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2013年6月22日

舟を編む

三浦しおん
光文社
お勧め指数 □□□□■ (4)

辞書を編纂する人たちの話。

ドキュメンタリーではないし、小説のモデルになった人もいないだろうと思う。
小説のすべてが、辞書を編むということについての話を聞いて、どうすれば面白い話になるだろうか、どんなところに興味を引っ張る要素があるだろうか、と想像したものだと思う。
まぁ、小説なんだから、そうだろう、当たり前なことだけど。

なので、辞書を創るという作業の片鱗ついて「へぇ、そんなものか」と知って愉快な気分になれるが、とはいえ「小説感」が強すぎる気がしないでもない。

嫌な人はでてこない。
気持ち悪い人もでてこない。
軽い軽い味わいの本であって、人によっては物足りないだろうな。

ある種の「完璧さ」をもった、日本語を使うすべての人が読んで「面白い」と思う。
とはいえ、実際の辞書を編纂しているとがどう思うかはわからないが。

2011年12月 5日

濹東綺譚

永井荷風
新潮文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

たまには古典を読まないと。

そういう気持ちになることが発作的な症状のようにある。
そして何を読むのかを決めるのは、そう思いついた直前に何を読んでいたのか、による。

というのは、「古典を読まないと」という気分にさせてくれるのは、本だから。
当然その本で紹介されている本を手に入れて読むことになる。

平川克美さんの本を読んでいて、永井荷風を読もうかなと思った。
その本では濹東綺譚が紹介されていたわけではない。
ぼくの貧弱な知識では、永井荷風ならばこの本だろう、と思ってのことだ。

選択の動機は、この本で描写される風景は僕の子供の頃にうろうろした街だから。

ぼくは向島で育った。
遊ぶ範囲は、西は浅草寺、田原町、北は玉ノ井くらいが境界だった。
この本の冒頭にでてくる言問橋は、近所に家があった。

この本を読むとき、地名だけで風景が頭に浮かぶ。
もちろん永井荷風の時代のものではなく、昭和40、50年代のものだけど。
小梅やら地蔵坂やら、ほんとに地元のことが書かれている。
へぇと感心しながら読んだ。

寺島図書館の辺りの風景、6号から西に伸びる狭い路地のような商店街の昔の様子を知って意外な気分になる。
「アラーキー」が語りそうな街だったのか。

意外に思ったが、小説としても面白かった。
が、風景どころか匂いまで頭に浮かんでくるので、果たして小説としてちゃんと読めたのか、わからないでいる。

別段「昔の小説」と断らなくても「十分面白い」ものは、今でもありだと納得した。
漱石のような「文学」ではなくとも、読むことに「浸れる」作品ならば、年齢や時代に関係なくよい。

小説って、そういうもんなのかもしれない。

2010年12月30日

黒と茶の幻想

恩田陸
講談社文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

同じ本を何度も読むことがある。
この本もその一つ。
もう4回目くらい。
結構厚い本で、読み通すのにも時間がかかる。けれど、どうしても読む必要があるという思いで読みはじめてしまい、最後まで読んでしまった。

内容は『夜ピク』の中年版だろう。
男女が歩きながら思索する物語だから。
歩きながらあーだこーだと話し合い、そうやって過ごした時間の流れを一日の中で振り返って観賞に浸ったりする。
あの夕焼けを見てたときからこんなに時間がたったのかぁ、みたいな。

登場人物は4人(男性二人、女性二人)。
それぞれに過去と謎を抱えている。
それぞれがもっている謎を小出しにしながら歩きつつ、みんなで語り合う。
それらの話は謎であり、過去への郷愁であり、現在の自分の生活の不思議さである。
だから語り合ったからといって必ずしも結論は見えてこない。

そして最終にゴールし、それまで歩いた道のりや場面場面での会話を、さらにはこれまで生きていた自らの人生をも振り返る。

やっぱりこれ、夜ピクじゃねぇか。
読みながら何度も確認したわけである。
じゃ、つまらないのか。
いやいや。
むしろ恩田陸作品の名かでもかなり面白い方だ。
ぼくにはお気に入り。

歩きながら思索するという形式は、森本鉄郎さんの旅の本に通じるものがある。
といっても、あちらは思索であるし、その対象は哲学だったり文学だったりと、もっと高い山の上の話である。
恩田陸さんのほうはもっと下世話なもの。
悪い意味では決してない。
恩田陸さんは森本哲郎さんの著作に若い頃憧れたらしいので、そういうところが混じっているのかもしれない。
などと勝手な感想をもってみる。

中年の男女が大学時代の恋人と再開して何を話すのだろうか。
ぼくにはとんと想像がつかない。
そういう経験はこれからもありそうもないから。
それでも興味だけはもっている。

歩いてくたくたになってそれで終わりだから健全な物語であって、そこが恩田陸さんの本の安心して読めるところである。

それぞれに生きて行くのは大変だな。
なんだか若者を鼓舞するような物語ではないが、その微妙な苦さのようなものが現実世界で生きるぼくを魅了しているのかとも思う。

そんなに人生楽しいことばかりじゃないってことか。

2010年12月18日

神の子どもたちはみな踊る

村上春樹
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

飛行機に乗るとき成田空港の本屋さに必ず立ち寄ってしまう。
第一と第二で品揃えが微妙に違うのだけど、どちらでも流行作家の文庫本は置いてある。
すでにたくさん本をカバンに入れてあっても、この売店で買いたくなる。
道中の安全を祈願しての儀式のようなものなのかもしれない。
そんな折り既に買って読まないで持ち帰ったのだろう。
机に置いて合ったのを半年ぶりに発見した。

この短編集では「タイランド」が一番好き。
どうという話ではないかもしれない。
それでも読んでて考え込んでしまう。
村上春樹さんの小説は、こういう作品が一番好きなのだが、必ずしも多くないのが残念。

どういうところに魅かれるのか。
意外なことをきっかけに「何のために生きているのだろうか」という問いが突然出てくるところ。
思いも寄らないところでそれを問い掛けられるところ。
突然すぎて構えていないときに不意打ちを食らったような気分になる。

当然答えはない。
いつも考えるような内容じゃないから。
しかし、自分なりに答えはしっかりともって生きていたい。
そういう質問ではある。

こういう、答えのない問いがあること、そしてそれに自分は答えを持っていないことを思い出させてくれる。
なんとも有り難い。

メメントモリ。
そういうのって日常生活のなかではなかなか見つからない。
推理小説が好きな人だって、たまにはこういうのを読んでもいいと思うのだけど。

暗いと評価されることかもしれないが、ぼくは好きだから仕方ない。
 

2010年9月22日

勝手にふるえてろ

綿矢りさ
文藝春秋
お勧め指数 □□□■■ (3)

ひさびさの新刊なのでわくわくして読み進めた。
しかし、「あれ?」
という感想になった。
文章は上手なんだけど、ストーリーがよくない。
というか、ぼくがダメなのかもしれない。
女性の話だからオジサンにはピンとこない。
うざったい青年の造形はよくできていると思うが、そういう部品を動かす「世界」に面白さ感じなかった。
この本の読者対象に(ある意味当たり前だが)ぼくは入っていないようだ。

著者が大学生活で学んだことなどが、ストレートに作品に反映されてるのだろうか。
だとしたら、大学って能力のアンプにはならないようだ。
とはいえ、大学卒業=能力アップ、なんて単純な関係があるはずもないのは承知している。
とはいえ、作者が見えている視野の地平が広がったようには思えない。
この小説は主人公の視野の狭さを狙ったものなのかもしれないが、この小説の読者はその視野から何を「見る」のだろうか。
隣の人の視点での平凡な世界か?
平凡さの中のちょっとした風景なのか。
わざわざ小説にして読むようなたぐいのものではないような気がする。

著者はヨーロッパあたりに1年くらい遊学してくればいいのではないか。
もっと「すげーなー」という感情を味わってきたほうがいいんじゃないかな。
まぁ、次の作品にも期待しよう。
 

2010年8月20日

明治断頭台―山田風太郎明治小説全集〈7〉

山田風太郎
ちくま文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

月一で放送される書評番組で推薦されていた小説で、嫁さんが絶賛していたのでつられて読んで見た。
古い小説だけど、普通に読める。
内容は十分ミステリー。
ちょっとどたばたしているところが気になる。
主要人物を除いて時代設定に無理はない。
ゲスト出演するキー・パーソンは時代の有名人で、そのあたりで小説の荒唐無稽さを中和してくれる。

幾つかの話が順をおって並んでる。
一つ一つは、その時代なりのミステリーになっている。
断頭台=ギロチンだが、その登場の仕方もそれなりに工夫されている。
へんてこなオジサンだけでは読んでいてつらいが、ちょっと魅惑的な女性を登場させることで、とりあえず読み進んでしまうという仕掛けもある。
明治という時代の雰囲気をある程度表しているのかもしれない。
ただ、司馬遼太郎の描く世界とは大分違うけれど。

この小説の凄いところは、ラストである。
うーん、と言葉にしてしまったくらいである。
でもなぁ。
 

2010年5月24日

新参者

東野圭吾
講談社
お勧め指数 □□□□■ (4)

 人形町が舞台の小説が出た。

 去年の暮れの出版だったと思う。TVドラマも人気のようで、似たような時間帯のドラマでは視聴率が一番らしい。

 直木賞もとった人気作家の作品だということで、できはどうなんだろうか。地元民が読んでも面白いのだろうか。そう思いながら読んでみた。

 なるほど、もろに人形町周辺の話だった。ぼくはこのタイプの小説を余り読んでいないので、大筋と周辺とを絡ませながら説いていくこの小説に新鮮味を感じた。

 嫌な気分がまったくないので気に入った。買ったはいいがまだよんでいない本として『容疑者Xの献身』がある。早速読んでみよう。

 
 ミステリー好きの人の『新参者』の評判良くない。

 その理由はわかる。全体が軽く、謎解きも軽い。別の可能性が見えたり、都合が良すぎるだろう。要するに、ディテールにリアリティーがない。そういうところだろう思う。

 読む前に耳にしていた評判はそういうものだったのでもう一つ読む気分にならなかったのが、ちょっと損をしたわけだ。ドラマがわりと面白いので読んだのだから、ドラマを見てなかったら読まなかったかもしれない。

 評判を鵜呑みにするのは怖いことだ。いろんなミステリーを読んでいる人は、ある意味幸せなことが減っているかもしれない。

 
 普段から買い物の街として人形町へ行く。ぼくには近所の散歩スポットである。

 小説に登場する店は、だいたい察しが付く。たぶんあの店かな、という場所がちらほらと小説に登場する。

 小説に登場する店のモデルはどれも見つかる。向かいが喫茶店とか、そういうところはだいたい正しいが、テレビドラマでは場所がちがっていたりする。

 いくら地理的なことが現実にちかいからといって、登場人物までは違うだろうが。小説にはほどほど、テレビドラマでは過剰なくらい「下町感」が漂っている。しかし、実際はそんなでもないのだろうなと思う。

 
 街にはいろんなお店で阿部寛さんがでかでかと印刷されたポスターがそこいらじゅうに張られていた。

 このドラマの影響はそれなりにあるようだ。最近更に混んできた。

 ここ数年、人形町には観光客の人が増えてきていたような気がする。

 小説を読んでいて、ピンと来ないところはいくつかあったが、浅草橋と小伝馬町が「すぐそこだ」という表現には少しまごついた。

 いや、そこまで近くないだろう。遠くはないけど、そこまで近くではない。何と比較して、ということなんだろうけど。

 全くとりとめのない感想である。

2010年5月 6日

1Q84 Book3

村上春樹
新潮社
お勧め指数 □□□□□ (5)

 へぇ、続きがあったんだ。

 そう思って読んでいたら気がついた。Book2で、この小説は終わりようがなかったのか。もしもあそこで終わっていたら、ぼくにはなんだかわからないままだった。登場人物もストーリーも、なんだか宙ぶらりんで終了しているなぁと感じていたが、巨匠がそれでいいということならば仕方ないと素直に考えていた。

 とはいえ、「続編があるかもしれない」とは思った人はどのくらいいたのだろう。1Q84はBook3まで読まないと、いろんな意味で「落ちない」。

 良い感想なり解説なりがあるとすれば、それを読んだことが本編を読むこと(あるいは読んだ事)に全く影響を与えないものだろう。自分が読んで感じたことや気がついたことがあるとして、それを「あやまりだった」などと指摘するような解説はいらない。

 これからいろいろな評論やら感想やら、その派生やらが公になり、良いものは出版されるのだろう。小説にはいろんなメタファーがあるから、解釈によってどうにでもなる。何か言いたい人は1Q84にそれを託すのだろうなぁ。

 本編のストーリーとは関係なく、読んでいて気になったことがある。それは、どういうときに過去形を使い、どういうときに現在形を使うのかの基準である。

 単純に考えれば、思い出して語るときは過去形を使うというもの。例えば、朝食はラー油かけご飯「だった」。そういうたぐいである。

 この小説では、読者の視点で使い分けがあった。つまり、読者が「見ているもの」と読者の側にあるもので、現在形と過去形が使い分けられていた。

 目の前の天吾の行動を牛河が言葉にするとき(思考しているとき・認識しているとき)は過去形が使われている。一方で、青豆が自分の行動を言葉にするとき(考えるとき・認識するとき)は現在形。時制での使い分けではない。例えそれが読者の視点からすれば「過去」にも関わらず現在形なのだ。

 「生き生きとした表現」を狙って、過去のことでも現在形で表現することがある。そんな単純な方法では分類できないような使い方があるようだ。まぁ、そりゃそうなんだけど。

 上手な小説ほど、そういう使い分けがキレイにできているのだろうか。文学の芸術としてしての「部品」は、そういうものなのだろう。

2010年3月16日

さよならドビュッシー

中山七里
宝島社
お勧め指数 □□□□□ (5)

 このミス大賞受賞作は毎年買って読む。新人なのになんでこんなもんがかけるんだろうか。そういう驚きがあるから。物書きになる人はスタート地点からして普通の人とは違うようだ。どうしてこれが「最初」の本なんだろうか。つくづく不思議な思いがする。信じられない技を軽々とこなす天才少年少女をマのあたりした普通の驚きである。

 職業として物書きを選ぶ。いくつもある選択肢から迷った揚げ句にそれを選ぶ。そういうドラマは実際にはないのかもしれない。単に不安と希望を天秤に架けはしたが、応募した作品が賞をとれたので作家になってしまった、ということで、苦悩なんてないんだろう。要するに、有る技術に秀でるかどうかなどは、自分でどうにかなるものではなく、周りの人がいかに後押しするかで決まってしまうのかもしれない。ある種の運命を帯びた仕事なんだろう。ちょっと、親鸞的な考え方過ぎるだおるか。

 ところでこの著者は音楽にどの程度詳しいのだろう。子供の頃に音楽の教育を受け、途中で違う道に来てしまった人なのだろうか。『船に乗れ』の藤谷治さんのように。それならば話はわかる。でも一方で、『のだめ』の作者のように『平成よっぱらい研究所』を書いていたような人が何かのきっかけで書いたのかもしれない。ぼくにはわからない。

 そもそも音楽家や音楽を学んだ人がどう音楽を聴いているのかは、ぼくのような素人から想像もできない。『のだめ』を見るとそうおもう。凄いなぁと。この作品でも、ドビッシーやショパンの曲の説明がある。曲が生まれた背景、作曲家の自伝、あるいは世界史における位置づけなどを演奏者はまず頭に入れて、それを理解した上でどう演奏するか、どう観賞するかという方法が示されている。いい曲悪い曲好きな曲ぱっとしない曲という心理的な状態で曲を判定してしまうぼくなどには想像すらできないことを裏でやっているわけである。

 音楽の道に進む人はさぞかし大変だろう。ただ好きでピアノが弾けるわけではない。この小説はミステリー小説なのだが、殺人のトリックだけでなく、音楽の道にいる主人公の音楽の捕らえ方も立派にコンテンツになっている。『のだめ』と同じだ。へぇ、そうなんだ、そんなものかな。ミステリーの謎ときよりもこっちのほうに比重を置いてぼくは読んだ。この説明に素人にも想像できるようにリアリティーがあれば、そして、それが説得力をもち読者にそんなもんなんかねと思わせることができれば、ミステリー自体の印象も良い方へと引張あげられるだろう。

 小説はあくまでも「お話」であって、読み終わってしまうとそれで終わりである。もちろん余韻やら面白かった感想やら小説のパターンやらは頭に残るが、かといって「勉強しちゃった」という気分にはならない。

 本を読む事=勉強じゃないし、読書で何かの役に立つ勉強をしなければいけない理由などないのだから、音楽を聴くように小説を読めればいいはずだ。

 そう思ったが、ひょっとしたら音楽家が音楽を楽しむためにいろいろ勉強するように、本を書く人、読む人にもいろいろ勉強することがあるのかもしれない。

 この小説はある種の成長ドラマだ。解説に「宗方コーチ」という例えがあったが、見方を変えれば確かにそうで、面白い「話」の方向性はだいたい世の中に知られているものばかりなのかもしれない。単に楽しむだけで済ませてくると、そのうち飽きる。だから、いろいろな勉強があるのだろう。

2009年12月 9日

木曜組曲

恩田陸
徳間文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

 恩田陸さんのなかで好きなこの小説を読み返した。ずいぶんと昔に読んだと思うのだけど結末をすっかり忘れてしまっていたので、これ幸いと出張生活のささやかな楽しみとしてカバンに詰めてあった。それを今日読んだ。もう明日で出張先のでの作業が終わるから、今日中に読み終えないと。緩んだ気分によくあう小説。

 女の人が5人あつまってご飯を食べながらぺちゃくちゃ話す。彼女達は物書きか編集者で、そういう人たちが普段考えているようなことが雑談の中で語れている。何気ない感想や愚痴のようなものはきっと著者である恩田陸さんの本音なのだろう。

 この女性達、年齢や性格はある程度ばらけているが、おそらく著者の分身だろう。一人の人のなかにはいろいろな性格が混じっているもので、どんな人でもちょっと注意すればそれに気づく。気が強い人だって弱くなるときがあるし、緻密な人であっても話題や気分によって大味なことしか考えられないときがある。5人でいろいろおしゃべりしているのは、著者がぼやっとしたときに頭の中で起きていることなのかもしれない。

 読みながらそう感じたのだが、しかしこのは小説である。しかも、推理小説。だから人が死んで、謎解きがあり、結末が存在する。しかも心理的な格闘が読ませるポイントになっている。

 確かにそうなのだが、実際描かれているのはご馳走を前にした女性達の行動。一般的な女性がどうなのかは知らないが、この小説での行動は著者である恩田陸さんの妄想で、多くの人から「そうそう、こんな感じになるよ」といわれるものだろう。だから、食べ物の準備、買いだし、調理と、食べて飲んでタバコ吸ってという様子が、そんなものをぼくは見た事がないのにありありと目に浮かんでくる。ほんと、こういうの書かせると上手だ。

 しかしこの本は推理小説なんだろうかねぇ。本の表紙や帯などで確認してみるが、間違いなく推理小説・ミステリーとある。しかし読んでいると食べ物の本のような気がしてくる。だって美味そうなのだ。どの料理もお酒も、なるほどこうやって食べたり飲んだりするとおいしいし、さぞかし楽しいだろうな。いいなぁ。結局はそんなところが印象に残ってしまう。読み終わったあともその思いが残る。だから記憶の中にあるのは食になってしまう。

 恩田陸さんはつくづく面白いことを書く作家さんだ。この本は、要するに恩田陸さんの好きなことを集めた物語であって、書いていて楽しかっただろう。トリックがどうのこうのという発想はない。不思議なミステリー。

2009年12月 1日

おがたQ、という女

藤谷治
小学館
お勧め指数 □□□□■ (4)

 読み終わって不思議と感動した。哀しさというか切なさというか、なにに感動しているのか、にわかにはわからないのだ。ストーリに驚いたとか、登場人物が可哀相で泣けてくるとかではない。原因不明で感動している。

 この小説のなにに感動したのか。そんなことを分析的に述べたりすると「文学青年」になってしまうような気がする。ぼくは文学的なことを読み解くような訓練もしていないし技もない。そもそもそんなことをする必要も感じていない。単に好きで本を読んでいるだけで、しかも数多くを読みこなしたわけではない。だから文学評論とは無縁である。

 そう思っていても、藤谷治さんが「おがたQ」という女性に託したものについてぼやっと考えてしまうのである。

 主人公のおがたQという女性、この人は著者、藤谷治のことではないか。いや、ちょっとちがう。おがたQ=著者ではなく、著者がながい間考え続けてきた人物=おがたQというべきか。長い時間、ある人のことをずっと考えていると、その人と自分との垣根がぼやけてくるとぼくは思っている。その意味で、おがたQ=著者ではないか。

 あるいは、おがたQは人物ではなく、「心ここにあらず」というときの妄想のようなものか。あるいは、哀しさ切なさの寓意(アレゴリー)としてのキャラクターかもしれない。

 さらに考える。この作品では、男性の小説家が女性の主人公を描き、そのなかで「女心がわらないのね」などと発言させている。小説に夢中で読んでいるときならばとくに気にはならない箇所だが、今こうして考えてみると、なんでそんなことが言えるのか不思議である。だって、おめぇ男だろう。しかも、それ想像上の人じゃないか。そう自然と疑問になる。

 男に女ごごろがわかるのか。知識としての「女ごころ」ではない。その場合は、同じ感情を著者は体験できているのだろうか疑問になる。こう想像する。小説家くらいになれば、想像というものが単なる視覚体験ではなく、感情体験まのでが可能なのだろう。だからこを女心がわかると言えるのだろう。

 あるいは、とさらに想像する。著者はとりあえず男であることを忘れ、「人」という存在になって想像しているのかもしれない。自分が何者かなどは無視し、「女ごごろ」を考えているのではないのか。そんなレベルで考えることができないと、いや感じることができないと、つまり、「自分」という枠から外に出て考えられないととても小説なんてかけないんだろう。

 小説に登場する男性や女性は、あれは人間としての男性や女性ではないと思うようになった。著者が表現したいなぁと思っている感覚、感傷、感情を男性なり女性なりの衣をまとわせた寓意なんだろう。だからその役は、なにか行動の主体であることよりも結果的にそのキャラクターが読者に感じさせたい「感覚」あるいは「心情」なんだ。

 なんでまたこんな感想をもったのだろうか。それくらい、不思議な寓話なのだ。帯に書かれた「逆・シンデレラ」の意味は全くわからないまま読み終えた。この作家には何か不思議なものを感じる。それがいいものなのか、悪いものなのかはわからない。ただ、数年後に『船に乗れ』という傑作を生む事になるのだけど、その作品とはだいぶ感覚が違う。

2009年11月27日

恋するたなだ君

藤谷治
小学館
お勧め指数 □□□□■ (4)

 『船に乗れ』があまりに良かったので、同じ作家の他の本を漁ってみることにした。

 藤谷治さんのデビューは比較的最近で、脱サラして書店を経営を始めたあと、作家活動を開始したみたいだ。年齢からいえば40過ぎのオッさんのはずだ。なんだぼくと同じような年代ではないか。それで『船に乗れ』のような青春恋愛劇を創作でるのか。スゴイ。よくかけるなぁ、と思ってしまう。

 『船に乗れ』は自分の経験がベースになっているのかもしれないが、この『たなだ君』はちがう。奇妙なお話なのだが、一体何からの発想したのだろう。

 この話はある種のファンタジー。さえないギャク的がのっけから連発し、若干ひくが、それでも読み続けるとほんわかした恋愛ものになる。最初から結末を装幀して書きだしたのか、書いていくうちに楽しくなったのか、ちょっと判断できない。ちょっと唐突な出だしと、そんな人いるかなぁというキャラのぎこちなさが、なるほどデビューしてまだ年数が浅い人の作品だという感じが漂ってくる。
それが悪い方向に流れると読み通す気になれないが、さすがに出版されているだけあって、良い方向へ流れていっている。半分あたりから結構一気読みをしてしまった。

 この小説に魅かれた理由は登場してくる「まばさん」なる女性の感じである。その人についてあまり言葉で表現されていないものだから、読む人の好みに想像してしまう。となると、すっごく憧れを抱きつつページをめくることになる。ベールを被った女性のようなものである。 

 そして、主人公のたなださんも、いってみれば「常識人」のような感覚やまっとうな発言のせいで、読者がたなだ君の視点になるのに抵抗はないだろう。

 話に大きな展開はないが、きちんと着地しくれる。後味がよい小説である。なんでだろうか、『鴨川ホルモー』のようなさわやかさを感じた。

2009年11月20日

初恋ソムリエ

初野晴
角川書店
お勧め指数 □□□□□ (5)

 不思議なミステリー。ただ、学園物の範疇にあるので、発生する事件も謎もその解決法も、普通の高校生活の枠のなかにあるために、嫌な気分になる要素が全くない。だから、安心して楽しめる。一片の曇りもなく晴れの気分で読み終えることができる。前作どうよう、装幀の写真がワクワクする。

 嫌な気分を感じさせないという設定は、ミステリーを書く上で縛りがキツイ。それでは深みがでないということで評価が下がる可能性が高く、下手をするとレベルが低い本のように言われしまうかもしれない。しかし、それは嘘だ。なぜならば、嫌な気分なしでもこれくらいのものはかけるのだから。『カカオ100%の夏』という本があったが、あんな感じなのである。

 読んでいるとすっかりその世界に入り込んでしまう。自分が高校生だったころに精神は戻ってしまう。もう40過ぎなのに。もっとも、ぼくが高校生だったときはもっと「しょうもない」人だったと思うから、この本の登場人物たちの方がよっぽどしっかりしているのだけど。

 登場人物の増やし方が上手である。最初は二人。一つ事件を解決するごとに一人仲間が増えていく。目先の目的は吹奏楽だから、だんだんとメンバをそろえていくことになる。犬、猿、キジと仲間を増やすようなものである。吹奏楽だからフルート、ホルンから始まり一つ一つ楽器が増える。よい意味で自然な友達形成の物語になっている。他人を利用して自分がのし上がろうという嫌な気分がない。仲間になるために「助ける」から。一緒に危機を乗り越えると自然と友達になるもので、だれでも頷けることだ。

 こんな感じの良質な物語をもっともっと青春世代に向けていけばいいのになと思う。感覚がマヒした大人世代に向けたものを子供に向けてもろくな事にならないのに。名作ばかりを学級文庫に入れるという努力も大切だろうが、一方で教養文学という発想とは直行するかもしれないような、この本のようなものを上手いこと読んでもらえるようにしたらどうなのかな。などと妄想する。

2009年11月14日

The Lost Symbol

Dan Brown
Bantam Press
お勧め指数 □□□□□ (5)

 ダン・ブラウンの新刊が出版された。ダ・ビンチコードがあまりにも面白かったので、次回作を心待ちにしていた。ただ、出版されたのは原著であり、翻訳ではない。

 出版すれば必ず売れるとわかっているのですぐにでも翻訳はでるだろう。といっても二,三ヶ月はかかる。角川から越後さんでだろうな。ひょっとしたら年末ギリギリくらいにあるかもしれない。まぁ、順当なところで一月だろう。うん、そんなに待てない。

 丸善に行ったとき、ダン・ブラウンの新刊のハードカバーを見つけ手に取った。不思議なことに表紙が2種類ある。内容は同一。なんでだろうと出版もとをみてわかった。アメリカ本とイギリス本のようである。でかいしぶ厚い。どうしようかと悩んだ結果、買ってしまった。というわけで、この本は原著で読んだ。五百ページちょっとの大作。通勤電車の行き帰りずっと読んでいたが、三週間かかった。ぼくがこれまで読んだ本の中で一番厚い「英文の本」である。といっても、辛く苦しい英文解釈ではない。ワクワクに満ちて、早く次の章を読みたい!と思わせてくれたから途中で投げないで読み通せたのだろう。

 ダ・ビンチコードの最後あたりに次はフィレンツェで事件が起きるというようなことが書かれていた。なので次回作はフィレンツェ中心だろうと思っていたが、ちょっと違う。いや、大分違う。。内容については、まぁ、ラングドンシリーズであり、例によってオカルト的な謎を理性で追いかけるというものである。ダ・ビンチコードでは誰でも知っているダ・ビンチの絵とキリストについて、隠された真実を暴くという仕立てになっていた。途中はどたばたがあって、ピンチがあって、まぁ読者を引っ張る力はすごかった。今回も同じようなテーマが動機にある。が、対象はちょっと違う。どっぷりとアメリカである。

 ダン・ブラウンはマイケルクラインのような作品を書くのかなと思いながら読んでいた。謎とサスペンスの作りはとても上手で、英文で読んでいる事を忘れてしまうくらいである。
 だがしかし、ダン・ブラウンはキリスト教とオカルトから離れられないようだ。だから、グラハム・ハンコック的なところがある。小説を書く動機や本人がもつ本旨的な疑問がそこにあるのならば、それはそれでいいような気もするが、それだと読者も限定されてしまう。それに、僕自身もどこまで読んでいいのやらと頭を傾げる。ぼくは好きだけど。

 最後の章に著者の本当に言いたい事がまとめられている。本書執筆の本当の動機なんだろうけど、その章は必要ないんじゃないか。著者としては、これが書きたくて小説を書いたのに、ダイレクトに主題を言っちゃまずいでしょ。だから、ぼくにはこの部分が空回りしてしるような気がした。

 翻訳者がこの本をどう扱うのか、とても楽しみである。そのまま訳すだけだと、日本の読者に伝わらないことが多い。西洋での常識をどうやって補足するのだろうか。その辺りが楽しみである。

2009年9月 2日

ShallWeダンス?

周防正行
幻冬舎文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 bk1.co.jp

 最近ブログで読んだ書評でこの作品に興味をもち、DVDをレンタルで見てからこの小説を読んだ。映画はロードショーのときだからもう10年以上前のこと。所々記憶しているが、完全に忘れいているところも結構あった。ラストは感動で、涙。

 小説の進行も映画通りなので、読んでいるのに頭の中では映画がかかっているという実に便利な体験をした。文を読んだのに映像で理解してるのが面白いのだ。小説を読みまくった人、文学青年、あるいは小説家はこれくらいのことが頭で起きているのかもしれない。だったら実にうらやましい。なぜなら、本を読む楽しさがぼくの千倍以上違うからから。ポータブルDVDのようなものが必要ないだろう。自分の頭を鍛えるれられば、なんと便利な楽しみを持てることか。

 小説版と映画とで違うところはラストシーンのみ。どうしてちがうのだろうか。後書きに理由がある。

知り合いのプロデューサーのH・T氏に、試写を観みた後、「最後はパーティに行かないと思ったんだけど」と言われたのである。「行かないでどうすると思われたんですか」と聞くと、僕より少しだけ人生の先輩であるH氏は「一人で公園で踊ると思ったんだよね」と答え、少し間を空けてから「この歳になるとさ、そんな気がするんだ」と小さく寂しそうな笑みを浮かべた。

 小説ではそれを試みたということである。最初に映画を見たときぼくは20代だったので、役所広司が演じた杉山さんの感情を体感するところまでは不可能だった。ところが今の連例ならば役所広司が演じた役の年齢に近い。だからだろう、この作品が言わんとしていることを肌で感じることができるのだ。もっともぼくは出世もマイホームも子供も持っていないので杉山さんとはあまりにも境遇が違うのだけど。それでもこの年齢の人ならば感じる通奏低音のような感情を理解できる。映画でも小説でもそうだが、自分の年齢が変わるたびに同じ作品を観賞するのは面白い。物語の進行を知っていたとしても、そのシーンの味わいは全く別のものになるから。年代が違うと同じ作品でも別の感覚で観賞できるということはいろんなところで耳にするが、なるほど本当にそうだなと納得できた。知識が知恵へ転換した瞬間である。

 問題のシーンについて。小説の最後の2ページ。小説の方が意外性があり、劇的。こっちのほうが感動があるのではと感じた。物語ならではだし、ラストシーンらしい。深いものがあるように思えたから。それに映画よりもこちらの方が全体として貫かれたテーマがはっきりする。杉山さんの行動は小説の最後の方が「正しい」と思うから。

 じゃぁ映画もそうしたらいいかと言えば、それは違う。なぜか。それは小説では文章によって杉山さんが考えた思索が読めるが、映画は普通の人はわからないから。読者は杉山さんの心の中を文字で読める。映画ではそれができない。人の心の中を憶測するのは映画の楽しみのうちなのだろうけど、大抵の人は理解できないもの。適当に勘違いするのが関の山だ。思索を映像と音楽で表現するのは難しい。思索をナレーションとして入れると「説明」臭い。ある種の嫌みがでるかもしれない。なるほどならば映画は今の映画の終わりでいい。

 最後の2つの結末を知り、その両方の良さを理解し、両方好きになったところで、ふっと気がついた。これがパラレルワールドというものなのか。ああすれば良かった、と過去を思い返すときにパラレルワールドという言葉を思い浮かべる。大抵の後悔は、現在とは違う状況を思い浮かべ、そちらの方が今よりも「いい」と感じるからだろう。ところがその違いについては判断できないはず。なぜなら両方を体験することができないから。比べようがないじゃない。比べられない以上、「もしかしたら」というパラレルワールドの方が「いい」ような気がするのは当然のこと。それを後悔と呼ぶのである。

 この小説を読んで思うだが、仮に2つの選択しがあったとしたら、実は両方とも「あり」であり、つまりどっちを選らんでも同じような結果になっているというのが本当のところではないのだろうか。つまり、選択によって未来の違いというのは、実はたいしたことがないのではないか。はたいしたことがなく、どちらもそれなりに「よい」ということはないのか。パラレルワールド自体によい、悪いの違いなんてないんじゃないか。

 おそらくだが、選択の結果というのは、選択する前の履歴によってほぼ決まって、選択によって結果が天と地に別れるというのは現実否定をしたい心理から来ているだけで、実のところ「勘違い」なんじゃないか。因果を強調することになるけど、選択の違いなんてじつはなくて、それ以前に何やったのかによって、選択の先が決まるだけなんじゃないか。

 なんだか実に不思議な気分のままこの本を読み終えた。映画を見たときの感想は、この映画は「ローマの休日」のような永遠性まではもう一歩だ、というものだった。その理由は「舞さんと踊りたい」という杉山さんの思いが達成されたからだろう。小説にあるように、その思いが達成されないで遠くに行ってしまうという哀しさと向き合うところで終わると、「ローマの休日」にある永遠性を獲得できているのではないかと感じる。なるほど、ならばぼくは、小説版の方が歴史に残ってもらいたい。


2009年8月 1日

エレファントム

ライアル・ワトソン
木楽舎
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 bk1.co.jp

 ライアル・ワトソンさんの著者を福岡伸一さんが翻訳されている。なぜだろう。ライアル・ワトソンさんの本は、ものを知らないぼくですら一冊読んだくらいだから無名の人ではない。それどころか有名人である。これまでに何冊も翻訳されている。

 とはいえ、2000年以後は出版されていないから、最近はあまり売れないということで翻訳しなくなったのかもしれない。こんなに良い本なのに翻訳されないのはもったいないよ。そういう意味で福岡伸一さんが力を貸したのではないのか。この本の出版社もあまり目にしないところだから、あながち本当かもしれない。

 前作『未知の贈りもの』は、茂木健一郎さんの著者で引用されていたことばが印象的だったので読んだのだ。

 精巧にできたイカの眼球がとらえる光景は、その貧弱な神経系で処理するには豊かすぎる。イカたちは何か他の大きなものの代りにこの世界を観測するカメラ台なのではないか。

 すごい。こんな見方があるのかと共感してしまった。今回も本も同じテーストの内容であるが、著者の回想録でもある。

 ワトソンさんは幼少期から青年期までを南アフリカで過ごしている。そのときの不思議な体験がこの本のコアになっている。

 アフリカだから野生動物と遭遇する機会は多く、だから自然に動物に興味をもつのだろう。この人は、象に神秘性と威厳を感じたのだ。著者の人生も象への興味がガイドしたようなもので、それは死ぬまでそうだった。こんな生き方を知ると、社会で出世することが目的の生き方なんてくだらないものに見えてくる。

 象は5−25ヘルツという低周波の音が出せるそうだ。そんな低い音はとても人には聞こえない。ただし、感じることはできる。また、低周波であればそれだけ音が遠くに届きやすい(パワーがあればだが)。象の集団はこの音を使って、かなり離れた象同士で群れとしての会話をしているらしい。しかも足の裏の感覚をつかって地面からの振動を感じることで通信を行っているらしいことも最近では明らかなったらしい。普通の人が思っている以上に、像の群れはいろんな情報交換をしているのだ。それに情報を交換するからには、像の知性は高く、自意識も強くもっているのだろう。だからだろう、象は絵を書くなどの芸術的な衝動ももっていることが知られている。

 こういった象の話と同時に、子供の頃の印象的な出来事を語ってくれている。それは、人がいないアフリカの海岸で象とシロナガスクジラが低周波音を使ってコミュニケーションをしている場所に出くわしたというものだ。内容は聞こえないが、低周波音については感じることができる。2頭の巨大な動物が何かを語っているというのだ。こんな幻想的なシーンを想像したことすらなかった。

 人生のガイド役というものは誰にもあるのかもしれないが、こんな人生もいいなぁと感じる。なるほど福岡伸一さんが翻訳するわけだよ。

2009年6月27日

1Q84 Book1, Book2

村上春樹
新潮社
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 bk1

 発売直後から売り切れ、普通の書店ではいまだに店頭に並ぶことがないくらいに売れている小説である。新潮社の情報管制というマーケッティング方法が成功したために、普段本を読まない人まで買っているのだ。村上春樹さんなの長編新刊ならば、なにもしなくったってベストセラーになるのは自明なのに、あえて売る側が目論んだ「嫌な感じ」の売り方。出版社はビジネスありきだからな、と少し残念だ。売れている理由のいくぶんかは映画になる『ノルウェーの森』効果かも知れないが。
 1000ページの小説など読むのは久しぶりである。通勤電車の中で読んでいたが、一週間かかってしまった。内容についてはネタバレするので書かないが、ミステリーというかサスペンスなのだろうか。明るいタッチの『ダンス・ダンス・ダンス』的なものではなく、かといって初期の頃の乾いた寂寥感満載の話でもなく、どちらかといえば『ノルウェーの森』の部類に入るのではないか。まぁ、小説であり、フィクションなのだから何が書かれていてもかまわないのだけど、通勤電車の中や晴れた土曜日の朝日を受けて輝いているベランダの花を見ながら読むような本では決してないだろう。
 読み終わった後、ドッと疲れがでた。これ、本当に日本人の100人に一人が読むようなお話なんだろうか、と疑問に思う。ぼくの意見は、もっとほかにあるだろう、だ。
 小説は、何かの事件を下敷きにして作家の思索を物語として表現したもの、という考え方がある。それはそれで、そういうこともあるだろうと同意する。しかしだからといって、この本が実際の事件を下敷きにしているとか、作家が言わんとしていることはその事件と関係があるようには思えない。
 この小説を読んで良かったなと思ったことがある。それは、本編の流れと関係がないだろうし、気に留めない人も多いかもしれない言葉である。それは人の習性の根深いところにある事実であり、この本でのように明確な言葉によって語られるのをこれまでに目にしたことがなかった。
 それは、人は自分の存在価値を高めるような社会の見方を「事実」として受けれ入るものだ、というような内容である。

 人々が必要としているのは、自分の存在を少しでも意味深く感じさせてくれるような、美しく心地よいお話なんだ。

 Aという説が、彼なり彼女なりの存在を意味深く見せてくれるなら、それは彼らにとって真実だし、Bという説が、彼なり彼女なりの存在を非力で矮小なものに見せるものであれば、それは偽物ということになる。とてもはっきりしている。もしBという説が真実だと主張するものがいたら、人々はおそらくその人々を恨み、黙殺し、ある場合には攻撃することだろう。論理が通っているとか実証可能だとか、そんなことは彼らにとって何の意味も持たない。

 なるほど、そうか。これだけのことなのだが、今までよくわからなかったことや自分の行動についてまで一気に理解できてしまう補助線だと思う。この言葉を知ることができたので、この本を読んだかいがあった。
 ベストセラーとして売れる本はつねに「今の自分は本当の自分ではない、ぼくはもっと価値のある人間で、ぼくこそがもっと幸せになるべきなんだ」ということを伝える話である。子供の間で人気がでるのはこのタイプの話である。ハリーポッターからガンダムまで、全部この類である。
 それがなぜだろうか、も理解できる。ついでに古代から紛争の元になっている宗教についても理解できてしまう。人の世界を理解するための素晴らしい補助線をぼくは得たのだ。
 この小説で印象にのこったのはこの言葉であり、それ以外の主題はテーマについてはとくにピント来なかった。ぼくが感心した言葉は、果たしてこの本の中においてどの程度の重要どを占めるものなのか、著者の意図を聞いて見たい気がする。まぁおそらく、あまり重要ではないのかもしれない。
 社会ではこの本の読み方なるものがゾクゾクと発表されているが、そんなもんあんまり意味がないのではないかと思う。なぜなら、これって小説であって思索を広めようとしているようなものではないだろうから。正解はないのに、成果を探っても仕方がない。TV番組でマイケルジャクソンさんの死因を解説しているようなものだ。
 こんなことを言うと文科系の人からはバカ野郎呼ばわりされるかもしれない。が、小説として成立しており、人によっては面白いと絶賛される内容であるが、だからと言ってそれ以上のものは含んでいないのだから(悪と戦うとか、父親からひどい目にあった子供たちだとか)、あれこれ無理やり解説する必要なんてないだろう。読んで面白けりゃそれでいい。
 書店では下巻のみが大量に並んでいることがある。つまりは、流行にのるために上巻だけ買う人が多いということだ。想像だが、上巻だけしか読まないのだとすれば、一体この本は何ナノだろうかと頭を抱えるのではないか。ちょっと心配になる。これが文学なのかと思ったら、そういう人は実にお気の毒なものだ。じゃぁ、下巻の最後まで読んだからといって、何かが良くなるわけではないのだけど。
 事前情報は知りたくななったので、1Q84の書評については全く読んでいない。だけど、一体皆さん何を評論しているのだろうかと興味がでる。


2009年6月 5日

ぼくの会話学校

森本哲郎
角川書店
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazonマーケットプレース

 森本哲郎さんの小説である。え、小説?紀行文でも思索でもなく? そう、小説。とはいえ、トレンディーなものでも、いわゆる小説家が書くような小説でもない。かなり古い翻訳もののような小説である。こんな感じの小説はこれまで読んだことがない。現代風の小説を読み混んでいた人だと、なんだか恥ずかしくて読み通せないかもしれない。小説の体裁をした絵本といえばいいだろうか。

 だからといって「おとぎ話」ではない。登場する人やストーリーは魔法使いのような幻想物語ではない。会話が下手、口下手な男が主人公で、これじゃいかんと思っているときに会話学校の広告を目にし、そこへ通うことにした。おしゃべり、とくに同世代の女の子と話しができるようになりたいという目的であったが、同級生やおかしな講師陣に翻弄されながら次第に会話というものを学んでいく。そういうストーリーなのである。珍しいわけでもひねりがきいているわけでもない。現実感がないキャラクターが幾人も登場し、そんな学校はねぇだろう、と感じるおかしな話なのだ。言ってみれば昭和のファンタジー。主人公は森本哲郎さんの若い頃なのかなと思ったが、実際はそんなことはないだろうけど。

 だからといって、つまらないわけではない。物語はリアルかどうかが大切なのではない。引き込まれるかどうかだ。スリルもサスペンスもロマンスもないから、寝る前にちびちびと読むにはちょうどよい。安楽である。実際、そういう読み方をした。なので読み終わるのにずいぶんと時間がかかった。それでも、森本哲郎さんの本なんだなぁ、と感じた。森本哲郎さんの旅行記や思索の過程を綴った本を読んだことがない人がどんな反応をするのか全くわからないけれど、ぼくにはいい感じがした本だった。

 ところで森本哲郎さんは実際のところ話し上手なのだろうか。この本で学んだことは箇条書きにまとめらないが、この本で伝えたいこと意図した方法は森本哲郎さん自ら得た教訓なのだろうか。冷ややかな目で見れば、その教訓を身に付けたからといって会話が上手になれるとは思えない。ヒントにはなるかもしれないが、所詮は技術だから実践を積んで、しかもそれらを楽しむようにならないと会話が上手になることはないだろう。そもそもマニュアルなどは成立しないと思う。この小説の登場人物は決して会話が上手になったとは言えないだろうが、自然と言葉をだすような気分は見つけているから、学んでいく道筋のようなものを示すところが本でできる最大限のところであろう。つまり、会話とはなんなのだろうかを思索することが本できる差一杯一杯のところで、それを越えてマニュアルのような説明をしはじめると哲学者がよくやる抽象的な言葉を積み重ねることになり、何をいっているのか意味不明になってしまう。だから、小説のなかの主人公が工夫していく様子を描くのが精いっぱいで、その程が小説になっているのだろう。

 これは主婦の友社の雑誌の連載小説だったようだ。昭和の主婦の読みものだったのか。なんだか安心した。買い物とエステといった、欲望を拡大させるだけの情報しかない雑誌しか日本の普通の主婦層が手にしないだろうけど、ちょっと前の人の人の関心事には、自分が何かをできるようになるということもあったのだ。そう言えば、森本哲郎さんの著作に、『ぼくの作文学校』という小説がある。この本とおなじような若者が文章を学んでいく過程の話である。きっと、一連のシリーズだったのだろう。


2009年3月14日

プリンセス・トヨトミ

万城目学
文藝春秋
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 東京堂書店

 読みはじめてすぐに背筋がゾクゾクした。会計検査院の話で、こんなにワクワクさせるストーリーが作り出せるのか。しかも、これは経済小説ではない。万城目学さんの小説だから、どこまでも明るいとぼけた話になるはずだろう。シリアス小説にはならないはず。一体どういうふうに話を着地させるのか。
 本の内容については言いたいことがたくさんあるが、触れることはできない。また、内容をほのめかすこともできない。だから、感想を書くことは難しい。仕方ないので東京の人からみたこの本の感想を言えばいいだろう。

 まず、現実的どうこうというより、心情的にはありえる話だ。阪神タイガース好きをみてもそうだ。ちょうど先日、道頓堀に投げ込まれたカーネルサンダースの人形が見つかったということでニュースになっていたが、大阪の人の行動は東京の人からみると、奇異である。日本語もかなり違うし。正直違和感を感じる。となると、この本の世界は、心情的には現実なのかもしれない。
 つぎに、歴史をどうとらえるか。歴史上の人物にたいして、誰に親近感を持つのか。東京の人だからといって、江戸に幕府を開いた人に親近感を持つわけではない。江戸八百八町の岡っ引きにそういう気持ちを抱く人もいるかもしれないが、ぼくは誰にも親近感をもてないでいる。これは悲しいことかもしれない。でも、大阪の人はトヨトミに親近感を持っているのかもしれない。そういうところがわかると、登場人物の名前をみてピンとくるのかもしれない。

 ホルモーは映画化し、鹿男は人気ドラマになった。ならばこの話も実写化の動きがあるかもしれない。しかし、これはちょっと難しいのではないかと思う。というのは、実写にしちゃうと、この話の面白さが消し飛んでしまうかからだ。実写の目的には「映像によって、話を現実のことか思わせること」という側面がある。これは本当のことか、と思わせるようにセットを作ったりする。ところが、この話でそれをやるとなんだかおかしなことになる。現実ではないという約束のもとで話を展開しているから、現実にしてしまうと面白さがなくなってしまうような気がする。うまく説明できないのだけど。
 ともかく、京都、奈良、大阪と舞台を変えてきた。次の作品は神戸あたりなるのだろうか。待ち遠しい。 

2009年2月20日

屋上ミサイル

山下貴光
宝島社
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 丸善北千住

 『退出ゲーム』の余韻がまだ残っている。あんな感じの小説をもうちょっと読みたい。そういえば今年の「このミス大賞」に学園ものがあったはず。たしか、大森望さんは絶賛していた。さっそく嫁さんの携帯へメールし、パート帰りに買ってきてもらった。
 この小説の視点は快活な女子高生で、内容は学園というよりその外の出来事について。狭い学校世界で人間関係に右往左往するだけの学園小説は嫌いなので、正直ほっとした。あまりぼくとは関係がないことが理由なのだ。物語を読むなら、学園の外の話の方が物語を読んだかいがある。
 登場人物のキャラクターははっきりしていて、会話も面白い。扱っているテーマも楽しく読めるもの。なにひとつ暗いところがない、ルノアールの絵のような小説である。
 キャラクターが明確で会話が面白い高校生ものだと、いわゆるライトノベルにちかいのかもしれない。『涼宮ハルヒの憂鬱』の面白さは「キャラクターありき」の「無意味さ」だったと思うが、こちらはハルヒ読者層よりも多くの人に向けた小説を目指していると思う。うまく表現できないけど。
 この小説の最後が好きだ。いや、そんなにすごいことのない最後の一ページなのだけど、最後を書かないところがよい。書かないから読者の中でその結末が勝手に浮かぶのだ。小説の世界を自分が想像してしまったら、読者とこの作品との距離はぐっと短くなる。
 こういうことは大切なことなんじゃないかと思う。恩田陸さんの『夜のピクニック』も最後の場面は書いていない。同じものを映画で見たときは最後まで映像化してあって、その陳腐さにがっかりしてしまった。
 当然の結末というものはだれが映像化しても同じようなものだけど、映像化しないで読者の頭の中に映像を浮かばせた方が効果としては100倍以上違うだろう。普通の読者や鑑賞者は想像することになれていないけれど、誰が見ても当然という結末ならば適切にその場面を想像できる。結末を自分で想像した方が、その作品全体の印象は格段と増すし、読後の感動の幅も広がる。こういうことは、作る側が意図してやってほしいなぁと思う。

 この小説のように、春の朝日見たいな読後感をもたらす作品をぼくは好きだ。ルノアールの言葉に「世の中嫌なことが多いのだから、なんでまた絵の中にそういうものを持ち込む必要があるのだ」というものがあった。だからルノアールはたくさんの明るい絵を残した。
 ぼくは、小説もそうなんじゃないかと思っている。だから、読者に楽しい思いをさせてくれる小説が好きだ。考えさせられるとか、世の中の暗い一面を見せるようなものに、時間もお金も払いたいとは思わない。

 とはいえ、少しは自分の幅を広げるのも悪くないかなと思う。今年のこのミス大賞のもうひとつは、その対局にある暗い現代社会の問題を扱ったサスペンスらしいから、そちらも一応読んでみて、今までとは違った世界も覗いてみるかな。 

 それにしても、この本の装幀はすばらしい。

2009年2月 6日

ブラザー・サン シスター・ムーン

恩田陸
河出書房新社
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 八重洲ブックセンター

 同じ大学へ通った3人の登場人物それぞれの視点から語る大学生時代。なんてことはない、恩田陸さんのご自身の体験をもとにした妄想小説なんだろう。とすれば登場人物の一人は女性で、舞台となる大学は早稲田でしょう。東京からさほど遠くない高校というのは水戸第一高校。
 他の男性二人は高校時代の友人なのか。多分違う。これも全部恩田陸さん。別の人格部分をキャラクター化したもので、3人が考えていたことは全部恩田陸さんが考えていたことなんだろうなと思った。
 そう予想してWikiで確認すると、大学時代の活動から察するに、たぶん正解。まったくさえない大学生活を送ったようなに書かれているが、これが大学生活への感想なのだろうか。
 小説家になる人は子供の頃から文章を書いているものなだと思っていたが、そうでもないようだ。大学時代の恩田陸さんと思われる女性は、小説家希望とすら公言していないし、作品を書いて新人賞に応募するということもしていない。単に文学部の学生さん。
 アルバイト先の飲みやのお客に、「文学部ならば小説家になるのでしょうね、何か書いているのですか?」と聞かれ、「いえ、まだです」と即答するシーンがある。この場面は事実とは少し違うのだろうけど、深層心理としては小説家になりたいと思っており、それがぽっこり表面に浮かび出た瞬間なのだろう。あ、そうだったんだ、やっぱり。そう自覚した瞬間だからよく憶えている。恩田陸さんが誕生した瞬間があるとしたら、こんな場面だったのだろう。

 読んでいて不快になるようなところはない。でも、ミステリーでもないし、恋愛的なドキドキもないし、悲しさもない。エンターテイメント的なところもない。じゃ、なに? そう言いたくなる。普通ならばつまらないものにだけど、全部読ませてしまうのが恩田陸さんの実力。
 登場人物の大学生活には、あまりドラマがない。もっとも、普通の人はそうであるはずで、この本を読んでいるほぼすべての人はそういう大学生活だったであろうと思う。だから、すんなりと読めてしまうのかもしれない。そうそう、期待したわりには何も起きないでおわっちゃうんだよね大学生って。そういうある種の後悔のような共感がよいのかもしれない。青春時期の思い出は、歳をとってくるとどんなものでも「よかったもの」になるものだから。
 では、この本を評価するのか。ぼくはしない。この本はいよいよネタが詰まったのか、あるいは大学生時代を回想してしまったからなのか、大きな動機は見当たらないまま書いていたのだろう。きっと、なぜ私は作家になったのだろうかと、大学時代の生活を思い出していくうちに、この作品が成立した。そいうころだろう。

2009年1月10日

不連続の世界

恩田陸
幻冬舎
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 八重洲ブックセンター

 『きのうの世界』よりも前から家にあったのだけど、どうにも読む気がしなかったのでほっておいてあった。たまに起きるのだけど、無性に恩田陸の本が読たくなって手にし、一気に読んでしまった。
 きのうの世界はバカミスだったけど、この本はどうなんだろうか。そう思って最初の話を読んでから、これってミステリー?と首を傾げた。面白くないとは言わないが、ちょっと難があるだろう。
 この本では、同一人物が登場する短編がまとめられている。が、全体が一本の輪として閉じていく爽快感はない。単に短編が何本か並んでいるだけように思えるのだが、実際のところはどうなのだろう。
 これらの短編は、ホラー?やミステリーに分類されるもの。そして、どれもパンチに欠けている。
 インパクトがあるのは、帯にも紹介がでている最後の話。ちょっと面白い。

 『きのうの世界』とどっちがよいかと問われれば、間違いなく『きのうの世界』をお勧めする。

2008年12月20日

レキシントンの幽霊

村上春樹
文春文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 年末になると大型書店にはお休み期間中に読むといいですよ、という本を平済みにしたコーナーがあらわれる。たいていはミステリー本が「このミスがすごい」と一緒にならぶ。夏休みに勧める本があるように、冬休みに勧められる本もあるのだろう。そういう本としてこの本は平積みされていた。
 村上春樹の作品を読んでいると寂寥感がすごい。なんでこんなに乾いた、そして寂寥感を表現できるのだろうかと感心する。著者はいつもこんな気持ちで過ごしているのだろうか。作家だから読者に感情を引き起こさせるのが仕事であり、村上春樹はその方面が得意ということなのだろうけど、それにしても毎回感心する。そして、その寂寥感はクセになる。
 ところがこの本にはそれがない。短編だからかもしれないが、なんだか普通の短編集になっている。村上春樹はこういう「ふつう」作品もあるんだ。熱心な読者ではないぼくには発見であった。
 ではこの本は面白いのか。ひとつであった。というのは、普通の本であればなにも村上春樹を読む必要がないから。ぼくは、寂寥感満載の「ぼく」という主人公やお話を聴く事がすきな女の人がでてこないと、どうものれない。

2008年12月17日

神の子どもたちはみな踊る

村上春樹
新潮文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 BOOKS SAGA 長津田店

 なにとはなしに村上春樹の短編集を手にした。電車の縦吊り広告に村上春樹の新刊の紹介があった。それが無意識に残り、ぼくの手を動かせたのかもしれない。普段短編も村上春樹も読まないので、突然の思いつきは無意識の指令だろう。
 ぼくは村上春樹フリークではない。とはいえ、大学の頃に「ノルウェーの森」は読んだし、ダンスダンスダンスも好きだ。が、それ以後はただなんとなく読んだという程度なので、短編集があることすら知らなかった。
 で、この本の内容について。表題の一編は村上春樹っぽいものだった。だからといって好きに慣れるわけではない。オッサンが読んでワクワクするたぐいの話ではない。若い頃の生活が全く似ていないから、このお話はへんな話にしか思えない。こういう話に親近感をもつ人は、どんな生活をしていたのだろう。まぁ、理工系大学で勉強していたぼくには親近感が湧かないのである。
 ところが後半の「タイランド」「かえるくん」「蜂蜜パイ」という作品は、自分でもビックリしてしまうほど気に入った。読んでいると寂寞な気分がするところは村上春樹の小説の不思議な味である。そして、ナンセンスすれすれのファンタジーなところもそうだ。こういったお話に対してぼくは拒否反応を起こすのだが、村上春樹ならばなんとか読める。なぜだろう。
 「タイランド」は、アンニュイなオトナの物語である。たとえ人生がうまく回っている人だって、心の底は何かが蠢いている。そういうお話である。世の中には幸せな人なんていないんじゃないかと思ってしまうが、何も考えない方がしあわせなんだろう。
 「かえるくん」はナンセンス物語の見かけをした「ボランティア精神」の話である。だれの仕事でもないことを人知れずこなすことが大切だという寓話である。内田樹の評論でいう「雪かきをすること」である。世の中には人知れず目立たないけど決定的に大切な仕事をした無名の人がいて、そういう人は日に当たらないまま消えていったのだ。そういう寓話である。これって、普通に社会で生活している人ならばいろいろな場面で見たことがあるはずで、一人二人の名前を思い出せないようでは寂しい生活を送ったということだ。この小説でもそうだが、「だからお前もやれ」的な道徳の勧めではない。たんに、記述しているだけのお話である。名もしれない人に対する敬意を感じることも必要だろう。しかし、このような短編が最終的にノーベル文学賞に繋がるのかはわからない。というか、個人的には繋がらないと思う。ただし、こういう作品もある作家の下地の厚さは評価の対象になったりするのかもしれない。なんて、ことなのかもしれない。
 で、最後の「蜂蜜パイ」について。ぼくはこの作品で「お話とは何か」を学んだ。お話が人の生活で何の役に立つのか、なぜ物語が存在するののか。その必然性を納得できた。とはいえ、その解釈は著者の意図にはないぼくの勘違いなのだろうけれど。
 お話の目的は情報伝達と感情励起とがある。情報伝達に説明は入らないだろう。感情伝達は、それを聴いた人が「愉快」とか「怖い」と「腹が立つ」とか、そいういうクオリアを感じさせることが目的である。自分がお話しを読む場合、その動機はいわゆるエンタメであり、快感を求めることである。だから、お話を聞くことは食事をするのと同じ「本能的な欲望充足」のためである。とすれば、小説を読むってなんだろうな、の答えもそこにある。
 情報伝達の比重が小さい、あるいはほとんどないようなお話を読む理由は何か。読んだ後で一体何が得られるのだろうか。あぁ、楽しかった。それで終わりである。エンタメは楽しんでいる過程が目的だから、後に何が残ろうがどうでもいい。そういう態度が、お話が好きだということ。
 そこがぼくが小説や文学に対して疑いを抱く根源がある。本質的に、情報とからまないお話に耐えられない。むしろ損した気がする。ぼくはそもそもからして貧乏性で、お話の後で「賢くなったかどうか」を期待しているからだ。だから論説や評論やエッセイを読むが小説はあまり読まないできた。
 自分のお話嫌いの理由は、情報以外の効用を余り信用できないことにある。とくに、本を読む事が勉強することだと思い込んでいることに原因がある。この不幸は、子供の頃の習慣に原因がある。いわゆる読書習慣がない子供は、大抵そう思ってしまうはずだ。本を読む=勉強する。本を読む=それも遊び、と思えない。マンガを読む=遊び、だから、マンガ=本ではない。だから、小説を読むなんてのは、「子供じゃないんだからお話を聞いてもなぁ。」と自然に思い、むしろ小説をバカにしてしまう。本当に不幸なことなのだ。
 蜂蜜パイを読んでいて、あることに気がついた。小説を読む、いや、そもそもお話を読むという行為は、身の回りの世界で起きる出来事の意味を定めることなのではないか。意味という言葉が不適切ならば、「味を決める」でもいい。その出来事が自分にとってどんな関係を持っているのか。そのタグ付けをしているのだ。蜂蜜パイの物語に登場する女の子の行為がそれを示しているではないか。
 この話は単純である。とくに、おかしなトリックはないし、押しつけがましいメッセージもない。小説の中で女の子が小説家の男にお話しをせがむ場面がある。そのお話は、どこか別の場所で起きたおとぎ話ではない。今この瞬間自分の目の前の出来事についての「解説」なのである。「どうしてあの熊はひとりなの」とか、そういう子供っぽい問い掛けにたいする答えとして「お話」を用いている。考えようによっては、これはある種の神話づくりなのではないか。
 あの熊は何をしているの?という問いに、男がいろいろとお話しを考える。お話というよりも、ある種の童話をその場で生み出し、話して聞かせている。その話に納得すれば、今そこにいる熊の過去と未来と、そして自分との関係が明確になる。関係という、物質ではないものに「タグ」が付けられたおかげで、その関係を頭で理解し記憶できるようになるのだ。しかも、その関係についての説明には教訓があったり、感情を揺さぶる物語があったりする。そのクオリアが生々しければ、それだけで素直に感心したり、喜んだり、同情したりしやすくなる。ひいては頭に入りやすくなる。となれば、お話にすることはある種の記憶術であり、目の前の現実の認識方法とえいえる。説明として物語を使うことは偉大な発明なのだ。あるいは、それが言葉の真の機能なのかもしれない。
 動物園に行って熊を見る。そのとき、ぼくなら何を思うのか。普通の人は何を考えるのか。ある人は熊の行動を見るし、毛並みや泣き声を「教科書で読んだ通りだ」という照合をする人もいる。単に驚く人もいる。人それぞれだろう。ただし、色々思うことがあろうが、それはその人がそのようにして世界を認識している、ということが同じである。熊を見て何かを感じれば、それが熊を見ることによって世界の味を感じたのである。そして、そういう形で人は世界を頭に取り込んでいく。

 お話が好きな人は、世の中との折り合いは上手になるだろうし、あるいはうまくいかなくても一人で納得した世界に住んでいけるのではないかと想像したりする。これも、子供の時に身に付けるべき能力だろう。まったくもって、子供の頃に本を読めた人は幸せだなと思う。

2008年11月 7日

恐怖の存在

マイケル・クライトン
ハヤカワ文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 ブックオフ・オンライン

 マイケル・クライトンが人間活動の結果による地球温暖化について反対の考えを表明する小説を書いた。しかも、CO2増加による地球温暖化論はある種の扇動だと切り捨てている。ぼく自身、昨今マスコミを騒がしている地球温暖化論はウソだということがよく分かってきたので、この本を楽しく読めた。読みながら、そうそう、と頷くことしきり。さすがにクライトンである。冒険やサスペンスといったハリウッド要素をふんだんに取り入れているにも関わらず科学を勉強した人ですら安心できる「温暖化論はおかしい」と説明するロジックをきちんと展開している。エンタメと科学とが同時に入っている小説はとてもめずらしいであろう。この小説、ぼくは一押しである。
 ただし、万人が楽しく読めるかどうかはわわからない。とくに、地球温暖化が「当然であり、われわれは地球を守らなければならないし、みんやでやればそれができる」と思っている人が読んだらどういう反応をするのかわからない。が、おそらく、怒るか、非科学的なデタラメだと主張し、クライトンやこの小説を虚仮脅すであろう。
 というわけで、この本の評価は、人によって180度ちがってくる。だからだろうか、この小説は映画化されていないんじゃないかな。(よく知らない)
 なぜ、人間活動に伴うCO2増加による地球温暖化論を否定できるのか。この小説では、小学校卒業レベルの知識があればわかるよう試みている。温暖化の証拠とされる都市の平均気温の上昇はコンクリートを多用することによるヒートアイランド現象であろうし、そもそも地球レベルの平均気温の変動は数万年という周期で起きているといった説明はいろいろな本で学ぶ事ができる。東京なりニューヨークなりの平均気温上昇グラフを見せて「地球温暖化」と主張すること自体は、今では誤りであることがはっきりしている説明である。二酸化炭素が増加しているとうハワイあたりの観測結果があるなら、場所によっては気温が下がっているという事実がある以上、地球温暖化とは関係がないということもできるのだ。頭を空にして、そういう説明を聞けば誰でも「あ、あれってウソなんだ」とわかる。それをこの小説の登場人物に語らせている。もっとも、主人公の一人は従来のマスコミ報道に洗脳されているため、そうだからといって簡単に寝返ることができないではあるが。
 この小説では、地球温暖化論を支持する人の代表として「セレブ」が登場する。地球を守れと口にするわりには、自分はプライベートジェットで移動しているような人たちである。まるで、GMの会長のような人種のモラルを醜いままえがいている。当然、そういう人は「悪役」である。少しベタ過ぎる。一種の勧善懲悪的なところが、この小説の弱いところかもしれない。
 この小説は普通に読んでも面白いが、ハリウッド的なところも多いので、SF小説として歴史に残るかどうはわからない。また、SF好きの人からの評価が高いかどうかもわからない(多分、低いだろう)。とはいえ、クライトンのモチーフは別のところにあるのだから、それはそれで仕方がない。面白いかどうかは別としても、この小説を一度読めばCO2増加による地球温暖化がペテンであるのではないかと疑うをもつはずである。
 ここで疑問がわく。地球温暖化論に反論する本は、色々な国で出版されいているようである。ならば、そういう地球温暖化論に対するアンチキャンペーンがあってもよさそうである。しかし、これまで一度もマスコミでそのようなものが報道されているところを見たことがないし、耳にしたこともない。なぜだろうか。日本でこの小説がどの程度売れたのはわからないが、パッとしなかったとしたら、政治が働いているのだろうかと想像してしまう。

 「いいこと」を人々に普及させるためには、その「いいこと」を分かりやすく説明することが必要だと言われている。最近ならば、言葉で説明するよりもマンガにしてしまうとか、アイドルを起用したキャンペーンを行うとか、論理ではなく感情に訴えるといった方法である。人々に「いいこと」の良さが分かってもらえない理由は、分かりにくいことが原因だというわけだ。「いいこと」は無条件に「いいこと」であるという考え方である。
 しかし、本当にそうなんだろうか。地球温暖化論に反論する本は今では結構な数があり、読んで見れば良書もいろいろある。そして、そういった反論として、クライトンの言いたいことを登場人物の冒険や成長を追うことで「学んでしまう」ようにこの小説はできている。だから、とてもわかりやすい方法である。これでだめなら映画しかないだろう。しかし、果たしてそれで人々は「分かった」のだろうか。
 分かりやすさを追求したからといって、その主張内容が相手に伝わる成功率が高くなるというわけでないのかもしれない。結局、人は「よいこと」と他人が思われていることを自分にとって「よい」のか「わるい」のかを、説明される以前に感じ取ってしまい、その感じ取った印象をもとに説明を理解しようとしているのではないのだろうか。つまり、相手に伝わるか伝わらないかは、その内容と相手との関係ではじめから決めているではないと思う。であれば、いくら伝えかたを工夫しても、ある種のムダであり、やりすぎなものだった、という落ちがつくかもしれない。
 このクライトンの小説を読んだ後でも、地球温暖化と闘っていくと思っている人がいるのだとしたら、地球温暖化論のトンデモさを多くの人に気付かせようというクライトンの試みは、そもそもが失敗することが決まっていたのかもしれない。

 それにしても、政治的な主張を小説という形で表現してくるアメリカの社会には感心する。同様の試みがこれまで日本であったのか、無かったのかは分からないが、エンターテイメントという意味合いでしか小説が存在していない社会では、こういう試みはどう評価されるのか知りたいとこである。が、結局作者の意図など無視して、人物造形がどうのこうの、トリックがどうのこうのということでしか語られないのだろうなという気もする。
 すでにクラインとンは鬼籍に入ってしまったのが残念である。今後の人の参考になるようなものを残してもらいたかった。

2008年10月13日

クレオパトラの夢




恩田陸
双葉文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 不明

 この本を読むのは二回目である。途中までの筋は覚えている。だだし、全部ではない。
 海外出張の際に面白く軽い内容の本を探していたときに嫁さんから推薦された。一度読んだことがあるので面白かったことは保証付きなので、イギリスへと携えていった。しかし、出番はなかった。
 帰国後、寝る前に読み始めたら止められなくなった。結果は覚えているような気がするが、あれっ、この先どうなるんだったけかなぁとわからなくなる。小説であっても意外に覚えていないものだ。となると、また楽しめるではないか。時差ボケで眠れない深夜にはちょうどよかった。

 推理小説というか、ミステリーというか、そういうものでちゃんとした本は粗筋を知っていても、再読して問題ないことを知った。恩田陸の本の多くは、途中までは絶対的に面白いが最後に着陸が失敗するものも多い。しかしこの本は最後まで恩田陸の良さがキープされている。
 舞台は函館である。なぜかH市と書かれているのだが、どう考えてもG稜角は函館に決まっている。読んでいると函館の風景を思い出す。
 良い本は感情を引き起こす。この本にあるように、冬の函館で寿司を食べてみたくなる。
 下手な旅番組の映像よりも、想像の方がよっぽど魅力的である。それは後ろ姿はどんな人でも綺麗に想像出来るのと同じかもしれない。
 現在このシリーズが月刊誌で連載されているそうである。早いところそれが読みたいが、いつになったら単行本化されるのかな。

2008年9月27日

夜のピクニック

恩田陸
新潮文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)
購入店 成田空港三省堂

 読むのは二回目である。前回読んだときは、恩田陸の初めての本としてだった。歩きながらの思索。しかも、青春モノで嫌なところが全く無い。ビックリしたことを覚えている。
 今回は成田からヒースローマまでの機中で一気読みをした。

 ヨーロッパ便はロシア領へ入った直後ぐらいまでは快適である。エコノミーでも疲れていないし、旅のワクワク感もあるし、目も疲れていない。いつもは塩野七生作品と決めているのだが、今回は空港で購入した夜ピクの文庫本である。

 夜通し歩くという学校の行事を舞台にした青春モノ。何があるというわけでもなく、只歩くだけ。歩きながらの会話と思索、反省。これで文庫本400ページ強の作品ができ、しかも一気読みさせられる面白さがある。

 青春モノだから映画の素材にしたくなる。それはわかる。しかし、この本の面白さは、主人公があれこれ思索するとこころにある。あれこれ反省するところにある。こんなもの、どうやって映画にするのだ。出来た映画を観てみたが、すこし視点が違うものになっていた。だからといってつまらないことはなかったが。


 映画を観た影響で、今回読んだときにイメージされる主人公甲田貴子は多部美佳子になる。内容は自分で本を読んだ方が濃いのだから、映画よりも楽しく過ごせるわけである。映画を見る前と見た後では、見た後の方が楽しいかもしれない。
 
 人が考えることをここまで物語にすることができるのかと感心する。恩田陸の言語能力にはただただ感心する。貴子が考えている内容は、本来ならば「言語」を使っていないでなされているものである。ある場面のイメージか、痛みや悲しみといった心情的な感覚である。それを適切に言葉に置換えてある。読んだ人はその感覚を想像する。全てではないないにしろ、ある程度まではぼくにすらわかる。新聞を読んでもコトバの力など信じる気にならないが、これを読むと言葉の力を信じてしまう。

2008年9月22日

きのうの世界

恩田陸
講談社
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 丸善北千住

 この本は1年前に出版されるはずだった。出版日を待ち遠しく思っていた。しかし、春にでるはずが夏になり、秋になり、そして未定になってしまった。一体何があったのだろうか。この本にあったような事件が実際起きたのだろうかと、内容を知らないのに勝手に想像していた(な、わけないよなぁ)。

 今年の夏になってやっと出版された。ぶ厚い。嫁さんは一気読みだった。その後で読み始めたぼくは、寝る前に一章ずつ読んでいた。わりといい。すっごくいいのかどうかは後半次第である。
 今日は夏休みなので、読み残しの半分くらいを一気に読んだ。

 さて、この本のジャンルはなにか、と問われると即答できない。話の最後でおかしくなってしまうことはなかった。恩田陸の本の半分弱は最後までテンションがもたないのだろうか、話がうまく着地できてないとぼくは思っている。しかし、今回はちゃんと着地していると思う。もっとも、この分野のディープな本読みはどう思うのかはしらない。

 この本は、主人公の視線から物語るという形式ではない。複数の人が登場し、それぞれの視点からの物語が織り込まれている。そういう形式の場合、適当に読んでいると誰が誰だかわかならくなってしまうことがあるが、この本では視点の切り替えについていくことができた。

 それにしても、こういうものがよく書けるものだ。作家は偉大だ。なにか下敷きになる話があったのだろうか。幾本もの筋が並走し、交差する。全体を俯瞰すれば、ふーんと言ってしまう。

 秋の夜長に読むといいだろうな。虫の音を聞きながら。

2008年9月 8日

パン屋再襲撃

村上春樹
文春文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 八重洲ブックセンター

 八重洲ブックセンターの5階、エレベーターを降りて売り場に入ったすぐのところに平積みされていた。ぼくは村上ファンというわけではないので、この本は新刊なのかなと思った。手にとってみると80年中ごろの短編のようだ。羊とかそういう頃の話なのかな。あの寂寞感は好きだなと思って買った。

 村上春樹の話に登場する女性って、話好きの人が多いような気がする。いや、実際そうなのかは知らないが、そんな印象を持っている。おかしな話(というか、そもそもナンセンスな話)であっても、夢としてありがちな支離滅裂な話でも、落ちがなくても聞きたがる。そんなシーンがあるような気がする。なんでだろうか。

 この本には、説教でも情報でもない変な話がならんでいる。全部に寂寞とした雰囲気を感じる。なぜなんだろうか。こういうの書けといわれても無理だ。多くの人はそうなんだろう。なんでナンセンスでありながらしかも寂寞とした雰囲気のお話つくれるのか、ぼくは皆目わからない。

 文学的な研究をしている人はそのあたりの秘密を掴んでいるのかもしれない。

 ぼくは文科系の教育をあまり受けてない。だから、文学の研究というものを知らないし、何をやっているのかも、どうやっているのかも知らない。サイエンスとは違う方法で研究するのだろうけど、皆目検討がつかいない。

 村上春樹の研究も沢山あるのだろう。そこでは「なぜナンセンスな話なのか」とか「寂寞感はなにから醸し出されるのか」とかを明らかにしているのだろうか。

 もし、そんなことをしているのならば、そして、それが成功しているのならば、それを身に付けると村上春樹っぽい小説を書けるようになるのだろうか。

 で、また読んじゃう。結構好きなんだろうな、村上作品のことを。

2008年8月30日

カルメン

メリメ
岩波文庫 赤-534-3
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 ブックオフ

 森本哲郎のエッセイを読んでいて何度も紹介されていた小説。ビゼーの音楽と歌劇で有名なことはしっている。ピンクレディーのヒット曲もしっている。しかし、そもそもどういう話なのかは知らない。教科書にもでてこなかったので、ぼくには接点がない物語であった。偶然、ブックオフで見かけたので手にした。

 古典がなぜ古典なのか、読んでみてわかる。面白い。時代も習慣も社会背景も違うし、日本に紹介された時期も昭和5年という昔のことにもかかわらず、ついついページをめくってしまう。何に突き動かされているかといえば、カルメンという女性である。こういうキャラクター、小説のなかには姿を変え形をかえ何度も登場しているとは思うけれど、多くの人が今だって魅かれてしまうのだろう。まったく、人の中身は時代よってあまり変わらない。習慣は教育のたまものだろうけど、魅かれるかどうかは本性のようなところがある。それは、時代によっては変わるようなことはないのだろう。

 少し前の時代についてぼくはよく知らない。じゃぁ、何時なら知っているのだといわれても、どの時代もよく知らないのだが、江戸時代や戦国時代の人の生活がどのくらい今と違うのかといわれても、すっごくちがうのだろうとしか言えない。で、実際こういう物語を読んでみて、そんなに違わないじゃんと言いたくなる。そう思えるものでないと、長く世に残っていかないのであろうけど。

2008年6月 7日

サロメ

オスカー・ワイルド
岩波文庫 300円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 ブックオフ

 100円だったからという理由で手に取ってみた。薄い本で、しかも戯曲。しかも、元ネタを知っている。それでも面白いのか疑っていたが、実にさっぱりとしかし妖しい雰囲気の内容だった。これをそのまま舞台にしたものも見る機会があるかどうかわからないけど、チャンスがあれば迷わず見たい。

 同じセリフを何度も何度も使う方法は、言葉のリズムの成果、それとも一種の「てんどん」の為か、引き込まれてしまう。それも、何をいっても同じ回答する「強情さ」というか「イライラさ」といったものを発するためではなく、何かテーマをしっかりと読者に植え付けるためにあるようで、繰り返しの言葉が単調であればあるほど、ボレロのような響きがでてくる。不思議だな。しかし、こう言うのは戯曲だから成立するのであって、小説では難しいのだろう。詩が介在する余地がどれだけあるかによって、繰り返しが使えるかどうかがきまるのかもしれない。

 名前だけはしっていたワイルドという人の作品を読んだことになる。もう、2、3物色してみてもいいと思わせる作品だった。


2008年4月28日

猫と針

恩田陸
新潮社 1200円
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 ブックオフ秋葉原

 恩田陸の小説は基本的に思索が中心である。主人公があれこれ考える、それが面白い。高校生が歩いているだけで『夜のピクニック』が成立するくらいなのだ。
 思索は言葉で行っているとはいえ、頭の中で進行していくもので本来他人からは見えないし共有されないものである。それを会話が補うことになる。恩田陸作品では、エピソードの中での行動はさしみのつまであって、本筋は主人公が置かれた環境下での思索が光っているのだとぼくは思っている。だから、映画にしたら大切なことろが全部抜けてしまうだろうし、実際抜けてしまっている。

 では、芝居にしたらどうなるのか。『チョコレート・コスモス』という(ぼくが思うに)最高傑作も主人公の思索が面白いのであって、あれを主人公の外側から見える行動や発言だけで表現したら実につまらないものになってしまうだろうと予想する。となると、この芝居も恩田色をもった作品にしたら何かが抜けてしまうのではないかと思った。ただ、こういう公演はチケットがとれないだろうから、結果的にどうなったのかはわからないままだったのだけど。

 この本を本で見て恩田色があったのでちょっと驚いた。まぁ、短い作品だけど芝居にする以上しかたがない。それに、登場人物がカタカナだったので、発言がだれがだれやらこんがらがってしまったところもある。芝居ならばそうならないのだろうけど。
 で、どうかといわれれば、良いと答える。よいのだけど、もう一踏ん張りなんじゃないかという気もする。恩田作品の結構なものは最後までテンションがもたんかったのかなぁ、というモノがあるから、この作品はそうではなく良かったと思う。
 月並みな感想だが、芝居を見たかった。DVDじゃ、もうひとつだしね。

2008年2月19日

インド夜想曲

アントニオ・タブッキ
白水社 1500円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 須賀敦子の翻訳を読みたいと思って購入し、一読。「ある家族の会話」のような、複雑な感じがする小説を覚悟していたので、この本のすこしライトな感じが驚きとともに清々しく感じた。そうだな、南の島の夕方に少し涼しい風を頬にうけて濃紺の空を見上げたときのような感じ、といったらいい過ぎだろうか。(そういう比喩は得意ではないのでご勘弁を)

 さて、小説といっていい。結局、ミステリーが開いておわるような感があるが、それでも本書の旅の感覚は普通のミステリーでは味わえないものがある。なんだろか。一般性がない例えかもしれないけど、森本哲郎の旅のような感じがしつつ、そこまで哲学的になり切れなかった、という位置づけがぼくにはしっくりくる。インドについてよく知っているかもしれなけど、その背景にあることへの哲学までは扱えなかった。だから、目で見るものを追うし、西洋とはちがう貧民国の生活を描くことで話にコントラストをつけているだけで、その背後にあるものまでたどり着けなかった。そういう感じである。

 キリスト教徒でないとしても、価値を評価するときの西洋人の基準がぼくの基準とは全く別で、なんだか「よくわかってねぇなぁ」と言いたくなる気がするものだと知った。だから、主人公が何かを言っているようで、なんだかうすいなぁ、とも思ってしまう。

 いや、そんな話はどうでもいいか。須賀敦子の翻訳はどうだったのか。外来語でいまと違うものが2,3あったが、それ以外は気にならなかった。というか、綺麗なものだったといいたくても、描写の対象がインドの普通の人の生活だから、いわゆる「綺麗な」ものになりようがないので、なんともよくわからなかった。読みかけの全集にもどるか。

2008年2月13日

カカオ80%の夏

永井するみ
理論社 1365円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 スカパーのミステリーチャンネルのある番組で、女の子の書くハードボイルドの決定版とかいうことでお勧めされていた。年末の番組だったし、正月向けの本をたくさん書こうと思ってたのでこの本も候補としていたが、いつも出かける丸の内ブックセンターでは売り切りだった。その足で丸善本店にもよってみたがなかった。結構売れいているのだなぁ、と思って買わずじまいだったのだが、嫁さんがブックオフで仕入れてくれた。

 女の子のハードボイルドってなんだろう。そもそも、ハードボイルドがわからない。嫁さんに聞いてみたところ、「さぁ。酒とタバコと拳銃がでてくるんじゃないの? フィリップ・マーローみたいなもんでしょ」ということだった。よくわからん。なんでそれが、固ゆでなのだろうか。

 例によって通勤電車で読み始めたが、ルビがめだち、文字がでかし、行間も多いので、ライトノベルなのかと思っていたが、わりと面白い。人によっては違和感があるのだろうけど、清涼感がある出来事で、嫌な気分になるようそが全くなく、とっても感じがいい気分がした。いわゆる、ミステリー。場所も出来事も無理がないので、いい感じの多部未華子あたりがドラマをやってくれるといいなぁと思う。

 それにしても、ハードボイルドの要素はいったいなんなのだろうか。ロング・グッド・バイとカカオとの共通点って、ミステリーなところくらいか。それはそうと、この著者の別の作品も読んで見たい気がする。

2007年12月24日

快盗タナーは眠らない

ローレンス・ブロック
創元推理文庫 760円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 ミステリーチャンネル毎年恒例の「闘うベストテン」でランクインした小説である。気軽に楽しめるということだったし、その番組での本の紹介を聞いて買ってみようかなと思ったので購入した。

 40年くらい前の小説なのだけど、今年訳されたせいもあるだろうけど、違和感がない。時代特有のものがでてきて「あぁ、今はないなぁ」と思えるところがない。50ページはそんなに面白くは感じなかったのだが、いったん話が転がり始めるとあれよあれよという間に読めてしまった。エンタメって、こういうものだろう。

 読んだあとに「あぁ、すこし賢くなったなぁ」というところがなさそうなものには普段手に取らないだけあって、年末休暇はこういうものを積極的に読むことにしている。面白から。しかし、それにしても、読んで賢くなったなぁという感じがしないと物足りない気はする。こういうエンタメは、「コーラを飲む」ようなものだ。読んでいるときだけ気持ちいのだけど、それで一体どうなるというものではない。さぁ、次の作業でがんばるかという息抜きと元気を鼓舞するものなのだろうな。

2007年12月14日

東京奇譚集

村上春樹
新潮文庫 420円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 奇譚集といっても、おどろおどろしい話ではない。お化けがでるわけでも、血みどろになるわけでもない。へぇ、偶然にしては奇妙だね。そんなことがあるものなんだ。という話である。あっさりとした語り口は村上春樹さんならではで、謎解きがないミステリーとして読めるかもしれない。

2007年12月13日

中国行きのスロウ・ボード

村上春樹
中公文庫 600円
お勧め指数 □■■■■ (1)

 村上春樹の初期の頃の短編集で、だれかの感想でとてもよいというのを読んでいたので、本屋さんで目にしたとき手に取ってしまった。が、それは失敗だった。この面白くなさにまっいった。なるほど,村上春樹の雰囲気はとってもあり(というかあたりまでだが)、中身がじつにつまらないのだ。もう、一辺の曇りもなく。

 村上さんの雰囲気がある種の寂しさを感じさせ、それを読者は心地よく感じるのだろうと思っていた。たしかにそれは正しいのだが、それは雰囲気だけであって、そもそもの中身がないと何をやってもダメなのだろう。雰囲気はゲインなのだ。良い絵画は良い環境でみると信じがたいくらい神秘性を増してみることができるが、日本の企画展でみたら全くダメなのと同じなのだ。雰囲気は大切だけど、中身がないとね。

2007年12月10日

キャチャー・イン・ザ・ライ

JDサリンジャー(村上春樹訳)
白水社 1600円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 翻訳小説における翻訳家の違いは信じがたいくらい差をもたらすのだと、「ロング・グッド・バイ」で知ったので、早速「ライ麦畑で捕まえて」をよんでみた。もちろん、村上訳のものである。この本は、高校生ぐらいで読まないと良さがわからないというようなことを何かで耳にしたことがある。高校生時代に本など読まなかったので、自分には関係のない「青春小説」であろうと思っていたし、もう読むことがないだろうという本であった。だいたいタイトルからして、女の子が好きな男の子に抱くシチュエーションのようなセリフだし。

 読んでみてビックリした。なんだ、恋愛小説ではないじゃないか。それどころか、全く違うもので、なんでいままでのタイトルが「つかまえて」なんだよ。様子に、あのタイトルが完全なる誤訳だということがわかった。よく、いままでそのままにしている。

 では、内容は面白のかといわれれうば、迷い無く否と答える。頭がいいタイプの高校生が世間を見下すという、よくありがちなものである。賢いタイプの人はそういう時期があるらしく、自分もそうだったという人がこの本を薦めるのだろう。私にはその経験がないので、なんとも理解できないのだ。小説としては、そのあたりの心情を行動を通じて表現されているので、よいものであり、頭の良い高校生がどういう考えをするのかを知ることができる。なんとも面倒くさい青春のようだ。

 この翻訳は「ロング・グッド・バイ」ほど村上色がでていない。サリンジャーの色がすごすぎて村上色が目立たないようだ。だから、村上春樹訳だから、ということでわざわざ読む必要はないだろう。

2007年12月 9日

ユージニア

恩田陸
角川書店 1700円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 少し前に『Q&A』を読んだ。その次にこの本を読もうとし、冒頭の部分で読むのをやめていた。今日、たまたま読み始めたらとまらなく、結局最後まで読んでしまった。『薮の中』的な構成はQ&Aの場合と形式は同じ。あれは最後で崩壊してしまった(ように見える)が、こちらはきちんと終われた。恩田陸作品は、途中でおかしくなるのが結構多いが、今回は無事に着地した。最後の部分は一気読みさせられるものだった。

 小説を読むときは「今、だれの視点なのか」が自然にわからないと最後まで読めない。そして、読者が視点の存在に「なれきれれば」なにも難しいことはなく、出来事は自分のことのように思えてくる。その段階では、「本を読んでいる」ということすら忘れてしまうことがある。そうやって、電車を乗り過ごしたことが学生時代から現在まで(というか、昨晩あぶなかった)続いている。そういう経験をお持ちの人は多いだろう。

 よかった。また、恩田作品を読みたい。

2007年12月 6日

ロング・グッドバイ

レイモンド・チャンドラー(村上春樹訳)
ハヤカワ
お勧め指数 □□□□□ (5)

 内田さんの本で絶賛されていたので、早速購入した。私は小説はごくたまにしか読まないのだけど、あれだけ推薦されているのだから面白いのだろう。古典の翻訳は日本語が古く、シリアスな場面でもちょっとかわいい感じがすることがある。だから、正直気がすすまなかった。が、間違いであって。

 なるほど、マーロウという主人公の視点で書かれた物語なのだが、一人称を「私」から「ぼく」に変更したら、この本は村上春樹の新作だといってもはじめのうち気付かないかもしれない。そう内田さんの本にあったが、そのことに興味をもってかったにもかかわる、「これ、本当に村上春樹の新作?」と思ってしまうところがあった。

 全く古さを感じない。クリスティーの『そして誰もいなくなった』は、日本語に違和感がある(つまり、古いんですよ、言葉が)のでもうひとつ好きになれなかった。しかし、この本はそういうことは全くない。そもそも、古典的な名作とうことだし、そもそもミステリーだから引き込まれちゃう。500ページくらいの本だったが、往復の通勤電車でよんで3日かかった。充実した。

 解説によれば、この本はチャンドラーのなかでも抜きんでた一冊ということだ。作家が63歳くらいで執筆したにもかかわらず、登場人物に違和感を感じないのがすごい。60過ぎてもミステリーを紡げる持続力はありし、若い女性のしぐさなども生き生きとかけるのかと驚く。自分が60になったときは、だいぶ感覚が古びそうな気がする。こう言うのは見習いたくても難しいだろうな。

2007年10月16日

木洩れ日に泳ぐ魚

恩田陸
中央公論新社 1400円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 またか。また、兄妹の話か。異母兄妹でないだけいいか。
 書き出しから引き込まれたがしばらくして小説の全景らしきものが浮かんでくると、この世界も恩田陸のものだなぁと思う。
 『夜ピク』のような明るさや、『黒と茶の幻想』のような暗さはないのだが、初夏の地中海のような気分はするはずもなく、晩秋の東北のような感じがする。トーンが灰色から白というものだ。
 とはいえ、この悲しみとも痛みとも思えない雰囲気のなかで、主人公の女性が一人考察する過程は恩田陸ならではだ。
 こんなふうに考察する人って、世間にどのくらいいるのだろうか。
 一人で自分の生活に関わることを考える場合、言葉と論理を積み重ねていくものなのか。すくなくとも、自分はしない。信じがたいくらい長時間考察しないといけない。
 小説の主人公がそれをするのならば、すくなくともそれ以上の考察を著者はしたわけだ。ならば、著者は普段からこんなふうに考え事をするのかもしれない。
 自分の過去と照らし合わせてみても、数学の問題に取り組んでいるときでも、そんなに考えないような気がする。

 一人で考える。あれやこれや考える。そういう過程が面白い小説なのだから、映画や演劇の題材にはならないだろう。小説ならではの面白さである。

2007年9月24日

ヴェニスの商人

シェイクスピア
新潮社 362円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 ヴェニスに旅行へ行くということもあって読んでみた。仰々しい言い回しになれれば薄い本なのですぐに読めてしまう。で、感想だけど、「なに、これ?」 実際読んでみてビックリしたのは、こんなヴェネチア人の商人、この頃にいたのか? なんで、こんなアホが「貿易王」なんだ? ユダヤ人問題など私にはピンとこないのだけど、シャイロックは気持ちのいい人ではないが普通の人ではないか? たんなるいじめ物語なんじゃないのこれ?

 リスクヘッジという発想は当時ですらあった。金を借りた貿易王さんは、失敗を穴埋めするために大金を借りてさらに同じようなものにつっこんでいるが、これ、ギャンブルで破綻する人の典型例なんじゃないの?

 どうしてこれが名作なのかまったくわからんかった。

2007年8月22日

三月は深き紅の淵を

恩田陸
講談社文庫 667円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 もうひとつだった。ここのところ好みにマッチする本ばかりがつづいたのでさすがにがっかりした。4つの物語で1冊の本を構成するスタイルについて、著者なりの実験を試みている。第1部、2部は許せる。第3部あたりで怪しくなり、第4部はダメである。面白くないとういより、読み飛ばしてしまうレベル。エッセイと物語とを交互に入れているが、理瀬という女性が主人公の話が全くダメで、完全に読み飛ばした。嫁さんに聞いたところ、恩田陸ファンのなかでも人気が高い「理瀬シリーズ」だそうだ。私からみれば「なんだこれ」というものなのだが、きっと10代の女性に人気があるのだろう。

 そろそろ30代後半の男性でもたのしめる恩田作品は弾切れになったようで、残念な気がする。


2007年8月19日

クレオパトラの夢

恩田陸
双葉文庫 600円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 MAZEに登場した「恵弥」が主人公で、なにやら謎解きをする。MAZEよりばファンタジーさが薄れ、その分ミステリー色が強められている。ベースになる背景事実(本当かどうかは知らないけど)はなかなか味わい深いもので、別の人が小説にしたことがない題材ならば、本格ミステリーが組めるかもしれない。ただし、この小説はそこまでやらない。結局、登場人物の会話が面白くて、ついつい最後まで読んでしまった。

2007年8月17日

黒と茶の幻想(上・下)

恩田陸
講談社文庫 各650円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 面白かと言われれば、地味に面白いとこたえる。その味わいはこの本の登場人物ぐらいの年齢が必要なのだろう。30も後半になれば。

 この小説、いってみれば「夜ピク」なんだと思う。やっていることは同じなんじゃないかとも思う。ただし、中年に手が届く年齢になると高校生と同じように学校中心や恋愛中心に感心が限定されるわけではない。それに、未来が開けているという感覚もなくなり、どう過ごすかという惰性延長的なことに興味がうつるということもある。人生って不可逆現象なんだという当たり前のことにどう対応するかに感心が集まってくる。ただし、人間の意識は連続なんだから一皮むけば夜ピクのときと同じようなことを結果的に悩みつつ楽しんでいるところがバレてしまう。ビールがうまく感じる人には、夜ピクはまぶしすぎるだろう。こちらの方が自分たちの身体とマッチするだろう。

 それにしても、恩田陸は普段どのようにして思索しているのだろうか。小説中の登場人物の無言の思索は作者のものだろう。その中には日ごろ私ですらぼやっと考えるような内容が書かれているところをみれば、著者もある時期いろいろ考えたのだろうと想像していまう。あるいは、何かの本で読んだものをとってつけただけなのかもしれない。それでも、あぁ、わかるわかる、と感じながら読み進めることになり、小説を読んでいるうちに知らないうちに自分についてあれこれ考えていることに気付く。なんなのだろうか、この面白さは。

 だからこの小説はミステリーでもエンタメでもないような気がする。恋愛だのなんだのの小説でもない。著距離を歩くときにぼやーと自省してしまいそうな、またその媒介となりそうな分野のもの。変に一人旅行に出かけて考えを整理するより、この本を読んだほうが手っ取り早いような感じがする。


MAZE

恩田陸
双葉社 550円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 古代遺跡そのもに興味をもっている。この本もそれが関係しているような紹介だったので読んでみたが、古代遺跡が関係するしないとは関係なく引き込まれる。この設定は科学的にどうのこうのを検証するミステリー・ファンでもSFファンでもないひとには、なにも引っかからないだろうし、そんなところを気にしようとう気分が起きないのは、登場人物のキャラに興味がからめとられてしまっているせいだろう。謎解きというようり、エンタメという部類にはいるのだろうか。なるどと。そう思ったり、ちょっと怖くなったり。そういう気分を覚えることができる小説として、さすがは恩田さん作品だなぁと感心する。さて、次はなにを読むか。


2007年8月14日

そして誰もいなくなった

アガサ・クリスティー
早川文庫 672円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 もっとも評価の高いミステリー作品の一つといえばこれ。さぞかしスゴイ、あっと驚くようなものなのだろう。そう思って読んだのだが・・・拍子抜けがしました。内容は全くしらなかったし、初めてみるトリックなのだけど、面白いか、興奮したかといわれれば・・・。

 すっごい不思議。なぜなんだろうか。全体的に古い感じがするのは翻訳のせいなのかもしれないけど、これをTVドラマでみてもうーんという感じがするだけかもしれない。いつものポアロの方がよっぽど好きかな。要するに、私がミステリーファンというカテゴリーにいない人なんだろう。

2007年8月13日

Q&A

恩田陸
幻冬舎 1700円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 現代における『薮の中』。決して後味がいいわけでも、ミステリー的な問題解決が味わえるわけではなく、どちらかといえば横に話がスライドしていくだけ。しかし、それが今の時代でもいろんなことが『薮の中』であることを思い知らせてくれる。あらゆる都市伝説の生成過程を想像させてくれる。どうして都市伝説のようなあるいは前世話のようなものが流行するのだろうかと疑問に感じていたが、かんがえてみれば、人間はシューメールの時代から変わっていないのだから当たり前か。理性の下にある感情をむき出しにすれば、人の行動や考えることなど動物だよなぁ。そんなことをつらつらと考えたあとの結論は、まったく、恩田さんの能力はすごいものだ、に至る。いやはや、なんとも。

 ちなみに、この本を紹介してくれた嫁さんはラストが今一だといっているが、それは彼女がミステリーファンだからであろう。私はこれはこれでいいと思う。

2007年8月12日

木曜組曲

恩田陸
徳間文庫 520円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 恩田陸のミステリー何かない? と嫁さんに聞いたところ読んでいないもので目ぼしいものはこれくらいだとこの本を手渡された。内容は、女の人が飯をたべならが飲みながらぺちゃくちゃするものだという。なんでそんなものが面白のか変わらないが、とりあえず読んでみた。

 ミステリーといえばミステリーだし、エンタメといえばエンタメ。本格というタイプではないが、これといって読むものがないし、疲れ気味の時にはよい題材となるだろう。熱心にではないが、一気読みだった。登場人物が食べているもの、飲んでいるものがうらやましくなるというほど表現はないので、腹が減ることはない。余り、この手の表現を恩田さんは得意ではないようだ。


2007年8月11日

象と耳鳴り

恩田陸
詳伝社文庫 562円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 『9マイルは遠すぎる』は面白かったので、同じような小説を選んでくださいとお願いしたらこの本を渡された。恩田陸作品にも短編ミステリーがあるらしい。何でも、嫁さんはお気に入りの作品らしい。早速読んで見ると、ナルホドそれが伺える。9マイルのような短編を書いてみたかったのなんだと伺わせるものばかりか、作品中に9マイルが出てくるものがある。面白い事に、さすがに古さを感じない。やはり、9マイルは古いようだ。

 この作品の中で、都市伝説を扱ったものがある。あれが一番面白かった。都市伝説を研究する社会学者がいるが、ああいう物のインチキさを妙に納得させてくれるものだった。都市伝説の由来をミステリーのごとく解説するだけの学問である。あれは、証明しようがないので科学ではない。アマチュアがミステリーについて蘊蓄垂れるのと、さして変わらない。そんな事が透けて見える作品であった。

 もっともらしい仮説を並べる事で専門家と評している人は、テレビをつければいくらでもいる。野球の解説だって同じようなものだ。そういうものとの付き合い方が分かった。ミステリーファンだと思っていればいいのだ。それなら、腹も立たぬ。

 都市伝説を扱った恩田作品が再び現れることに期待する。

九マイルは遠すぎる

ハリイ・ケメルマン
早川文庫 640円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 スッゲェミステリーが読みたい。古典的なものを。何か紹介してよ。そう、嫁さんにお願いしたらこの本を渡された。典型的な安楽椅子探偵ということだが、この分野は初めてだった。古典とはこういうものなのか。殺人が扱われていても可愛らしい感じがする。リアリティーがないのだろうか。誰かのお話のような気分がする。しかし、推理過程は面白い。ホームズのドラマを見ているような気分はする。タだし、複雑な人間関係は設定さていないのでポアロというわけにはいかない。

 ある言葉、セリフから状況を推理する。名探偵であれば、推理によって真実に迫れる。そういう信念があるようだ。西洋のキリスト教の影響なのだろうか。推理小説の面白さは、その過程に快感を覚える事だろう。当然私も面白いと感じる。しかし、一方で、日本人的らしいのかちょっとした疑問も感じる。『薮の中』的なことにはならいのだろうか? つまり、全く同じ材料を使って別の推理が成立し、優劣つかないという状態はありえないのか?「重解」という数学用語のように。安楽椅子探偵には、重解は存在しないのかもしれないけど。

2007年7月22日

太陽の塔

森見登美彦 新潮文庫 420円 お勧め指数 □□□■■ (3)

 京大生の内面を垣間見る物語。暗いんだか明るいんだか良くわからないキャラに見えるが、他人に迷惑をかけてないし、誰も死んでもいないし、徒党を組んで騒ぎを起こすわけでもないので「明るい」方の主人公だろう。読んで嫌な気分にはならない。

 最近高校生、大学生の男子が主人公の女性作家の小説を何冊か読んだが、そんや奴いないよと言いたくなるものばかりだった。小説としては面白けど、女の人からみる男の人ってどうして空想的なんだろう。一方、今回の主人公の男子大学生はさすがに男性作家(当時大学院生だった)が書いただけあって、そういう人いるかもと納得できるものだった。しかし、女性の登場人物が(ちょっとしか出てこないけど)何を考えているのか本当にさっぱりわからない感じがした。これは小説なんだから誰の考えをも見通せるはずなのに、読者である私も女登場人物が何を考えているのかわからんという主人公と同じイライラを共有してしまう。逆に、女性ならばそれがわかるのかもしれない。その意味で良く書けた小説なのか、それとも本当に女性の心理や行動までは作者は単に書けなかったのかどちらなのかは分からない。

 読んでみれば他愛もない妄想なので、読んでなにか得るものはあったのかと言われると心もとない。単なるファンタジーを読んじゃった。気分的な余裕がある人は愉快に読める一冊だろう。

2007年6月28日

ジェネラル・ルージュの凱旋

海堂尊
宝島社 1600円

前作にある話とこの本の2冊の内容が並列に進んでいく。
相変わらずキャラが立っている。
お勧め指数 □□□□■ (4)

 一気読みをしてしまった。冒頭からの30ページくらいは前作『ナイチンゲールの沈黙』とかぶっている。2作目を読んだ直後にこれを読むと戸惑うことになる。一ヶ月くらい間をおいたほうがよいだろう。

 なぜ、冒頭が前作とかぶるのか。それは「時間的に並列な事件」を記述しているからである。前作と同時期に起きている事柄をこの巻で扱っている。面白い。前作についての背景説明などないので、前作を読んでいるほうがよりこの巻の話を楽しめる。このような手法、「別の本と絡まって話が進む」タイプの小説を読んだのは初めてなので新鮮だった。

 内容についての説明は当然できない。「いい感じ」の流れであった。小説はこうでなくっちゃ。そういう出来である。現役の医者だからこそ書ける内容である。なんらかの「モデルになる事実」がありそれを妄想と一緒に発展させたのだろう。仕事をしながら「ああだったらいいのに」という業務上の問題と「あの人との関係は」などのゴシップをうまくからめていくと、100%想像では難しい領域に踏み入る事が経験が浅くても可能になるのだろう。

2007年6月16日

一瞬の風になれ



佐藤多佳子
講談社 1470円(第一部)・1575円(第二部)・1470円(第三部)

もう一度高校生活を体験できる。しかも、立派なやつを。
お勧め指数 □□□□□ (5)

 三冊の厚さを感じさせないけれど、読んだあとにため息がでた。面白かった。まぶしかった。でも、疲れた。なんだかもう一度高校生をやり直した気分がする。女性作家だから現実離れした(ある意味女性の理想の)高校男子がでてくるのは仕方がない。言い面も悪い面もあるのだけど、それは小説だからよしとしよう。「好きだ嫌いだ」という話もこの世代には絶対に付きものだけど、この本は上手に扱っている。その流れに重きを置くと高校生より上の年代の人で離れる人が結構でてくるだろうけれど、この本は綿矢りさの『蹴りたい背中』のように絶妙に扱っている。読んでいるときに感じた感情の種類のそのレベルを総合的に判断すれば、小説としては満点の出来だろう。この本を読んで嫌な気分になる人はあまりないと思う。

 女性が高校男子の心理的側面を扱うのは難しいだろう。自分が男子だったとしても、内面は人それぞれだし、そもそもみな自分しか知らないのだし。テーマとして「成長」を強く扱う意図はないのか、主人公の考え方が時間を経て子供っぽいものから大人びていくというベタな展開はなかった。そうではなく、成長ぶりを行動(あるいは、クセ)で表現している。昔はそんなことやったよな、みたいな。去年、一昨年の同じ時期のイベントでの自分を振り返る形で「成長した」ことを読者に実感させる。この作品が映像されれば、主人公の顔つきや体つきが変わってくるところだ。

 で、テーマは何か。なんなのだろう。走ること、成長できたこと、仲間と協力して目標に向かって努力すること、自分の今いる位置は過去から未来へと色々な人が受け持って行くだろうこと(人生はリレー、みたいなもの)。道徳の教科書のようなものばかりだけど、こんな小説にのせてみると「そりゃいいなぁ」という気分になり、自らそういう目標のもとでがんばってみようという気になる。まさに高校生のような気分になれる。これが「元気のもと」。これから青春する人には憧れの生き方だろうけど、「青春は遠くなりにけり」の中年にとっても「あの頃に戻りたい」よりも「あの頃の気分になって、もっと一日一日がんばってみよう」という気分にさせる。給料が上がってもこういう気分にはなれないだろうから、お金では買えないものを本を読む事で得たことになる。

 単行本で3巻セットって無謀な売り方だよなぁと思ったのだが、出版社のもくろみは当たった。


2007年5月25日

まひるの月を追いかけて

恩田陸
文春文庫 500円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 奈良を歩きながらあれこれ考える。初対面の人と自分の異性の兄弟のことについて。コースは奈良の観光名所で、ところどころに印象的な風景をいれてみる。一番良いであろう時間に主人公たちはたたずめるのでうらやましい。行ってみようかとこの本を読みながら考える。『夜ピク』のような味わいがある。

 恩田ワールドは引き込まれると最後までふわふわとその世界にいつづけることになるが、最後が良いもの悪いものがある。夜ピクは良かった。この小説の場合はどうだろうか。私はちょっと物取りない気分がした。恩田ワールドでは最後に落ち無し、という場合もあるのだから、それに比べると良いとは思う。だが、結末はあり得ないでしょ。そういう気分になる。恩田陸、男心は理解していないようである。ただし、編集者はそれを察知したらしく、解説者で落としてくれた。

 『鹿男』も奈良だった。最近奈良が注目されているのか。奈良駅から奈良公園に向かう商店街でなんとなくやられてしまい、あまりよい印象を持っていない土地である。就学旅行はバス移動だろうから、街そのものを歩くことはほとんどないであろう。それでも、小説家にとっての場所設定は大切なことであろうし、読者が雰囲気くらいは知っている場所にすると良いことがあるのかもしれない。

 歩く小説をかく前に、作者は一通りその土地をあるているのだろうか。今日は7時間歩いた。そういうセリフが小説にでてくるが、そんなに歩いた後は、ただ宿で倒れるのみではないのか。想像では移動は一瞬なのだが、体を使うと結構しんどい。この小説が弱いとすれば、落ちそのものよりも、身体的な感覚が伝わってこないことかな。

2007年5月23日

名もなき孤児たちの墓

中原昌也
新潮社 1500円
お勧め指数 □■■■■ (1)

 先日読んだ『文学賞メッタ斬り』にも評価が高かった本だけど、私はよいとは思わなかった。良くないでも、普通でもない。ちょっとぱっとしない、でも好きな人が結構いるのだろう、でもない。ダメであり、損したという評価である。不愉快になった、腹が立ったということはない。無害だけでも何がいいのかさっぱりであった。

 言ってみれば「現代美術」のような感じがする。抽象画には意味はないが、雰囲気はある。そもそも好きな色というものが存在するし、模様にも感じが良い悪いはある。一方、便器がおいてありこれがアートだというような物は、詐欺と紙一重である。構成すら放棄して全くコストがかかっていないものを「大切にするべき価値がある」と主張されても困る。素人だから仕方ないと言われても、裸の大様ではないのだから、感じたことを評価するよりない。そして、この本も私にはそれと同じにしか見えないのだ。

 しかし、野間文芸新人賞をとっているし、芥川賞の候補にもなっている。そして、わたしも尊敬する書評ができる人たちが推しているのだから、きっと良い本なのだろう。であるはずだ。しかし、私は価値を感じなかった。私にはこの良さがわかるまで掛かるであろう時間がもったいない。別の本が山ほどあるのだし。小説という形式が好きな人はこういう「だらだら煩い言葉の垂れ流し」に価値を見出すのだろう。これまで普通に本好きなのだろうと思っていたが勘違いだったのかもしれない。普通に小説の中身が好きだったのだ。この本を読んでみてはっきりした。

 自分が全く理解できないことが平然と転がっている。当たり前なのだが、それに気がついた。ただし、不愉快な気分にはならない。冒険したい人は読んでみてもよい。ただし、まずは書店で立ち読みしてからのほうがよいだろう。

2007年4月27日

ナイチンゲールの沈黙

海堂尊
宝島社 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 『チーム・バチスタの栄光』の続編です。小説家としてどうなのかが問われてしまいそうな二冊目ですが、まぁまぁ合格点でしょうか。というのは、四百ページの作品を読み切れましたから。つまらなかったら途中でなげちゃう量ですが、最後まで楽しめました。ただし、ミステリーとしては難があるかもしれない。まじめなミステリー好きの人からは評価が低いかもしれませんね。

 一度はっきりと認識された小説のキャラが登場するなら、とくにとりたてて事件がなくても読んでいて面白いです。作者は基本に忠実らしく、えらく複線をはっているところもある本なので「ふーん」程度の愉快さはあります。それに、今回はしんみりするところもある。考えるところ、笑うところ、腹が立つところ、悲しい寂しいところ、全部含まれているのでエンターテイメントとしては申し分ないです。

2007年4月25日

チーム・バチスタの栄光

海堂尊
宝島社 1600円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 『このミス大賞』をとった作品。しかも、普通のお医者さんが書いた小説で、しかもこれが初めての小説だとか。びっくりしました。ミステリーの核である謎解きは、そんなにスゴイというものでもないようでうすが、でもそれが全体の質を低くするということはない。というより、そんなことどうでもいいような気になってしまう本です。

 小説では「キャラ」が立っているかどうかが大切だと聞いたことがあります。性格がはっきりと記述できていれば、読者の方が「そいつはそういうやつだから」と思ってしまうような状態ならば面白くないものはできない。知識としては知っていましたが、この小説でその実際を知りました。登場人物のキャラが立っている。だから、何気ない行動をおっていくだけのシーンでも「おもしろい」と思っちゃう。不思議な気分です。表現のがどうのこうのはどうでもいいです。

 嫁さんがサイン会へ行ったようで、この本には著者のサインがしてあります。「普通のおじさんだったよ。こういうお医者さんいるなぁ、という感じの」中年になってからデビューということも、以外にあり得るんですね。しかも現役の医師ということだから、実体験したものをベースに小説として膨らませているのでしょうか。

2007年4月24日

鹿男あおによし

万城目学
幻冬舎 1500円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 『鴨川ホルモー』があまりにも面白かったので期待して購入。正解でした。電車のなかで読んでいて吹き出すことはありませんが、でも風景としてはこちらの方が出来がよい。いくつまでもこの心象風景の世界を維持してほしいですね。

 言ってみればファンタジーです。ベースは『ぼっちゃん』。でも内容はマキメさんの世界。決して現実味がある話の進行ではないのだけれど、なぜか魅かれます。その理由は、『ホルモー』のときと同じように話が進行する場所の描写にあるのでしょう。リアルというか、現場を良く知っているというか、「そう、確かにそこにジャスコあるよ」ということを突っ込みたくなる記述がちらほら見受けられます。これが現実の奈良の町にリアリズムがないものであれば、つまり、「別に奈良の町でなくてもいい」といえるような表現だたら、全体がファンタジーとなってとても「ぬるい」作品になってしまう。現実と想像とのコントラストをきっちりつけることが面白いのでしょう。

 もっと読みたいですね。はやく次の作品がでないものか。


2007年4月 3日

夢を与える

綿矢りさ
河出書房新社 1300円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 すっごく期待していた綿矢さんの新作ですが、私個人としてはがっかり感がありました。ただし、それは話のジャンルというか内容の方向というか後味の問題であって、完全に個人的なテーストですので、小説としての出来は「上手だよなぁ」と思うレベルです。さすがっす。

 前作からの流れを期待されて読まれた人はやっぱりがっかりする面があるかもしれません。プロットが平凡ですし。ただ、この著者は並の人間ではないので、わざとやって「綿矢路線」なるものを最初に壊しておきたかったのかな。それくらいは「おちゃのこさいさい」でしょう。

 私としては嫌いなタイプの小説なんですけど、読み終わってもふとしたときにいろいろな場面が頭に浮かぶので、本としてはスゴイと思います。

2006年10月 9日

チョコレート・コスモス

恩田陸
毎日新聞社 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5+)

 ここ数年で一番の小説なんじゃないですか。こんなスゴイ小説をかける人が、現代日本にいたんですねぇ。はじめてですよ。読み終わった直後に「さて、最初から読むか」と思ったのは。映画だと2回連続で見るという話は珍しくないですが、小説では初めての経験でした。

 内容は、要するに演劇。そもそも大学時代つきあいで見た程度しかないので、その世界についてはさっぱり知りません。TVや映画と舞台は違うだろうから、普段見ているとも言い難いし。それでも、魅了されました。主人公が女性たちで、私が男性だから魅了された、というのとはちょっと違うと思います。当然内容については書きようがないので、これ以上は説明できないです。

 恩田陸という小説家。これまで学園ものがメインだと思っていたので、ちょっとショックを受けました。もう、学園モノかかんでいいですよ。それより、このチョコレート・コスモスのようなものを書いて欲しい。恩田さんは演劇好きだろうから、ここまで書けたのかもしれない。となると、他のジャンルでは無理なのかな。

 とにかく、読んで損はない。今年はこれが読めただけでも、収穫があったと思います。

2006年9月18日

鴨川ホルモー

万城目学
産業編集センター 1200円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 物語として面白いけど、学園ものといえば学園モノといってよいでしょう、多分。タイトルが興味深い。「ホルモー」ってなんだろうか。そのあたりを万城目さんも心得ていて、この本を読ませる方向へと引きずり込んでいきます。主人公の語りで話がすすみます。一風変わった「勝負」や学園モノにつきものの恋愛記述があったりと、とっぴなところはないのですが、まぁ読んじゃう。アニメにはしやすいですね。ドラマには向かないでしょう。京都中心の話なので、市内の様子はランドマークになる場所を知っているならば、より楽しめる。

 ただ、読んで何が得られるのか、と言われると・・・。楽しい時間ということでしょうか。

2006年9月14日

死海のほとり

遠藤周作
新潮文庫 552円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 小説として良くできています。さすがです。
 内容は、五十代の二人の男がイスラエルを巡るというもの。二人は戦時中にキリスト教系の大学の寮友。戦時下の記憶、これまでの半生、そして、それぞれの現在を、聖書に関係する土地を巡りながら回想し、そして、老いを確認しあうようなストーリー。
 憂鬱な年代と、憂鬱な時代の重ね合わせなので、正直暗い気分になります。「夜と霧」のような、逃げ場がない状況にはならないものの、心地よい気分になるようなものではありません。まぁ、でも、冬の灰色みたな気分になるので、私はもう読まないかもしれない。

 本編とは関係ないですが、表紙の写真は印象深いです。内容は忘れても、この表紙はずっと忘れない。また、不思議な色合いで、何か起きるならば、こんな場所であるほうがふさわしいという気分がします。

2006年9月 4日

ネバーランド

恩田陸
集英社文庫 514円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 ほんわかした学園モノ。主人公は4人の男子高校生。進学校の寮。年末、とくに帰る必要がない、家庭の事情がある生徒が4人集まって過ごす年末の話である。恋愛でもスポーツでもホラーでもない。ある意味、とりとめのない物語である。実際の生活では大抵とりとめのないことしか起きないので、リアルといえばリアルである。
 とくに、嫌ない気分になることはないが、かといって「夜ピク」のような魅力を感じないのは主人公が全員男だからかもしれない。しかも、恩田さんが描く男子だから「そんなことはねぇだろう」と思ってしまう、ちょっと女性が描く「かわいい高校生」である。きっと素敵な人になる、と女性が考えるような生徒。だから、男子高校生でもあった私には、この高校生たちに「あ、だれだれに似ているなぁ」と思えない。私も進学校(近所では)だったが、この小説とはまったく別物だった。小説なのだから、リアルなものを求める必要はないだろうけど。

2006年8月31日

蒲公英草紙

恩田陸
集英社 1400円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 ストーリーテラー。語り部。意味は知っていてもピンとこなかった言葉である。それは恩田さんのような人のことだろう。この本。なんとも言えない気分、哀しさと想像と馬鹿馬鹿しさと怒りと。大笑いしているとき以外の感情が、この本の主人公とである語り部の言葉だけで感じることができる。どうして、そんなことになるのだろう。小説って、スゴイね。
 この本は「光の帝国」のテーマの延長線上にある。舞台は現代ではない。明治期の話。ただ、それは必然ではないかもしれない。恩田さんの作品には「戦争なんてやめておけ」という訴えがサブテーマであるようで、それを示すために明治中期あたりを設定しているのかもしれない。考えてみれば、この時代に生まれた人は損。戦争ばかりの時代だった。もっとも、現代でも人間関係の地獄から抜け出れない人もたくさんいるということはニュースを見ていればわかる。どっちがいいのかは何とも言えない。

 人が生きていることを「自覚」するには、言葉が必要だろう。言葉は「順序」を必要とする。つまり、時間が流れる必要がある。記憶も必要とする。そして、クオリアが一緒に存在する。これらを同時に考えれば、生きていることを自覚することである。ならば、言葉を聞くことで「他人を体験できる」のかもしれない。状況にもよるだろうけど。
 映像ではない、音楽でもない、暑さでも、寒さでもない。それらが体に影響するものを総合すると、要するに言葉になり、物語になる。言葉なしに自覚は生じない。この本の中にでてくる『しまう』は、情報を記憶することではなく、この言葉の機能の本質を記録することをさしているのであろうと勝手に想像する。なるほど「初めにことばがあった」という名文句は2000年を耐えたが、それは当たっているからだろう。もっとも、自覚する意識が存在するときが世界の始まりならば、という条件付きであるが。

 物語とは? なんとなく、人生の疑似体験ツールなのかもしれない。そんな想像をした。

2006年8月30日

光の帝国

恩田陸
集英社文庫 495円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 言ってみれば超能力もの。でも、超能力のメカニズムにもそれをつかっての行動にも焦点があっていない。一種の価値観の比喩としてつかっているのかな、とも想像する。まぁ、小説なんぞほとんど読んだことがないがゆえに、いろいろ自由にしかも無責任に想像できるし、それをこうしてメモしている程度の想像でしかないけど。
 読んでいてい感じるのは、この著者は女性だなぁと。子供の書き方も女性の視点からのものだと感じる。どこが、と言われても困るのだけど。まぁ、「わかるんだ。自分でもなぜだかわからない」とかなんとか、常野の人のようなこといったりして。
 さて、肝心の物語。嫌な(哀しい意味で)の話、クリスマスキャロルみたいな感じの話、幻魔大戦?(いや、実はよくしらないのでイメージです)のような話を、恩田さんのマジックで形にした、不思議な本です。「読んでいて」楽しい。読み終わって、「読んだことを何かにいかす」というものではない。ジュースを飲んでいるときのような感じを得られる本です。要するに、「クオリア」そのもを味わうことが目的の小説です。
 そういう本、これまでほとんど読んでこんなかったので、新しいことを体験しているようで楽しいですね。何かのための読書ではない読書。

夜のピクニック

恩田陸
新潮社 1600円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 小説はあまり読みません。とくに、学園モノはパス。いつまでも過去に浸っているようで。あるいは、世界が学校しかないと思っているようで。そう理解したので、そもそも読もうとおも思っていませんでした。しかし、「文学賞メッタ切り」を読んでいるうちに、これだけ評価が良いものは読んでみてもそんはないだろう。この評者は信頼できるし。そうおもって読んでみました。
 世の中にはスゴイ小説はあるものですね。30代後半の私でも高校生の頃の気持ちで読めてしまいました。また、この世界にちょっと憧れるような気持ちが残っているものだなぁと我ながらびっくりしました。年を取るのは体からですね。体が元気なうちは、過去も現在も精神は自由に行き来できるようです。

 「ずーっと読んでいたい」そう思います。恋愛小説ではないです。これがまた面白い。「蹴りたい背中」のような感じです。「若けなぁ。」 そう思う箇所はありませんでした。むしろ、「そうそう」というほうが多かった。
 この小説はミステリーではないし、本筋を紹介することとは全く関係ない、著者のもつ恋愛観のようなものに興味を持ちました。「なるほどなぁ」と感心しましたので引用してみます。

”好きという感情には、答えがない。何が解決策なのか、誰も教えてくれないし、自分でもなかなか見つけられない。自分の中で後生大事に抱えてうろうろするしかないのだ。 
 好きという気持ちには、どうやって区切りをつければいいのだろう。どんな状態になれば成功したと言えるのか。どうすれば満足できるのか。告白したって、デートしたって、妊娠したって、どうれも正解には思えない。だとすれば、下手に行動を起こして後悔するより、自分の中だけで大事に持っているほうがよっぽどいい。(P208)”

 ふーむ。そんなことを高校生のころから考えているのですね、女の人は。すごいです。この小説で「ちょっとなぁ」と思ったことがあるとすれば、男子生徒の考え方です。私も(一応)進学校の高校に通っていましたが、こんな「大人」に考えるひとはおそらくいなかったでしょう。一人二人はいたかもしれないけど、例外だろうなぁ。そこが、また、女性の考える「理想的な普通の男子高校生」という気もしなくはないですね。

 1600円で、こんな素晴らしい気持ちを獲得できるのですね。ちょっと驚きました。

2006年8月25日

タイムスリップ森鴎外

鯨統一郎
講談社ノベルズ 819円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 タイムスリップスリップシリーズの一作目。タイトルからははちゃめちゃなものを期待してしまうが、読んでみるとそうおかしくはないような気もする。ミステリーはほとんど読まないからミステリー好きの人の反応はわからない。
 そのそも、この本のテーマである森鴎外の経歴はどうなっているのだろうか?と本書を読みながらいちいち確認したくなる。ラストがすこし息切れしている感もなくはないが、これが一連の「タイムスリップ」シリーズの発端としては十分楽しめる面白さではある。文学好きではなくても、ちょっと森鴎外の作品を読んでみたくなる。そんな小説である。

2006年8月12日

邪馬台国はどこですか?

鯨統一郎
創元推理文庫 660円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 面白いなぁ。この本を読むのはもう3度目です。3年くらい前、何気なく買ったらはまりました。鯨さんのデビュー作ということです。とくなく、視点が面白い。本当に歴史の真実を好きで探りたい。そう思うのならば、「おれが偉い」という主張をすることが真の目的である学者なんかになってはいけない。そう思いますね。塩野七生さんや井沢元彦さんが好きな方はこの本をすんなり読んでくれると思います。一方、専門が歴史学だったりすと、全く面白くないでしょう。

 既成観念とか先入観とか、そういったものが思考を支配することはよくしられています。資料をどう読むのか。それ一つとっても、読んだ結果は違ってきます。「日本書紀」に書かれているとするのか、「日本書紀」にしか書かれていないとするのか。その状況への態度によって、いろいろな結論がでてくるものです。ミステリーなので本の内容を詳しく書けないのが残念です。

鬼のすべて

鯨統一郎
文芸春秋 1381円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 これが鯨さんの目指すミステリー小説の方向なのかと思います。話の根底には、歴史学・民族学的なある仮説があり、それがだんだん浮き上がってくるように事件が起こり、犯人の仮説がつくられ、真犯人がでてくる。

 この小説の命題は「鬼」です。鬼とは何か。その問題をめぐってミステリーが組み立てられています。途中ででてくる事件や犯人候補はすべて「鬼」の仮説とリンクしている。そして、ラストは真犯人と鬼をめぐる解釈がだぶって表現される。ミステリー小説の面白さと、鯨さんの「歴史学・民族学における仮説」とが渾然一体となって読者に提示される。感動てきです。

 この人の作品は、もう少し読んでたいです。そう思わせる小説です。

すべての美人は名探偵である

鯨統一郎
光文社カッパNOVELS 867円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 「邪馬台国はどこですか?」「新・世界の七不思議」に登場する静香とという美人歴史学者を主役に据えたミステリーです。徳川家の歴史記述を大きくかえる可能性がある謎をめぐって、殺人事件が起きたり、資料を探したりという、ちょっとTVで放送しそうな内容です。読んでいると単に楽しいだけですが、話の根底にある「関東に伝わる子供の歌」と「徳川家の秘密」との関係にある仮説には興味を抱きます。もうちょっと、別の形で表現してくれてもよかったかなと思いますが。

とんち探偵一休さん 謎解き道中

鯨統一郎
詳伝社NON NOVEL 819円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 昔アニメで「一休さん」というのがありました。さよちゃんと新右衛門さんが登場するやつです。一休さんも小坊主です。この小説はそのキャラ設定を引きついでいます。一休さんの言葉遣いだけより方言を強くしていますが。

 鯨さんの小説は新しい歴史解釈を小説の形で表現するものが多いです。それが面白い。でも、この小説は、どちらかといえば「とんち」に主眼があるようです。「では、トラを屏風から出してください」という有名なシーンがアニメ一休さんさんにはありますが、そういった「とんち」が書きたくてこの小説を書いたのではないか。そんな気がします。知的な感じよりも、娯楽な感じたっぷりの小説です。

いろは歌に暗号

鯨統一郎
詳伝社NON NOVEL 819円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 空海がでてきて、いろは歌の暗号を語るミステリー小説。鯨さんは司馬遼太郎の大ファンだそうで、「空海の風景」にでてくるキャラを親しみやすくしたような、そんな感じのものになっているようです。もっとも、歴史を追うと出てくるキャラは同じになるのかもしれませんが、キャラの重要度、活躍度は著者の判断によるものですから人それぞれの視点があるものです。

 で、何をやったのか。それを書いちゃうとネタバレなので、なにも書けない。ただし、「タイムスリップ釈迦如来」ほど砕けたものにしていないので、「まじめ」な人でも取りつきやすいですとは言えます。

新・世界の七不思議

鯨統一郎
創元推理文庫 700円
お勧め指数 □□□□□ (5)

 この本、すごいです。ミステリー小説ということになっていますが、歴史学の新解釈です。学者は相手にしないかもしれませんが、学者は「自分の仲間以外の人が考える発想」を邪道と考えるものですから、学会のようなところでは評価されないような内容が含まれています。私は感動しました。「アトランティス」とは、そういうものだったのか。これでさっぱりした。

 著者はコンサルタントだったそうです。だから、現実というものを常に相手にしていたはずです。人の都合などは考慮してくれない「結果」をもとに行動計画を立てる世界で仕事をいていただろうから、歴史学者などの文系学者の世界とは関係ない。だから、世界の七不思議と言われているものをすぱっと解説しちゃいます。読んでいて快感が味わえます。

 バーでの出来事をベースに話を進めます。カクテルについての記述が要所要所にでてきて、五感を刺激します。想像のものですけど。でも、それが通常の小説にない面白さを読者に与えてくれるのでしょう。もっとも、私は小説を読まないので、普通の人とは違う感想を持っているのかもしれませんけど。

2006年8月11日

タイムスリップ釈迦如来

鯨統一郎
講談社 800円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 釈迦のキャラがかなり変わっている。このキャラ、昔読んだことがある。あぁ、あれだ。高橋留美子の初期の作品「ダストスパート」にあったぞ。といっても、ほとんどの人は知らないだろうけど。一見むちゃくちゃだけど、よくよく考えるとこんな釈迦もあり得るような気がする。ふざけている。そういう人がほとんどだろうけど、私は「あながちうそとは言えない」と思っている。

 この本について多くを語ることができない。語ればネタバレになるから。ただ言えることは、この本は「邪馬台国はどこですか?(鯨統一郎)」のブッダの話を扱ったものだとわかる。仏教はねぇ、哲学なんだよ。悟って、どういう事をさすのだろうか? 本当に悟ったのか? こんなことを考えることに興味を持たれたならば、一読の価値はあると思います。

2006年7月 8日

涼宮ハルヒの憂鬱

谷川流
角川スニーカー文庫 514円
お勧め指数 □□□□■ (4)

 いわゆる「ライトノベル」というカテゴリーの小説らしいのだが、結構面白かった。バカにしたもんではないです。確かに、読んだからといって「何かを考えるきっかけになった」という要素はないです。元気な高校生の女の子に萌えっ、とした感情が沸いてくるからこの本は面白いと感じのでしょう。だから、この本が歴史に残るのかと問われれば、ちょっと心もとない。

 ストーリーの背景としては、ナウシカのような面倒くさいところがない、子供のころの妄想と不安が種のストーリーです。それは、心理学の世界にはよく知られていることで、幼少のときに感じると言われています。「実は、世界には自分しか感情をもっていないのではないか、自分以外は実は人間ではないのではないか。」 それを膨らませたもの。

 続きが読みたいかといえば、読みたいかな。流れるような文章だから、読んでいることが楽しい。谷川さんの力量はたいしたものです。ただし、挿し絵とカバーのイラストは勘弁して欲しい。電車のなかでは、人目が気になります。

2006年4月 5日

プロセス・アイ

茂木健一郎
徳間書店: 1800円
お勧め指数: ■■■■□ (4)

 茂木さんは小説も書くのか! とびっくりして買って読んでみた。びっくりするほど面白い。小説を書いているけど、このほうが茂木さんが思っていることを大胆に発言しやすいし、同時にいろいろな「見方」を人を変えて説明することができて便利なのだろう。結局、クオリアや意識についての本を「小説」という方法を使って記述してみた。そんな、発想の本であろう。

 意識についてのメモをかくとネタバレの危険があるので、別に思ったことを書いてみる。この本でこんな一節を目にした。一種の親睦会のようなパーティー中での人々(大学生)の行動を眺め、それぞれの人の性格を遠回しに推定させる部分。

”「ヌーメアのビーチにある、『ラ・ドルチェ・ヴィータ』というイタリアン・レストランに2日連続で行って、同じテーブルに座ったよ。ちょっとコテージ風の店で、夜になると松明が並んでいてね。いい店だった。すっかり馴染みになって、3日目には、もじゃもじゃ頭の伊達男のウェイターが・・・」
 自分の個人的体験が、そのまま普遍的な意味を持つと思うところが、隣の男の欠点だ。
 だが、女子学生を口説こうとする素振りをあからさまに見せないところは、好感がもてる。
 軍司はテーブルをたった。”

 話し相手がもっとも情熱的に話すことは、話し相手が「良かった、面白かった」という体験ではないのか? だからこそ、話しの細部を細かくも粗くもできるし、考えたり想像したりする必要がないので、淀みなく言葉がながれてくるし。確かに、「よかった、よかった」では「どうよかったのか」は伝わらないから、工夫が必要だけど、話題の選択としては自然ではないか。もちろん、初対面の人には、良かったと感想を述べる人の好みや美意識が全くわからないのだから感じが伝わりようがないから、話題としては不適切であるのだが。

 翻って考える。初対面の人には普遍性のある情報を伝えるように勤めるべきなのかもしれない。つまり、良かった、悪かったという「感覚」を基準とする評価を扱った話題をさけるほうがよい。そういうことだ。
 では、普遍的な話題とは一体何か。ただのニュースなのか。ニュースの「裏話」であれば、ニュースであることから共通の土壌を確認する必要はなく、裏話という追加情報を提供できるので興味を持ってもらえるだろう。本から引っ張ってくるのも、同じ方法。その他にはないのか。

 人と話すのも大変だなぁと思う。

2006年3月30日

ある家族の会話

ナタリア・ギンツブルグ
白水Uブックス: 950円
お勧め指数: ■■■■□ (4)

 ある家族の会話。というか、歴史のようなものです。ナタリアの視点で、子供の頃から大人になってまで、自分の家族にまつわる話しを小説風に仕上がっている。読んでみた感想。これは「歴史書」なのか。

 家族にとっては変えようにない事実であり、それは愉快であろうと不愉快であろうとも「仕方ながない」として受け入れるよりない。しかし、時代も国も生活風習も関係がない私から見れば、「なんで、この父親も母親も、こんなしょうもない人なんだろうか?」という気分になる。「なんとういうロバだ!」が口癖の父親など、もう放っておけ、と言いたくなる。親父は選べないのだから、不幸な家族に生まれたものだと主人公に同情してしまう。

 そんな家族のどうでもいいエピソードをたどっていくと、この時代(第一、第二次大戦)が見えてくる。しかも、普通の人が何を考えていたのか、それときイタリアはヨーロッパは、そして、日本は何をしていたのかが気になってくる。著者はそんなことを考えず、たんに自分の家の歴史を書いているだけなのかもしれないが、断片ではなくある期間を通して眺めると、具体的な家族が抽象的な家族となり、その時代のモデルを探す一つの切り口となってくる。不思議である。
 この本の家族は「変だよなぁ、嫌だよなぁ」と思っていたが、良く考えると自分の家族もそうだろうし、自分が作る家族もそうなるのような気がする。結局みんなそれぞれ変なのだろう。

 一つ面白いことに気がついた。子供と自分とを区別しない、あいまいな関係なってしまう傾向は日本人だけではないと知った。ヨーロッパはみな個人の尊重されているものだと思ったが、この時代のイタリアの市民ならば、なんだ家と、日本の人とあまり変わらない感覚があるじゃないかと知って愉快だった。

2006年3月21日

陰日向に咲く

劇団ひとり
幻冬舎: 1470円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 へぇ、という面白さがあります。5話の短編がチェーンのようにつながっています。だから、時間的にも空間的にも広がっている。きてれつな設定がないため、想像しやすいです。それぞれの話は、くすっと笑えるおかしさ、ちょっと哀しい気分と懐かしさにあふれています。自分の周りにいるタイプの人、全くいないタイプの人。それそれが自然に「ワールド」に組み込まれているんです。読み終えると、全く架空の一つの世界を感じます。劇団ひとりって、こっちのほうでも十分作品を残してくれるとお思います。

 個人的に嬉しかったのは、浅草の細かい場所の描写が正確なので、ありありとその風景を思い浮かべられるところです。浅草寺裏のバスが何台かとまれる駐車場でのシーン。良く知っているなぁ。子供の頃に遊んだことがある場所だけに、ちょっと好印象をもっていしまします。私としては、アイドルの話しが感動的なくらいうまくできていると思いました。行動が理解できない変な人の話しではなく、完全な動機があり、それが形をかえると「意味不明」な行動に結びついてしまう。思い込みがどんでもない方向へ発展する人の弱い部分をよくぞ表現した、と思いました。お勧めす。

2005年12月23日

未知の贈りもの

ライアル・ワトソン
ちくま文庫: 680円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 精巧にできたイカの眼球がとらえる光景は、その貧弱な神経系で処理するには豊かすぎる。イカたちは何か他の大きなものの代りにこの世界を観測するカメラ台なのではないか。

 小説の冒頭、主人公はミクロネシアの海で、夜、水面に蛍のように光るイカの目を見ながらそんな妄想をするシーンがある。そして、嵐にあい船は漂流する。やがて、島に漂着する。現地の言葉がわかる主人公は島の英語教師をしながら島の生活を観察する。

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2005年10月19日

インストール

綿矢りさ
河出文庫: 380円
お勧め度: □□□□□ (5)

 「蹴りたい背中」は読みました。面白かったです。「インストール」の単行本は、装丁(とくに表紙のイラスト)が気に入らなかったので買っていませんでした。ただし、中身には興味をもっていました。今日、本屋で別の本を購入した際、レジ脇にあったこの文庫本があり、表紙も気に入ったので買ってみました。

 すごいです。なぜ、主人公の描写がないのに、行動の描写がないのに、主人公のセリフと頭の中で考えた意志を言葉にしたこと(つまり、思ったこと)だけで、こんなにまで「面白い」と思わせる小説がかけるのか。小説家ってのは、訓練や努力などとは関係なく「どんなものが良いと思うか」の基準できまるのなだなあとつくづく思いました。

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2005年9月28日

デカルトの密室

瀬名秀明
新潮社: 1900円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 「意識」という側面からAIに迫ってみようとしたSF。といっても、ちょっとなぁ、という感じでした。パラサイトイブを読んだことがないので、この著者作品としてのデキとしてどのあたりにあるのはよく分かりませんが、うーむという感じでした。

 あたかも意識を持つかのようなロボットが登場します。しかし、いきなり「クオリア」をもっちゃってて、ロボットのイメージが「パルタ」っぽいので困りました。天外司郎も変な登場の仕方です。それに、キャラがちゃんとたっていないので、地の文を読んでいても、だれが考えているところなのか、よくわからないことが多かったです。

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2005年8月14日

マネーロンダリング

橘玲
幻冬舎文庫: 724円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 マネーロンダリング関連の蘊蓄満載の推理小説。これがまた、面白い。ミステリーなんで、内容については書きません。

 どういうわけか、この人の本はとても読みやすい。無駄はないし、人物描写もよく書けている。もちろん、ミステリー漬けの人は私と違った感想をもつのだろうけど、内容はミステリー作家では書けないだろう。トリックなどではなく、蘊蓄をミステリーとして編み込んでいくのが勝負の小説です。面白い。

 しかし、ここででてくる知識、一般の人にはあまり関係がない。知っている人もその筋の人だろう。だから、小説を読んで仕入れた知識は、「そういう知識が大切な人もいるのだな。」という程度である。

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2005年8月 6日

永遠の旅行者(上・下)

橘玲
幻冬舎: 各1600円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 傑作です。文句なし、今年一番の読み物です。内容については、あまり説明しないほうがいいですね。

 橘玲さんの本といえば「海外投資を楽しむ会」の一連のシリーズがきっかけの「黄金の羽」の本が有益なものだし、投資や税法・法律の知識を小説に組み込んだ「マネーロンダリング」が有名ですね。この本は「20億の資産を孫娘に相続させる際に、日本国に一切税金を張らない方法はあるのか」を切り口に話しが展開していきます。私は一気に読みました。

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2005年4月24日

カンガルー日和

村上春樹
講談社文庫: 448円
お勧め指数: □■■■■ (1)

 村上春樹の古い短編集。読んでいて「楽しい気分」には決してなれない。一体何を表現したいのだろうか、と考えてしまう。読んでいる最中に感じる「焦燥感」というか「不安」というようなもの、あるいは、「無音」の世界はこの人の本には一貫して感じる。何らかの「思い」を伝えるのではなく、この「よくわからない感覚」を読者のうちに再現させることが、著者の目的なのだろうか?

 図書館奇譚は最近絵本になって売れたようだ。羊男や女の子を読みたくて買うのか?私には村上春樹は外国料理のようなもの。ごくたまに変なものを食べたいときだけ食べる。それがおいしいからでは決してない。そんな感想を持った。 

2005年4月 8日

まぶた

小川洋子
新潮文庫: 400円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 短編集。ちょっぴり日常的ではない、というお話。主人公が語るタイプ。男性が主人公であっても、視点が女性のものです。女学生が文章を書き、「〜なのだ。」という語尾で終わる感じのものです。暗いところはないけれど、決して明るいお話ではない。どういえばいいのか、難しい。

2005年2月16日

風の歌を聴け

村上春樹
講談社文庫 400円
★★★☆☆

 羊をめぐる冒険が結構面白かったので、とりあえず手にしたこの文庫本。著者のデビュー作とか。主人公の「僕」や「鼠」という人物の説明があった。シリーズ物は元から読まないといけないと、改めて思った。
 主人公達の考えることは似ている。若者が大切に思っていることが似ているのか、それともそうういう時代だったのか。1970年代を語る本は多いけど、世代の違い自分にはぴんとこない。大学生の生活やら考えていることが、自分のその時代とだいぶ違う。現在の大学生(といっても、私が話しをしている人は特殊なサンプルかもしれないが)とも違うだろう。理科系と文科系のちがいなのだろうか。要するに、私が大学生だったころより、いや、30代半ばの私よりも大人びた世界に彼らは生きていたようだ。著者の学生時代の雰囲気を反映しているのだろうが、今とちがうのですね。

 

2005年2月15日

羊をめぐる冒険(上・下)

村上春樹
講談社文庫 各500円
★★★★☆

 何の気なしに読んでみた。感動はしないけど、ワンストップ。つまり、読み始めたら、一気に最後まで入ってします。トイレもなし。メッセージとしては、私は理解できないところが多い。しかし、ページをめくる苦労はない。言葉がクオリアを励起している。ただし、だからといって、何かに結びつかない。著者の時代と共通な点がないからだろうか。

 それにしても、目的は一体なんなのか。黒い★の話しはどうなった?著者の意図なのか、次回作への伏線なのか、意味不明な展開がある。こういうことがあるので、ちょっと歴史には耐えられないかもしれない。でも、すきだけど、大好きではない。

2005年2月12日

会社の怪談

中谷彰宏
ダイヤモンド社 1200円
★★★☆☆

 会社の会談をベースにした「おとぎ話」。文庫本サイズであれば、ちょっとしたときに楽しめそう。ただし、サラリーマンの方はどうかな?出版社がダイヤモンド社というのが面白いけど。

 この人、この本以降は「中谷彰宏本」という分野を切り開いた。すごいペース。最近ペースが落ちているようだから、また、重厚なサラリーマン物語を書いてくれるかもしれない。

2005年2月11日

漂えど沈まず

中谷彰宏
ダイヤモンド社 1200円
★★★★☆

 中谷彰宏のデビュー作(だったはずだが。。)。ブックオフにあった。珍しいと思い、即購入した。中谷彰宏のサラリーマン時代の思い出を一つの物語に仕上げてある作品。小説とは言い切れないが、ストーリーはサラリーマン実話。憧れどころか、私では勤まらない商売だと痛感させる広告業界のお話、というか、若手サラリーマンの日々の生活なのでしょう。

 こういう本を書けるのなら、今でも書いて欲しい。ただ、文学賞とは縁遠いと思う。ストーリーは実体験をベースにしているからは「厚い」、会話も悪くない。だが、言葉による表現がほとんどない。動作とか風景とか心象とかの記述が弱い。その技術がしっかりあれば、もっと読みごたえがあるものになっただろうなぁ。

2005年2月 9日

上がれ!空き缶衛星

川島レイ
新潮社 1200円
★☆☆☆☆

 手作り衛星を実現させるまでの熱血学生物語。理系的な体育会系物語。学生版プロジェクトXというところ。ダメだの無理だの言われていることを、チームメンバとすったもんだしながら実現させるというお話。

 内容はともかく、文章が稚拙。よく、出版できたものだ、編集者は手を入れないものなのか?後半は話しそのものが盛り上がるので読めるが、著者の視点が「客観化」されていないので、内輪ネタ満載の人の日記である。
 実在の人物名を出すのはいいが、人物描写をしないで「言葉で性格をわからせる」という方法をとっている。小説論を読んだあとのなので、「やってはいけない」の記述がそこかしこにあるのが目に付く。これ、悪い意味で教科書になるかもしれない。

 24時間中23時間50分は衛星のことを考えている、という夢中な若者らしい表現が面白かった。唯一ここだけがよかった。それで、☆は一つ。