だから福島、新潟、浜岡が気になる。
風向きにもよるが、惨事があったら線量的に住めないことになると知った。

東京が避難地域になっても、それを受け入れられる場所なんて事実上ない。
まぁ、そりゃわかっていることだ。
わかっているとはいえ、浜岡は強烈だわ。
停止作業ですら事故を伴っていたくらいだから、東海地震では持たないだろう。

若狭湾の原発銀座がダメになった場合は関西が死滅するのだろうと思っていたが、風向きではダイレクトに東京も被害を受けるのだと知った。

わかってはいるのだが、日本に逃げ場はない。
アメリカとは違うのだよ、原発推進派の人たち。

ため息とともに読み終え、ネットニュースで佐賀県知事のペテンの記事を読む。
まぁ、日本人の知力って、ぼくも含めてその程度なんだろうな。

2011年9月19日

放射能汚染の現実を超えて

小出裕章
河出書房新社
お勧め指数 □□□□■ (4)

20年前の本がこの震災後に復刊された。

小出裕章さんの著作が多くの人から求められるようになったということだ。
震災後に「大丈夫だ」と語る人たちの胡散臭さを多くの人は嗅ぎ取り、まともな人から情報を得たいと考えるようになったからだろう。
そして、ぼくもその一人。

本書で小出さんが主張している内容は現在でも変わらないので、それは過去から一貫していたのだ。
内容は、事故があったときの想定被害の大きさ、被害の内容について、原発の何が問題か。
小出さんは「首都圏の人を守るために過疎地域の人を犠牲にする」という発想そのものを避難している。

推進派の人は、そのいずれにも答えず、あるいは問題として受け取らず、洗脳された自分たちがもつ教義の神聖さを誇張しつづけるという行動を続けるわけである。
このときもそうだったし、半年前までそうだった。

まともに物理をやっている人も、全ての人は金の力に吹き飛ばされてしまう、という冗談みたいな構造が原発業界にはあるわけで、言われてみると本当にそうなっている。
原発問題は、人の行動の不思議さ(愚かさ)を知る良い教材になっている。

読んでいて思うだが、原発対応の問題は大事故が起きなければ見向きする人は少ないだろう。
大事故が起きて「それみたことか」と喜ぶことが原理上できない。
そこも問題の困難さを示している。
プルトくんで子どもを騙していた人は、今でも高笑いしてニュースを見物していることだろう。
まったく。

2011年9月18日

小出裕章が答える原発と放射能

小出裕章
河出書房新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

Q&A形式の本。
ニュースを見たら「それってどういうこと?」と疑問に感じることや「それって大丈夫?」と考えることが平易な文章で回答されている。
専門家でも関係者でもない人ならば、この本を読むだけでかなりすっきりと理解できるのではないだろうか。
とくに、政府や東電の発表で「それって、本当?」という疑問に「嘘ですね、なぜならば」という形式で回答してくれている。
ニュースを通して知ることはまずないだろうことばかりだ。
とはいえ、煽りの要素はなく、ニュース報道よりもはるかに深刻だということを教えてくれる。

恐怖や不安について、心理的に取り除けるものと取り除けないものがある。
未来に対する不安のようなものは、それこそ「悟り」が必要になる。

しかし、知識がないことに起因するものは学ぶことで取り除くことができる。
また、人の嘘(安全ですの連呼のような)は不安を煽るだけであり、そういうものはどうなったら危険だという「正しい」認識を獲得することで不安が和らぐ結果となる。

原発報道に接するうえで、最初にこの本を読むと適切に不安になることができるのではないか。
引っ越しが可能な人、学童疎開が可能な人、いろいろな都合の上で社会で生きている人はそれぞれの状況に合わせてどう対応していくのか。

政府の言うことは個人の生活を守るためのことではない。
水俣病はイタイイタイ病を思い出せばいい。
自分で判断するための最初の判断基準として、普通の人が読むといいのではないかと思う。

2011年9月17日

隠される原子力・核の真実

小出裕章
創史社
お勧め指数 □□□□■ (4)

2010年12月に出版された本である。
震災前の出版なので、原発事故のデータとしてはチェルノブイリが中心になっている。
不思議なことだが、ぼくにはチェルノブイリがすでに大昔のことに思える。
遠い他国のこと相手にして原発の議論ができるなんて、日本は平和だったんだと感じるのだ。

本書の内容は、原発の危うさ、プルトニウムの怖さ、地球温暖化対策のナンセンスさ、核兵器製造のための道具としての高速増殖炉、現状でも電気は足りているという事実。

福島原発事故直前に書かれているのに、震災後に出版されてきた本の内容をカバーしている。
事故があろうがなかろうが、わかっていることはわかっていたし、警告しなければならないことは変わらないということだろう。
なるほど、政府や電力会社は自分にとって不都合なことを隠し続けていたんだね。
当然とは当然のことなのだろうけど。

低レベル放射線で被曝しつづけている福島の住民、とくに子どもさんたちはこれからどうなっていくのか。
原発が今の漏洩レベルを維持し続けても相当量の放射性物質が漏れ続けるから大問題だ。
ましてや、また事故があったら(あんなぼろぼろの装置が数十年持つわけないので、必ずある)、東京の人ですら低レベル放射線(低レベルだといいのが)の影響を受けることになる。

ならば内部被曝の研究で警告されていたことがどの程度正しい予測なのか、現在の子どもたちの世代で検証されることになる。
昭和史の公害問題って、事前に防げることを一つも防げなかったのだから、たぶん今回もそうなんだろうと思う。

学童疎開ができない、させないというのは一つの選択肢だろう。
それがどんな結果を招くことになるのか、知っておくことは必要だろうし、意味がある。

防げないと意味がない、ということはない。
例えば「緊急地震速報」という通知を気象庁が行っている。
あのサービスは地震到来まで数秒という状況での通知でしかない。
それは無意味だろう。
ぼくは気象庁を笑っていたのだが、今回の震災以後、数秒でも事前に「大きな地震の可能性がある」ことを速報でも「知る」ことが以下に重要なことか、身をもって体験した。
防ぐ防げいないの問題ではない。
未来を事前に「知っている」ということの強みがある。

内部被曝がどのようなことを引き起こすのか、どのような事故が起き得るのか、このまま原発推進派の言う通りにしていったらどうなるのか。
個人の力ではどうにもならないことであっても、未来の姿を事前に「見ておく」ことは、今後の生きていくことにおいては冷静な判断をするための材料のとなるはずだ。

小出裕章さんの本は、読んでいて損はない。
その後どうするのかについて、小出さんは語らない。
どうしていいかわからないからと。

行動は個人の問題であって、他人がとやかくいうことではない。

2011年9月16日

動かない、動かせない「もんじゅ」

小林圭二
七つ森書館
お勧め指数 □□□□■ (4)

不思議だわ。

「もんじゅ」についてはよく知らなかった。
燃料となるプルトニウムを燃やすことでプルトニウムを増やすことができる原子炉であり、冷却材としてナトリウムを使うという技術的に困ったことがある。

過去にナトリウム漏れの事故があったけど、それがどういう事故なのかをちらっと聞いただけで、それ以上気にもとめていなかった。

原発ついての本を読んでいるうちに、「もんじゅ」についての話があり、すごい問題がありそうな技術だと知った。
それでこの本を読んでみた。
そして、「もんじゅ」や旧動燃とう組織について知って、唖然とした。

「もんじゅ」で不思議なのは、単なる技術の問題ではない。
原理的なところからしておかしいのだ。

原子炉で一番怖いところは核分裂の暴走であり、それによって放射性物質が漏れることだ。
そういうシステムは、暴走しようとするとそれが出来難くなるような物理的な性質を根本のところにもたせてあるのが普通である。
軽水炉では、沸騰により水が消えると減速材がなくなるので核分裂が抑えられる。
そういう機構である。

しかし、高速増殖炉は違う。
一度問題がおきると「さらに」核分裂がしやすくなる、という性質がある。
炉心近くで事故がおきると原子炉はさらに核分裂をしやすくなり、メルトダウンしやすくなる。

工学的なセンスからいって、そんなものは「論外」である。
人の生き死にがかかるような機械で、問題がおきるとさらに問題が起きやすくなるという設計、そんなアホなものは過去にない。
この原子炉は、そもそもおかしいのだ。

加えて、動燃という組織の問題がある。
かれらは役人と同じで、無謬性がある。
反省などしない。
だから同じような事故を繰り返し起こし、関係者全員を不幸にする。

「もんじゅ」が安全に可動できると判断した人は誰なんだろう。
どうどうと釈明してほしいところだが、委員会になっているだろうから無理だろう。
3月11日に一人も集まらなかった原子力安全委員のような連中が、ゴーサインをだしたのだろう。

工学の学ぶ人間ならば、原子力関係者のやっているようなことをマネしてはいけない。
原子力工学の連中のやることを「決しておこなってはいけない」ということを工学系の人は胆に命じたほうがいい。

2011年9月15日

これが原発だ

樋口健二
岩波ジュニア新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

放射能汚染は公害問題と同じように発生し、同じように扱われる。
その事実をはっきりとアタマにたたき込んでくれる本だ。
要するに、原発内部で働く現場の人や付近の住民は、原発会社にとっては「人」ではない。
こうして言葉すると、ずいぶんと使い尽くされた「非難の定型句」になってしまう。
ヒューマニズムを主張する団体の言い分と同じ担ってしまうので、ぼくは自分の言語能力のなさを悔しく思う。

原発での現場作業職員の被曝管理のずさんさを知るに付け、これを強要する側、これで安全だと主張する側の感覚を想像できるようになってきた。
管理側は被曝する人をどう見ているのか。
それについては過去にいくらでも事例がある。
教科書で読んだ足尾銅山、水俣病、四日市喘息。
小学校で知った事例でもこんなにある。
公害で直接被害をうけた人がどういう扱いを受けてきたのか、こういう資料は本でも過去の新聞でも、いくらもでもある。

昔陸軍、今東電。
この構造は、ホントかわらない。
東電職員の神経はどうなっているのだろうか?と疑問というより恐怖を覚える。
たぶんナチに賛同した人たちと同じとうことだ。
つまり、彼らの個人としての人格を云々しても仕方ないのだ。
電力会社という「構造」、「システム」に放り込まれた材料に過ぎないのだから。

裁判をやったって「論理」というもがない裁判官の存在に呆れるだけ。
アタマがいいという人間については、すべからく疑っていい。
というか、だいたいダメだろうから石をなげても問題ないのではないかと思うのだが。

どうやったら東電とかかわらないように生きていけるのか。
反対運動をするのも必要だろうけど、ぼくは東電を嫌悪することだろうと思う。
アメリカがイスラム国家から嫌われるように。

2011年9月14日

内部被曝の脅威

肥田舜太郎+鎌仲ひとみ
ちくま新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

20ミリシーベルトの健康被害って、こんなにあるんだ。
知らなかった。

原発事故でもなければ放射能汚染よる被曝ということに、特段興味をもつ人はいない。
普通の人は日々の生活をどうしようか考えているのだから。
遠くの場所でひどいことが起きているとニュースで知っても、ピントこないだろう。

イラク戦争あたりから劣化ウラン弾が利用され、戦場や市街戦があったところから放射能汚染が始まっていた。
戦車の装甲や厚いコンクリートを突き抜ける威力を弾に与えるために、火薬に加えてウランを使う。
劣化とは「質の悪い」という意味で、要するに原発や核兵器に使う核分裂燃料には適さないという意味。
劣化というと「放射性物質ではない」のようなに思えるが、立派は放射性物質なのだ。
それが戦場で大量にばらまかれるわけだ。
イラクでは兵士や市民がこのために内部被曝している。

内部被曝の症状は劇的には現れない。
原発の労働者や広島・長崎で被曝した人が苛まれる「ブラブラ症候群」という被曝による健康被害がある。
「やる気ができない」という、訴えだけきけば「怠けたいというだけだろ」に聞こえてしまう、実は恐ろし病気なのだ。
あるいは何年も経った後のガン。
子供が幼くして死んでしまうということ。
この本には、イラクで生まれた無能症の子供の写真も掲載されている。

毎年夏になると広島・長崎ということで、反戦番組を報道していたマスコミは、どうやって原発と折り合ってきたのだろう。
ぼくはどう思っていたのだろう。
ぼくは「技術でカバーしているから大丈夫」と思っていた。

ではなぜ安全だという「デマ」がまかり通っていたのはなぜだろう。
現場作業者は原爆で被曝した人と同じ症状に苦しんでいたのに。

どんなに広告代理店が頑張っても、福島の人のなかにはイラクで苦しんでいるような人が現れる。
放射能はお金や情報操作じゃ無くすことはできないから。
ただ、容易に想像できることだが、「原発との関係は認められない」という裁判での判決の嵐が吹くか、苦しい生活の足元を見ての金銭による「うやむや化」か、あるいは「恐喝」による泣き寝入りか多く発生するはずだ。
これから10年というスケールでは、そういうことが相当起きるのだろう。

東電はなんとかして原発事故を「誰かのせい」にしようと頑張っている。
社会的にも技術的にも無力はぼくには、ただ東電関係者を、そういう組織を、侮蔑、軽蔑、嫌悪することしかできない。

2011年9月13日

原発のない世界へ

小出裕章
筑摩書房
お勧め指数 □□□□□ (5)

放射能による健康被害や反原発映画をつくられている鎌仲ひとみさんとの対談と原発や放射能汚染にかかわるQ&Aで構成された本である。

小出さんの話を聞きたい、正しい知識を知りたいという人という人が大勢いる。
だからここのところ出版ラッシュがつづいている。
ご本人は研究者であり反原発運動をされている方である。
一般の人向けの著作は多いほうではない。
それでも原発に恐怖を感じた人は小出さんの出版されている本を読んで知ったわけだ。
原発問題というものは「以前からあったのか」と。
そんなふうに小出さんを知った人は少なくないだろう。
ぼくもその口だ。
小出さんの本を読んで「なんだよ、わかってたことじゃねぇか」と怒り心頭の経験をしたのだ。

小出さんが考える福島原発被害の予想は、一部のタブロイドあおり記事ほどではないものの、政府発表や御用専門家の予想よりもずっと厳しい。
内部被曝の影響や農業・漁業への影響、子供への影響など、様子見というモラトリアムが許されない状況なのだと主張されている。

なにぶん人は根拠のない楽観主義を信じたいものだ。
できれば「政府発表」のような、大きな事故程度の扱いで終結してほしい。
そして半年もすれば「忘れていける]ような事態の推移を期待している。

知識として「原子力事故がすぐに解決するものか」と確信しているぼくも、できれば何事もなかったかのような収束をしてくれるんじゃないかと思うことがある。
被害妄想の中で事故を考えているのではないか、自問することもある。

原発は今でも動いている。
停止していても「消えた」わけではない。
これから地震もあるだろうし、廃棄物処理の問題もある。
さらに健康被害がじわじわと報道されてくるだろう。
もちろん、最初はマスコミでの報道はタブーだろうし、裁判でも原発との関連なしという判決が下るのだろうけど。

小出さんの話を聞けば聞くほど、なんで日本で原発なんか始めたんだろうと疑問になる。
中曽根が「ぼやぼやしている学者の頬を札束でたたく」ことで核兵器開発を始めたことが発端らしい。
核武装を主張するのは自由だけど、日本はミサイルの前に守る術がないのに。

ただその選択はアメリカに無理やり押し付けられたわけではない。
日本人の選択なのだ。
秀才といわれた人たちのやったことだ。
だからだろうか、試験の成績が良かった連中をぼくは信用する気分になれない。

通勤電車のなかで暗雲たる気分になる。
今日も残暑だけど空は秋だ。

2011年9月12日

知りたくないけど、知っておかねばならない、原発の真実

小出裕章
幻冬舎
お勧め指数 □□□□□ (5)

震災発生から原発事故が起き、その事故の解説をラジオ番組で行ったときのやりとりを文字に起こした本である。

一体何が起きたのか。
災害がオンゴーイングのなか、どんなふうに推論を働かせ、どんな被害を想定していたのか。
それがよくわかる。

当時ぼくはテレビをずっと付けて見ていた。
津波よりも原発の情報を扱っている番組へとザッピングし、有識者や専門家の解説をどきどきしながらみていた。
が、今にして思えばNHKを含め三流の人間ばかりが戯言を言っていたわけだ。
大丈夫というデマか、破局的な煽りをするかのどちらかで、事態の推移を先行して語れる人はいなかった。
ただ、NHKでちらっと解説しれくれた阪大の先生だけが一番まともな解説をしてくれた記憶がある。

この本を読んで、ラジオってすごいなと思った。
反原発の人がメディアで直接語る機会を得られることはない。
しかしラジオならば、その可能性が「ないわけではない」ということだ。
MBSとうラジオ局にエールを送りたい。
ぼくは東京にいるので直接視聴することはできないのだが。

あの状況にあったとき、この解説を聞いていたらなぁと思う。
「安全だ安全だ」という枝野さんの言葉に恐怖を感じていた。
現実的な解説で事態の推移を正しく把握させてくれる人がいたら、どんなに事態がダメであってもダメになりに人々は工夫しだすと思う。

2011年9月11日

新耳袋コレクション(恩田陸編)

木下浩勝+中山市朗
メディアファクトリー
お勧め指数 □□□□■ (4)

先月一回読んだ。
夏だから怪談もいいかな、という軽い気分で読んだのだけど、その面白さにビックリした。

お化け物には興味がない。
心霊写真はアホだと思っている。
そんななか時間の逆転現象に関する怪談はとても気に入っていた。
こんな感想を持った。

怪談は、作り話よりも(あやしいけど)体験話のほうが断然面白い。
そういう考えだった。

またあの面白さを体験したい。
そういう気分から、まるで読み倒したマンガをまた読むようにこの本をめくった。

しかしなんとも驚いたことに、ぜんぶ「噂話」ではないかと気がついた。
荻上チキさんの本にあった、うわさ話の共通瀬が「全部の怪談に」当てはまっているのだ。

なんだよ、これ。
ただのうわさ話じゃねぇか。

いきなり現実味をそぎ落とされた怪談話は、ぼくにとってあまり好きではない短編小説のような気分がしてきた。
これ、体験話じゃぁないんだ。
がっかりした。

2011年9月 9日

生き延びるための地震学入門

上大岡トメ&アネ
幻冬舎
お勧め指数 □□□□■ (4)

今はマンガでも地震の入門書があるのか。
へぇ、という気分で手にとった。
嫁さんも読んでくれるかもしれないし。

姉を地震研究者に持つイラストレータさんが、地震について知りたいということで本を作った。
内容はQ&A形式の対談で、マンガというよりも挿絵が多用された入門書という感じの本だ。
お母さんと一緒に学ぶ地震学、というような感じだった。

内容はそれでいて豊富、というほどではない。
読者の知識の前提を下げて、NHKの想定するような間口の広い本にするならば、こんな感じだろうという程度である。
地震については科学雑誌での紹介程度の知識しかないぼくだが、全く知らないということでもない。
この本に書いてあることが「くどく」感じることがなかったので、そこは著者らの説明の腕なんだろうと思う。

この本を読んで地震について何かを知った、という気分になれるわけではないが、読んで良かったと思っている。
さて、別の本を読んでみるかな、という気分にはなった。

小説しか読まない読めさんもちゃんと読んで、よくわかったと言っていた。
わが家の震災後の知識としては十分効果があったことになる。

2011年9月 8日

福島の原発事故をめぐって

山本義隆
みすず書房
お勧め指数 □□□■■ (3)

山本義隆さんまでが原発についての本を出版したのか。
しかも、みすず。
装丁はしろか。

最近の書店にはめずらしくない「原発・震災コーナー」でこの本を見つけ、驚いてしまった。
結論はわかっている。
問題はその理路である。
ファンダメンタルなところから物理を考え直している人(科学史、としてだかが)は、どんなことを考えて、どんな理由から「反対」するのだろうか。
決して感情的なもので押しまくるという方法はとるまい。
あるいは、人間社会のクセを避難する形式でもないだろう。
値段も1000円だからいいかな。

そんな判断を瞬時にして購入し、通勤電車のなかで読んでみた。
演繹的に「だからダメである」という論法か、物理的に「不可能だ」という主張か、どちらだろうか。
そうおもってみたのだが、スコンと落ちるような切れ味はなかった。
むしろ回り道だと感じてしまう面もあった。

が、そこは山本義隆さんの意見である。
仙石さんも注目してくれたりして。

2011年9月 7日

決断なんて「一秒」あればいい

桜井章一
ソフトバンク文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

新刊コーナーに置いてあった。

タイトルに惹かれた。
よく考えて決断する、ということは、そんなに正しいことではないと言っている。
考えれば考えるほど迷いがでる。
また、迷った挙句の判断は迷う行為は、実は時間と関係ない結果になる。
つまり、迷いに精神的にも時間的にも時間を費やしたとしても、それが「よかった」という結果につながるものではない。
そういうことを言っているのだとぼくは理解した。

麻雀を例にして説明している。
どのパイを切るのか。
その判断を1秒くらいで行うこと。

この本の著者の麻雀道場ではそう教えているそうだ。
考えるよりも感じること、全体の流れを見ること、そういうことのほうが重要だとか。
この手をやったらこうなって、こうなってという予想はあまり役に立たないのだと。

ぼくは麻雀ができないが、その考え方に思い当たることがある。
困ったときに「どうしよう、どうしよう」と考えても、それがいい結果を生み出すことはない。
そう、経験的に知っている。
なぜなら、困って考えているときには時間方向も空間方向も視野が狭い、しかも自分の状態を把握できていないから。

高度なシミュレーションをしているわけではないのなら、条件が決まったらとりうる選択肢が数個でてくるだけだ。
その選択に時間がかかるわけがない。

ところがそれぞれの選択肢に「妄想」が入り込むと、一つ一つを考える時間が無限にかかってしまうし、途中で何を考えればいいのか忘れてしまう。
だから、決断は1秒でいいんだ。

そんなことを考えてた。

2011年9月 6日

検証東日本大震災の流言・デマ

荻上チキ
光文社新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

自分には関係ないことだと思っていた。
流言やデマに惑わされるほど情報音痴ではないと信じていた。
関東大震災時の朝鮮人の行動にまつわる流言による悲劇など、昔だから成立したことなのであって、現代のような通信手段がたくさんある社会、先進国の教育をうけた普通の人ならば騙されないだろう。
漠然とだけど、そう思っていた。

しかし今回の震災によって、インターネットに噂は流されそれが拡大していき、人々の行動を惑わす結果となったことを知った。
東日本の住人ならば、みんな「あれって、流言なんだね」というようなことをいくつか知っているはずだ。
後になってそれが「デマ・流言」だとわかったという体験をもっているはずだ。
声明の危険を感じるような不安なとき、テレビが同じことを繰り返し放送しているときにはどうしても流言には釣られやすい。
それは仕方がないだろう。

この本を読むと、どんな形式で流言が「形成」されていくのかを知ることができる。
世の中に流布されている流言は、最初から完成したものであったのではない。
いわゆる伝聞の形式の文章であっても、人に伝達されるたびに確証のあるもの変わっていく。
「なんかおかしい」という部分には、もっともらしい理由が付加されていく。
あるいは、おかしいことを感じさせない「前提あるいは状況」が足されていく。
なるほどなぁ、と感心する。

震災時にツィッターが活躍したなどいう噂が広まったが、それは流言なんじゃないかという気がする。
誰も情報を流せるということは、そこから「まともな」情報を引っ張りだすのはとても大変だというということだ。
ツィッターを使っている圧倒的多くの人は普通の人なんだから、そこに流される情報のほぼすべては流言になってしまうだろう。
今後、ツィッターやFacebookなどの「普通の人が情報を流すメディア」に果たしてどのくらい有効な情報が流れたのか、研究成果がでてくるのを待ちたい気分である。

2011年9月 5日

日本の大転換

中沢新一
集英社新書
お勧め指数 □□■■■ (2)

緑の党のついてのことが書かれているのか。
あるいは反原発についてのコメントが書かれているのか。

読んでみたのだけど、ぼくのは「わからない」内容でした。
おれって、あたまわるい。

2011年9月 4日

運に選べる人、選ばれない人

桜井章一
講談社+アルファ文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

何かを感じる。
結局はその大切を語っている。
エピソードのとりかたなど、以前読んだ本と同じものがある。

運という用語にはツキが含まれているはずだが、長期にわたってその人によい影響を与える環境を運と読んでいるようである。

ただ、常人がそのまま取り入れ可能なものは少ない気がする。
ましては「すぐに」効果があるものもないだろう。
この本を読んだら何かが変わるということはない。
むしろ、何かを急激に変えない方法のような気もする。
説明するのが難しい・・・。

2011年9月 3日

縄文聖地巡礼

坂本龍一+中沢新一
木楽舎
お勧め指数 □□□□□ (5)

中沢新一さんのガイドで縄文時代の遺跡、あるいはアースダイバー的な意味での聖地となっていた場所へ旅をする紀行本である。
諏訪や東北というような、鬱蒼と木々が茂った山肌に霧のような雲が流れていくような、墨絵で表現されるような風景を旅している(そこまで神秘性はないかな)。

坂本龍一さんはこういうことについて「なんにも知らない人」というわけではない。
古い時代の人々について、あるいは古代の日本についてもそれなりに学んでいるようである。
なので案内する人も楽しいだろう。

「ここへ来る途中、『環太平洋考古学』をお読みになっていましたよね?」
なんて会話があって、そこから話が展開するシーンがある。

どんな本なんだろうかとアマゾンで検索すが、

八幡一郎著作集〈第5巻〉環太平洋考古学 (1980年) [古書] [-] この本は現在お取り扱いできません。

ということだ。

著作集の中にしかないのか、単行本としては見つけられなかった。
坂本さんは一体どうやって探したんだろうか。

想像するに、坂本さんくらいになると知り合いも世界一流の人がたくさんいるだろう。
音楽だけではなく、他分野にわたって。
すると、そういう人にちょっと「こんなことが知りたいんだけど」と気軽に聞くと、こんなのを読んだら?というアドバイスが貰えるのだろう。
入手もわりと用意だったりして。
要するに、ぼくのような普通の人とは格段に違う情報アクセシビリティがある。

つまり、レベルが高い人はよりレベルが高くなるという方程式がそこにある。

アースダイバーの続きのような気分で読んでいたのに、階層化の現実に目がいった結果になった。
普通の人は「すっげー」努力しないと見晴らしのいいところには原理的に行けない、ということか。
社会はそうなっている、という物理法則のようなものを一つしったわけで、ぼくはぼくなりに工夫して見晴らしの良いところへ行くよりないね。

2011年9月 2日

原発はなぜ危険か

田中三彦
岩波新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

工学的な側面から原発事故について知りたい人がまず抑えておく一冊だろう。
大学の工学部で材料力学、破壊力学といった機械工学の講義を受講しているなら、本書の全体像が理解できるはず。
そうではない人には大胆な飛ばし読みが必要になる。
応力・ひずみというレベルから応力腐食割れというレベルの用語まで用いられているため、その気がないとなんだかわからない本という評価になるだろう。

工学的な用語をなぜ多用して書いてあるのか。
それは、読者のうち「工学語」を理解する人が推進派にいて、そういう人が考え直してくれることを期待しているのではないか、と予想している。
東電やメーカーのなかで「そんなことになっているか」という認識をあらためる人がいたらいいな、ということ。
ただ、彼らは洗脳されているので、その希望は足させないだろう。

なので原発業界にいない工学の人、原発とは関係のない工学の人に、工学的な意味合いからその危険性を理解してもらうためのものになる。
そのために、できるだけ工学的な説得方法をとっているのだ。

それは一定の成功を治めている。
だって、ぼくも感心してしまったのだから。
材料や構造の力学をやっている人には、もっと声が響くはずだ。
そういう人に「原発はおかしい」と声を上げて欲しい。

岩波書店はやるなぁ、と単純に感心してしまう。


2011年9月 1日

原発・放射能クライシス

リーダーズノート編集部
LEADERS NOTE
お勧め指数 □□□■■ (3)

原発事故に関して一通りのことを知るにはこの本がいいと思う。
新聞記事や解説記事をまとめたものという側面もあるので、主張という色合いは弱い。
とはいえ、全体的には反原発色である。

記事のまとめ、という本は時間がたつと内容がいろあせる。
記事は時間が経つごとに内容の修正が必要になるから。
各国の反応というものも、当時と現在とでは大分違うだろう。
日本国内だって、ぜんぜん違うだろうから。

原発の解説は、なかなか詳しく書かれている。
ただ、全体すぎて説明資料になっているという感がある。
普通の人が頭に入れることで原発事故の推移を見守るときに意味がある、というところまで洗練されてないだろう。

なんか、訴えて来るものが弱い。
記事内容としては危険なものを「危険」と書いてあるのだけど、文章というのは人の意志があって成立するものだから、記事まとめ、というのは頭に響かないところがある。
そう、受験前の参考書のような本といえばいいだろうか。