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2011年10月31日

宇宙ヨットで太陽系を旅しよう

森治
岩波ジュニア文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

大学の研究室時代の後輩である森治さんが上梓した本である。
心して読まねば。

そう思って、アマゾンで注文しよたのだが、翌日には入荷待ちになっていた。
売れているようだ。
しかも、評価は5つ星。

毎週大型書店をほっつき歩くのだが、どの書店でもこの文庫のシリーズがある棚では平積みになっていた。
人気があって何よりだ。

そう思って一読した。
半分以上はイカロスプロジェクトについて。
1/3弱は森さんのこれまでの経歴?について書かれている。

全体のトーンは若者を鼓舞し、活力を与えようとするものである。
一方で、光学的な側面については科学番組程度なので物足りない。
「ジュニア文庫」だから仕方ないのだろう。

「おじさん」読者であり、未来に希望を持てるような人ではない人からすると、ステレオタイプ的な科学啓蒙書に見えてしまうのだ。
内容は完備であるとは思うのだが、うん、優等生臭が拭い切れない。
言ってみれば「毒」がないのだ。

ジュニア文庫ではなく、普通の人を対象にした本を書いてくれないか。
師匠たる川口淳一郎教授の本には「毒」が入っていて、うわぁ面白れぇと思った、さすがだと。

一冊売れる本を書くことができれば、道は開けたようなものだろう。
次に期待します。

なお、著者にサインをしてもあったのだが「謹呈」と書かれた。
おい、これはアマゾンでおれが買った本だぞ、と思ったのだが、まぁいいか。

後輩や学生が抜いていくのをみるのは、まぁいつものことである。
どんどん先に行って、見えなくなるまで遠くに行ってもらいたい。

2011年10月30日

日本中枢の崩壊

古賀茂明
講談社
お勧め指数 □□□■■ (3)

官僚機構を批判する、とくに自分の所属官庁を批判することで有名になった古賀茂明さんの著作である。
古賀さんの名前は何かの折に聞くことがあった程度で、あえて「読みたい」とは思っていなかった。

しかし平川克美さんがラジオで言及したり対談したりしたものを聞いていたら少し興味が湧いてきた。
経済についてそんなに興味はないのだが、売れている本だし、震災後の日本を知るうえでもいいかと思って読んでみた。

この本の売りは「固有名詞」のようで、なんとか課長とか何とか局長とは、そういう名称がページ毎に散らばっている。
官僚という組織構造や組織の生物的な性質については何冊か読んだことがある。
人事権を巡る争いや、大臣たちの取り扱いについても「そうそう」という感じで読み進めていった。
(そんな官僚組織がいいことってわけじゃないのだが、自分たちが最も利益を得るように進化した姿であるのは間違いない)

読んでいいて思うが、この本も著者の視点にも、このしょうもない世界を包む「大きな」物語が語られていない。
内部から見た役所の風景が記述されているだけで、それを外側からみたらどうなるのか、今後どうなるのか、どうするべきのかということが語られていないのだ。
このあたりが佐藤優の一連の著作とは決定的に違っている。

古賀茂明さんは人間世界、つまり「人」しか存在しない世界で生きてきたようだ。
そこには人と人の関係しかなく、それ以外には全く「価値」が与えられていない。
まるで、いじめにあって自殺を考えている「逃げ場がない小学生」のような視点なのである。

悲惨な状況がそこにあることがあり、また日本はダメになるのだということはよくわかった。
しかし、古賀さんに興味を持てるところを見出すことはできなかった。

2011年10月29日

うほほいシネマクラブ

内田樹
文春文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

なに?と思うくらい厚い新書。
400ページ近い。
値段は1000円だから、通常のものより300円くらい高いし。

映画評論ということで、映画一作一作について力説されているのかと思って最初はひるんだ。
というのは、ぼくは映画を見ない人だから。
成瀬や木下あたりの日本映画を最近すこし見るようになった程度で、外国映画は皆目ダメだ。
俳優さんの名前を聞いても、まったくピンと来ない。
そういう人が映画評を読んでも面白いわけがないだろうし。

とはいえ内田樹さんの本をぼくは全部読むことにしている。
それに久々の内田先生の新刊でもあるので、一気読みしてみた。

以前、映画分析についての内田樹さんの本を読んだが、これがさっぱりとピンとこなかった。
映画の構造分析:http://www.significa.jp/scienza/books/2008/09/post_538.html
このシーンは何かを暗示しているとか、映像的や意味や背景の哲学的な解釈が書かれた本だった。
ちっともおもしろと感じなかった。

ところがこの本はそれとは違う。
映画を見た人と語るような内容ではなく、これから映画を見るように仕向ける記事が元になっているからだ。
雑誌の映画欄に載せる記事だったから、基本は「見に行くことを鼓舞する」こと。

これなら映画を見ていないぼくにも読める。
そう思って流し読みをした。
読めるけど、だからといって「映画を見たいなぁ」とは思わなかったのだが。

後半はブログを立ち上げた当初に書いていた映画評になっている。
今のように有名になる前、知り合い向けに書かれたブログだったようだ。
文字数も少なく、ラインナップも場当たり的。

そりゃそうだ、言ってみれば映画メモであり、ちょうどのぼくの本読みブログのこれと同じようなものだから。
とはいえ、このブログとは違って第三者が読んでも問題ないようにはなっているのだが。
内田先生のブログにもこういう時代があったのだなぁとという感想を持った。

2011年10月28日

原子力神話からの解放

高木仁三郎
講談社+α文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

高木仁三郎さんの活動には頭がさがる思いがする。
が、そのどれもこれも必ずしもうまく結果に結びつくことができなかったようだ。

高木さんは政府や巨大企業に完全と立ち向かった人。
なぜだかしらないが、小学生のぼくも高木仁三郎の名前を知っていた。
いや、読んだのかどうか忘れたのだけど、岩波新書の『プルトニウムの恐怖』は知っていて、放射能が漏れたらすかさずヨウ素を飲む必要がある、ってずっと覚えていた。
もう30年前なのに。

今回の事故でも、多くの人が「ヨウ素を飲む」という断片的な知識は持っていた。
が、それがこういう人の啓蒙活動が部分的に(不完全に)広まっていたことを意味しているのかもしれない。


報告書の巻末についた「事故調査委員会委員長所感」のなかで、委員長の吉川弘之氏は次のように言っています。この事故の「直接の原因は作業者の行為にあり、責められるべきは作業者の逸脱行為である」。(P18)

ロボット工学を勉強したことがある人ならば吉川の名前を聞いたことがあるはずだ。
東大総長だってやったはずだ。
それが、こんな陳腐なことを言っているのだから、東大ってほんとに腐っている。

すべての作業工程において、作業者が実際に作業している。
だから、作業者が直接の原因に決まっている。
しかし作業者が作業工程を「創造」することはない。
上司の支持に従っただけのはずだ。
それが、こんな風に言わてしまうとは、ホント嘆かわしい。

この所感は、東大に研究費が流れこむのをやめないために東電を応援するためのものだ。
とはいえ、こういうことを平然と結論づけるのは、人格が卑しいことをモロに見せてしまっている。(東大卒の人は、だいたいそういう人だと思っていいでしょう)。

この発言とその後の国や東電の姿勢を憂えて、高木さんが書いたのがこの本である。
現在原発についていろいろ言われていることのほとんどは、すでにここに書かれている。
「想定外だからしょうがない」なんて発言は、これだけの本が出版されながら言えるはずがない。
マスコミを含め、あまりお粗末な人が記者をやっているんだと再確認できる。

とはいえ、ぼくは反対派といわれる人の行動には、違和感を持ってしまう。
高木学校の人たちについての行動がNHKでは報道されはじめているが、どうだろう、人の風貌をみるとぼくには抵抗をもってしまう。
ちょっと付き合うのはやめようかな、という感じである。
東電や国やり方に対応するには、その人達と符号が逆なだけで似てくるのかもしれない。

この本は原発の危険に対する知識を与えてくれる。
テレビで放送することなどない、それでいて「あたりまえのこと」を義務教育を受けた人には理解出来る形で教えてくれる。

それに納得したからといって、反対派のメンバーになる必要はないと思う。
ただ、生きていくために、プロパガンダにやられないために、生き延びるために知っておくべきことだろう。
推進派だろうが反対派だろうが、物理現象については知っておくべきだよ、ホント。

2011年10月27日

原発と、危ない日本4つの問題

武田邦彦
だいわ文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

武田邦彦さんの発言が、原発事故直後から多くの人に届いたらどんなによかっただろうか、と思う。
マスコミでは取り上げられることがない情報をあえて発言してくれている。
一部では「デマ野郎」呼ばわりされていたが、この人は専門だったし、研究者だったし、しかるべき地位にいた人だ。
並の人間の発言よりもよっぽど信頼できる。
マスコミはそんな事すら調べないで語っていたわけだ。

震災直後からいろいろな情報を発信していたが、最近は福島の子供の内部被曝に焦点を当てた本を執筆している。
内部被曝による小児がんの発生は、もう警戒することも防ぐこともできない。
だから、せめて健康管理の継続と被害追求のための記録を取ることを現地の人に勧めている。
そういう啓蒙活動を行なっている。
この本もそういう流れの中にある。

今後の原発について、悲観的な予測はしていない。
しかし、放射能と共にどう生活していくのか、農産物・海産物についてどう国民は対応していけばいいのか。
そのあたりをこの本は説明している。

ペットボトルや温室効果の問題で、政府がどれだけおかしなことをしているのか追求してきた著者、
ここで原発災害という著者の勝手知ったる分野での政府批判がくるとは、著者も考えていなったのではないか。
ずいぶんと絶望した気分になったのではないか。

まぁ、政府がまともな対応を取ることができないということは、さすがに著者でもわかっているだろう。
役人は数年でローテーションするから、素人さんの集団であって、やることは間が抜けている。
それは構造的な問題だってことを著者はわかっている。

だから役人の対応を待つのではなく、先回りしてできることをしたらいい。
小児がんの発生は史上類をみない数になるだろうし、政府は原発との因果関係だって認めるはずはない。
そんなことを期待せず、自分の身を守る方法を考えて、先回りして準備しよう。

そういっているように思えた。

2011年10月26日

からくり民主主義

高橋秀実
新潮文庫
お勧め指数 □□■■■ (2)

ある種のルポルタージュ。
なんだろうけど、ちょっとおふざけ的な物言いで記述されている。
宗教集団に内部専有したり、原発作業の危なさを調べたり、政治家の実態に迫ったり。
平和時にはこれはこれで面白いかもしれない。
しかし、震災後にこういうものを読んでも、今それどこじゃないよね。
そういう気分になる。

2011年10月25日

原発推進者の無念

北村俊郎
平凡社新書
お勧め指数 ■■■■■ (0)

これだけ不愉快な本を読んだのは何年ぶりだろう。

タイトルや経歴をみると「そういう視点でかかれたのか」と思ってしまう。
が、単なる迷惑クレーマの愚痴でしかない。

そこには反省だとか後悔だとか、そういうものはない。
あるのはボランティアの人への嫌がらせだし、当事者意識がない自慢のようなものしかない。

ぼくは平凡社新書の編集者の目を疑った。
売れればなんでもいいのかよ。

この表紙の色を見ると、胡散臭さで満たされて、この新書シリーズを買うことはないだろう。

2011年10月24日

東電解体

奥村宏
東洋経済
お勧め指数 □□□□□ (5)

東電というものがどういう組織なのか。
それは株式会社という形態をとっているが、実質はどういうものなのか。
国と官僚と東大、あるいはマスコミとはどう関係しているのか。
これを一発で説明してくれる本である。

あれだけの事故を起こし、多くの人の財産を奪い、健康を損ない、放射性物質を空気中、陸上、海中へと拡散させ、平然と嘘の情報を流し、政府からの援助を要求し、それでいて被害者に補償をしない。

それでも倒産しない。
減資をしない。
本質的な損はしていない株式会社東京電力。

要するに、何をやっても「大丈夫」、なぜなら国民が払うからという会社ができていたのだ。
株式会社をここまで大きくすると「完全に無責任な行動が取れるのだ、自由なんだ」という「実例」を多くの人が目撃している。
株式会社って、最終的な責任は「とらなくていい」ということにも多いなるバグがある。

そういう問題提起の本である。
この本に沿ってNHK特集を4夜連続でやってくれはしまいか。

世界中の人が「でかく」なり過ぎが株式会社に迷惑している。
だから、東電を一つの例にとって、なぜこうなったのか、なぜこんな会社がまかりとおっているのか、どうしたら無害化できるのか、をテーマに番組を作れば、世界中の人が「共有」してくれるはずだ。

バグは解消する必要がある。
東電社員、なんてことはない差別対象でいいだろう。
これ読んだ人は、さすがにそう思うだろう。
どうやったら、この組織を無害化できるのか、それが喫緊の問題だということだ。

2011年10月23日

ユーロが世界経済を消滅させる日

浜矩子
フォレスト出版
お勧め指数 □□□□■ (4)

ギリシャの問題がニュースで連日報道されている。

ビジネスに興味のない人に、わかりやすく報道してくれるニュースはないので、何をもめているのかさっぱりだ。
かといって、民放ニュースを見るつもりはさらさらない。
NHKも適当な時間に解説番組をいれてくれるわけではない。

こんなとき、手っ取り早いのは信用できそうな人の書物をアマゾンで買って読むことだ。

浜矩子さんの本はわかりやすい。
それがどれだけ正しいのか、ぼくには判断できないのだが、平川克美さんがそう言っていた。
なので浜さんの本を選んでみた。
一般的というか、(儲け話しか考えていない)ビジネスパーソンに、浜さんがどれだけ受けているのかはわからないが。

で、この本を一読してみた。
ちょっと前の本だけど、ギリシャ国債とユーロの関係はこのときから変わっていないようだ。
なので、本書の内容を一読したら現在のニュースの位置づけが直ちに理解できた。

以前から借金体質だったギリシャは、国債の価値が下落して国債発行が難しい状態だった。
ところがギリシャがユーロに参加したことで、国債の利率を上げなくても引受先はずっとあった。
当然借金は増えて経済は怪しくなる一方なのだが、いざとなればユーロ参加国が助けてくれるから大丈夫だろう、投資会社や銀行は判断した。
だから高い利子を付けなくても売れ続けたのだ。

しかし、ギリシャ経済がユーロの参加前後でよくなっているはずはない。
むしろ悪くなったそうだ。
それで何年も続けているうち、いよいよ国債償還ができなくなった。

ギリシャ国債がデフォルトするとそれを大量に書かている銀行がやばい。
それがユーロ不信のきっかけになる。
ではどうしたらいいか。
それが、フランスやドイツの大統領同士があれこれ話し合いG20というところですったもんだしていたというわけだ。

なるほど、そういうことか。
ならば、ギリシャ経済を真面目に考えなかった投資家が悪いんじゃねぇか。
リーマン・ショック以来のことだが、「市場は間違えてばかり」だよね。

みんなが人の利益をぶんどることしか考えない金融をやりはじめたら、そりゃ関係する経済はつぶれれよね。
とまぁ、そういう話だとわかった。

2011年10月22日

ケルトを巡る旅

河合隼雄
講談社+α文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

人の住む地方地方には神話というものがある。
人々の交流のスケールが世界的になったり、住む場所を激しく改造したりすると、その土地にあった神話が消えてしまう。
ぼくは「失われた神話」に興味もっていた。
この本は、河合隼雄さんがNHK番組で旅をしたケルトについて、テレビ番組とは違う著者の視点で感じたことを語っているエッセイである。

ケルトといえばドルイド教じゃないか。
ぼくにはそんなことしか頭に浮かばない。

ケルトの神話って、森の中でひっそりと生き残っているのかもしれない。
古代ローマ後にキリスト教によって「上書き」された宗教だ。
けれど、日本が仏教で上書きされなかったように、ドルイドも残っているのだろうな。

河合隼雄さんが旅してみると、文字を持たなかったドルイド教は消滅してしまっていたということだった。
ところが、現在でもドルイド教の活動を続けている人がいる。
神話の世界から存在する「魔女」を職業?にしている人もいる。
キリスト教の勢いが弱まって来ると、古くからあるものは息を吹き返す。
イギリス・アイルランドは実に不思議なところだ。

ちなみにドルイド教については、「たぶんこうだっただろう」という推定しかない。
なので、そんな推定をベースに儀式を創造し、今でも続けているそうだ。

儀式に参加する人は、当然だが、それでいいと思ってやっている。
厳密さがなくても、それでいいという当事者のコンセンサスが伝統を継続させているわけだ。

儀式は切断されたものだから、元の形ではないけれど。
住んでいる人たちの「気分」が納得すれば、たぶん古代に絶えてしまったものとそう違わないだろう。

2011年10月17日

ピンチの本質

桜井章一
ベスト新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

年配の人からこういう話を聞いてみたいなぁ、と思わせる内容だった。

ピンチとあるが、それはある種の運なり境遇なりの評価だと思えばよく、結局は運というものとどう付き合うのかだと語っている。
どう考えればいいのか、どう反応したらいいのか。
答えのない問題に対しての一つの方針について。

その問題に正解があるわけではない。
だから内容に説得力があるとしたら、それはその言葉の発信者が誰かということだろう。

なんだかんだいって、必ずしもうまく条件が揃えられていない状態で人生を渡ってきた人。
その人の言葉には、論理的な部分もあるけど、そうでない部分もある。
それにもかかわらず、話の内容に頷き、参考にしようと思ってしまう。
結局は誰が語っているのかが最重要だろう。

うまいこと生きていないなぁ、と感じている人は、どうやったらうまく生きて行けるのか、についての答えを探す。
誰かがその方法を知っていると思っている。
しかも、知ってそうな人のイメージを最初から抱いている。

桜井章一のイメージは、うまいことそれにマッチしている。
だから、ぼくも何冊も読んでしまうのだろう。

2011年10月16日

「悩み」の正体

香山リカ
岩波新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

何を「悩み」とするのかは、人それぞれ。
本人には、世の中を呪うくらい不条理なことであっても、それを聞く側は呆れるようなものがある。
そういうことが「悩み」ついてはつきまとう。

それこそ、不治の病の相談があった次の人の相談は、隣の家は海外旅行なのに自分の家は国内旅行だ、というような、おそよ「悩み」とは何か、を考えることすらできなくなるのが臨床の場で起きている。

つまり、原因というものは、その人から離れたら一般性を失ってしまうもののようだ。


香山先生のところで診療を受ける人の話を読みながら、ある程度共感できるときもあれば、腹立たしく思うことがある。
ただし、当人たちは至って「真剣に」悩んでいるわけで、ということは理解できるかどうかで「存在」そのものが決まるところがある。

ということは、それを解消さえることは、当人しかできんことのように思える。
もっといえば、当人の意思にはできないで、ただ、自然と消えるのを待つしかないようにも思える。

難しいなぁ。

2011年10月15日

気にしない技術

香山リカ
PHP新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

震災後の心構えについて。

ガンバローとか一丸になってとか、そういうの面倒だなと思う人に対してのメッセージ。
いや、読んでホッとする。

気にして得することはない。
むしろ気にすることで結果的に体調が不調になり気分が暗くなる。
結果的に「損」をする。
もっといえば、気にすることで気にしていた問題が解決することはない。
というわけで、気にするのはやめたほうがいい。
そう、解説してくれる。

なるほど、そりゃそうだ。
納得する。

しかし、すべてに対してそういえるのか。
そうではない、と思う。

集合時間は気にしないと行けないし、放射性物質の汚染には気を配ることは必要だろう。
とはいえこれは害がない。
なぜなら、こういうことは気にすることが「行動」へとつながるから。
つまり、気にすることが「他人の思惑」ではないから、放おって置いてもよい。

気にすることが「なんの行動にも繋がらない」。
そういうものとは違う種類の問題は、そもそも行動を取ることで状況が変わるので、気にすることが長続きしない。
だから害がない。
そう理解しているが、違うのか。

ああなりたいなぁと思う人として、ぼくは高田純次さんの名前をあげていた。
いいじゃない、ああいう風にのらりくらりと面倒なことをかわしながら生きていくの。
この本で香山リカさんも高田純次さんについて言及している。
おぉ、意見があった。

気にすることがもっとも体調によろしくないこと。
それは、他人の思惑を推測して、それを気にしてしまうこと。

そんなものは、どうだっていいじゃん、ということだ。
問題は、それができるひとは「気にする」ことがさほど気にならないとは思うだが。

2011年10月14日

人の心はどこまでわかるか

河合隼雄
講談社+α新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

心理療法やカウンセラー?をしている人からのQ&Aをまとめて一冊の本にしている。
全体としてプロの相談会という内容なのだが、それを一般の人にも共有できるところまで河合さんが変換している。

何でもそうだが、プロの人の悩みって、大変だなぁと感じる。

人の心はわかるのか。

そんなもん、わかるわけないじゃないか。
たとえそうであっても、少しでも「気分よく」することはできるだろう。
それが診療時の態度だと河合さんの別の本で読んだことがある。

それは河合さんのことであって、別の先生はどうしているのか。
彼らの診療に対する態度は、彼らの質問によって推し量ることができる。

ここで紹介される質問はセレクションされている。
そもそも質問を投げ掛かる人は、その人自身がいろいろ考えていたことだろう。
先生にもいろいろいる。
この本で話題になるようなことについて、診療する際に大切だと思わないし考えてもいない、という人もいるだろう。
そういう人が全体の中でどれだけの割合なのか。

治療にあたる人が全員そうだとはとても思えないが、心理療法士の診察・治療はその作業にあたる先生は、教会の人みたいな気がする。
とはいえ、ステレオタイプの教会イメージがどれだけ現実的なのか知らないのだが。

結局、こういうことか。
話しを聞いてくれる人がいないと大変な思いをする人はおかしくなる。
一度おかしくなった人を立て直すにはじっと話を聞く人がいないといけない。

脳内物質にまつわる「身体物理過程?」のようなものが原因ならば投薬すればいいのだから、話を聞く云々とは関係ないのだろうが。


えらく真面目で、深淵で、どちらかと言うと暗く思い世界での話のようだ。
香山リカさんのようは「ゆるい」世界のほうが、本としてはいいかなと思う。

2011年10月13日

秀吉を襲った大地震

寒川旭
平凡社新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

地震について知りたい。
かと言って、科学的な予測とか余地とかはあまり信用できない、というか役に立っていないので、過去の地震についてを知りたい。

日本で発生した大地震については、ちゃんと記録されているものを丹念に調べると、繰り返しが見て取れる。
自身の被害についても、蔵が倒れたとか、山が崩れたとか、そういうことから震度が推定できる。
そんなふうに古文書から日本の地震についての研究を紹介をする本を以前読んだ。

日本の古文書を読んで研究するには、研究者レベルの理科系要素と歴史家レベルの日本史研究要素が必用になる。
両者を同時に兼ね備えている人はめったにいない。
通訳がない状態ので会話が難しいのと同じだから、どこまで地震のパターンが信頼できるのかまではあまり一般には紹介されようがなかった。

とはいえそういう研究者はゼロではない。
有名な研究者が何人かいて、この本の人もそのうちの一人のようだ。

秀吉を扱った歴史小説や大河ドラマについては、何本か見たことがある。
それでも、大地震に見舞われて、というシーンは見たことがない。
伏見城が被害を受けたことは雑誌で読んだことがある程度で、それ以上のことは知らない。

戦国末期、大地震が幾つかあって、山が崩れて城が埋まりお家断絶、なんていうこともあったそうだ。
日本史で名前を暗記するような人物も、一歩間違うと地震災害で死んでいる、ということはありえたようだ。
もっといえば、やっぱり昔から「地震は身近」な脅威だったのだ。

地震がおきる場所の地質学的な場所は、数千年ではまったく変わらない。
数万でも変わらない。
同じような地盤に同じような力が加われば同じように変形し、同じように壊れる。
つまり、同じような状況が繰り返し繰り返し起きる。
すなわち、日本で発生する地震にはかなりの再現精度があるということになる。

液状化する場所は、縄文時代の遺跡から液状化している後がある。
断層がずれる場所は、何時の時代の地層からも断層のズレが見つかる。
縄文人も弥生人も現代に至るまで、地震に対して人間は無力で、いつも怖い思いをしてきたわけだ。

よくわかりました。

ホント、日本中の原発設置をした人が知ってて無視した代償は大きいな。


2011年10月12日

2015年放射能クライシス

武田邦彦
小学館
お勧め指数 □□□□□ (5)

非常にわかりやすい本だ。
主張している重要なことは次ようなものだと理解した。

福島を中心とした近隣の県では、政府も東電もなんの処置もしなかったために、多くの子供がヨウ素で被曝した。
その影響はチェルノブイリ事故の研究から4年後に現れる。
小児がんという、通常では10万人に一人という珍しい病気というかたちで。
2015年から数年にわたって、多くの被曝した子供たちが小児がんで死んでいく。
小児ガンはとても悲惨な病気で、やせ衰え肌が透明な感じになってなくなっていく。
その人数が福島を中心に数百人にのぼるだろう。
その映像が社会に公表されれば、さすがに原発を推進しようという人の勢いは衰え、日本中の原子力発電は終焉を迎えることになる。
と同時に、日本という国も海外からは「放射線汚染国」として認知され、輸出はもちろん、いろいろなところにわたって、入国管理が厳しくなる。

結局、ヨウ素131防御用に服用するはずだったヨウ素はどこでも配布されず、みんな内部被曝というかたちで吸い込んでしまった。

半減期的に「計測できなくなった」時期になってから、計測を始めた。
すべては保証や責任追及をかわすために国、東電が一緒になって実施したのだ。

このときだけたまたま政府が機能しなくて、今後起こるあるいは今でもいろいろと問題になっているいろいろな物事にたいして「政府が信用できる行動をとる」わけがない。
信用って、そういうもんだろう。

チェルノブイリが異常であって、福島が異常じゃない、ということはない。
放射性物質による内部被曝の影響が、ウクライナやベラルーシの人が受けやすく日本人は受けにくい、なんてこともない。
同じ物理過程が体内で進行するのだから、同じ病状が同じ確率で発生するだろう。
チェルノブイリのときは、住民の移動を子供・女性・男性という順番で数千台のバスで政府主導で脱出させた。
福島の場合は、「安全だ」で乗り切り、除染もしない間に「避難解除」してしまっている。
しかも、ろくな放射性物質のマップを作りもせず、また出来る前に住民を戻してしまった。

つまりは、チェルノブイリよりも厳しい現実が待っている。
それは「予言ではない」。


わかっている現実をどう受け止めるのか。
東京の人も結構な被曝をしている。

福島よりも東京のほうがずっと人口が多い。
ホットスポット的なところで知らないうちに内部被曝してしまうようになった子供がたくさんいるだろう。
確率の問題でいえば、小児ガンになる東京在住の子供の人数は少なくないかもしれない。

冷静になって考えれば考えるほど、すごいことになる。

海洋汚染による漁業被害は、食物連鎖という現実によって必ず起こる。
3月から言われていた。
そして、いわきあたりの海では、プランクトンがかなり放射線量が高く、これを餌にする魚は相当濃縮したものになるのは確実である。
もう、太平洋側日本近海、東北のほうの魚は「食べられない」ということだ。

止められない悲劇について考えることに意味はあるのか。

ぼくは、ある、と思っている。

未来を知ることができるのならば、避けられなくても、知ったほうが良い。
正面から襲われるのと背後から不意うちのくらうのでは、同じ負けでも正面からのほうがよい。
そう、ある種の諦めを感じつつ、この本を読んだ。

2011年10月11日

福島第一原発事故を検証する

桜井淳
日本評論社
お勧め指数 □□□□■ (4)

福島原発事故は、想定内の出来事だったという解説である。

メルトダウン、水素爆発、再臨界ということは、事故前からわかっていた。
そうなる、という予言ではない。
物理過程として、電力がなくなったらそうなるよね、という推論をすすめる作業の結果としてわかっていた。

ところがこういう内容の発表は、原発業界から忌避されていた。
研究は禁止され、発表することは事実上できなかった。
いわゆる原子力ムラの問題である。

原発賛成派も原発反対派も、両者ともに「宗教」の一派として振舞ったために、まともな議論や解析や予防措置が取られなかった。
そして震災を迎えたわけである。

学者も政治家も東電も、わからないからといって嘘ばかりしゃべっていた。
テストの点数が高い人をことさら「秀才」とかいって持ちあえる必要が「まったくない」ことがわかってしまったわけである。

この本で紹介されていることは、現時点では他の著作で公表されている事が多い。
もっとも、テレビではでないかもしれないが、本では結構紹介されている。

事故直後から、関係する人は、原発事後が今のような結果になることをわかっていた。
一般の人々、とくに東京の人々がパニックにならないようにと、原発近隣の風向きは隠され、事故の悪化については嘘を疲れ、近隣の人は「しょうがない」という扱いをすることに、政府が決めてしまったわけである。

この本で今まで見たことがなかった視点は次のようなところ。

それは、現場でのオペレーションをしていた人の心境を推測した部分。
メルトダウンをしている最中に圧力を抜いてベントするとはどういうことか。
急に減圧すると冷却水が沸騰し、一気に圧力があがってしまう。
かといって、圧力を下げないと消防車のポンプから海水を注入できない。
マニュアルも情報も、過去の訓練経験もないところで、オペレーターはよくやったものだ。
そういう視点である。

小型のミサイル(ってどのくらい?)があたっても壊れないはずの建屋の壁が綺麗に吹っ飛んでいる。
原子炉内の水素だけでああはならない。
相当量の使用済み燃料のほうからも水素がでたはずだろう、ということだ。

結局のところ、未だに「事故のスケール」については、きちんとしたことは報道されていいない。
わかっていて知らされていないことは相当あるのだろう。
しかし、でもきっと「わからない」こと(燃料の状態とか、今後のこととか)もかなりあるのではないか。

今になって、あるいはこれからも「実はいろんなことはわかっていました」という報道発表がなされるだろう。
パニックになるからという理由で伏せられていたと語られるだろう。

それは、福島原発近隣の人については「考慮していません」ということを言っているに過ぎないではないか。
保安院も東電も政府も、自分たちが「東京がパニックにならないように、福島近隣の人には涙を飲んでもらいました」ということを堂々といっている、ということをわかっているのだろうか。

第二次大戦後に、ろくでもないA級戦犯どもが「自分たちはわるくない」を大合唱していたようなもので、福島原発についてそういう発表をこれからも聞くことになるだろう。
自慢気に。

問題はだ。
そんな発表を聞かされる方が「信じる」と思っているのだろうか。


2011年10月10日

仏の発見

五木寛之+梅原猛
平凡社
お勧め指数 □□□□■ (4)

梅原猛さんの名前を見かけると、つい手にとってしまう。
仏教の話をされていることが多い。

人が生きてく時には、こういうものは必要なんだなと思うようになった。

仏に「すがる」こと、「救済を求めること」を今現在欲しているわけではない。
それは幸いなことだと思っている。
今はいい。
しかし、いつ何時そうなるのかわからないではないか。
震災によって、現実的なダメージを心身に受ける日はそう遠くない。
東海・東南海も待っている。
TPPで壊滅的なことになるだろう日本も見えている。
そうなるのだろうから、できることをやっておかねば。

災害や不幸に対する準備は、なかなかできるものではない。
準備が功を奏したとすれば、とてもレアなケースになる。
だからこそ、マスコミで流布する。
「成功ものがたり」はほとんどありないからこそ報道されるのだ。

だから個人で準備できることは限られているし、準備したことが役に立つかどうかはその時になってみないとわからない。

そのなかで、心の準備、というものはありだろうと思うようになった。
もちろん、想像と現実とは「あまりに違いすぎて、関係ない」ということはある。
準備できたからって、怖いだろうし、痛いだろうし、悲しいだろう。
とはい、それが全く無駄かといえば、そうではないのではないか。

緊急地震速報が始まった時、ぼくはそのサービスを心底軽蔑していた。
そんなもの、いったい何のためになるのかと。
実際そういう状況になると、緊急地震速報はとても重要なものであり、それを受信したいがために携帯電話まで買ってしまった。
何もできないけど、「さぁ、来るぞぉ」と待ち構えるのは、心理的に楽なのだ。
背後から襲われるのと正面から襲われるの、結果的に同じことになったとしても、取り乱しく具合は全く違う。

そういうことから、心の準備というもの、もっといえば「死ぬんだよね」ということに対する準備は、やっておいたほうがいい。
それで、梅原猛さんのお話を聞きたくなったのだ。

これを読むことで仏教的知識が得られるわけではないだろう。
ただ、よく知っている先輩の話を聞く。
これだけで、それなりに心の準備には役にたっている。
そういう気がする。

2011年10月 9日

インテリジェンス人生相談復興編

佐藤優
扶桑社
お勧め指数 □□□□□ (5)

人生相談って、こういうものを言うのだろう。

「さすがにそれは人に相談することか?」
「そりゃ、虫がよすぎるだろ」
「ちょっと自分のやっていることを考えてみろよ」

読んでいると、むっとしたり呆れたり、怒りがこみ上げて来たりする。

さすがは牧師の資格をもつ佐藤優さん、淡々と答えていく。
淡々というか、その人の100%見方になって答えていく。
具体的な方法を提示していく。
回答に「佐藤さんが自ら請け負った責任」を張り付いている。
こんな相談者、ちょっといない。

人生相談って、説教だったり、頓智だったり、正論だったりと「いらないもの」を渡されるものだと思っていた。
実際そうだろう。
このシリーズも三冊目だが、こんな活動ができる人は、佐藤さんくらいしかいないだろうなぁと。
(ありがたいをを大上段から語りかける人ならいくらでもいるのだろうけど)

世の中には「どうにもならない状況にいる」という人も結構いて、そういう人を助ける、あるいは苦しみを緩和させることは社会的な機能として必要だと初めて理解した。

教会の機能って、そこにある。
そしてそれは社会にとってはとても重要だ。
だからローマ世界がキリスト教に飲まれたのか。

現代は蛮族が荒れ狂う古代ローマ末期とは違うのだが、「どうにもならない辛い人」というのは現代においてもたくさんいる。
本来であれば「社会」がそういう人を助けるはずなのだが、グローバリズムがはびこる今の世の中にはとても無理だろう。

TPPが成立することで日本社会も末期に突入すれば、社会にすがることができない人がぐっと増えてくる。
となれば、教会の重要性は増してくるだろう。
古代ローマ末期のローマをよく考え、自分のいる社会の少し先の姿を想像できる。

なんか、嫌な世の中だ。

2011年10月 8日

生きるとは、自分の物語をつくること

小川洋子+河合隼雄
新潮社
お勧め指数 □□□□■ (4)

この本のタイトルを読んて、本当にそうだよなぁと納得してしまった。
タイトルだけで一冊読んだような気がした。

小川洋子さんと河合隼雄さんの対談。
まぁ、のんびり話が進む。
ちょうど「博士の愛した数式」が話題になっていた頃で、素数ネタのようなところから話を噛みあわせていく。

昔数学をしていた、という河合さん。
教師だった頃の話から、心療内科に関わっていくまでのお話。

どれもこれも、これは、と思うような場面はなく、おばちゃんと爺さんの会話というところだ。
いや、実際は小川さんが診療を受けていたということになるのかもしれない。
それを読みながら、自分もそういうところがあるなぁと思い返す。
これって、間接的にだが、河合さんに面倒見てもらっていたのかもしれない。
などと考える。

2011年10月 7日

心理療法個人授業

河合隼雄+南伸坊
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

河合隼雄さんのお話が聞きたくなったときがある。
体調はわるくないのだけど、心理的にかなわんなぁと思ったから。
そういうときに空港で購入した本なのだけど、結局読まなかったようで、ずっとテーブルに積まれていた。

積んであった本と目があった。
いや、こういう本があることを思い出した。
今日は休みだからちょうどいい。
そう思ってページをめくっていった。

とくだん「へぇ」と驚いちゃうようなことが書かれているわけではないのだけど、良質の「考察」を読んでいるようで、南伸坊さんと一緒に考えたような気分になれた。
一般の人が学ぶって、こういう態度でいいんじゃないかと思う。

ぼくはあまり精神的に強い方じゃないから、こういうお話は惹かれる。
仏教的なセンスがあるともっと楽に生きられると思うし、他人とのリソースの奪い合いや「これはすごい」的な自己顕示要素が体かから消えてなくなると楽しいだけの人生になるんだって想像するけど、ぼくは普通の人だからな。

南伸坊さんは、普通の人が使うであろう用語の範囲でものを考えてくれている。
へんに「頭いいんだぞ」的なところがない。
それってとても大切な要素。
養老孟司さんとの本は読んだことがあるので、残りを探して読んでみよう。

2011年10月 6日

朽ちていった命

NHK「東海村臨界事故」取材班
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

朝の通勤電車で読んだので、朝から涙目でホームを歩いていた。

震災後、原発について何冊か本を読んできた。
そのなかで、読みながら考えさせられた本はどれ?
そう問われれば、迷わずこの本を挙げる。

これまで読んだ本は知識を教えてくれたり、なぜ危ないかを説明してくれたりと、それぞれ良い本ではあった。
しかし、どこか「他人ごと」として読んでいた。
もちろん東京に住んでいるというだけで今現在だって多少なりとも被曝しているし、今後は食料を通じて相当量の被曝をすることはわかっている。
原発事故の恐怖については知ることはできた。
しかし、悲しみというものを切迫して感じることはできないでいた。
いや、「悲しみを感じることができる」とはそもそも考えていなかった。

この本で扱っている「東海村臨界事故」のことはよく憶えている。
当時つくばに一人暮らしだった。
ちょうど週末だったと思う。
このニュースをテレビで見ているうちに「ここも危ないかも」と思って、東京の実家に逃げたのだ。
中性子がでているだけだから、すぐにどうこうという問題はないのだが、それでも怖かった。
事故はすぐに収まり、月曜日からは普通につくばから出勤したはずだ。
それ以後、この事故についてニュースは見聞きしたが、とくだん記憶はない。

しかしぼくが関心を持たなくなても、現実の世界では物事は粛々と進行していた。
臨界の場に直接立ち会った人は、おそらく世界でもこの本に登場する方たちくらいだろう。

中性子を浴びまくったら、その後どうなるのだろうか。
重度に被曝した人の症状がどのように進行するのか、医学的な興味をもっただろう。
医者でないぼくですら、怖いもの見たさという動機がこの本を読む前にあったことは否めない。

しかしこの本を読んでしまったら、もうそんな気分にはなれない。
放射能って、こういう風に人の体を壊すのか。
細胞が「再生」しないということは、一体何を意味するのか。
システム全体が同時多発的に壊れていくとはどういうことなのか。

広島や長崎の原爆で被害にあった人がどんな地獄を見たのか。
皮膚はただれ、水を求めながら焦土とかした街をウロウロし、川の水を口にする。
そして死んでいく。
街中そういう地獄の光景。

これがぼくが「教わった」風景なのだけど、放射線で皮膚がただれ、水を求めるというのは本当のようだ。
この被曝をした方は、同じように皮膚がなくなり、水分が出尽くし、本当に悲惨な形で亡くなった。
現代の都内の病院に突然現れてしまった広島・長崎の被爆者、というようなシーン。

この本を読んでいるとき、反原発の機運に関することよりも、医療行為とか治療とは何か、について考えてしまった。
10シーベルト以上浴びたら助からないことは既知である。
だからといって「何もしない」というわけにはいかないだろう。

どんな治療がいいのかなんて、誰もわからない。
そんな中で治療を引き受けた東大病院の医師はすごい。
医学的な興味が動機になかったはずはないとしても、日々悪化していく患者さんと向き合っていたら、そんなことはどうでもよくなってしまったはずだ。

負け戦を承知で戦うとは、どういう意味があるのか。
そこには「合理性」がない。
あるのは人としての倫理でだけである。

どうやったら助けられるのか。
いや、どうやったら少しでも気分を和らげられるのか。

本書で看護婦さんが語った言葉がある。
医療行為ってなんなのだろう、とか、治療すること時代が間違っているのではないか。
こういう末期医療に接した人が抱くような問題をダイレクトに表現している。

ぼくがこの本のなかで一番感動した箇所は、看護婦さんの言葉である。

治療チームの一員としては、罪悪感と言ってはいけないのもよくわかっています。 いまだに答えが出ないんです。 大内さんに答えてほしい。 大内さんの声が聞こえないなガリ、ずっと自分がやってきたことが正しいのか、大内さんにたいしてものすごく重大なことをしいてしまったのか、わからない。 どちらでもいいから、大内さんに答えてほしい。 すごくいやだったよ、つらかってよって怒ってもいいから、別にありがとうって感謝されなくてもいいし、すごく怒ってくれてもいいから、どっちかの答えを大内さんからもらいたい。 考えても答えはでないと思うんです。 一生。歳をとっても。 大内さんに聞けないかぎり・・・(P188)

この言葉がでるような人が近くにいたという事実は、最悪の事故の被害にあった人に対しての最大の償いなのではないだろうか。
人の力では「直せない」状態になってしまったのだから、実際どうすることもできないけど、生きている人たちが送ることができる「せめてもの償い」といえるのではないか。

放射線を浴びるとは、体内の時間を100倍くらいに加速させることになるようだ。
こういう状況になる、ってわかっているのだから、多くの人がこの現実を知ったほうがいい。

NHKさん、これはすごい資産なんですよ、もっと人々が手の届くところに番組をおいてくれませんか。

そんなことを考えた。

2011年10月 5日

雀鬼流

桜井章一
三五館
お勧め指数 □□□□■ (4)

精神的な支えを欲しているのかもしれない。
桜井章一さんの本に手が伸びてしまう。

読んでいると愉快、ホントに。
内容は「仏教」といってもいい気がする。
事例は麻雀なんだけど。

麻雀であろうと登山であろうと数学であろうと、人が全力でやることに違いがあるわけもない。
全力で登り切った頂上で悟ったことは、不思議なことだが、人のやること全般に適用できる。

多くの言葉は精神的な響きを持つ言葉になる。
考えみれば当たり前だ。
意識は精神でドライブされているのだから、意識に響く言葉は精神的なものになるはずだ。

例えば、麻雀をやるうえで「ツキ」は大切なことだと言っている。
ツキは創りだすことはできない。
それがそのときの自分にあるのかどうか、やってきそうかどうか、ただ感じるのみであると。

わかるような気がするが、具体的にはわからない。

ところが、この本を読んだまさにその日、ツキがやってくる、ことを体感できた。
ツキがやってくるのを察知できたのだ。

この約一月程、ずっと困っていたバグがあった。
それが、あるとき「ふっと」ととれた。
その作業中、ツキが体にまとわりつくことを体感できた。

これか、と。

桜井章一さんのいうものは、本当にあるらしい。
それを体感のチャンスがぼくに巡ってくる日にこの本を読んだわけだ。
そのとき、すでにツキがあったのかもしれない。

2011年10月 4日

改訂 原子力安全の論理

佐藤一男
日刊工業新聞社
お勧め指数 □□□□■ (4)

震災直後の佐藤優さんの書いたものをまとめて出版した本があった。
その当時、ぼくは原発について怯えている日々を送っていた。
不安だったので、「同じ時間」を生きている頼れる知性の持ち主の声が聞きたかった。
大本営発表のニュースやコメントなど、もうアキアキしていた。

その本によれば、震災直後に原発おかしくなったあたりから、佐藤優さんは原子力について「まともに」勉強したそうである。
それこそ高校生の受験参考書から一般の解説書まで。
何が起きているののだろうか。
できるだけ正確に知る必要があると考えたからだそうだ。

あの状況下で学ぶという態度を取った人は他に知っている。
宗教学者の中沢新一さんもそうだったとラジオで言っていた。

ニュースのチャンネルを回して専門家の発言を聞くことしか思いつかないぼくは、何かが相当足りてないらしい。


佐藤優さんの著者には、原発の「ベント」について、この本から引用されていた。
安全を考えてベントした、というようなことがいろいろとニュースに取りざたされていた。
政府や東電がすったもんだしていたときだった。

まず御理解頂きたいのは、そもそもベントが必要になる事態というのは、設計上の対策はもとより、事故が設計の範囲を超えてから取られるその他のアクシデント・マネージメント策の、ほとんどが不成功に終わった状況だということである。そのような最悪の事態でも、少しでも周辺の被害を抑制しようというのがベントの趣旨なのであって、仮にこれが必要な時に実行せず、その結果格納容器が破壊されたら、その時放出さえる放射性物質の量、したがって周辺の被害は、ベントで生じるものの比ではない。このような状況が現実に発生する確率は極めて低いと思われるが、極度に確率の低い事態に対しても、滞りなく備えておこうということなのである。(P227)

佐藤さんが引用されていたところを今回読んでいて、ため息がでた。
「万事休す」の状態であり、それだけの事態が起きているということを意味しているから。

ベントの意味を把握していた人は、あの騒ぎの中でどのくらいいたのだろうか?
報道って、自分の生き死に関わるような状況下では頼ってはいけないのだなと改めて理解した。


この本は6月に読み始めたが、東京に降る放射能のほうに注意が向いてしまっていて、震災前の原発安全などといった「机上の空論」に付き合っている暇はなくなり、ほったらかしになっていた。
やっと再開することができるくらいに今は気分が落ち着いている。

しかし福島原発はまだこれからだ。

水素爆発もそうだけど、水蒸気爆発もある。
「大丈夫だ」といっている人がいるが、しかしメルトダウンした燃料がどうなっているのか、わかっていないのになぜ「大丈夫だ」といえるのだろうか。

結局、原発関係の人は、これだけの事故を起こしても「変わらなかった」ということだ。
死なないと治らないことって、あるのだ。

2011年10月 3日

Twitter社会論

津田大介
洋泉社(y新書)
お勧め指数 □□■■■ (2)

この本について別の人の本の引用で知った。
なんだか面白そうだし、著者も変わった人のようだから、読んでみようと思った。
Tiwtterについても、なるほどそういうものだったのか、と知ることができるかもしれないし。

で、実際読んだのだけど、かなり期待はずれだった。
速報性やリアルタイム中継というような、携帯電話から現場でつぶやくようなツールとしての使い方が中心に紹介されている。

学生さんならば授業の中継でもやる意味が、場合によってはあるのかもしれないが。
この重要性、普通の人にはほとんど必要ない。

国会の場でツィートする議員がいても、まぁ聞いていなのだろうなと思うよりなく、仕方ない。
それが革命的なツールでやることなのかわからない。

人と人をつなげることが情報ツールの中心的役割なのはわかる。
ツィッターは普通の人が使える範囲である140文字にしたものだ。
小さくすればパケット量からも、普通の人が使える文章能力からも適切だと考えた。
その割り切りが新しいのだ思っている。
つまりメールの代わり、ということだ。

ただこれが社会論というところまでのツールになるのかだろうか。
どうでもいいことを集めると量から質に転化することがあるかもしれないが、そんなものを目指すにはあまりにまどろっこしい。

災害時のツールとして着目されたとしても、実際流れているのはデマばかりだろう。

とはいえ、携帯電話の画面制約からしばらくツィッターがつづくだろう。
情報を入力する側だって、そんなに進化するはずもない。
140字がいいところだろうな。

2011年10月 2日

この国の「問題点」

上杉隆
大和書房
お勧め指数 □□□□□ (5)

上杉隆さんの本は面白いのだけど、読み終わるとため息をついちゃうので、身体的に元気なときにしか開かないようにしている。

なんだそうだったのか、ほんとかよ、ひでぇなぁ。

人の社会では口にするとはばかられるようなことが結構ある。
知らないで過ごすならば秋晴れみたいな生活空間でも、単にマスコミがフィルタしているだけだとしったら気分は一転、いやな国に生まれちまったもんだ。
そうため気になるのだ。

震災についても、報道はかなりフィルタを頑張ったようだ。
メルトダウンについては、震災前に発行されていた本の多くに記述があった。
「ほとんど起こりえないこと」という但し書きツキだけど、教科書的な本(つまり推進派)にもあった。

当然、そういう話がインタビューでてしかるべきだが、全部止められた。
果敢にも挑んだこの本の著者は、これまたよくあるようにテレビやラジオからも姿を消した。
怖い社会だよ。

マスコミも政治家も官僚も、等しく罹患している病気がある。
それは「おれは偉い」病である。
その病気のために、一般の人、今回は原発災害にあった人などが、受けなくていい被害を受けることになる。
今の日本の社会的な問題は、マスコミに資金を流す業界支援の構図をなくとだいぶよくなるだろうことは、これまでの著者の著作で言われている。
この本は、震災という新し事例をつかって著者の主張の根拠を強化したものになっている。

ほんと、嫌になっちゃうよね。

そこへいくと、NHK取材班のつくる番組や本は、どれも痛く感動する。
民放は「ただ」の番組を配っているわけだが、「だた」が有料に勝つことはないわけだ。
NHKが一番マシ、ということか。


2011年10月 1日

嘘みたいな本当の話

高橋源一郎+内田樹(編)
イースト・プレス
お勧め指数 □□□□□ (5)

不思議なこと。
ちょっと聞くと怪談かと思ってしまうような不思議な話。
とくに、時間が前後する(因果関係が敗れる)お話に惹かれる。

この本を読むのは2回で、最初読んだときはあまり期待していなかったのだけど、意外に面白くて一気読みしてしまった。
編集者がすごいのか、本の意図がよいのか。
この手の本で、またよみたいなぁ、と思ったのはこれが初めてではないか。
いや、だれかの話、なんてのがこれほど面白いとは思わなかった。

短いものなら、プロでなくても面白いものを書けるわけだ。
ぼくも文章が上手になりたいとずっと思っているから、こういう事実には勇気づけられる。

はやく続編がでないかな。