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2012年4月20日

生きるための論語

安冨歩
ちくま新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

論語についての解説書なのだが、どうして今なんだろうか、と疑問に思って手に取った。

日本人は長いこと論語が教養の基本にあったし、教育は素読から始まっているじゃない。
歴史小説でも時代劇でもよく紹介されている。
だから、「論語の内容の意味」は完全に理解されているものだと思っていた。
が、どうやら違うらしい。

現代中国語とも違うようだから中国人が読んでもしっかりと根拠のある、しかも意味が理解されうる解釈というのは「ない」ようだ。
それぞれ「こうでしょ」という了解の元に論語が教訓かされている、という状態なのだ。

だから、安富さんが今「この解釈はおかしい、こう考えないとつながらない」ということを言い出してもなんら問題はないわけだ。
これまで、そんなインチキな理解度の上に日本の学問と呼ばれしものがあったのか。
びっくりする。

この本で、孔子が言いたいことをたどっていくと、どうやら「学ぶ」ってことが中心課題なんだってことになる。
もっといえば「制御」の考え方が入ってくる。
これも驚く。
フィードバックですよ、ある種の。
そんなのを孔子は主張していたのか。

いかにして学び続けていくか。
これが要するに人生ってことですね。

誰もが文句をいわないだろう理解なのだが、この本を読まないとぼくが言っている意味はわからんだろう。
いろいろ勉強になりました。

2012年3月23日

内部被曝

肥後舜太郞
扶桑社新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

内部被曝というものがICRPではあまり考慮されていないのではないと言われている。

どうしてなんだろうか、ということについての答えは、原爆の取り扱いにあるようだ。
現行の広島・長崎の被爆者研究から数値は決まっているのだけど、その被爆者は初期放射線の影響調査を主体にしていて、放射性降下物による影響については、考慮されていないという問題があるらしい。

どうしてそんなことになるのか。
それは、原爆を非人道破壊兵器として「認められないようにする」ための米軍の方針に原因があったということだ。
つまり、内部被曝のような、広範囲で何年もの期間にわたって人が死んでいくことが原爆の効果にあるとなったら、それは毒ガスと同じ扱いになってしまって、「使えない兵器」になるから。
それだと米軍は困る。
だから、放射性降下物の内部被曝に関係するような健康被害は「全くない」ということになったそうだ。

だから、内部被曝については、現在までに研究が足りてない。
被曝量が少ないと、DNAを破壊するということに由来するのではない原因で健康被害を受ける可能性がある。
その可能性は少ないと主張されているが、それは「何の問題もない」ということはない。

何が真実なのか、それをぼくは知りようがない。
が、怪しいとわかっているのらばそれを知りたい。

もうちょっといろいろ調べてみたい。

2012年3月20日

今を生きる親鸞

安富歩
樹心社
お勧め指数 □□□□□ (5)

絶対他力について、こんなわかりやすいたとえ話を読んだのは初めてだ。
以下、はじめにから引用する。
この本での議論は、この部分がすべてだと言っていい。

以下、引用する。

-----
私が「他力」というものと出会ったのは、中国の黄土高原というところでした。
ここから親鸞へと向かう一本道を辿る旅が始まりました。

この大層な田舎では、何か事前に目的を決めて計画を立てて実行しようとする
と、恐ろしいくらい、次から次へと困難がふりかかり、ひどい目にあいます。
たとえば誰かに会いたいと思って、車でどこかへ移動しようとしても、車が見
つからない。車が見つかっても車がなかなか来ない。車が来ても、今度は車が
壊れる。車が壊れなくても、運転手のやる気がないなくて止まる。運転手のや
る気があっても大渋滞で進まない、等々。
こういうことが連続技で襲いかかってきます。私が参加した深尾葉子氏の率い
る調査グループは、過去にこのような経験を数限りなくしていました。

それでというとうとう諦めて、目的も計画もなく、ただブラブラしていると、
人が面白がって寄ってきます。そこでおしゃべりしていると、その人が偶然、
私たちの会いたい人の知り合いだったりします。それで「その人に会いたいの
だ」と言うと、じゃぁ今すぐ行こうということになります。だけど車がない、
と思っていると、その人の知り合いがたまたま車で通りかかる。その人が止め
る。運転手と話す。するとたまたま、その方向に行くところだった。じゃぁ乗
せてくれ、と言って乗ると、道も混まずに辿りつく。着いたら合うべき人は、
客と会うために家にいたのだけど、その客が急に来られなくなったので、暇を
持て余していた。「丁度良いところに来た」ということで、忙しいはずの人と
たっぷりと話すことができる、等々。

そういう経験をしているうちに、「流れに逆らってはいけない」ということを
嫌でも覚え、深尾氏はこういうやり方を「波乗り方式」と呼んでいました。流
れに乗って波乗りをしていると、思いかけない、面白いことに次々と出逢うか
らです。この調査に参加して同じ経験をした私は、「目的」や「計画」や「責
任」といったものは、波乗りを邪魔するものだ、と考えるようになりました。
そこでそれを、

「無目的・無計画・無責任」でなければ、目的を責任を持って計画通りにすす
めることはできない。

と表現することにしました。逆に、

目的を計画通りに責任をもって実現しようとすると、目的を計画通りに責任を
もって実現した」ことにするために、巨大な「やっているフリ」をすることに
なる

とも考えています。
----

2012年3月19日

官邸から見た原発事故の真実

田坂広志
光文社新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

原発災害の最初の状況や対応について、菅首相の動きの裏にあった「良識部分」が見えた。

原発事故の情報がないなか、どんな人がどんな判断をしていたのか、あるいは、政治家が原発事故について何かを決める判断の根拠は何だったのか。
そのあたりに興味があったのだけど、マスコミ情報がソースではなんだかさっぱりわからなかった。
そのわからなさが、ぼく個人の官邸に対する不信の原因でもあった。

が、これを読んでみて、なるほど田坂さんのような人が、後ろでいろいろ作業したのだと知って、少し安心した。

これまで田坂さんの本は結構読んだと思う(最近のはチェックしていないが)。
「もうけてやろう、優秀な人が愚劣な大衆を相手にもうけるのはいいことだ」的な、ごく普通のビジネス本とは「全く違うタイプ」の、ある種の理想を詩で語っていたような不思議なビジネス本だった。
おそらく田坂さんは、そういう正攻法で人生をやってこれた、非常に珍しいビジネスパーソンなんだろうなぁと漠然と思っていた。
が、そのバックグラウンドは原発関係の研究者だった、とは知らなかった。


事故発生後の福島県民の被爆について、とくに低線量被爆についての政府の対応は今でも「まずいなぁ」と思っているが、東電や保安員たちの情報ブロックの元では、あのような対応になるのは仕方ないかもしれない。

また、田坂さんは、当初から4号機の使用済み燃料への注意、あるいは原発事故は化学プラント事故とは本質的に異なる事件なんだと首相に認識させることには成功していた。
ならば、保安員や安全委員などが首相の近くにいるよりも、日本にとっては「とりあえず生き残る」ためには田坂さんがついてくれてよかったなと感じた。

いわゆる反原発の人のアジテーション的な叫びでもって世間の人に原発の怖さを伝えるのも方法ではある。
が、田坂さんがこの本で示した手順による説明のほうが、多くの人には話を頭に入れやすい方法だろう。

もっとこの本について多くの人が語ってほしいし、読んでほしいと思う。

2012年3月16日

さよなら、もんじゅ君

もんじゅ君
河出書房新社
お勧め指数 □□□□□ (5)

もんじゅ君って、なにもんなんだろう。
そういう感じの解説が読めます。

著者自身のことを語っているだけあって(?)、高速増殖炉について、原理的なこと、存在自体が危険であることを説明してくれます。
表紙の絵は子供のように思えますが、絵本とは違います。
中学生くらいからなら十分理解できると思います。
できれば、全国の中学校の文庫に寄贈したいです(そういう活動があたら、ぼくも何冊分か寄付します)。

以前読んだ、高速増殖炉の怖さをまた思い出しました。
もんじゅを推進した人たちは、現実とSFの違いがわかないか、ある種の自滅願望があるか、日本を消そうした外国の意向をくんだ人なのでしょう。
普通に生活する人なら普通に質問するような、「あの、一次側の配管が壊れたどうなりますか?」というようなことも怖くて考えられないでしょう。

もんじゅはやばい。
誰だって読めばわかるだろう。
どうして読まないんだろうか?

そういう疑問をいま持っています。

こういう本って実はあまり売れない、あるいは売れても数万部というところでしょう。
つまり、人口比で考えたら、テレビで盛んに放送でもしないかぎり「国民が知るところとなる」ということにはならないわけです。
それに、原発銀座圏内にある書店では「扱っていない」という話もあるようです。

もんじゅ君、死んでくれ、と思うのはこの本を読んだ人の願い。
かわいいキャラクターだけど、「ですだよ」という語尾も好きだけど、でも消えてくれ。

2012年3月15日

おしえて、もんじゅ君

もんじゅ君
平凡社
お勧め指数 □□□□□ (5)

なめた感じの本だなぁ、と思っていたが、まぁ読んでみた。

原子力を使った発電について、その辺のニュース解説よりも遙かに知見を得られるすばらしいまとめ本だった。
なんだよ、こんな本があったんかよ。

どういう方が書かれているのかわからないが(いや、著者は高速増殖炉か)、わかっている人が書いているな、ということはよくわかった。
そういう人って、テレビの解説を見ててもほとんど出てこない。
つまりはテレビをどんなにみてても、この本を一冊読むので得られる理解には、多分達することができないだろう。
そういう本だった。

奥さんに是非本でもらおうと勧めているが、逆にそれがよくないのか、読まれないままになっている。
とくにいい本は人に勧めたい。
だけど、熱心に勧めるほど温度差がでてしまって、読まれないということがよくあるもの。
こういうとこは、さらっと、しかも謎めいた説明をするのがいいんだろうけど、なかなか。

2012年3月14日

放射性廃棄物の憂鬱




楠戸伊緒里

祥伝社新書

お勧め指数 □□□■■ (3)


放射性廃棄物の最終処理の研究を原子力開発機構でされていた人の論考である。
といっても、日々の生活やおもしろかった体験を語っているのではなく、廃棄物処理とはどういうものかを一般人に語るというもの。
地層処理のための技術やそれにまつわる疑問や不安について。

「オンカロ」については、なんどかNHKで放送されたこともあるので知っている人もいるだろう。
地中深くに高濃度の放射性廃棄物を「おいて」、蓋しちゃうという単純なこと。
だが、それがえらく難しい。

そんな処理方法をフレート境界上に位置する日本でやるってのはそもそも無謀なことなんじゃないか。
そう素人ながら考えていたが、それをするための技術って、あるようでないようで、なんかあまり気が晴れない説明がこの本にあった。

311前には廃棄物処理の研究って日の当たらない仕事のようだったようだし、その後も会社的に理解されるような仕事ではなかったようだ。
楠戸さんは仕事場を変えているくらいだから。

高濃度の放射性廃棄物は日々相当量が福島第一で出現している。
使用済み燃料ではなく、循環冷却水のフィルタや水。
原子炉そのものもそうだし。

廃棄物処理は年金同様「先のこと」として対応していられなくなった。
突然目の前に大量に現れた。

どうするのだろう。
それを考えることを仕事としていた人が、投げちゃうようなことなんだろうから。

高齢化が進む日本に、54の原子炉廃棄なんて、できるとはどうも思えないのだ。
前人未踏のことばかりをじいさんたちがやれるとはあまり思えない。

2012年3月 2日

ヤクザと原発

鈴木智彦
文藝春秋
お勧め指数 □□□□■ (4)

タイトルだけから判断すると、原発作業者の仲介にヤクザが絡んでいる、という告発記事を想像する。
週刊誌ネタとしては、まぁ、そうだろうと思うし、実際そういう取材番組もNHKで見たことがある。
知りたくないことであっても、知らないといけないよなぁ。
そんな気分で読んでみた。

ところが予想をちょっと裏切るような内容だった。
ある意味、より根深いことで、より深刻な状況なんだと理解した。
ヤクザというのは、一過性の役回りで街に絡んでいる者ではなく、原発業界食い込んでいる、と言うより、その事業の土台の所でヤクザは一定の役割を果たしている、ということのようだ。

原発が立地しているところは、そもそも寒村だった所で、何も仕事がない場所だった。
そういうところに、技術や努力がさほど必要ない労働が大量に必要になる仕事が降ってくる。
必要な労働力のほとんどは労働者であり、箱もモノなどは普通の土建屋できるようなものばかりだ。
こういうところに大量のお金が降ってきたら、そりゃほとんどがヤクザ基盤に吸収される。
ヤクザといっても、麻薬を密売するようなタスクではなく、単純労働の元締めとしての存在である。

原発立地地域でのお祭りに顔を出せばすぐにわかる。
箱物として作った公民館での演歌歌手のショーは誰が読んでいるのか、調べればすぐにわかる。
原発立地の社会では、そういう組織を必要としているので、ヤクザも長く存命できているというわけだ。
もはや、良い悪い、という関係にはない。
彼らは、日々の生活を続けていくうえで必要されている存在なのだ。

人間社会を、感情抜きで見ていけば、機能として必要であり、解として安定した方法なんだとわかる。
なるほどなぁ、と深く感心する。

こう考えると、被害者というポジションを話さない原発立地の人たちへの見方が変わってくる。
まずは原発事業の恩恵を受けないのに甚大な被害を受けている場所への手当が先だ。
事業を受けてきた土地は、一番後でいいだろう。

2012年3月 1日

検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか

日隅一雄+木野龍逸

お勧め指数 □□□■■ (3)

東電が何を隠したか、というと壮大な意図のもとに何かを伏せるような印象を受けてしまう。
が、そんな知的な意図は彼らにはない。
「問題があるから言わないですまそう」。
これまでの(そして今でも)そんな行為の集大成のように思えた。

都合の悪いことは言わない。
言わなければ、なかったことになる。
人の命よりも我が社(東電ね)のメンツ。

彼らの行為は、じっくりと何十年にもわたって考え続けられた上でのものではない。
単に儲かるからで進めてきた原発事業でしかない。
なので、何かを語らせるときには「安全です」しか言葉がでてこない。

現実には安全ではないのが明らかになると、もう言葉がない。
だから、小学生のような適当なことしか言えない。

不思議なことで、そんな人達でもずっとやっている「それっぽく」見えてくる。
が、彼らは実質なにも変わっていない。

この本での内容が明らかになっているのに、未だに大本営発表を流すマスコミ。
もはや構造的な欠陥があって、それはもうどうしようもない。

死にたくなかったら、どこにまともな情報があるのか、に注意していかねればならない。
改めて、よく反省した。

2012年2月28日

放射能から子供の未来を守る

児玉龍彦+金子勝
ディスカヴァー・トゥエンティワン
お勧め指数 □□□□□ (5)

児玉さんの国会での怒りの発言を見たことがある人は多いだろう。
「政治は一体何をやっているのか」という、あの映像だ。
あの時期、民主も自民もみな菅おろししかやっていなかった。

それが政治家とうものの正体みたりで、本当に嫌になった。
あれに加担した政治家は、今では「実に大変だった」みたいなことを言っているが、
どの面下げて言っているのか全くわからん。>自民の党首、お前もだよ。

東電も政治家もみな陸軍と同じように無責任集団なんだとよくわかった。
だから、内部被曝については、この人達の言っていることを信用するつもりはない。

自分で情報を集めて、対応できるところをなんとか対応する。
それくらいしかできない。
一番信用できないのは国であるから、国の発表は全部ゴミ箱に入れて、まともな情報源をどうさがすのか。

筆頭は児玉先生たちからの情報発信だろう。
もちろん直接かかるわけにはいかないけど、かれらの発信するものをまず受け止め、理解して、自衛につなげる。
これしかない、現実的には。

実にわかりやすい本だった。
変に心配するより、テレビや新聞を見るよりも、こういう人たちの活動を知り、そこから情報を得る。
それしかない。

2012年2月27日

ホットスポット

NHK ETV特集取材班
講談社
お勧め指数 □□□□□ (5)

「ネットワークで作る放射能汚染地図」というETVの番組を見た人は多いだろう。
震災当初、原発の汚染がなんだかよくわからない時期、この番組は数少ない情報源だった。
具体的にどう助かったということはないにせよ、情報をつかむことでかなり冷静さを取り戻すことができた。
情報って冷静になるためには必要なのかと知ったきっかけだった番組で、僕にとっては思い出深い。

その番組のスタッフが番組成立時の話をレポートしてくれている本である。

あの番組では木村真三さんという研究者が、被災地に行ってガツガツサンプルをとったり、町の人にアドバイスしたりというシーンを見て、頼もしく、もう「すがる思い」を感じた。
本当に立派な研究者だなぁと。

ただ、肩書きがなく所属研究所が紹介されていないは不思議だった。
その理由がわかった。
彼は、震災直後に所属機関から「仕事をしてはいけない、自ら放射能を測ったりしてはいけない」という命令を受けて、即日その組織を辞職してこの取材に協力していたのである。
つまり、フリーだったのだ。

自分の仕事を、歴史的観点から考えられる人。
ある瞬間に、さぁやるべき時が来た、ということでスパっと行動できる人。
いるんだなぁ、今でも。

また、そういう人を軸に、取材する人たちもちゃんとした人達がいた。
この本を読んでいて、なんだか嬉しくなった。
マスコミにはまだ少しはまともな人達がいるって思って。

そういうば、ぼくはこの番組を見て感動し、払っていなかったがBSの料金も払いはじめたのである。
彼らにNHKは少し感謝したほうがいい。

今でもそうだが、見るべきNHKの原発番組は、Eテレでやっている。
総合では放送できないのだろう。
Eてれって、本当にNHKの良心だよなぁ。


2012年2月14日

地震と原発 今からの危機

神保哲生+宮台真司+小出裕章+河野太郎+飯田哲也+片田敏孝+立石雅昭
扶桑社
お勧め指数 □□□□□ (5)

この本は去年から書店に並んでいるのを知っていたのだが、どういうわけか買わなかった。
夏前の状態で、原発の情報がとても知りたかった反面、こういうところでジャカジャカ本を出版して設けてやろうというような姿勢の本にも思えて、手に取らなかった。
ぼくも例外にもれず、「煽り」については最大限の警戒をしていたので、この本の表紙のようなものは、原発で危険な作業をしている人を揶揄しているか、あるいは、危険を面白いように煽っているかに思えてしまった。
だから、買わなかったのだろう。

その後、videonewsを見るようになり、コメンテータの宮台真司さんの発言に、ただものならぬ「すげぇなぁ、この人、何でも知ってんだ」的なオーラを感じ、ちょっとばかり本を読んでみた。
必ずしも興味が持てない(というか、理科系だからか、思想用語でしゃべるような感じの人に嫌悪感を抱く)にもかからず、内容に魅了されてしまった。
どうやら、既存のニュースとは全くことなる観点から社会を見る術を学べそうな気がした。
この本も、原発についてを知りたいから買ったのではなく、宮台真司さんの発言を読みたくで購入したのである。

発売当初に読んでみれば、この本が一つの基準となって情報を集めたのではないかと思った。


2012年2月13日

放射線医が語る被ばくと発がんの真実

中川恵一
ベスト新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

人々の不安を真っ向から「それは勘違いであり、間違いである」と宣言する本。

福島原発事故で、飯舘村を含めて一般の人の被曝量は、癌になるようなレベルにはなく、また政府が「大丈夫だ」といっている食品を摂取する分には「全く問題はない」と宣言している。

ちまたに溢れる多くの書物は「放射線医ではない、ましては放射線医学が専門ではない人」たちが、根拠が薄い、論拠がない、あるいは、学会では全く定説にはなっていないことを根拠に、やれ小児がんが増えるだの、内部被曝のほうが外部被曝よりも危ないなど、人々を不安にさせるようなことを言っていて、全く困ったどころか、逆に人々を不安に陥れるストレスを生じさせるので、よろしくない。
こう、主張されている。

今回の福島原発の事故により漏洩した放射性物質が原因で発生する小児がんは一人もでない。

こう、力強く宣言されている。

そう宣言させる論拠は、年間100ミリシーベルト以下ではガンは増えない、増えたという症例はないこと。
チェルノブイリのケースは、牛乳に規制がかけられなかったためにそれらを飲んだ子供が10シーベルト(ミリでもマイクロでもない)レベルの被曝をしたためであって、福島の子供たちとは被曝量が3桁違う、などである。

根拠は明確であり、言及したこと、つまりガンは生じないという意味もわかる。

なーんだ、そうだったのか、じゃ、心配する必要ないかな、と思うだろうか。
そうはいえないような気がする。

いくつかの点で疑問に思ったことがある。
まず、小児がんについて。

中川さんによれば、甲状腺がんは5年生存率が高いし、手術もできると言っている。
小児がんになった人でガンで死んだケースはチェルノブイリでも数十から100人オーダであるという記述があった。

この人は放射線医療の人だから、ガンではない、とか、死んでない、とかいう言葉を少し吟味しないといけない。

以前、小児がんでも死んだ人数は少ない、という事実は聞いていた。
が、去年チェルノブイリを扱ったNHKの番組を見た時、「なるほど、そういうことか」とびっくりし、また言葉の勘違いを理解したことがある。

それは、「ガンで死んでない」ということ「五体満足だ」ということは違うということだ。
NHKの番組では紹介された子供たちはチェルノブイリの被曝にあったが、ガンではない。たしかに違う。
しかし、奇形だったよ。
もちろんその番組ではそれを強調してはいなかった。
だから、ひょっとしたらチェルノブイリと関係ないと判断しているのかもしれない。
関係があるのかないのかすら、一視聴者の僕にはわからない。
が、でも、あれは映像にモノを言わせたのだと理解した。
ときたま映る子供の姿の一部が痛ましくて、悲しい気分になった。

僕は「あぁ、そうかぁ、そういうことだったのか、死んでいないということと健康被害がないこととは違うのだ」と理解した。

だから、こういう医者の言うことは、よく吟味しないといけない。
そう思ったのだ。

中川さんによれば、チェルノブイリ以後、汚染地帯に近い人々の平均年齢が有意に下がっているのだが、
これらは「ストレスによるもの」と言っている。
放射能による影響はないのだが、心配してストレスで死んだのだと。
それで平均寿命が5−10年短くなったと。

それはないだろう。

さらに、ガンはタバコをやめたほうがいいとか、交通事故とかそういうほうが危ないとか、
論点を変えようとしている。
だって、そっちのほうが今回の問題よりもずっと「アブいない」因子が大きいから、ということでそう主張されている。


そこでまた先生に聞き合いのだ。

ガンの医者は5年生存率とか、ガンかどうか、とかそういう単位で話をする。
しかし、一般の人はそんな尺度はとらない。

子供はガンになることは殆ど無いのだから、そもそもなるのが「おかしい」のではないか?
助かろうが、どうしようが、10万人に一人のものだろう?

手術で治るというが、「完全に」治るのだろうか?
生活に置いていかなる不便も感じないようになるのだろうか?
さらに、ガンではないけど、いわゆる奇形的な症状は「原発以前と以後とで発生の違いはない」のだろうか?

聞きたいことはもっとあるが、この本の著者は、結局のところ、東大の先生である。
ぼくら普通の人は、もはやあなた方を「東大の先生だからという理由で信用する」なんてことはしない。
むしろ疑う。

あと3年もすれば、いろいろわかるだろう。
医療機関やマスコミが正常に機能していれば、だけど。
それで「全然被曝の影響はでなかった」というのであれば、素人のぼくの心配は全く勘違いだったなぁと知ることができる。
そうなるといい、と心底思っている。

もっとも、そんな検証をする以前に、次の地震で東京は壊滅、ないしは、機能停止していたら、結果なんて
どうだっていいことになるのだが。

不安は不安。
仕方ないので、できるだけ防御して、離れているに限る。

先生方にとっては「サンプル」や「現象」として普通の人の生活があるのかもしれないが、おれらにとってはリアルで、かつ一生に一度の生活なんだ。

ガンかガンでないか、なんてことに集中させ、困ったことや可哀想な結果となるリアルな他の事象から目をそらせようとはしないでほしいなぁ。


どっちにしろ、被害にあうのは普通の人なんだ。
今からでもできることはやったほうが「後悔しない」で済むというものだ。

2012年1月29日

原発社会からの離脱

宮台真司+飯田哲也
講談社現代新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

最近になって宮台という人を知って、その発言の的確さと、まぁ呆れるくらい物事をよく知っている、ということに驚いた。
そして、その人の「物事の周辺を見わたしてからの」発言に興味を持って何冊かの本を読んでみた。

宮台さんは社会学者だそうだ。
そもそも社会学なるものにはある種の胡散臭さを感じていたので、この手の人には最初っから興味を持っていなかったのだ。
けど、こうしてこの人の本を読んでいる。
凄い人ってのは、どの分野の人であっても結果的に知ることになるんだなぁと納得する。
凄い人はいないか、なんて探さなくてもいいのかもしれない。

ところで内容について。

一読しただけであれこれ評論するなんてことは当然できない。
読んでいるとき、そうだったんだ、そうなっているんだ、そんな状態なんだ、の連発である。

その対象は、日本の政治(家)について、官僚について、マスコミについて、政策について、あるいは世界の政策についてなどに及んでる。

ぼくはこれまで原発事故についてはいろいろ読んできた。
が、「なんだよ、これよんどきゃ良かったのかよ」という気分になった。
原発関係で目に入った本はなるべく購入して読んでいたのだけど、どうして手に取らなかったのだろうかと疑問になる。

原発の問題は、結局のところ官僚の人事システムを変えないとダメみたいだ。

人事か予算に関係しないことはそもそも官僚がタッチしないそうだ。
また、官僚がその担当分野について何かを知っているということはなく、2年でローテーションするのでつねに素人だという事実もあるらしい。
そして、そんな官僚よりも政治家ははるかにものを知らないし、できないという事実もあるようだ。

日本の仕組みがわかれば、今の状態が続く先が暗いことはよくわかる。
これで日本がよくなったら、そりゃ奇跡だろう。
今の日本があるのは、太平洋戦争で軍隊や政治家を追っ払ったせいだ。
が、その効用も切れた。

原発問題についてどうするのかについてよりも、消費税や議員定数ばかり注目されている。
きっと次の総選挙はそれが争点になったりするのだろう。

結局、官僚にやられるんだろう。

とはいえ、命までとるまい、なんて思っているかもしれない。
が、太平洋戦争などは命がとられたし、福島の土地や難民などは命をとられようとしているわけだ。

ニュースで報道されていることとは違うことが、自分の命に関わることが、報道されないで起きてるということなんだ。

それにつけても、個人の無力感。

2011年12月18日

原発と祈り

内田樹+名越康文+橋口いくよ

お勧め指数 □□□□■ (4)

原発事故について、圧倒的多数の人とは別の方向から発言している本。
正直、今だから楽しく読める、という気がする。

少なくとも、橋口さんの発言は、これは確実に関東にいなかった人のものではないか(知らないけど)。
3月14日から一週間、関東にいた人の発言ではない気がする。

いや、原発の状況が悪化していくさなかの人でこのような余裕を持っていた人がいたんだろうか、と疑問になる。

本書では、原発を「おかしな連中が囲っていた変な機械」と見ないで、ある種の「神」あるいは「怪物」とみなし、災害は「祟り」とみる。
原発が怒りに震えて爆発してしまったからには、心情としては「祈る」ということをしたほうがいいんじゃないか。
そう考えた提案がこの本で話されている。

一理ある。
原発が制御不能になったら、大多数の人は「祈るよりない」わけである。

ところが、お三方は「なにもできないから祈る」というネガティブなことを言っているわけではない。
もっと積極的な方法として「祈り」を挙げている。


2011年11月24日

3.11以後

茂木健一郎+竹内薫
中公選書
お勧め指数 □■■■■ (1)

非常に残念なことなのだが、茂木健一郎さんの本はもう期待できないのかもしれない。
とくに、このお二人が重なると「俺はすごい」的なオーラがでちゃって、どうしちゃったんだろうかと思う。

飲み屋で社会に向けて「バカなやつら」てきな愚痴を言い合うだけならいいけど、そのまま本にしちゃった感がある。
あちゃー、という感じ。
どうして編集の人は、もうちょっと普通の人に合わせた本にしようと努力しなかったのだろうか。

いや、こういうほんが「素晴らし」ということになるのだろうか。
わからない。
アマゾンではまだ書評がでてないけど、おそらくあまりよい点はもらえないのではないか。

なんか、ホントに残念だ。
次回作を買うか?
少なくとも新刊では買わない。
『脳と仮想』のようなラインを本を、読みながらワクワクするような本を、気長に待つか。

2011年11月15日

地雷を踏む勇気

小田嶋隆
技術評論社
お勧め指数 □□□□■ (4)

面白いなぁ、このエッセイ集。
日経BPのウェッブに連載されているらしい。
最近のウェッブにはこんなに面白いものが掲載されているのか。
感心した。

小田嶋さんの発言は、普通の人がみれば「そりゃそうだ」というもの。
アイディア自体の奇抜さとか目立ち度とか、そういうものはあまりない。

復興会議の提言文書が「文学作品」であることとか、韓流についてのフジテレビの商売といての報道ということ。
言われれば、たいていの人は「そりゃそうだ」と理解できる。

そして、そこがこのエッセイの面白さなんだろう。
読んだ瞬間に「俺もそう思っていた」と思える。
だから、周りにいる人に自分の意見として語ってみようと思ったりする。

気楽に読んで、賢くなれる、というのだろうか。

佐藤優さんとかのように、背後に深い深いキリスト教神学があって、そこからの発言だったりするものは、とても「おれ、こう思うんだけど」なんて、人に話そうという気にならない。
しかし、小田嶋さんの話は、誰でもが知っているところをベースに発言を作るので、「ひょっとしたら俺でも思いついたんじゃないか」と勘違いできるようなくらいわかりやすい。

だから、読んでて嬉しくなるのだろう。

また一冊新刊がでるようなので、楽しみだ。

2011年11月 8日

日本の問題

ピオ・デミリア
幻冬舎
お勧め指数 □□□■■ (3)

震災発生から時間を追って、現場で取材をしようと試みるイタリア人記者のメモをまとめた現場レポート。
伝えたいことは「現場の惨状」とか「放射能の恐怖」とかではない。
現場に行く、ということが実に難しく、いろんなところに協力者がいないと難しい、ということだろう。

必ずしも「きれい」なまとめ方をされていない。
小説ではないので物語があるわけではなく、印象的なイベントをポツポツと紡いでいる感がある。
が、それが実際の取材というものの実情なのかもしれない。

落ち着け、安全だと一般の人には放送しているわりに自分の家族は西へ逃がし、自らは原発から50キロなんて領域よにも入らなかった、また入ろうともしなかった日本の記者たちと、ピオさんは全く違うマインドを持っている。
いかにして近づくか、いかにして伝えるか。
そのための工夫を凝らしている。

何が起きたのかよくわからないからできるわざ、のようにも感じるが、それでも(日本のマスコミを含めない)ジャーナリストって、すごいものだなぁと感じる。

2011年11月 3日

有事対応コミュニケーション力

鷲田清一+内田樹+上杉隆+岩田健太郎+藏本一也
生きる技術!叢書
お勧め指数 □□□□■ (4)

岩田健太郎さんが震災のチャリティー活動して行った講演会の内容を文字に起こした本。
補足として、内田樹さんのブログが掲載されている。
震災後数ヶ月たっての講演なので状況が落ち着きはじめた頃であり、震災直後の状況もチラホラと報道されはじめたという状況で講演会である。

内田さんの「疎開のすすめ」について、どういう意図でブログについて、その後どういう反応があったのか。
いろいろことが言われている。
「影響力がある人がそういうことを書くな」という脅し?のようなものも結構あったらしい。
その内容を読む限りにおいて、ふつうのことを言っているだけで、決して煽った内容には無いっていないのだが。

疎開のすすめ:http://blog.tatsuru.com/2011/03/16_1119.php

ただし、その数日前から同じような警告を内田さん発しており、ぼくも相当動揺し、都心から離れた。
臨界が1台で起きれば、構造が同じで並んでいる原子炉でも起きるだろうと用意に想像できたから。
やれる選択肢を選択できるのならば、逃げない手はないと思ったから。
その意味で、当時の状況をよく憶えている。

この段階では、上杉隆さんが教えてくれたような、マスコミの大本営化については知り得なかった。
マスコミの記者たちは自分の家族を関西に逃したうえで「安全だ」と言っていたとか、誰も規制区域に入らないで取材したような顔をしていたとか。
上杉隆さんのはたった数十分の話ではあるが、東電以上にマスコミというものが信用できないことがよくわかる。

上杉さんの著者は売れているが、本を読む人と読まない人との溝は深く、テレビしか見ない人には伝わらない。
だから、依然として多くの人が震災直後・震災後のマスコミのやったことについて知らない。
今後もテレビでは流れることがない。
内田さんのような、影響力がある人との本でバインドされて、世間に流れて、本とは馴染みがない人にも知られていくことを期待するよりない。

そういうこととは別に、発起人の岩田健太郎さんについての活躍が目覚しいと感慨を持った。
現実的なスキルを十二分にもつ感染症の医師なのだが、大の内田樹ファンのようで、岩田健太郎の活動(とくに著作)をトラックしていくと内田さんの影響を見てとれる。
また、講演会などにもゲストスピーカーとして読んでいるので、内田さんのコンテンツを見ることができる。
ぼくとほぼ同世代だと思うだけど、実に立派な人だなぁと感心するし、今後も活躍を楽しみにしている。

さらに、技術評論社がこういう叢書を刊行するのはすごいなと思ったが、結構内田さんや関係のある人の著者くが出版されており、僕としては「全部揃えるか」という気分になっている。

2011年10月28日

原子力神話からの解放

高木仁三郎
講談社+α文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

高木仁三郎さんの活動には頭がさがる思いがする。
が、そのどれもこれも必ずしもうまく結果に結びつくことができなかったようだ。

高木さんは政府や巨大企業に完全と立ち向かった人。
なぜだかしらないが、小学生のぼくも高木仁三郎の名前を知っていた。
いや、読んだのかどうか忘れたのだけど、岩波新書の『プルトニウムの恐怖』は知っていて、放射能が漏れたらすかさずヨウ素を飲む必要がある、ってずっと覚えていた。
もう30年前なのに。

今回の事故でも、多くの人が「ヨウ素を飲む」という断片的な知識は持っていた。
が、それがこういう人の啓蒙活動が部分的に(不完全に)広まっていたことを意味しているのかもしれない。


報告書の巻末についた「事故調査委員会委員長所感」のなかで、委員長の吉川弘之氏は次のように言っています。この事故の「直接の原因は作業者の行為にあり、責められるべきは作業者の逸脱行為である」。(P18)

ロボット工学を勉強したことがある人ならば吉川の名前を聞いたことがあるはずだ。
東大総長だってやったはずだ。
それが、こんな陳腐なことを言っているのだから、東大ってほんとに腐っている。

すべての作業工程において、作業者が実際に作業している。
だから、作業者が直接の原因に決まっている。
しかし作業者が作業工程を「創造」することはない。
上司の支持に従っただけのはずだ。
それが、こんな風に言わてしまうとは、ホント嘆かわしい。

この所感は、東大に研究費が流れこむのをやめないために東電を応援するためのものだ。
とはいえ、こういうことを平然と結論づけるのは、人格が卑しいことをモロに見せてしまっている。(東大卒の人は、だいたいそういう人だと思っていいでしょう)。

この発言とその後の国や東電の姿勢を憂えて、高木さんが書いたのがこの本である。
現在原発についていろいろ言われていることのほとんどは、すでにここに書かれている。
「想定外だからしょうがない」なんて発言は、これだけの本が出版されながら言えるはずがない。
マスコミを含め、あまりお粗末な人が記者をやっているんだと再確認できる。

とはいえ、ぼくは反対派といわれる人の行動には、違和感を持ってしまう。
高木学校の人たちについての行動がNHKでは報道されはじめているが、どうだろう、人の風貌をみるとぼくには抵抗をもってしまう。
ちょっと付き合うのはやめようかな、という感じである。
東電や国やり方に対応するには、その人達と符号が逆なだけで似てくるのかもしれない。

この本は原発の危険に対する知識を与えてくれる。
テレビで放送することなどない、それでいて「あたりまえのこと」を義務教育を受けた人には理解出来る形で教えてくれる。

それに納得したからといって、反対派のメンバーになる必要はないと思う。
ただ、生きていくために、プロパガンダにやられないために、生き延びるために知っておくべきことだろう。
推進派だろうが反対派だろうが、物理現象については知っておくべきだよ、ホント。

2011年10月27日

原発と、危ない日本4つの問題

武田邦彦
だいわ文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

武田邦彦さんの発言が、原発事故直後から多くの人に届いたらどんなによかっただろうか、と思う。
マスコミでは取り上げられることがない情報をあえて発言してくれている。
一部では「デマ野郎」呼ばわりされていたが、この人は専門だったし、研究者だったし、しかるべき地位にいた人だ。
並の人間の発言よりもよっぽど信頼できる。
マスコミはそんな事すら調べないで語っていたわけだ。

震災直後からいろいろな情報を発信していたが、最近は福島の子供の内部被曝に焦点を当てた本を執筆している。
内部被曝による小児がんの発生は、もう警戒することも防ぐこともできない。
だから、せめて健康管理の継続と被害追求のための記録を取ることを現地の人に勧めている。
そういう啓蒙活動を行なっている。
この本もそういう流れの中にある。

今後の原発について、悲観的な予測はしていない。
しかし、放射能と共にどう生活していくのか、農産物・海産物についてどう国民は対応していけばいいのか。
そのあたりをこの本は説明している。

ペットボトルや温室効果の問題で、政府がどれだけおかしなことをしているのか追求してきた著者、
ここで原発災害という著者の勝手知ったる分野での政府批判がくるとは、著者も考えていなったのではないか。
ずいぶんと絶望した気分になったのではないか。

まぁ、政府がまともな対応を取ることができないということは、さすがに著者でもわかっているだろう。
役人は数年でローテーションするから、素人さんの集団であって、やることは間が抜けている。
それは構造的な問題だってことを著者はわかっている。

だから役人の対応を待つのではなく、先回りしてできることをしたらいい。
小児がんの発生は史上類をみない数になるだろうし、政府は原発との因果関係だって認めるはずはない。
そんなことを期待せず、自分の身を守る方法を考えて、先回りして準備しよう。

そういっているように思えた。

2011年10月25日

原発推進者の無念

北村俊郎
平凡社新書
お勧め指数 ■■■■■ (0)

これだけ不愉快な本を読んだのは何年ぶりだろう。

タイトルや経歴をみると「そういう視点でかかれたのか」と思ってしまう。
が、単なる迷惑クレーマの愚痴でしかない。

そこには反省だとか後悔だとか、そういうものはない。
あるのはボランティアの人への嫌がらせだし、当事者意識がない自慢のようなものしかない。

ぼくは平凡社新書の編集者の目を疑った。
売れればなんでもいいのかよ。

この表紙の色を見ると、胡散臭さで満たされて、この新書シリーズを買うことはないだろう。

2011年10月24日

東電解体

奥村宏
東洋経済
お勧め指数 □□□□□ (5)

東電というものがどういう組織なのか。
それは株式会社という形態をとっているが、実質はどういうものなのか。
国と官僚と東大、あるいはマスコミとはどう関係しているのか。
これを一発で説明してくれる本である。

あれだけの事故を起こし、多くの人の財産を奪い、健康を損ない、放射性物質を空気中、陸上、海中へと拡散させ、平然と嘘の情報を流し、政府からの援助を要求し、それでいて被害者に補償をしない。

それでも倒産しない。
減資をしない。
本質的な損はしていない株式会社東京電力。

要するに、何をやっても「大丈夫」、なぜなら国民が払うからという会社ができていたのだ。
株式会社をここまで大きくすると「完全に無責任な行動が取れるのだ、自由なんだ」という「実例」を多くの人が目撃している。
株式会社って、最終的な責任は「とらなくていい」ということにも多いなるバグがある。

そういう問題提起の本である。
この本に沿ってNHK特集を4夜連続でやってくれはしまいか。

世界中の人が「でかく」なり過ぎが株式会社に迷惑している。
だから、東電を一つの例にとって、なぜこうなったのか、なぜこんな会社がまかりとおっているのか、どうしたら無害化できるのか、をテーマに番組を作れば、世界中の人が「共有」してくれるはずだ。

バグは解消する必要がある。
東電社員、なんてことはない差別対象でいいだろう。
これ読んだ人は、さすがにそう思うだろう。
どうやったら、この組織を無害化できるのか、それが喫緊の問題だということだ。

2011年10月17日

ピンチの本質

桜井章一
ベスト新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

年配の人からこういう話を聞いてみたいなぁ、と思わせる内容だった。

ピンチとあるが、それはある種の運なり境遇なりの評価だと思えばよく、結局は運というものとどう付き合うのかだと語っている。
どう考えればいいのか、どう反応したらいいのか。
答えのない問題に対しての一つの方針について。

その問題に正解があるわけではない。
だから内容に説得力があるとしたら、それはその言葉の発信者が誰かということだろう。

なんだかんだいって、必ずしもうまく条件が揃えられていない状態で人生を渡ってきた人。
その人の言葉には、論理的な部分もあるけど、そうでない部分もある。
それにもかかわらず、話の内容に頷き、参考にしようと思ってしまう。
結局は誰が語っているのかが最重要だろう。

うまいこと生きていないなぁ、と感じている人は、どうやったらうまく生きて行けるのか、についての答えを探す。
誰かがその方法を知っていると思っている。
しかも、知ってそうな人のイメージを最初から抱いている。

桜井章一のイメージは、うまいことそれにマッチしている。
だから、ぼくも何冊も読んでしまうのだろう。

2011年10月13日

秀吉を襲った大地震

寒川旭
平凡社新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

地震について知りたい。
かと言って、科学的な予測とか余地とかはあまり信用できない、というか役に立っていないので、過去の地震についてを知りたい。

日本で発生した大地震については、ちゃんと記録されているものを丹念に調べると、繰り返しが見て取れる。
自身の被害についても、蔵が倒れたとか、山が崩れたとか、そういうことから震度が推定できる。
そんなふうに古文書から日本の地震についての研究を紹介をする本を以前読んだ。

日本の古文書を読んで研究するには、研究者レベルの理科系要素と歴史家レベルの日本史研究要素が必用になる。
両者を同時に兼ね備えている人はめったにいない。
通訳がない状態ので会話が難しいのと同じだから、どこまで地震のパターンが信頼できるのかまではあまり一般には紹介されようがなかった。

とはいえそういう研究者はゼロではない。
有名な研究者が何人かいて、この本の人もそのうちの一人のようだ。

秀吉を扱った歴史小説や大河ドラマについては、何本か見たことがある。
それでも、大地震に見舞われて、というシーンは見たことがない。
伏見城が被害を受けたことは雑誌で読んだことがある程度で、それ以上のことは知らない。

戦国末期、大地震が幾つかあって、山が崩れて城が埋まりお家断絶、なんていうこともあったそうだ。
日本史で名前を暗記するような人物も、一歩間違うと地震災害で死んでいる、ということはありえたようだ。
もっといえば、やっぱり昔から「地震は身近」な脅威だったのだ。

地震がおきる場所の地質学的な場所は、数千年ではまったく変わらない。
数万でも変わらない。
同じような地盤に同じような力が加われば同じように変形し、同じように壊れる。
つまり、同じような状況が繰り返し繰り返し起きる。
すなわち、日本で発生する地震にはかなりの再現精度があるということになる。

液状化する場所は、縄文時代の遺跡から液状化している後がある。
断層がずれる場所は、何時の時代の地層からも断層のズレが見つかる。
縄文人も弥生人も現代に至るまで、地震に対して人間は無力で、いつも怖い思いをしてきたわけだ。

よくわかりました。

ホント、日本中の原発設置をした人が知ってて無視した代償は大きいな。


2011年10月12日

2015年放射能クライシス

武田邦彦
小学館
お勧め指数 □□□□□ (5)

非常にわかりやすい本だ。
主張している重要なことは次ようなものだと理解した。

福島を中心とした近隣の県では、政府も東電もなんの処置もしなかったために、多くの子供がヨウ素で被曝した。
その影響はチェルノブイリ事故の研究から4年後に現れる。
小児がんという、通常では10万人に一人という珍しい病気というかたちで。
2015年から数年にわたって、多くの被曝した子供たちが小児がんで死んでいく。
小児ガンはとても悲惨な病気で、やせ衰え肌が透明な感じになってなくなっていく。
その人数が福島を中心に数百人にのぼるだろう。
その映像が社会に公表されれば、さすがに原発を推進しようという人の勢いは衰え、日本中の原子力発電は終焉を迎えることになる。
と同時に、日本という国も海外からは「放射線汚染国」として認知され、輸出はもちろん、いろいろなところにわたって、入国管理が厳しくなる。

結局、ヨウ素131防御用に服用するはずだったヨウ素はどこでも配布されず、みんな内部被曝というかたちで吸い込んでしまった。

半減期的に「計測できなくなった」時期になってから、計測を始めた。
すべては保証や責任追及をかわすために国、東電が一緒になって実施したのだ。

このときだけたまたま政府が機能しなくて、今後起こるあるいは今でもいろいろと問題になっているいろいろな物事にたいして「政府が信用できる行動をとる」わけがない。
信用って、そういうもんだろう。

チェルノブイリが異常であって、福島が異常じゃない、ということはない。
放射性物質による内部被曝の影響が、ウクライナやベラルーシの人が受けやすく日本人は受けにくい、なんてこともない。
同じ物理過程が体内で進行するのだから、同じ病状が同じ確率で発生するだろう。
チェルノブイリのときは、住民の移動を子供・女性・男性という順番で数千台のバスで政府主導で脱出させた。
福島の場合は、「安全だ」で乗り切り、除染もしない間に「避難解除」してしまっている。
しかも、ろくな放射性物質のマップを作りもせず、また出来る前に住民を戻してしまった。

つまりは、チェルノブイリよりも厳しい現実が待っている。
それは「予言ではない」。


わかっている現実をどう受け止めるのか。
東京の人も結構な被曝をしている。

福島よりも東京のほうがずっと人口が多い。
ホットスポット的なところで知らないうちに内部被曝してしまうようになった子供がたくさんいるだろう。
確率の問題でいえば、小児ガンになる東京在住の子供の人数は少なくないかもしれない。

冷静になって考えれば考えるほど、すごいことになる。

海洋汚染による漁業被害は、食物連鎖という現実によって必ず起こる。
3月から言われていた。
そして、いわきあたりの海では、プランクトンがかなり放射線量が高く、これを餌にする魚は相当濃縮したものになるのは確実である。
もう、太平洋側日本近海、東北のほうの魚は「食べられない」ということだ。

止められない悲劇について考えることに意味はあるのか。

ぼくは、ある、と思っている。

未来を知ることができるのならば、避けられなくても、知ったほうが良い。
正面から襲われるのと背後から不意うちのくらうのでは、同じ負けでも正面からのほうがよい。
そう、ある種の諦めを感じつつ、この本を読んだ。

2011年10月11日

福島第一原発事故を検証する

桜井淳
日本評論社
お勧め指数 □□□□■ (4)

福島原発事故は、想定内の出来事だったという解説である。

メルトダウン、水素爆発、再臨界ということは、事故前からわかっていた。
そうなる、という予言ではない。
物理過程として、電力がなくなったらそうなるよね、という推論をすすめる作業の結果としてわかっていた。

ところがこういう内容の発表は、原発業界から忌避されていた。
研究は禁止され、発表することは事実上できなかった。
いわゆる原子力ムラの問題である。

原発賛成派も原発反対派も、両者ともに「宗教」の一派として振舞ったために、まともな議論や解析や予防措置が取られなかった。
そして震災を迎えたわけである。

学者も政治家も東電も、わからないからといって嘘ばかりしゃべっていた。
テストの点数が高い人をことさら「秀才」とかいって持ちあえる必要が「まったくない」ことがわかってしまったわけである。

この本で紹介されていることは、現時点では他の著作で公表されている事が多い。
もっとも、テレビではでないかもしれないが、本では結構紹介されている。

事故直後から、関係する人は、原発事後が今のような結果になることをわかっていた。
一般の人々、とくに東京の人々がパニックにならないようにと、原発近隣の風向きは隠され、事故の悪化については嘘を疲れ、近隣の人は「しょうがない」という扱いをすることに、政府が決めてしまったわけである。

この本で今まで見たことがなかった視点は次のようなところ。

それは、現場でのオペレーションをしていた人の心境を推測した部分。
メルトダウンをしている最中に圧力を抜いてベントするとはどういうことか。
急に減圧すると冷却水が沸騰し、一気に圧力があがってしまう。
かといって、圧力を下げないと消防車のポンプから海水を注入できない。
マニュアルも情報も、過去の訓練経験もないところで、オペレーターはよくやったものだ。
そういう視点である。

小型のミサイル(ってどのくらい?)があたっても壊れないはずの建屋の壁が綺麗に吹っ飛んでいる。
原子炉内の水素だけでああはならない。
相当量の使用済み燃料のほうからも水素がでたはずだろう、ということだ。

結局のところ、未だに「事故のスケール」については、きちんとしたことは報道されていいない。
わかっていて知らされていないことは相当あるのだろう。
しかし、でもきっと「わからない」こと(燃料の状態とか、今後のこととか)もかなりあるのではないか。

今になって、あるいはこれからも「実はいろんなことはわかっていました」という報道発表がなされるだろう。
パニックになるからという理由で伏せられていたと語られるだろう。

それは、福島原発近隣の人については「考慮していません」ということを言っているに過ぎないではないか。
保安院も東電も政府も、自分たちが「東京がパニックにならないように、福島近隣の人には涙を飲んでもらいました」ということを堂々といっている、ということをわかっているのだろうか。

第二次大戦後に、ろくでもないA級戦犯どもが「自分たちはわるくない」を大合唱していたようなもので、福島原発についてそういう発表をこれからも聞くことになるだろう。
自慢気に。

問題はだ。
そんな発表を聞かされる方が「信じる」と思っているのだろうか。


2011年10月 6日

朽ちていった命

NHK「東海村臨界事故」取材班
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

朝の通勤電車で読んだので、朝から涙目でホームを歩いていた。

震災後、原発について何冊か本を読んできた。
そのなかで、読みながら考えさせられた本はどれ?
そう問われれば、迷わずこの本を挙げる。

これまで読んだ本は知識を教えてくれたり、なぜ危ないかを説明してくれたりと、それぞれ良い本ではあった。
しかし、どこか「他人ごと」として読んでいた。
もちろん東京に住んでいるというだけで今現在だって多少なりとも被曝しているし、今後は食料を通じて相当量の被曝をすることはわかっている。
原発事故の恐怖については知ることはできた。
しかし、悲しみというものを切迫して感じることはできないでいた。
いや、「悲しみを感じることができる」とはそもそも考えていなかった。

この本で扱っている「東海村臨界事故」のことはよく憶えている。
当時つくばに一人暮らしだった。
ちょうど週末だったと思う。
このニュースをテレビで見ているうちに「ここも危ないかも」と思って、東京の実家に逃げたのだ。
中性子がでているだけだから、すぐにどうこうという問題はないのだが、それでも怖かった。
事故はすぐに収まり、月曜日からは普通につくばから出勤したはずだ。
それ以後、この事故についてニュースは見聞きしたが、とくだん記憶はない。

しかしぼくが関心を持たなくなても、現実の世界では物事は粛々と進行していた。
臨界の場に直接立ち会った人は、おそらく世界でもこの本に登場する方たちくらいだろう。

中性子を浴びまくったら、その後どうなるのだろうか。
重度に被曝した人の症状がどのように進行するのか、医学的な興味をもっただろう。
医者でないぼくですら、怖いもの見たさという動機がこの本を読む前にあったことは否めない。

しかしこの本を読んでしまったら、もうそんな気分にはなれない。
放射能って、こういう風に人の体を壊すのか。
細胞が「再生」しないということは、一体何を意味するのか。
システム全体が同時多発的に壊れていくとはどういうことなのか。

広島や長崎の原爆で被害にあった人がどんな地獄を見たのか。
皮膚はただれ、水を求めながら焦土とかした街をウロウロし、川の水を口にする。
そして死んでいく。
街中そういう地獄の光景。

これがぼくが「教わった」風景なのだけど、放射線で皮膚がただれ、水を求めるというのは本当のようだ。
この被曝をした方は、同じように皮膚がなくなり、水分が出尽くし、本当に悲惨な形で亡くなった。
現代の都内の病院に突然現れてしまった広島・長崎の被爆者、というようなシーン。

この本を読んでいるとき、反原発の機運に関することよりも、医療行為とか治療とは何か、について考えてしまった。
10シーベルト以上浴びたら助からないことは既知である。
だからといって「何もしない」というわけにはいかないだろう。

どんな治療がいいのかなんて、誰もわからない。
そんな中で治療を引き受けた東大病院の医師はすごい。
医学的な興味が動機になかったはずはないとしても、日々悪化していく患者さんと向き合っていたら、そんなことはどうでもよくなってしまったはずだ。

負け戦を承知で戦うとは、どういう意味があるのか。
そこには「合理性」がない。
あるのは人としての倫理でだけである。

どうやったら助けられるのか。
いや、どうやったら少しでも気分を和らげられるのか。

本書で看護婦さんが語った言葉がある。
医療行為ってなんなのだろう、とか、治療すること時代が間違っているのではないか。
こういう末期医療に接した人が抱くような問題をダイレクトに表現している。

ぼくがこの本のなかで一番感動した箇所は、看護婦さんの言葉である。

治療チームの一員としては、罪悪感と言ってはいけないのもよくわかっています。 いまだに答えが出ないんです。 大内さんに答えてほしい。 大内さんの声が聞こえないなガリ、ずっと自分がやってきたことが正しいのか、大内さんにたいしてものすごく重大なことをしいてしまったのか、わからない。 どちらでもいいから、大内さんに答えてほしい。 すごくいやだったよ、つらかってよって怒ってもいいから、別にありがとうって感謝されなくてもいいし、すごく怒ってくれてもいいから、どっちかの答えを大内さんからもらいたい。 考えても答えはでないと思うんです。 一生。歳をとっても。 大内さんに聞けないかぎり・・・(P188)

この言葉がでるような人が近くにいたという事実は、最悪の事故の被害にあった人に対しての最大の償いなのではないだろうか。
人の力では「直せない」状態になってしまったのだから、実際どうすることもできないけど、生きている人たちが送ることができる「せめてもの償い」といえるのではないか。

放射線を浴びるとは、体内の時間を100倍くらいに加速させることになるようだ。
こういう状況になる、ってわかっているのだから、多くの人がこの現実を知ったほうがいい。

NHKさん、これはすごい資産なんですよ、もっと人々が手の届くところに番組をおいてくれませんか。

そんなことを考えた。

2011年10月 4日

改訂 原子力安全の論理

佐藤一男
日刊工業新聞社
お勧め指数 □□□□■ (4)

震災直後の佐藤優さんの書いたものをまとめて出版した本があった。
その当時、ぼくは原発について怯えている日々を送っていた。
不安だったので、「同じ時間」を生きている頼れる知性の持ち主の声が聞きたかった。
大本営発表のニュースやコメントなど、もうアキアキしていた。

その本によれば、震災直後に原発おかしくなったあたりから、佐藤優さんは原子力について「まともに」勉強したそうである。
それこそ高校生の受験参考書から一般の解説書まで。
何が起きているののだろうか。
できるだけ正確に知る必要があると考えたからだそうだ。

あの状況下で学ぶという態度を取った人は他に知っている。
宗教学者の中沢新一さんもそうだったとラジオで言っていた。

ニュースのチャンネルを回して専門家の発言を聞くことしか思いつかないぼくは、何かが相当足りてないらしい。


佐藤優さんの著者には、原発の「ベント」について、この本から引用されていた。
安全を考えてベントした、というようなことがいろいろとニュースに取りざたされていた。
政府や東電がすったもんだしていたときだった。

まず御理解頂きたいのは、そもそもベントが必要になる事態というのは、設計上の対策はもとより、事故が設計の範囲を超えてから取られるその他のアクシデント・マネージメント策の、ほとんどが不成功に終わった状況だということである。そのような最悪の事態でも、少しでも周辺の被害を抑制しようというのがベントの趣旨なのであって、仮にこれが必要な時に実行せず、その結果格納容器が破壊されたら、その時放出さえる放射性物質の量、したがって周辺の被害は、ベントで生じるものの比ではない。このような状況が現実に発生する確率は極めて低いと思われるが、極度に確率の低い事態に対しても、滞りなく備えておこうということなのである。(P227)

佐藤さんが引用されていたところを今回読んでいて、ため息がでた。
「万事休す」の状態であり、それだけの事態が起きているということを意味しているから。

ベントの意味を把握していた人は、あの騒ぎの中でどのくらいいたのだろうか?
報道って、自分の生き死に関わるような状況下では頼ってはいけないのだなと改めて理解した。


この本は6月に読み始めたが、東京に降る放射能のほうに注意が向いてしまっていて、震災前の原発安全などといった「机上の空論」に付き合っている暇はなくなり、ほったらかしになっていた。
やっと再開することができるくらいに今は気分が落ち着いている。

しかし福島原発はまだこれからだ。

水素爆発もそうだけど、水蒸気爆発もある。
「大丈夫だ」といっている人がいるが、しかしメルトダウンした燃料がどうなっているのか、わかっていないのになぜ「大丈夫だ」といえるのだろうか。

結局、原発関係の人は、これだけの事故を起こしても「変わらなかった」ということだ。
死なないと治らないことって、あるのだ。

2011年10月 2日

この国の「問題点」

上杉隆
大和書房
お勧め指数 □□□□□ (5)

上杉隆さんの本は面白いのだけど、読み終わるとため息をついちゃうので、身体的に元気なときにしか開かないようにしている。

なんだそうだったのか、ほんとかよ、ひでぇなぁ。

人の社会では口にするとはばかられるようなことが結構ある。
知らないで過ごすならば秋晴れみたいな生活空間でも、単にマスコミがフィルタしているだけだとしったら気分は一転、いやな国に生まれちまったもんだ。
そうため気になるのだ。

震災についても、報道はかなりフィルタを頑張ったようだ。
メルトダウンについては、震災前に発行されていた本の多くに記述があった。
「ほとんど起こりえないこと」という但し書きツキだけど、教科書的な本(つまり推進派)にもあった。

当然、そういう話がインタビューでてしかるべきだが、全部止められた。
果敢にも挑んだこの本の著者は、これまたよくあるようにテレビやラジオからも姿を消した。
怖い社会だよ。

マスコミも政治家も官僚も、等しく罹患している病気がある。
それは「おれは偉い」病である。
その病気のために、一般の人、今回は原発災害にあった人などが、受けなくていい被害を受けることになる。
今の日本の社会的な問題は、マスコミに資金を流す業界支援の構図をなくとだいぶよくなるだろうことは、これまでの著者の著作で言われている。
この本は、震災という新し事例をつかって著者の主張の根拠を強化したものになっている。

ほんと、嫌になっちゃうよね。

そこへいくと、NHK取材班のつくる番組や本は、どれも痛く感動する。
民放は「ただ」の番組を配っているわけだが、「だた」が有料に勝つことはないわけだ。
NHKが一番マシ、ということか。


2011年9月30日

原発と陰謀

池田整治
講談社
お勧め指数 □□□■■ (3)

タイトルからして「陰謀論」を思わせる元自衛隊の人の本である。
地震すら「某国の新兵器だ」と言わしめるほどにアレゲな本ではない。
いや、かなり違う。
なかりまっとうな本のようだ。
でも、本当にそうか、どうなんだろうか?
という疑問が湧いたので買ってみた。

内容は原発事故について「一通り」触れられていて、可もなく不可もないもの。
だから目新しい情報や考え方を知ることはできなかった。
その意味ではがっかりした。

読んでいて思ったのだが、この本は居酒屋で隣の親父がしゃべってる武勇伝のようだ。
「おれは予想できた」「家族にはそう行動しろと伝えてあった」「すぐにメルトダウンだと思った」
というような、震災後にわんさと出てきた内容が語られているから。
とはいえ、この人は
「原発を使ったテロで日本を壊滅させるのには爆弾はいらない、工作員にニッパと弁当屋の服装を渡せばよい」
というような警鐘を鳴らし続けていた人のようなので、マスコミでしたり顔してしゃべっていた人たちとは違うだろう。

原発についての本でぼくが求めているのは、「実際にはどういう経緯で事故が進み、どのくらいまでは確信をもって予想でき、また報告されていたのだろうか」ということに繋がる情報である。
そういうものは知り得ないことだとわかってはいる。
が、それでも「ひょっとしたら新事実がわかるかも」という期待で買ってしまう。

この本の結論は、頼れるものは自分である、という生物界の掟で、それで終わっている。
なんとも寂しい気分がした。

2011年9月29日

プルトニウム発電の恐怖

小林圭二+西尾漠(編著)

お勧め指数 □□□■■ (3)

プルサーマル計画の問題を公知するための本である。

プルトニウムはどういうものか、どのように危ないのか。
MOX燃料を使うとどういう技術的な問題があるのか、どういう危険があるのか。
そんな燃料を受け入れる側の設備にどんな問題があるのか。

こういったことについて、とても全うで正しいことを主張している。

こういう情報を最近では多くの人が著作に書いてくれる。
ぼくのような素人でも「なんか見たことある」とか「そうだよね」というように、知識を確認しながら読んでいける。

なるほど、危険を省みずMOXを燃やしてもいいことないのに、なんでそんなことするんだろうか。
こういう疑問を提起させたたら、あとは反対運動へ流れればいい。
行動派の人ならばそうするだろう。
この本の意図はそういうところにあるだろう。

ぼくは原発については「論理的に」は理解しているし、福島原発で恐怖している。
だからこそ原発の本を買って読んでいるわけである。

しかし、街頭で反対運動に参加する気分になれない。
あの人たちの中に入って、声を上げる気にはならない。
というのは、あのなかにも学生運動と同じような内部の世界があって、そっちのほうがよっぽどろくでもないのではないか、と予想するから。

この本を読めば、義務教育を受けてれば、MOXなりプルトニウムなりが「危ない」ということは理解できる。
その意味でよい本なのだが、何かが足りないか、違った方向を示しているような気がする。
その原因はなんなのだろうか。

2011年9月28日

内部被曝の真実

児玉龍彦
幻冬舎新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

内部被曝についての告発本である。

年間20ミリシーベルトなのか年間1ミリシーベルトなのか。
この基準の設定でいろいろもめたことを報じるニュースが連日報道されていたことがあった。
せめて5ミリにしてくれと国会でのやり取りがあったし、東大教授が泣きながら委員辞職をするというシーンもニュースであった。

素人のぼくは、一体どっちがいいのかわからんわけで、数値そのものの設定で何がかわるのだろうかという疑問を持っていた。
20ミリになっても大多数の人には「グレー」な症状しかでない。
じゃぁ、4.8ならどう?0.9ならば安全?
数値で判断するときは、閾値周りでは必ず会社の問題が起きる。
白黒つけれないからグレーなのに、安全だということばを求めても仕方がない。

とういわけで、「法律を決めたところで今ある汚染が減るわけでもないでしょう?」という意見である。
年間1ミリを越える福島市がダメだといわれても、どうにもなんないだろうから。
そういう事情を配慮して数値が決まっているのだろうと自分なりに納得していた。
要するに、言い方をどんなに変えてもダメなものはダメなわけだ。

で、実際どんな危険があるのだろうか。
それがこの本が教えてくれる。
年間20ミリは相当なもので、それが子供に許容されるということはとんでもない。

逆にいえば、これほどのことを官房長官がマスコミで国民に訴えるのはできないだろう。
枝野さんの言葉が日本に対する評価をネガティブな方に一変させるわけで、それだったら福島の人には「しかたない」と諦めてもらうよりない(気づかれずに)、という判断をしたのだろう。
そう思わない、とわれても実際やっているわけだから。

チェルノブイリで体内に入ったセシウムの量とガンとして症状に現れたというデータはまとめられている。
その分野の医者であれば知っている。
しかし、それがあっても「患者が多い」という事実に、できれば黙ってことを荒立てたくないという事なかれ主義は政府や役人に当然あるのだから、情報は役立てられないままこれから多くの意図がなくなるんだろう。

この問題は日本国内どこの人でも、明日の我が身ですね。
食品を媒介して、多くの人が福島原発由来の放射性物質でガンになっていく時代にぼくらはいる。
よくわかった。

2011年9月27日

2時間で学ぶ原発・電力の大問題

久我勝利
角川ONEテーマ21
お勧め指数 □□□■■ (3)

原発や電力にまつわるニュース報道を正しく?理解するために必要な用語集。

電力というか、発電ってどうやっているのですか?
東電にはどんな仕事があるのでしょうか?
原子力って、どんなふうに怖い?

半年にわたる連日の報道で、日本にいる人は「シーベルト」や「再生エネルギー」といような用語を井戸端会議にすら使うようになっている。
老若男女を問わず、原子力に対する「認識」は世界一流の普及率になっただろう。

この本の著者はジャーナリストということだけど、どういう立場なのかは鮮明ではない。
中立的なところを強調している。

内容は、WEBに転がっているレベルの解説で、これといって詳しく紹介してくれるポイントはない。
目次を設定してしまえばグーグルで集められる内容をコンパクトに新書サイズにしてあるところが便利なところだろう。
目次の選定をどう感じるかがこの本をどう感じるかと重なるかと思う。

便利なのかもしれないけど、ぼくにはいらなかった。
優等生のノートだよね、要するに。

2011年9月26日

まるで原発などないかのように

原発老朽化問題研究会
現代書館
お勧め指数 □□□□■ (4)

この本は読みごたえがある。
冒頭に材料力学に関する話題、中間に地震に関する話題、最後に反原発運動家からみた電力会社の見え方。
後半については読者の立ち位置によって評価が別れるところだろう。

物理現象である力学(材料力学、原子核力学、あるいは地震の力学)については、同じデータと同じ方程式を与えれば同じ結果が得られるので、基本的に誰とでも話し合いが成立する。

一方で、危ないということに対する感覚は、何をもってどう判断するのかによって全く反対の評価になる。
コップに半分ある水を「半分もある」とみるか「半分しかない」とみるか。
その現象の背後にある個人の考え方が価値に影響してしまうから。

電力会社も国も反対派もこの本の前半についての認識は一致するだろう。
マスコミの解説ってこの認識すら共有がない。
最初から「価値」が入ってしまう。
そんな情報しか流さないので、やらんでいい諍いが絶えない。
無条件に危ないと主張する人と、無条件に安全だとと主張する人で話し合いは成立しない。

電力会社が原発の安全性に寄せる信頼には「根拠」がない。
というのは、広報の人が材料力学や核物理学を治めているわけではないから。
それは反対派も同じなのだ。

この本を読めばわかるが、彼らの間の衝突は「マナー」から生じているような気がする。
電力会社の広報は「素人は黙っておれ」という態度であって、これは考え方の違う人に接する態度ではない。
それは言葉遣いではなく、接し方というわけでもなく、自分とは違う考えの人は違う根拠によって正しいことをいっているのであって、それは自分と同じことをやっているのだ、という認識がないのが衝突の原因だろう。

原発の問題もあるけれど、現実的な問題としては「意見が真逆の人との接し方」の問題が見えていると考えていいとぼくは思っている。

普通の人が多くしらなければはならないのか、自分の立ち位置に関係のない事実だ。
Q&Aみないな本よりもそっちの方がずっと大切だ。

この本はちょっと前の本だ。
福島原発のシミュレーションや今後のことについて、物理的な観点から解説してくれる本が出版されることを望んでいる。

2011年9月25日

福島原発でいま起きている本当のこと

浅川凌
宝島社
お勧め指数 □□□■■ (3)

出版社の信頼性はどの程度あるのか、若干眉につばを付けて読まないといけない。
この本の内容をそのまま出すのだとしたら、宝島しかないのかもしれない。

原発でメンテナンス作業を仕事としていた人が考える福島原発事故について、その実際の状況をどう見ているのか、それは今後どういうことになるのか、どうしてこのような事故が起きたのかについて語っている。
なるほど、ホントかよ、という驚きを感じる。
というより、むしろ怖い気がする。

この本の視点は他にないものがある。
それは「安全神話」というものがどのようにして現場で働く人に浸透していくのかを教えてくれるから。
どうして、「もしこうなったら、どうなるのか?」という単純な疑問を持たないで、ひたすら「安全だ」というお題目を掲げるだけしかできない人しか東電にはいないのだろうか。
どうして、「なるほど」という全うな意見を原発関係者はまじめに受け取らないのだろうか。
科学者サイドは金が欲しいからってことで理解できるのだけど、問題が起きたら被害を受けるのは自分たちじゃないか、という電力会社の人がどうしてあんなにアホなのか。

安全についての「全うな指摘」をもって、反原発の裁判があったことが何度かある。
また、死傷者がでる事故や地震で被害があった事故もある。
そういうことに対する電力会社広報の対応のまずさは、どうしたことだろう。
そう疑問に思っていた。

が、いまはその理由はわかる。
この疑問が氷解した。

電力会社の人は、要するに信者なんだ。
新興宗教(普通の宗教もそうだが)にはまった人の思考方法や普通の人に対する態度と電力会社広報の人の発言や態度など「全く同じ」だと気づくだろう。
一言で言えば、ごく普通の市民から見れば、電力会社というところはある種のカルトなわけだ。

ニュースを見る限り、原発事故での補償についてずいぶんとひどい保証方法を提示している。
訴訟とは無縁だった人には、まともに申請もできないだろう。

すまないということで支払うわけではないのだろうな。
「東電に過失はない」と彼らが考えているからで、あの保証は「善意でやっている」ということなのだろう。

なんであんなにひどいことができるんだろうと、不思議に思っていたが、いまは理解できる。
それは彼らがカルトだから。

なんだかんだいっても、原発で多くの人が実際に被害を受けている。
これから子供も内部被曝が進んでいる。
数年経つと多くの被害者ができるだろう。
彼らは、多くの人々の生活を「破壊している」のははっきりしている。

あれ、ちょっと考えると、これって昔あったよね。
カルトが大勢の普通の人に被害を与えようとした事件。
あれと同じだとしたら、東電には破防法の適用が必要なんじゃないかなぁ。

こんなことをこの本を読みながら考えしまった。
まぁ、東電は原発以外にも火力も水力もあるだろうし、そこの人はまともな人だろう。
いや、まともな人だと思いたい。
それにしても、東電の人はこの問題、どう考えているのだろうか。
今なお「世間が間違っている、原発は絶対に大丈夫、素人は口をだすな」とか思っているのかなぁ。

この本の著者である原発での作業者が、今後についていくつかの提案を行っている。
それには納得いかないところがある。
また、本書の内容にもいくつか問題があるなぁと感じる。
噂レベルの話が混在している(人から聞いた話とか)。
装置やプラントの構造についての解説は信頼が置けるが、それ以外のことについては話半分がいいだろう。

編集者がもうちょっと頑張ってみたほうがいいんじゃないだろうか。

2011年9月22日

原発を作った私が、原発に反対する理由

菊地洋一
角川書店
お勧め指数 □□□□□ (5)

原発に反対する人は市民運動をやるような人で、そういう人の活動や説明、あるいは反対する理由というものは、危ないから、に終始している。
推進派の人は、それらのどれも「間違っている」と教えられているし、もっといえば「洗脳」されているわけだら、両者の話し合いなど最初から存在しない。
ユダヤとイスラムのような、原理主義同士の争いになることはわかっているから。
妥協もないだろう。
実際これまではそうだったし、多分今後もないだろう。

両者の議論はまともな人が耳を傾けるとしても、なんか変に思える。
ぼくはこれまでそういう感覚を持ってきた。
少なくとも震災前までは。

福島原発については、反対派の人の意見のうち「まともな意見だ」というものがあることを知って、何冊か本を読んでみた。
なるほどな、と頷くことが多かった。
もちろん、大丈夫そうな人を選んでいる。

原発についても、元メーカの田中三彦さんの本をよんで、設計と製造・施工のかい離について知ったし、事故がおきなきゃなんでもありなという東電のメンタリティーを知った。

だから、この本の著者の略歴にある、元GEの技術者(設計というより、工程管理)にはとくに興味をもった。
実際原発を作った人だし、という言葉が当てはまるから。
当然、何が一番危ないかについては、この人が知っているよ。
話を聞いてみようと思って読んでみた。

読んで、いよいよ確信した。
本当に東電って、日本を破壊する組織なんだなぁと。
配管やスカート部の大問題については、この人の話を聞いて初めて知った。
原子炉本体は150ミリくらいのステンだとニュースで聞いていたけど、その下部は燃料棒が入るし、それらの計装管がいくつもあるので、穴だらけというもので、一番弱いところは計装管の厚さの50ミリくらいだ、ということを聞いて驚いた。
そんな報道はこれまでなかったからだ。

現実って、そういうものだ。
都合のいいところばかり言ってね。
姉歯建築士の耐震擬装と根が同じ問題のようだ。
まぁ、東電や保安院などがそんなことを知る由もないだろう。

これから原発災害はひどい方向に向かうとしても、一度起きた事故は東電ではどうにもならんことはわかった。

しかし、だ。
こういう連中が運用するとわかっていてシステムを請け負った連中は、原爆を造った科学者と同じ立場にあることは忘れてはいけない。
言われたから作った、では「同罪」だなんだ。

2011年9月21日

原発・放射能子どもが危ない

小出裕章+黒部信一
文春新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

子どもが受けるだろう被害を食い止めたいという願いをもって出版された本である。
何ミリシーベルとなら大丈夫とか大丈夫ではないとか、そういう「考えない」タイプの本ではない。

原理的になにが起きるのか。
チェルノブイリの影響で被曝したこどもたちの実データをつかって、今後起き得るであろう問題を教えてくれている。
決して難しい内容ではない。

こういうものを読んでいくと、福島だけでなく近隣の県の子どもはどうなるのだろうかと考える。
国ってのは、水俣病と原発事故とを全く別に考えているけど、事故を隠したり過小評価したり、対面のために無関係の人が被害に巻き込まれていくことを認めているんだなぁと、あらためて認識させてくれる。

もっとも、読んで知ったとして、ではぼくに何ができるのかといわれると、あまりない。
放射能災害にたいして、見ているだけしかないということだ。

とはいえ、ぼくは「大人だから放射線量が多くても食べる」なんてことはしないけどね。
争って奪うことは絶対にしないけど、だからといって無関係な人の子どもを平等に大切に扱うということは、聖人にでもやってもらうよりないだろうと思っている。

2011年9月20日

日本を滅ぼす原発大災害

坂昇二+前田栄作
風媒社
お勧め指数 □□□□■ (4)

原発で事故が起きたらどうなるのだろう。
放射性物質はどの方向にどのくらい流れていくのだろう。

この本は、この問いに対するシミュレーション結果を示し、それを解説している。
本来、国や電力会社がするべきだけどそれは無理みたいで、この本の著者のような研究者が限られた情報から提示してくれたようだ。

こういうことをするために税金を使ってSPEEDIというシステムを作ったみたいだが、あれは結局一般の人を守るためのものではなく、国や電力会社の家族が最初に逃げられるように使われるシステムみたいな感じがする。
ヨウ素と同じように、結局付近の住人が被曝した後に「残念だったねぇ」といわんばかりに渡されるサービスなのだろう。

これまで、一般の人は逃げる可能性をどの程度教えられていたのだろうか。
破局を想定した事故を心配し、国や原発の人からSFとののしられることしかなかっただろう。
そんな人たちに向けて発信されたまともな情報はこれまであったのだろうか。
なかったんじゃないのか。

この本では、福島、新潟、福井、静岡、四国、九州の原発で放射能が漏れたらどんな被害がどの地域に予想されるかを教えてくれる。

ぼくは東京の住人だから福島、新潟、浜岡が気になる。
風向きにもよるが、惨事があったら線量的に住めないことになると知った。

東京が避難地域になっても、それを受け入れられる場所なんて事実上ない。
まぁ、そりゃわかっていることだ。
わかっているとはいえ、浜岡は強烈だわ。
停止作業ですら事故を伴っていたくらいだから、東海地震では持たないだろう。

若狭湾の原発銀座がダメになった場合は関西が死滅するのだろうと思っていたが、風向きではダイレクトに東京も被害を受けるのだと知った。

わかってはいるのだが、日本に逃げ場はない。
アメリカとは違うのだよ、原発推進派の人たち。

ため息とともに読み終え、ネットニュースで佐賀県知事のペテンの記事を読む。
まぁ、日本人の知力って、ぼくも含めてその程度なんだろうな。

2011年9月19日

放射能汚染の現実を超えて

小出裕章
河出書房新社
お勧め指数 □□□□■ (4)

20年前の本がこの震災後に復刊された。

小出裕章さんの著作が多くの人から求められるようになったということだ。
震災後に「大丈夫だ」と語る人たちの胡散臭さを多くの人は嗅ぎ取り、まともな人から情報を得たいと考えるようになったからだろう。
そして、ぼくもその一人。

本書で小出さんが主張している内容は現在でも変わらないので、それは過去から一貫していたのだ。
内容は、事故があったときの想定被害の大きさ、被害の内容について、原発の何が問題か。
小出さんは「首都圏の人を守るために過疎地域の人を犠牲にする」という発想そのものを避難している。

推進派の人は、そのいずれにも答えず、あるいは問題として受け取らず、洗脳された自分たちがもつ教義の神聖さを誇張しつづけるという行動を続けるわけである。
このときもそうだったし、半年前までそうだった。

まともに物理をやっている人も、全ての人は金の力に吹き飛ばされてしまう、という冗談みたいな構造が原発業界にはあるわけで、言われてみると本当にそうなっている。
原発問題は、人の行動の不思議さ(愚かさ)を知る良い教材になっている。

読んでいて思うだが、原発対応の問題は大事故が起きなければ見向きする人は少ないだろう。
大事故が起きて「それみたことか」と喜ぶことが原理上できない。
そこも問題の困難さを示している。
プルトくんで子どもを騙していた人は、今でも高笑いしてニュースを見物していることだろう。
まったく。

2011年9月18日

小出裕章が答える原発と放射能

小出裕章
河出書房新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

Q&A形式の本。
ニュースを見たら「それってどういうこと?」と疑問に感じることや「それって大丈夫?」と考えることが平易な文章で回答されている。
専門家でも関係者でもない人ならば、この本を読むだけでかなりすっきりと理解できるのではないだろうか。
とくに、政府や東電の発表で「それって、本当?」という疑問に「嘘ですね、なぜならば」という形式で回答してくれている。
ニュースを通して知ることはまずないだろうことばかりだ。
とはいえ、煽りの要素はなく、ニュース報道よりもはるかに深刻だということを教えてくれる。

恐怖や不安について、心理的に取り除けるものと取り除けないものがある。
未来に対する不安のようなものは、それこそ「悟り」が必要になる。

しかし、知識がないことに起因するものは学ぶことで取り除くことができる。
また、人の嘘(安全ですの連呼のような)は不安を煽るだけであり、そういうものはどうなったら危険だという「正しい」認識を獲得することで不安が和らぐ結果となる。

原発報道に接するうえで、最初にこの本を読むと適切に不安になることができるのではないか。
引っ越しが可能な人、学童疎開が可能な人、いろいろな都合の上で社会で生きている人はそれぞれの状況に合わせてどう対応していくのか。

政府の言うことは個人の生活を守るためのことではない。
水俣病はイタイイタイ病を思い出せばいい。
自分で判断するための最初の判断基準として、普通の人が読むといいのではないかと思う。

2011年9月17日

隠される原子力・核の真実

小出裕章
創史社
お勧め指数 □□□□■ (4)

2010年12月に出版された本である。
震災前の出版なので、原発事故のデータとしてはチェルノブイリが中心になっている。
不思議なことだが、ぼくにはチェルノブイリがすでに大昔のことに思える。
遠い他国のこと相手にして原発の議論ができるなんて、日本は平和だったんだと感じるのだ。

本書の内容は、原発の危うさ、プルトニウムの怖さ、地球温暖化対策のナンセンスさ、核兵器製造のための道具としての高速増殖炉、現状でも電気は足りているという事実。

福島原発事故直前に書かれているのに、震災後に出版されてきた本の内容をカバーしている。
事故があろうがなかろうが、わかっていることはわかっていたし、警告しなければならないことは変わらないということだろう。
なるほど、政府や電力会社は自分にとって不都合なことを隠し続けていたんだね。
当然とは当然のことなのだろうけど。

低レベル放射線で被曝しつづけている福島の住民、とくに子どもさんたちはこれからどうなっていくのか。
原発が今の漏洩レベルを維持し続けても相当量の放射性物質が漏れ続けるから大問題だ。
ましてや、また事故があったら(あんなぼろぼろの装置が数十年持つわけないので、必ずある)、東京の人ですら低レベル放射線(低レベルだといいのが)の影響を受けることになる。

ならば内部被曝の研究で警告されていたことがどの程度正しい予測なのか、現在の子どもたちの世代で検証されることになる。
昭和史の公害問題って、事前に防げることを一つも防げなかったのだから、たぶん今回もそうなんだろうと思う。

学童疎開ができない、させないというのは一つの選択肢だろう。
それがどんな結果を招くことになるのか、知っておくことは必要だろうし、意味がある。

防げないと意味がない、ということはない。
例えば「緊急地震速報」という通知を気象庁が行っている。
あのサービスは地震到来まで数秒という状況での通知でしかない。
それは無意味だろう。
ぼくは気象庁を笑っていたのだが、今回の震災以後、数秒でも事前に「大きな地震の可能性がある」ことを速報でも「知る」ことが以下に重要なことか、身をもって体験した。
防ぐ防げいないの問題ではない。
未来を事前に「知っている」ということの強みがある。

内部被曝がどのようなことを引き起こすのか、どのような事故が起き得るのか、このまま原発推進派の言う通りにしていったらどうなるのか。
個人の力ではどうにもならないことであっても、未来の姿を事前に「見ておく」ことは、今後の生きていくことにおいては冷静な判断をするための材料のとなるはずだ。

小出裕章さんの本は、読んでいて損はない。
その後どうするのかについて、小出さんは語らない。
どうしていいかわからないからと。

行動は個人の問題であって、他人がとやかくいうことではない。

2011年9月16日

動かない、動かせない「もんじゅ」

小林圭二
七つ森書館
お勧め指数 □□□□■ (4)

不思議だわ。

「もんじゅ」についてはよく知らなかった。
燃料となるプルトニウムを燃やすことでプルトニウムを増やすことができる原子炉であり、冷却材としてナトリウムを使うという技術的に困ったことがある。

過去にナトリウム漏れの事故があったけど、それがどういう事故なのかをちらっと聞いただけで、それ以上気にもとめていなかった。

原発ついての本を読んでいるうちに、「もんじゅ」についての話があり、すごい問題がありそうな技術だと知った。
それでこの本を読んでみた。
そして、「もんじゅ」や旧動燃とう組織について知って、唖然とした。

「もんじゅ」で不思議なのは、単なる技術の問題ではない。
原理的なところからしておかしいのだ。

原子炉で一番怖いところは核分裂の暴走であり、それによって放射性物質が漏れることだ。
そういうシステムは、暴走しようとするとそれが出来難くなるような物理的な性質を根本のところにもたせてあるのが普通である。
軽水炉では、沸騰により水が消えると減速材がなくなるので核分裂が抑えられる。
そういう機構である。

しかし、高速増殖炉は違う。
一度問題がおきると「さらに」核分裂がしやすくなる、という性質がある。
炉心近くで事故がおきると原子炉はさらに核分裂をしやすくなり、メルトダウンしやすくなる。

工学的なセンスからいって、そんなものは「論外」である。
人の生き死にがかかるような機械で、問題がおきるとさらに問題が起きやすくなるという設計、そんなアホなものは過去にない。
この原子炉は、そもそもおかしいのだ。

加えて、動燃という組織の問題がある。
かれらは役人と同じで、無謬性がある。
反省などしない。
だから同じような事故を繰り返し起こし、関係者全員を不幸にする。

「もんじゅ」が安全に可動できると判断した人は誰なんだろう。
どうどうと釈明してほしいところだが、委員会になっているだろうから無理だろう。
3月11日に一人も集まらなかった原子力安全委員のような連中が、ゴーサインをだしたのだろう。

工学の学ぶ人間ならば、原子力関係者のやっているようなことをマネしてはいけない。
原子力工学の連中のやることを「決しておこなってはいけない」ということを工学系の人は胆に命じたほうがいい。

2011年9月15日

これが原発だ

樋口健二
岩波ジュニア新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

放射能汚染は公害問題と同じように発生し、同じように扱われる。
その事実をはっきりとアタマにたたき込んでくれる本だ。
要するに、原発内部で働く現場の人や付近の住民は、原発会社にとっては「人」ではない。
こうして言葉すると、ずいぶんと使い尽くされた「非難の定型句」になってしまう。
ヒューマニズムを主張する団体の言い分と同じ担ってしまうので、ぼくは自分の言語能力のなさを悔しく思う。

原発での現場作業職員の被曝管理のずさんさを知るに付け、これを強要する側、これで安全だと主張する側の感覚を想像できるようになってきた。
管理側は被曝する人をどう見ているのか。
それについては過去にいくらでも事例がある。
教科書で読んだ足尾銅山、水俣病、四日市喘息。
小学校で知った事例でもこんなにある。
公害で直接被害をうけた人がどういう扱いを受けてきたのか、こういう資料は本でも過去の新聞でも、いくらもでもある。

昔陸軍、今東電。
この構造は、ホントかわらない。
東電職員の神経はどうなっているのだろうか?と疑問というより恐怖を覚える。
たぶんナチに賛同した人たちと同じとうことだ。
つまり、彼らの個人としての人格を云々しても仕方ないのだ。
電力会社という「構造」、「システム」に放り込まれた材料に過ぎないのだから。

裁判をやったって「論理」というもがない裁判官の存在に呆れるだけ。
アタマがいいという人間については、すべからく疑っていい。
というか、だいたいダメだろうから石をなげても問題ないのではないかと思うのだが。

どうやったら東電とかかわらないように生きていけるのか。
反対運動をするのも必要だろうけど、ぼくは東電を嫌悪することだろうと思う。
アメリカがイスラム国家から嫌われるように。

2011年9月14日

内部被曝の脅威

肥田舜太郎+鎌仲ひとみ
ちくま新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

20ミリシーベルトの健康被害って、こんなにあるんだ。
知らなかった。

原発事故でもなければ放射能汚染よる被曝ということに、特段興味をもつ人はいない。
普通の人は日々の生活をどうしようか考えているのだから。
遠くの場所でひどいことが起きているとニュースで知っても、ピントこないだろう。

イラク戦争あたりから劣化ウラン弾が利用され、戦場や市街戦があったところから放射能汚染が始まっていた。
戦車の装甲や厚いコンクリートを突き抜ける威力を弾に与えるために、火薬に加えてウランを使う。
劣化とは「質の悪い」という意味で、要するに原発や核兵器に使う核分裂燃料には適さないという意味。
劣化というと「放射性物質ではない」のようなに思えるが、立派は放射性物質なのだ。
それが戦場で大量にばらまかれるわけだ。
イラクでは兵士や市民がこのために内部被曝している。

内部被曝の症状は劇的には現れない。
原発の労働者や広島・長崎で被曝した人が苛まれる「ブラブラ症候群」という被曝による健康被害がある。
「やる気ができない」という、訴えだけきけば「怠けたいというだけだろ」に聞こえてしまう、実は恐ろし病気なのだ。
あるいは何年も経った後のガン。
子供が幼くして死んでしまうということ。
この本には、イラクで生まれた無能症の子供の写真も掲載されている。

毎年夏になると広島・長崎ということで、反戦番組を報道していたマスコミは、どうやって原発と折り合ってきたのだろう。
ぼくはどう思っていたのだろう。
ぼくは「技術でカバーしているから大丈夫」と思っていた。

ではなぜ安全だという「デマ」がまかり通っていたのはなぜだろう。
現場作業者は原爆で被曝した人と同じ症状に苦しんでいたのに。

どんなに広告代理店が頑張っても、福島の人のなかにはイラクで苦しんでいるような人が現れる。
放射能はお金や情報操作じゃ無くすことはできないから。
ただ、容易に想像できることだが、「原発との関係は認められない」という裁判での判決の嵐が吹くか、苦しい生活の足元を見ての金銭による「うやむや化」か、あるいは「恐喝」による泣き寝入りか多く発生するはずだ。
これから10年というスケールでは、そういうことが相当起きるのだろう。

東電はなんとかして原発事故を「誰かのせい」にしようと頑張っている。
社会的にも技術的にも無力はぼくには、ただ東電関係者を、そういう組織を、侮蔑、軽蔑、嫌悪することしかできない。

2011年9月13日

原発のない世界へ

小出裕章
筑摩書房
お勧め指数 □□□□□ (5)

放射能による健康被害や反原発映画をつくられている鎌仲ひとみさんとの対談と原発や放射能汚染にかかわるQ&Aで構成された本である。

小出さんの話を聞きたい、正しい知識を知りたいという人という人が大勢いる。
だからここのところ出版ラッシュがつづいている。
ご本人は研究者であり反原発運動をされている方である。
一般の人向けの著作は多いほうではない。
それでも原発に恐怖を感じた人は小出さんの出版されている本を読んで知ったわけだ。
原発問題というものは「以前からあったのか」と。
そんなふうに小出さんを知った人は少なくないだろう。
ぼくもその口だ。
小出さんの本を読んで「なんだよ、わかってたことじゃねぇか」と怒り心頭の経験をしたのだ。

小出さんが考える福島原発被害の予想は、一部のタブロイドあおり記事ほどではないものの、政府発表や御用専門家の予想よりもずっと厳しい。
内部被曝の影響や農業・漁業への影響、子供への影響など、様子見というモラトリアムが許されない状況なのだと主張されている。

なにぶん人は根拠のない楽観主義を信じたいものだ。
できれば「政府発表」のような、大きな事故程度の扱いで終結してほしい。
そして半年もすれば「忘れていける]ような事態の推移を期待している。

知識として「原子力事故がすぐに解決するものか」と確信しているぼくも、できれば何事もなかったかのような収束をしてくれるんじゃないかと思うことがある。
被害妄想の中で事故を考えているのではないか、自問することもある。

原発は今でも動いている。
停止していても「消えた」わけではない。
これから地震もあるだろうし、廃棄物処理の問題もある。
さらに健康被害がじわじわと報道されてくるだろう。
もちろん、最初はマスコミでの報道はタブーだろうし、裁判でも原発との関連なしという判決が下るのだろうけど。

小出さんの話を聞けば聞くほど、なんで日本で原発なんか始めたんだろうと疑問になる。
中曽根が「ぼやぼやしている学者の頬を札束でたたく」ことで核兵器開発を始めたことが発端らしい。
核武装を主張するのは自由だけど、日本はミサイルの前に守る術がないのに。

ただその選択はアメリカに無理やり押し付けられたわけではない。
日本人の選択なのだ。
秀才といわれた人たちのやったことだ。
だからだろうか、試験の成績が良かった連中をぼくは信用する気分になれない。

通勤電車のなかで暗雲たる気分になる。
今日も残暑だけど空は秋だ。

2011年9月12日

知りたくないけど、知っておかねばならない、原発の真実

小出裕章
幻冬舎
お勧め指数 □□□□□ (5)

震災発生から原発事故が起き、その事故の解説をラジオ番組で行ったときのやりとりを文字に起こした本である。

一体何が起きたのか。
災害がオンゴーイングのなか、どんなふうに推論を働かせ、どんな被害を想定していたのか。
それがよくわかる。

当時ぼくはテレビをずっと付けて見ていた。
津波よりも原発の情報を扱っている番組へとザッピングし、有識者や専門家の解説をどきどきしながらみていた。
が、今にして思えばNHKを含め三流の人間ばかりが戯言を言っていたわけだ。
大丈夫というデマか、破局的な煽りをするかのどちらかで、事態の推移を先行して語れる人はいなかった。
ただ、NHKでちらっと解説しれくれた阪大の先生だけが一番まともな解説をしてくれた記憶がある。

この本を読んで、ラジオってすごいなと思った。
反原発の人がメディアで直接語る機会を得られることはない。
しかしラジオならば、その可能性が「ないわけではない」ということだ。
MBSとうラジオ局にエールを送りたい。
ぼくは東京にいるので直接視聴することはできないのだが。

あの状況にあったとき、この解説を聞いていたらなぁと思う。
「安全だ安全だ」という枝野さんの言葉に恐怖を感じていた。
現実的な解説で事態の推移を正しく把握させてくれる人がいたら、どんなに事態がダメであってもダメになりに人々は工夫しだすと思う。

2011年9月11日

新耳袋コレクション(恩田陸編)

木下浩勝+中山市朗
メディアファクトリー
お勧め指数 □□□□■ (4)

先月一回読んだ。
夏だから怪談もいいかな、という軽い気分で読んだのだけど、その面白さにビックリした。

お化け物には興味がない。
心霊写真はアホだと思っている。
そんななか時間の逆転現象に関する怪談はとても気に入っていた。
こんな感想を持った。

怪談は、作り話よりも(あやしいけど)体験話のほうが断然面白い。
そういう考えだった。

またあの面白さを体験したい。
そういう気分から、まるで読み倒したマンガをまた読むようにこの本をめくった。

しかしなんとも驚いたことに、ぜんぶ「噂話」ではないかと気がついた。
荻上チキさんの本にあった、うわさ話の共通瀬が「全部の怪談に」当てはまっているのだ。

なんだよ、これ。
ただのうわさ話じゃねぇか。

いきなり現実味をそぎ落とされた怪談話は、ぼくにとってあまり好きではない短編小説のような気分がしてきた。
これ、体験話じゃぁないんだ。
がっかりした。

2011年9月 9日

生き延びるための地震学入門

上大岡トメ&アネ
幻冬舎
お勧め指数 □□□□■ (4)

今はマンガでも地震の入門書があるのか。
へぇ、という気分で手にとった。
嫁さんも読んでくれるかもしれないし。

姉を地震研究者に持つイラストレータさんが、地震について知りたいということで本を作った。
内容はQ&A形式の対談で、マンガというよりも挿絵が多用された入門書という感じの本だ。
お母さんと一緒に学ぶ地震学、というような感じだった。

内容はそれでいて豊富、というほどではない。
読者の知識の前提を下げて、NHKの想定するような間口の広い本にするならば、こんな感じだろうという程度である。
地震については科学雑誌での紹介程度の知識しかないぼくだが、全く知らないということでもない。
この本に書いてあることが「くどく」感じることがなかったので、そこは著者らの説明の腕なんだろうと思う。

この本を読んで地震について何かを知った、という気分になれるわけではないが、読んで良かったと思っている。
さて、別の本を読んでみるかな、という気分にはなった。

小説しか読まない読めさんもちゃんと読んで、よくわかったと言っていた。
わが家の震災後の知識としては十分効果があったことになる。

2011年9月 8日

福島の原発事故をめぐって

山本義隆
みすず書房
お勧め指数 □□□■■ (3)

山本義隆さんまでが原発についての本を出版したのか。
しかも、みすず。
装丁はしろか。

最近の書店にはめずらしくない「原発・震災コーナー」でこの本を見つけ、驚いてしまった。
結論はわかっている。
問題はその理路である。
ファンダメンタルなところから物理を考え直している人(科学史、としてだかが)は、どんなことを考えて、どんな理由から「反対」するのだろうか。
決して感情的なもので押しまくるという方法はとるまい。
あるいは、人間社会のクセを避難する形式でもないだろう。
値段も1000円だからいいかな。

そんな判断を瞬時にして購入し、通勤電車のなかで読んでみた。
演繹的に「だからダメである」という論法か、物理的に「不可能だ」という主張か、どちらだろうか。
そうおもってみたのだが、スコンと落ちるような切れ味はなかった。
むしろ回り道だと感じてしまう面もあった。

が、そこは山本義隆さんの意見である。
仙石さんも注目してくれたりして。

2011年9月 6日

検証東日本大震災の流言・デマ

荻上チキ
光文社新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

自分には関係ないことだと思っていた。
流言やデマに惑わされるほど情報音痴ではないと信じていた。
関東大震災時の朝鮮人の行動にまつわる流言による悲劇など、昔だから成立したことなのであって、現代のような通信手段がたくさんある社会、先進国の教育をうけた普通の人ならば騙されないだろう。
漠然とだけど、そう思っていた。

しかし今回の震災によって、インターネットに噂は流されそれが拡大していき、人々の行動を惑わす結果となったことを知った。
東日本の住人ならば、みんな「あれって、流言なんだね」というようなことをいくつか知っているはずだ。
後になってそれが「デマ・流言」だとわかったという体験をもっているはずだ。
声明の危険を感じるような不安なとき、テレビが同じことを繰り返し放送しているときにはどうしても流言には釣られやすい。
それは仕方がないだろう。

この本を読むと、どんな形式で流言が「形成」されていくのかを知ることができる。
世の中に流布されている流言は、最初から完成したものであったのではない。
いわゆる伝聞の形式の文章であっても、人に伝達されるたびに確証のあるもの変わっていく。
「なんかおかしい」という部分には、もっともらしい理由が付加されていく。
あるいは、おかしいことを感じさせない「前提あるいは状況」が足されていく。
なるほどなぁ、と感心する。

震災時にツィッターが活躍したなどいう噂が広まったが、それは流言なんじゃないかという気がする。
誰も情報を流せるということは、そこから「まともな」情報を引っ張りだすのはとても大変だというということだ。
ツィッターを使っている圧倒的多くの人は普通の人なんだから、そこに流される情報のほぼすべては流言になってしまうだろう。
今後、ツィッターやFacebookなどの「普通の人が情報を流すメディア」に果たしてどのくらい有効な情報が流れたのか、研究成果がでてくるのを待ちたい気分である。

2011年9月 5日

日本の大転換

中沢新一
集英社新書
お勧め指数 □□■■■ (2)

緑の党のついてのことが書かれているのか。
あるいは反原発についてのコメントが書かれているのか。

読んでみたのだけど、ぼくのは「わからない」内容でした。
おれって、あたまわるい。

2011年9月 2日

原発はなぜ危険か

田中三彦
岩波新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

工学的な側面から原発事故について知りたい人がまず抑えておく一冊だろう。
大学の工学部で材料力学、破壊力学といった機械工学の講義を受講しているなら、本書の全体像が理解できるはず。
そうではない人には大胆な飛ばし読みが必要になる。
応力・ひずみというレベルから応力腐食割れというレベルの用語まで用いられているため、その気がないとなんだかわからない本という評価になるだろう。

工学的な用語をなぜ多用して書いてあるのか。
それは、読者のうち「工学語」を理解する人が推進派にいて、そういう人が考え直してくれることを期待しているのではないか、と予想している。
東電やメーカーのなかで「そんなことになっているか」という認識をあらためる人がいたらいいな、ということ。
ただ、彼らは洗脳されているので、その希望は足させないだろう。

なので原発業界にいない工学の人、原発とは関係のない工学の人に、工学的な意味合いからその危険性を理解してもらうためのものになる。
そのために、できるだけ工学的な説得方法をとっているのだ。

それは一定の成功を治めている。
だって、ぼくも感心してしまったのだから。
材料や構造の力学をやっている人には、もっと声が響くはずだ。
そういう人に「原発はおかしい」と声を上げて欲しい。

岩波書店はやるなぁ、と単純に感心してしまう。


2011年9月 1日

原発・放射能クライシス

リーダーズノート編集部
LEADERS NOTE
お勧め指数 □□□■■ (3)

原発事故に関して一通りのことを知るにはこの本がいいと思う。
新聞記事や解説記事をまとめたものという側面もあるので、主張という色合いは弱い。
とはいえ、全体的には反原発色である。

記事のまとめ、という本は時間がたつと内容がいろあせる。
記事は時間が経つごとに内容の修正が必要になるから。
各国の反応というものも、当時と現在とでは大分違うだろう。
日本国内だって、ぜんぜん違うだろうから。

原発の解説は、なかなか詳しく書かれている。
ただ、全体すぎて説明資料になっているという感がある。
普通の人が頭に入れることで原発事故の推移を見守るときに意味がある、というところまで洗練されてないだろう。

なんか、訴えて来るものが弱い。
記事内容としては危険なものを「危険」と書いてあるのだけど、文章というのは人の意志があって成立するものだから、記事まとめ、というのは頭に響かないところがある。
そう、受験前の参考書のような本といえばいいだろうか。

2011年8月28日

マツ☆キヨ

マツコ・デラックス+池田清彦
新潮社
お勧め指数 □□□□■ (4)

ずいぶんと不思議な取り合わせだなぁ。

震災直後でもあるので、おしゃべりのとっかかりは当然震災のことになる。
時期的に生々しいニュースが絶え間なく入ってくるときでもあったのだろう。

仮にマツコのような人が被災したらどうなっちゃうのだろうか、とマツコは心配している。
当然だろう。
避難所では、マツコも周りにいる人も「どうしていいか」わからないだろうから。

そういう技術的な問題もさることながら、社会的な問題もある。
マイノリティーの存在とその扱いについて、ということだ。


マツコのような人は、ある種当然ともいえるのだが、大多数の人からは「差別」される。
普通じゃないと理由で。
言葉にしなくても、避けられる。

存在自体が共同体の不利益になるわけではないのだから、べつにいいんじゃないかという意見もある。
が、多勢に無勢になるほうが確率的に高いだろう。
しかない、というのが正常の反応だろう。

確かに問題ではあろうが、そういうことは普通の人にとって喫緊の問題ではない。
大変だろうなぁ、という程度のことでしかない。


では池田清彦さんはどういう反応をしているのだろうか。
おおまかに言えば、マツコさんのような人は「いる」のだから、それを単純に社会も受け入れる必要あるよね、ということだろうか。

社会にとって不都合になりそうなことがあっても、人々は社会のために存在しているわけではない。
実際あるのだから、それに社会をどう合わせたらいいかね。

思ったこともないような昆虫にであると、へぇ、と思う楽しがあるのように、普通から逸脱している人がいても、へぇ、といいつつ受け入れていくマインドって、どうやって涵養すればいいのだろうか。

例えがあまりよくないが、要するにそういうことを考える必要があるかな、とぼやっと思った。

それにしても、マツコさんってしっかりしているな。
だから面白いのかもしれない。
きっと長いことマスコミには残っていく人なんだろう。