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2010年4月18日

聖母マリア崇拝の謎

山形孝夫
河出ブックス
お勧め指数 □□□■■ (3)

 ヨーロッパの街中を歩いていると聖母マリア像やら祠やらに出くわす。狭い路地の角にあったり、通り沿いの家の壁に付いていたりする。それらの像は幼子を抱いているものが多いが、なかにはマリア像だけのもものある。
それらを見ていと、この人たちは一体何教なんだろうかと疑問に思ってしまう。

 考えてみれば、大抵のイコンはマリアさんである。幼子を抱いていても、イコン上での大きさはマリアさんのほうが大きく描かれており、幼子はそのアトリビュートでしかない。おそらく、実際のところも聖母に人気があるのだろう。

 聖母を崇める習慣は、たぶんキリスト教のオリジナルにはない。だって、キリスト教というくらいなのだから。それでも、実際のところは「聖母」の方にお願いする人が多い。なぜなんだろう。

 そのあたりを教えてくれる本はなかなかないもので、これまで山本七平さんや遠藤周作さんや秦剛平さんの本を読んでみたが、もうひとつはっきりしない。あまり触れられてなかった。きっと、大した問題ではない、ということなのかもしれない。

 そんな知識量でこの本を読んで見たところ、かなりマリア問題が見えるようになってきた。なるほど、昔からそういうことが議論されてきたのだ。現在はアタナシウス派の見解が首領だが、アリウス派とかネストリウス派といった「論理的に考えれば、そうだろう」という主張は過去に異端として葬られているのだ。

 アタナシウス派だから、キリストを崇めてもゴッドを崇めても「同じ事」なんだけど、それでもマリアを崇めても「同じ事」という見解にはまだ達していないはずである。マリアを信仰している人は、大きな意味ではキリスト教ではないのかもしれない。結局のところ、信じているのは「母」のようなものである。

 母親をもっとも身近な守り神と見なすのは、人類としてはしごく全うなことである。マリアさんを崇める気持ちは、なんてことはない母親を求めている気持ちと同じだから、あえて宗教という言葉を使う必要もない感情からきている行動なのだろう。

 幼子を抱えるマリア像の原形のようなものが、古代エジプトの神であったイシスにもみられる。これが「マリア信仰の原点だ」ということではないく、世界中どこにでも当たり前なものなのかもしれない。

 そんなことを読みながら考えた。となると、今度ヨーロッパを旅したときマリア像の前にいったらしげしげと眺めてみたい。キリスト教の習慣に対する奇異の目ではなく、なんだかどこも同じだねという気分で。 

2010年3月23日

美術で読み解く 旧約聖書の真実

秦剛平
ちくま学芸文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

 『新約編』を読んだが、もうひとつの感があったこともあり、この本は読まないできた。ところがamazonでぶらぶらしていたとき、購入履歴から計算される「お勧め」にこの本が混じる頻度があがり、なにかと目に付くようになった。まだ読んでいない本は沢山あるのだが、秦剛平先生の本が読みたいなぁという気分になったこともあり、高価な文庫本だけど購入してしまった。適切な広告をちらちら(目立たないように)出すことは、かなり効果がある、と実感した。アマゾンの勝ちである。

 「新約聖書の真実」なんてほどの内容ではないし、美術の解説になっていないような気がする。その展は「新約編」と同じ。だから面白くない、というのではない。単に、内容は秦先生の本だなぁという感想であり、先生の(いつもの?)論点を強調するために、視覚的な証拠として絵をつかわれている、という本だ。

 ある時代よりも昔の西洋絵画の主題は、ギリシャ神話かキリスト教かになるはずで、その意味で言えば、ある時代よりも昔の美術を解説するには、必然的にキリスト教の解説になるだろう。この場合のキリスト教は新約・旧約を含めたものになるので、どんな美術史家の解説であっても結果的に秦先生と同じことをするはずである。そういう本とこの本との違いは、秦先生の専門ならではの「体系知」に基づいた解説にある。どんな主題をつっついても、関係する別の箇所についての言及や、だいたい似た物語について挙げてくれている。聖書の中を自在に飛び回る自由さを楽しめる反面、ヨーロッパ文明を規定しているものは、こういう物語を束ねたものでしかないことに気づき、あらためて驚く。

 秦剛平先生の本を読むのはとても愉快なのだが、読めば読むほどその対象である聖書そのものには興味が持てなくなる。もはや聖書そのものには興味がないところまあできている。いろんな事、とくに物理や工学、心理学や歴史などをそれなりに知ってしまった状態で聖書を読むのはそもそもからしてつまらないのは仕方ない。ネタバレしたあとのミステリーを読むようなものだから。聖書は2000年前の時代の人々の心情にマッチしたものであって、現代の東洋に住むぼくにはどうでもいいや、という感想をもつのは、かなり当然のことであろうと思っている。

 だから不思議なのである。一体秦先生は何を目的として講義をしているのだろうか。 

2009年12月26日

ぼくたちが聖書について知りたかったこと

池澤夏樹
小学館
お勧め指数 □□■■■ (2)

 池澤夏樹さんが聖書についての本をだしたようで、内容は対談、対象は普通の人というもの。ぼくは古代ローマについていろいろと読んでいくなかで聖書の成立についても何冊か読んだこともあり、ちっぴりだがキリスト教の成立については知っているつもり。その後も世界史を背景した「宗教とはなにか」を考える本ならば見つけたら読むようにしている。この本は、そんな動機から手にした。

 対談相手は秋吉輝雄さんという聖書学者であり、池澤夏樹さんの親戚でもある人。池澤さんが聖書について質問し、秋吉さんが答えるという問答と雑談の本である。日本人ならば知らなくて当然(日本で生きていくならば知らないままでも不都合がない)キリスト教について、なるほどなぁ的な語りがある。ただし、両者ともに文化としてキリスト教を捕らえているので、宗教臭は完全に脱臭されており、とても読みやすい。

 キリスト教について知らないと困るのは、ヨーロッパ文明(アメリカも含む)のいろいろな作品を観賞するときに、それらの背後にある文脈(それぞれの価値を意味付けるもの)を知りたいときである。それがキリスト教だから。もちろん、風景画や音楽のような感覚的なものを楽しむだけなら必要ないが、作家の背景や生活環境を知るにつけ、あるいは価値観を知るつけどうしても避けて通れない。アメリカ人はその半分くらいはキリスト教徒だから、キリスト教を知らないと彼らの行動に違和感を感じっぱなしになってしまう。それは文化面だけに限らず、経済や政治についてのニュースを理解するときにも必要なのだ。

 この本では、主に旧約について語られている。失礼かもしれないが、聖書物語というものは、知れば知るほど「つまらんなぁ」と感じる。安いファンタジーのようなものだし、人を脅して何かをさせようというタイプのものだから、楽しいはずはない。旧約の舞台である砂漠地方の自然は厳しいから神も厳しいのだろう。そうでないと生きていけない。ものだが、日本と中東とは気候が違うので神の性質も違うのだろう。まぁ、これはぼくの感想に過ぎないけど。

 最後まで読んだのだが、なんだか途中で終わってしまった感がある。宙ぶらりんだ。ということは、続きがあるのかもしれない。

2009年9月22日

ペルセポリスから飛鳥へ

松本清張
NHK出版
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 小宮山書店ガレージセール

 松本清張さんの文章を初めて読んだ。日本を代表する大御所作家だが、ぼくは推理小説ファンではないので、『点と線』などのタイトルは知っていても読んだことはなかった。勉強しなきゃ、教養を広げなきゃ、という動機で読書に臨んでいたので松本清張さんの本を選択する余裕がなかったのかもしれない。

 この本は古代文明に関する紀行文だろう。そう思って購入した。古本屋のワゴンセールで一冊100円。最初の一ページを読みはじめて、その文章にいたく感心した。内容よりも文章で引き込まれた。日本語というのは、こうかけばいいのか。完結で無駄がない。いってみれば単なる記述。それでも、段落をどう新しくするのか、読点を何処に打つのか、そういったことが見えてくる。何気なく読みはじめたにもかかわらずそういうところに目がいった。内田樹さんのようなフレンドリーさがないから寂しく感じる人もいようが、日本語の論文の文章というのはこうあるといいのではなかと思った。石と石の間に隙間がない構築物のような文章である。

 松本清張さんの小説はどんな日本語になっているのか興味をもった。こんな調子で構築された小説だと逆に面白くないかもしれない。小説は小説、論説は論説と書き分けているのかもしれない。なににせよ、ブックオフで文庫本をあさってみようと思っている。

 本をたくさん読む効用には、いろいろな「書き方」「スタイル」を知ることができるということがある。自分が目標とする人の文章を真似ることから練習を始めるものだと思っているが、あまりにも完成している作家の文章などマネしようとう気分にならない。いつかはこんな感じに上手になりたいな。そんな心に思い描く遥か先の到達点として扱うよりないだろう。司馬遼太郎さんのような文章はマネしよう気にならないし目標にしたいとも思わない。凄すぎるからである。松本清張さんの日本語は論文を書く際のスタイルとして自分に取り入れてみたい。そう思えるくらい、くせがないのである。

 文章に感心しながらも、イランの古代遺跡を巡る紀行文を読んだ。七十年台の話だから今と違って旅行時に不便なことも多かっただろうが、ペルセポリスやイスファンなど有名どころを一通り滞在している。滞在先のホテルは超豪華なタイプだったりして、それなりに観光の気軽さで行けたのかもしれない。その辺りが森本哲郎さんの紀行文とは大分違う。森本哲郎さんの場合は紀行文と地理、歴史、文学などが入り乱れる思索が展開されるところだが、松本清張さんは紀行文に徹している。

 イランを巡る話で終わるのかと思いきや、後半は古代日本とイランの驚くような仮説を提案し、あれこれ思索を展開している。飛鳥時代に中国を経由しないで胡人(イラン人)が日本と南朝鮮に人と文化とが流入していたというのである。ゾロアスター文化圏の人が工人の棟梁のようなことを日本でしていたと。飛鳥地方には亀石など不思議な彫刻された岩がいくつも出土しているが、それらをペルセポリスで多く見られる石像(牛やグリフィスなどの柱頭?のようなもの)とを関連させていろいろ推理し、仮説を展開している。考察だからいくらでもすればいいのであって、その真偽をぼくのような素人が判断する必要はない。ただ楽しんでしまった。この推理をまとめた小説は出版されていないのだろうか。NHKの番組のためにこの本を作ったようだけど、結果的にどのようなものが放映されたのか知りたいところである。
 


2008年10月25日

イエスの生涯




遠藤周作
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 ブックオフ

 遠藤周作という作家はベタのクリスチャンなんだろうけど、その作品からは宗教につかっている人特有の臭さがないのが不思議である。多分宗教を自分自身の生き方指針のようにとらえているのだろう。宗教を他人に押し付けて自分を実際以上の人に見せようという魂胆やあらたな信者獲得による自分の貢献度をあげようという意図がないから、変な人だと感じないのだと思う。
 その人が考えるイエスの生涯はどんなものか。聖書については普通の感覚で考えても、あるいは現代での生活を普通ととられていることを客観視したとしても、おかしなところがやまほどある。
 いわゆる軌跡の話である。古代の人は現実とおとぎ話の区別がつかないバカな人なのかもしれない。そう思っていたのだが、ローマ史だのを読んで見るとそんなことは決してないのだと学んだ。いや、現代人よりもよっとどリアルな考えを持っている人もいるのだ。
 だから、古代の当時の人でさえも疑いを持ったような聖書の内容を遠藤周作がどう考えているか。そこに興味を覚えた。
 この本を読むとそれがわかる。なるほど、そういう理解なのかと。事実と真実という言い方をしている。物理的に起きた事実を記述したのではなく、イエスの意図はこういうことだったという真実を書いているのだ、という考え方である。それならば、工学を学んだぼくでもその理解を耳にしても拒否反応は起きないし、それを自分の軸として生きている人を尊敬することはできる。
 遠藤周作は山本七平と同じように、ぼくにとっては尊敬できるであったのだ。もっとも、それ以外で尊敬できる宗教の信者という人を余り知らないのだが。

 さて、内容である。この本は全編遠藤周作の考える聖書成立のベースになった出来事についての想像である。歴史的な背景、当時の政治状況、民衆の感情、人々の生活状況などを考慮して、新約聖書の元になったことはこんな感じではなかったのかという仮説がかかれている。
 その真偽を判断することは不可能なのだが、ぼくの感覚では「ありえるだろうな」というところだろう。
 物語が成立するには何らかの印象深い事実がコアとして存在するはずで、それが実際はどのようなものだったのか推理することは楽しい。言葉で書かれた物語は言葉で書かれるということから事実全体ではありえない。聖書に書いていることは全部真実だなどという人からは遠く離れていたいものである。
 
 この本にもあるが、一つ重大なそして信念な未解決な疑問が残っている。それは最終章である。なぜ、当時のエルサレムには色々な救世主と称される人が何人もいただろうに、キリスト教だけが歴史に方向を与えるようなところまで立ち上がってきたのだろうか。それも、一地方一時代の熱狂ということで消滅せず、ローマを飲み込み現代にまで影響力を持っているのだから不思議である。その辺りの仮説もいくつか提示されているはいるが、著者も謎だと結論づけている。
 遠藤周作さんに、塩野七生の『キリスト教の勝利』を読んでもらって感想を残してもらいかたかったなと思う。あるいは、山本七平との議論でもいい。
 そんなことをぼんやり考えた。
 

2008年5月 4日

聖書を読み解く

山形孝夫
PHP 1600円
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 巌松堂

秦剛平さんの本がないかなと古本を探してたときに目に止まった。この著者の本は以前何冊か読んだ事がある。レバノンの本はよかった。この本はずいぶんと最近のものだ。この著者はキリスト教どっぷりの学者さんじゃなさそうだし、他に新書なども書いていたはずだ。ならば、ねっ転がって楽しく読めるかなと思ったので購入してみた。

タイトルにある「読み解く」というスゴイ作業まではしていない。旧約と新訳のさわりを概観させてくれ、その記述なり人々の習慣なりの背景を地理や歴史や習慣などの関係を示してくれる。だから、ぼくのような門外漢からすると見通しの良い本になっている。

そういう習慣なり風習なりの発生について「なぜ」と問うポイントやその解説が古代オリエントの歴史から解説されている部分は読んでいて納得する。「そもそも」を知っていく喜びを感じる。神話にも起源があるはずだ。

内容の雰囲気が新訳にはいると急に変わる。自分が突然違う世界に放り込まれてしまった気分がする。旧約の物語はそれがとっぴなものであっても「まぁ、古事記見たいなもの」だし、それが教訓化されていく背景として「その風土で生きていくための方法」のようなものを感じ取れたから、にこにこして読める。しかし、新訳は「いかん、教団に紛れ込んでしまった」というような「不自然さ」と「人の意図」を感じてしまう内容で、正直集中できない。

著者は教団が周りの迫害のなかで行きていくための複数のような、あるいは、当時に時事問題ような解説をつけてくれる。だから、新訳成立の過程とその当時の人についてわからないではないが、共感できない。

しかし、読んでしまうところもある。それは例外なく「詩」である。マタイの山上の垂訓は、なるほど実に見事な「詩」なのだ。翻訳もわるくない。だから、内容と関わらず詩として人を魅了する。現代の人ならば、この詩に惹きつけられる人もいるだろう。なるほど、新訳は論理ではないのだ。

さて、ねっ転がって読むにはちょうどよかったのだが、巻末に著者の言葉に、この本はもともと「朝日カルチャーセンター」講義のメモから発展したものだという旨の記述があった。朝日カルチャーセンター、おそるべし。

2008年5月 3日

反ユダヤ主義を美術で読む

秦剛平
青土社 2400円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 毎年楽しみにしているシリーズが今年も出版された。今回にテーマは反ユダヤ主義である。著者が長年追っているテーマのはずで、今回も(あるいみテロの標的になることも恐れず)ずばっと断言してくれているので、キリスト教やユダヤ教とは無縁の順な日本人であるぼくのも「そういうことか」と疑問が氷解する講義であろうと期待し、そしてその通りの内容であった。

ユダヤ人たちは、その場所がどこであれ、民族の習慣を守って生活する。民族独自の慣習を遵守すれば、その生き方は周囲の者たちの中で浮き上がる。浮き上がれば、ひそひそとその習慣が貶められる。なぜ彼らは皇帝像の前で頭を下げないのか? なぜ彼らは金曜日の日没時からシナゴークに集まるのか? 好奇心は猜疑に転じ、猜疑は憎しみに変わる。異邦人たちがユダヤ人にたいする憎しみを共有するとき、それは煮沸しはじめ、飽和点に達すると爆発する。その爆発は凄惨である。肉片が四方八方に飛び散る酸鼻をきわめるものである。

 反ユダヤ的感情、反ユダヤ主義を順をおって解説してくれる本書の内容であるのだが、上記の引用はその核心を短く表現しているので、この引用が含まれている前書きだけ読んでも目的は達成できるのではないかと思う。

 要するに、猜疑が憎しみに変わってしまうという人ならばだれでももつ心理の特性があり、それが容易に再現してしまような社会の中での生活をしてしまう人たちが(いまもだろうけど)いた。なんというか、運が悪いということなんじゃないかと、ぼくは思ってしまう。

 いったん憎しみに変わってしまったものを「教義」としてキリスト教は取り込んでいる。それは、容易に出される場合と背景に塗りこめられてしまうけど、キリスト教の図像をみるについて、なんともこまったものを内包しているのだなとよく理解できる。とくに、部外者である日本人の多くは「なるほど、西洋史ってのはこういう心理ダイナミクスの積み重ねなんだな。それを、まだやっているのか」ということに気付くことができる。

 人の心理ダイナミクスは、場所も時間も越える。だから、「猜疑は憎しみに変わる」という反ユダヤ的な感情は、現代で普通の生活を営んでるぼくにだって容易に理解できる。いったん猜疑心をもった相手は、憎らしく思ってしまうのが普通だから。

 また逆に、おかしなことをやっていると他のグループから猜疑の目で見られることになり、それはすぐに憎しみに変わりひどい目にあってしまうことにもなる。人と違うということを、故意に主張し続けるとろくなことにならないだろういう教訓が引き出せるわけだ。


 それにしてもこの秦剛平という人はスゴイ人だ。あまりに関心してしまったので、この本の元ネタになっているセミナーを受講しようと思っている。

2008年5月 2日

対談・日本人と聖書

山本七平
TBSブリタニカ 1400円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 巌松堂

 古本屋でぷらぷらしているときに発見し、即効購入した。珍しいかどうかではなく、山本七平の本で、対象が聖書で、対談者に森本哲郎、三笠宮崇仁、秦剛平、秀村欣二などの名前が入ったから。これはもう、読まずにはいられないでしょう。

 中心的なテーマは聖書とは何か。とくに日本人がそれをどう受け取るかとか、日本にどういう影響を及ぼしたのかという話ではない。対談者それぞれの専門領域が違うため、同じ内容を別の言葉で表現している部分がある。同一の内容を、ある人とは山本七平が説明を受け、ある人に説明している。

 秦剛平との対談で、秦は旧約の話、反ユダヤ主義の話をしている。最近毎年のように出版された秦剛平の本の視点と基本的には同じで、学者というのは一つのことを調べ、考え続けているのだなと知った。頭がいいとか着想がスゴイといかいうところではなく、学者本人が何を真剣に本心から疑問に思い追求しているのかがぶれていないと、結果的に良いモノができるのだろうとぼくは理解した。全く興味本位だが、七十人訳は地味に古本で集めているので、そのうちどかっと時間をとって読もうと思っている。

 30年も前の本だけれど、30年前ならばこういう内容でこういう人と対談をしたものが本として出版できていたのだなと関心する。今ではできないだろう、多分。この本の内応は数十年で変わるようなものではないので、古本であっても読むに値するものはたくさんある。もっと、古本を探してみようと思う。

2008年3月 4日

物語 イスラエルの歴史

高橋正男
中公新書 980円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 どうにも帰りに読む本がなくなってしまったので、昼休みに生協で購入した。以前、同じシリーズでイタリアの歴史が良かったのでこの本もいいかなぁと思ったのだ。実際のところ、物語、と言う感じがよわく、後半はよく知らない人がたくさん登場するのでなんともいまいちだったが。

 新書にしては厚め。ただし、イスラエルという国の歴史をコンパクトにまとめてた労作だとは思うのだが、これを読んでも中東醸成はよくわからないし、ユダヤの人々の特殊性なるものは知りようもない。かといって、物語を聞いているような気分にはなれず、焦って授業をすすめている特別講義のような感じがするので、全体としてはもうひとつの評価になってしまう。

 新書で扱うならば、不完全でもいいから物語の意図がわかるようにしたほうがいいだろう。数人の人にしぼって語るようなのがよい。だって、詳しい本ならばいくらでも見つけられるのだろうから。

2008年2月15日

レバノンの白い山

山形孝夫
未来社 1800円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 30年以上まえに出版されたレバノンの神について。著者は学者なんだけど、中身は予想に反して退屈しなかったし、飛ばしたりもしないですんだ(もっとも、本論だけでおまけの論文は飛ばしたのだが)。学者の書く本は動機にあいまいなものがおおく、要するにオレは偉いといいたのか、仕事だから情報らしきものを垂れ流しているようなものばかりだったので、この本もそうかなと疑っていたのだが、外れた。著者の体系化された知識の開示で、本が面白くなるわけがない。この本は、著者が本心から感心したり疑問に思っていたことを主題にしたからよかったのだろう。

 レバノンについて、知っていることなどほとんどない。中東にあり、イスラエルの上、シリアの横。それくらい自分とは遠い存在なのだ。著者は導入に、ちょっとしたら気候の不思議から入っている。寺田寅彦的なちょっとした物理の解説で、レバノン山があるために地中海から吹く冬の西風がレバノンに雨期をつくるというもの。砂漠ばかりある地域なのに、しっかり雨が降る。がゆえに、作物ができる。その環境が砂漠の民たちと違うメンタリティーをレバノンの人に与えた。その中に、毎年巡る雨期明けに植物が芽吹く「再生」という概念も含まれていた。そして、それが「神」となる。そういう解説なのだ。

 この本は解説だから日本語で表現されていることに疑問を感じないが、職業として作成する論文は日本語なのだろうか? いくら日本語で書いたとしても、読む人は日本人だけだ。中東の歴史ならば、そもそも中東の話であって、議論の中心も記録の中心も中東の方にあるのだろう。必ずしも英語で書く必要はないだろうけど、それでも日本語よりはいいような気がする。もちろん、この分野の研究者はアラビア語をはじめ何カ国語も操れるのだろうから、日本語にしたのは日本人に向けたメッセージだからだろう。その動機はどこからくるのだろうか。

 日本人は英語を本気で勉強するよりも、日本語訳をたくさんつくるという方法のほうが好きみたい。それって、すっごくコストがかかるのだけど、歴史的なクセなのかもしれない。日本人ならば日本語がつかえる。日本語の本があれば、読む努力を惜しまなければ大抵のことを知ることができる。この戦略が有効な理由は、この本の著者のような人がいるからだろう。業績を狙っているのではない、文化を蓄積してくれているのだ。せっかくだから、もっと古本を掘り返してみて、いろいろ読んでみようと思っている。


2007年10月16日

イエスの言葉

ジョン・ドミニク・クロッサン
秦剛平(訳)
河出書房新社 1942円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 秦剛平の本を読んでいたら、この本が参考文献い挙げられていたので早速読んで見た。とくに目新しいことはなく、購入は失敗した感がある。バートン・マックの本を読んでおけばQ資料についての話はとくにあたらに読む必要はないのだろう。
 キリスト教のそもそもの始まりなど知り得ないことは承知だが、それでも歴史として知りたいという興味はある。あるコンセプトが人類史に長く受け入れられた理由はそのときの人々の生活の実際の様子が知りたいのだ。

 今と昔は情報伝搬量も人々の教育度も違っているから比較はできないのだけど、それでも人の根の部分は変わりようがないはずで、いつでも同じような問題にまみれて暮らしているはずだ。ならば、今後同じようなことが起きることも考えれるから、自分の生き方にも影響を与えられてしまうかもしれない。
 今でのおかしなことを人々に強要するくにはあるし、日本もちょっと昔はそうだった。またそうなることがあるだろう。
 せっかく現代に生きているのだから、過去の大きなイベントについて「なぜ、そんなことが起きたのか」を知っておく必要はあるだろう。

 この本語録福音書部分に図像として掲載されているフレスコがヤ石棺の所在はほとんどローマであることに驚いた。あれだけ破壊された後でも残っているということは、当時はとんでもないくらいそういう物があったということか。
 どうでもいい感想だが。

2007年8月11日

メソポタミアの春

矢島文夫
玉川選書 906円
お勧め指数 □■■■■ (1)

 非常にダメなタイプの学者のエッセイだった。大失敗といってよいだろう。ただし、この人の学者としての腕前とは関係がない。時代というものもあるだろう。高校生の旅行記みたいだし、後半はメソポタミヤではなくアラビアの話をしている。

 古いからダメというわけではない。江上波夫という人の一般向けの本は面白いから。こういう本を買ってしまう事もある。まぁ、しかたない。

2007年8月 6日

中学生でもわかるアラブ史教科書

イザヤ・ベンダサン(山本七平)
祥伝社 1000円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 アラブってなんだろうか。新聞やTVのニュースは何かを煽ることが目的なので「そもそも」論的な解説はなされないのが普通。最終的にはアメリカがどうしたとか日本はどうするとかいうことが扱われ、アラブってなんだろうかということを全く理解しないまま記者は記事を書き、アナウンサーは記事を読み上げる。そういう状態は石油ショックの時代からあまり変わっていないのだろう。だから、この本の価値は大きいのだろう。出版してくれて有り難い。

 イスラム教ってみながみんな自爆テロをするわけではない。一部の宗派が全体の説明なってしまっている。その愚かさを指摘する解説があった(本文P27ページ)。

 考えてみれば、義務教育の範疇で現代を学ぶことは「実際問題」ない。歴史の授業は古代からはじめていくので、たいてい現代までたどり着かない。また、現代史が「テストにでる」ことはないので、まずもって学生は「切る」はずだ。だから、昭和史さえろくに知らない状態であって、そんな人が中東情勢など知り得る機会などない。そこへもってマスコミのインチキな報道を「うのみ」にすることになる。そういう構造の中に自分たちはいる。山本七平のように「ご参考になれば幸いです」という姿勢で、学術的にも裏付けがあるレベルで物事を教えてくれる人は滅多にいない。そんな人の中東史のガイドがあった。それを発刊してくれた。実に私にとってはラッキーであった。

イラク歴史旅行

高橋英彦
NHKブックス 750円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 この本は池澤夏樹さんの本の中で紹介されていた。反射的に「日本の古本屋」サイトで購入した。全般の本なのだが状態がよい綺麗なものが入手できた。

 イラクの石油プラントに関係する商社マンが趣味の風景画を描くために訪れたイラクにある古代遺跡を巡るエッセイなのだが、たんなる感想を超えた歴史紀行の本になってる。商社マンではあるが、かなりしっかりと歴史を歴史の見方を勉強したようで、随所で語られる背景知識が光る。しかし、あくまでも添え物程度に抑えているので嫌みがないさっぱりした解説である。時には小さな子供や奥さんを伴っての遺跡巡りをしたようで、10歳の子供が廃虚に佇んだときに口ずさんだ詩がのっている。メソポタミア文明に興味があるひとならば一度はいって見たい場所ばかりなので、なんともこの子がうらやましい思いがする。

 留学や海外赴任など、とくに変わった仕事をしていない人にでも本が書ける機会にあって、どういう行動をとればいいのか参考になる。もちろん、著者はそんないやらしいもくろみは無かったのだが、紀行文として本を上梓できるほどになれば、記憶だって半端ではないはず。その意味で、多いに参考にしたいと思ったのだが、いかんせん背景知識や学問の素養が自分には足りない事にすぐに気がついてしまう。この本で紹介されいている本は自然と古いものばかりだが、古本を入手して私も知識を増やそうという気分になる。やはり、歴史を知ってその場を旅行することは、時間を超える有効な方法だし究極のエンタメものだから。

2007年7月16日

古代末期の世界

ピーター・ブラウン
刀水書房 2800円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 古代末期をビザンツ帝国の影響力が衰退する時期においている。東ローマは存在するがイスラム教の国がオリエントで力を持ち始める時期の8世紀あたりの状況をキリスト教の普及についてという視点から解説を目論む歴史書ということなのだが、残念ながらよくありがちな「つまらない」記述に陥っている。とくに後半はダメだ。前半にはローマ社会でキリスト教が受けいられていく下地についてのそれなりの解説があり、それなり読める。しかし後半は、だれがどうした、しかない。著者はさぼっとたのだろうか。

 この手の本を読むとき、頭の中には『ローマ人の物語』で得られた風景をリファレンスとしている。塩野七生の考えたとと「どう違うのか」を探すように読む。例えば、この本ではシンマクスについての評価がちがう、といった具合に。ページ数の制約もあるし、翻訳というハンディーもあるので、『キリストの勝利 ローマ人の物語XIV』と比較するのはフェアーではないが、それでもそちらを読んだほうがよい。事柄の背景だけでなく「それはなぜか、どのような状態でか」という視点が明快なので、同じ時間をかけるのならばそちらのほうがお得だから。

 とはいえ、少し別の視点から古代ローマ末期とキリスト教をあつかった本を読みたい。素人でもとっつけるものはないだろうか。



2007年7月 8日

メソポタミア文明入門




中田一郎
岩波ジュニア新書 740円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 ジュニア新書のコーナーをスキャンしていたら「メソポタミア」について引っかかったので購入した。中学生用?ということだから読みやすいのだろうと思ったのだが、ダメだった。著者は名誉教授をするくらい偉い人なのだけど、経歴をみると翻訳書と共著しか著作がない。ならば、正直新書ってだれが読むのかまで想像されなかったのかもしれない。

 メソポタミア文明については、へんな想像を入れなくても現代と同じような「法律」や「社会における問題」があったことを紹介すればいい。網羅的な紹介や神や王様の固有名詞を詳細にトラックするようでは、面白くなりようがない。その時点でこの本は学者本となってしまう。
 N・クレマーの古い本や小林登志子の『五〇〇〇年前の日常 シュメル人たちの物語』、三笠宮崇仁の『文明のあけぼの―古代オリエントの世界』を読むほうがジュニアだって面白いと思うだろう。


2006年10月22日

聖書の生いたち

F・ケニヨン(山本七平訳)
山本書店 1600円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 山本書店の本で、山本七平さんの翻訳だから読んでみましたが、ピンときませんでした。秦剛平さんのような迫力がある解説とは違って、視点が一般向けではないからでしょうか。私の興味が聖書の中身にあるのではなく、考古学というか、世界を動かした本の起源というか、どちらかといえば情報の編纂と拡散の事例に興味があるからなのかもしれませんが。

 こういう本は、「原点はどうなっていのか?」ということに動機があって解説されているのだと思います。しかし、原点に近寄れば近寄るほど「多種多様なものが存在していたことがわかる」ということになると、一体どうするつもりなんだろか。多くの自然発生的なものが自然淘汰され編集されて一つの本としてまとまっていたというところが現実だったりすると、原点を探すということは混乱を生んでいくわけで、そのとき研究者はどういう態度をとるのか。そんなことを知りたかったのですが、この本はその期待には応えてはくれませんでしたね。秦剛平の著書の方がよいと思います。

2006年9月17日

ああ知らなんだこんな世界史

清水義範
毎日新聞社 1400円
お勧め指数 □□□■■ (3)

  要するに世界史に関するエッセイなのだが、視点が(1)自分が歩いた場所、(2)イスラム世界側からのものである。著者自身がこの本で書いているが、世界史=ヨーロッパ史ということではないことを主張している。王朝その他の具体的な記述はまぁよいとして、人名と年代の記述に埋もれてしまう世界の個人的な理解の仕方としては参考になる。調べて、現地であるいて体感するという勉強法の一つを読むことができる。うらやましいですね。

 でもまぁ、そうは言っても古代オリエント史、古代ローマ史を知っていればもっと楽しいですけどね。

2006年5月21日

地中海

樺島紘一
岩波新書: 740円
お勧め指数: □■■■■ (1)

 本の帯に「宝玉のエッセイ」とあったので購入したのだが、どこが宝玉なのだろうか。つまらないです。地中海の歴史、地政学について、歴史、科学、賢者、真理、予言、景観というテーマについて、二人の歴史的人物の紹介をするだけです。その片方の人はアラブ人、ベルベル人なので「イブン・ちゃんちゃら」という名前で一般には聞かない人なので、少し目新しいですが、だからといって現代にまでつながる深い内容があるわけではない。知識を「エッセイ風」にして本にしてあるだけです。私がこのような本を書けるわけではないので、批判してもしかたないですが、つまらないものはつまらない。同じようなテーマでもおもっと面白いものがあるのだから。

2006年5月19日

ヨセフス

秦剛平
ちくま学芸文庫: 1100円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 フラウヴィウス・ヨセフスについての解説。結局、イエスがいた、という記述がなされている文書というのは、じつはヨセフスがかいた「ユダヤ古代史」しかないのだ。それ以外のあらゆる古文書は、すべて、「主催者側発表」になっている。だから、歴史としてキリスト教紀元について探るには、ヨセフスに頼るしかない。西洋社会では、キリスト教が顕著に力を持っていた時代でも、聖書以外に認められていた書物はヨセフスくらいものだったらしく、そのころの一般の人の書棚にも聖書と寄席スフスがあるのは普通だったということだ。

 私は塩野七生の「危機と克服(ローマ人の物語)」におちてヴェスパシアヌス、ティトゥス、ドミティアヌスの時代の記述でしっただけである。しかし、秦さんの聖書関係の文献を読むうちに、ヨセフスの著者に興味をもった。山本書店のヨセフス全集からも何冊か購入してみた。ローマ人の視点からも、古代キリスト教のしてんからも歴史を眺めると実に面白く、古代についての想像の幅が広がる。

 この本は秦さんの本だけあって、「まともな」感覚の持ち主ならば面白いと思うであろう。まともとは、どちらかないひどく偏っていない、といういみであるのだが。

2006年5月16日

ユダの福音書を追え

ナショナルジオグラフィック
日経ナショナルジオグラフィック社: 1900円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 イスカリオテのユダはじつはイエスに忠実な人だったということが記述された古文書が見つかった。そりゃ、びっくりだろう。なんでまた、そんなものが今更発見されたのだろう。ナグハマディ文書や死海文書のような発見である。その古文書がどこで発見され、どういう経緯をたどって公にされるに至ったのかについての物語である。思わせぶりというか、商売上手というか、この本には問題のユダの福音書の中身については簡単な紹介しかされていない。

 実はわたし、ユダの福音書の中身については、鯨統一郎の本で読んでいるので、「あ、あれか」ですんでいる。ただ、本当に発見されると、それはそれで面白い。ダ・ビンチコードの影響にものっかれれば、日本に置いてすら注目されるものになるかもしれない。

2006年5月 5日

あまのじゃく聖書学講義

秦剛平
青土社: 2400円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 カルチャースクールなどの講義をいくつか編んだ本。前作「描かれなかった十字架」ほど挑戦的な描きかたではないが、歴史学者としての(つまり、宗教家としてではない)旧約、新約聖書にまつわる講義。一般の人向きなのだが、きちんと裏打ちされている(文献に通じている)ところが信頼できて、読んでいて楽しい。

 秦さんの本は何冊か読んでいる。科学者のように資料をきちんと取り扱い、資料がないときは仮説としての想像を提示する行動が、とても愉快に思える。つまんない学者とは全く違うのだ。この人は単に「知りたい」のであって「信じたい」のではないことが明らかなので、宗教そのものに興味はない私でも、聖書のトピックを楽しく読める。まぁ、しょせん、人間がまとめた本ならば、聖書であっても、あらまほしきことだけが残る「物語」になってしまうのだが。指輪物語でも、3000年たてば聖書になるのかもしれない。結局、歴史に残る本のパターンはいつも同じだから。そんなことを考えた。

2006年5月 1日

地中海世界 新書西洋史(2)

弓削達
講談社現代新書: 650円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 地中海世界のつち、ギリシャとローマを主に扱っている解説書。文部省検定済みの教科書のように無色透明かされていない、特色がある本であると前書きにあるのだが、私には無味乾燥な教科書にしか思えない。学者世界のなかでは特徴的な記述なのだろう。塩野七生さんのような「びっくりする」ような面白い記述からはほど遠い。

 とはいえ、ポリスの発展やローマの衰亡などについて読むのが私は好きなので、それなりに面白く読ませてもらった。ヘロポネス戦争やデロス同盟、アテネとスパルタについて人間について考えるときのよすがになる。結局、極端な方向に行動を振れば、過去のどれかに当てはまってしまう人間の行動を知るには過去を知っておくに限る。この本は100円だったのだが、その程度はペイした本だと思う。

2006年4月30日

シュメル ー人類最古の文明

小林登志子
中公新書: 940円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 シュメルだけを扱った新書は珍しい。新書なのでただ学術内容だけを簡潔に記述したような本ではなく、現代の生活と関連を付けるような記述が多く見られる。アテネオリンピックのイラク選手団の入場行進の状況やイランイラク戦争で持ち去られたシュメル美術品などへの言及されている。

 ハンコは日常品である。ハンコを現在でもつかっているのは、実際問題日本だけである。シュメールでも日常生活に円筒印章というハンコが使われていた。ヒモを押すことで、IDカードやアクセサリーのようなものでもあった。泥に押した印影をもとに、シュメールの文化をこの本はしてくれる。有名な遺品を陳列し、解説をつけるだけといったつまらない本とは違い、一つの作品をまめに解説している。つまり、ちょっとしたガイドさんのようなところがある本。

 いつか、中東に行ってこれらの美術品を直に見てみたい。それがだめなら、大英博物館かルーブル博物館。そんな気分を涌かせてくれる。

2006年4月18日

聖書の起源

山形孝夫
講談社現代新書: 650円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 ハリーポッターでも抜き去れない歴代ナンバーワンのベストセラー文学である「聖書」の成立に関する小史を紹介する新書。古代オリエントを初めとする古代文明に興味がある人のみならず、美術でも文学でも西洋を理解仕様とする人にとって必須の教養の原点が成立した背景について教えてくれる。

 本当にあったのかなかったのかという次元での論争に私は興味がない。それよりも、どういう背景で成立して、それが同発展してきたのかについては興味をそそられる。その一つの切り口は、口伝文学としての「進化」である。

”福音書に限らず、一般に口承文学に関して、ある物語が、口から口へ伝承されていく過程において、もっとも変化を受けやすい部分は、物語の様式や全体の構造ではなく、むしろ細部の付随的な部分である。それは、人間の好奇心と結合したイマジネーションの結果であるが、好奇心というものは、つねに物語の核心よりも、その細部の明細化にむかって働く傾向をもつからである。
 この法則は、福音書の場合にも、ほとんどそのままあてはまる。たとえばひとつの伝承は、後期のものになればなる程、古い伝承では曖昧な部分ー人名とか地名が明確化されている。イエスと共に、十字架につけられた強盗は、誰であったか。イエスの墓を見張っていた看守長は誰だったか。こうした疑問は、最初の伝承では、ほとんど関心のなかに入ってこない。”

 なるほど、本当にそうかもしれない。物語が考案された初期に細部が決っているのではない、ということである。一般には逆に思われているような気がする。でも、そうではない。
 この法則は、人の噂についても該当するだろう。詳細な情報であればあるほど、かなり伝搬末期であるということだ。口伝文学というのは、そんなことまで研究されいているのかと感心してしまう。

2006年4月12日

オリエント神話と聖書

S・H・フック 山本書店: 840円 お勧め指数: □□■■■ (2)

 山本書店の絶版の本。ISBNが振られていない。内容は、起源前後の神話について。古代文明を知るときの基礎知識なのだが、一冊にまとまっているのがありがたい。奈良に旅行にいったとき立ち寄った古本屋で購入した。

 確かにオリエントの神話が説明されているのだが、専門書的なレベルの記述ではない。かといって、一般の人の読み物としても、使いようがない事例が多い。近年の本は、新書サイズのものであってもこの本にあるような神話は説明されていることが多いので、私はあまり良い本だとは思わなかった。でも、山本書店の本ならば、きっと良いものなのだろう。参考書として本棚にあるのは悪くない。

2006年1月29日

多神教と一神教

木村凌二
岩波新書: 740円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 宗教はどのように変遷してきたのか。古代シュメールからキリスト教までの間の代表的な宗教の移り変わりを簡潔に紹介する。その視点は、「いつから人は神を身近に感じなくなったのか」ということ。地中海史をちょっぴり知っている、という程度の背景知識は必要でしょう。
 著者はジュリアン・ジェインズと同様の疑問を最後に考えたいようです。つまり、言葉を使う文字を使うことによって、人間の能力のある部分は消失してしまったのではないか。文字を使う前の右脳の能力が「神が語りかけてくる」ことを可能にしたのではないか。そういう疑問です。ジェインズの本は500ページ強なので、読み通すのには大変です。ただし、ローマ史を専門にしている人も疑問に思うようですね。
 イシュタル、イシス、ギリシャ、ミトラス、ユダヤ、キリスト、イスラムといった流れの下には、社会的な要因もさることながら、人間の能力、あるいは、心のありようも大きく影響しているだろう。古代人の感じていたものを現代人のわれわれがわかりようがないかもしれないけど、想像くらいはできないのか。そんなことに興味がある人には楽しく読める本だと思います。


2005年8月13日

失われた福音書

バートン・マック
青土社: 2800円
お勧め指数: □□□□■ (4)

イエス「おまえたちは、私を誰と言うのか」

ペテロ「あなたこそ、生ける神の子キリストです」(マタイ)

ということが福音書にあるが、現在の研究の結果では次のようになるとのこと。

マック「あなたは神の子でもキリストでもなく、最初、犬儒派の哲学者のイメージで捉えられた、ヘレニズムの色合いが濃いナザレという土地出身の男です」

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2005年7月17日

描かれなかった十字架

秦剛平
青土社: 2600円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 ”世の中分からないことだらけである。”
 冒頭から著者のこれまでの研究の「動機」が語られている。初期キリスト教における疑問のについて、セミナーや記事で描いた断章をまとめた本である。これが痛快、といえるくらい面白い。

 ”キリスト教徒はイエスを彼らの英雄とする。しかしその生涯は、モーセの生涯と同様、ほとんど分からない。処女降誕などは、ばかばかしい噴飯ものとして一蹴できるが、イエスはその生涯で何を語ったのだろうか? 何を教えたのだろうか? 福音書にそれがかいてあると人は言う。しかしそこに、これだと断定できる明々白々なイエスのメッセージなどはない。福音書を繰り返し読んでみても、眼光紙背に徹して読んでみても、そのあたりのことはまるで分からない。イエスの最後は十字架の死であったとされる。十字架上の死は物語としては面白い。評点を付けるとすれば、「Aプラス」ないしは「A」の着想である。しかし、事実はどうであったのか?”

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2005年6月20日

山本七平とゆく 聖書の旅

山本七平
山本書店: 2200円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 エルサレムの街の歴史ガイド。パウロが歩いた道の紹介。新訳の成立していく過程を解説していく話しがまとめられた本。現地を自分で歩き、新約聖書にあるエピソードを紹介し、歴史的な解説を加えた作品。これらの作品は、キリスト教系の雑誌に掲載されたものを編んだ本である。

 エルサレムの街を歩いた気にさせてくれる紹介文。旧約から新訳に関わる歴史知識を感覚的に分からせてくれる。司馬遼太郎の「街道をゆく」のような感じがする。エルサレムは旧約の世界の話しがメインである。モーゼの意図とそれを実現させていく組織論的な解釈は、流石は山本七平、というレベルである。短いものであるが、読んで良かったと思わせてくれる。

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2005年6月19日

山本家のイエス伝

山本七平・山本れい子・山本良樹 
山本書店: 2000円
お勧め指標: □■■■■ (1)

 山本七平が亡くなった後、生前著者が書いたイエスについての随筆を残された家族がまとめた本。ただし、半分は著者の息子さんの随想、詩、評論であり、また、奥さんが書かれた山本書店奮闘記のようなエッセイも掲載されている。 山本七平の本の「知的さ」に魅かれた私は、この本のできがイマイチであることを否めない。死んだあとの編集だからしょうがないといえばそれまでではあるが。

 何冊か山本さんのキリスト教(といっても、旧約の世界が中心だが)の解説を読んできた。緻密に体系化された知識とそれを利用した世界の解釈とに私は感心していた。簡単に言えば、尊敬していた。 それで、私は一つ疑問を持っていた。「では、山本七平さんは敬虔なクリスチャンなのか。それとも、歴史が好きな人なのか。」この本はイエスに関する内容なので、そのあたりが伺いしれるだろうと思った。

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2005年4月20日

山本七平の旧約聖書物語(上・下)

山本七平 
ビジネス社: 952円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 山本七平さんの旧約聖書の解説。ニュートラルな視点で、歴史的な流れから旧約聖書成立にまつわる説明がある。少なくとも上巻は面白い。古代オリエント史に興味があれば、歴史書として読める。旧約聖書の中にある「具体的な記述」は実際の現象をみて書いたのであろうが、「抽象的な記述」は「後世の挿入」であろう。抽象的な個所をはしょると、旧約聖書はかなり面白い読み物なのだ。ギルガメッシュではないにしても。
 一方、下巻の後半は歴史から離れてしまう。私にとってイマイチ。

 説教くさいのは嫌いだけど、古代から人間の振舞いはかわらないということを知ってみたいのであれば、この解説書は有効でしょう。

2005年4月 9日

解読 古代文字

矢島文夫
筑摩学芸文庫: 950円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 楔形文字やヒエログリフ、線文字Bなど古代の文字についての紹介とその解読作業についてのコラム(雑誌連載記事)をまとめた本。正直、感動するような書き方ではないので、そもそも文字に興味を持っている人なければ面白いとは思わないでしょう。

 粘土板に刻まれた楔形文字にかかれた「世界を襲う洪水」の話しをご存知でしょうか? 矢島さんが楔形文字をベースにした文献から直接日本語に翻訳された「ギルガメッシュ叙事詩」は興味深い本でした。文字でさかのぼれる限界まで過去の物語が十分面白い、という事実に感動しましたから。

 生物学的な形態(脳を含めて)は2万年前から現代人だそうですそんな古代人が「考えた」文字の歴史は、現代の私たちだって実感をもって理解できるはずです。