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2010年4月22日

知をみがく言葉

ウイリアム・レイ編
青志社
お勧め指数 □□□□■ (4)

 レオナルド・ダ・ビンチは偉大な人だったんだ、と今更何をという気は百も承知でそう確認してしまった。彼の言葉の断片的を彼のノートから抜き出して並べた本なのだが、ただそれだけなのに、感心しながら読んでしまった。言葉の意味することは「極めてまっとう」なのに驚いた。こういう本は商売上の工夫として、意外な言葉や過激な言葉が並ぶもの。当たり前のことを言っても商品として面白くないから売れないもので、それはオッサンの説教のようなものをわざわざ買う人がいないから。ところがダ・ビンチのことはだれでも受け入れやすい。

 ダ・ビンチの考える方法は、現在の世の中でだれもがまぁそうだろうと合意するような「合理的」ものだということだ。観察して、考えて、結論づける。その行動が極めて合理的。普通の人がダ・ビンチの行動を「合理的だな」と見なすとしたら、ダ・ビンチは現代では異端児ではなし、とんでもない発想する天才でもないといえる。見方を変えれば、現在の日本は、ダ・ビンチの影響が血肉化した社会と言えるのかもしれない。もっとも人々の行動はケースバイケースで変わるだろうけど、表面上は合理性を否定する社会ではないだろう。

 ダ・ビンチが肌身離さず抱えていたノートには、自分の本心が書かれているようだ。それを読むに、この人は「単に知りたいのだなぁ」という気分が伝わってくる。後世の世界で生活する自分はいろいろなところで勉強する機会があり、誰かによって大抵の知識は体系化されている。だから、疑問や気づきから観察して何かを掴み取るという素朴な行為に接する機会は少ない。すでに体系化された知識の末端をさらに掘り進めるようなことしか実際にはなされないので、独力で探していく行為にうらやましさを感じてしまう。

2007年10月28日

三つの都の物語

塩野七生
朝日文庫 各600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 架空の自分物を二人だけ登場させ、ルネッサンス時代の代表的な3都市とその時代の事件とを物語る小説。著者の興味は、このあと当然古代ローマ人へと移っていくだろうことが暗示されている。登場人物が動き回る合間に展開されるこの時代の解説が完璧なまでの塩野七生さんのもの。

 主役の二人は架空ということだが、読んでいるうちに気がつくだろう。この二人の物の感じ方や考え方は「塩野七生」さんだろう。小説に登場する人物は小説家の想像によるのはあたりまえだが、この二人は「これ、ようするに塩野さんだろ?」と言いたくなるくらい本音が語られていて愉快なのだ。

 歴史とは所詮、想像力なのだ。肉体の眼で見るのと同時に、心の眼で見ることも忘れてはならないのが歴史の世界である。

というのは、塩野さんの根幹にあるもの。そしてこれがまた、学者たちが塩野作品を無視する理由でもある。

 そして、少し長いが引用したい。これは、架空の人物二人の会話である。古代ローマの遺跡から刺激をうけ、それをその時代の芸術へとつなげる事業に取り組む二人の行動をみたあとでのセリフである。この一文を読めば、要するにこれが塩野七生のルネッサンスを扱った作品全部がもつメッセージを言葉にしていることが分かる。

 あの二人の対話は、横にいて聴いているだけでもさまざまなことを考えさせてくれる。  ファルネーゼ枢機卿はなかなかの人物だ。あの若さにして、ローマの再開発を考えている。ミケランジェロこそその大事業を共同で進めるのに最適な人物と信じていて、芸術家のほうも充分に乗る気だ。  だが、十六世紀の人間であるあの二人が考え実現するに違いないローマの改造も、古代のローマを意識しないでは、いや意識してこそ、真にローマ的なるものの創造につながるような気がする。  あの二人の頭の中では、古代とルネッサンスという一千五百年もの長い歳月は、離れていると同時に離れていないのだ。  二人とも、十六世紀のローマでしか創れないものを創造しようと考えている。この点では、千五百年は離れている。だが二人とも、十六世紀ローマをほんとうの意味で創造するには、千五百年前のローマの延長線でやるしかないこともわかっている。この点では、千五百年は少しも離れていないのだ。  あの対話を聴いていて、わたしにはこのことが実によくわかった。そして、フィレンツェ人のミケランジェロにとって体内を流れる血のようになっているものが、ヴェネツィア人であるわたしにだって、もてないはずはないと思ったのだ。  もちろん彼は、それを形に表現できる才能に恵まれた人物だ。一方、国政の世界で成人し、おそらくはこの世界で生を終えるであろうわたしは、この種の表現方法に恵まれていない。  しかし、オリンピア、精神(スピリット)ならばこのわたしにも共有できるのではないだろうか。そして、もしもこの共有に成功したら、政治の世界に生きていようが商人として後半生を終えようが、その精神を生きていくという意味では変わりないと私は思っている。

 この一文にたたどり着くと、書物がもつメッセージとはこういう形で埋め込むこともありなんだなぁと感心すると同時に、いままで塩野作品を読んできた自分としても記憶と経験が「結実」し、それを今後に生かして生きていこうと前向きに考えてしまうのだ。それが、通勤電車での帰宅途中だったりするのだが。

 
 さて、この3部作を読むのも5年ぶりくらいだろうか。前回も同じように感動して生活を改めたはずだが、職場が変わったと事もあり、この影響なのかこの小説の影響なのかはわからないが、変わったことは事実であり、かつ、自分にとって良い方向に進んでいるように感じる。本との出会いは大切なものだ。

 塩野さんは文化功労賞をもらうそうだ。きちんとした形で国家がこの人を評価したことは、ファンとしてはありがたいことだと思う。