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2011年11月30日

移行期的混乱

平川克美
筑摩書房
お勧め指数 □□□□□ (5)

新刊として発表されたとき以上に、今読み返していろいろ考えさせてくれる本だった。

日本の経済成長は今後あり得るのか?
この本の答えは「ないだろう」ということ。
理由は明確で、日本の人口は減る、生産効率は劇的には向上しない、都合よくイノベーションが救ってくれることもない。
とくに、人口減少については、人口動態の推移を見れば「自明」であって、もうどうしようもない、ということだ。

一時期(今でもだが)、子供を増やそうという政策をとっていた。
その理由は経済成長させるためと。
とはいえ実際は年金でいい加減なことをしていたことがバレないようにするための政策だったのだろう。
つまりは、人口増やす=年金維持、ということだった。

だが、もうそりゃ無理だ。
残念ながら、医療費も年金も僕らの世代では潰れている。
もっといえば、その前に経済的な意味では、破綻している。
TPPで日本の医療も完膚なきまでに壊す、と首相が意気込んでいるのだから、今の想像よりも悪くなる。

それを前提として、じゃぁ、どうするか?
それを考えていくことが「生き延びるには」を考えることだろう。

現在の震災復興のニュースを見ていて思うのは、テレビに映る人すべてが「国が指針を示せ」「国が支払え」と訴えているところだ。

確かに、放射能の被害については、東電+国が支払うのが筋で、被害者が何も言えない状態になるまで支払いを渋る、という方法にでも出ない限り、支払われるだろうと思っている(とはいえ、過去の公害裁判を見るにつけ、被害者が訴えをおこせなくなるまで「先延ばしする」という方法を政府は取るだろうことは見えているのだが)。

しかしなぁ、国が「よいことをする」ってのは、そりゃ無理なことだろう。
昨日からどのくらい過去に遡れば、そういう政府が日本にあったのか知りたいところだ。
そんなもん、あったのだろうか?

ぼくはなかったと思っている。
今後もないだろう。
まぁ、絶対ないわけではいけど。

一番最優先されること、大事なことは、まず生き延びること。

生き延びられるかどうかは、自分がどう行動するかにかかっている。
不誠実で嘘八百の部分が多い行政に全面的に頼ることしか思いつかないようでは、たぶん生き延びられない。
それよりも、どうやって政府の知能を逆手にとって、自分たちが生き延びるのに有利なことをするか。
それにかかっていると思うのだ。

自分一人で「逃げ」みたいなことをすると、結局孤独のうちに敗者になるんだろうな。

震災のことを考えれば、そういうマインドをもって行動するのは被災者だ。
しかしこの本を読めば、日本経済を考えるときには、日本人誰もがそのマインドをもって行動しないとダメだろうということがわかる。

今後は、経済成長はしない。
しないとわかっているのならば、「する」と信じて行動する人よりも有利なポジションにある。
だって、「しない」ことが確定してから行動を起こしても「間に合わない」から。

では、ぼくは何をすることで生き延びられるのか。
それに答えはない。
おそらくだが、今後のぼくの行き方、渡世の方法が、その答えになる。
少なくともぼくはそう思っている。

さ、がんばろ。
自信ないけどね。

2011年11月24日

3.11以後

茂木健一郎+竹内薫
中公選書
お勧め指数 □■■■■ (1)

非常に残念なことなのだが、茂木健一郎さんの本はもう期待できないのかもしれない。
とくに、このお二人が重なると「俺はすごい」的なオーラがでちゃって、どうしちゃったんだろうかと思う。

飲み屋で社会に向けて「バカなやつら」てきな愚痴を言い合うだけならいいけど、そのまま本にしちゃった感がある。
あちゃー、という感じ。
どうして編集の人は、もうちょっと普通の人に合わせた本にしようと努力しなかったのだろうか。

いや、こういうほんが「素晴らし」ということになるのだろうか。
わからない。
アマゾンではまだ書評がでてないけど、おそらくあまりよい点はもらえないのではないか。

なんか、ホントに残念だ。
次回作を買うか?
少なくとも新刊では買わない。
『脳と仮想』のようなラインを本を、読みながらワクワクするような本を、気長に待つか。

2011年11月22日

株式会社という病

平川克美
文春文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

時間をあけて同じ本を読み返すと、まったく違ったものが見えてくる。
改めてこの文庫本を読んで、過去に単行本でこれを読んだとき何を読んでいたのか、と情けない気分を覚えた。

どの文章も初めて読むような気がした。
情報を吸い上げようと読み始めても、文章の力によって次第に「真面目に」株式会社の問題を考えている自分に気づく。
本を読むことによって、「ぼくも」一緒の考えているのだ。

すごい。
平川さんに「考える」ということを教わっているような気分になる。

すでに一度読んだことがあると思えないのは、ぼくの頭はまだアホだったのだろうか。
それがここ数年で少しはよくなったのかもしれない。
なにせ、内容を覚えていなかったのだから。

とはいえ、全て忘れたわけではない。
ところどころ記憶には残っていて、例えば落語芝浜のCDをなぜ買ったのかの理由がこの本にあったのかと再発見した。


ぼくは株式会社に務めたことがなく、また株式会社に務めている人と接触する(会話をする)機会は殆ど無い。
だから、会社といえばドラマの中のサラリーマンを思い浮かべるよりない。
あるいは、ニュースで紹介される経済犯罪の舞台であり主犯となる対象でしかない。
どっちもあまり関わりたくないイメージである。

本書では株式会社というものがこの先どうなるのか、何が起きるのかを考察している。
コンプライアンスとかコーポレイトガバナンスとか、そういう言葉が飛び交うようになっているが、その後で何が起きるか。
株式会社の幾つく先について、考えている。

株式会社の発祥は大航海時代のイギリスである。
人類の組織や政治の歴史に比べれば、つまり王政とか民主制とかいうものと比較すれば、株式会社はつい最近現れたものに過ぎない。
その発生当初から「良い面」と「悪い面」とあり、イギリスでは「法的に禁止」されていた時期もあったそうだ。

産業革命時代の資本家と労働者の関係のように、極度な社会的分離を生じさせ、共産主義革命というものが発明され実験に供されることの発端となったのは株式会社であろう。
その実験に失敗してソ連は倒れたが、同じようなことが資本主義社会に起こらないとも限らないわけだ。

会社を株主、経営者、そして従業員に分けてしまったことが問題の発端のように思える。
株主は、株を買い株の値を上げ、それを売って儲けること「だけ」が目的である。
そのために株主に雇われているのが経営者で、経営者のもとで働くのが従業員である。
経営者に不満があれば、株主はすげ替えることができるわけだ。


人が働くことは太古から当然あり、集団で何かをするということもそころから行われてきた。
人が集まって仕事をし、給料をもらうというような仕組みが株式会社ならではのものではない。

人が自分のために、社会に役立つものを作り出して売る。
その規模が大きくなると、管理という機能が必要なるので、経営というものを作りだした。
その段階では、会社は働く人のための道具であり制度的工夫でしかなかった。

しかし、株主というものを設定したが故に、ある種の「王政」が引かれてしまった。
結果的に従業員は奴隷になった。

もし株主の欲望を止めるものがなければ、会社の製品や環境への影響などは無視されていくのは当然だ。
環境だけでなく、奴隷としての従業員について考えることもないだろう。

自分がどこに立っているのか。
これに気づかななくなったとき、無自覚に無意識に「欲望」の方程式に沿って人は行動する。
それが、いろいろな社会悪を生み出すが、一方で商売としては成功するわけだ。


例えば、毎日のようにタイの洪水の話や、円高の話がニュースで流れている。
そのニュースでは「コレコレの理由で工場を移す」と「さらっと」言っている。
そうしないと、儲けが少なくなるから、ということだ。

しかし、これ、従業員から考えると「人生がガラっと変わる」ような発言なのだ。
別のところに移動したら、今働いている人はいらない、ということだから。


この本を読んで、こういうニュースの背後になることななんなのか、少し気づくにようになってきた。
人が集まって働くことが目的だったのに、いつのまにやら「奴隷」になっている。
派遣労働者の問題は現代の奴隷制を言っているに過ぎないし。

とはいえ、この先も社会はこのままで動くだろう、しばらくは。
怖いものだ。

今まで通り、なれべく近寄らないようにしよう。

2011年11月21日

風が変えた世界史

宮崎正勝
原書房
お勧め指数 □□□□■ (4)

何もわからない状況で航路を探すってのは、実に勇敢で無謀なことだ。
だって、そうだろう。
GPSがないどころか地図・海図だってない状況で、食料も水も積載量に限界があるなかで、よく行くよ。
一攫千金という誘惑に溺れたというよりも、探検心なんだろうか。
あるいは、航路の発見という社会的正義かあるいは名声か。


ヨーロッパから喜望峰を回ってインドへ行く航路の難しさを知った。
吠える30度、絶叫する40度、という言葉があるらしく、南には大陸がないので高緯度へ行くと海流も風も「とんどもない」ことになるらしい。
だから、単純に喜望峰を回って、とは言えないようなのだ。
バスコ・ダ・ガマ、すげぇ。

あるいは、なぜ「カリブの海賊」というものが有名になったのか。
あるいは、フライング・ダッチマンというものだとか。


季節風と海流。
少しずつ情報を集め、少しずつ実験航海をしながら、予測と現場での実験航海を重ねることで航路を確立していく。
歴史というのは、こういう人が「一気に」ジャンプするきっかけを作ってくれたのか。

以前読んだ、ツヴァイクのマゼランを読み返してみたら、以前にもまして感動するかもしれない。
http://www.significa.jp/scienza/books/2007/06/post_354.html

歴史に疎いぼくではある。
が、少しずつ少しずつ知ったことが、いろいろな本を読むことで「つながってく」ことが楽しいのだと気づいてきた。

歴史は世界史もあるし日本史もあるし、地理などの知識は造山運動や氷河期などの影響なども絡みあってくる。
こういうことを「全部」勉強していくと、何かを読むたびに「発見」があり「つながり」を見つけることができる。

そうか、これが「勉強」の底なしの面白さなんだ。

2011年11月15日

地雷を踏む勇気

小田嶋隆
技術評論社
お勧め指数 □□□□■ (4)

面白いなぁ、このエッセイ集。
日経BPのウェッブに連載されているらしい。
最近のウェッブにはこんなに面白いものが掲載されているのか。
感心した。

小田嶋さんの発言は、普通の人がみれば「そりゃそうだ」というもの。
アイディア自体の奇抜さとか目立ち度とか、そういうものはあまりない。

復興会議の提言文書が「文学作品」であることとか、韓流についてのフジテレビの商売といての報道ということ。
言われれば、たいていの人は「そりゃそうだ」と理解できる。

そして、そこがこのエッセイの面白さなんだろう。
読んだ瞬間に「俺もそう思っていた」と思える。
だから、周りにいる人に自分の意見として語ってみようと思ったりする。

気楽に読んで、賢くなれる、というのだろうか。

佐藤優さんとかのように、背後に深い深いキリスト教神学があって、そこからの発言だったりするものは、とても「おれ、こう思うんだけど」なんて、人に話そうという気にならない。
しかし、小田嶋さんの話は、誰でもが知っているところをベースに発言を作るので、「ひょっとしたら俺でも思いついたんじゃないか」と勘違いできるようなくらいわかりやすい。

だから、読んでて嬉しくなるのだろう。

また一冊新刊がでるようなので、楽しみだ。

2011年11月14日

橋本主義(ハシズム)を許すな

内田樹+山口二郎+香山リカ+薬師院仁志
ビジネス社
お勧め指数 □□□□■ (4)

橋下弁護士の独裁がすごいことになっているらしい。

大阪知事といえば、横山ノックさん。
代々お笑いの人が当選するところだと思ってきた。

知事といっても、とくに何かをするわけではなく、まぁ、適当に時間を過ごして出ていくというタイプ。
それでも大阪はいろいろ回るのだから、知事の周りにいる人が、実質的に仕事しているのだろう。
だから、ヘッドは誰もでいい。

そういう仕組みが体制にあるのだろうな、と思っていた。
普通の東京の人は、そう思っているのではないか。

一方で、ニュースでいろいろ登場してきた橋下知事は、なにやらきな臭いことをしている。

踏み絵のようなものをして、知事の意見にまつろわないものは「首」のようなことをしていると。
教育に関する条例にいたっては、立派な恫喝をしているわけだ。

恫喝かよ。

なんかすごいことになっているのか。

マスコミは「橋本旋風」が強い時は特段批判記事を出していなかった。

内田樹さんがラジオで「橋本批判となると俺のところに来るのはなぜか?」と記者に怒ったことがあると言っていた。
反橋本的な意見を述べるのが「皆怖がっている」という雰囲気があったらしい。
堂々と反論を口にする内田樹さんくらいだったようだ。

教育に関する条例で、あまりにも「独裁」的なことが明らかなってきた。
そういうことが報じられて少し橋本人気に?がつき始めたら、急に橋本叩きが始まった。

マスコミのそういう態度、そりゃそれで問題なのだが、それ以上に「自分に対して反対意見を述べるものは、権力のなにおいて抹殺する」という「独裁」という形式を橋本さんは鮮明に出してきたのほうが、ずっと問題だ。

ここは現代か?

と思うくらい、綺麗に独裁を宣言している。
その内容はこの本を読めばわかる。

問題は、このあとだ。
大阪の人はどう考えるのだろうか?

大阪がどうなっていくのか、それは大阪の人の問題だから、ぼくは関知しない。
そう思ってきたが、こういう「俺に反対する奴らは抹殺する」的な態度を堂々と取る「政治家」が、当選するという事態は、見過ごすことができない。

というのは、他でも「真似する」奴がでてくるからだ。

不思議だなぁなんでこう、先祖帰りする人がでてくるのか。
人間は進化しない、ということか。

大阪の人の判断を見守りたい。
当選したら、大阪を切り離す方法を考えないとダメなんだろう。
我が身に被害が及ばないようにしないと。

2011年11月13日

恐慌の歴史

浜矩子
宝島社新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

世界経済がおかしくなるんじゃないか。
1929年がまたやってくるんじゃないか。
そういう不安があるようだ。

人は生まれたときは記憶ゼロである。
それはどんな人も同じ。
そして、教育といっても幼少から青年期にかけて、学ぶことは決まっている。
だったら、歴史的な現象は、なんど起きてもおかしくないだろう。

世界史というとなんだが、企業が話題に登る事件をみていれば、似たような問題が何度も起きていることがわかる。
人も人の集団たる企業も似たようなもんならば、政治や国だって似たようなもんだ。
だからだろう、経済現象もバブル、破裂、恐慌という繰り返し、なんどもなんども世界で起きている。

ある程度世界史なりを知っている人がいれば、現在ドルやユーロの不信の問題や、中東で発生している革命などを見て、いろいろな不安と過去の出来事が重なりあい、未来に対する不安が予想するかもしれない。
また恐慌があるな、という形で。


ぼくは経済について不案内だし、国際関係論や地政学といったことについても理解が乏しい。
だから、ギリシャやイタリアで起きている国債利回りが何が原因でおき、この先どうなるのかについて、よくわからない。
不安なニュースということだけである。

じゃぁ、というのでまずこの本を読んでみた。
知りたいことは、恐慌というものがまた起きるのだろうか、についてだ。

この本は「なにがどうしてどうなった」を解説するとまえがきにある。
ちょうど良い、と思って一読してみた。
早送りで経済史について、とくに恐慌の前後、因果関係について読んでみた。

読んでいるときはなるほどなぁ、と思った。
が、それをどれだけ「理解」できたのかは、はなはだ心もとない。
金と兌換できるかどうか、というようなことが、巡り巡って景気の浮き沈みを作っているようだ。

まぁ一言で言えば、必要としないものをたくさん作れば、まぁ、駄目だよね。

もうちょっと勉強しないと、この本の意味もよく把握できないのかもしれない。

2011年11月12日

人間関係に奇跡を起こす83の方法

石原加受子
大和出版
お勧め指数 □□□■■ (3)

ケーススタディーを2ページで行っている。

普通のOLとして働いている人ならば(そうでない人も含まれるが)体験しそうな困ったことに対する対処法、アドバイスを83のケースで説明している。

そのコアにあるものは「自分中心」であり、いかに自分を守りつつ、自分の抱いている感覚・感情を表現して相手に伝えるかである。
手っ取り早く石原先生の言っていることを実行しようとする人にはいいのかもしれない。

ただし、すこしお手軽すぎる嫌いがある。
時間がない人や本を読む習慣のない人にむけて計画された本だと思う。

2011年11月11日

計画と無計画のあいだ

三島邦弘
河出書房新社
お勧め指数 □□□□■ (4)

一人の若者が、自分の考える「こうあるべきだ」を実現するために、無謀にも会社を起こし、面白い仲間を集めて成功する話。
実話というか、ミシマ社という出版会社をおとぎ話にした、読み物である。
面白い。

面白い物語には定形がある。
若者が無謀なことを決心し、仲間と出会い、様々な苦労を経て成功し、故郷に帰る。
要するに、桃太郎ですね。

これは、古代メソポタミアの神話であるギルガメシュの時代から人々に好まれるお話の定形で、この本もそれに連なっている。
本が大好きな若者が日本の出版業界に疑問を感じ、自分が考える「あるべき出版社」を成功させるのだから。

この本では知ったかぶりをして若者のヤル気を削ぐ敵キャラはでてこない。
けれど、一風変った(しかもかなりの才能のがある)人を仲間に引きこんで、ハァハァ言いながら努力し成功させるところは、物語的な爽快感がある。

就職前の学生さんならば、おれも真似してみようかな、と思って、自分なりの活動を始めてくれるかもしれない。
若者を鼓舞する、というのは、若くして成功した人でないとできない役割だ。

面白かったし、これからもミシマ社の本で面白そうなものは買ってみようと思った。
が、多分この本のことはすぐに忘れてしまうだろうという気にもなった。
つまり、類例をいくらでも考えることができるから。

若くしてうまくいった人の話はみな同じ筋になるので、全部ミシマ社の話と同じになってしまう。
次に似たような成功談を読んだら、それに上書きされてしまうかもしれない。


2011年11月10日

もっと自分中心でうまくいく

石原加受子
こう書房
お勧め指数 □□□□■ (4)

常に相手の反応を予測し、それをもとに自分の行動を決める。
そういう考え方の癖を持っている人は、結果的に「楽しくない」日々を送ることになる。
そう、言ってくれる本。
石原先生の「自分中心」という考え方の導入のような本だ。

「相手はこうするから」「相手はこう思うから」

何かをするときの視点が「相手」になっている人は、自分がどう思うかについて無感覚である。
無感覚どころか、自分がどう思うかというのは「どうでもいい」「価値がない」と考えている人もいる。

これは、子供時代からの「教育」の賜物である。
そして、そう考えている人は決してラクな気分で生きていくことはできない。

想定する相手は親だったり先生だったり友達だったり上司・部下だったり。
そのときに接する人たちである。
一定の人のこともあれば、そうでないこともある。
ともかく、「お前はどうおもうのだ」と自分に問うことをしない人がいる。

ある意味丁寧な人とか無私の人とか言われて評価を得るかもしれない。
人々はそうあるべきだ、という道徳のような世界だ。

相手からみればそうだろう。
自発的な奴隷がいるんだから。

どんなに相手からよく思われようとも、自分の深層には不満がたまる。
不満を蓄積させると、切れやすくなる人もいれば、完全に脱力無力化してしまう人もいる。
どちらも「幸せ」あるいは「ラク」とは程遠い精神生活を送ることになる。
そういうの嫌でしょ?

じゃぁ、どうすればいい?

意外に簡単なことである。
自分が「どう思っている」「どう感じている」かを正確に意識化する。
それを言語化して表現する。

このとき「相手はどう思うから」とかそういう、ことは一切考えない。
つまり自分中心で「感じている」ことをセンスするのである。

そんな簡単なことでいいの?

意外にも、変わる。

2011年11月 9日

自己主張がラクにできる本

石原加受子
サンマーク文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

自己主張をしたいとは思っていない。
にも関わらず本書を購入したのは、石原先生の話をもっと読みたかったから。

この本も「自分中心」という考え方を軸に、人と接するときの心理と(意図せず伝わってしまう)表現について書かれている。


自分が考えていることは、自分で思っている以上に「事実が」伝わってしまう。
それは言葉によって伝わる情報ではなく、言葉以外のことによって伝わってしまう感情のこと。

何かを相手に伝えないといけないとき、それが気心しれた人ならばとくに問題はない。
相手が、嫌いな人や苦手な人だったりしたどうなるか。

伝える情報が事務作業的なことだけならば、なんとかなるかもしれない。
が、「不愉快さ」とか「依頼」とか、感情に関係するものだったらどうするか。
こういうことがテーマである。


社会の中で生きている人ならば、必ずしも自分の好きな人に囲まれて生きているわけではない。
嫌な人もいる。
むしろ多かったりする。
それが上司だったり、部下だったり、あるいは同僚だったり、お客さんだったりといろいろあるだろう。
そんなときに、どうするか。

どんなに感情を押し殺していても、結局相手には伝わってしまう。
どんなに我慢してもそれは消えないで自分に積み重なってしまう。

この2点をベースに考えるのならば、自分の感情は否定せず、相手に「伝える」必要がある。

必要以上の怒り、必要以上の恐怖は、相手の反応を先回りして予測してしまう。
それで、その結果について自分の心理的な反応をあたかも現実のこととして受け止めてしまう。

相手の反応は「予測」であるのに、その反応に感情が「現実に」湧いてしまう。
これがそもそもの間違いの原因なのである。


相手の感情を先回りしてこちらの出方を決める必要はない。
淡々と、正確に、礼儀をもって、自分の不愉快さなり、不満さなりを伝える。
これが大切なのだ。

もちろん、それで話は丸くおさまることはない。
結果的に話がこじれることもあるだろう。
それでも、自分に負の感情が蓄積しない、ということが大切。


なるほど、ふむふむと読み進める。
なるほど、全ては自分を守ること、なんとか生き残ること、自分の感情を正確に表現することなのか。

こういうことは、子供の頃からの教育に取り上げて欲しい。
小学校でも中学校でもいい。
変に道徳なんか教えるよりも、ずっといい。

多く人が幸せに生きるには、ネガティブな感情に潰されないことだ。
石原先生は、うまい対処方法を教えてくれる。

2011年11月 8日

日本の問題

ピオ・デミリア
幻冬舎
お勧め指数 □□□■■ (3)

震災発生から時間を追って、現場で取材をしようと試みるイタリア人記者のメモをまとめた現場レポート。
伝えたいことは「現場の惨状」とか「放射能の恐怖」とかではない。
現場に行く、ということが実に難しく、いろんなところに協力者がいないと難しい、ということだろう。

必ずしも「きれい」なまとめ方をされていない。
小説ではないので物語があるわけではなく、印象的なイベントをポツポツと紡いでいる感がある。
が、それが実際の取材というものの実情なのかもしれない。

落ち着け、安全だと一般の人には放送しているわりに自分の家族は西へ逃がし、自らは原発から50キロなんて領域よにも入らなかった、また入ろうともしなかった日本の記者たちと、ピオさんは全く違うマインドを持っている。
いかにして近づくか、いかにして伝えるか。
そのための工夫を凝らしている。

何が起きたのかよくわからないからできるわざ、のようにも感じるが、それでも(日本のマスコミを含めない)ジャーナリストって、すごいものだなぁと感じる。

2011年11月 7日

ためらいのリアル医療倫理

岩田健太郎
技術評論社
お勧め指数 □□□□■ (4)

著者である岩田健太郎さんは、大の内田樹さんファンである。
この本を読めば、冒頭の一行でそれがわかる。
いや、タイトルだけでもそれが察知されるべきだろう。

内田樹さんのファンではあるが、岩田健太郎さん自身が立派な先生である。
感染症の医師として活躍されている。
日本を代表する、といってもいいのかもしれない(いや、ぼくは素人なので全くわからないが)。

そういう人がどういう本を書いたのか。
これまでの著作とテーマとしてなにが違うのか。

主張されていることは、簡単にいえば、物事に威張って白黒つけるなよ、ということだ。

あれはAです、これはBです。
あるいはこれは良いが、あれは悪い。

はっきりと区分けをすること、もっといえば、白かでなければ黒かという判断を物事に下すことについて、もっと「ためらった」ほうがいいんじゃないですか、という提案である。

物事には白か黒かで分けることができないことが多い。

一般論では皆さん理解されるだろう。
その論の対象が具体的に設定されていないのならば、それに誰も異論は持たない。

しかし一度具体的な問題が起きると、誰が悪い、何が間違っているという話が持ち上がる。
グレーゾーンはすでに犯罪だろう、みたいなトーンの報道がなされる。

発生した問題が白か黒かに分類されることを誰もが心理的に要求し、それがなされるまでは「曖昧に処理された」という気分になれない。


それは病院の中でも、医療行為のなかでも同じであるようだ。

しかし、医療で白か黒かにきれいに別れることなどないようだ。
どっちかに区別することだけで済む話なんて、どの分野でもないのかもしれない。

仮にそうするならば、もっと後ろめたさを持って、つまり「本当は断定できないよなぁ、わからないよなぁ」ということを自覚した上で判断するべきだ。

そういう主張である。


医療関係者ではないぼくには、まぁそうなんだろう、と頷くよりない。
とはいえ、著者が主張されていることは、テレビドラマや小説、あるいはドキュメンタリーの延長線上の想像の上で判断するよりない。

幸いなことに医療にお世話になるのは「歯医者」くらいである。
この場合は虫歯だから削る、程度の判断しかないだろう。
そして、どうしたらいいのか、なんて状況にはあったことがない。
だから、実感をもってそう岩田さんの主張に頷けるわけではない。


人がやること、もっといえば、なんかよくわからないことに対しての態度というものは、似たようなものがあるのだろう。
だから、著者の気分はわかる。
そして、その判断を「もっともなことだ」として頷くこともできる。

というか、著者が内田樹さんファンということで、信用できてしまう。

2011年11月 6日

「つい悩んでしまう」がなくなるコツ

石原加受子
すばる舎
お勧め指数 □□□□■ (4)

悩みの大半は、というかほとんどは、対人関係である。

どうやって、他人との間合いを測ればいいのか。
どうやったら、嫌な思いをしないですむのか。
これを、自分中心という考え方で解説しようという本である。

石原先生の本を読むのも3冊目であり、その言わんとしていることが予想できるようになった。
そして、自分を中心して考える、という言葉の意味もだいぶ分かるようになってきた。

社会で忌避される「自己中心」という考え方とどう違うのか。
そのあたりに注目しながら読めば、生きることがラクなる。

この本も悩めるOL向けに書かれたのだろう、悩みの例や挿絵などからそう判断できる。
挿絵はとても心情から可愛い感じがするので、おじさんが読んでも楽しい気分になれる。
そして、若いOLさんも40過ぎのおっさんも、同じ問題に悩み、同じように心理的に辛い時間を持つことがあるのだとわかる。

じゃぁ、どうすればいいのか。

簡単な話なのだ。
自分は「どう感じているのか」について、細部にわたり認識することから始める。
それが好きなのか、嫌いなのか、いやなのか、気持ち悪いのか、気味悪いのか、可愛いのか、それてもなんとも思わないのか。

リアルな感覚を自覚し、それを言葉にできるくらいになれば、それを表現できるようになる。
そして、適切に(脚色なく)表現できれば、それをその原因である人に向けて伝えることができるだろう。

伝えたからどうなる、ということはないかもしれない。
しかし、伝えたことによって、自分の心に湧き上がった感情は「消化」されてしまう。

自分中心とは、自分の感じている感覚を「第一に」にすることである。
社会生活のなかでは、自分の希望通りになることはない。
しかし、自分の感じたことを「適切に』表現して伝えることは可能である。

つい悩んでしまうことは、誰かとの関係にある。
それならこの本にある「適切に感じて、適切に表現する」ことで、ほぼ解決する。

とはいえ、病気だとか、金欠だとは、自分中心で行動してもどうにもならない。
ただし、貧乏だから恥ずかしいという「誰かとの関わりあい」に関することは、この本の方法で消化できるだろう。


三省堂で平積みになっていた石原先生の3冊を読んだ。
実に実に参考になった。
ぼくの人生、これから違う形になるような気がする。
もっと早く、すくなくとも5年早く出会っていたかった。

2011年11月 5日

離れたくとも離れられない人との距離の取り方

石原加受子
すばる舎
お勧め指数 □□□□□ (5)

ぼくはいわゆるサラリーマン的な仕事をしていないので、上司も部下も顧客もいない生活を送っている。
いやな人間現関係に悩まされることは、サラリーマンの人よりぐっと少ないはずである。

それにもかかわらず、付き合いのある僅かな人にも「イヤ」な感情を持つことがある。
上下左右、嫌な人に囲まれているわけではないにもかかわらず、それでも毎日嫌な気分になっていた。

「しつこい怒り」が消えてなくなる本(http://www.significa.jp/scienza/books/2011/11/post_882.html)を読んで、石原先生の著作を幾つか読んでみようと思った。
この本も、『しつこい』と同様、どちらかといえば「悩めるOL」向けの本として企画されている。
例題となるシチュエーションも挿絵も、そういう人向けになっている。
テレビドラマでしか知らないが、OLってのもしちめんどくさそうな世界である。

この本では、嫌な人との距離の取り方を扱っている。
どんな世界でもどんなに少数グループでも、3人以上いれば「嫌な人」は存在するものである(経験上)。

そんときにぼくがとっていた方法は、「挨拶だけして離れている」というものだった。
確かに関わらければ、あるいは自分の視界に嫌な人が入らなければ、それでなんとかなる。

なんとかなる、とは思うが、それは「場所による」はずである。
日々接触することが仕事上ある場合、どうにもならない。

益田ミリのスーちゃん(http://www.significa.jp/scienza/books/2011/01/post_786.html)を思い出した。

嫌な部下いるのだが、その部下は上司の親戚だ、というようなシチュエーションである。
極力我慢して、我慢して、結局仕事をやめてしまう、という結末だった。

サラリーマンようにローンを抱えてながら妻子を養う人とは違って、独身のカフェの店長をやっている女性の悩みの解決方法が転職する、ということだったのにおおいに違和感を持った。

我慢をこの先続けていると、いずれ病気になるか、精神に破綻をきたすかになることは見えてた。
しかし、転職という方法しか残されていなかったのだろうか。

その漫画は女性に人気があったので、世の中の悩めるOLへの影響力を発揮していたはずだ。
影響力をもった漫画が、嫌な人との使い方の結論が「転職」。
それは無いんじゃないかと思った。

が、ぼくは代替案を提示できないでいた。


この本を読んで、今なら一つの解決方法を提示できる。
それは、嫌なやつへ「まともに反抗する」ということである。

その発言、その行動、その態度、嫌なものは「嫌である、やめろ」とはっきりと提示するのだ。
もちろんこれは、いざこざを発生させ、喧嘩になることもある。
しかし、我慢できないことは「我慢出来ない」とはっきりと提示する必要があるんだよ。

もちろん、それで「上司が怒って私を首にした」というのならば、それはそれで仕方がない。
どのみち転職するのだったから。
しかし、我慢している場合、わだかまりが「一生」ついてまわる。
かりに転職しても、思い出し怒りにはずっと悩まされることになる。

高倉健のように、我慢して我慢して我慢して最後に切れる、というのは「よくない」。
我慢などこれっぽっちもせず、「それ不愉快だからやめてね」と怒りの蓄積レベルが低いうちに提示することだ。


では実際に自分の身に起きたらどう対応するのか。
それはわからない。

しかし、今は、まず自分を守る、が鉄則だから、ぼくはそのように振る舞うつもりだ。
我慢なんか、しない。

OLの皆さんも、これまでとは別の対応方法があるということを知ったら違うのではないだろうか。

いい本だ。
石原先生、ありがとう。

2011年11月 4日

「しつこい怒り」が消えてなくなる本

石原加受子
すばる舎
お勧め指数 □□□□□ (5)

これでまで読んだなかで、もっとも「あぁ、そうか」と膝を打った本。
と同時に、表題の通り「しつこい怒り」を消すことができた本。
というか、たぶん、この本以前と以後とで、日々の生活がだいぶ違うものになった本。

一言、あぁ、やっと会えたか。
感慨深い気分になった。

思い出し怒りが強いぼくは、日々の生活のほとんどの時間を「イライラ」として過ごしてきた。
悔しい気分、腹立たしい気分で過ごしていた。

これまでいろんな本を読んで、この性格を変えようと努力してきたが、なんかうまくいかなかった。
考えないようするとか、前向きに考えるとか、そういう「うまくやれるのかやれないのか」わからない方法を自分なりにとってきた。

が、結局、イライラとする生活に沈むことになってしまっていた。

実にジメジメとした、いやな性格だよなぁ。
自分の性格に由来すると思っていた「思い出し怒り」。
これは、自分以外の人もっていたようだ。
それは性格に起因するというようなものではなく、ある種のクセだと知った。

そういう風に考えしまう最大の原因は、嫌なめに合っていることを「ぐっと我慢してしまう」ことにあるそうだ。
一時的な我慢は、時間が経てば消えると思っていた。
が、それは完全に間違いだ、ということだ。

一度思い出し怒りにとらわれると、何もすることがない時間はずっとその怒りに耐える必要があった。
それって、何をしていていも頭か離れない。
ずっと怒りの渦中にいることになっていた。

この忘れっぽくない性格、どうすればいいもんかなぁ、と思っていた。
これで、人生の相当の割合を「捨てていた」ということになる。

でも、今は違う。
本当に、違う。

自分を守るのは自分だけだ。
単純なことだが、自分を守るように考え行動しないと、自分の「無意識」の部分が潰れてしまう。
怒りの原因となったことを直接消せるかどうかはわからないが、そのための努力はしよう。

つまり、我慢しないで、「反論せよ」ということだ。
反論することによって、自分を守るための「行動」をせよと。

なんにせよ、自分の怒りをしっかりと「怒っている」と認め、そのあきらかな原因を特定し、
その原因にたいして「抗議」せよと。
皮肉などという回り道ではなく、ダイレクトに勘違いなく反論し攻撃せよと。

なんと、それいらい、今まで思い出し怒りをしてイライラしていた時間は、ほぼゼロになった。

ありがとう。
石原先生。

2011年11月 3日

有事対応コミュニケーション力

鷲田清一+内田樹+上杉隆+岩田健太郎+藏本一也
生きる技術!叢書
お勧め指数 □□□□■ (4)

岩田健太郎さんが震災のチャリティー活動して行った講演会の内容を文字に起こした本。
補足として、内田樹さんのブログが掲載されている。
震災後数ヶ月たっての講演なので状況が落ち着きはじめた頃であり、震災直後の状況もチラホラと報道されはじめたという状況で講演会である。

内田さんの「疎開のすすめ」について、どういう意図でブログについて、その後どういう反応があったのか。
いろいろことが言われている。
「影響力がある人がそういうことを書くな」という脅し?のようなものも結構あったらしい。
その内容を読む限りにおいて、ふつうのことを言っているだけで、決して煽った内容には無いっていないのだが。

疎開のすすめ:http://blog.tatsuru.com/2011/03/16_1119.php

ただし、その数日前から同じような警告を内田さん発しており、ぼくも相当動揺し、都心から離れた。
臨界が1台で起きれば、構造が同じで並んでいる原子炉でも起きるだろうと用意に想像できたから。
やれる選択肢を選択できるのならば、逃げない手はないと思ったから。
その意味で、当時の状況をよく憶えている。

この段階では、上杉隆さんが教えてくれたような、マスコミの大本営化については知り得なかった。
マスコミの記者たちは自分の家族を関西に逃したうえで「安全だ」と言っていたとか、誰も規制区域に入らないで取材したような顔をしていたとか。
上杉隆さんのはたった数十分の話ではあるが、東電以上にマスコミというものが信用できないことがよくわかる。

上杉さんの著者は売れているが、本を読む人と読まない人との溝は深く、テレビしか見ない人には伝わらない。
だから、依然として多くの人が震災直後・震災後のマスコミのやったことについて知らない。
今後もテレビでは流れることがない。
内田さんのような、影響力がある人との本でバインドされて、世間に流れて、本とは馴染みがない人にも知られていくことを期待するよりない。

そういうこととは別に、発起人の岩田健太郎さんについての活躍が目覚しいと感慨を持った。
現実的なスキルを十二分にもつ感染症の医師なのだが、大の内田樹ファンのようで、岩田健太郎の活動(とくに著作)をトラックしていくと内田さんの影響を見てとれる。
また、講演会などにもゲストスピーカーとして読んでいるので、内田さんのコンテンツを見ることができる。
ぼくとほぼ同世代だと思うだけど、実に立派な人だなぁと感心するし、今後も活躍を楽しみにしている。

さらに、技術評論社がこういう叢書を刊行するのはすごいなと思ったが、結構内田さんや関係のある人の著者くが出版されており、僕としては「全部揃えるか」という気分になっている。

2011年11月 2日

現代語訳 徒然草

吉田兼好(佐藤春夫訳)
河出文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

古文の教科書には必ずのっている「名作」の現代語訳。
高校時代から大学入試まで、徒然草をそれなりに目にする機会があった。
「ほんと、今とかわらないよね」と高校生ですらため息を付いた。
この頃に感心し、今での時折思い出す警句(あすおもわんひとは、とか)もある。
少なくない人がそういう経験もっているはずだ。
人生論的なこと、とくに仏教を背景して語られるようなものは、兼好がだいたい言っていると思う。

じゃぁ、もう一度読んでみよう、現代語ならすらすら読めるだろうし。
そんな気分で読み始めてみたが、その内容の80%は「あまり面白くない」と知った。
人生論とは関係ない、世間話じゃん。

兼好はそもそも「本を書こう」とは思っておらず、気の向くままににつれづれ書いただけだ。
だから、細かいこと、しょうもないこと、愚痴かいな、というものが混じっていて当然だ。
しかしその量は意外に多く、内容も現代に生きるぼくには「ピン」と来ない。
古文で取り上げられていたのはベストだった、ということのようだ。

新しい発見もある。
兼好さんは仏教の思想がベースにあるのだと思っていたが、意外に四書五経からも物事を判じている。
儒教的に世界を見ることもあったのか、へぇ。
儒教は江戸期になってから取り込まれたのかと勘違いしていた。

2011年11月 1日

期間限定の思想「おじさん」的思考2

内田樹
角川文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

ここにきて文庫本化されたようで、手に取るまで楽しみにしていた。
「おじさん」的思考1はブログのコンピレーションだった。
この本は半分くらいが地方雑誌?に掲載されていたもののようだ。
女子学生が教授と対話することで「おもしろく」哲学的なことを語っているのを読むというもの。
内容は内田樹のブログのようなもので、記事のネタがそもそもブログに記載したもののような感じがする。
でも、面白いし、唸りながら、線を引きながら電車で読んでしまった。

なぜ、運動部では先輩が後輩をしごくのか。
(シゴキに耐えた先輩は尊敬すべき存在だということを、後輩に知らしめるため)

なぜ、一流企業の女子職員は可愛いのか。
(早く社内結婚させて、社員をローン付にし、上司が部下をコントロールできるようにするため)

それが正解なのか不正か、一律に言えるものではないだろうが、多分に上記のような要素は含まれている。
人ってのは「俺は偉いのだ、俺より偉いのは必要ないのだ」ということを無意識に求め行動しているようなものらしい。

誰も語ってはくれないこういう話を読むのがぼくは好きなので、昼ごはんに出かけるときもポケットに忍ばせて、配膳されるまで読んでいた。