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2011年10月26日

からくり民主主義

高橋秀実
新潮文庫
お勧め指数 □□■■■ (2)

ある種のルポルタージュ。
なんだろうけど、ちょっとおふざけ的な物言いで記述されている。
宗教集団に内部専有したり、原発作業の危なさを調べたり、政治家の実態に迫ったり。
平和時にはこれはこれで面白いかもしれない。
しかし、震災後にこういうものを読んでも、今それどこじゃないよね。
そういう気分になる。

2011年8月15日

報道災害

上杉隆
幻冬舎新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

原発報道に絞った上杉さんの報道批判かと思って読んだ。
が、半分は記者倶楽部批判であった。

社会にインパクトを与える問題をきちんと取り扱うことができない、あるいは多くの人が認識すらできないでいる。
その根本原因の一つに記者クラブの存在がある。

だから社会の問題のどれを扱っても、すぐにできる「第一歩」は記者クラブの廃止。
それが実現可能な処方箋になる。

今となっては原発処置は簡単ではないし、現に放射性物質が未だに漏れている。
やろうとしてもどうにもならない。

しかし、記者クラブの廃止はできる。
人が決めているルールなのだから。
記者同士の談合をなくせば、「まともな報道」があっというまに実現が可能。

原発報道については今でも問題が多い。
被害状況を小出しにしたり、誰かの失敗を隠そうとすることがつづけられている。
だから今後も被害はより拡大していく。

「社会に不安を与えるから」という理由で統制されている情報が、目に見える形(食品におけるセシウム汚染の海外からの補償要求とか異様なまでのガン発生率とか)になったところで、やがて少しずつ報道されはじめるだろう。

原発事故は地震が発端であったとしても、その後の経過は公害問題と同じ。
水俣病や薬害エイズと同じ。
報道がまともだったら「自分がおかれた状況をまともに理解できる」はずの人々が、むざむざと被害を受けて続け、その数は増えていく。

こういうシナリオに至る不幸の原因と処方のうち、すぐにでもなんとかできること。
それは、記者クラブを廃止であり、まともは報道の活性化ということである。

上杉さんの主張はこういうことに収斂していく。
なるほどなと思う。

これだけ割りやすい論理を言うにもかかわらず、上杉隆さんをテレビで見かけることはほとんどない。
MXTVの夕方だけだろう。

紳助問題を堂々と弁護し、闇権力の利用を肯定するような、「アウト」な司会者小倉のワイドショーみたいのは一杯あるのだが。

ぼくとしては政治報道よりも原発報道とそれにまつわることについて小杉さんに話をしてほしい。
しかし、なかなかチャンスがないでいる。

テレビがだめならラジオがあると思うのだが、それも難しいかもしれない。
電通・博報堂が入っているメディアでは、お笑い芸人さんが自分の意見を表明しただけでも、謹慎や解雇という検閲があるから。

本を読み終わり、ため息をつくしかないでいる。

2011年5月 9日

奇跡の脳の物語

茂木健一郎
廣済堂新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

あっ、このテレビ、ちらっと見たことがあるわ。
そんな軽い動機で買ってしまった。
サバン症候群の話で、題材は古くあらあるのだけど、茂木健一郎さんが扱うときな何に着目するのか。
そんな興味から購入したが、正直とりたてていうことはなく、うーん、という感想しかない。
つまらなくはないけど、たぶん数ヶ月で内容を忘れてしまう。

人間には普段の生活では発揮されないような潜在能力がある、ってことを知る本を狙ってつくったのか。
それとも、スゴイ人もいるもんだ、でつくったのか。
いずれのテーマも自分の普段の生活とあまり接点がない。
まぁ、それは当たり前なんだけど。

2011年5月 8日

日本復興計画

大前研一
文藝春秋
お勧め指数 □□□□□ (5)

大前研一ライブを本にした内容で、おもに原発の解説をしている。
復興についても言及しているが、このライブが収録された時期の問題や大前研一さんが原子力エンジニアだったこと、そもそも原発事故後が悪化すれば復興といっている場合ではなくなるであろう認識を持っているから、原発についての対「煽り」の情報を得ることができる。

当然だが、この本を読むと大前研一ライブを見れない人でも原発についてを知ることができる。
日本のマスコミ全社一斉の「煽り」に判断を惑わされなくてすむ。
正しい知識を得るということは、テレビをつけて民放の煽りを見ることではないことを心に刻みつけられる。

ただ、現在はどうなっているのか。
書籍だから一月ぐらいのタイムラグは仕方ない。
今後のことについての考えをまとめた次の書籍が待ち遠しい。

2011年5月 7日

3.11 クライシス!

佐藤優
マガジンハウス
お勧め指数 □□□□□ (5)

震災当初からの雑誌や新聞へ寄稿した文章をまとめたもの。

まずは政府・内閣を助けて危機的状況を乗り越えるという立場を表明しており、その必要性を読者に語っている。
それを翼賛するというのだそうだ。
翼賛という言葉は太平洋戦争時の大政翼賛会という言葉を思い浮かべてしまうので戸惑ってしまう。
しかし、いまは議論などしている場合ではなく、現場で行動を速やかに起こすことが大切だ、という意図があるようだ。

この国のルールにのっとって内閣総理大臣という職責のあるひとを助けるということが誰にも必要だ。
枝野官房長官も会見で言っていた内容で、私も深く同意する。

ぼくも震災当初から菅さん・枝野さんを応援している。
その理由は、震災後の日本が古代ローマ末期の状況に似たことになることを恐れているからであって、
それは塩野七生さんの著作の影響を受けてのそう考えているだけど。

だから、震災から1ヶ月もたたいないときの自民党やマスコミの内閣バッシングには呆れた。
この国のマスコミも野党も、原発のことが本当にわかっていないのだなと腹がたった。
この本を読んで、ぼくの考えが的外れではないことを知って大分安心した。

佐藤優さんといえばロシア情報の解説がずば抜けてる。
この本で少し触れられているが、ロシア発の原発震災論の流布は、現在のロシアの日本批判がかの国の原発事情のためだということを知った。
だから最近でも行われているロシア発のニュースを大きく動揺しないですんでいる。

佐藤優さんが外務省にいたら私のような普通の人が、ニュースの意味についても理解できないまま動揺して日々を送ることにならざるをえない。
しかし、私らにとって幸いなことに、ロシア外交については佐藤さんの解説を読むことができる。

混乱する気分を大分落ち着けることができた。 

2009年7月16日

その「エコ常識」が世界を破壊する

武田邦彦
青春新書
お勧め指数 □□□□■ (4)
bk1

 ecoという活動に対してのぼくの感想はは、基本的に武田邦彦さんの本から学んだことがベースにある。だから普通の人が抱くeco活動については疑問を抱いている。

 マスコミの呼びかけというものは、そのまま信じるとろくなことにならない。それは歴史も証明している。例えば夜のニュース番組を見ればいい。不思議な主張をそれぞれのキャスターたちが真顔でしている。物事の背景をちょっとでも自分で学べば、あるいは述べられていることに対する根拠を自分も探してみれば、あるいは、自分がよく知っている分野の状態に対する解説と提案を聞けば、ニュース番組をみるために自分の限りある時間を使うことはもったいないと感じるだろう。

 この本を読むと、事実を知って驚くと同時に嫌な気分を味わうことになる。そしてそのほとんどは役所とマスコミに対する不信感と嫌悪感になる。自衛のために学ぶことは必要だと思うが、一方でなにも嫌な気分を自分から進んで味わう必要もないだろうにという気分もする。

 いわゆる普通の人が始める「eco活動」の代表的なものに、ペットボトルの分別回収とレジ袋の廃止がある。ぼくはこんなことをやらない。ぼくはマイカーを使っていない。それだけで、マイカーを持っている人と同じ事をやる必然を感じない。自動車のガソリンのような高品質な石油生成物を使えば、いったいどのくらいのレジ袋ができるのだろうか。マイカーで五十キロも走ったら、ひょっとしたらレジ袋一生分くらいあるかもしれない。そう考えると、ペットボトルとレジ袋をどんなにリサイクルしても無駄だと感じるのだ。トータルの節約でいうのならば、自家用車ナンバーを持つ人がまずやればいい。

 普通の人ができるCO2削減方法はない。そう武田邦彦さんの著作にある。国のレベルで初めて意味をものを個人でやっても意味がない。工学という学問を学ぶとその感覚になっとくがいく。なにか良いアイディアを出したときにまず検討するのはエネルギー密度である。このオーダー計算(だいたいの量の計算)を行い、アイディアをふるいにかける。そして、たいていのアイディアは残らない。この観点から言えば、エネルギーを大量に使っているところに処置をすることがなによりも大切であって、一般家庭が束になってやっても効果がない。本当に削減するのならば、石油の値段を倍にすればいい。生活が苦しくなるはずだが、それで一発で削減できるはずである。マイカーに載っているひとが口うるさくレジ袋ゼロ運動をやっいたりする。そもそも、レジ袋を使わない運動を促進する人は、マイカーを乗り続け、クーラーをつけ付ける。自分が嫌な思いをすることは、実はやらないのである。いわゆる普通の人とはこういう人なのである。何かができるわけではない。

 本当に何かをするためには、個人の努力などを期待しても仕方がない。人にやらす事しか頭にない連中が、ガンなんだよなぁ。そういう落ちなのだ。果たして、どれくらいの人がそのことに気づくものなんだろうか。

2008年12月22日

だましだまし人生を生きよう

池田清彦
新潮文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 丸善本店

 池田清彦の自伝。池田清彦の本は大好きだけど、自伝がでるほど立派な人だとは知らなかった。おみそれしましたと思いながら読んだ。少年記から現在まで、一貫して昆虫少年であることとはどんなことなのかよくわかった。興味があるんだ、ということをうまいこと自分の職業に結びつける過程に感心すると同時に、そういう生き方はありえるのかと驚いた。こういう話はもっといろんな人に知らせて欲しい。昆虫が好きで、蝶やかみきり虫が好きで、それで立派な人になれる。ぼく自信も今はラッキーな職場にいるけれど、それでも池田清彦ほど浮世離れしてはいない。職業として池田清彦的なものが世の中にありえるのだと中学高校生に知ってもらうといいのに。リーマンになるしかないような指導しかない学校に生きていたら、こんなことが可能だと夢にも思わないで挫折する人が多いはずだから。
 もうひとつ以外だったこと。それは、池田清彦が東大ではないこと。養老孟司と一緒に本を書いたりすることが多いから、茂木健一郎や内田樹などのように「東大倶楽部」の人なのかと思っていたが、そうではないみたい。それでいて自由な世界で生きている。なんだ、そうだったのかと元気がでる。東大倶楽部の連中にはずいぶんと嫌な思いをさせれてきたので、池田清彦の過去を知ってずいぶんと気分が晴れた。
 この本で気に入ったところ面白いところは、学生時代のエピソード。池田清彦が大学生の頃の写真がのっている。へんてこなヒゲをはやしていたりして妖しい、でも面白い。こんな風貌で昆虫捕りばかりやる学生がいたのか。すごい。そしてそのまま職業でもやる。すごい。野原でこんなオッサンと出会ったら後づさりする。どんなに迫力があったことだろう。
 そんな学生時代に結婚された奥さんはなかなかよさそうな人で、よくこんなオッサンと結婚したなぁと思う。生命科学とか医療ならば普通の人から見ても「立派な」感じはするけけど、昆虫に明け暮れる毎日の人というのは、ぼくのような人間ですら「どうなんだろうな」とちょっと躊躇してしまうのだが。

 自伝というのは、この本のように後続のひとを鼓舞するようなものがいい。偉い人の自伝はともすると「おれは偉い」的なものになってしまいがち。あるいは客観視しすぎて「正確なのだろうけど、おもしろくないよ」となる。どっちも、それを読んで後続の人が鼓舞されることはない。ところがこの本は不惑のぼくが読んでも「おれもこういう研究者になりたいなぁ」と思わせるものがある。魅力的な人の生き方は、その人と同じくらい魅力的なものなんだ。そなことがわかった。
 ここで一つ思いついた。今からでも遅くないだろう。これから生きていく上でいろいろな選択肢があるだろうし、いろいろなことを考えたり思ったりするだろうが、自伝を書いたら面白いだろうなぁというエピソードになるように生きて見たら結果的に面白いんじゃないかな。そんな感想をもった。

2008年7月19日

がん患者よ、医療地獄の犠牲になるな

近藤誠+ひろさちや
日本文芸社 838円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jp

 近藤誠の本は自分を防衛する意味で読む必要がある。これまでがんや現代の医療についての本を読み、衝撃をうけた。近代医療と言われているものが実はあまり力をもっていなかったということ(たいていは衛生環境が向上したことが原因であって、医療の力や薬の力によって病気の致死率が下がったということはないという事実)、ガンであれ高血圧であり、コレストロールであれ、自覚症状というものが治療開始のきっかけにしたほうがよいということ(つまり、健康診断の無意味性)を知ったから。

 この本も死というものを著者二人の視点から語ったもので、結論は同一になっている。現代の仏教も医療も、ビジネスに取り込まれてしまっていることを教えてくれている。

 考えれば当たり前だ。医者になる人が人格者なわけはない。医者などはとくにそうだ。その選抜過程(高い学費、エリートマインド)、当然あってしかるべきだという高額な報酬と現実の乖離。病院などへは行く必要がない。だって、自ら食い物になりに行くだけだ。弱っている人から巻き上げるのが仕事だし、医療ってそういうものだから、ぼくはなんとか逃げたい。

 このほんでもがん医療の実体をよく教えてくれている。ガン患者ってのは、どうせ治らないから資金源のよなものだとうこと。恫喝して施術させそれで終了。あとは大抵死んでしまう。死んだところて仕方ない的な雰囲気がある病気だから、医者は気にしない。だいたいつぎから次へ患者がやってくる。ならば、がん医療なんて構造的によくなるはずはない。そういうことなんだ。

 がんは老衰なんだ。よくわかる。歳をとって死ぬことから逃れられないのと同じだ。抗がん剤や摘出施術のナンセンスさ。これ、統計学などをしっていれればがん医療という人災から逃れることは可能というところがせめてもの救い。

 近藤誠の本を読んでからここ数年会社の健康診断を受診していないが、受けろ受けろとうるさい。あんな検診は「かもネギ」なんだよと庶務に説明する気にもならない。つぎは受けますといって、ただ逃げるのみ。知識と理解力によって食い物にならないように自己防衛が必要な現代って、ほんとに煩わしい。医者はこちらの味方じゃないんだから。



2008年3月18日

ほんとうの環境問題

池田清彦+養老孟司
新潮社 1000円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 おお、このコンビで環境を語ったら本当のことしかでてこないだろう。『環境問題のウソはなぜまかり通るのか』と同一の路線だから、きちんと読んでおかないといけない。そう思って読んだが、まったくその通りだった。マスコミや役人は一体なにをしたのか頭を傾げたくなる。

 環境問題はウソである。それはわかっている。そもそも、数値シミュレーションの経験があるひとならば、100年単位の予測など「結果を先に先に決め手からかかるのだろうな」ということが透けて見てしまうので、それを根拠にしたあおりには余り興味を示せない。そもそも、一体どうしたいのだろうか、マスコミや役人は。その真意を伺いたくなるような洗脳キャンペーンを先進国はやっている。本当に、どうしたいのだろうか? オレらは偉い、ということを主張したいだけならばそうしていればいいのであって、なにも日本を壊すことはないのに。

 日本の場合は先の戦争前を思い返せば、環境問題がどうなっていくのか予想できる。そして、しかるべき本を読めば、役人・マスコミ・軍人、そして、それに従った普通の人々が単に自滅したのだとよくわかる。それは日本が国際社会のなかで一人だけ「すっごくよい方向へ」暴走しないような仕組みがあるのだろうと思っている。だから、環境問題の取り扱いの異常さと、その扱い方のばからしさの問題もその現れなんだろうと思ってる。面白いことに、きちんとした自然科学の手法がわかっているひとほど、文系でも理系でも温暖化問題をひややかにみている。一方、そうでない圧倒的多数の人は、温暖化がまずいと叫んでいる。この本の中で養老孟司が言っている。まるで戦争中に「欲しがりません、勝つまでは」と言っていた人のようだと。そして、そういう人って、社会に対してなんの責任ももたいにし持てない。

 こういう本ほど、きちんと読まれるほうがいい。それを影響力のある人がテレビで放送してほしいなと思う。”たかじんのばー”のようなとこでもいいのだけど、もっと影響力がある人がやってくれれば、ものごとはすぐに解決するのに。でも、だめなんだろうな。まぁ、いいや。他人のことを構っている場合ではないし。

 それにしても、新潮社は偉いと思った。どうしたんだろうか。


2007年7月 1日

インテリジェンス 武器なき戦争


手嶋龍一+佐藤優 幻冬舎新書 740円

ラスプーチン、ラスプーチンと呼ぶ言葉の裏に嫌みを感じる。
お勧め指数 □□□■■ (3)


 ともに実際の外交シーンで重要な情報を交換しあう、あるいは、それをし得る情報を持っているもの同士の対談である。手嶋が「ラスプーチン」と呼ぶときになんともいえぬ感情の奥底にある嫌みを感じてしまう。素直に言えばいいのに。内容も「実はあの時・・」とか「ああしなければダメだ」という話が多く、佐藤優のロジックからなにがしかを学び取りたい人には物足りない感じがする。というより、手嶋の話が夾雑物のように感じてしまう。なぜだろう。両者ともに重要な仕事をしてきたし、手嶋は『ウルトラ・ダラー』とうベストセラーを出した人なのに。外交官と記者という昔の立場の違いがうめられていないような気がする。

 この本でとくに気にいった一説はこれ。


佐藤 それから、インテリジェンス・オフィサーになる人間には、現地で怪しまれずに情報を収集するための擬装(カヴァー)の訓練を受けさせなければいけないのですが、その際、インテリジェンスの仕事を辞めても食べていけるような専門技術研修でみにつけさせることが重要です。ジャーナリストとか、料理人とか、古書店の店主とか、職業何でもい。先ほど言ったように、インテリジェンス業界の人間は国家元首は情報機関のトップに認知されたいという欲求が強いので、政争や組織内の人事抗争に巻き込まれる事も少なくありません。そうなったときに、組織にしがみつくしかない人間は、生き残りや復讐のためにめちゃくちゃな事をやるんです。しかし、別の職業で生きていける道が担保されていれば、その被害を最小限に出来ます。

 少なくとも外交官の人が全員こうであれば、おかしな事にはならない。首になったら高額な給料を貰えるはずがないと分かっている人が、ただ組織にしがみつきおかしな事をするのだろう。この人は実際それをたくさん見てきたのだろう。

2007年6月22日

ナショナリズムという迷宮

佐藤優+魚住昭
毎日新聞社 1500円
「思想とは何か」など、市井の人にとって考えた事もないことから語り始めてくれる。
お勧め指数 □□□■■ (3)

 のっけから引き込まれる。

魚住 まず議論の前提として思想とは何かという話から始めましょう。私の中にはとても浅薄だけど拭いがたい疑念があります。それはいくら思想、思想と言っても、戦前の左翼のように苛烈な弾圧にあえばすぐ転向しちゃうのじゃないかということです。特に私のように臆病な人間がいくら思想をうんぬんしたところで仕方がないんじゃないかと。
佐藤 魚住さんがおっしゃる「思想」というのは、正確には「対抗思想」なんですよ。
魚住 どういうこと?
佐藤 いま、コーヒーを飲んでいますね。いくらでしたか? 二〇〇円払いましたよね。この、コイン二枚でコーヒーが買えることに疑念を持たないことが「思想」なんです。そんあもの思想だなんて考えてもいない、当たり前だと思っていることこそ「思想」で、ふだん私たちが思想、思想と口にしているのは「対抗思想」なんです。

 なるほど。思想とは考えのベースになっている「当たり前のこと」なのか。であれば、自分がどんな思想を持っているのかは相当客観的に意識しないと認識できない。また、考えのベースになっている「当たり前」ことに意義を唱える「対抗思想」は、感情的に「良くないもの」と判断される。思想を持つ人は怖い、という言葉は、正確には「対抗思想は怖い」と言っていることになる。なんとも、いろんな事柄、連続的に納得することができる。

 「キリスト教思想史」のような「〜思想史」を勉強すれば思想とは何かについて考えるのだから、このような「本人が、社会が当たり前だと思っている約束事、あるいは価値」を思想と呼ぶと知っているのだろう。しかし、そうではない人は

人がもつ,生きる世界や生き方についての根本的な考えで,その人の生き方・考え方を規定する。社会的・政治的な性格をもつものをいう場合が多い。(新辞林・第三版)

のうに、わかったんだかわからないのだかの説明を聞いて忘れてしまう。そして、マスコミ等で「思想」について語られると、事実を分からないまま要するに良くないという結論に誘導されてしまう。

 この本では、戦前戦後の政治史、差別、マスコミについて分かりやすく語ってくれている。こういう対談では、対談者が両者ともに切れる人であるより、ちょっととぼけた普通の人が突っ込みを入れながら話題を展開してもらったほうが分かりやすい。

 余談だが、この本はアマゾンで買ったのだが、今は全くアマゾンのデータベースで検索できなくなっている。品切れの場合は「品切れ」と表示されるはずなのだが、本が存在しないことにになっている。何かあったのだろうか。

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2007年6月10日

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

佐藤優
新潮社 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 役所で一番大切なのは物語である。良い物語にはおカネがつき、つまらないものは消される。それはいかなるレベルであっても、いかなる種類の役所であっても同じ。これがこの本を読んだ感想である。

 普通の人は鈴木宗男や佐藤優という名前を聞くと、あっ、ムネオハウスの人ね。あるいは、あの大悪党ども。そういう認識であろう。政治問題に別段強い興味を持っていない人ならばそれですむ。悪いやつらが警察につかまった。そういう単純な理解である。このような犯罪についての真実を個人では知り得ないし、知ったところでどうしようもない。だから、マスコミ報道を疑うことはない。ハリウッド的な結末を物語を耳にして安心するというのが一般的な終わり方であろう。

 この本はその事件の犯人の一人とされた佐藤優自身が事件の経緯を綴ったものである。もちろん、その内容が全部事実だとは思えないし、そう期待しないほうがよい。記憶とは自分にとって分かりやすいように、都合が良いように整理される。また、受け入れたくない体験はどんなに正直な人であっても無意識によって封印される。だから、事実は人によって異なることになる。これが芥川龍之介の『薮の中』である。この本は佐藤優にとっての「事実」であるが、それが他の人にとっての「事実」かどうかは薮の中になる。ならば多数決原理はどうか。関係者の証言の多数決原理は本質的に意味がないようだ。自供をが一致する意味について、この本のなかでの検察側のテクニックとして紹介されいている。

 単なる自己弁護ならば、この本の内容ほどに興味深いものに成りえないと思う。この本は発売2年で23刷なのだから、関係者以外の普通の人にとっても面白いし勉強になると思われたようだ。もちろん、政治とはあまり関係がない私も興味深く読めた。読んでいると、「この部分は本当だがこの部分は丸めたな」という感じがするところがいくつもある。もちろん、それは私の想像でしかないのだけど。

 著者は「国家の罠にかかって逮捕された」のだと主張している。書名からそう判断できる。犯罪行為はしていない。私はやっていない。そうとも言っている。ではなぜ、この人の弁明が面白いのか。その理由は、具体的事例の説明に納得する事が多いからだ。例えば、なぜムネオハウスはあんなにしょぼいのかという疑問にきちんと回答している。著者は、「金が欲しかった」「権力が欲しかった」という動機を強くもっていないであろうことは、この本を読むとわかる。著者は東大エリートのような玉ではない。結局「おれが偉いのだ」に落ち着くタイプの人ではないようだ。面白い小説は例外なくキャラが立っている。そして、この話でも登場人物のキャラがたっている。だから、そもそもこの本は面白い。それだけで読む価値がある。

 養老孟司がある本のなかで「著者はロマンティストである」と言っている。読んでみて同意した。この本で説明された経緯が事実なのかどうかは知りようがない。それを議論しても仕方ない。それより、この人は何を主張したかったのだろうか。神学を専攻した経歴からわかるとおり、普通の人とは違う問題意識、違う価値観を持っている。その人が「常に国益を優先して行動した」といった場合の「国益」とは何をしているのか。よく分からない。一般人と佐藤優との間に勘違いがうまれるとしたら国益という単語の意味するところだろう。国民の圧倒的大多数は私も含め「熊さん、八さん」なのである。そういう人たちの利益を指しているのかどうか。

 この本で一つはっきりしたことは「国策捜査」というものがあることだ。要するに、政治的な理由により特定の人を逮捕することが目的で国が動くことがある。「事件があったので逮捕される」のではなく、「逮捕するために事件を探す」のである。罪をでっち上げるのではなく、逮捕の基準値を下げて微罪で逮捕するということだ。ならば、この手の事件において、マスコミの話を鵜呑みにするほどばからしい事はない。逮捕される理由は、実はどうでもいいことだから。著者が獄中から弁護士に送った手紙からの引用してみる。

・・・今回は、国策捜査の手法について、私なりの見解を記します。国策捜査の場合、『初めに事件ありき』ではなく、まず役者を決め、それからストーリーを作り、そこに個々の役者を押し込んでいきます。その場合、配役は周囲から固め、最後のカケラを『まっ黒い穴』にはめこむという図式です。役者になっていると思われるにもかかわらず、東京地検特捜部から任意の事情聴取がなかなか来ない場合は要注意です。主役か準主役になっている可能性があります。ストーリー作りの観点から物証よりも自供が重要になります。ストーリーにあわせて物証をはめ込んでいくという手法がとられます。私がかつて行っていた仕事の経験からすると、情報収集・分析よりも情報操作(ディスインフォメーション)工作に似ています。国家権力をもってすれば、大抵の場合、自供をひき出す事に成功します。特に官僚や商社マンなどは子供の頃からほめられるのに慣れ、怒鳴られるのに弱いので、ストリー作りのための格好のターゲットになります。情報操作工作の場合、外形的事実に少し嘘を混ぜ、工作用ストーリーを作り上げて行きます。ストーリーが実体からそれ程かけはなれていない場合、工作は成功します。国策捜査の場合、どの様なストーリーが形成されるかについて、私は注意深く観察しています。

 もし、真実はそもそも人によって違う「薮の中」ならば、捜査による事実解明は本質的に不可能になる。部外者が一番理解しやすい「物語」は何か。それが捜査のやること。この発想は、ホームズやポアロなどヨーロッパ世界が信じている「真実は一つ」という考えと矛盾する。日本人は、無意識のうちに「薮の中」を持っていて、真実は一つなどとは思っていないのかもしれない。だからこそ、「適当なストーリーをつくり人を逮捕するという仕事」に需要があり、それが正しい仕事とされている社会を作っているのかもしれない。

 こう考えると、国の活動のうち何パーセントくらいがこういう「物語作り」に費やされているのか気になる。ゴミ、医療、経済などいくら「物語」を作っても解決しない仕事は政治・官僚にもたくさんあるとは思うが、しかしほとんどの役人のほとんどの時間は、「物語」作りに費やされている。ならば作家にやってもらったほうがよい。少なくとも面白い話のほうがいいような気がする。

2007年5月 9日

NASAを築いた人と技術

佐藤靖
東京大学出版会 4200円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 異なるキャラクターをもつ組織が一緒になると発生する古くて新しい問題についての博士論文を一冊の本として出版されたものである。宇宙開発の組織も他の世界にある組織と同様、人間臭い問題でもめるのだ。人間だって個性はあるのだが、それが集団化すると「自分に個性があるのと同様、他人にもある」という認識をもっているわりに、自分の所属集団の特徴を先鋭化させてお互いもめるという行動に発展する。NASAは発足当時がそうだったし、日本は今やっている。

 少し長いが引用してみる。


 "シェイは、持ち前の工学的才能と情熱で、各センターの関連業務すべてを自らの管理のもとに置こうとした。部下を使って可能な限り多くの情報をセンターから吸い上げ、可能な限り多くの技術判断に参画しようとしたのである。こうした状況があって、フォン・ブラウンは、シェイが「手に余る」仕事を抱え込んで各センターの技術能力を「破滅」させ、各センターをNASA本部の単なる「支援会社」の地位に追いやろうとしている、というようになった。もちろんフォン・ブラウンもNASA本部が各センターを監視する立場にあることは分かっていた。しかし、彼にしてみれば、シェイがマーシャルに割り込んできて、マーシャルの一丸となっての集合的営為を脅かしているように思われた。

 シェイとフォン・ブラウンは、根本的に異なる技術観をもっていた。フォン・ブラウンは、時を経ることによってのみ育つ、言葉や数式では表現しきれない技術実践こそ価値があるものと考えていた。一方シェイは、あらゆる技術アプローチや技術判断は言葉と数式で明示的に表現でき、はっきりと説明・伝達されるべきであり、実際の場面で技術者が技術的内容を説明・伝達できるかどうかはひとえにその人物の優秀さいかんにかかっている、という考え方をとっていた。「君が理解しているなら、僕を理解させることはできるはずだ」といういう彼の格言が、そうした彼の信念を端的に荒らしている。”

 この箇所を読んで気がついた。「バカの壁」である。話せば分かると思っているシェイ。自転車の乗り方やラーメンの微妙な味の違いについても同じなのだろうか? それは技術ではない、という人もいるだろう。しかし、技術のなかにも「言葉表現できない」レベルのものがある。対象が複雑であれば、簡単なモデルにはならない。それでも、その対象を扱うことができるのならば、その人は「言葉で表現できないこと」を用いて作業しているのだ。そして、それが技術的な問題の根底にあったりすることがある。結局、シェイの発想はシェイに理解できることにしか適用でない。真っ暗な道で落とした鍵を探すとき、街頭の下だけを歩き回るのと同じことになる。

 このタイプの問題は、宇宙開発だけに限ったものではないようだ。当事者の回顧録やインタビューなどをいくらよんでもこの本のようなレベルでの把握は無理だろう。部外者の冷静な目。日本もアメリカも、おんなじ事をやっているなぁということに気付けば、もっと科学史や技術史を読みたくなるはず。


2007年4月18日

成人病の真実

近藤誠
文春文庫 600円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 世の中おかしなやつは役人だけではないのですね! 医者って「あったまいい」と思うのが普通だけど、薬害エイズのあのじじいのように「何回でも死んでくれ」といいたくなる人が結構な確率でいるんですね。逆に、医者ってのも良識のある人とかいうテレビドラマの影響からはずれて、その辺にいる人と同じだと理解できれば「さもあらん」。そんな事実がばかばか書かれています。病気について心配していない人も知った方がいいことを知ることができますよ。

 高血圧や糖尿、コレステロールって本当に「病気なの」という問いが存在し得るということを初めて知りました。この本を通じてのメッセージですけど、「自覚症状がないものは、処置する必要なんてないんですよ」というのが原則のようです。検診をして初めて知ることができるものが、なんで大切なんですか? 脳ドックなんてのを初め「処置しなければいいのに、早期処置という触れ込みで処置すると患わなくてもいい後遺症に苦しめられるか、死んでしまうか」ということだと初めて知りました。

 がんについてが専門の先生ですからがんについての見解は非常に納得がいきます。その他、ワクチンや感染症の特効薬って意味があったのかどうかをデータで示してくれます。役人が改ざんした文章ではなくね。

2006年11月19日

それでもがん検診をうけますか

近藤誠
文春文庫 486円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 医療業界もペテン氏の集まりだとうことがよくわかった。なんでまた、人間を食い物にする集団が後を絶たないんだろうか。近藤さんという著者に会えて、命拾いした感がある。

 ガン検診には意味がない。肺ガン、胃ガンの検診は実質効果がないことが世界レベルでは既知であり、大腸ガン、子宮ガン、乳がんもその検診の有効性は見いだされていない。それなりに、なぜ国を挙げて実施されているのかといえば、データのいんちきな解析・解釈であり、その結果生じる検診産業の飯のたになるからだ。要するに、社会にいる人をかたっぱしから百害いあって一利無しという検診装置にぶち込んで、どうでもいいような「がんもどき」を発見し、治療と称した切った貼ったを行い、検査費、治療を稼ぎ取る装置になっているのだ。そこには、人のためなど考えていない「偉い人」がいるわけで、それにリエゾンとして技師だの事務だの業者だのがぶら下がっているのだ。なんだかどこでも同じ構図なのだから、やり切れない。少なくとも、私は金輪際がん検診など受けることはないだろう。

 がんの分類を単純に考える。(1)転移するがんは助からない、(2)転移しないがんは助かるかる公算が高い。(3)早く成長するがんと、ゆっくり成長するがんあり、ゆっくり成長するものはそもそも「寿命」までかかえても問題ない。早いものは当然症状がでてくるので、その段階で処置すればよい。問題は、転移するがんは検診で発見できるよりも小さいときに転移していまうので、検診には意味がないということだ。転移する前に発見すればいいというのが早期がんの発見を推奨する根拠で、じつのところそれは不可能に近い。とうことは、がん検診で見つかるのは、ゆっくり成長するがんであって、それは自覚症状がでてから処置をしないと、余計な手術で臓器を奪われ不幸への道をまっしぐらになってしまう。不条理なことに、余計なことをしておいても医者は「感謝せよ」といってがっぽり稼ぐことになる。まぁ、建設業界でも道路業界でも、根は同じ連中がやっているのだ。実に阿呆くさい。

 なぜ、池田さんがこの本を紹介しているのかよくわかった。結局この本も、圧力がかかって絶版になってしまったようだ。社会というのは、人間を食い物にしている装置が至るところにあるようだ。

"一般的にいまや人間ドックをふくめ検診業務は、病院にとって、重要な収入源です。検診をすることによる収入があるばかりではなく、検診で発見した病気を治す過程でまたもうかる、という一石二鳥の構造があります。それがゆきすぎると、ささいな異常所見を協調して、病気や病人をつくりだすことにもなってしまいます。
 それにしても、検診部門の構えだけは立派で、一般外来や病棟はうす汚い、という病院が多々あります。それは構えを立派にして、なんとか一般人をよびこんで病気を発見して病人に仕立て上げ、仕立て上げてしまえば逃げないから、きたいない外来や病棟に送り込んで収支を改善しようという、アリ地獄的発想が根底にあるのです。”

 なんとか検診を受けさせよう(カモを沢山引き込もう)ということになる。

”ひどい話ですが、ひまなときには精検(精密検査)率を高め、忙しいときには精検率を下げている検診機関もあるといいます。
 つまり、検診機関やそれと関係のある医療機関では、毎週何人かの検査受診者があることを予定しているのです。予定した数の精検受信がないと器械や技師があそんでしまうし、経営にもさしつかえあることになりますから、要精検と判断する率を調整して、精検受診者が絶えないようにしているのです。”

 検診を受けたら必ず病気になる。異常なし、だと「保険料がおりない」から。

 日本の社会は、じつに馬鹿馬鹿しい落とし穴が沢山ある。また、ひとつ生き残る知恵を得た感がある。まぁ、医者ったって、薬害エイズの悪党であった阿部という人や、そもそも、製薬会社の創立者は731の幹部だったということから、医療にも悪いヤツが多いのだろ。普通の職業人の集団である病院というものは存在できないものか。まったく、いやな世の中である。

2006年10月29日

イケズの構造

入江敦彦
新潮社 1100円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 京都人の特性である「イケズ」についての解説書である。ぶぶづけ食べていきますか?と言われて、はい、といったら「とんでもない失礼にあたる」。そんな具合に「イケズ」的な特徴は一般的に誤って認識されている。そこで、京都における重要な身のこなし方であるイケズについて、その心理的な側面や人間が普遍的にもつ傾向をもとに説明してくれている。しゃらくせぇ、こちとら江戸っ子でぇ、とすぐに口走りそうになる深川在住のわたしもでもイケズを理解することができた。じゃぁ、京都が好きになりますかといえば、まぁ、それは「無理」。イラクやイラン、レバノンなどイスラム圏の国を旅行したいと思うけれど、だからといってその国の習慣が好きにはなれないだろう。それと同じ意味で、面倒なイケズにつきあってられねぇ、ですな。

 この本を読んで理解したイケズの機能は「+」と「−」があり、一つは皮肉に代表される「人をあしらう」もの、もう一つは「より深い関係になりたい、じゃれたい」というもの。京都の人は、他人に恥をかかせんように「やんわり拒否する、教えてあげる」方法としてイケズを使う。それは普通の人が理解しているイケズ。明らかに「ー」の意図がある。だれも、楽しい気分にはらないですし。しかし一方で、よりこの人と関係したい、じゃれたいときにもイケズなことを言う場合があるようです。これは「+」の意図。言葉だけ聞いていると、すごい皮肉合戦で嫌な気分になったります。しかし、当の本人たちは「ー」の感情はない。そもそも、嫌いな人は「無視」だそうです。日本のいじめの一つである「シカト」ですね。結局、根のところは陰湿なんですが。

2006年10月28日

暴かれた9.11疑惑の真相

ベンジャミン・フルフォード
扶桑社 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 徳間では「トンデモ系」が払拭できなかったのか、それとも売れるから引っ張られたのか扶桑社での発刊である。内容は徳間とほぼ同じ。状況証拠の解説と証拠写真という構成になっている。おまけにDVDもついている。こちらの方が、911だけに焦点が絞られている感じがする。こんだけ有名になると、つけ狙われたり消されたりしないのかなこの著者は、と心配になってしまう。日本の記者は、こういうジャーナリズムには関心がないないようなので、海外から来ている人の記事に頼るしかない。有り難い情報源である。

2006年10月27日

5000年前の男

コンラート シュピンドラー
文芸春秋 650円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 以前から気になっていたので、読んでみた。マンモスほどではないが、氷付けの古代人発見の話。紀元前3000年というのだから、シュメールなどの時代の人と同じ。この人、文字は知らなかったのだろう。しかし、遺品として残っている斧や矢筒などは、本当に良くできた工芸品ですね。ロープやヒモなども。手工芸の世界。極めて当たり前なんですけど。

 この本は、そのミイラの発見とそのミイラについての一般向けの報告資料をまとめたものであって、そんなにワクワクするような記述ではない。おそらく、そういう本を書いたことがない人の本なのだろう。発見にまつわる(人間臭い)エピソードは、まぁ、どうでもいい。しかし、古代の持ち物や衣類の説明など、できればTVで見たかったなぁというのが正直な感想ですね。

 この手の本は、通常の3倍以上のスピードで眺める読み方をしてしまう。知識を得ることが、あるいは、興味を満たすことが目的なので、「文章の善し悪し、表現のうまいへた」などは期待していないからか、通勤電車ではぺらぺらページをめくってしまう。そういう読み方もありかもしれない。この本は、それでも分かるような記述であったともいえる。