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2012年3月24日

腹を割って話した

藤村忠寿+嬉野雅道
イースト・プレス
お勧め指数 □□□□■ (4)

八重洲ブックセンターの4Fの配架が変わった。
この書店はここ数年で「改悪」著しいのだけど、この方法のほうが売れるのならば仕方がない。
この階の変更は、売れ筋の本を全面に出すというより、文庫本を拡充させたのだろうか。
以前よりも岩波や筑摩が増えているし、新書も拡充しているようだ。
とはいえ、平積みや表紙を見せての陳列が目立ち、必ずしも在庫を増やしたのかどうかはわからない。
そんなフロアの配架を確認しながら見ていたら、フロアの端っこにワゴンがあり、「どうでしょう」コーナーが設置されていた。
へぇ、と思って何冊か手に取り、この本が一番おもしろそうだったので買ってみた。

この本では最新作の内容にも言及されている。
そもそも出版されたばかりの本だ。
内容は「どうでしょう」についてを温泉でも行って気楽に話してみたことが対談としてまとめられているようだ。
どうでしょう軍団はどういう感覚で「どうでしょう」を撮っていたのかが語られている。
ちらっと立ち読みしただけで、へぇと思うことが多かった。
とくだんマニアでもないぼくですら、語られるエピソードについてすべて覚えているのには自分でも驚いたけど、だからこそ楽しく一気に読んでしまえたのかもしれない。

藤村Dと嬉野Dの実際の作業について触れられている。
とくに嬉野Dが何をやっていたのか、番組内では今ひとつはっきりしないから、この本を読んで初めて知った感じだ。
誰もが思うだろう、ビデオで撮影していただけなかなぁと。
ぼくも深くは考えていなかったのだが、そう思っていた。
が、実際はそうではなかったのだ。
周りからも嬉野Dの存在については目立った評価がされないから、立場上嬉野Dは結構いやだっただろうな。
共同制作をしてそれが成功したとき目立ったない場所にいる人は「たいしたことしていない」と評価されるのは仕方がないことなんだけど、それでも何ともいえない悔しさを感じるものだ。
そのあたりについて、嬉野Dの考え方と世間の評価?の「かわし方」を知ることができた。

全体を通して、ぼくは嬉野Dの考え方に共感を持ったし、考えさせられた。
「自分をやってってことはさぁ、たぶん一生やってられるんだよ」
うん、そうだと思う。

二人の活動の目的は、売れる番組でも知名度を上げることでも昇進することでも作品を残すことでもないようだ。
「温泉に入って、気持ちいいなぁ」と思える仕事をすることだ。
これは生きる上での価値、目標、動機である。
何があろうとも、仕事をする上ですら、「温泉」と同じ気分を味わえるほうへ進んでいく。
仕事をするとか生きるとかを分けないで、「温泉」がありそうな方向へ動いてく、いや、行ってしまう。

二人が共通認識として持っていた「温泉」という価値観が、「どうでしょう」全体にあふれている。
なるほど、だから見ている楽しいのか、と納得いった。
だからだろう、もう10年も毎週どこかの放送局で流している「どうでしょう」を今でも見続けている。
震災後に一番最初に見ることができる(心理的にだけど)と思ったのも「どうでしょう」だった。
「どうでしょう」が、東京や大阪のキー局でつくられているお笑い番組とは全くちがって、何度でも見れることができる番組である理由は、作り手のもつ価値観が背景にあるからなのか。
なるほどね。

ローカル局という環境で「温泉」を掘り当てるには何をすればいいか。
いかなる分野でも遭遇する問題だと思う。
そして一般的には「資源がないにもかかわらず、大手と似たようなことをしてしまう」という行動をとる人が多く、そして失敗するわけだ。

そうではないのだな。

読んでよかった。
やっぱり「自分がいいなぁ」と思うものの作り手の発言からは多くを学べる。

2012年3月23日

内部被曝

肥後舜太郞
扶桑社新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

内部被曝というものがICRPではあまり考慮されていないのではないと言われている。

どうしてなんだろうか、ということについての答えは、原爆の取り扱いにあるようだ。
現行の広島・長崎の被爆者研究から数値は決まっているのだけど、その被爆者は初期放射線の影響調査を主体にしていて、放射性降下物による影響については、考慮されていないという問題があるらしい。

どうしてそんなことになるのか。
それは、原爆を非人道破壊兵器として「認められないようにする」ための米軍の方針に原因があったということだ。
つまり、内部被曝のような、広範囲で何年もの期間にわたって人が死んでいくことが原爆の効果にあるとなったら、それは毒ガスと同じ扱いになってしまって、「使えない兵器」になるから。
それだと米軍は困る。
だから、放射性降下物の内部被曝に関係するような健康被害は「全くない」ということになったそうだ。

だから、内部被曝については、現在までに研究が足りてない。
被曝量が少ないと、DNAを破壊するということに由来するのではない原因で健康被害を受ける可能性がある。
その可能性は少ないと主張されているが、それは「何の問題もない」ということはない。

何が真実なのか、それをぼくは知りようがない。
が、怪しいとわかっているのらばそれを知りたい。

もうちょっといろいろ調べてみたい。

2012年3月20日

今を生きる親鸞

安富歩
樹心社
お勧め指数 □□□□□ (5)

絶対他力について、こんなわかりやすいたとえ話を読んだのは初めてだ。
以下、はじめにから引用する。
この本での議論は、この部分がすべてだと言っていい。

以下、引用する。

-----
私が「他力」というものと出会ったのは、中国の黄土高原というところでした。
ここから親鸞へと向かう一本道を辿る旅が始まりました。

この大層な田舎では、何か事前に目的を決めて計画を立てて実行しようとする
と、恐ろしいくらい、次から次へと困難がふりかかり、ひどい目にあいます。
たとえば誰かに会いたいと思って、車でどこかへ移動しようとしても、車が見
つからない。車が見つかっても車がなかなか来ない。車が来ても、今度は車が
壊れる。車が壊れなくても、運転手のやる気がないなくて止まる。運転手のや
る気があっても大渋滞で進まない、等々。
こういうことが連続技で襲いかかってきます。私が参加した深尾葉子氏の率い
る調査グループは、過去にこのような経験を数限りなくしていました。

それでというとうとう諦めて、目的も計画もなく、ただブラブラしていると、
人が面白がって寄ってきます。そこでおしゃべりしていると、その人が偶然、
私たちの会いたい人の知り合いだったりします。それで「その人に会いたいの
だ」と言うと、じゃぁ今すぐ行こうということになります。だけど車がない、
と思っていると、その人の知り合いがたまたま車で通りかかる。その人が止め
る。運転手と話す。するとたまたま、その方向に行くところだった。じゃぁ乗
せてくれ、と言って乗ると、道も混まずに辿りつく。着いたら合うべき人は、
客と会うために家にいたのだけど、その客が急に来られなくなったので、暇を
持て余していた。「丁度良いところに来た」ということで、忙しいはずの人と
たっぷりと話すことができる、等々。

そういう経験をしているうちに、「流れに逆らってはいけない」ということを
嫌でも覚え、深尾氏はこういうやり方を「波乗り方式」と呼んでいました。流
れに乗って波乗りをしていると、思いかけない、面白いことに次々と出逢うか
らです。この調査に参加して同じ経験をした私は、「目的」や「計画」や「責
任」といったものは、波乗りを邪魔するものだ、と考えるようになりました。
そこでそれを、

「無目的・無計画・無責任」でなければ、目的を責任を持って計画通りにすす
めることはできない。

と表現することにしました。逆に、

目的を計画通りに責任をもって実現しようとすると、目的を計画通りに責任を
もって実現した」ことにするために、巨大な「やっているフリ」をすることに
なる

とも考えています。
----

2012年3月19日

官邸から見た原発事故の真実

田坂広志
光文社新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

原発災害の最初の状況や対応について、菅首相の動きの裏にあった「良識部分」が見えた。

原発事故の情報がないなか、どんな人がどんな判断をしていたのか、あるいは、政治家が原発事故について何かを決める判断の根拠は何だったのか。
そのあたりに興味があったのだけど、マスコミ情報がソースではなんだかさっぱりわからなかった。
そのわからなさが、ぼく個人の官邸に対する不信の原因でもあった。

が、これを読んでみて、なるほど田坂さんのような人が、後ろでいろいろ作業したのだと知って、少し安心した。

これまで田坂さんの本は結構読んだと思う(最近のはチェックしていないが)。
「もうけてやろう、優秀な人が愚劣な大衆を相手にもうけるのはいいことだ」的な、ごく普通のビジネス本とは「全く違うタイプ」の、ある種の理想を詩で語っていたような不思議なビジネス本だった。
おそらく田坂さんは、そういう正攻法で人生をやってこれた、非常に珍しいビジネスパーソンなんだろうなぁと漠然と思っていた。
が、そのバックグラウンドは原発関係の研究者だった、とは知らなかった。


事故発生後の福島県民の被爆について、とくに低線量被爆についての政府の対応は今でも「まずいなぁ」と思っているが、東電や保安員たちの情報ブロックの元では、あのような対応になるのは仕方ないかもしれない。

また、田坂さんは、当初から4号機の使用済み燃料への注意、あるいは原発事故は化学プラント事故とは本質的に異なる事件なんだと首相に認識させることには成功していた。
ならば、保安員や安全委員などが首相の近くにいるよりも、日本にとっては「とりあえず生き残る」ためには田坂さんがついてくれてよかったなと感じた。

いわゆる反原発の人のアジテーション的な叫びでもって世間の人に原発の怖さを伝えるのも方法ではある。
が、田坂さんがこの本で示した手順による説明のほうが、多くの人には話を頭に入れやすい方法だろう。

もっとこの本について多くの人が語ってほしいし、読んでほしいと思う。

2012年3月16日

さよなら、もんじゅ君

もんじゅ君
河出書房新社
お勧め指数 □□□□□ (5)

もんじゅ君って、なにもんなんだろう。
そういう感じの解説が読めます。

著者自身のことを語っているだけあって(?)、高速増殖炉について、原理的なこと、存在自体が危険であることを説明してくれます。
表紙の絵は子供のように思えますが、絵本とは違います。
中学生くらいからなら十分理解できると思います。
できれば、全国の中学校の文庫に寄贈したいです(そういう活動があたら、ぼくも何冊分か寄付します)。

以前読んだ、高速増殖炉の怖さをまた思い出しました。
もんじゅを推進した人たちは、現実とSFの違いがわかないか、ある種の自滅願望があるか、日本を消そうした外国の意向をくんだ人なのでしょう。
普通に生活する人なら普通に質問するような、「あの、一次側の配管が壊れたどうなりますか?」というようなことも怖くて考えられないでしょう。

もんじゅはやばい。
誰だって読めばわかるだろう。
どうして読まないんだろうか?

そういう疑問をいま持っています。

こういう本って実はあまり売れない、あるいは売れても数万部というところでしょう。
つまり、人口比で考えたら、テレビで盛んに放送でもしないかぎり「国民が知るところとなる」ということにはならないわけです。
それに、原発銀座圏内にある書店では「扱っていない」という話もあるようです。

もんじゅ君、死んでくれ、と思うのはこの本を読んだ人の願い。
かわいいキャラクターだけど、「ですだよ」という語尾も好きだけど、でも消えてくれ。

2012年3月15日

おしえて、もんじゅ君

もんじゅ君
平凡社
お勧め指数 □□□□□ (5)

なめた感じの本だなぁ、と思っていたが、まぁ読んでみた。

原子力を使った発電について、その辺のニュース解説よりも遙かに知見を得られるすばらしいまとめ本だった。
なんだよ、こんな本があったんかよ。

どういう方が書かれているのかわからないが(いや、著者は高速増殖炉か)、わかっている人が書いているな、ということはよくわかった。
そういう人って、テレビの解説を見ててもほとんど出てこない。
つまりはテレビをどんなにみてても、この本を一冊読むので得られる理解には、多分達することができないだろう。
そういう本だった。

奥さんに是非本でもらおうと勧めているが、逆にそれがよくないのか、読まれないままになっている。
とくにいい本は人に勧めたい。
だけど、熱心に勧めるほど温度差がでてしまって、読まれないということがよくあるもの。
こういうとこは、さらっと、しかも謎めいた説明をするのがいいんだろうけど、なかなか。

2012年3月14日

放射性廃棄物の憂鬱




楠戸伊緒里

祥伝社新書

お勧め指数 □□□■■ (3)


放射性廃棄物の最終処理の研究を原子力開発機構でされていた人の論考である。
といっても、日々の生活やおもしろかった体験を語っているのではなく、廃棄物処理とはどういうものかを一般人に語るというもの。
地層処理のための技術やそれにまつわる疑問や不安について。

「オンカロ」については、なんどかNHKで放送されたこともあるので知っている人もいるだろう。
地中深くに高濃度の放射性廃棄物を「おいて」、蓋しちゃうという単純なこと。
だが、それがえらく難しい。

そんな処理方法をフレート境界上に位置する日本でやるってのはそもそも無謀なことなんじゃないか。
そう素人ながら考えていたが、それをするための技術って、あるようでないようで、なんかあまり気が晴れない説明がこの本にあった。

311前には廃棄物処理の研究って日の当たらない仕事のようだったようだし、その後も会社的に理解されるような仕事ではなかったようだ。
楠戸さんは仕事場を変えているくらいだから。

高濃度の放射性廃棄物は日々相当量が福島第一で出現している。
使用済み燃料ではなく、循環冷却水のフィルタや水。
原子炉そのものもそうだし。

廃棄物処理は年金同様「先のこと」として対応していられなくなった。
突然目の前に大量に現れた。

どうするのだろう。
それを考えることを仕事としていた人が、投げちゃうようなことなんだろうから。

高齢化が進む日本に、54の原子炉廃棄なんて、できるとはどうも思えないのだ。
前人未踏のことばかりをじいさんたちがやれるとはあまり思えない。

2012年3月 2日

ヤクザと原発

鈴木智彦
文藝春秋
お勧め指数 □□□□■ (4)

タイトルだけから判断すると、原発作業者の仲介にヤクザが絡んでいる、という告発記事を想像する。
週刊誌ネタとしては、まぁ、そうだろうと思うし、実際そういう取材番組もNHKで見たことがある。
知りたくないことであっても、知らないといけないよなぁ。
そんな気分で読んでみた。

ところが予想をちょっと裏切るような内容だった。
ある意味、より根深いことで、より深刻な状況なんだと理解した。
ヤクザというのは、一過性の役回りで街に絡んでいる者ではなく、原発業界食い込んでいる、と言うより、その事業の土台の所でヤクザは一定の役割を果たしている、ということのようだ。

原発が立地しているところは、そもそも寒村だった所で、何も仕事がない場所だった。
そういうところに、技術や努力がさほど必要ない労働が大量に必要になる仕事が降ってくる。
必要な労働力のほとんどは労働者であり、箱もモノなどは普通の土建屋できるようなものばかりだ。
こういうところに大量のお金が降ってきたら、そりゃほとんどがヤクザ基盤に吸収される。
ヤクザといっても、麻薬を密売するようなタスクではなく、単純労働の元締めとしての存在である。

原発立地地域でのお祭りに顔を出せばすぐにわかる。
箱物として作った公民館での演歌歌手のショーは誰が読んでいるのか、調べればすぐにわかる。
原発立地の社会では、そういう組織を必要としているので、ヤクザも長く存命できているというわけだ。
もはや、良い悪い、という関係にはない。
彼らは、日々の生活を続けていくうえで必要されている存在なのだ。

人間社会を、感情抜きで見ていけば、機能として必要であり、解として安定した方法なんだとわかる。
なるほどなぁ、と深く感心する。

こう考えると、被害者というポジションを話さない原発立地の人たちへの見方が変わってくる。
まずは原発事業の恩恵を受けないのに甚大な被害を受けている場所への手当が先だ。
事業を受けてきた土地は、一番後でいいだろう。

2012年3月 1日

検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか

日隅一雄+木野龍逸

お勧め指数 □□□■■ (3)

東電が何を隠したか、というと壮大な意図のもとに何かを伏せるような印象を受けてしまう。
が、そんな知的な意図は彼らにはない。
「問題があるから言わないですまそう」。
これまでの(そして今でも)そんな行為の集大成のように思えた。

都合の悪いことは言わない。
言わなければ、なかったことになる。
人の命よりも我が社(東電ね)のメンツ。

彼らの行為は、じっくりと何十年にもわたって考え続けられた上でのものではない。
単に儲かるからで進めてきた原発事業でしかない。
なので、何かを語らせるときには「安全です」しか言葉がでてこない。

現実には安全ではないのが明らかになると、もう言葉がない。
だから、小学生のような適当なことしか言えない。

不思議なことで、そんな人達でもずっとやっている「それっぽく」見えてくる。
が、彼らは実質なにも変わっていない。

この本での内容が明らかになっているのに、未だに大本営発表を流すマスコミ。
もはや構造的な欠陥があって、それはもうどうしようもない。

死にたくなかったら、どこにまともな情報があるのか、に注意していかねればならない。
改めて、よく反省した。