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2012年12月 9日

レーダーの歴史




辻俊彦

芸立出版

お勧め指数 □□□■■ (3)


レーダーという装置がどういう歴史的背景のもとに登場してきたのか。
戦争の道具として着目され、英国とドイツが世界大戦のなかでどのような工夫をしながら使ってきたのか。
スペックや能力の競争という視点とは別の、工学的な意味における「要望と対応」のようなものを解説している著作である。

ただし、軍事マニアでも電磁波の工学にも説通していない自分からみると、整理されている具合が少なく、発展しとしての流れも上手にかけているようには感じなかった。
資料の抄訳的な感がある。

2011年10月31日

宇宙ヨットで太陽系を旅しよう

森治
岩波ジュニア文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

大学の研究室時代の後輩である森治さんが上梓した本である。
心して読まねば。

そう思って、アマゾンで注文しよたのだが、翌日には入荷待ちになっていた。
売れているようだ。
しかも、評価は5つ星。

毎週大型書店をほっつき歩くのだが、どの書店でもこの文庫のシリーズがある棚では平積みになっていた。
人気があって何よりだ。

そう思って一読した。
半分以上はイカロスプロジェクトについて。
1/3弱は森さんのこれまでの経歴?について書かれている。

全体のトーンは若者を鼓舞し、活力を与えようとするものである。
一方で、光学的な側面については科学番組程度なので物足りない。
「ジュニア文庫」だから仕方ないのだろう。

「おじさん」読者であり、未来に希望を持てるような人ではない人からすると、ステレオタイプ的な科学啓蒙書に見えてしまうのだ。
内容は完備であるとは思うのだが、うん、優等生臭が拭い切れない。
言ってみれば「毒」がないのだ。

ジュニア文庫ではなく、普通の人を対象にした本を書いてくれないか。
師匠たる川口淳一郎教授の本には「毒」が入っていて、うわぁ面白れぇと思った、さすがだと。

一冊売れる本を書くことができれば、道は開けたようなものだろう。
次に期待します。

なお、著者にサインをしてもあったのだが「謹呈」と書かれた。
おい、これはアマゾンでおれが買った本だぞ、と思ったのだが、まぁいいか。

後輩や学生が抜いていくのをみるのは、まぁいつものことである。
どんどん先に行って、見えなくなるまで遠くに行ってもらいたい。

2011年8月14日

原発はいらない

小出裕章
幻冬舍ルネッサンス新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

昨日読んだ本と同じテーマの本。
講演をもとに編んだ一冊のようで、重複するところもあるが、話のながれ上必要なことだし、なんど聞いても大切なところなので、前の本を読んだ人でも読む価値がある。

原発の問題は、結局のところ人災だったってことだ。
津波は「とどめ」をさしただけで、原発の配管類はすでの地震で壊れていたようだし、外部電源を引き入れる鉄塔や変電所がだめだったんだから。

そういう目前の危機は既存メディアでもちらちらとリークがでてきたが、もっと根源的なことを忘れてはいけない。
燃やした後の燃料、どうするのさ?
廃炉って、どのくらいの費用がかかるのさ?
いずれやらなければならないことに目をつぶって「安価だ」なんて言っている連中は、どうせ自分は死んでいるから関係ないと思っているやつらなんだら、信用に値しない。
もっとも、かれらが「革新的」な技術を生み出す可能性もあるわけだから、話はつねに聞いていないといけないけど。

人間というか、金儲けしか頭にない経済連中って、社会のがんだよなぁ。
まずはそういう人たちから被曝すればいいと思うのだが、そうはいかない。
かれが一番安全なところにいるので、生きながらえるのかは彼らなんですね。
そういう「社会の歪み」は人々との心にわだかまり、やがて宗教へと発展するのかもなぁ。

一連の著作を読んでて思うのだが、経済人は信用してはいけないし、物事を金で計る連中からはなるべく遠くはなれて生きている方がいいってことだ。
もちろんそんなことは社会で生活するかぎり難しいが、個人の生活の範囲では可能なはずだ。

不安で怖いものについては、それをみないようにするのではなく、むしろよく見て勉強したほうがいいだろう。
年内いっぱい原発については、一般向けの人の本でまともなものを読み続けることにする。

2011年8月13日

原発のウソ

小出浩章
扶桑社新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

うなる一冊。
そうだったのかの一冊。
マスコミで流される情報、なにか変だと思ってきたし、武田邦彦さんの本も読んだけど、なかなか現実を教えてくれていないと思ってきた。
それでこの本を読んだのだが、いろいろな疑問が氷塊した。
アマゾンで探しても著作は4冊くらいだから、これを気に小出さんの著作を一気に読んでしまおうと思っている。

正直に言えば、この人の本は「あおり」だと思っていた。
すごい悪いことが起きるぞぉ、という脅しというか。
人は「怖い話」は嫌いなようで、実はすきだから、そういう性質を逆手にとった「商売」で原発のことについて語っているのだとずっと思ってきた。

しかし、それは間違っていた。
この人、もっと紳士に、自分の人生をかけて「原発は難し、危ない」ということを語ってきた人なのだと知った。
偏見に毒されていたのは、僕の方だったというわけだ。

逆風の中で生きていた人の言葉は、静かだけど思い。
実際、この人の発信する情報が「まとも」だと思う。
どんな分野でもそうだが、いわゆる「市民運動」のようなものは、今でも信用してない。
あれは宗教と同じ、原理主義者と同じだから、僕にとっては嫌悪するものである。
一方小出さんの物言いは、静かでアジな部分がない。
科学者らしく、結論から言及する。

今のところ信頼すべてソースの一人だと思っている。

2011年8月12日

千年震災

都司嘉宣
ダイヤモンド社
お勧め指数 □□□□■ (4)

地震の研究って、すすんでいるんだかいないんだかかわからない。
とくに「予知」にはいろいろあったはずだが、今回の震災では「無力」だったし、その後もあまり役になっていない。
地震という研究ならば、役に立とうが立つまいが関係なくあっていい。
だって、研究なんだから、興味ある人が興味の赴くまま何かをしてくれればいいはずだ。
ところがこれまで地震予知は研究としてではなく社会インフラとしようとしてきた。
多額のお金が流れたはずだ。
それって、どうなんだろうかね。

この研究者はちょっとちがうようだ。
日本の古文書なんかを読んで、過去の自身についていろいろ調べているようだし。
そういうことをするには、科学としての地震、歴史学としての文献調査ができないといけない。
そんな人、あまりいないだろう。

過去の日本の文献には、地震のことがけっこう書かれているらしい。
どこでどういう被害があったのか、それを丹念に調べていけば過去の地震について多くを知ることができる。
理論やシミュレーションの裏付けをするための一級のデータとなりえるわけだ。

これまでぼくが抱いてきた地震学にたいする「うさんくささ」は、研究費欲しさの研究者集団にたいする軽蔑からきているのだが、この人はちょっと違うようだ。

本文中ではっとしたことがある。
今回の震災について、「予兆」となる現象はいったいどれくらいあったのか?
もしそれがなければ、あんなにも大きな地震でそれがないのならば、地震予知は原理的に不可能なんだということだ。
ぼくはこういう人の出現を待っていた。
地震学、ちょっと気になるようになってきた。
まともな学者もいるんだってことだ。

2011年8月 7日

エネルギーと原発のウソをすべて話そう

武田邦彦
産經新聞出版
お勧め指数 □□□□■ (4)

日本に戻ってきたら、また原発のことを気にする生活に戻った。

武田さんの本はそもそも普通の人にわかるように書かれているし、原発村や行政についての怒りも押さえて書いてあるので、冷静な気分で読めるのが特徴である。
この本もそうだった。
もちろん、彼らのインチキについてはちゃんと記されているけど、おこってしまったことは仕方ない。
それに、原発事故は起こるべくしておこったわけだから、それを押さえられなかったことについての反省も書かれている。
まぁ、それは今となってはどうでもいいことなのだけど。

それにしても、東電と政府の発表は8月になってもウソが大変な量まぎれこんでいるのだなと驚く。
ほんとうに彼らに聞きたい。
いったいそれで「何を守りたいのか?」と。
自分たちのメンツもあるだろうし、業界保護といういともあるだろう。
でもさぁ、福島県の人は直接害をうけているわけだし、東北から首都圏の人も被害をうけているわけだ。
しかも「終わってない」どころか「より悪化する」ことだって十分ある今の状態において、なんでまた原発を動かそうとか、原発近隣の人に戻れる可能性のあるようなことを言うのだろうか。
現実を話して、それからどうするかの作業をすればいいのに。

ぼくは3月当時、さすがに大本営発表なことはしないとは思っていたが、やるんだなぁ今でも。
中国の高速鉄道の話を槍玉に挙げては馬鹿にする日本人は多いけど、日本政府や東電が全く同じレベルなんだってことを、この本を読むことによって知る。
はぁ、ほんと、どうしようかなぁ。

テレビなんかみてても原発のことはわからない。
結局は「自衛」しかないのかぁ。


2011年7月15日

原発大崩壊!

武田邦彦
ベスト新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

タイトルは煽りなんだけど、編集者が付けたのだろうか。
早速読んでみる。
なるほど、原発そのものの耐震性はそんなに強くないし、原子炉以外の建屋などは普通のビル程度なんだということがよくわかった。

海岸近くにある建屋なのに、対してウォーター・プルーフじゃないのには疑問に思っていたいのだが、そもそも建物が地震で持たなかったということかもしれない。
これじゃぁ他の原発も危ない。
だってこれから地震が沢山ありそうなのに、こんなものを動かしているのは正気の沙汰ではない。

もっといい原発を作っておけば良かったのになぁ。


2011年7月12日

放射能と生きる

武田邦彦
幻冬新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

原発の現状や、事故発生からの推移などについて知りたいと思っているのだが、思うような本が見当たらなかった。
どれもこれも脅し煽りや当為(ああせえ、こうせい)が満載で、だめだこりゃばかり。
そもそも落ち着いた解説があってもいいはずだ、と思って店頭をぶらぶらしていたら、この本が目に入った。

中身は落ち着いた解説ではなくむしろ逆で、震災当初から日々更新された武田さんのブログを時系列に掲載したものである。
誤字脱字を修正しただけで、当時の情報をもとに現状を推論し、掲載してある。
今となってはだいぶ事実がわかっているところもあるが、それらと推論を比較することができる。
推論には形式というものがあり、それがどのくらい正しいのかはちゃんと検証できる。
そして、この本を読めば「武田さんの推論は正しい」ことがわかる。

これはスゴイ情報である。
というのは、今後の推移についても武田さんの推論は他の人よりも信用してよい。
さらに、知識の運用という面からも、冷静に適用できるという意味から、ペットボトルリサイクルは誤りだろうし、地球温暖化仮説もおやまりなんだろうということが「言えてしまう」のである。
両者は政府やご用学者が深く関与しているという点で、原発解説と同じ構造を持っている。
だから、この人の推論は正しいだろうと言ってしまって構わない。

武田さんのブログの存在は知っていたが、どうにもぼくは信用できないでいた。
ぼくは以前から武田さんの著者を読んできたし、その主張にも同意していた。
しかし、原発という状況に際して、ぼくの思考能力は大分落ちたようである。
自分で考えても、残念なことだが、いざというときには死んでしまう選択をするかもしれない。
もっともっと冷静になって考えることができないものか。
武田さんの推論過程から学んでいきたい。

2011年1月27日

バイオ燃料で、パンが消える

武田邦彦
PHP Paperbacks
お勧め指数 □□□□□ (5)

アルコールは糖からできる。
糖はでんぷんと酵素から生成できる。
なんてことはない、ご飯やパンを食べれば口の中でそういう反応が起きているし、それをまねたことが酒をつくる過程でもある。

フランス料理などでフランベという余興がある。
アルコール濃度の濃いお酒をフライパンに入れて炎を出してみせる、あれである。
勢いよく炎が上がるのならば、結果的に燃料と同じような成分が含まれているはずで、それがアルコールというわけである。
以上からパンから燃料が作ることができるのだと直観的に頷ける。

ブラジルではトウモロコシが良く取れる。
その利用法は「食糧」であり「飼料」であった。
ところが最近は「燃料」という使い道もでてきたそうである。

トウモロコシが何にでも化けるのならば、一番高いものにすればいい。
農家ならばそう考えて当然だろう。

食糧が足りないで飢餓が存在する国があろうとなかろうと、自分の生産物は自分に有利に使うのがよい。
その考え方に誤りはない。

だから今後はバイオ燃料という使い道がメジャーになり、食糧生産物の使い方が変わっていくのかもしれない。
そういう未来予想(一部現実だが)に対する啓蒙としてこの本は書かれているようである。

テーマは重い。
とても読んだ人たちが何か貢献が出来るというようなことはない。
自分一人の努力がみんなに広まれば、世の中なんとなるだろう。
そういう牧歌的な世界観を持つ人が悪い人ではないのかもしれない。
しかし現実にはそんなことは全く無力である。

それどころろか、そういう活動をしているが「何かをしている」と思って驕り高ぶった結果人様に迷惑をかけても平然することもある。だったら、やらない方がいいのに。
そういう気さえする。

これはちょうど地球温暖化について、個人で何かができるなどと宣伝しているような「アホ」な話と同じである。
何かできるとしたらそれは「政府レベルからの強制」ということでしかない。

エコと名のつくももには、よくよく眉毛につばをつけてかからないといけない。

2010年12月15日

はやぶさ、そうまでして君は

川口淳一郎
宝島社
お勧め指数 □□□□□ (5)


さすがにこの本は読まないと。
書店で見かけてすぐに購入した。
この先生の書くものがこんなに読みやすくて面白いとは、正直ちょっと想像していなかった。
実に意外。
もっと論説調になるか、逆に説明を端折るかのどちだろうと思っていただけに、ビックリしてしま、その間に全部読んでしまった。

「はやぶさ」について、これまでうんざりするようなテレビの紹介番組が多数つくられ、放送され、人気を得たようである。
そういう番組についての感想は、「確かにそうなんだろうけど」、という実字誤認のなさは認めるのだが、無理やりな感動物語を付けすぎていて、ちょっと引いた一から見ると下手な浪花節世界のマンガであって、ぼくはむしろ不快だった。
一昔前の「プロジェクトX」的なもの。
こんな風にしちゃうから飽きられるのも早いんだろうなと感じていた。

宇宙開発の紹介本についてこの風潮を作った張本人は的川という人である。
この人の書く宇宙開発話は、もう、昔中国で人気を博していたであろう共産党賛歌みたいなもので、読むに堪え難いものばかりだった。
題材に取り上げられた人たちは悪い気分はしないだろうが、現実を脇で見ていた人には、むしろの胡散臭さを感じるくらいものばかだろうな。
物事にはいろんな見方があるのに、感動ドラマを演出したいだけの本ばかりで、もううんざりだった。

もちろん、結局のところ広報のとしての機能は高く、多くのところからお呼びがかかっている。
実際それはそうで宇宙開発に貢献しているから、表立って反論するつもりはない。
ただ、「あぁ、またやっているよ」的な評価がいいところでしょう。

そういうこともあって、「ぼくたちは努力して、凄いことをしました」的な本なのかとも予想していたので、この本を読み予想に反していてビックリしてしまったわけである。

的川さんならば、本書にあるNASAに対する見方を絶対に表にださないだろう。
子供に良くないから、とかいって。
でも、人の行動の源泉にある思いは清濁合わせ持つもっているのが普通である。
そういうことはちゃんと示さないとダメだと思っている。
そこをきちっと書かかれいているからこの本は信頼できるわけである。

2010年4月20日

描かれた技術科学のかたち

橋本毅彦
東京大学出版会
お勧め指数 □□■■■ (2)

 中世の造船について少し興味を持っていた。この本をぺらぺらとめくったら、船の設計図のようなものが挿し絵に載っていた。結構高い本だけど、じっくりと読んで見たいとおもって購入した。

 しかし、正直これといって面白い本ではない。語り口が軽快でもないし、視野が広がるような面白い切り口があるわけでもない。講義ノートかなにかをまとめたものだろうから、ゼミのようなものには重宝するのかもしれないが、普通の人が読んで面白くという意図はない。出版社が東大出版会だから、そのあたりを事前に察知すればよかったなと思う。

 まぁ一応、知りたかったことの「断片」は知り得たので、がっかりはしなかったかけれど。

2010年4月16日

原発とプルトニウム

常石敬一
PHPサイエンス・ワールド新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

 エネルギー源としての原子力技術史をおもしろく読めた。ちょっとした物理学の解説、原子力の発見から原爆製造を経て原子力発電への発展の物語。そして、現在の日本の原子力発電方針が抱える問題。著者としては、この本の内容を理解できる程度の理科系の素養をもった人に、核保有やプルサーマル計画の問題点を技術的に理解してもらいと思っているのだろうと想像する。

 とにかく、いわゆる理科系の大学を出た人には知っておくべきかなぁという気がする良い本だった。

2010年2月 7日

今そこに迫る「地球寒冷化」人類の危機

丸山茂徳
ベストセラーズ
お勧め指数 □□□□□ (5)

 武田邦彦さんや池田清彦さんの本に触発され、何冊か地球温暖化問題の本を読んできた。この本の主張もそれらの流れにある。

 研究者が、自分たちの扱っている分野のメインストリームに反旗を翻すのはなかなか勇気がいる。相手がご用学者だったりするときには、実質「総スカン」をくうことになり、科研費を諦める必要がでてくるから。

 研究者だのなんだの言っても、所詮は研究費をいかにして入手するか、どれだけ偉くなれるかという欲望をエンジンとして活動している人が多く、とくに東大などの「秀才」といわれてきた人たちほどそうだというのが現実である。どうしてなんだろうかと個人的には不思議なところだ。もちろん彼らにと言わせたところで否定するだろうけど、現に彼らがやっている事を集めていけば結局は「俺が偉い」と言いたいだけなのかとわかる。なんとも哀しいところである。

 地球温暖化については、もはや「国教化」をねらっている人が政府の多数派になっている。地震研究と同じで、必要性を一般に訴えることことが容易であり、どんな人に賛成していただけるような分野では、大抵実際の内容がともなわない。大きな地震はメッタに起きないし、起きたとしても被害や対策の方に感心がいくから、だれも地震予知の研究の不備などに興味をもたない。それでいて、研究費は増額される。こういうおいしい分野になるように温暖化研究の人たちは余念がないのだろう。

 温暖化問題を餌にしている人について考えると腹立たしくなるので、正直あまり読みたくない本である。知識の更新が必要だから読むのだけど、それでも世の中にや嫌な奴が偉そうな顔をしているものだと、厭世的な気分になる。本は楽しみとして読みたいから、ある時期一気に纏め読みして、しばらく読まないという方針にしている。

 この本は、そういう嫌な気分が十分に味わえる。温暖化が話題となるまえ(数十年前)はこれから寒冷化に向かうと言われていたそうだ。また、エネルギー問題も合わせて考えると、地球温暖化にかまけている場合はないと思うのだが、なんとも残念な現実がある。

 この本は、温暖化についての考え方を知る以外にも、歴史や地球科学などの科学番組を見えているようで、ちょっと楽しい気分にも慣れる。啓蒙書はこんな感じのものが好きである。

2010年2月 2日

それでも地球は回っている

ペレ出版
青木満
お勧め指数 □□□■■ (3)

 アマゾンのアフェリエートをこのWEBでやっているが、このページをきっかけにして本を購入する人はほとんどいない。まぁ、あなたは素人のろくでもないサイトを経由して本を買うのかと問われれば、ないだろうと答えるだろうから、考えてみれば当然だ。人に本を勧められたとき、その本を読むかどうかは内容の宣伝よりも、勧めた人をみて判断するものだ。知らない人だったら、せめてブログをいくつも読んで感心したというようなことがないとダメだろう。

 ところが、なんでもそうだが、長くやっているとチリも積もる。5年間で1500円分のポイントがたまった。このめでたきご褒美としてアマゾンで購入したのはこの本である。天文学が好きだった頃の自分を思いだしてみようという気分で買った。

 この本は、天文学について普通の人の目線で書かれた良書である。アマゾンの評価も信用できるものとできないものがあるが、この本に限ってみれば「正しい」。

 一番注目したところは、ティコとケプラーについて。ティコとケプラーの仲が良くないことは別の本で読んだことがある。片や観測の鬼で、片や理論の人。考え方や行動指針が違うから議論をしてもわかりあえないことが多かっただろう。だからお互い師弟関係であっても仲が悪い。

 ティコはあるとき頓死してしまい、死後データを引き取り解析を重ねた結果ケプラーの3法則が見出され、それを根拠にニュートンの力学の正しさが世界に証明されるという科学史のメインストリームにつながっていく。なんとも感動的な道筋なのだけど、そもそもなんでティコが死んだのか。

 ティコ家は現在でも続いており、20世紀になってティコの墓からその遺体を確認することがあり、その際髪の毛を採取した。死因について調べて見たところ、通常の何十倍という水銀を死ぬ前に一気に服用したということがわかった。要するに殺人だったのだ。

 犯人は殺人の結果によって利益を受けるものであることはミステリーの定石。当時の遺産分配や周辺の人を調べてみても、金銭的にも名誉的にも特をした人はいなかった。ただし、ケプラーを除けば。

 死後ティコのデータの取り扱いには親族とケプラーで一悶着あったし、ケプラーはデータを独占したということだから、なんてことはない、犯人はケプラーだったのだろう。科学といっても人の行為だよなぁ、と通関する出来事をこの本で知ったのである。


2010年1月16日

絶滅した奇妙な生物

川崎悟司
ブックマン社
お勧め指数 □□□□□ (5)

 昔の動物のイラスト集で、たぶん子供向きに作られている本だろう。漢字にはすべて読みがなが振られている。動物の絵もどちらかといえば可愛らしく、ユーモアがある。怖いあるいは気持ち悪いタイプの生物が描かれていても、まぁ人前で見る事も可能なものである。気持ち悪いようなリアルさはない。

 この本は、本屋さんの店頭でぶらぶらしていて目に留まった。古生代、中生代、新生代の動物に興味があったというわけではない。生物が進化してきた途上の「実験的な」形態に魅かれたことが理由で手にした。古い生物程不思議な気分がする。なんでまたそんな形をしているのだろうか、という驚きである。仮面ライダーに登場する怪人よりもずっと「挑戦的」なものがいる。というより、人の想像よりもはるかに「想像的」な生物がいたんだなぁと再発見するのは面白い。自分が新しいものを作り出すときは、最初の段階ではこういうきてれつな生物のような実験的なものをつくらないといけないな、などと参考にするつもりなのだ。

 恐竜といえばステゴサウルスやティラノサウルスやプテラノドンを思い浮かべるが、あれは「かっこいいな」と子供の頃のぼくが感じた印象がいまでの更新されず残っているからである。サイや象やトカゲ、鳥などから類推できる動物の形態がもつであろう「許容範囲内」に形態がおさまっているといえなくもくなく、恐竜の姿に気持ち悪さや不気味さを感じない。ところが新生代の生物や中世代の魚類などには違う。へんなものが多いのだ。変なというのは、現代にまでは生き延びなかった形態であり、「許容範囲」に収まっていないという意味である。例えば、歯が「ら旋状」に生えてくるサメなんてものが存在したらしい(化石が残っている)が、そんなものどうやったら想像できるのか。人の想像力よりも自然の想像力が上手である。まぁ、当たり前なことなのだが、昔の生物の姿を見るにつけ、そんなことを再確認してしまう。

 日々の生活では人が作ったものを目にしながら生きている。家具や都市に住んでいる限り、見えるものはすべて人の想像の産物か、想像しうる範囲にある。そして、それが世界だと思ってしまっても不思議ではない。

 古代の生物のイラストを見ていると、いやいやどうして、自然はスゴイなぁと思う。昆虫にはいろんなものがいるし、深海魚にも不思議なものが多いが、そいうものは本物を見る機会が少ないからかもしれないからかもしれないが、よく見慣れたものであってもあらためて考えると生物は良くできているものだと感心する。単純だが、そんなことに気がついた。さらに不思議な生物のイラストをじっくりと見たあとでは、うまくできているものと、うまくできてないものの違いもわかり、どっちかというとうまくいかなかった(つまり、絶滅してしまった)ものほうが面白いことに気がついた。もはや動物園では物足りなさを感じると思う。

 同時に、人が考えるものの限界を感じるようになった。最近何冊か読んでいた宗教論(キリスト教が多かったが)について、ちょっと思い返してみると実に馬鹿馬鹿しいものを読んだなという気分になる。例えば西洋の聖書物語にある想像なんて、所詮は人が考えつくものだとわかる。天地は神が想像されたものだということになっているが、聖書の視野にはたかが数万年程度であり、基準が所詮は人間世界でしかない。ところが、生物の進化というものは3億年前からいろんなものが試されていたことがはっきりしている。だって化石があるんだから。いろんな動物を試してみて、それが環境に適応しながら形態を変え、結局今にいたっている。人間なんてその結果の一つにしか過ぎない。しかも、数万年の歴史しかないし、人の知性の歴史といえるものは1万年程度じゃないか。人は「たまたま」存在しているだけだよね。そんなことがわかるようになった。人が考えた雄大なものなんてのは、生物の歴史を前にすると実にスケールが小さいものだ。

 人の存在を越えるようなものを意識的にしろ無意識的にしろ考えてしまうような人は、この本のようなものをじっくり読んで見たらいいのではないだろうか。

2009年9月27日

環境を知るとはどういうことか

養老孟司+岸由二
PHPサイエンス・ワールド新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

 正直、この対談での中心となる岸という人の発言に本能的に嫌なものを感じた。発言内容やこれまで行動してきた事柄は立派なものだろうし、それはこの対談者全員がそう評価しているから実際そうなんだろう。しかし、この人の考えの背後にあるのは、普通の人を心底見下した目のような気がする。発言を読むほどにそういうところを強く感じる。

 昭和四十年代に都内で生まれたごく普通の子供が育っていく環境を想像してみる。昭和十年代に鎌倉に生まれた人や昭和二十年代に鶴見川沿いに育った人と同じ感覚を持っているわけがない。少年期に育っていく環境はその人の選択ではない。少なくとも多く子供は育つ環境を選べない。その選べない環境において感覚が最適化する。成長するときに何の感覚を大事にするのかは、育った環境に依存する。その結果として普通の人ができあがる。つまり、自分の感覚を育てることは、育つ環境と同じで、選択できないのである。

 環境によって人が違ってくるのは当然である。その違いはその人の責任ではない。だから、その人を攻めても意味がない。逆に、自然がある場所で育った人もその人の責任ではない。たまたまそうだったというだけだ。お金持ちや貴族に生まれるか貧乏な人に生まれるかは、その人の選択しではないのと同じだ。生まれ育った場所がその人なりに郷愁を持つはずだし、それによって関心・無関心が決まる。そういうものである。

 しかし、この本の著者たちはそうは思っていない。都市に生まれ育った多くの人を宇宙人だとし、日本はこういう人に一票を与えるべきではないと考えているのである。自然の中で育った人が日本を司ればいい。口に出しては言わないのだが、この本での議論においては、どうにもならないくらいその思いが溢れでてしまっている。

 彼らの話していることを聞くに、要するに日本を昔の姿に戻すのだということだろう。そんなのは簡単である。人口を1/3くらいにしてしまえばいい。人が減れば開発しようにも国力がない。江戸期の人口に戻せばいい。人の活動も戻せばいい。ただし、その場合、中国やアメリカの一部になるだけだろうけど。

 現実を直視する。すると理想と現実のとのギャップを見る事ができる。その間を埋める方法はいろいろ考えられようが、エネルギー的、コスト的、技術的という制約からできるできないが決まってくる。あるべき姿と現状とのギャップを合法的な方法で繋ごうとすれば解なしなることも多い。じゃぁといって強引に線を引こうとすればやろうとした人が抹殺されることになるかもしれない。要するに、できないこともあるのだが。

 普通に暮らしていると自然の中で生きていない。だから、自然の知識は獲得できない。当然知らないことばかりになる。植物のこと、河のこと、昆虫のこと、土のこと、海のこと。知らないことばかりである。そういう知識がないとしても、それは当然のことである。今の日本で生きてくときにそういうものは必要ないからである。それを「ばか」と言うのは、まったく的外れというものだ。

 長い目で考えて行動する。実に口当たりの言い言葉だが、これは社会に変化がない状況において効果を発揮する考え方である。たとえ独裁であっても、その独裁がいつまでもつかわからなければ結局は成立しない。長い目でみても未来が読める。未来の着地点に確信がもてる。それが可能な時期、地域でこそ可能だろう。

 しかし、変化が激しく未来が読めないのならば、その話は単なるペテンでしかない。日々の生活ですら一年で大きく変わっていくとしたら、長い目でみて何かをするなどという言葉に説得力はない。
 

2009年8月 4日

匂いの記憶

ライアル・ワトソン
光文社
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 日本の古本屋

 ライアルワトソンの本が読みたいと思って、中古本をさがし、この本を購入した。amazonマーケットプレースでは結構高価だったが、日本の古本屋のサイトで1000円で売っていた。即購入。

 ライアルワトソンの本が日本でどの程度人気があるのか知らない。しかし著作のほとんどが翻訳されているから、根強いファンはそれなりにいるようだ。ぼくがこの人を知ったのは茂木健一郎さんの著作で言及されていたから。だが、そういう人も結構いるのかもしれない。最近は福岡伸一さんにが宣伝している。amazonで調べると、茂木健一郎さんや福岡伸一さんの本を購入した人の関連サーチにワトソンの本が挙がってくるから。

 この本は、匂いの機能を侮ってはいけないという内容である。匂いが記憶に与えている影響なら誰でも経験あるだろう。ふっと何かの匂いを嗅ぎ、それが懐かしい匂いだったりすると、その瞬間に過去の自分に戻ってしまう。誰でもそんな体験があるはずだ。昔を思いだすのではない。身体の内部が「昔に戻ってしまう」という思い出し方である。それも一瞬で。しかも当時の周辺記憶も一緒に再生してくれる。

 匂いについて僕が覚えていることは次のような感じだ。匂いの処理は脳の古い部分(新皮質ではない)部分で行われる。知識だの論理だのを越えて、動物的な意味で過去に戻る。本能という感じで。

 この本を読みながら、匂いの機能を利用すれば自分の感情を制御できるんじゃないかと考えた。この本を読んでいる最中、電車の中での出来事がヒントになっている。

 通勤電車でこの本を読んでいた。たまたま隣に座ったOLさんから香水が香ってきた。次の瞬間、ぼくは成田の出発ゲートに向かう絨毯を歩いていた。そう錯覚した。一瞬だが完全に電車の席で座っていることを忘れ、ウォーキングベルトの脇を歩いてゲートにいたのだ。なぜそんな錯覚したのだろうか。隣の人の香水が免税店に充満するタイプのものだったからだ。

 ぼくが海外へ行くときは「ワクワク」した気分である。絨毯を踏みしめながら、ちょっとした不安と大きなワクワク。12時間のエコノミー席は地獄だけど、初めての街を見れるかと思うとうれしい。そんな期待する心象風景が現実感を伴って現れる。身体は通勤電車なのに、記憶はどうにでもなる、匂いによって。

 そんなことを考えていたら、本書のヤコブソン器官がどうこういう議論には「味」を感じなくなり、成田の絨毯の感触ばかりが繰り返し思い起こされた。匂い一つで人の意識を「乗っ取れる」可能性があるわけだ。ならば、ある種の「薬」にならないだろうか。

 ただ万人の向けのものはできない。個人用に調合するよりない。匂いには構成要素があり、それをブレンドすることでいろんな匂いを合成できたとしても、どんなことを思い出すのかは、なかなか制御できないし。とはいえ、諦めるにはもったない。継続的に考え続けてみることとしよう。

2009年2月13日

ハチはなぜ大量死したのか

ローワン・ジェイコブセン
文藝春秋
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 極東ブログで書評が掲載されていたので、そのままアマゾンで購入した。
 2006、2007と原因不明のまま養蜂業者が育成しているミツバチが大量に死んだ。昆虫の世界でいう数の感覚は、ほ乳類の場合の数とは何桁もオーダーが違う話なので、億匹死んだといっても絶滅とかそういう話ではない。しかし、養蜂業者が廃業に追い込まれることが目立つ数ではあるそうだ。とくに、アメリカやヨーロッパではその被害が著しいということだ。
 本書のタイトルへの回答は、はっきりとは紹介されていない。要するに本当のところはわからないのだと思うが、どうなんだろうか。いくつか候補はあげてられているが、なんとなくうやむやに終わっているぞという印象をもった。もっとも、正解を求めて読んだわけではないから、どうでもいいことなのだけど。
 
 ふーん、じゃぁ蜂蜜の値段が高騰するのだろうかといえば、そういう話で終わらない。ミツバチが死んだので蜂蜜の値段が高くなりました。そういう話ではない。
 農薬や抗生物質たっぷりの中国産蜂蜜を食べたくない人には蜂蜜の値段が気になるかもしれないが、養蜂業者の恩恵は蜂蜜だけでない。普通の農業も多いに受けているのだ。それは「受粉」のために。
 風媒花や虫媒花という言葉を小学校でならった。ハチが花の蜜を吸うために花を行き交うときに受粉するというあれである。現代では意図的に受粉作業を農業にシステムとして組み込んでいる。もし、ハチがいなくなったら人が受粉作業させる必要がある。しかし、そんなことは大規模農業では不可能なのだ。人が制御できなくらい大規模化させてしまっている。この意味で、ハチがいなくなると、オレンジやアーモンド農家が間接的に被害を受けてしまうのだそうだ。

 欧米の科学読み物は本当に構成がしっかりしている。話の発端、扱う分野の科学的な基礎知識、社会における位置付け、そして、その周りの分野との関係と未来予想。こういったものをきちっと書き込んでいる。ハチの大量死についての本であってもしっかり書かれている。だから、養蜂業者の社会的な役割やミツバチの生態や害虫の問題、そして、中国における関係する問題点まで知ることが出来る。まことに便利である。だからとって、その挿入部分が常に面白いわけではないところに問題はあるのだが。

 結局、これだという原因は確定されていなく、いろいろな小さな問題の連鎖によってハチが大量死してしまうところが正解のようである。風が吹けば桶屋が儲かるような長い連鎖ではなく、3段階くらいの問題である。
 基本的には、商業主義の都合に合わせるために自然のシステムに無理を加えようとして、それが原因でハチのシステムが崩壊してしまったということなのだ。ダニだの農薬だのの問題がないわけではないが、より大量に「儲ける」ための工夫が、ある閾値を越え、ハチのシステムが維持再生していくのに必要な連鎖が切れてしまったのだ。そしてあるときにを栄えにしてばったりとハチの数が激減してしまうのだ。一端連鎖が切れてしまったものは、人が反省してハチのおかれた状況をもとに戻してもシステム自体が再起動しないのだ。
 犯人は誰だ。そういう発想をしている限りこの問題は原因すら分からないだろう。関係者全員がそれぞれ悪いが、それらのタイミングによってはトンデモなく悪いという結果を生む。自然界の非線形性を見せつけられた気がする。推薦の言葉として福岡伸一さんが「動的平衡」という概念をつかってこの話の解説を試みている。この概念を知れば一発で理解できる出来事なのだが、普通の人がどれだけ理解してくるのか心もとない。だからだろうか、福岡伸一さんは動的平衡を扱った新刊を出版されるそうだ。

2008年12月29日

生物が生物である理由

爆笑問題+福岡伸一
講談社
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 八重洲ブックセンター

 この本のシリーズは、ちょっとした時間の合間に読むとよい。なにせ1時間くらいで読めてしまうのだから。フォントは大きいし、行間も広い。それでいて800円もする。一冊の本としては全く腹立たしい限り。読者としては3冊まとめて新書サイズで出版してくれたほうがいい。値段は1300円くらい。そしたら数年は残る本になると思うのだけど。

 今回のインタビュー相手は福岡伸一という生物学者。狂牛病のときに名前を聞いた学者さんで、マスコミの体制的な意見とは少し違った確度から発言されていたことを記憶している。そんなことよりも『生物と無生物のあいだ』という本がバカ売れしたので名前は覚えている。ぼくも読んだ。それと、失礼だが「ちょっとかっこ悪い風采」からもよい印象をうける。カッコいい人って、あまり考えないような気がするから。ぼくの経験則による偏見だけど。

 この本に生物と無生物についての深い話があるのかといえば、多分ない。というのは、生物の話をしているはずだったのに、太田が宇宙論についてちょうど興味をもっていたのだろう、そっちに話を持っていこうとして少し話の流れがおかしくなっているから。太田としては「生命とはなにか」を根源的に考えるという意味で考えたのだろうけど、成功していない。そして、福岡先生が黙ってしまうところがある。

 普段ならば自分の本音から発せられる疑問をぶつける態度は、ただのインタビュー記事を対談にまで高める起爆剤になることが多いのだが、今回は不発に終わっっている。それが残念だった。
 なんともさっぱりしない後味の本になっている。テレビ番組は出来はどうだったのだろうか。

2008年12月27日

科学のクオリア

茂木健一郎
日経ビジネス人文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 BOOKS SAGA長津田店

 日経サイエンスでの対談記事をまとめた本。昔、養老孟司が同じような趣旨でやっていたはずだから、茂木健一郎は養老孟司の後としてはふさわしいだろう。
 こういう対談記事は科学の最前線を「知さらせてくれる」ことよりも、面白いなぁと普通の人が楽しめるように、対談者から話を引き出すことが大切になる。知識を増やすことが目的なら記事を読めばいいし、ネットを調べればいい。それでかなりのことは手に入る。しかし、それはそもそも興味を持った人だけがやること。新規参集者を引き込まないと科学を楽しめる人の数は増えない。日経サイエンスは一般の人向けの雑誌だから、普通の人が科学に興味をもってもらうこと、現代人のもつべき教養の底上げを支援することが役目になる。だからこそ、「面白いなぁ」という記事を対談として入れてある。そう記事の意図を想像してこの本を読むと、なるほど上手な話のもっていきかただと感心してしまう。
 このような対談の場合、話の聞き手は茂木健一郎のように「軸」を持っているほうがよい。茂木健一郎ならば「脳」。だから対談相手の話を理解する軸は「脳」になる。切り口がはっきりしている。だから、話が迷走することはない。また、読者誰もが茂木健一郎には「脳」を期待するので、安心して話を追うことができる。そして、対談相手の分野はできれば脳からすこし離れた分野のほうがよい。茂木が話を聞きながら脳やクオリアとの接点をさがし、思いがけないところで繋がることがあれば、茂木も読者も「おぉ」と一緒になって楽しめる。
 これが、アナウンサーのような「何も知らない普通の人代表」だと、なんだかよくわからないまま終わってしまうことになりがちである。この本は日経サイエンスなのだから、手によって読む段階で読者にはある程度のスクリーニングがかかっている。だから、何も知らない人代表のようなインタビュアーではダメなのだ。
 どの対談相手も面白いのだが、ぼくは動物の解剖をする人と宇宙論の人との話が気に入っている。すこし勉強して見たいなぁと思わせてくれた。だから、この本の目論みは成功しているし、ぼくも気分が良くなったのでこの本は「買い」である。

2008年12月14日

ハンダの達人

福多利夫
翔泳社
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 三省堂本店

 ぼくのハンダ付けの経験は浅い。まだ3年くらいである。仕事上必要になったので、学生さんやその道の資格を持つ人から少し教わった。あとは数をこなしつつ工夫しながら経験値をあげている。決して満足できる技ではないが、それでも人類の9割の人よりは上手であろうと思っている。ハンダ付けの経験をしている人はほとんどいないだろうからそう宣言しているのだけど。
 この本は非常に面白い。単なる知識本ではない。最初から通読すると、著者の人格が見透けてくる感じがする。信頼できる人であろう。その理由は、本文中にでてくる「注意点」の取り上げ方にある。え、そんなことまで気づかってくれるのか、とか、普通そうだよねという点がきちんとくみ取られている。責任を取りたくないという守りの姿勢で書かれた本は、自己責任を徹底させるか、実際やりもしない煩雑や手順や過剰な禁止事項が多くかかれているものである。しかし、この本は「等身大」の人が注意することがかかれているし、おれもそうしているよ、ということが記載さている。だから、信頼できると判断している。
 ただし、専門家からみると心もとないかもれない。ちょっと雑に見えるところもあるかもしれない。それでも、アキバ少年ならば十分だし、研究装置を自作する研究者にも十分な内容である。少なくとも、ぼくは読んでいて「ふんふん」と思ったところが多く、「あぁ、そうやるのか。次からそうしよう」という箇所も何点もあった。もちろんそういうところは、経験上の知恵のようなものであり、先輩の行動をまじかで見る事ができる環境にいる人にとっては感動しないようなところであろう。ただし、ぼくのような先輩がいないところで技術を獲得せざるを得ない人にとっては、良きアドバイスをくれる先輩の経験ノートのような本としてこの本を読める。知っている部分も多く、見返すことはあまりないかもしれないが、作業部屋の本棚で手の届く場所に置いておくつもりである。

2008年10月27日

環境問題はなぜウソがまかり通るのか3

武田邦彦
洋泉社ぺーバーバック
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 八重洲ブックセンター

 武田邦彦のこのシリーズは目から鱗を体感させてくれる本の代表例である。そのシリーズの最新刊が出版された。三冊目ということで、これで完結するようだ。まだ言い足りない事があるのかという驚きと、もうこれで終わりなのかという寂しさが交差する。ともかく、買って読んでみなければならないだろう。

 内容はこれまでと同様、なぜ環境問題が政治問題であって、科学的な結論とは言えないのかをきっちり説明してくれる。おそらくだが、中学生であってもマスコミの報道や政府の環境についての対応は「おかしい」のだとと理解することができるはずである。
 これは大切なことだが、こういうことは学校において教師が自ら考えた結果をきちっと自分と関係がある生徒には伝える必要がある。マスコミや政府の発言を止めることができるのは、いわゆる教師が最後の防火壁なのだ。
 子供であればあるほど、子供の頃に耳にした教師の本気の発言は覚えている。ただし、子供は納得したという表情で答えてくれたり、言葉で理解した事を表現してくれたりはしないかもしれない。しかし、本気の発言は子供であてもわかる。自然と印象づけられてしまうのだ。
 問題はオトナである。まじめなオトナは科学的な結果だと言われると素直に受け入れてしまう。もちろん、大坂商人のような人ならばいざしらず、サラリーマンや主婦などは、権威や人気者の発言を是とするはずで、自ら考えることなどしない。
 いったん原理主義になってしまうと思考停止状態におちる。そうなると、お上の発表を絶対してしまう人が多い。あるいは、周りも自分と同じように行動するよう指示することもある。赤の他人にも指示しようとするくらいなので、自分の子供には強制するだろう。こういう人の子供は災難である。
 現在子供でも十年すればオトナである。ならば、今地球温暖化が絶対だと思っている人を相手にしても仕方ない。
 こんなことを考えると、環境問題は単なる宗教問題なのだということが分かる。

 環境問題において、自分でできることはない。密度とスケールということを考えれば、個人できることは効果がないのである。人一人一人の行動など対した結果を生む事はないという典型例になっている。
 もちろん、大勢の人で協力すれば何がしらのことができると考える人もいるだろう。しかし、いわゆる政府の行動とはこの原理に従ったものである。
 しかし、絶対的なエネルギーを消費する産業なりが対応しなければ、全体的に意味がないのである。
 局所最適なことが全体最適に繋がることはほとんどないという例である。世界は線形ではない。

 環境問題を煽る人がいる。そうする人の動機はなんなのだろうか。
 これには一つの答えはない。研究者はつまるところ研究予算を増額するためである。研究者でない人は、自らの存在意義を確立するためである。あるいは、その方が売れるからとう企業もいるだろう。さらには、悪い事ではないことを主張することに賛成という人もいるだろう。

 賛成派の多くはそれぞれのために賛成しているのである。ここの人々にとってはとても大切なことであって、誰からも文句を言われる筋合いはない。
 資本主義が蔓延すると、マーケットの判断は常に正しいことになる。多く人が温暖化に憂慮し、それに対して対応をとるのならば、それはそれで仕方ないではないか。ある意味仕方ないことである。
 しかし、マーケットの答えも常に正しいわけではない。それで多くの被害を被る人もいるし、実際金融危機などはマーケットが正しいわけではないことを証明しているようなものである。

 環境問題についてはもう少し自分で調べてみたい。科学的にどこまで結果が妥当なのかを知るためではなく、数値計算での予測に社会がどこまで投資をしていいものなのかを判断するためである。この本の主張に同意するのではなく、以前から温暖化対策を叫ぶ人立ちに疑問に感じていたのである。
 温暖化は政治問題であると直観的にも理解できる。温暖化の証拠とされる観測結果といわれる証拠を見ても、スーパーコンピューターの計算結果を見ても疑問を感じる。
 例えば、観測結果については、サンプリングポイントが地球表面一様ではないことと、精度のばらつきに対する補償がどこまで考察されているのかに疑問を持っている。
 一方、計算結果については、複雑系の計算をするための初期値をどうしたのか、それと計算結果が正常であると言い切る指標としてどういうものを使ったのか知りたいのである。単に計算した結果などというものは、相手にされないものなのだが、なぜ地球温暖化ではそれが許されるのか。それを知りたい。
 

2008年6月15日

初歩から学ぶ生物学

池田清彦
角川選書 1400円
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 明屋書店五反田店

 時間調整のための立ち寄った書店で、新書を眺めていて目に付いた。あれ、池田清彦の本で買っていない本がまだあったんだ、とばかりうれしくなって買ってしまった。内容は生物学の基礎的なお話。学術をねらったものではなく、まぁ、池田清彦がかんがえる普通の人が知っていて欲しい生物学というものの骨格のうち、普通の人が書かないような方法で手短にまとめた導入書。前半は面白いけど、最終章は要らないような気がする。素朴な生物にたいする疑問、生物の仕組み、そして進化。構造主義生物学を標榜する著者なりの思想のいったんが書かれていて良い。もっとも、物議を醸し出すような書き方ではなく、あくまでもそれとなく普通の生物学や進化論の立場を「それはうそだよ」というニュアンスを込めて書かれているので、ちょっと面白い。ただし、これが生物学入門の決定版なのかは不明。いろんな門があっていいと思うけど、これが決定版ではないでしょうね。


2008年4月 8日

したたかな生命

北野宏明+竹内薫
ダイヤモンド社 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 生命はロバストなんですよ。そういう説明があったとしも、ロバストってなんだろうと疑問に思う人がいるだろう。そういう人が読むと面白い本だ。生命にもロバストという言葉にも興味を魅かれないならば、あまり面白くないだろう。とくに、後半の話は堪え難い。だから、進化とかシステムとか、あるいはメカニズムといったことに漠とした感心がある人ならば最後まで読み通せるだろうと思う。ぼくは、行きの電車で読めてしまった。

 ただし、だからといって濃い内容があるわけではない。フォントが大きいし、余枠も大きい。これ、新書になるんじゃないかと思うようなものだ。悪気があって言っているわけではない。単に、1600円ではなく半額で読めるようにしてくれたほうがいいのに。まぁ、商売だから仕方ないけど。

 書名はロバストを頑健性としないで、むしろ逆のニュアンスを持つしなやかということばを全面にだした。しやなかな生命、という言葉では何をいっているのか一瞬わからないが、状況が変わってもそれになうべく着いていけることで結果的に生き残れるようなメカニズムというもの大抵の生命はもっている、といいたのであろうと思う。

 何かスゴイ仕組みを発達させると、その仕組みが「効果を発揮する」状況に生命が進化してしまい、過適応してしまうことになる。地球上の状況などはよく変わるものだ。だからこそ生命はどうころんでも生きていくようになっている。それを参考にして「システム」を考える。つまり、生命のアナロジーでシステムを見ていくと、生き残った良いシステムはロバストな点がいろいろ見えてくる。ここのものよりもモノ、機能との関係を築くことや階層化していくことの意味が見えてくる。そういう視点を教えてくれる。

 この本は共著になっているが、どういう作業をしたのだろうか? 議論を文書にし直したところか? 一般の人向けにするような部分なのか? そういうどうでもいいところが気になった。

2008年2月18日

科学は豹変する

養老孟司+和田昭允
培風館 1500円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 失敗。養老孟司と名が付く本は大抵面白いのだけど、対談相手が悪かったため本全体が全損してしまった感がある。別に和田昭允という人に悪気があるわけではないし、老人が嫌いというわけでも決してないけれど、「おれは偉い」という人には近寄りたくないという生理的な応答なので自分でもいかんともしがたい。老人になっても「政治」をやる人、つまり、何とかセンターのセンター長のような役をやる人には腐臭を感じてしまって、何故だろうと思う。この本の表紙に笑顔のじいさんという感じで和田という人の写真が掲載されているが、直感的に政治屋だとわかるような顔である。人生は短い、関わらなくていい人には近寄らない。くわばらくわばら。

 この件で自分の直観に信頼が置けるようになった。実はこの本は数年前に買ったはずで、ずっとほったらかしにしてったのだ。養老孟司の本は目に止まったら購入し、読んでいる途中の本があっても養老孟司の本を読みだすことにしている。それくらい好きなのだけど、この本は読む気がしなかった。なんだか、嫌な感じが表紙からただよっていたのだ。つまらない本をさもいいことが書いてある、あるいは、みんなが学ぶべきことがかかれているとでもいいたげな感じがして、嫌だった。培風館って、センスないですねぇ。この本も何かのバーターだったんですかねぇ。

2008年2月 2日

深海生物の謎

北村雄一
サイエンスアイ新書 952円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 深海生物はグロテスク。ぶにょぶにょしているか、目がでかく歯が鋭い。要するにお化けだ。魚屋でみかけるアンコウなど、どうしてこんなものが食えようかと思うだろう。透明ならばまだしも、妙に赤かったりする。漆黒の深海で写真を撮るのだからライトをつけるのだが、それがまた恐怖映画のライティング。どういう読者がつくのだろうか。気になったから買ってみる。カンブリア期の生命のような、不思議なものがたくさんいる。それも、今現在存在している。そういえば、日本の回りは深海だらけ。もっと、深海に関係する学問や技術開発活動がおこなわれてよいだろう。少なくとも、宇宙よりは成果が還元できそうな気がする。

 冷静に考え始めたら底なしの生命の多様性が気になる。なんでこんな不思議なものがいるのだろう。その生命は、とはいえ地上にいる動物よりは単純なのだ。深海生物にむかって気持ち悪いだのおかしいだの人が言えた義理ではない。人間を含む動物のほうがよっぽどおかしなものである。どうしてこんなものが進化によってできるのだろうか。

 ゆめナマコについて知ったところでどうということはない。知らなくて良い。とはいえ、気になるものは仕方がない。なんでこんなものがいるのだろうか。そういう疑問について妄想するならこの本はよきガイドブックになるだろう。


2008年1月30日

ゆらぎの世界

武者利光
ブルーバックス 760円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 アラン分散をネットで検索していたらあるブログがひっかかり、この本の引用に目をとめた。本書野タイトルをアマゾンで検索したところ、古いブルーバックスだとわかりとりえずよさげな出店者からマーケットプレースで購入、みごと大失敗。水に濡れてよれよれになった線がたくさん引いてある本が登録されたのだ。リサイクルブックスという店から送られてきたが、今どきこんな店もあるんだなぁと驚いた。即効その本はゴミ箱へすて、別の店で同じ本を取り寄せた。さすがに2階は地雷を踏むことはなった。

 早速一読、要点がよく書かれている。今どきのブルーバックスはへんに入門書になっているので嫌いなのだが、20年も昔へ戻るとよい本がある。数学の知識(アラン分散、ポアソン分布、指数関数分布など)が色あせることはほとんどない。書き手のレベルも高いのだろうか、数理的なものと生活の具体例(しかも、使い古されたベタな例ではない)の取り合わせが興味をそそる。古いブルーバックスほどよいものだ。同じ勉強するなら20−30年昔の教科書の方がお得だ。物理、数学、そして文学、歴史一般もそうだろう。
 

2008年1月28日

理系のための口頭発表術

ロバート・アンホルト
ブルーバックス 880円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 この本は理系の発表術の本だが、理系でなくても必要なことだし、発表ではく研究姿勢も説いており、さらに翻訳も挑戦的な日本語になっている。自分が関係する研究室でのゼミで学生に勧めたのだが、はたして何人が読んでくれるのだろうか。実にもったいないことである。自分も学生のときにこういうことを教えてくれる人があればなと思うし、なにより現在の自分が読んでも研究態度で反省してしまうことが多かった。ブルーバックス、よい本をだすじゃねぇか。

 ほぼ全編にわかってお勧めなのだが、ぼくは2章がとくに気に入った。話を面白くする4つの原則を紹介しているが、そもそも研究しているときにこの4原則を意識的にしろ無意識的にしろ活用しておくほうがよいと思うから。まずは展望を示す、本筋とのりなど聞けば「まぁそうだろう」ということになるかもしれないが、この通りに研究し、発表していたら大抵の研究は面白はずだろう。逆に言えば、学生の面倒を見る際、こういう指標をもとに「ああしろ、こうしろ」というべきなのかもしれない。

 この本は発表術についてしかかかれていない。人に勧めるときは、バーバラ・ミントの本もセットで紹介したほうがいいかもしれない。

2008年1月 4日

スティーブ・ジョブズ

林信行
ASCII 2500円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 ジョブズさんの経歴と写真を紹介してくれる本。雑誌の特集記事に手を入れているということで、立ち読みでも充分かもしれないが、手元にあってもよい。アップル製品好きが高じて、そのアイディアの源流に興味を持っている人ならば欲しくなる本だろう。読みやすい。こういう伝説的な人については色々な逸話がついてまわるし、あらゆることの源流にこの人がいたことになってしまう。そんなはずはない。そのあたりをきちんと解説してくれているので、この本はバランスがとれている。アップルファンではない人にも興味がもてるだろう。野球ファンでもないのにイチロー物語の番組は見てしまうような感じだろう。

 でも、不思議だ。もし、アップルがなかったら自分の人生はかなりちがったものになっただろう。そういうものを世の中に送り出していた人は、ずいぶんとはっきりしている。普通はなんだかよくわからないものなのだが。日本の会社で意思決定が最初に見えてくるところは、片手程度しかないのに。それが日本のキャラクターでもあるのだから、無理にアップルを目指す必要はない。よく言われることだけど。足の引っ張り合いになったら見苦しいだけだし。

iPhoneショック

林信行
日経BP社 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 年末に銀座のアップルストアでiPod touchを触った。翌日にはamazonで注文した。あの液晶画面、coverflowというインタフェースにやられてしまったのだ。学生の時に無理してappleを買っていらい、10年前くらいの3年間をのぞき、ぼくのメインPCはAppleである。オタクではないし、クリエーターでもないけど、アップルマシンを買っている。だって、綺麗だし、驚きがあるし、愛着があるし、技術もほれぼれするから。工学に関係する仕事を得た今でも、ロールモデルとしてアップルようなものが作りたいと思っているし、そう思っている人は結構周りにいると思う。もちろん、WindowsやLinuxも用途に応じて使っているバランス感覚もあると自分では思っている。

 「なぜ、日本のメーカーがiPhoneをつくれないのか」という問いは、携帯電話の一ユーザーである自分にもぐさりとくるものがある。AUのデザイン携帯を持っているし、人にも勧めているけれど、どうがんばってもiPhoneは無理だろうな。そう思う。sonyの携帯がつまらなくなってしまった以後、携帯に対する興味はほとんど失せてしまったので、技術的なものはよくわからないけど、Appleようなことはできんだろう。もう、sonyがないんだから。

 この本で語られるアップルのすごさには憧れというよりも、黄泉の世界の物語に思える。ぼくの仕事の世界にも「品管」の行き過ぎた波が訪れていて、関係者全員の首をしめて終焉に向かっているのから、メーカーさんではもっとスゴイことになっているのだろう。ただの学校にもモンスター・ペアレンツがはびこっているのだから、商品のクレーマーの存在は信じがたいものになっているのだろう。それはもう、仕方がない。その意味で、appleのような会社がでることは、あったとしてもぼくの死後のことだろうな。そう思っている。そう思っていても、自分の手が届く世界の中ではアップルのやり方をマネして、つまり、学んでいきたいと思っている。できるできないに関わらず、勉強したいから。元気がでる目標だから。

 iPhoneについていろいろ知ったのだが、これはDoCoMoでは対応できないだろう。逆に対応できたらDoCoMoもまだスゴイところが残っているのだなぁと思うけど、Appleの要求を飲めるのはSoftbankだろうなと思った。auはあり得ない。夏前にはiPhoneがつかるといいな。

2007年12月26日

昭和のロケット屋さん

林紀幸+垣見恒男+松浦晋也+笹本祐一+あさりよしとお
エクスナレッジ 1800円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 トークショーとして人気がある「ロケット祭り」において話されたロケット開発史の裏話をまとめた一冊。公式とまではいわないけどだいたいにおいて「誰々が何時何時なにをした」というような記録は結構間違っている類の話である。

 糸川という独特のキャラをもつ立派な先生の言動は、長嶋茂雄の言動のように「都市伝説」と化しているものがある。なんでもできるスーパースターというものに普通の人は興味と憧れと恐れをもつ。でも、実際は「そんな分けはない。実際にやったのはオレだ」という現場の人の証言がでてきて、歴史がひっくり返る。まぁ、そういう話である。

 宇宙が好きな人や職人信仰を持っている人には「実は現場の職人が全部やっていたのだ」というような話は通りやすいし、実際問題、彼らが大きな力になったことは正しいだろう。考えているだけではモノはできないのだから。これまで、ある意味光が当たっていなかった人がスポットライトがあたるわけでだから、どろどろした悔しさのようなものが「実は全部おれがやったんだよ」的な話になるのは当然である。しかも、長生きしたのだから、それを修正する仲間はもういないのだし。

 ただしである。多分その人の言っていることも「脚色」があるはずなのだ。記憶は適当に変更されるし、記録があっても解釈次第のところがある。例えその人がいい人であれ、恨みの構図があるものは話半分としたほうがいいだろう。もっとも、作家はそんなことを考慮しないだろうけど。

 この本で一番注目した点は、誰が実際に設計し製造しているのか、である。大学の先生は「企画」であって、設計、製造はメーカーさんなんですね。考えてみれば、そりゃそうだ、なんですけど。
 

2007年11月16日

論文捏造

村松秀
中公新書ラクレ 860円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 この本は2つの意味で記憶に残った。一つは、本書の内容である「データを捏造した科学論文」がネーチャー、サイエンスにバンバン掲載されていたので、当初疑いを持つ人がほとんどいなかったとこと。もうひとつは、著者の感心は「どうしてそういうことがおきたのか」よりも「どうしても誰も責任をとらないのか」ということのほうが重要と思っているということである。まさに、現在のマスコミの行動癖を見ているようで、どうしもようない不快感と猜疑心をマスコミに対して持つようになった。

 超電導物質を研究していたシェーンという研究者がスゴイ高温超電導物質を発見した。その方法は勘弁して、物質組成もよく、今後も超電導状態を達成する温度がぐんぐんと上がりそうな気配をもっていた。当然、その年にはセンセーションを起こした。
 その後も続々研究成果がでてきて、1年間にネーチャーとサイエンスに10本以上の論文が掲載されるまでになった。

 それはすごい。スゴイ以上に、「それは、本当か」と言いたくなる結果である。普通の人ならそう思うだろうが、シェーンの論文にはその世界で非常に実積のある研究者が共著になっていたため、レフリーも学会も「信じてしまった」のだ。

 なぜ、そんな捏造がまかり通ったのかは、メカニズム的にはたいしたことはない。今一つのセンセーショナルな結果は「疑われる」が、度を超えて、しかも絶え間なく結果がでてくれば、「だれも疑わなくなる」という心理が科学界にある。なるほど、そういうものか。勉強になった。

 しかし、この本の著者はそちらに感心はないのだ。実は「一体誰が責任をとってくれるのだ」ということ。ワイドショー記者から政治記者まで、マスコミ全体の「信念」のようだ。誰が責任をとるのか探しをずっと続けている。この記者は、研究者本人、共著者、学会、論文を掲載した学会誌、捏造をゆるした研究所、果ては博士課程をとった大学にまで、その責任を押し付けようとしている。まったく、アホである。

 科学はその内部に反証可能性をもっている。別の人がやっても同じ結果になる。全く同じ結果がでないならば、それは「却下」される。一時的には生き残っても、数十年というスケールでは捨てられるのだ。だって、誰もその先にいけないのだから。だから、どんなにこの科学者がデータを捏造し、その結果よい思いをしたとしても、結果的にはなくなる。人の判断でどうにでもなる裁判とは次元が異なるものであって、誰が責任だなんてことは科学自体には「どうでもいいはなし」といっていもいい。

 記者が本を書くと、こんなものばかりになるのかもしれない。今度は著者経歴をみてから本を買うほうがよい。

 しかし、こんなにアホな視点の本なのに、「科学ジャーナリスト大賞」というものを受賞したそうだ。マスコミの本質は「誰が責任か」が正しい道なのだろう。
 

2007年7月 8日

生物と無生物のあいだ

福岡伸一
講談社現代新書 740円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 生命科学の本でやけに評判がよいし、丸善本店で百冊レベルでの平積みになっていたので購入した。以前出版されれた狂牛病についての本『もう牛を食べても安心か』は興味深かったので、きっとよい本なのだろうという期待があった。
 著者のちょっとした(研究についての)自伝的な本のようで、科学的な解説を盛り込んで一般の筋を通している。DNA発見のエピソードや著者の研究分野でのメルクマークとなる成果をだした研究者を紹介することで、著者の研究の立ち位置を専門外の普通の人に興味を持って知ってもらえるような配慮がある。このような配慮は「教えてやる」というニュアンスでは逆に拒否されるのだが、さすがに著者はそのあたりを理解しているようで、自然に反発なく読めてしまった。
 ただし、生命とは何かということに正面から答えていない。300ページ弱で紹介するのはそもそも無理だからどんな視点で結論付けるのかが興味の対象になる。シュレーディンガーの『生命とは何か―物理的にみた生細胞』に触れておくことで前提条件を与えておくが、その拡張としてのアイディアを表明していない。つまり、生命とは〜のことだとは言わない。生命は人が操作できないものだ、といような生命の属性を述べるにとどまっている。ただし、この言葉は著者の経験と長い研究成果(それも、一流のグループでの結果)を踏まえた上での感想なので、たぶんそうなのだろう。
 生命とは〜のことだ、という記述を期待するのは無理なのかもしれない。生命は〜の性質をもつ、とか、生命は〜ができる(あるいはできない)という結論しか言葉では表せないのかなと素朴な感想になる。

テクノラティ タグ :

2006年12月24日

科学とオカルト

池田清彦
PHP新書 657円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 オカルトが流行っている。まぁ、何時の時代にもあるのだけれど、現在でもなおオカルトが流行っている。カールセーガンですら、アメリカのオカルトばやりには涙しており、晩年の著作にもそれが見て取れる。日本でも、何食わぬ顔してオカルトが流行っている。

 なぜ、流行るのだろうか? それを扱ったのがこの本である。基本的には「自分について、かけがえのなさを主張したい」人がはまるのである。宇宙人にとらえられた経験談というのも、じつは「自分のすごさ」を主張したいことの遠回しな表現なのである。結局、自分を表現する機会に恵まれない、あるいは、自分は損だと感じている人がいる限り、なんらかのオカルトは残らざるを得ないであろう。ある意味、見もフタもない主張。

2006年12月22日

科学は錯覚である

池田清彦
宝島社 1850円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 池田さんの主張のエッセンスがつまったエッセイ集。エッセンスではあるが、少し出版時期が古いことと、他の本を読んでいないと意味不明な単語が結構あってわらないということになるかもしれない。いろいろ読んだ後で戻ってくると良いだろう。池田さんの持論は変わっていくのか、とおもう箇所がある。環境についての意見などはとくにそうだ。温室効果の問題について、現在とは違って普通の人と同じような意見であるのが面白い。勉強して、変えていっているんだ。


2006年12月 9日

構造主義科学論の冒険

池田清彦
毎日新聞社 1300円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 科学とは、変なるものを不変なるものと同じだと言い当てる行為なのだ。そして、現実に存在することはすべて「変なる」ものであり、不変なるものは言葉がさす内容でしかない。言葉の指し示す内容は時間を持っていないのだ。そういう主張の本である。

 科学は真理を追究する。そう思っている人は宗教者である。真理などない、という議論をするのではなく、言葉で表現する科学には、真理を追究する能力などありえず、単に、言葉で表現された目で見ないものと現実が同じであると言いたいだけなのだ。この発想は、ある一定期間以上科学者のやっていることを見ていると分かる。確かにそうだ。そしてそれは、科学に限らないのだと分かる。

 目の前の現象を決して記述することはできない。その発想はびっくりするのだが、ソシュールという人の言語論を聞くにつれ、「そうだ」と分かる。もう、目からうろこである。言葉の指し示す内容(シニフィエという)は、私流に理解するならば「クオリア」の一種であるようだ。もっといえば、「それだ」と指し示しているクオリアなのだろう、と思う。

 構造主義は「知能」を考えるときにも使えるような気がする。知識の表記の問題が、なぜ簡単にできないのだろうか、という問題である。いろいろな発想につながるとても良い本を読んだと思う。

環境問題はウソである

池田清彦
ちくまプリマー新書 760円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 地球温暖化やダイオキシンなど、マスコミが騒ぎ政府が対策をうっている社会現象、実は「嘘っぱち」なのである。単に、税金使いたいか、狂信者がマスコミを使って妄言を広めているだけ。そんなものに根拠などないのだ。そういう趣旨の本です。

 今回のネタは地球温暖化をターゲットとしています。データをちゃんと調べると「政府は一体なにを煽っているのか」という疑問が湧いてくる。そういう考察が書かれています。このテーマについては、別にすごいネタ本があるので、池田さんはその本を読んでいたく感動したのでしょう。政府がキャンペーンをはっていることは、大抵何かの出費を正当化したいだけ。それを身も蓋もないよう、やさしい言葉で語られています。中学生だったらわかるでしょう。
 ほんの20年前までは、「氷河期が来る」と世間で騒がれ、今は「温暖化する」と騒いでいる。半年先の長期予報すら満足にあたらない数値計算結果を根拠にして温暖化現象なんて、あてになるかという主張は頷けます。

2006年11月18日

科学教の迷信

池田清彦
洋泉社 1900円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 ”システムもまたDNAが作ったのだと、ナイーブなネオダーウィニストたちは考えているのかもしれない(このような幼稚な考えは、たとえば、「個体は遺伝子の乗り物である」と言った言明に端的に表れている)。しかしこの考えは、検証するまでもなく、論理的な水準で破綻している。”

 要するに、ドーキンス、アホちゃうかというわけである。「生命は遺伝子の乗り物」という利己的な遺伝子という本については、最初はへぇと思ったがそのうちアホなこと言うなぁと思うようになっていた私は、構造主義生物学を知るにいたって、「ドーキンスは間違っているな」と確信した。DNAと遺伝の考え方について、一般の人にはどう関わりがあるのだろうか? アメリカのセレブの世界で流行しているという遺伝子の冷凍保存は「アホやな」と思ってニュースを見ればいい程度のことか。人間の能力は遺伝子が決めているから、しょうがないのだと思う程度なのか。池田さんは、DNAについての話と才能のあるなしについては、両方語っているけど関連についてはたいして感心がないようなので想像するしかないが、才能はDNAが決めているとは思っていないと思う。ただし、才能の違いは純然と存在するとも思っている。まぁ、当たり前なのだが。

 この本では、構造主義生物学と同時に「論文を書かなければなんらない科学者という職業」について、国家レベルでのペテンの構造とその例である温暖化問題、国家が個人に干渉するなという主張について語られている。このような話は、まぁ、他のところでは読めない。しかも、池田さんの発言は、私の経験と照らし合わせても正しいであろうと思うので、ついつい感心して読んでしまう。

 この本を含め何度か紹介されている医療行為について、別の本を読み始めているのだが、これが面白い。もう、ガン検診など受ける気がしない。結局、他人なんてどうでもよい、そんな事より、いかにして自分たちの権威を保持して、設けるのかという人間くさい医者の行為、医療組織の行為を知ることができるのだが、それについてはその本を読み終わったあとで。

やぶにらみ科学論

池田清彦
ちくま新書 700円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 やぶにらみ(斜視)している対象は、「科学」と科学である。つまり、一般に「科学的」と表現される結論なり知識なりについて「それは科学的でない」ということを主張しており、また、そもそも科学という人間の考えかた・行為についても、それが人を幸せにする部分としない部分とがあり、著者は科学を全面信頼できないと言っている。引き合いに出される内容は著者が感心を持っている分野だし、論理も明解な故に非難されるほうは「身も蓋もない」ことになる。言われたほうはむかつくだろうなぁ。だから、池田さんの本の一般の評価はamazonでも☆が5個と1個とに二極化している。

 ”温暖化脅威論は地球規模のマインドコントロールかも知れないことを喝破している。気候変動論の最大の弱点は、気候の正確な長期予報は原理的に不可能なところにある。”

 このテーマについては別途本で語っている。言われてみれた、はたと気付く。少なくとも、暖冬だと予報がでて暖冬だった試しってあまりない。スパコンをつかっても半年レベルの予想もつかないのだ。しかし、一方で計算機にシミュレーションを見せられると「それがホント」が本当のことのように思えてしまう。なるほど、確かに単なるマインドコントロールなのかもしれない、環境問題は。いや、砂漠化していることは確かだし、アマゾンの森林が減っているのも確かだが、それが氷河期とのメカニズムにどう関係するのかは、「よくわからんだろう」というのは、計算機シミュレーションの現状をから考えても納得できる。たぶん、温暖化についてはよくわらんのだ、本当は。

2006年11月12日

さよならダーウィニズム

池田清彦
講談社選書メチエ: 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 自然淘汰という考え方はそんなにおかしなことではない。キリスト教原理主義者でもない私には、ダーウィニズムは「そうかもしれない」という程度のレベルで受け入れらる。また、DNAと突然変異を考慮したネオ・ダーウィニズムも科学的な帰結だといわれれば、そうなんだろう。そう思っていた。ただし、「性能がまわりよりも良いものが、結果的に生き残る」という考え方では説明できない事実も人の臓器や昆虫の不思議のような読み物で知ったことはたしかで、これまで引っかかっていたのだ。それが、この本を読んで、「ダーウィニズムは根本的におかしいのだ」ということを知った。これは、久々に衝撃的な科学的知識である。


 ”考えてみると、ブルアントの巣のなかに入るには、ブルアントそっくりな科学的な物質を擬態しなければならない。これは徐々に擬態していくわけにはいかない。徐々にやっていたのでは、その間に殺されてしまう。”

 ”自然淘汰では、普通の擬態の説明はうまくいくが、そうではない化学擬態や免疫擬態が説明できないのだ。ということは、もしかすると普通の擬態も一気に擬態している可能性もないわけではない。”

 ”DNAそのものの変異はランダムだとしても、システムに許された変異しか選ばれないのだから、生き延びて自然淘汰(外部選択)がかかるDNAの変異はランダムではないのである。”

 ”魚類という、脊椎動物のなかではプリミティブなシステムの上に、新しいシステムを開発したのが両生類で、両生類は、魚類のシステムを全部持っている上に、さらに何らかのシステムを付加したものだ。sらにその上に新しいシステムを付加したのが爬虫類になる。”


 環境に適応したものが、徐々に生き延びていき、その数を変えていく。それが進化につながる。しかし、実際には「それでは間に合わない。ありえない」ことが多いのだ。一気に擬態しなければ、生き残れない生命の擬態をネオ・ダーウィニズムでは説明できない。ならば、この節は間違っているとしかいいようがないではないか。

 構造主義などをもうすこし勉強してみよう。

2006年9月19日

あしたの発想学

岡野雅行
リヨン社 850円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 有名な町工場のおやじ「岡野」さんの著書。初めインタビューを文字に起こしたのかと思った。それくらい、軽い語り口の本だから、いかなる人にも読みやすいと思う。おじさんの話を聞いているかのような気がする。

 自分に技術があれば、3K職場だとかなんとかいわれているけど、町工場の職人という人生はとても面白い。そのためには、技術を社会を自分を知らないとダメだ。そのための小言を150くらいしてやる。そいういう本である。崇高な教訓ではなく、実体験にもとずく結論で、「そりゃそうだ」という話が集められている。

 しかしだ。この人の言葉を本で学んだところで、あまり役に立たないと思う。結局、この人と同じ人生を生きる上で役に立つのであって、違う人生を歩むときには応用がきかないだろう。そもそも、これは成功者の言であって、同じようにやって失敗した人も結構いるような気がする。だから、この本は「職人の寓話」なのではないか。成功した職人とは、こういう人なのだ。
 この本は「楽しむ」に限る。勉強しようというのではない。子供がおじさんの話を聞くかのように、なるほどと、勉強になったと「うれしく」なれれば、それで良い。元気が出る。さて、おれはどやって社会を渡ってやろうか。そう思えればとてもよい本であると思う。

2006年3月17日

古代文明と気候大変動

ブライアン・フェイガン
河出書房新社: 2400円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 気候が文明に影響をあたえる。それは、わかりきったことである。そんな番組も見た覚えがある。ただ、氷河時代の変遷と古代文明の時期、場所について調べ上げ、現在にもある気候変動(エルニーニョや季節風という用語でおなじみ)を関連付けて説明してある本なので、知識を概観するにはちょうどよい。もっとも、とても覚えていられる量ではないので、「確か、あの本のこの辺に記述があったはず」という利用がちょうどよいであろう。

 やませという言葉を知っているだろう。東北地方の夏に吹く北風。コメができなくなり、飢饉が起きる。宮沢賢治もこれに悩まされているのだから、古代文明どころか最近まで恐怖の兆候であった。寒いだけではなく、冬を越せない、明日のコメもないという状況になるのだから、当たり前である。

 では、いまなぜ私はそんなに恐怖を感じないのか。それは、「では、別のところから輸入すればいいではないか」と考えているから。大抵の人もそうだろう。だから、二酸化炭素による温室効果程度の用語と気候変動は同じカテゴリーにはいるのだ。でも、古代文明世界に「ロジスティクス」もなければ「情報ネットワーク」もない。そもそも、お金というルールもない。ならば、やませが吹けば「全滅」するか「戦争して隣の文明を滅ぼすか」しかない。それは、ある意味、現代でも同じなのだが。

 古代ローマも末期も気候変動が起きている。北から人がやってくる。ゲルマンはさらに北から追い出されているのだから、世界的に「不作だし、寒いし、はらが減った」のだ。異動して、相手を殲滅して自分が生き残ろう。そう考えるのは当たり前なのだ。なににもまして、これは今でも起きる。結局、リソースの奪いしか人が行動を変える理由はないからだ。

 地球温暖化などのはなしが「実にくだらない」ものに見えてくる。そもそも、人が太刀打ちできる離しではないのだ、気候変動などは。地球軌道の離心率や歳差運動について文句をいっても仕方がないのだ。

2006年3月10日

眼の誕生

アンドリュー・パーカー
草思社: 2200円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 生物の進化、とくに、カンブリア紀の爆発的な進化のトリガーを「眼の誕生」とする解説本。眼から鱗です。

 この本は2つの視点から参考になります。一つは、着想と行動、考え方といった「科学的思考と行動」。もう一つは本の書き方。両者が一体になったので、科学啓蒙書としては歴史に残っていくと思います。 科学啓蒙書なので、科学的な思考をたどる記述であるのは当たり前ですが、仮説のとりかたが大胆で面白いです。そうきたか、と。そして、本文は完全なトピックセンテンス法に従っています。本を読むのに各段落の1文目だけを読んでいっても、問題ないくらいです。なかなか、ここまで徹底した本はないと思います。

 進化のドライバーって、生存です。生存競争が「食うか食われるか」ということなら、捕食者と被捕食者とに別れる必要があります。そして、生き残るためには「食われない」、生きるためには「喰う」ことです。それらは何よりも「視覚」あっての話しです。視覚がなければ、形や色や動きに意味はありません。例えば、トゲがあるのは食べられるときに機能しても遅いです。トゲがあるから、食べるのをやめようか。そう思うには視覚が前提になっています。
 視覚の発達、焦点があう、という目玉の進化、これらがカンブリア紀に発生したという素朴な発想で、一気に進化大爆発のトリガーを説明してしまっています。科学的、ってこういうものを言うのでしょう。
 


2006年2月25日

99・9%は仮説

竹内薫
光文社新書: 700円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 そうに決っているじゃん。だって、それが事実なんだから。そう思う瞬間、そう発言する時はよくあります。でも、事実を人が取りこめるようになるのかなと以前から疑問に思っていました。現実を取り込むには境界条件(時間、場所、人間関係など)を決め、その中での状態を決め、それを時間的に推移させていく必要がありますので、膨大な記憶力が必要です。人には無理なんです。だから、大抵、話しを丸めちゃう。事実なんて、人間が把握することはできない。近似でしかない、モデルでしかない、印象でしかないはずなんです。それを小説というかたちで表現されたのが、芥川龍之介の「薮の中」です。

 事実だという事柄を思い込みと峻別する方法が科学です。それをブログのような文章で説明してくれているのがこの本です。正直、ちょっとゆるすぎるような表現です。一般の人向けすぎ、という気がするくらい易しい表現になっています。
 この本では、ホパーの反証可能性をつかって「科学的な表現と宗教」を分離させてようとしていますし、「仮説を倒せるのは仮説だけだ」という深遠な話しも入っています。

 新聞のコラム程度の気軽さで読み進めらますので、まずは手に取ってみてもいいと思います。損はしない本です。

2005年4月29日

生命の星・エウロパ

長沼毅
NHKブックス: 1020円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 エウロパの生命を探すという行動を科学者の目からみた位置づけを試みた一般向けの解説書。著者をドライブしているもの(やる気の源)はアーサーCクラークの小説のようである。エウロパに生命がいると考えるのは荒唐無稽なことではない。地球の極限環境で発見された生命の仕組みを考えれば、また、その発生メカニズムを想像するに、エウロパの氷の下の海に、生命がいてもおかしくない。そういう内容をある程度この分野に興味を持つ人に対して説明している本である。実際、Cryobot、Hydrobotという探査機がNASA/JPLで構想されている。

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2005年2月18日

アンドロイドの脳

スティーブ・グラント
アスペクト 2310円
★★☆☆☆

 ロボットの脳をつくる。その目標を掲げてAIを研究?している著者の考察。科学的というより、工学的な洞察集。モノを考えて作るのではなく、つくってから考察するタイプの格闘を自費で続けている。大学や研究所ではなく、好きだから知りたいからという動機で始めたAI研究の存続を掛けて、この出版の印税を研究費・生活費に当てたいと語っている。

 出だしに魅かれて読んだが、ぱっとしない。モノを作ってから考察するという研究方針は、自律系システムを扱うときには一般的なもの。著者の当面の成果である視角野V1、V2に関するニューラルネットの挙動について、意味あり気程度の解説しかない。いや、詳しく解説されているのだが、私にはよく分からなかった。図や数式を使うか、モデルを使うかして説明してくれほうが読者にはありがたいが、複雑なものを複雑のまま扱うという著者の考えがある以上、それは望めない。

 成果についても、どれほど新しいのは不明。もっといえば、その成果すら「明解」なかちで示されていないので、達成したことと達成するであろうことの切り分けが明解でない。自分の趣味の延長での活動だからとやかくいう筋ではないが、人に伝えたいのであればもう少し工夫が必要だろう。