メイン

2011年9月 3日

縄文聖地巡礼

坂本龍一+中沢新一
木楽舎
お勧め指数 □□□□□ (5)

中沢新一さんのガイドで縄文時代の遺跡、あるいはアースダイバー的な意味での聖地となっていた場所へ旅をする紀行本である。
諏訪や東北というような、鬱蒼と木々が茂った山肌に霧のような雲が流れていくような、墨絵で表現されるような風景を旅している(そこまで神秘性はないかな)。

坂本龍一さんはこういうことについて「なんにも知らない人」というわけではない。
古い時代の人々について、あるいは古代の日本についてもそれなりに学んでいるようである。
なので案内する人も楽しいだろう。

「ここへ来る途中、『環太平洋考古学』をお読みになっていましたよね?」
なんて会話があって、そこから話が展開するシーンがある。

どんな本なんだろうかとアマゾンで検索すが、

八幡一郎著作集〈第5巻〉環太平洋考古学 (1980年) [古書] [-] この本は現在お取り扱いできません。

ということだ。

著作集の中にしかないのか、単行本としては見つけられなかった。
坂本さんは一体どうやって探したんだろうか。

想像するに、坂本さんくらいになると知り合いも世界一流の人がたくさんいるだろう。
音楽だけではなく、他分野にわたって。
すると、そういう人にちょっと「こんなことが知りたいんだけど」と気軽に聞くと、こんなのを読んだら?というアドバイスが貰えるのだろう。
入手もわりと用意だったりして。
要するに、ぼくのような普通の人とは格段に違う情報アクセシビリティがある。

つまり、レベルが高い人はよりレベルが高くなるという方程式がそこにある。

アースダイバーの続きのような気分で読んでいたのに、階層化の現実に目がいった結果になった。
普通の人は「すっげー」努力しないと見晴らしのいいところには原理的に行けない、ということか。
社会はそうなっている、という物理法則のようなものを一つしったわけで、ぼくはぼくなりに工夫して見晴らしの良いところへ行くよりないね。

2010年7月31日

中世の再発見―対談

網野善彦+阿部謹也
平凡社ライブラリー
お勧め指数 □□□■■ (3)

網野善彦さんと阿部謹也さんの対談。
日本と西洋の中世の研究者たちだから、話がかみ合えば面白いかもしれない。
書店のレジで並んでいるときに目に付いたので、ついでに購入した。

しかし内容としてはよくなかった。
なんだか、表面上の受け答えが目立つ。
とくに網野喜彦さんが対談を面白がっていないようで、読んでいてそれが伝わってきた。

ヨーロッパ中世ではこうです。
そう阿部さんが話題をふると、日本ではこうですよと網野さんが答える。
それって、子供の勝負じゃねぇのか、という感がしてくる。
そんな話読みたいだろうか。

前書きを読むと、そういう本になってしまったという断り書きがある。
それを読んでいたら、買わなかったかもしれない。
 

2010年7月10日

新・井沢式 日本史集中講座「鎌倉幕府の崩壊」編

井沢元彦
徳間書店
お勧め指数 □□□□■ (4)

逆説の日本史を読んでいるので、内容に新鮮味を感じなかった。
別のこの本が悪いのではない。
先日同じ著者の同じ時代を扱った本を読み終わったばかりのところに、この本を読んだからそういう印象になっただけで、内容自体はこのシリーズと同じように分かりやすい。

皇居近くにわりとセンスがよい銅像がある。
なる程そういう人なのか。
そうわかった。
陽気が良い休日には皇居の芝生へ行く。
たまにその辺りを自転車で散歩?する。
楠木正成候の騎馬銅像があるが、なるほどこの人はこの時代の一大イベントであった南北朝の時代に天皇側について戦い、最後まで筋を通して死んだ人だったのか。

鎌倉幕府が滅んで、後醍醐天皇が力を持っていく様子を、いってみれば良質の週刊誌の記事のような目線でこの本は書かれている。
変なゴシップはない。
過去の経緯と民衆・武士・公家の世論の沸き起こり方を、いってみれば池上彰さんのように語ってくる。
学者の書く歴史を普通の人が読むのは人生の無駄だが、歴史は知らないと損をする。
井沢元彦のような作家をぼくのような普通の人はもっと歓迎してもいいと思う。


2010年5月 1日

日本人と日本文化

司馬遼太郎+ドナルド・キーン
中公新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

 読んでいない本を並べるための本棚が何段かある。たまに本を入れ替え、そのときどきで気になる本を目立つ場所に移動する。興味を持ったからこそ買った本なのだが、読まないうちに興味が消えていることは珍しくない。しかし、だからこそだが、あるときふっと読みたくなったりする。本棚の整理は、そんな気の移り変わりを冗長する作業になっている。

 司馬遼太郎さんの対談。ちょと気を引き締めないといけない。最近は茂木健一郎さんの対談本を読む事が多く、それらとは大分様子が違う。ちょっと驚いたくらい。碩学の人たちなので、知性というか、話題の知的レベルが違うようである。ぼくとは両方ともに好きだけど、それでも新書サイズの対談本一冊をとってみても、最近の本の内容は薄くなったということをあらためて確認してしまった。単にフォントが大きくなったのではなく、中身のある人同士の対談がさっぱりなくなったのかもしれない。

 ぼくはサラリーマンではないから、これといって司馬遼太郎さんの作品を読み倒したわけではない。とはいえ、有名どころは読んでいるし、エッセイも好きだ。しかし戦国時代を好んで読むようなことはなかった。

 自分でも情けないが、ぼくは日本史についてもさほど知らない。知っている事といえば、司馬遼太郎さんと井沢元彦さんの著作を面白く読んでいるうちに見つけたものばかり。それでも何年にもわたって何冊も読んだせいで、それなりに知っていると思いたい。もちろん、歴史オヤジにはとてもかなわないけれど、普段生きていくときに藤生はしない程度の知識はあると思う。

 そんな人がこの対談を読むとどうなるか。結構面白かったという結論になる。変に細かい話にならないし、テーマが「日本人とは」という、日本人ならばだれもが興味を持つものだから。日本人だからということで自分の自信に組み込めるのは、その歴史ということになるだろう。それはどの時代のどの国の人も同じだろう。となれば、本のテーマとしては世界的に一般的なものになりそうだが、日本人論が好きなのは日本人の特徴らしい。ならば、それを堪能すのは、日本人ならではの特権と言える。まったく他人に迷惑のかからない趣味なのではないかと思った。そして、その日本人とは論を司馬遼太郎さんも気になるのならば、ちょっと悪い気分はしないものだ。

2010年4月30日

葬られた王朝

梅原猛
新潮社
お勧め指数 □□□■■ (3)

 梅原猛さんって、もう84歳なんだそうだ。結構な高齢なのにまだまだ新説を発表する活力がある。すごい。

 今回のテーマは古代日本にあっただろう出雲大国について。オオクニヌシたちが出雲を中心とした国をもっており、そこを現在の天皇系の人たちが奪いとったという話。関裕二さんや井沢元彦さんと同じ方向に梅原猛さんも行くことになったというわけだ。

 梅原猛さんが学問としての日本史の定説に意義を唱えることはこれで初めてではない。それどころか、梅原さんの業績は「定説批判」にあったようだ(ぼくは不勉強な読者なので、梅原さんの著作は数冊しか読んでいない)。高齢にになっても、定説を批判し、自分の説を唱えるのはそれなりにバイタリティーが必要なことで、よくやるなぁ。批判される説には、ご自身が唱えた説も含まれているのだからすごい。

 定説の批判が社会に広まるためには、著者が有名であることが実際のところ必要だろう。単に有名な人というだけではだめで、「この人ならば言いそうだな」という印象を持たれている有名人でないとだめ。なんでも自分で考え、論理で進んで結論に至ることをやるタイプの野蛮人的な人。梅原猛さんは、そんなキャラクターだから、ずっとやっていられる。

 これまで関裕二さんや井沢元彦さんの著作で読んだものよりも説得力があった。視野が広いから。例えば井沢元彦さんの本では、出雲大社の構造や配置だけから「オオクニヌシは争いに敗れて死んだが、その怨霊を恐れたヤマト朝廷は大きな神社をつくった」ということに焦点があっていて、それで終わっていたが、この本ではいくつかの風土記の記述や地名、近隣の伝承などとの整合性もあわせていっている。ある種の推理小説を読むような気分が味湧けた。

2010年2月18日

日本の宗教

村上重良
岩波ジュニア新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

 書店で新書コーナーを見ていたら、帯に「待望のリクエスト改版」とあり、それが目に入った。よっぽどよい本なのかなと手にした。触った本には縁があると思うので、ちょっと今月本を買いすぎの感もあるが、我慢して購入した。

 原始から現代までのおおまかな宗教の流れを解説する本だった。対象は「ジュニア」ということだが、中学生向けの感じはない。出版された当時は中学生向けだったのかもしれない。ぼくが中学生だったら読まないだろうから、昔はみんな賢かったのかもしれない(とは本気では思っていないが)。

 読みはじめるとなかなか親切な書き味で、教科書とは全然違っていてよい。解説風の本ではあるが、大学教授が書くような「おれはえいらんだ」的な意図は伝わってこない。著者は歴史が好きだった人なのだろう。

 読み進めるうちに、歴史のイベントというか宗教が盛んになった理由についての考察がないことに気がついた。それは著者の憶測だからだろうか。

 「そうなりました」的な解説は、間違いは少ないのかもしれないが読者の記憶に残らない。何故かを問わない本は内容を記憶にとどめることはできない。だから、読んでも意味がないことになってしまう。ということは、結果的に歴史の教科書と同じになる。自分の記憶力が弱い事を棚に上げて、と言われるかも知れないが、現実的には読んでいないとの同じ結果なのでそう言うのも仕方がないだろう。

 こう考えると、井沢元彦さんの本がいかに強烈なものなのか。驚くと同時に、市井の人向けの教科書としては井沢元彦さんの方がいいだろうということになる。ぼくが読み続けている井沢さんの日本通史は最後まで読もうと決心してしまった。

 この本で良かったところ。それは現代に属する箇所である。戦前・戦後の宗教について「なるほどなぁ」の連発だった。その部分は最後の10ページに収まるから、その部分だけでも立ち読むする価値はあるだろう。

2010年2月12日

新・井沢式日本史集中講座―鎌倉新仏教編

井沢元彦
徳間書店
お勧め指数 □□□□□ (5)

 徳間書店のこのシリーズは講演をまとめたものなのか、全体に渡って重複が見られる。重複しているところこそ重要なところであり、何度も何度も強調するという意図があるのかもしれないが、その方法は講演ならば普通のことだけど、文章としては感心できない。もっと編集すればいいのに、と感じてしまう。もっとも編集が入っていないはずもないから、読む人への配慮ということだろう。本書に問題はない。むしろ素晴らしい本である。

 日本仏教について。南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違いがさっぱりした。阿弥陀が救ってくれるということを信じるかどうか、これを軸に話が展開されているのが日本でメジャー仏教ということになる。それだけを引き合いに出すと、確かに仏教である。しかも真宗になると、なんもしなくても救ってくれることになる。こうなると、生活の行動を正すという昨日が宗教に全くなくなってしまう。

 最初厳しかったことが時代を下るにつれて「解釈を拡大し、楽な方へと流れていく」ことは当然なのかもしれないが、正直、その結果をぼくがお金と時間をかけて崇めといわれても無理である。海外に行ったとき、religion:buddismとは書けんと思った。もっとも、自分が参加するかどうかは別として部派仏教や禅くらいならば宗教の面影があるが、浄土系や日蓮系がどうして「仏教」なんだろうか。

 もうひとつ、日蓮のほうはといえば、これ新興宗教だということがよくわかった。もう数百年たったから新興ではないけれど、それでも「トンデモ」であることは「読めば」わかる。なるほどイワシの頭も、と言われる宗教の世界の怖さを感じる。これも、どうして「仏教」の仲間だとはとうてい思えない。現在でも日蓮系の人はいるが、関わらない方がいいということは宗教の教義の面からも納得できた。

 釈迦のことについては一般向けの本を何冊か読んだけれど、その内容と現在の日本の仏教との「直接」の繋がりはないと言えそうだ。日本の仏教は、仏教の「サイドストーリー」なんだろうな。もちろんぼくは市井の人に過ぎないから、仏教とは、なんて語る事はできないのだけど、そんなぼくでも「インチキだよなぁ」ということを見抜くことはできる。釈迦の考え方をもとにした行動をとる人は宗教家ではない。懸命に努力している人だ。そういうことに情熱をもっている人は、それに共感できるかどうかは別として、どの時代のどの世界の人も尊敬することは可能だろう。考えは宗教ではなく、思想や哲学である。一方で、日本仏教はそれとは関係ない「宗教」である。まったく、ABCテストをパスしているところが、恥ずかしい限り。

 井沢式は「因果」を遡っていく態度がとても鮮明で、「どうしてなんだろうか」という問いがわかりやすく、時間をかけて回答される。だから読むかいがある。結局のところ「おれは偉い」を主張されたい大学の人とは全く違う。日本史の教科書として、きっとこれが残っていくだろうなという予感がする。

2009年9月26日

歴史if物語




井沢元彦



お勧め指数 □□□■■ (3)

購入店 amazonマーケットプレース

 井沢元彦さんの著作には、もしあのとき〜であれば、という話が結構ある。それらは例外なく面白く、できれば続きを読みたいと思うのだが、その本の中での横道としての仮説なのでまとまった記述にならないことが多かった。

 歴史にifを考えるのはいけない。そう歴史学の人は教わるそうだが、考えるのは自由なのになので、ダメだろうがなんだろうがやればいいのにと思う。それができる人ならば是非そうしてもらいたい。ifとして話を展開することは学問とは言えないらしい。どんなにもっともらしい話を想像しても学問ではなく小説らしいのだ。ならば是非とも小説家がやればいい。シミュレーションのような枠を設定し、別の時代の別の場所での同じような展開を探せば、なんらかの知見を得る事ができるかもしれない。シミュレーションはやればやっただけいいだろう。ダメな結果はすてればいいし。その意味で小説としていろいろあってもいいような気がする。面白い歴史小説はいろいろ出版されているが、シミュレーション歴史小説のようなものはあまりない。なぜだろうか。いや、ぼくが知らないだけかもしれないが。

 歴史のifを考えると面白いという出来事はどんなものなのだろうか。多くは歴史の転換点に関するものである。ある偶然ようなものが歴史の分かれ目を決め、以後の日本の展開に至った思われている。そういうものがifを考えやすい候補だろう。つまり、以後の歴史の因果関係が明確になっているものほどifを考えると面白い。自分は偶然の上に成り立っているではないかということがはっきりしてくる。偶然が人生を左右するし、ひいては歴史も左右する。こういう考えには魅力を感じる。歴史観だけでなく伝統とか国とか習慣とか、過去から続いているものとの接し方について再考させられる。


2009年8月10日

「常識」の日本史

井沢元彦
PHP
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 また出版されている。書店で見かけたら必ず買う井沢元彦さんの著作であるが、今回の内容もなんだか見たことありそう。徳間ではなくPHP。毎度毎度のお話なのだが、単行本毎に微妙に話題がズレている。それを楽しむことにすればいいやと思って買った。

 今回も、なぜ奈良の大仏が捨てられたのか、怨霊信仰、正史としての文書の内容の信頼性といったものを扱っている。ただし、キーワードをたとえ話している。「社史が信用できるか」と言われれば、そりゃないわな。同じ人がやることなのだから、同じように正史を読むべきだろう。そういう仕事全うな指摘である。いや、「逆説の日本史」以外の本は実は一般の人を対象としていねがら、学会へ向けたメッセージになっている。だったら直接言えばいいのにと言いたいところが、直接言ってだめだからこうして一般の人を巻き込み、その圧力をつかってメッセージを放っている。在野の研究者はそういう方法をとる。

 一般の人がこの本を読めば、ナルホドと思うはずである。日本史研究者と何の関係もない人であれば、学会というのはむしろおかしなところであるとすら感じる。権威というものの馬鹿馬鹿しさを知ってしまう。その意味で、こ本が一般の人に指示さればされるほど、学会関係者は少し足元をみてもいいと思う。しかし、まぁ権威というものは一般の人をバカだと思っているので、なにも変わらないだろう。それはそれで仕方ない。むしろ、学会とは関係ないところにまともな考察が残っていくことが日本語の本の蓄積としては有益だ。その国のレベルを知るのに学会の論文などはどうでもよく、どのくらいまともな本が世間で通用しているのかの方が大切であろうから。

 それにしても、学者というのは本当に学問の徒なのだろうかと疑ってしまう。身の回りにも教授と呼ばれる人がたくさんいるが、彼らの発言よりも行動を観察していると、彼らの主張したいことは「おれは偉い」だけであるのと気づく。ほぼ全部そうだろう。なんでこんなやつらばかりなのだろうか。その理由は、彼らの幼少時代からの経過にあると推測する。子供の頃から「頭がいいね」と言われて育ってきた人々なので、「おれは頭がいい」ということしか「頭にない」のであり、それを主張することが彼らの生きる道なのだろう。えらく人間臭い話である。井沢元彦さんもおそらくはそういうことに気がついているだろうな、と思うのだが。

2009年4月 1日

新・井沢式日本史集中講座―1192作ろう鎌倉幕府編

井沢元彦
徳間書店
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 年末の発行で徳間のシリーズが終了したので少し残念に思っていたが、新シリーズとして井沢本が復活していた。今回は鎌倉時代からスタートする。鎌倉以前は古代、鎌倉以後は中世という括りなのだろう。井沢元彦さんの解説がつまらないはずはないので、早速購入し読んだ。
 第一印象。この本はずいぶんと重複が多い。整理されてないない。その意味でスマートさを感じない。一方で、このまどろっこしさは、まさに目の前で話をしてくれているような気分になれる。かぶり付きで講演を聴いているような感じがする。重複するところは大切なところだから、読んでいる間に憶えてしまう。ヒットラーの演説のようなものだろう。ひょっとしたら、このまとまりの悪さは編集側の狙いなのかもしれない。教科書を狙っているわけでもないし、この分野に詳しくない人に読ませるには良い方法だと思う。感心gが薄い人を引き込むには、筋道が分かりやすい話を色々な事例を持ち出しながら、同じことを何度も何度も聞かせることだ。それが手っ取り早い。
 その効果もあって、さすがに言いたいことが飲み込めた。言いたいことがよく分かったし、憶え得てしまった。狙い通りの反応なのだろうか。

 この本で語られていることは、幕府とはどんな組織で、どういう誕生したのか。それに尽きる。このためには、東国の税制について自分に則して想像することが有効だろう。なぜ自分たちで開拓した土地が無条件に他人のものになってしまうのだろうか。どうやったら、守れるのか。開拓した土地が、京都の帰属たちに奪われるのはおかしい。この悔しさからどうやったら抜け出れるだろうか。
 こんな問題の解答として鎌倉幕府が成立したのだということが分かる。1192を作ろうとしたのではなく、自分で作ったものは自分の物だ、という当然の権利を主張しただけなのだ。それが革命であり、当時の東国の人の気概を吸い上げて鎌倉幕府ができていく。
 この本を読んだおかげで、「幕府」というものがよく分かった。幕府とは、軍隊の前線基地である。戦争をしているときに、いちいち母国に問い合わせをしていられない。軍隊の隊長が全権委任されている。事前報告なども必要ない。となれば、戦闘状態にいるかぎり、軍隊だけで閉じた集団となれる。この仕組みを鎌倉武士の集団に適用したのだ。征夷大将軍に任命され、鎌倉に幕府を立てれば、そこで行われることはいちいち朝廷にうかがいを立てる必要はない。それは税制についてもそうで、だからこそ自分たちの土地を自分たちで治めることができる。
 幕府とは、戦闘状態における臨時独立政府ということになる。そして、とくに敵がない状態でも幕府の存続を許すならば、なんてことはない、事実上の独立政府になるのだ。仕組みが分かれば実に簡単なことだ。
 井沢元彦さんの本は、歴史という分野においてこういう納得の仕方をさせてくれるから好きだ。次巻の出版が楽しみである。

2009年2月16日

誰が歴史を歪めたか

井沢元彦
祥伝社黄金文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 ブックオフ秋葉原店

 歴史を歪めることは可能なのか。そもそも、歪んでいない歴史などあるのか。
 ぼくはそんな興味からこの本を手にしたのだけど、そういう視点で歴史を語っている人は一人もいなかった。全員、「正しい歴史がある。ただ、それは書かれていないか、だれかが当時のだれかに都合がよいようにフィクションとして書かれているのだ。私は正しい歴史を探している。」こういう発想が根底にあるようだ。対談相手の時代は古代から現代までと幅広いことから、扱う時代による資料の豊富さとは関係なく、みな正しい歴史を追い求めているのだ。
 学者は文字として残っていることを「真実」と受け止める。あるいは「事実」として作業を進める。とくに、日本史の専門家はそうだ。だからおかしな結論になる。梅原猛の論のように、一般の人が読めば「なるほど、そうかもしれない」というものがあっても、学者は一笑に付すような態度にでることができる理由は、文書ではそう書かれていないから、であろう。
 そういう学者たちと闘っている井沢元彦さんならば、そもそも正史は歪められているのだと主張するのは当然である。正史にはない事実を求めている。そういう態度にぼくは魅かれるし、だからこの人の本は好んで読んでいる。
 だけれども、最終的には「歪められていない歴史」などは表現できないとぼくは思っている。つまり、参加した人の数だけ「事実だった」ということがあってもおかしくないと思っている。それらに齟齬や矛盾があっても、絶対的に正しいものが存在するはずはない。そう、芥川龍之介の『薮の中』になる。
 現実は多数の事実の組み合わせである。構成要素は天文学的に多い。ということは、ある歴史の流れというものがあるとしても、それは見かけでしかないということだ。真実があるのではなく、そういう風に見えるということだ。
 歴史を書くということは、結局は誰かの視点で見えたものを文章で残すことになる。ならば、それは歴史ではなく見えたものである。違う人から見れば違うように見える。だから、正しいものなどはあり得ない。
 だれかこういう主張をしている歴史家はいないものだろうか。

2009年1月 2日

井沢式「日本史入門」講座 朝幕併存と天皇教の巻

井沢元彦
徳間書店
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 このシリーズは読みやすく、分かりやすく、しかも「あぁそういうことなんだ」という発見を味わえるので出版されるとすぐに買っている。今回が5冊目で、帯には完結編とある。日本史の講座なのだが、この巻ではまだまだ戦国時代にもなっていない。それのに、どうして完結なのだろうかと疑問に思った。しかし、考えて見ればこの著者は小学館で日本通史を出版しつつあるのだから、なにも徳間でもやる必要はない。だからきりのいいところで辞めるのだろう。

 ざっくり読んでみた。幕府というものの意味が明解になった。これでも読んだかいはあった。だからこの本はよい本といえる。
 ところがこの本はどうにも重複が多い。何度も何度も同じところを巡っている。ひょっとしたら、いろいろなところで行った講演やセミナーを編集なしでまとめただけなのかもしれなれない。とくかく、編集がいい加減な印象を受けた。まさか著者が意図的にやったとも思えない。いくら大切だからとはいえ、これほど重複させる必要はないだろう。そもそも著者の本に読む前から好意を抱いていなかったら、途中で嫌気がさしちゃうのではないか。

 それにしても、突然シリーズ終了してしまって、なんだかおかしいなぁ。

2008年8月29日

ヨーロッパ文化と日本文化

ルイス・フロイス
岩波文庫495-1
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 bk1

 元亀天正の頃に日本に渡った宣教師ルイス・フロイスが、日本と母国(ヨーロッパ圏?)とで大きく違う習慣(あるいは生活様式)の対比表的な記述がまとめられた本で、発見、翻訳されたのが戦後というものである。人々に生活の視点から語られたものであり、今の社会には当時のヨーロッパ的な習慣もかなり入っていることがわかる。当時の日本の風習が奇異に感じる。

 とはいえ、人に家を訪問するときは何かを持っていくとか、招待された人ではなく招待した人が訪問者に礼を言うとか、まぁそうだろうと日本の記述を当たり前だと感じるところもあるで、今の世の中はフロイスの対照表は役に立たない。4,500年たつと違いがあったものはだんだん混ざっていく。そういつところは、人の習慣も濃度が違う塩水も同じようなものだ。


2008年8月25日

現人神の創作者たち(上)(下)

山本七平
筑摩文庫 880円 900円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 bk1

 こういう凄い本について語ることができる人がうらやましい。上巻の1/4のところまではぼくでも理解できるレベルで、その内容もため息がでてくるような凄いものであった。通勤電車のなかで、世の中にはこういう偉大な人もいるのだなぁとあらためて感心してしまったのだ。しかし、それ以後、引用される文章がそもそも漢文調で、たとえ読みくだしをしたもので紹介をしてあっても、文語だとピンとこないということがあり、何を言っているのか大意程度しかとれなくなってしまった。著者の解説を読めばそれで事足りるのかもしれないが、それだと自分との接点があいまいになってしまい、なんだかよくわからないままに話が進んでしまう。後半はそういう状態だった。だから、この本を読んだのかといえば、なめた程度であって、まったくもって自分の能力のなさにがっかりしたという感想になる。

 数年経ったあとにまた読んでみて、自分の能力の向上を計測しようと思う。


2008年7月 6日

日本人とは何か

網野喜彦
講談社 1500円
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 amazon.co.jpマーケットプレース

 読んでいて鳥肌がたった。寒気がした。これは感動している。もしぼくが今の頭のまま高校生だったら、この学問分野に進んだのではないか。そう思った。学問というものがあるとしたら、これだろう。

 内田樹の本だったと思うのだが、この本にある「環日本海諸国図」を見たいと思った。それで、すぐにマーケットプレースで購入した。本を開いて冒頭にあるカラー見開きの地図をみて、思考が一瞬停止した。富山県を中心にして、関東を上にした日本地図。中国から朝鮮半島、サハリンがある。そして、日本列島、沖縄が日本海を縁取るようにつならっている。これ、どうして人が人がシベリアや中国、朝鮮から渡っていかないのだ、と思わせてくれる地図である。これを一目見たら、なるほど海に閉ざされた国、なんてのは言葉の綾だということがわかってしまう。というか、バレてしまう。と同時に、教科書にのっていた日本の歴史のインチキさが全部見えてしまった気がした。

 単一民族日本ってウソなんだ。大和魂のヤマト、和歌の和、そして日本。これがトリックだったのか。日本はどうして単一民族であるといえるのだろう。東と西、東北以北と琉球。全部違うじゃないか。そもそも違う。石器時代から違う。石器時代の日本など、そもそもない。海に囲まれた島国だったから単一だったなんてウソだったのか。関東と関西の違いも、感覚的にはわかっていたが先の地図をみたり、網野喜彦の視点からの日本史を聞かせてもらえば、一発でわかってしまう。

 縄文と弥生、瑞穂の国というウソ、百姓=農民というウソ、関西での差別問題が関東では全くない理由、平将門、なるほどなるほど、こういうもののを題材に「なぜだろう」を問えば答えがでてくる。胃にしみるくらい、網野喜彦の視点を有り難く思えた。すごい、すごすぎる。そして、これも塩野七生と同じように、権威筋は無視するんだろうか。多分そうなんだろう。何かを学ぶときには人を選ぶ必要があることがよくわかる。

 日本海という名称を変えようと韓国が国連?に提案していることは知っていた。なにいってんだろうか、とぼくは思っていた。しかし、環日本海諸国図や日本とは何かを教わってみれば、あれは日本海であるのはおかしいと思うようになった。青海という名前が提案されているそうだが、ぼくは大賛成だ。学問って面白い。自分の発想が変わるのだ。根拠のない感情に支配されていたものが、歴史の視点を獲得することで、自己愛のようなくだらないものから開放される。勉強するとは有り難いものだ。

 さて、網野喜彦の本を早速何冊か購入した。これでまた読みたくてうずうずする本が見つかった。

2008年6月 3日

古代史の秘密を握る人たち

関裕二
PHP文庫 533円
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 ブックオフ

 ある人から、井沢元彦の日本史のもと本は関裕二だよ、と教えられた。では、早速読んでみようと思っていたが、なるほどカッパノベルスとかかと少しひるんでしまった。この辺りは、トンデモ本と学会からはじき飛ばされた本がつならなる際どい世界だから用心して読まないといけない。で、用心して一読したが、そんなにおかしなことを言っているようにも思えなかったので、関裕二というひとは学会とは無関係な自由な発言する人なのだろう。

 政府の記録?としてのこっている日本書紀のようなものを「正しい」として作業を始める学者と、そもそも歴史は勝者がつくるのだから、インチキな部分が多分に含まれているはずだというスタンスで作業を始めるひととが土台から折り合わない。疑わない態度から始めるのは学者側である。しかしだ、疑わないのならば哲学が始まらないし、一方では科学ではない。となれば、学者の歴史学っていったいなんなのだろう。と、いう疑問は無視されるだろうな。

 一方で、思いつきや論理的な飛躍をもろともしないトンデモ系もまいったもの。おそらくは、両者の中間を往くのが安全であり、そこから考えると素人のぼくは梅原猛や井沢元彦の本を読んでいるだけで十分なのだ。それに、この本の著者を加えるのかどうかは、もう数冊読んでからにしないとなんとも言えない。期待はできるけど、果たしてこの方の主張がどこまでいい感じなのか、この一冊ではなんとも言えない。


2008年3月24日

井沢式「日本史入門」講座 4

井沢元彦
徳間書店 1500円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 シリーズ4作目。当然買い。感心しならが一読。ぼくが読みたい歴史の本はこういう視点もの。それは、単に「あいつかこうしてこうなった」的なものではなく、「なぜ、それがそういう形で起きたのか。そして、その出来事が現在とどういう形でつながっているのか」という、単純に「疑問」に答えてくれるもの、あるいは、見方を示してくれるもの。井沢元彦の本はすべてその視点から語られている。

 「なぜ、日本の社会においては談合がなくならないのか」という素朴な疑問を社会に根ざしている考え方から説明しようとしている。それは「だって、うらまれるのはいやじゃない」という原理にあるのだとしている。「和をもっと貴しとなす」の精神は、過去から現代まで完璧に受け継がれているし、自分にもそういうところがある。自分の考えるクセについて気付くことができれば、それを考える対象にすることができ、自分の行いを知ることが出来る。それがよいのかわるいのかを別にして、ともかくも自分のやっていることを自分ですることができるわけだ。歴史を学ぶ意味は、自分の行動の価値判断の由来にはどういものがあり、それがどういう成り立ちから出来たのかを知ることにあるだろう。

 歴史についての教科書は数多く存在するが、歴史をどう利用したらいいのかを語る歴史の教科書はない。せいぜい、過ちをくりかえしませんから、といった貧弱なことしかない。結果を真似る必要などない。成功体験は役立てようがないのだ。それよりも、つねに「それはなぜか」を問い、今の時代に「なごり」がないかを考えるほうがよい。もっといえば、これほど直接的に役立つ学問は珍しいと思うのだ。

 これが理解できて、はじめて日本史に興味がもてる。これまでは誰が誰も息子だ、みたいな話であって、そんなの権力者や貴族のファミリーマターであって無関係のな人にとっては「なんの意味もない」ゴシップだと思っていた。ローマ史のような学ぶべことがないと思っていた。しかし、問題を額面通り見るのではなく、「そういう行動から何を演繹できるのか、現在の人の考え方や儀式にどう影響しているか」を考えれば、日本史であっても勉強になる。藤原氏は「悪党」という見方もできるが、「頭がいい」という見方もできる。問題は「いいかわるか」ではないので、どっちでもいいが、平家や源氏の登場の理由、武士の成立の理由を考察することにある。井沢さんのようなガイドをもった人は、人生得だと思う。

2008年1月27日

アイヌは原日本人か

梅原猛+埴原和郎
小学館ライブラリー 760円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 えらい人になると勉強がしやすくなっていいなぁ。なぜならこの本は、アイヌについて勉強したいがためにその道の人と対談したものを本にしており、そんなことが可能なんだと感心してしまった。勉強方法にも自在性があってうらやましい。対談相手は自然人類学者ということで、自然科学をベースにした人類学の人でアイヌについても梅原の印象とちかいものを提唱しているようだ。

 金田一京助という学者がアイヌ語は日本語とは全く関係がない言語であるから、日本人とは違う民族だと提唱していらい、日本においてアイヌは少数民族扱いされてきた。ところが実はそうではないらしい。それは神という言葉を始め、古代の生活において重要なタームが日本語とアイヌ語で同じものがあり、しかも万葉集などにある古語にもアイヌ語だとおもって解釈するタームが無視できないほどあり、また、現代日本語にもアイヌ語から語源をたどれるものがたくさんあるそうだ。同様なことも、自然人類学の見地から言えるらしい。

 そういう発言は偉い先生がご存命中は大抵無視され、抹殺されるのが人の世なのだが、証拠が積み上がるたびに、また、提唱者が偉くなるごとに認められてくるのだから、そのうちアイヌも弥生人も古層としての日本人は共通の縄文人であり、アイヌ文化には縄文文化の香りが残っているという発想が一般にも浸透するであろう。

 ちゃちゃを入れるというが、そのちゃちゃとはアイヌ語で「口」だそうだ。そういう言葉の語源を知ると、歴史を「体感」することができてうれしい。こういう研究がもっと発展し、渡来人がきて大和朝廷を建てる前の日本、古代ローマや古代ギリシャ、あるいは、シュメールが文化をつくっていたときの日本の状況が解明されて欲しい。塩野七生のローマ人を読んで感心しているときに、巻末の年表で日本をみるつけ感じる「寂しい気分」がすこしでもやわらぐといいから。

2008年1月26日

日本の深層

梅原猛
集英社文庫 562円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 アイヌは縄文人の末裔で、結局ところ日本人の起源として重なっているところが多く、万葉集などにのこる意味不明な言葉などもアイヌ語だと思えば意味が通るところが多いという話を聞いて依頼、梅原猛のアイヌ、あるいは、古代日本について知りたくなった。とりあえず、アマゾンで入手できるものをいくつか購入し読んでみた。その一冊目である。

 この本は、東北地方を訪ねた旅行記である。その主題は蝦夷文化の古層としての縄文文化を想う企画で、行く場所で古代日本の文化と関係しているものを訪ねている。なるほど、それも縄文人と関係あるのか。そういうトークなのだが、いかんせん旅行日程が短く訪ねた場所の印象も書かれているので「論」としてはすっきりしない。街道をゆく、というほどの博学を期待しているわけではないし、著者の日常の忙しさについていらないのではないか。要するに、雑誌の記事のようなものだ。

 ちゃんとした「論」を期待するとがっかりする。

2008年1月25日

討論1 古代史への挑戦

梅原猛+竹内均
徳間文庫 260円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 古代日本人、日本人の起源についてを種に二人が議論している。重厚な感じを受ける。二人に権威を感じるのはなく、専門家の圧倒的な知識に驚くのでもない。研究するという態度に感心してしまうのだ。梅原猛の発言から研究とう態度を思い知る。研究所に勤めている私だが、こういう重厚な人にあったことがない。なんとも、お粗末な自分に恥じ入ってしまう。本はいい。時間と場所を越えた人たちのやり取りから学ぶことができるから。本の偉大な機能の恩恵を体感した。

 学問の楽しさは仮説提案とその検証過程、そこでの意外性の発見にあるということだ。Do More Betterという行為しか「知らない」人には想像もできないかもしれない。なんでもいいから業績を出して、それで生きる糧あるいは出世の種、権威の購入資金にする。しかたないではないか、という人は結構いそうな気がする。ローンを組んだ研究者の研究は、おそらく信用するに値しないのではないか。そんなことを考えたりする。

 竹内均はべっ甲のメガネの先生で、なにか奇妙な感じがするほど丁寧な言葉をつかっての地質の説明をテレビで見たことがある。科学者として梅原猛に話を向けて自説を梅原の節に挟もうとしているが、全く受け入れられない。物理系の科学者の「幼稚さ」というか「ロマンティスト」なところが、モロに見えてしまい情けない気がする。同時に、自分で「考えている」人の強さが感じ取れる。物理という客観におぼれると、くだらないことに固執してしまい、つまんない結果しか導けないということを反面教師として知ることが出来る。

 内田樹の本もそろそろそこをついてきたので、次は梅原猛にしようかと思っている。

2007年9月30日

古寺歩きのツボ

井沢元彦
角川Oneテーマ21 724円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 日本の古い寺に観光で行ったとする。さて、一体何を見ればいいのか。普通の人はそう思うだろう。古刹とあっても、確かに古い木造建築物だなあとか、仏像が並んでるなぁとかいうのでは面白い筈がない。知識がないと「物事を見ることもできない」という良い例なのだが、普通の生活をしてきた日本時ならばそんなものをもっている筈がない。それて、それが誰かの責任というわけでもない。

 この本は、そういう場合に「何を見ればいいのか」を指南してくれることを目指したものである。うーんまぁ、そうなんだけど、どんなによい視点を教えてもらっても、土台となるものに興味を持てなければ企画自体が成立しないような気がする。そんな感想をもった。

 なぜ、寺には棟があるのか。それは何を意味しているか。仏像にはどんな種類があり、配置によって表現していることが違う。仏教の歴史的変遷と日本の歴史との関係について、古寺を回ることで気がつくことがある。などなど、いろいろ書かれている。なるほど、なるほど。そう思ってみて半分くらい読んだところではたと気付く。ギリシャ美術、ギリシャ哲学の授業を聞いているような気分だ。その疑問をかいつまんで言えば、「それが、おれとどういう関係があるのさ」である。

 当然だけど、自分の経っている位置に興味を持ち始める中年にでもならないとこの本の紹介を楽しめるようにならないのかもしれない。時間がくれば誰でも興味を持ち始めるのだから、私がいまここでこの本が面白くないといっても的外れだ。

2007年9月24日

日本史集中講義

井沢元彦
詳伝社黄金文庫 670円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 なんとはなしに読めば、普通の人は腹が立つだろう。「小学校、中学校、高校の歴史の授業ほどくそみたいなものはなかった」ということに気付くはずだ。まぁ、それは言いすぎかもしれないど、あの時間はぜんぶこのような本を読むのに充てていればよかった。歴史を専攻している人でもない限り、そのほうがよい。世界史Bの授業なんて、どうせくだらねぇことを読み上げるのを聞くだけの時間だったはずだから、それを別のことに置換えられた学生はラッキーだったんだ。とういうか、本音は授業を提供する人、ひょっとしたら先生もそう思って世界史Bをやらなかったのかもしれない。言って見れば、良心だったのかもしれない。

 「真実を知る」など不可能である。『薮の中』になるから。あるいは、情報サンプリングと再構築という発想からいっても無理。だから、歴史というのは結局物語にならざるを得ない。すると、あえて現代の人が時間をさいて勉強させらる必要があるすれば「ああしたらこうなった」という人の行動傾向を知るためだろう。人は生まれたとき過去を一切もっていない。ならば、同じような人が同じようなシチュエーションになると同じようなことをするはずだ。それを知ることが普通の人が歴史を勉強する意味だ。

 ならば、学研マンガだっていいじゃん。司馬遼太郎や塩野七生をよめばいいじゃん。それが歴史なのかと呆れるのは、歴史学の学者だけだし、そうなって困るのも彼らだけだからほっておけばいい。まぁ、ちゃんと本を読める人ならば学者の論文など読まなし、学者の書く本はつまらないから実害ないのだけどね。教科書問題といっても、そもそも教科書をまともに勉強する人などいないのだから、実はどうだっていいのかもしれない。普通の人が普通の書店に行って手に取れる本がちゃんとするようなことに出版会の人が気を配ってくれればだけど。

2007年8月11日

日本史漫遊

井沢元彦
小学館文庫 438円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 夏休みだし、なんか面白い本はないか。そう思ってブックセンターの文庫フロアを漁っていたときに目にしたので早速購入。井沢さんの日本史関係の本は夏休み向きだから。この本は対談だが、対談相手は桂三枝しか知らないけど、まぁいいだろう。

 もうひとつな感想。たぶん雑誌の記事だったものだろうけど、話の展開に対して、中途半端に終わってしまう。論じ足りない、議論足りないのだ。アーダコーダか、そう来たかという展開がない。相当ヒマなときに読む文にはよいだろう。ただし、読んでいるときは楽しいので損には成らないと思う。


2007年4月 9日

井沢式「日本史入門」講座

井沢元彦
徳間書店 1500円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 歴史を考える、歴史を学ぶってなんなのだろうか?

”あるときはこうあったのに、今はそうではない。では、だれがそれを変えたのか。これが「歴史」なのです。”

 ぐうの音もでない。なんでこういう風に教えてくれなかったのかと思う。日本に何人いるかもわからないが、その全部が(といっていいでしょう)サラリーマン教師だし、そもそも歴史なんかスキでもないだろう。ただ、子供相手に教科書読んでいるだけの人たち。そんな人がこんな発言をするはずもない。素人の人であっても、町中にいるオッサンでもいいから、こういう「疑問」から歴史を学び、現在を俯瞰できるような視点を持っている人が沢山いるといいのに。

 歴史には偶然もある。でも、井沢さんの教科書は分からない、ひょっとしたら偶然そうなったということに足しても「なるほど」という可能性を考えてく作業が示されている。普通の人から見れば、最終的な知識がどうであろうと、その過程を見るほうが断然大切である。自分で考える。その技をこの人の発言から学ぶのは面白いことだと思う。学者が自身の正当性を主張するだけ、知識をひけらかすだけのためのことに付き合っていたら何を勉強しても面白いはずない。塩野さんや井沢さんの視点って、山川のくそ教科書を読んでも身につかないですね。

 詳しくはこの本を読んでもらうとして、ちょっと面白いなぁとおもったことを紹介しますと、邪馬台。これ、やまたいと発音するのだとずっと思っていたが、じつは中国読みだと「やまだ」となるらしい。へぇ、それや「ヤマト」と同じじゃないか。なんてことはない、大和朝廷の事をいっていたのかもしれんなぁ。これも一つは視点の変更ですね。視点を変えるだけ、以前とは全くちがう世界が見えてきそう。

2006年11月23日

山本勘助はいなかった

山本七平
ビジネス社 1500円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 山本さんの本は「勉強」になるのでなるべく読むようにしている。しかし、なぜ、今でも新刊が続々出版されるのかちょっと不思議である。この本は、ビジネス書として再編集した武田信玄についての歴史談義である。日本史についてあまり知らないので、この武田信玄像はどの程度一般に流通している武田信玄像と違うのか判断できない。司馬遼太郎さんの本をリファレンスにしたいところが、あいにく武田信玄についての本は読んだ事がない(あるのか?、あるだろうけど)。
 ビジネス書で戦国時代を扱うとリーダ論にならざるを得ない。そんな人は戦国武将を人間の分類タグにして妄想しているのだろう。それがビジネスにどの程度役に立つのか、私はビジネスマンではないので分からないのだけど、たぶん「人間を型に当てはめて、そう決め込む」だけにしか使えないような気がする。
 それで、この本であるが、淡々と武田信玄について語っている。私は「へぇ」というだけである。正直、物足りない。が、しかし、山本さんが話してくれていると思えば、それだけで楽しいのだけど。

2006年10月16日

井沢式「日本史入門」講座

井沢元彦
徳間書店 1500円
お勧め指数 □□□□□□ (5)

 自分のことを知る。まず、何より大切なことであろうと思うのだが、自己を客観視するのほど難しいことはない。「普通、そう思うだろう」ことを、「それは普通でもなんでもないのだ」と冷静にとらえられる人がどれだけいるのだろうか。論理以前の感情の発生元をとらえるためには、そもそもなぜそれを「普通だろう、だれでもそう思うだろう」と思うようになったのかを知ることになる。感情の発生元は、じつは文化の根幹にある「宗教」であって、それを使えることができればしめたものである。

 日本史を知るためには、日本の宗教を知る必要がある。それは、仏教でも神道でもない。もっと、もっと、昔から日本人に「普遍的」に存在するものである。それが、「和」であり「ケガレ」であり「言霊」なのだ。井沢さんの「逆説の日本史」でひざを打ったこととあがるが、今、さらに親しみやすい形式で新しい本がでた。それが、この本である。

 聖徳太子の憲法十七条で一番大切なのは「和を以て貴しとなし、忤こと無きをを宗とせよ」である。五箇条の御誓文には「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」とある。そして、学校の通信簿での評価は「協調性があるかどうか」が人格評価の基準になっている。結局、1500年以上確固たる宗教が存在しているのだ、日本には。「和」であり「話し合い絶対教」である。談合や稟議は、要するに宗教問題なのである。

 ざっとこういう話を分かりやすい言葉で教えてくれる。この本も、買いですね。

2006年8月 5日

タイムスリップ明治維新

鯨統一郎
講談社文庫 675円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 文句なし面白い。「邪馬台国はどこですか?」の印象が強かったため、リアルな歴史ミステリーのようなものを期待しちゃって、こういうおちゃらけのようなものには抵抗を持っていました。が、読んでみたら「なんだ、やっぱり面白じゃん」。何かを学ぼうという「向上心モード」ではなく「ラジオドラマ」というような、気晴らしのようなスタンスで付き合うと、大好きになってしまう本でしょう。私は、通勤電車の時間が楽しみになった。

 この本を楽しく読むためには、幕末から明治維新について知っているとよいでしょう。司馬遼太郎さんの一連の本を読んでいれば、満足間違いない。この本で登場する人物の背景もくっきりしている揺るぎないものがあれば、女子大生がこの時代にタイムスリップしたくらいで「うそくせー」というような感情を抱かなくて済み、単純に楽しめると思うからです。

 もうちょっと鯨さんの本は読んでみよっと。

2006年8月 4日

ONOGORO / YAMATO




鯨統一郎
ハルキ文庫 各600円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 古事記が読みたいなぁと思って現代語訳を探していた。少し前に読んだ本は現代語訳ではあったのだが、話が断片的だったことと、編集者が学者指向があったようなので、「人を楽しませよう」という態度が欠けていた。もっと古事記がよみたいなぁと思っていたが、鯨さんが書いていた。なんだ、あるなら早く言ってよ。そう、うれしくなって早速読んだ。

 文句ないですね。古事記って、学問対象としてはどうなんでしょうね。人間の考えることは、今も昔も「なんも変わっておらん」ということを思い知らせれました。因幡の白兎やら海幸彦山幸彦、ヤマトタケルの話、稗田阿礼は結果的に面白いものを残してくれたものだ。そう思います。塩野七生さんのローマ史を読んでいて日本の古代って、つまんねーと思っていた私ですが、少し日本の古代人を見直しました。

2006年3月 8日

あの戦争は何だったのか

保坂正康
新潮新書: 720円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 塩野七生の推薦文が目に入った。「天国への道を知る最良の方法は地獄への道を探求することである。(マキアベッリ)」そういう意味で、あの戦争を考えることは大切である。自虐的な視点、無責任な視点、事故の体験が全てだという視点、そんなクソ本とは関係がない、Sicenza(サイエンス)の視点で書かれているだろうこの本を読んでみようと思い手に取った。塩野七生が変な本を推薦するはずがないのだ。

 軍隊の仕組みを見れば、自然とイエスマン+精神主義が台頭してくるのがわかる。後知恵ではるが、仕組みがそうなっている。武士でない人が武士道といっても無駄なのだ。自分と他人の区別がつかない人だから、現実と妄想の違いも区別がつかない。そんな人間が指導的地位にいるのだから、ダメになるに決っている。当時の軍幹部は平安時代の思考能力しかなかったように見える。すくなくとも、生まれてくるのに1000年は遅れてきたという感がある。

 同時に、これは過去の話しではない。西武やNHKや読売の有名な首脳陣をみれば、背筋がぞっとする、ことがわかる。彼がひょなな拍子で実権を握ればそれまでだ。実際、金融制裁はそうなっている。

 面白いことに気付く。結局、日本人の集団的レベルでは民主制を機能させるのは無理なのだ。歴史がない。人類的な自然淘汰も進んでいない。そんな中、制度だけ導入してもどうなるわけではない。同時に、イラクに民主制が成立しえないことも見えてしまう。問題は制度の善し悪しでも、指導者の能力でもない。人類の自然淘汰は「不均一」に進んでいるのだと、実感する。

 せめて、現代史は知っておこう。ローマ人とは違うのだ、日本人は。当たり前のこだが、人類は皆同じ、といような妄想にどう打ち勝つか。だめはだめなりに、Scienzaのマインドは身に付けたい。そう思った。

2006年3月 7日

大本営は生きている

保坂正康
光文社新書: 700円
お勧め指数: □□□□■ (4)

  大本営発表。全く信用ならないお上の嘘という意味である。その実態はどんなものであったのか。大本営の仕組み、発表内容、その実態を照らし合わせ、なぜこんなものがまかり通ってしまったのかを考えるための本。

 大本営発表サイドの軍・官僚はそれを媒介していたマスコミは、一部の人が処刑されただけで本質的な変かを遂げることはなかったようだ。戦後の「進歩的民主主義」といった文化人が無責任なことをしていたことを思えば、現在でも大本営はそこいらじゅうにあると言える。実際、ニュースをみればそう。

 自分には関係ない、というスタンスでは何も変わらない。歴史を知らずして権力を握ると、大抵大本営退出になってしまう。オリンピックの報道をみてみば、すぐにわかる。マスコミがおかしいのはその通りなのだが、そんなマスコミが存続できるのはそれを支持する普通の人が多いからだ。

 大本営発表文から構成された新聞記事を見てると興味深いことに気付く。見出し語や論調がスポーツ新聞的なのだ。この事実に気付いてからオリンピック報道の記事を見かけると「薄ら寒い」のだ。大本営は死んでいない。官僚からマスコミに主体が移っただけのようだ。

 学校で教える歴史は「過去から未来」ではなく「現在から過去」へ遡っていく方が良い。そうすれば、直接現在と関係のある歴史から知ることになる。「なぜ、そんなことになっているのか」を因果律を逆に遡及していけるのに。もっと、現代史を知ろう。そう考える。


2006年2月15日

歴史の夜咄

司馬遼太郎
小学館文庫: 580円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 日本人はとこからきたのかという素朴な問いについての対談集。酒を酌み交わしながらの雑談を隣できいているような気分になれます。古代(古墳時代、奈良、飛鳥)から鎌倉あたりを日本人の原形と考えています。貴族的な社会よりも、一所懸命の鎌倉の気質が日本的ということのようです。
 古代から平安にかけての朝廷は怨霊が怖い、ということが社会をドライブしてきたような感じがします。庶民など存在していないので、そんなものが社会を動かした。ところが鎌倉になると東国で公家が理解できないようなタイプの日本人が現れた。そんな語り口です。

 私はこの本をそんなに愉しめませんでした。司馬さんの対談本としては今一感はあります。


2005年12月 6日

隠された十字架

梅原猛
新潮文庫: 781円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 法隆寺には謎がある。建築にしても、仏像にしても、これまで教科書で教えられていたことは事実と違うかもしれない。あの寺は仏教興隆のためのものではなく、聖徳太子の祟りを静めるための鎮魂寺なのではないか。この仮説が冒頭に出され、残りはこの仮説を支持ずる事実を拾い出し、それらを組み上げてくという著作である。

 哲学者としてこの問題を扱ったのでこう結論づけられた。日本史の専門家ならば無理だったであろう。そのような内容を著作で語っているようである。たしかに、論理的に考えていく姿勢は流石だと思うが、実験ができないために仮説をささえる傍証には「?」とせざるを得ないものもあると私は思う。つまり、この著作の内容は哲学であって、科学ではないのだ。

続きを読む "隠された十字架" »

2005年10月22日

逆説ニッポンの歴史観

井沢元彦
小学館文庫: 695円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 主に戦後のマスコミについて論じています。実際にマスコミの記事を引用し、その記事のバイアス(偏見)を取り出し検討します。一種の社会科学という活動の実例です。嘘・ホント、良い悪い、正しい間違っているとい「言葉」合戦は避けて、記事の根拠とその背景、そして、それを無批判に「事実」として信じた人たちがどういう行動とっていたのか、それが、どのような結果となったのかを「明らか」にしてくれます。本来、ジャーナリズムとはこういうもんだろう、とため息がでます。「ジャーナリズム」を対象にしたジャーナリズムの良い本です。若干悲しい状態ですね、それって。文句なしに良い本なのだが、まぁ、一般受けはしないかもしれません。普段接しているメディアが正しい信じたい気持ちもわかりますし。

続きを読む "逆説ニッポンの歴史観" »

2005年7月12日

逆説の日本史5(中世動乱編)

井沢元彦
小学館文庫: 600円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 腹が減っては戦はできぬ。日本史で最初?に登場した「現実主義」の人たちの物語。いわゆる、鎌倉武士です。頼朝・義経・北条政子と1192つくろう鎌倉幕府、そして、鶴ケ岡八幡宮。こんな断片的な「知っていること」をいくらつなげても「意味をなすステートメント」はできません。ところが、この本は「なぜ、鎌倉武士に注目するのか、この時代から何を学び取れば良いのか」を示唆してくれます。自分の頭で「理解」した人の話は面白い。

 現実主義者という光をもてば、それ以前の人たち、あるいは、現在でも「主流」をなす人たちの行動の原因がわかります。ここでも、その切り口は「言霊」です。口に出したことは「現実化する」という信念、あるいは、無意識に感じる「自然の摂理」です。

続きを読む "逆説の日本史5(中世動乱編)" »

2005年3月15日

「言霊の国」解体新書

井沢元彦
小学館文庫 514円
★★★★★

 口にしたことは実現する。言霊は存在する。それが日本の宗教。この主張を一貫して行った「SAPIO」の記事を編んだ本。しつこいほどに日本の「現況」を指摘している。また、それが理にかなった説明。こういう新聞記事がないから、私は新聞を読まない。こんな記事で埋紙面が埋まっていたらなぁと想像してみる。ため息がでる。

 言霊と一緒に日本の「礎石として存在する精神構造」の説明されている。それが見事。日本史に何度かあった狂信的な(流れに乗る)人々の挙動を「言霊(コトダマ)」を使って説明している。

 「しかし、その絶対的な価値であったはずの「天皇」は、敗戦と共にその座から滑り落ちた。しかし、絶対的な価値への忠誠をたたき込まれた「奴隷」は、何らかの忠誠の対象がないと落ち着かない。「三つ子の魂百まで」だからだ。だから、その対象として、ある人々は「共産主義」を選らび、多くの他の人々は「平和憲法」を選んだのだろう」(本文から引用)

 言霊信仰であるかぎり、この性格からは抜け出せない。それは日本に住んでいる限り変わらない。つまり、日本で生まれ育った人がもつ潜在的病状を示している。

 日本の社会を論じた本であるのに、我が身に覚えのあることもある。マスコミの問題点などを説明する一本の強力な理由を私ははじめて理解させてもらった。 

2005年3月13日

逆説の日本史(4) 中世鳴動編

井沢元彦
小学館文庫 619円
★★★★☆

 汚れと穢れはちがう。穢れは目に見えない。洗い落とせない。物理化学的なものではない。他人のハシは穢れている。洗っても、だめなのだ。これも、日本人を考える上での外すことのできない特徴。これを知らないと、「なぜ、抗菌コート」があるのかわからなくなる。抗菌コートは汚れ防止ではない。穢れにたいする絶望的な防衛なのである。

 「経済的に豊かになると、ハングリーな部分が消え、代わりにケガレ思想が頭をもたげてくる。中国には「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、日本は「衣食足りてケガレを嫌う」のである。」

 高度成長期に「抗菌」なんてなかった。

 しかし、ハシの件だけを自分について考えれば、ケガレは「意識ではどうにもならない感情・情念として生成してきてしまう」ものである。理性ではなく、感情なのだ。そして、それが私の「差別感」と直結していて、間接的とは言え、自分の行動にも影響している。
 だからどうにかできる、というものではない。しかし、それに気づいた。だから、それを放置することは許されない。自分を変えるポイント、あるいは、評価軸が見えてきた。

2005年3月11日

逆説の日本史(3) 古代言霊編

井沢元彦
小学館文庫 619円
★★★★☆

 言霊。日本人の宗教。それも、相当根深いのだが、意識には上がらない。無意識が信仰している宗教、ということかもしれない。

 コトダマの世界では「外国の侵略」などというコトアゲをするヤツは、「侵略されることを望んでいるヤツ」である。だから、意見をいわさなければいいのだ。そして、一方で憲法を読む。「祝詞」だから、読めば読むほどその霊力(すなわちコトダマ)で世界は平和になる。

 これは、まさに日本の信仰を言い当てたものだ。口にすると実現する。口にすることは望んだこと。嫌なことは口にさせない。「それをいっちゃぁ、おしめぇよ。おっちゃん」である。

 なるほど、これはで「実際的」な行動をとれるわけがない。能書きばかりになる。そういう人は歳をとるほど多い。はじめて日本人の信仰を知った。いや、自分の「無意識が信仰している価値」を知った気がする。 

2005年3月 9日

逆説の日本史(2) 古代怨霊編

井沢元彦
小学館文庫 675円
★★★★☆

 聖徳太子は別に聖徳というわけではなかった。剣を持って自ら先頭をするような人だった。古代では、「徳」という字が諡名(死後つけられる名前)に入っている人は「恨み」をもって死んだのだ。そのたたりを恐れ、「あなたは徳のある人だった、だから、安らかに」という意図で「徳」がつけられた。
 とくに、怨霊について日本(貴族)はどこまでも恐れおののいていた、という説を繰り広げているのだが、かなり証拠をそろえて著者は説得している。何が、この人をこうまで語らせているのかと疑問に思う。東大寺の大仏をあっさり捨てる理由は、「要するに効き目がなくて捨てたのだ」ということなのだが、「そうかもしれない、なぜならば、現代でもあのプロジェクトがあったから」という気がしてくる。

 内容は論理的でありながら興味深い。説に「息」がある。読むほうも力が入る。何度も何度も、同じ内容のことが書かれているが、不思議に「嫌み」がない。読んでいるうちに、著者のペースにはまっているのだ。

2005年3月 6日

逆説の日本史(1) 古代黎明編

井沢元彦
小学館 650円
★★★★☆

 古代の解釈は歴史の教科書とはちがうものがある。そして、歴史の教科書より「面白い」ものかもしれない。学者が編纂した「事実列挙」は、それが事実であれば害はないが、思考停止やイデオロギーによるものならばかばかしい。歴史は現在の理由を「正当化」するものであるがゆえに、言いように書き換えられているものもあろう。著者のそういう態度は、資料不在が理由で「存在していない」という主張や古代人と現代人との宗教観のずれをもとに、日本史を再構築に結びついた。そういう主張のシリーズ。

 前置きには感心するし、同意もする。ただし、論理的には「切れが悪い」。自己矛盾しているところもある。まぁ、数学ではないのだから許せる範囲ではあるが、著者の限界を感じてしまう。
 ただし、内容は面白い。500ページの本であるが、つい読み込んでしまう。文庫本であるし、シリーズすべてを読破しようと思う。