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2010年6月 2日

賢帝の世紀

塩野七生
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

 国際線の飛行機のなかでは塩野七生作品を読むことにしている。

 今回のオーストラリア出張では『ローマ人』から賢帝の世紀の3冊を読んだ。

 この巻は一番気に入っている。古代にはスゴイ人たちがいたんだなぁと感心できるから。彼らの凄さに舌を巻くことで、なんだか気分も大きくなって、物事を皇帝の視点でみれるように「なれそう」だからなんだが。

 立派な人が国の指導者になると、まぁ「うまくいく」ことが多い。他の国の人にはまったくもって迷惑だけど。

 トラヤヌスやハドリアヌス、ピウスの行った事は、一見全く別の目的のように見えても、要するにローマ帝国の安全のためという同じ目的のためなのかとわかる。塩野作品の好きなところは、こういうレベルでの世界史の理解を市井の人であるぼくにも与えてくれるところだ。

 この賢帝たち、古代の人なのに現在に生きるぼくのロールモデルとしても十分スゴイ人たちだ。もちろん、無限遠の彼方に存在するような目標ではあるのだが。
 

2010年3月25日

美術で読み解く聖母マリアとキリスト教伝説

秦剛平
ちくま学芸文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

 新約、旧約と読んだので、シリーズ最後のマリア伝説編に手をだした。ヨーロッパに旅行して現地で気づくのは、街中にあるマリヤ信仰の場所である。お地蔵さんは道祖神のようにマリヤさんの祠があり、イコンのようなものがかざってあるタベルナコロがあり、教会にかかげてある祭壇画がある。キリスト教じゃなくてマリヤ教なんじゃないか。そう思うくらいにある。この本は、そのあたりについて教えてくれるのかなと思って読んでみた。

 しかし残念なことに、マリヤ信仰についての解説は結局のところほんどなかった。原ヤコブ福音書にある、という情報提供があるだけで、それがどうしてキリストよりもマリヤの方に人気がある(ように見える)のかについては、結局知ることが出来なかった。もっとも、美術についていの解説書だから、それでもいいのかもしれないが、がっかり感はがっかり感である。

 著者がこの本を書いた動機は、マリヤ信仰よりも古代ローマ帝国時代のキリスト教信者の地下墓地であるカタコンベに書かれた絵を解説することにあったのかもしれない。そして、反ユダヤ主義について。気合いが入っているところは、どの2テーマだったようなきがする。

 ローマのカタコンベには見学コースを回った事がある。すっかりと観光地化しており、不気味さなどまったくなかったが、まぁ、へんな場所であり、どんなに照明が整備されようとも薄気味悪さがただよう地下迷路ではあった。

 カタコンベには壁画がいくつもあった。腐敗した死体が並んでいるなかで絵を描くなんてことをよくやったものだとは思う。秦先生は、カタコンベという異様な状況で書かれた絵にはどんなものがあり、何を主題にしているのかという解説してくれている。絵のテーマ解説は、以前朝カルでの講義で使っていたものだったけど。「これはダニエル記だ」とかいわれれば、なるほどとは思うが、でも実際のところを知りたいことはそうではない。なぜ、その絵なのか、その絵は何を意味しているか、人気があったのか、流行だったのか。残念なことにそんな視点からの解説はなかった。

 こういう本を読めば一応は知識を知ることになる(すぐに忘れてしまうだろうが)。なるほど、そんな背景があったのか。そんなことを知るわけだ。

 しかし、そんな知識を何かに役立てる予定はいまのところない。予定がないのに知りたくなるのだから、この本を読むには完全なる道楽である。一方で、この本は学者の研究資料としては不完全であり、たぶんそういう使い方を想定して書かれていない。だから、道楽のための本ということに何の問題もない。

 自分でいうのもなんだが、休日の読書なんてのは、そういう道楽であるほうが楽しい。そして、日本にはそいう本には事欠かない。なんともよい国である。

2009年12月27日

異教徒ローマ人に語る聖書―創世記を読む

秦剛平
京都大学学術出版会
お勧め指数 □□□■■ (3)

 秦剛平さんの新刊ラッシュがつづいている。ちくまの文庫本はいまひとつ「おちょくり」が多いので、好きになれないでいる。おちょくりが嫌いなわけではない。信者の人に対する申し訳なさが原因なわけでもない。単におちょくりのレベルが低いと思ったからである。従来の秦剛平さんの本ならば、聖書関係の文献をネタにしておちょくるとき、聖書自身にある「どうにもならない内部矛盾」をからかっていた。だから面白かった。しかし、最近の本では、表面的な「おかしさ」を的にしているので、なんだかひく。何をそんなにあせっているのだろうか、と読者ながらに心配になってしまう。

 この本ではヨセフスが中心に語られている。ヨセフスは当時のローマ人にも理解できるようにユダヤ教の聖書やユダヤ民族の考え方を語る著作があり、この本はその本の解説である。

 古代ローマについてを塩野七生さんの著作を通じて知った人ならば、ヨセフスについてもいくぶん知っているところがあるだろう。ぼくはそうだ。あるいは、山本七平さんの著作をいろいろと読んできた人ならば、もうちょっといろいろ知っているだろう。さらにヨセフスを研究されている秦剛平さんの著作を読んだ人ならば、かなり知っているだろう。その流れにこの本はある。決してキリスト教向けにも、歴史の専門家向けにも書かれたものではない。

 ヨセフスの本を理解する必要など、いま普通に生きてくのに必要はない。それでも読んでしまうのは、知る必要があるからではなく知っていく過程が楽しいからである。「へぇ、そんな人だったんだ」とか「古代ローマ人がユダヤ人を怪しく思った気持ちもわからんではないな」と驚くのは結構楽しい。もっといえば、過去と現代とを「混乱」させることが目的で読んでいる。過去の人、それも古代ローマの人に共感できるのは面白い。通勤電車で読んでいるぼくの世界が古代まで広がったような感じがして、それは愉快なことだから。

 ヨセフスの著作はすでに古書で購入してある。この本をすらすらと読めたので、じゃぁヨセフスの本(翻訳)を読もうかとも思うが、すらすらと読めるかどうかは疑問である。というのは、気軽に楽しくヨセフスを読んだり、聖書成立の背景について知ることができるのは秦剛平さんの本だからだ。

 秦剛平さんの本を読むと、ばかばかしくて聖書なんて読めるかという気分になる。それはそうだ、あれだけ聖書の矛盾やおかしなところをおちょくっているものを読んだ後で、さすがにその対象を時間をかけて読む気はしな。

 それだけ秦剛平さんの本は面白いのだけど、ふと考えるとその目的は一体何なのか気ににある。自分の専門分野の普及を目指しているのか、それとも馬鹿馬鹿しいことをばらして寂れていくことを目指しているのか。なんともわからない。結構矛盾した人なんだろうなぁと想像するが、実際のところどうなんだろう。
 

2009年10月10日

すべての道はローマに通ず<上><下>

塩野七生
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

 ヨーロッパへ行く飛行機の中では、塩野七生さんの作品を読むことに決めている。ぼくは生きている間はそうしようと思っている。いいんですよ、これ。これから行くヨーロッパにワクワクしながら読むのが。狭くて暗くて、たまに子供が泣きわめく地獄絵図のようなエコノミー席で生き延びるためには、こういう強い本でないといけない。

 今回のフライトは南フランスのニームにあるポンデュガールという古代ローマの水道が目的のもの。古代ローマでは最大級の水道橋で、いつかその大きさを体感したいと思っていた。ついに見れるというわけ。そしたら読むのはこの本でしょう。

 この本は、古代ローマが作った公共建築の物語である。シリーズの他の巻とはちょっと感じが違うが、読者に語るスタンスは同じ。専門家向けではないし、また、それを意図もしてない。視点はイベントの記述ではなく、そもそも街道なり水道なりという社会のインフラストラクチャーというものはどんな人がどんな発想ででき上がってきたのか。そのイメージを紹介する。

 インフラストラクチャーという言葉はニュースでも解説ぬきで頻繁に使われている。社会生活を支える基盤、おもに道路や橋の建設を話題で使われる用語である。もはや当たり前の単語。

 インフラ作りは「国」ならば当たり前にやっていると見なされている。だからずっと昔からインフラという考え方があったような気分になるし、誰かが始めたというものでもないように思っている。もっとえば人類が成立したときからありそうな考え方である。が、そうではない。これには始まりがある。

 この本では古代ローマのアッピウスを引き合いに出して、街道も水道もアッピウスが手本を見せたという壮大な話を語っている。なんとも愉快な気分になるが、まぁちょっと盛りすぎな感もある。というのは、インフラづくりのお手本になったにせよ、それに対する何がしかのお手本が先行してあったはずで、それは単に残っていないだけかもしれないからだ。それに、古代ローマの記録には、必ずしもアッピウスが先頭になって構想し実現したということではないようなものもあるそうだ。その真偽についてぼくはわからないし、事実を確定させたいとも思っていないので、アッピウス説を記憶することにしてしまう。

 こういうところが専門家から無視される理由なんだろうけど、専門家の書く本はどれもこれもつまらないのでぼくには必要ない。足しようの間違いがあってもいい。それよりも、過去の人の偉大さを体感でき、自分も前向きに生きていくための手段のような本が好きで、それで塩野七生さんの本が大好きなのである。

2008年10月 8日

ローマから日本が見える




塩野七生
集英社文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 amazon.co.jp

 飛行機の中で読む本は塩野七生と決めている。今回のイギリス出張ではこの本を選定した。ちょうど一週間前に発売されたからだ。
 
 この本は『痛快・ローマ学』を再編集した単行本の文庫本である。なのでこれまで二回は読んでいる。内容もおぼろげに記憶に残っている。それでもまた買って読むことにした。
 著者がローマ人を書き始めて中盤に入った頃に書き下ろした本なので、ローマ建国からネロまでいかないくらいの話である。ローマと言う国の成立、発展・挫折・発展・挫折という繰り返しを語るなかで、それらの原因が刻々と変化していくところが面白いのだ。ある方法が原因で成功しても、まったく同じ方法が原因で失敗してしまう。別のだれかが工夫してうまく国を発展させたとしても、その工夫が仇となって国が停滞する。この過程がいちいち解説されている、世にも面白い物語である。
 歴史の授業であるような大ざっぱなものでも、学者の著作のような微視的なものでもない。普通の人がローマ史を自分のために役立てるとしたらどんなものになるだろうか、という問いがあるとしたら、その問いに対する塩野七生流の解答なのだ。ぼくはこれに感動する。何度読んでも感動する。
 
 「それはなぜか、どのような状態においてか」という質問を先生に投げ掛け続けたという塩野七生の学生時代の思い出話があるが、その疑問の著者なりの解答が結果的に本になっているのだ。質問を発したのが中学生・高校生あるいは大学生の頃の著者なのだから、その質問の解答も中学生・高校生・大学生で理解できる範囲にまとまっている。あるいは、市井の人ならば十分理解できる語彙と例えと物語で解答が構成されている。だから、一般の人が読めばこそ面白いのだ。
 なぜ、学者の書くものは面白くないのか。その理由はある意味簡単である。学者は自分の研究のために問題をひねり出し、それにもっともらしいことを答えているからだ。それが「学問」していることになっている。しかし、それは市井の人とは関係がない。問題設定も解答も市井の人とは関係がない。だから学者の書くものはつまらない。もっといえば、市井の人にとって学問なぞゴミである。
 塩野七生のやり方は、問題を自分の分かるところまで追い込み、勉強をし、それを市井の人の想像可能な範囲で想像しながら解答をつくっている。もちろん、普通の人が皇帝の気持ちなどわかるはずもないが、それを上手い具合に架橋している。その方法の一つが「物語」を使っているところである。

 あらゆる知識は物語として脳にインプットされるのだとぼくは思っている。だから、いかにして知りたい対象を物語の形式に翻訳するかで理解できるかどうか決まる。学者や知識人は物語を嫌う理由は、物語だと皆が理解できてしまうところにある。「どうだ、おれは偉いんだ感」が薄れるからである。
 記憶はつまるところ物語だと思うので、塩野七生のような姿勢には心底感謝している。すくなくとも、僕の人生を隆にしてくれたから。

 成功しては失敗し、成功しては失敗し。その繰り返しを読んでいると、人って絶えず環境に適応していく必要があるのだなと理解できる。
 あるときうまくいった方法であっても、それをずっと使っているとうまくいかなくなる。
 それはどんなことにでも適用できる知恵だけど、この不思議な法則を「人の法則」として理解できたのはこのローマ人シリーズのおかげである。
 すでに終了しているローマ人のシリーズだが、今度は文庫本で一から読み直してみようかという気になる。あるいは単行本を再び読むか。そんなことを考えたのだが、それが辛い機中の時間を少しでも忘れさせてくれたので、またまたこの本に感謝してしまった。
 

2008年6月12日

マールティアーリス詩選

藤井昇 訳注
大学書林 1000円
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 amazon.co.jp

 古代ローマの詩人の皮肉たっぷりの詩が読みたくなり、適当に検索していたらひっかかった本。初版は1964年のものだ。ただし、これはカエサルの『ガリア戦記』をテキストにラテン語を勉強する人のためにつくられたテキストだから、詩の翻訳として読もうとすると結構な無理がある。正直、わらえたのは2,3で、あとは「まぁそうだろうな」という程度のものだった。

 これだけだと、なーんだということになるかもしれない。しかしだ。これは古代ローマ時代(帝政初期)の時代の人の詩なんだ。おおおお、なんだ同じじゃないか。そういうビックリ感がある。人のやることも、考えることも、大筋変わらんのだなぁとつくづく感じる。


2008年5月24日

ルネサンスとは何であったのか

塩野七生
新潮文庫 580円
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 丸善

 この本はすでに何度か読んでいるのだけど、文庫本で発売されて人気がでているようだし、たまたまギリシャに出張することもあったので機内で読むために購入した。ぼくが一番最初に手にした塩野七生本である。

 ヨーロッパへ行く機内、最初の3時間は極楽である。元気一杯でワクワクした気分の中、シャンパンを飲みながら塩野七生本を読む。涙がにじみ出るくらい幸せなひとときである。それが狭いエコノミーシートであっても、最初の3時間はなんとも思わないのだ。ただし、3時間過ぎから地獄のような苦しみがまっているのだけど。

 この本は書き下ろしである。体系だった説明をしている。もちろん、そこは塩野七生である。素直に先生の言われることを感心しながら聞く気分になる。勉強するって、楽しいな。そういう気分全開で読むのである。歴史を学ぶことそのものの意義を完璧に教えてくれる。おそらくだが、日本に現存する歴史の先生の授業を受けるだけならば、歴史の授業なんてないほうがいいのではないとすら勝手に想像する。なぜならば、それは「歴史とはつまらない」という認識しか与えてくれないからである。

 この本のおまけである対談ではビックリすることがあった。単行本にはなかったもので、最近収録されたものなのだろう。だから時効という意味ものあったのだ。日本にいるルネッサンス研究者やマキャベッリ研究者の塩野七生いじめがどいうものなのか初めて知った。この学者たちはバカである。そうとしか言えない。すなくとも、塩野七生が絡んでくるなら金輪際仕事をしない、という脅迫をNHKなり出版社なりに出してくるような人しか、学者にはいないようである。だれも読まない日本語の研究所を出版する愚行くらいくだらないことをやっている人はないのだけど、まぁ、仕方ない。この程度なのだ、日本の学者などというものは。

 ぼくは普通の人である。だから、普通の人の生活を支援してくれるようなものが本として存在してほしい。ぼくは、学者が学者であるための理由付けのようなものにいかなる価値も見出せない。できれば、税金も使って欲しくないが、まぁ、しょうもない人が蠢く世界もつくっておかないと、かれらが普通の人に害悪を及ぼすとも限らないから、ほそぼそと大学の一角で生息していても仕方ないだろう。そんな気分になる。

 まぁ、そういう悪口はどうでもいいや。中世を経て、人が「自分でものごと考えるようになっていく」過程を描いて見せてくれるこの本は、人生になんどか立ち寄るにたるものをもっていると思う。多くの人に読んでもらいたいと素人ながらに思うのである。


2008年4月20日

神の旅人

森本哲郎
新潮社 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 キリストを世界宗教へと押上げたといわれているパオロが旅した道を歩きながら思索する森本本。キリスト教の内容についてどうこういうのではなく、古代ローマという時代、ヘブライ、ユダヤ人の特殊な宗教がどうやって世界化していったのか、どのような状態でどういうことをパオロはしたのだろうか。それをなるべくパオロが歩いたと言われる道をたどりながら考えていく。

 キリスト教徒の人とキリスト教徒に反対する人にはこの本を楽しめないだろう。砂漠に心魅かれる人、古代オリエント(今でいう中東)、古代ローマについて興味を持っている人ならばのめり込むだろう。あるいは、旅行に興味がある人もこういう旅行者のような行動に憧れるかもしれない。ぼくは、たいして旅行経験もない普通の社会人であって、森本哲郎の本と古代ローマ・オリエント史に興味を持っている人である。その視点からみれば、いつか自分もこのような旅をしてみたいなとため息をつくだろう。もっとも、旅は可能だろうがその行程で思索が行えるのかと言われれば多分無理だろうから、結果的にはこの本をソファーに座ってゆったり読みながら想像する方がずっと幸せ度が高いことは間違いない。

 この本を読むのは2度目なのだが、内容は忘れてしまったことが多く、初めて読むような気分がした。ただし、初めて読んだ時よりも古代ローマ・オリエントについて何冊か(実は何十冊だが・・)素人として楽しみながら本を読んでいるので、背景となる場所や出来事について思い当たることが多いので、より楽しく読めた。勉強はしたもんがちだとつくづく思う。

 宗教が世界化するとはどういうことか。ナルホドと思う記述がある。通常の宗教であれば何らかの掟があり、ともかくもそれを守るということが必要になる。その宗教に帰依している場合の最低条件であろうと思うことがあるだろう。そういうルールは、その地域に住んでいる人が歴史的に得たモノであることが多く、その地域にいれば当然であるものだが、そうではない人から見れば「意味不明」なものに見える。なんで安息日に働いてはいけないのか。割礼がなぜ必要なのか。これは「決まっているものは守れ」という態度が、その掟の発祥の地にいれば当然に感じる。つまり、大抵の宗教はそういう「個別性・特殊性」がある。一方で、世界化するにはその掟の特殊性を外の世界に納得してもらう必要があるが、当然無理である。住んでいる場所が違うのだから。住んでいる場所が違えば考え方が違ってくるのだから。だから、普通宗教は世界化しない。では、キリスト教はどうして世界化したのか。

 森本哲郎は哲学の人だから、「アウフヘーベン」という相対立する考え方を止揚することだと見ている。宗教は個別、世界化は普遍。この考えを一つ上のレベルに上がって解決すればよい。感嘆に言えば、パオロはそれをやったのだと言っている。この本では、その過程を色々想像しているのだ。小説という方法ではなく、思索と言う方法で。

 なぜ、キリスト教が世界宗教化したのか。同じテーマを塩野七生もローマ人の物語で扱っている。すこし視点が違うようである。それを社会の人々の必要性にどうマッチさせたかという戦略的な発想で説明されていたと思う。パオロの苦悩というより、エンブロシウスの知性による勝利という物語になっていた。どっちの話も成立するし、お互い矛盾しない。扱っている時期が違うし、いろんな人がいたのだろうし。まぁ、世界化のフェーズが違うのだから当然だろう。

 さて、パオロの考えた止揚だが、つぎのような一文で理解でると思う。

互いに愛し合うことの外は、何人も借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全(まっと)うするのである。「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣の人を愛せよ」というこの言葉に帰する。愛は隣り人に害を加えることはならない。だから、愛は律法を完成するものである。(「ローマ人への手紙」)

 実に上手にアウフヘーベンしてある。民族の掟だった十戒のいくつかを隣人を愛せよでまとめてしまった。これならば、「そりゃそうだろう」という気になるだろうから、ユダヤ人じゃなくともなっともできるし、キリスト教徒でなくとも「いいこというね」と納得してもえるだろう。お釈迦様だって異論はないだろう。

 もっとも、こっから先は思うように行かないのも歴史を振り返ってみれば理解できる。愛の定義、隣人の定義が状況によって変わるし、生命として自分を守る必要があるだろうし、隣人におかしな人がでてきたらどうするのか、蛮族があれくるってきたらどうなるのか、という色々な「想定外」の環境にさらされるとこの行動指針がどの程度有効なのかがはっきりしてしまう。たぶんそれは、ケースバイケースになるのだろう。まったく、世の中は単純ではないのだ。

 旅をしながらこんなことを考えていく。最後にこういうアイデアにたどり着く。そんな旅は、旅のしがいがありすぎる。大抵は、もっとつまんないことに注意をとられて思索を深めることなどできないものだと思う。ぼくの場合はそうだった。そして、もっと修業をつめば森本哲郎のように考えることができるかもしれないと淡い期待をしながら次の旅の計画をするのが、一つの道楽になっている。


 最近、本を読めていなかったので久々にさっぱりした幸せ感を味わえた。読書は時間も空間も越えられる。想像力だから実際の生活には直接御利益がないかもしれないが、それでも読んでいる時間は実に充実したものになる。さて、また古本をアサリに行くかな。


2008年3月14日

ネロ

秀村欣二
中公新書 660円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 ネロ。年代順に出来事を記述しただけの教科書のような本は大嫌いなのだけど、ぱらぱらめくってみたらわりと期待できそうだったので購入した。古い本だから古本を探せばきっとあるだろうけど、すぐに読みたい気分だったので新刊で購入した。結局、読んだのは半年後ぐらい経ってからだったのだか。

 歴史の本で文句なしに面白いのは塩野七生、司馬遼太郎、井沢元彦、梅原猛という人だと思うので、ぼくはごく普通の市民的な感覚であろう。学者ではない。学者が嫌いであろう人たちの本が好きなんだろうと思う。おそらく、大多数の人はぼくとぼく側につくと思う。この本の著者は学者側である。でも、権威的な物言いをしていない。史実と認められたのとは違う物語をも扱ってくれている。そうでなきゃ。

 題材はネロ。だれもが「クオ・バティス」のイメージしか持っていないかもしれない。でも、実施は少し違ったようだ。ぼくはローマ人の物語でかかれた姿をベースにして、それでいいやと思っている。この本は、それと同じ流れである。始めは良かった、でも、ゆっくりと暴走してしまった。ネロをそういう人だと思っている。また、そう書かれている。この著者はどちらかと言えば中立的な立場に立とうしているようだ。

 ネロは最後自殺した。これだけのことをした人だから、「実は死んでいない」という噂が広まり、また、実際「自分はネロだ」と言い張るひとが何人もでたらしい。それがローマ人の当時の記録に残っている。不思議な気分がする。ヒトラーの時も実は死んでいない論が広まった。あまりにも存在が派手な人は、死んだということが世の中の人が受け入れないらしい。そういう、気持ちがあるからこそ噂が広まるのだ。なんだか、ネロを同時代の困ったチャンのような気分で感じられる。

 著者は英雄と悪党は紙一重だと言っている。アレキサンダー大王とネロ。殺した人数ならばずっとアレキサンダーの方が多い。時間が経てば経つほど、どちらに評価が揺れるのかは偶然なのではないかという気分もする。本当はどうだったのだろうか。ろくでもない人であることは確かだが、やはり実際見てみたい気がする。かなわぬ夢なのだが。

 そんなことをぼやっと考えさせてくれる。それが本である。良い本である条件のようは気がする。この本は、新書としてあるべき姿かなと思う。

 ちなみに、巻末の参考文献をネットで購入した。両者とも古い本である。一冊はアメリカのユタ州にある古本屋で、もう一冊は日本の古本屋で購入した。さぁ、早くとどかないかな。塩野七生の描くネロ像との違いを楽しみたいと思う。

2007年10月20日

レパントの海戦

塩野七生
新潮文庫 438円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 5年くらい昔に読んだ本だが、再び本箱から取り出してみた。
 レパントの海戦はベネツィア、スペインのガレー船がトルコと闘う話だった。トルコ軍のなかに海賊をしている一人のイタリア人が傭兵として参戦し、この海戦後逃げられたのはその一団だけだった。戦いの後、その付近の海域が血で赤く染まった。
 かなり忘れている。内容も場面もおぼろげだ。しかし、最初に読んだときよりも、少しは世界史が頭に入っていたし、塩野さんの本は全部読んでいるので小説とも説明ともつかない塩野さん作品の中での立ち位置などを感じながらゆっくりと読むことがでいた。通勤電車の中でではあるが。
 


2007年5月20日

塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック

新潮社出版企画部編
新潮社 2000円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 『ローマ人』が終わっても未だに余韻が残っている人は買ってしまうでしょう。これまでの要点をビジュアルに紹介し、対談とインタビューで構成された本です。面白くしようという編集者なりのサービスも含まれているのですが、それはちょっと子供っぽい感じがするものでしたが。

 15巻あったはずですが、この本で印象深いトピックを1,2ページで紹介されると内容を思い出します。ローマ人については1度ずつしか読んでいなくとも結構覚えているものです。数行の引用でもその巻を読んだときを思い出すことができます。そこで思うのです。15巻あって、それの内容をあれこれ考えながら、そして感心しながら、書いてくれた塩野七生に感謝しながら読んでいたらずいぶんと時間がかかりますが、それでも一瞬で思い出せる。頭の中に入ったものは一瞬に前後左右、連想を含めて視点を移動できます。自由に散策することができる、という感じです。すると、15巻あっても短い気がします。あっという間に読んでしまった、という間違った印象すらもってしまう。記憶って面白いです。そして、それが勉強するって面白いという本当の意味です。これで、人生みたいなもんです、多分。一生かかって体験したこと勉強したことを頭の中では一瞬で泳げるのです。そして、最後に「人生はあっという間だった」と感じる。

 もう、塩野七生の物語を読めないのかと思ってすこしがっかり。でも、そんなことないことに気付きました。確かに新しいものは読めませんが、それでも「読み返す」ことができることに気付きました。いや、アホかと言われるでしょうけどが、全体のイメージは覚えていても一行一行は記憶していません。好きな映画は数回程度の繰り返しならば十分面白いです。映画は2時間ですが、本は時間がかかります。塩野さんのローマ人をまだ1から読んだとしても結構時間がかかる。ならば、まだまだ楽しめるということです。

 ローマとフィレンツェへ行った人は結構いるでしょうけど、レプティス・マーニャやティムガットといった北アフリカの遺跡、コンスタンティノープルやパルミラなんかへ行った人は珍しい、というかほとんどいないでしょう。私も行って見たい。行けるかどうか、これは運次第ですが。でも、そしたらもっと面白い気分で本をさらに読み返すことが出来る。要するに、この先でも状況を整えれば「読むものがない」とはならない。

 本との出会いは財産ですね、本当に。


2006年12月31日

ローマ世界の終焉

塩野七生
新潮社 3000円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 古代ローマはどのようにして歴史から消えていったのか。終焉していく様子を扱った最終巻。古代ローマがあっけなく消えてなくなってしまったという記述をするこの巻、それに負けないくらいあっさりしている。ちょっと物足りない。私としては、「古代ローマはなぜ滅んだのか」にたいする一定の見解のようなものが最終章に名残惜しく書かれるのかと期待していましたが、ありませんでした。実にあっさりです。「なぜ滅んだのか」について、「こうこうこうした理由でした」などと書けないから15巻も費やしたのですから、そりゃそうです。無理やり「こういう理由です」と言い切れば、その言葉で表現されえないことがこぼれ落ちてしまい、いや、こぼれなかったことが少なくなってしまう。全部読んで、よく考えればそれなりの答えが頭に浮かぶだろう。そういうことです。私は浮かんでいますが、果たしてそれが妥当なものかどうかはわかりません。残念ながら。

 この物語を通して読んでみると、わたしは9巻10巻のあたりが一番好きです。そして、それは古代ローマ世界を通して考えてもピークの時代ですね。ピークにはすそ野が必要で、来し方と行く末が必要。どこにピークがくるのかは、ケースバイケースなのでしょう。人と同じです。

 今度は文庫本で最初からじっくり読んでみたいと思います。

2006年10月21日

ギリシア人ローマ人のことば

大西英文・中務哲郎
岩波ジュニア新書 780円
お勧め指数 □■■■■ (1)

 いわゆる格言集かと思って購入するとがっかりする。ジュニアだから説教臭いことを意図的になくしたのかもしれないし、人生について考えさせるような言葉をあえて抜いてあるのかもしれない。そうでも考えないと、この言葉の選定は「なんで、こんなものをつくったのだろうか?」と首を傾げてしまう。この手の格言集は山ほど出版されているだろうと思うのだが、新書サイズの手軽なものはあまりない。誰もが納得する内容に限定されているだろうから「ジュニア新書」を購入したのだが、くっだらない、という意味でのジュニア新書なのかもしれない。

 格言があり、その出所と簡単なエピソードがあり、現在社会にもその格言が遜色なく機能することを示す。知恵を集めたものであり、読んで笑ったり、関心したりしながら「人間とは変わらないものだな」と思うための本のはずであろうが、そういう意図が全くない。おそらく、この著者が自分の知っているエピソードから逆に言葉を選んだのだろうか。そもそも、格言がテーマになっているのが半分くらいではないか。あとは、不十分な古典の紹介。損した、という気分を十分に味わえる。

2006年6月 5日

アウグストゥスの世紀

ピエール・グリマル
文庫クセジュ: 951円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 どうだろう。もう一つの感じがする。アウグストゥスの時代のローマの文化などを紹介する小冊子である。もちろん、アウグストゥスの自身についても解説している。ただし、塩野七生さんの本を読んじゃった人には、ひどく物足りないものを感じさせる程度のものである。同時代の文学について紹介もしているが、いかんせん、ホラティウスなどは読んだことがないので、 さっぱりぴんと来ない。古本は、ローマ史を専攻しているが箸休めに読むような本のようだ。あまり面白くなかった。

2006年6月 4日

古代ローマの日常生活

ピエール・グリマル
文庫クセジュ: 951円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 古代ローマの日常生活についてのお話。専門書ではないので軽い感じ。衣服のこと、家のこと、貨幣やお店、食料品についての解説で、カルチャースクールのような感じがある。読みごたえがあるとか、考えさせられるといったものではない。ほんとうに肩が凝らない程度の話なので、肩透かしをくう。ただし、この本ではローマ史についてざっとしていないと全く面白くないでしょう。塩野七生さんの本を読んだ人には絶対に物足りないという感じがするでしょう。

2006年5月 4日

ローマ人への20の質問

塩野七生
文春新書: 690円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 古代ローマ人について、新書での紹介本。現在の日本人との比較を生活感のレベルで行うことで古代ローマ人についてい想像しやすい記述である。資料を鵜呑みせず、資料から推定できる人々の生活をリファレンスにすることで、「言葉の紹介」に過ぎない専門家の教科書と一線を弾いている。実際問題、この人のローマ人の方が長く残るのだろうと私は思っている。

 面白い歴史というと、結局司馬遼太郎さんのような歴史小説になってしまうのかもしれないけど、塩野さんの描く世界は、結果的に現実に迫ろうとする作品もお薦めであろう。もっともっと読まれて欲しいですね、世界の人にも。この人の他にこんな本を作れる人がいるのかどうかは知らないけれど。

 今回で読むのは3回目かな。それでも、なるほどなぁ、と思える本、しかも「新書」は殆どないだろう。

2006年4月29日

ローマ帝国の神々

小林英雄
中公新書: 780円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 古代ローマ帝国の時代の神々を紹介する小冊子。著者の思い入れはあまりない感じがするので、面白感じはしないのだが、知識を整理する意味では意味がある本。ただし、あまりお進めできない気はする。この本は、五賢帝以後のローマ史をしらないと登場人物の羅列のような無意味な気分になる記述が結構ある。

 古代においては、文明の記録というのは要するに神々の記録ようなところがある。農業の知識というより祭儀の知識がかかれているのか、物語がかかれているのかである。シュメールのように、文字の練習や貢ぎ物の記録というのも存在するのだが、人の興味を引くものは物語になる。本書も古代オリエントの神からミトラス教、キリスト教へと紹介を進めている。

 古代ローマでは肝臓占いや鳥占いもあったのだが、西暦紀元をまたぐ前後で信じられなくなっている。人の行動を左右する影響力というのは、結局のところ人が信じるかどうかで決るのだから、今も昔も似たような流行り廃りのパターンがある。ミトラス教の遺跡は結構あるものだと本書で知った。次のローマに行くときにはよく見てこようと思う。

2006年4月24日

ローマの道

藤原武
筑摩書房: 2400円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 ローマ街道を歩いた旅行記。雑誌のコラムのような、しかも軽い気持ちで綴った文章なので、塩野七生さんの書く世界を読んだあとの私には拍子抜けした感があります。悪い本ではないですが、ちょっと個人的な印象が強いです。
 
 人生のテーマとしてローマ街道、橋、水道をめぐって思いをはせるというのは私も抱いているので、参考になります。どの程度の語学力や知りあい、海外渡航経験があるのか。このエッセイを読んでいるとそのあたりが読み取れます。今ならばブログだったでしょう。知ろうとの私が目標にするとよい本だと思っています。ティムガッドやパルミラに行って見たいですね。

2006年4月 2日

ローマが残した永遠の言葉

小林標
NHK出版生活人新書: 660円
お勧め指数: ■■■□□ (3)

 ローマ人の残した名言を1ページずつ紹介している。一言一言に重みがあるのだが、はたしてこのような「お気軽」さを示す新書で紹介したところで、読者はちゃんと受けてとめてくれるのであろうか? そんな心配をしてしまう。

 カエサルやキケロやセネカといった「巨人」の言葉には時代を超えた普遍性がある。感心するというより、びっくりする。時代も国も歴史もちがうのに、今でも当てはまるから。ひょっとしたら、これらの名言をうまく現代に当てはめて発言をすれば、いまでも「現代社会を切るコメンテーター」としてやっていけるかもしれない。そんな気がする。

 しかし、いくらいい言葉をしっていても、行動に反映できなければ価値が価値たらんとしないのだ。それについても古代ローマ時代から変わっていないだろう。だから、今でもローマ人の名言は名言であるのだろう。

2006年1月26日

ローマ・ミステリーガイド

市口桂子
白水社: 2200円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 2回目の旅行者のためのガイド。紹介されている場所はメジャーではない。1週間くらいローマに滞在して、歩き回る人にはお勧めでしょう。著者がその足で確認して、面白いと思ったところについてのちょっとした歴史、行き方、その場所の雰囲気などを交えて紹介してくれます。
  カプチーニ修道会地下聖堂や犯罪博物館といったマイナーなところ。一方、有名なサンピエトロではイスの台座の彫り物とその由来。ようするに「見落としがち」なところやものです。こういうのって、帰ってきたあとで「えー、気付かなかった」と地団駄を踏むですよね。
 塩野七生さんのエッセイは全部読んでしまった、という人にはお勧めの本です。


2006年1月 6日

キリストの勝利

塩野七生
新潮社: 2600円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 冒頭の「読者へ」が著者の内心を良く物語っている。というより、この本を書いているときの気持ちそのもの。一人廃虚にただ済み、この別邸に住んでいた人に思いをはせている。


もしも彼が生きた時代が前一世紀であったら、ユリウス・カエサルに従ってルビコンを渡っていたかもしれない。それが後一世紀ならば、初代皇帝アウグストゥスの秘書官の一人にでもなって、諸制度の抜本的な改革とその定着に、田園のヴィラ生活など愉しむ暇もないほどに忙しい日々を送っていたであろうか。もしも彼が生きた時代が二世紀であったならば、ハドリアヌス帝に随行して帝国の辺境をくまなく観察してまわり、広大なローマ帝国の安全保障と統治システムの再検討に、壮年の男のエネルギーを使い果たしていたかもしれないのだった。だが、実際に生きているのは、ローマはローマでも、四世紀のローマ帝国なのである。

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2006年1月 4日

最後の努力

塩野七生
新潮社: 2600円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 最後の努力。古代ローマ史が確定している現代からみれば「最後」であったが、当事者はどう考えていたのだろうか。

 ディオクレティアヌス、コンスタンティヌスの二人は現代の意味での「帝政」を始めた。相談して決めていたら間に合わない、という判断から意思決定を一人にさせたカエサル、アウグストゥスだが、彼らは「法」を尊重していた。つまり、法の範囲で行動していたし、行動でどうしても必要な法は「暫定」であることを認識していた。ところが、ディオクレティアヌス以後は「俺が言ったことが法なのだ」といういわゆる絶対王制を確立させた。絶対王政になればもはや「政治」は個人の問題になる。ならば個人の問題を処理していく際の「そもそもの目的」はどうなっていくのか。

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2005年12月31日

ローマの道の物語

藤原武
原書房: 2500円
お勧め指数: ■■□□□ (2)

 古代ローマの道についてのエッセイ集。著者は国土省勤務だったそうで、道の専門家ということです。だからでしょうか、歴史的な記述についてのコメントに間違いが目立ちます。しかし、この人の興味には私も共感するところがあるので、あまりに気になりません。ローマ街道と橋、町、などをセットで紹介しています。紹介している個所は文献によるものではなく、自ら現地に旅行?されて、その場所で考察されたことを書かれていますので、知識自慢ということもないし、ピンとこない発言というものも見当たりません。塩野七生の10巻を読んで、もっと別の本を見たいなぁという人にとってはお勧めできます。時代が古いので掲載されているローマの写真なども古くて結構面白く感じと思います。


2005年12月10日

ローマ人の物語〈12〉迷走する帝国

塩野七生
新潮社: 2800円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 カラカラからはじまる皇帝の短期交替時期。途中、生きながらにしてペルシャシャプールに捉えられてしまうヴァレリウスや当面の安定化をはかったアウレリアヌスなどを含め、ディオクレティアヌス前までの皇帝について。

 この時期のローマの記述は「きっと面白くない」だろうと思っていた。結局、「俺が、俺が」の内紛のような状態で皇帝が入れ替わり立ち替わり変わったのだろうとおもったのだ。日本の戦国時代のようなものかと想像していた。ところが、その予想は全く外れ、なるほど、このように入れ替わるの状況にあったのも「これまで、ローマがローマであった理由」を成り立たせていた環境が大きく変化したことにより、大きな考え方の変更をしないで対応したために帝国が迷走したのだと分かった。この巻から得られる洞察は大きい。

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2005年11月13日

ローマ人の物語〈11〉終わりの始まり

塩野七生
新潮社: 2800円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 マルクス・アウレリウス、コモドゥス、混乱、セプティミウス・セヴェルスについての巻。下り坂はどのように始まり、どのように進行していくのか。

 マルクス・アウレリウスまでが賢帝で、その息子であるコモドゥスから下り坂になるとギボンが書いて以来そういうことになっています。しかし、塩野さんは「そうではない」という。人の世の中がそんなに簡単なわけはない。悪者を見つけると、そいつにすべての責任を押し付けるのは単純だし、そして多くの人が納得するのかもしれない。けれど、それではおとぎ話になってしまう。

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2005年11月 9日

ガリア戦記

ユリウス・カエサル
講談社学術文庫: 1250円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 論文を書こうと思うなら、いや、文章を書こうと思うなら、カエサルのガリア戦記を参考にしなさい。そう、大学時代の恩師に言われたことがある。その当時、一度買って読んでみたのだが、地名の多さに辟易して数ページで挫折した。なぜ、こんなものがいいのだろう。10年前はそう思っていた。ところが、今はローマ史の探求をライフワークの一つにしようと目論んでいるくらいに心変わりしている自分がいる。となれば、カエサルの文章だって読むのだ。国や民族名についても、慣れのようなものがでてきたので「ベルガエ人」などと聞いてもビビらない。あっさり、読み通すことができた。

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2005年11月 5日

ローマ人の物語〈10〉すべての道はローマに通ず

塩野七生
新潮社: 3000円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 ローマのインフラストラクチャーについて。ローマ人シリーズの特徴として、人間の社会的、経済的な成り立ちについて、古代ローマ時代に生活する人の目線から語られていることがあげられる。いろいろ読んでいると、普通の人の視点からの記述は、実はかなり珍しい。未来(つまり、現代)から過去(古代ローマ)を振り返る視点、雲の上の視点からの解説する個所は当然あるのだが、それだけではないところに、大学教授たちが著す本と決定的に違いがある。この巻では、古代ローマ時代の生活のインフラストラクチャーについて、ローマ街道、水道といったハード面、病院、教育といったソフト面からローマのなしえた事を考える。

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2005年11月 3日

ローマ人の物語〈9〉賢帝の世紀

塩野七生
新潮社: 3000円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 いわゆる五賢帝のうち、トライアヌス(トラヤヌス)、ハドリアヌス(ハドリヤスヌ)、アントニウス・ピウスについて。内容は重厚、読後感はクラクラです。

 なぜ、賢帝が賢帝たりえたのか。どういう状態において、賢帝たりえたのかを著者の視点から考えていきます。この本を理解できるスレスレのレベルまで私の思考力は成長したという、という感触を持ちました。賢帝たちは見えない部分や未来を予想して、手を打っていたのですね。私がこの時代に生きていたとしても、現在の精神力、知識力、体力では「やくにたたなかっただろうな。本当に、なんにもできんかっただろう」と思います。自分の馬鹿さ加減にはあきれることがありますが、それでも今の日本程度ならば生きていけることが不思議です。

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2005年6月25日

ローマから日本が見える

塩野七生
集英社: 1365円
お勧め指標: □□□□□ (5)

 集英社の「痛快ローマ学」を改稿した本です。イラストが多く、サイズも大きかった痛快シリーズの内容を別の読者層にアピールしたものでしょうか。内容に加筆修正されたところはないみたいです。ローマ人の物語でいえば、1〜6までの内容です。

 塩野七生さんの本は「全部買います、読みます」主義の私です。この本も浜松町の談で見つけ、即効買いました。「今、ローマ人以外に本を書ける余裕があるのか? すげーなぁ」とは思いましたが、痛快シリーズと同じ内容とは。まぁ、知っていても迷わず買ったでしょうけど。

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2005年2月27日

ローマ人の物語〈8〉危機と克服

塩野七生
新潮社 2940円
★★★★★

 ネロが自死に追い込まれたあとの混乱。ガルバ、オトー、ベテリウスといったどさくさ皇帝と混乱を収拾したヴェスパシアヌス、ティトス、ドゥミティアヌスの物語。

 どさくさに皇帝になった3人をみていると、皇帝という統率者ができない人がその地位につくとどうなるのかという具体例になっていることがわかる。「やる必要があることは一切やらず、やらなくていいことばかりする。」そう、著者は評価している。
 軍隊でのたたき上げの人間であっても、人の集団を率いてそれなりの効果を上げている人は、皇帝という仕事は可能なのだ。資質があるかどうかは結果論でしかない。ヴェスパシアヌスをみていると、幸運の女神は人が運んでくるのだとよく分かる。

 ティトスとドゥミティアヌスは兄弟。おそらく、資質でいえば同等。ただし、育った環境が決定的にちがう。ティトスは軍人の父のもとで、弟は「いずれ皇帝になる人」として育った。人の機微が分からないのか、軍事もローマ人の性質も読み切っていない。ドゥミティアヌスがやったことは、ティベリウスの文書類から勉強したこともあり、間違ってはない。合理的なことをやった。カリグラとは違う。混乱時の3人の皇帝とも本質的に違い、ローマにとっては大切なことであった。だけど、人間社会の勉強が足りなかった。人については、本で学ぶには眼界がある。感覚として、理解することができないまま、合理的な行動をとり、結果的に人から排除される。

 歴史的事実を記憶することなどよりも、「なぜだろうか?」の考察を読者に問いかけてくる塩野の本を読める幸せは、私にとって何事にも変えがたい体験。