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2013年6月29日

村上朝日堂はいほー!

村上春樹
新潮文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

さらにつづけてこのシリーズを読む。
すでに本棚に並んでいるので、だいぶ前に買って読んでいるはず。
内容は完全に忘れてしまっているけど、読んだという事実は揺るぎなく持ってくる。
不思議なことだけど。

ゆるゆるの世界かと思って読み始めると、少し違う。
冗談を言っている気分がない。
うさぎがでてきたりしそうにない。

語り口がすこし厳しい。
話題もシリアスな雲行きである。
これじゃぁ「村上朝日堂」ではないじゃん。

すこし別のタイプの雑誌に連載していたものらしいので、だから村上朝日堂の緩さがないのかもしれない。
それでも、と思って読み進めていると、メッキが剥がれるようにして、ちらちらと村上朝日堂的なゆるさが垣間見れてくる。
とはいえ若干じれったい。

他のものよりページ数が少ないのに読み通すのに時間がかかってしまった。
あぁ、別のゆるい本を読むかな。

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか

村上春樹
新潮文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

休日の脱力したい気分にマッチした本。
話題と語り口と挿絵がこういう気分に自然となってしまうような、そんな空気を演出してくれている。

読んだからといって「なんか、考えさせれるなぁ」というような気づきは得られない(ぼくの場合だけど)。
まったくない。

自分とは違う世界の生活をしている村上さんの日常を垣間見ることができるから、そういう意味での発見はある。
それは確かにそうだ。

しかし、「そういう意味の発見」はたぶんすぐに忘れちゃうし、何かこまったときにその発見を応用して困難から脱出することができるかも、ということはない。
まったくない。

その無意味さがこのエッセイの良いところなのではないか、と思うわけだ。
だから、何度でも読める。
そして面白い、楽しい気分になれちゃう。

そうですね。
いってもれば「水曜どうでしょう」のようなもので、延々と見てられるというタイプのエッセイですね。

2013年6月22日

もういちど村上春樹にご用心

内田樹
アルテスパブリッシング
お勧め指数 □□□□□ (5)

一度読みだすと、芋づる式に読みたくなるもので、本棚から春樹本を何冊か持ってきた。
通勤時にでも読もうかなぁと思って。

もう、内容わすれちゃったよ。
ダンス・ダンス・ダンスってどんな話だっけ?
そういう状態なので、最初から読んでも十分楽しめるはず。

こんな気分のままで本屋に行くと村上春樹コーナーについつい目がいってしまう。
もちろん、だいたい持っているから買うということはないけれど、その周辺の本にも感度が高くなっているのでいろいろ買いそうになる。

内田樹さんの本は「全部」読んでいるはずで、当然この本も改版前のものは読んでいる。
1Q84が出版された頃に改版されてこの本になったはずで、その頃は「さすがにいいかなぁ」と思って購入しなかったのだ。
それはそれで正しい判断だった、と思っている。

が、村上ブームがあるこの時期に、内田先生の本を読むのもいいだろうなぁ、初鰹みたいなもんかぁ、と思って購入した。
当然奥さんからは「持ってんじゃないの」と指摘されるも、えぇー、買ってぇ~と泣きつき笑顔になった。

村上春樹の小説って、こんなふうに読む人もいるんだぁ。
自分の頭ではとても到達できない高さから、見慣れた街を見下ろす驚きのような気分になる。
まるでスカイツリー展望台からの隅田川、というところだろう(行ったことないけど)。

村上朝日堂

村上春樹
新潮文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

なんでまたこの古い本を本棚から引っ張りだして読んでいるのだろうか。

とくにきっかけはないと思っていたんだけど、あった。
「多崎つくると・・・」を読んだせいだわ。

多崎の発売当初、三省堂神田本店の正面入り口に「村上春樹堂」という看板が掲げられ、エントランスに高々と本がつまれていた。
ある種の恒例行事を見たいなぁと思った人も結構いると思うのだけど、読んだついでに別のも読もうかな、という気分が炊きつけられた感があります。

このエッセイは肩の力が全く入ってない(悪い意味じゃないです)。
内容もある意味「どーでもいいこと」をくどくど語ってる(悪い意味じゃないです)。
まるで友人の日常話をとくに意味もなく聴くような雰囲気を感じることができて良いですね。

この本を読むのは、馴染みの居酒屋で好きなものを食べながら奥さんと話すときのような感じです。
そう、小さいけれど確実に幸せになれること、というやつですね。

これからもまだ何度か読むでしょう。
そう思いながら本棚に本をしまいました。

村上朝日堂の逆襲

村上春樹
新潮文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

とくに理由はないのだけど、夏の午後のかったるい気分がするときにこの本を読みたいなぁと感じる。

何か学びたいとか、面白い話を読みたいとか、そういうことが目的ではない。
水丸さんの気の抜けたイラストとそれに負けないくらい力が抜けたエッセイと、この絶妙さ。

ふんふん、とか、うわー、とかそういう感情の変化が起きるわけではない。
なんか惹きこまれてしまうのですね。
なんでなんしょう。

2012年3月24日

腹を割って話した

藤村忠寿+嬉野雅道
イースト・プレス
お勧め指数 □□□□■ (4)

八重洲ブックセンターの4Fの配架が変わった。
この書店はここ数年で「改悪」著しいのだけど、この方法のほうが売れるのならば仕方がない。
この階の変更は、売れ筋の本を全面に出すというより、文庫本を拡充させたのだろうか。
以前よりも岩波や筑摩が増えているし、新書も拡充しているようだ。
とはいえ、平積みや表紙を見せての陳列が目立ち、必ずしも在庫を増やしたのかどうかはわからない。
そんなフロアの配架を確認しながら見ていたら、フロアの端っこにワゴンがあり、「どうでしょう」コーナーが設置されていた。
へぇ、と思って何冊か手に取り、この本が一番おもしろそうだったので買ってみた。

この本では最新作の内容にも言及されている。
そもそも出版されたばかりの本だ。
内容は「どうでしょう」についてを温泉でも行って気楽に話してみたことが対談としてまとめられているようだ。
どうでしょう軍団はどういう感覚で「どうでしょう」を撮っていたのかが語られている。
ちらっと立ち読みしただけで、へぇと思うことが多かった。
とくだんマニアでもないぼくですら、語られるエピソードについてすべて覚えているのには自分でも驚いたけど、だからこそ楽しく一気に読んでしまえたのかもしれない。

藤村Dと嬉野Dの実際の作業について触れられている。
とくに嬉野Dが何をやっていたのか、番組内では今ひとつはっきりしないから、この本を読んで初めて知った感じだ。
誰もが思うだろう、ビデオで撮影していただけなかなぁと。
ぼくも深くは考えていなかったのだが、そう思っていた。
が、実際はそうではなかったのだ。
周りからも嬉野Dの存在については目立った評価がされないから、立場上嬉野Dは結構いやだっただろうな。
共同制作をしてそれが成功したとき目立ったない場所にいる人は「たいしたことしていない」と評価されるのは仕方がないことなんだけど、それでも何ともいえない悔しさを感じるものだ。
そのあたりについて、嬉野Dの考え方と世間の評価?の「かわし方」を知ることができた。

全体を通して、ぼくは嬉野Dの考え方に共感を持ったし、考えさせられた。
「自分をやってってことはさぁ、たぶん一生やってられるんだよ」
うん、そうだと思う。

二人の活動の目的は、売れる番組でも知名度を上げることでも昇進することでも作品を残すことでもないようだ。
「温泉に入って、気持ちいいなぁ」と思える仕事をすることだ。
これは生きる上での価値、目標、動機である。
何があろうとも、仕事をする上ですら、「温泉」と同じ気分を味わえるほうへ進んでいく。
仕事をするとか生きるとかを分けないで、「温泉」がありそうな方向へ動いてく、いや、行ってしまう。

二人が共通認識として持っていた「温泉」という価値観が、「どうでしょう」全体にあふれている。
なるほど、だから見ている楽しいのか、と納得いった。
だからだろう、もう10年も毎週どこかの放送局で流している「どうでしょう」を今でも見続けている。
震災後に一番最初に見ることができる(心理的にだけど)と思ったのも「どうでしょう」だった。
「どうでしょう」が、東京や大阪のキー局でつくられているお笑い番組とは全くちがって、何度でも見れることができる番組である理由は、作り手のもつ価値観が背景にあるからなのか。
なるほどね。

ローカル局という環境で「温泉」を掘り当てるには何をすればいいか。
いかなる分野でも遭遇する問題だと思う。
そして一般的には「資源がないにもかかわらず、大手と似たようなことをしてしまう」という行動をとる人が多く、そして失敗するわけだ。

そうではないのだな。

読んでよかった。
やっぱり「自分がいいなぁ」と思うものの作り手の発言からは多くを学べる。

2011年11月 1日

期間限定の思想「おじさん」的思考2

内田樹
角川文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

ここにきて文庫本化されたようで、手に取るまで楽しみにしていた。
「おじさん」的思考1はブログのコンピレーションだった。
この本は半分くらいが地方雑誌?に掲載されていたもののようだ。
女子学生が教授と対話することで「おもしろく」哲学的なことを語っているのを読むというもの。
内容は内田樹のブログのようなもので、記事のネタがそもそもブログに記載したもののような感じがする。
でも、面白いし、唸りながら、線を引きながら電車で読んでしまった。

なぜ、運動部では先輩が後輩をしごくのか。
(シゴキに耐えた先輩は尊敬すべき存在だということを、後輩に知らしめるため)

なぜ、一流企業の女子職員は可愛いのか。
(早く社内結婚させて、社員をローン付にし、上司が部下をコントロールできるようにするため)

それが正解なのか不正か、一律に言えるものではないだろうが、多分に上記のような要素は含まれている。
人ってのは「俺は偉いのだ、俺より偉いのは必要ないのだ」ということを無意識に求め行動しているようなものらしい。

誰も語ってはくれないこういう話を読むのがぼくは好きなので、昼ごはんに出かけるときもポケットに忍ばせて、配膳されるまで読んでいた。

2011年10月 1日

嘘みたいな本当の話

高橋源一郎+内田樹(編)
イースト・プレス
お勧め指数 □□□□□ (5)

不思議なこと。
ちょっと聞くと怪談かと思ってしまうような不思議な話。
とくに、時間が前後する(因果関係が敗れる)お話に惹かれる。

この本を読むのは2回で、最初読んだときはあまり期待していなかったのだけど、意外に面白くて一気読みしてしまった。
編集者がすごいのか、本の意図がよいのか。
この手の本で、またよみたいなぁ、と思ったのはこれが初めてではないか。
いや、だれかの話、なんてのがこれほど面白いとは思わなかった。

短いものなら、プロでなくても面白いものを書けるわけだ。
ぼくも文章が上手になりたいとずっと思っているから、こういう事実には勇気づけられる。

はやく続編がでないかな。

2011年8月 6日

おとな二人の午後

五木寛之+塩野七生
世界文化社
お勧め指数 □□□□■ (4)

もうだいぶ昔に読んだ本なのだけど、10月にローマへいくこともあるし、海外移動中の機内では塩野七生さんの本を読むことに決めているので、今回はこれを鞄に入れていった。

おとなという言葉がふさわしいの頃の写真が載っている。
12年前のお姿。
僕が塩野さんに握手していただいたのは3年前かな。
きりりとした人であった。

対談を中心にした本で、内容は「ふむふむ」という感じで「学ぶ」ようなことを扱っているのではなく、おとなの二人がお茶をしながら、あるいは食事をしながら語る内容とはこういうものなのかなと関心したわけである。
ぼくには無理だなぁ。

現在ではすっかりと「出家」してしまったかのような内容を語ってくれる五木寛之さんが、レーシングカーのことをあつく語ったり、イタリアの靴についてご自身の経験を教えてくれるのだが、そこに違和感をもって楽しめた。
こういうもの、金やうんちくばかりだと「スノップ」かあるいは「成金か」となって、決して楽しめるような内容にはならないはずなのだが、そこが大人の二人、自然と聞いてしまえるから不思議だった。
それどころか、おれもイタリアでちゃんとした靴を買おうかなとか、ちゃんとしたスーツやジャケットを買おうかなと思ってしまったのである。
すごい影響力。

いずれの趣味も、先生となる人かあるいは長い時間をかけた試行錯誤がないと身に付かないだろう。
大人になってお金の余裕ができたからお店に行ったら相当なものが購入できる、というわけではない。
ほんとうそういうことを初めるのならば、今からやらないとだめだろう。

すっかりと勉強になってしまった。
さて、と我が身をみる。
ユニクロのジーパン、無印良品の白シャツ、サムソナイトのリュックサックに、サンダルか靴。
こういう出で立ちでずっといる。
ここ10年はそうなんだよなぁ。
日本でも外国でも冬でも夏でもかわらない。

うん、無理だわ。
お金もないしね。

なるほど日本のおじさんはかっこわるいわけだよ。
でも、年を取っていくほど「ちゃんとした服をきなさい」という塩野七生さんの言葉は響いているから、少しずつちゃんとしたものを身につけようかとは思っているのだが・・・。


2011年7月17日

嘘みたいな本当の話

ナショナル・ストーリー・プロジェクト編
イースト・プレス
お勧め指数 □□□□■ (4)

嘘のような本当の話を一般の人から募集し、高橋源一郎さんと内田樹さんが選定した面白い話の本。
値段が1000円ってのは安いなぁと思ったのだが、著者印税がないからなのか。
短くて、それで面白い。
最初どうかなぁと思ったが、数編を立ち読みしたら面白かったのでそのまま購入した。
普段ぼくが買う本には興味を示さない嫁さんも「これ面白いよ」と言ってくれた。
普通の人にも一つくらい、へぇと言わせるような話があるもので、そういうものを掘り出してみたという試みだろう。
確かにちょっと読み難かったり、意味がわからなかったりするようなものがあるけど、それは話の面白さとはあまり関係がない。
次も楽しみにしよう。


2011年7月16日

おおきなカブ、むずかしいアボガド

村上春樹
マガジンハウス
お勧め指数 □□□■■ (3)

エッセイには「なんの足しにもならないような」ことが語られていて、味気ないというより、主張のなさが平和感をだしてくれているような気がする。

連載媒体がアンアンだからということもあるかもしれない。
ただ、読んでて平和感を感じられる本は、たまにでもいいから読んでおくと、すこし自分の生活を立ち止まってみることができるような気がする。

最後の一編は震災後の発行だった。
連載はまだ続いているようだ。
この次の感は震災色がでてくるのかもしれない。
村上春樹さんがどのように震災について書くのか、興味がある。

2011年7月13日

いつも心にクールなギャグを

デーブ・スペクター
幻冬舎
お勧め指数 □□□□■ (4)

震災当初から落ち着きがなく、いつも悪い方向へ事態が行こうすることを恐れていたぼくにとって、ギャグなんて読む余裕はなかった。
ただ、その時期にiPhoneを手に入れ、ツィッターをニュース速報代わりにするようになり、しょうもないツイートが毎日登場するデーブ・スペクターさんのフォロワーになった。
親父ギャグのツイートが日に何度か流れてくる。
それはそれで、ちょっと和むので気に入っていた。

そのツイートが本になったそうである。
タイムラインを遡っていけば全部読める内容なのだろうけど、まとまっていたほうが読みやすい。
1000円超えていたが、確実に楽しめる本だからということで購入した。
もちろん、あっという間に読み終えた。

人の気分はその人の置かれた状況を色濃く反映するもの。
というか、その人の置かれた状況をどのように「理解」しているか、どのように「感じているか」がその人の気分。
気分が塞ぎ、物事が見えなくなると、生き延びる可能性は大分減る。
気分が暗くふさぎ込んだ人に幸福の女神はやってこない。
なんたって「女神」というくらいで「お母さん」ではないのだから。

震災後のデーブ・スペクターさんのツィートは、地味でしょうもないことも多いし、時事問題としての政権批判も多いのだが、考える方向にヨワクを作ってくれていた。
「しょうもない親父ギャグだな」
そう思える瞬間をつくってくれた。

サバイバル時の生き方のコツを一つ教えてもらったようなもので、デーブ・スペクターさんには感謝している。


2011年5月14日

狐狸庵うちあけばなし

遠藤周作
集英社文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

奥さんが中学生のころによく読んでいたという遠藤周作のエッセイを読んでみたくなったので、ブックオフで買ってみた。

女性雑誌に連載されていたもので、なんだかどうでもいいような内容が書かれている。
文章は上手だし、変な主義主張もないし、上から目線の態度もない。
だからすらすらと読めるのだが、それでどの程度の面白のかといわれても。

水のような文章である。
深いではない。
でも、ものたりない。

2011年1月11日

大人の学校卒業編

橋本治+杉浦日向子+中沢新一+養老孟司+天野祐吉
静山社文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

養老孟司さんの名前を見つけた。
講義録である。
テレビ番組での講義を書籍化したもの。
だから一般の人向けによく調整されている。

講師は養老孟司さん、橋本治さん、杉浦日向子さんなどなど。
文庫本だが、結構ぶ厚くお得感がある。
で、こりゃええわと思って読んでみた。

しかし感想は「もうちょっと」。
映像だと面白いのだろうけど、もうちょっと臨場感が欲しいところ。
講師の発言をただ活字にしただけだと、どうもワクワク感がでてこない。
語りおろしや対談であっても臨場感があるものは多いのに。
だから、編集の問題かとも思うが、そのあたりはもうひとつわからない。
ハリーポッターの出版社だから、あまりよくないのだろう。

2010年12月23日

うさぎおいしーフランス人

村上春樹+安西水丸
文藝春秋
お勧め指数 □□□■■ (3)

なんか変な本。
決して不快な気分になるわけではない。
購入して後悔するほどでもない。
遊び心というか、ほのぼのさというか、こころの余裕差があってよろしい。
それでいて子供向きというわけではないんだけど。

馬鹿馬鹿しい駄洒落を言い合っている人がいて、それに合ったかわいらしいイラストをさらさらと書いている人がいる。
そういう感じがする。
笑うというより、楽しい気分がする。

結果的に見て良かったな。
なんか疲れたときにまた読み返すか。
絶望したときとか、この先あるかもしれないし。
 

2010年9月20日

写真への旅

荒木経惟
光文社文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

松丸本舗という特徴のある書店の書棚にぽつんとこの本がおいてあった。
荒木さんの写真集がぞろっとあったが、お財布の関係からこの本にした。
写真の撮り方、などを期待してではなく、どんなむちゃな解説をするのかなという興味である。
中をぱらぱらとめくると、いかにもアラーキーの写真が添えてあり、ちょっと嬉しくなる。
きっと中身ははちゃめちゃなのだろう。

一読して、なるほど。
論理的ではないから、なにかを「説得されよう」とすれば失望するだろう。
しかし、そもそも写真好きの人に、しかも情熱で撮っている人に「言葉で教えてもらおう」なんて期待するほうが間違っている。
これは文字を読むことよりも、キーワードを「どういう口調で、どんな息遣いで」しゃべっているのかを想像しないと、読む意味がないだろう。
もっとも、実際に会ったことはないし、写真についてあれこれ思い悩んだこともない。
それでも、たまに「ピン」とくるのだ。
とくにアラーキーの写真を見て「うーん、いいなぁ」と思ったことがあるから。
そういう写真について解説しているとき、その言葉をまともに解釈するよりも、
「こういう事が言いたいのだろうな」ということが写真から伝わってくるのだ。
本人に確認したことはないから、勘違いかもしれない。
しかし、勘違いであっても、それで何かを学んでしまったわけだから、それでいいではないか。

こういう非論理的な読み方ができれば、この本は面白い。
オッサン的なだじゃれに流れていくことや、文章を読み慣れていない人特有の言い回しがあっても、全く気にならない。
挿し絵の写真を見て、なるほどと思えればいい。

この本の写真で「いいなぁ」と思ったものが一枚あった。
それは、65歳のオジサンが撮った写真らしく、アラーキーは「これはいい」ということで、ピックアップしたものだ。
お世辞抜きで、ぼくもアラーキーの意図がわかったのである。

こういう本をいくら覗いても、写真は上手になれない。
技術的な意味では、勉強する余地は沢山あるが、できれば、「いいなぁ」と観賞できるようなものが撮りたいものだ。
 

2010年9月12日

私の渡世日記

高峰秀子
文春文庫
お勧め指数 □□□□□ (5)

読みごたえのある二冊。
高峰秀子さんの自伝という面と日本映画の流れのスケッチという面がある。
戦前・戦中・戦後の中で、子役から女優業をスタートした人の目に写る日本映画の盛衰を知ることができる。

とはいえ、解説文ではない。
自伝の軸は育ての母親との葛藤であり、物理的、金銭的、精神的な苦労である。
いわば葛藤の記録。
大女優として成功した人の等身大の世界は、なんだか別の世界が広がっていて、世の中不思議なものだと思えてくる。
女優・高峰秀子さんの視点から、ある時代の日本人の生き方を眺めているような気分になる。

どういうわけか最近になって高峰秀子さんのファンになってしまった。
だからDVDや本を漁っている。
ぼくは映画に疎い。
洋画も邦画も見ないできた。
今になって高峰秀子さん出演の映画を集中講義のように勉強するように見ている。
こういうときは、ツタヤの存在にありがたく思う。

アマゾンで「高峰秀子」で検索結果がリストアップされる本の数は多くない。
そのなかでは、この本の評価が一番高い。
女優さんのエッセイというのはどんなものなのか。
文庫本だだから、試しに読むのもいいかな。
というわけで、まずは通勤電車で読んでみる。

文章は平易。
もって回った言い回しがない。
つかれないで読める。
かといって、小学生のようなものではなく、立派な物書きの文章である。
面白くてつかれない。
とってもいい本だと思う。

女優さんなのに、どうしてこういう本が書けるのだろうか。
本書のなかで何度も告白しているが、高峰秀子さんは子役のころから相当忙しく、学校で勉強している時間は殆どなかった。
九九さえあやしいそうである。
そういう状況のまま大人になった。
なのにどうして、こういう簡潔な愉快な文章を、しかもこれほどの量を書けるのだろう。

文章が上手になりたい。
そう思って、わずかだが努力している一人であるぼくからすれば、たいへんな希望的存在である。
読書経験が浅く、物書きの訓練時間が少なくとも上手な文章が書けるという証拠なのだ。

よし、ぼくの努力も無駄ではないかも。
そう思っていた矢先、その理由がわかってしまった。
確かに学校に行く時間は少なかったのかもしれないが、そのかわりにやっていたことは、役者だった。
役者って、セリフを覚えてしゃべる。
その量は半端ではない。
演じる作品が文学的ならば、覚えるセリフだって日本語としてよいものだろう。
そういう言葉を大量に暗唱するわけだ。
となれば、日本語の練習量は半端じゃないことになる。
文章を書く経験は少なくとも、日本語自体は達人だったということだ。
ならば文章のコツを獲得すれば、短期間でいろいろなものを書けるようになるのかもしれない。
そうだよなぁ。

人生として成功する反面があれば、楽しい生活から遠くなることもある。
人の一生でうまくできるのかもしれない。
 

2010年4月28日

日出る国の工場

村上春樹+安西水丸
新潮文庫
お勧め指数 □□□■■ (3)

 なんだか不思議な本だった。村上春樹さんが社会見学をして、そこで知ったことなり感想なりをつづるという本で、読んでも得にも損にもならない行動記録ような記がする。つまらないわけではない。消しゴムやデザイナー・ブランドの服がどういうところで創られていくのかを初めて知ったから、僕にといっては面白かったけれど、興味がない人にはさっぱりかもしれない。

 すでに社会にシステムとして確立しているものは、商品を社会に安定して供給できるような仕組みがある。それは人体模型の工場でもそうだし、結婚式場のサービスもそう。お客さんという立場からみると「商品」という完成形しか見る事ができない。だから、なんだかしらないが「そういうものがある」ということに不思議さを感じないでいる。しかし、それを生み出す側に回ってみる、誰かが「作っている」という事実を知ることが出来る。逆に言えば、この人たちが付く慣れなければ消えてなくなってしまう、ということなのだ。どんなものでも誰かが作っているということに気づく。魚が切り身の形で泳いでいると思っていることどもをバカにすることは、社会全体でみると果たして可能なのか。もやは誰も全体を認識しているわけではない、ということに気づく良いきっかけになる本だろうと思う。

2010年4月14日

五反田駅はなぜあんなに高いところにあるのか

長谷川裕
草思社
お勧め指数 □□□■■ (3)

 鉄道にはあまり興味がないぼくでも、へぇという気分をのせながら一気読みしてしまった一冊。知識にかたよらず、懐かしさに頼らず、それでいて「いい感じ」のする読み物があるとしたら、この方が筆頭に挙げられる。

 挿し絵もよい。永沢まことさんのお弟子さんかな、という感じの絵である。

2010年3月20日

裏切りの流儀

高田純次+茂木健一郎
青山出版社
お勧め指数 □□□□■ (4)

 高田純次さんが好きなので、正直期待をしないけど買ってみた。フォントは大きいし行間は広いしで、なんとも損な感じがする本だけど、仕方ない、と諦めて買った。価格が1000円していないのがせめてもの良心なのだろう。

 一回の対談で、表紙の写真撮影までやったのだろう。実に経済的な出版行為である。茂木健一郎さんにかかれば、売れる本になってしまうのだから驚きである。

 じゃぁ内容が悪かったのかと言われると、ビックリするほど良くはないけど、損したと思うほど悪くもない、というところ。いいなぁと思ったのは「高田純次さんの発言の意外さ」で、表題通り「予想とちょっと違う」ところにあった。その発言には、高田純次さんが役者と生きてきて、役者として考えていたことや、横尾忠則好きのアートについての発言などがあり、いわゆる普通のオジサントークで、ちっとも「インチキさ」がうかがえない。そこが「面白い」わけである。

 ぼくの印象に残った高田純次さんの発言はこういうものだった。

 高田 ただね、結果はどうであっても、とりあえず頂点に向かっていかないとだめだとは思っていたんですよ。事業仕分けの連坊さんが「スーパーコンピューターはどうして世界一位じゃなくちゃいけないんですか」と質問していましたよね。あれ、僕は答えられますよ。「一位を目指さないと二位にはなれないからだよ」って。

 この本に期待していなかったのはホントだけど、こんな一言に出会えたのは拾い物だった。この本の白眉だ。というか、これまで高田純次さんの本で読んだものなかでも白眉なコメントだろう。

 物をつくる人(芝居も含む)がそういうことを当然のごとく言えないって、本気で生きていないことの証明なんじゃないかと思う。ぼくはこれから先いろんなことを提案し行動し続けるつもりだけど、世界一を目指すと必ず言うことにした。だって、その理由は、この高田純次さんの一言に尽くされているもの。勉強になった、ホント。

2010年2月19日

Cello Love

石川敦子
パレード
お勧め指数 □□□□■ (4)

 アマゾンのお勧めということでプッシュされた本。なんな気になったのでそのままクリックして買ってしまった。いかん、年収の10%以上をアマゾンに吸われつつある自分に若干の嫌悪感を感じてしまった。

 大分前に『ネバー・ツー・レイト』という本を買った。その関係からお勧めが来たのだ。その本では、オジサンが一念発起してチェロを始める過程が綴られており、それを読んだ時期にぼくもオジサンになってからチェロを弾きはじめたという事情があり、読んでいた。まぁ、あまり良い本ではなかったのだけど。

 この本の著者はニューヨークでバリバリ働く30代女性がヨー・ヨー・マの演奏に感激してチェロを習いはじめるという話である。見つけた先生が良い方で、毎週の練習が楽しくて楽しくてしかない。毎夜の練習がとれないこともあり、会社にチェロを持ち込んで空き会議室で練習するという熱の入れよう。だからだろう、初めて7ヶ月目で市民オーケストラに入ったり、アマチュア対象のチェロ合宿に参加するためイタリアへ行ったりとバイタリティー溢れる女性の奮闘記である。嫌なことは何一つふれられておらず、あったとしてもすべて「不安」に置換えられ、それら最後に驚きへ昇華されている。

 こういう女性象は、ある種の女性のからはみれば完璧であり、ロールモデルであろう。そういう人が好きか嫌いかは別として、この本はほぼ一気読みだった。

 が、正直途中から引いてしまった。ごく普通の人が感動してチェロを始めた、という話だと思って読んでいたが、石川敦子さんは働きバチたる普通のの人ではない。「スマート」な人である。一市井のオジサンたるぼくとはそもそもからして違う世界の人なんだよね。ニューヨークでばりばりと働くという設定からして珍しい(でもないかもしれないけど)。

 だいたいにおいて、オジサンになってからチェロを始めるというのは、毎日の生活に満たされないものがあるからであって、しかも「働き盛り」のはずに練習時間がとれるんだから、要するにコースアウトしているということなんだよなぁと思うのである。まぁ、そうではない人もたくさんいるんだろうけど。

 ダメ人間が成長し何かを成し遂げるという形であれば、それはある種のおとぎ話の型だし、それはそれで面白いだろう。ただし、実際にはそんなうまい話はない。

 石川敦子さんのように、そもそもできる人がやっぱりできるんだよねという話の面白さは、自分がどの世界に属しているのかで変わってくる。ぼくのように、音符も読めないところからスタートした人にはそもそもからして参考になるところは少ないのが現実。単に、音楽好きの人はこういう生活するんんだなぁと知るだけで終わる。なるほどねぇ、というため息と一緒に。

 途中から気なったのは文章である。最初はとくに気にしないで読んでいたけれど、途中から言葉のリズムにどこか定型的なところが気になりはじめた。章の長さがまちまちだったから、これってブログかなぁと気がついた。なるほど読みやすく編集されてるが、プロの文章ではない。というか、市井の人の上手な文章とプロとはやっぱり壁のようなものがあることを初めて体感した。とはいえ、この文章はとても読みやすいので悪口ではない。ただ、気がついちゃったことを述べたまでである。

 この本を読み終えた翌日、チェロのレッスンへと通う。ため息がでる「下手くそさ」である。がんばってもできんやつって、いるんだよね。もっともそういう話は、「それは世間によくある話」だから、あらためて言うまでもないけど。

2010年1月 3日

ローマで語る

塩野七生+アントニオ・シモーネ
集英社インターナショナル
お勧め指数 □□□■■ (3)

 塩野七生さんの読者ならば、息子さんはどんなひとなんだろうと興味を持つはずである。塩野七生さんのエッセイには、午前中や執筆に専念し、午後は子供の面倒をみるというような生活の一端が語られていた。また、あれだけ「頬に縦じわの入った男」に女性なのだから、自分の息子をそのような人にしたいと思うのではないかと想像してしまう。厳しい母親なのか甘い母親なのかはわからないが、どっちにしても「普通の人」にはならないのではないか。

 この本は塩野さんとその息子さんの映画にまつわる対談である。内容は映画についての話だから、ぼくのような映画をあまり見ない人にはピンとこないことが多い。ただ、雑誌の連載になった対談だから、毎回読み切りで、しかも門外漢の人もついてこられるよう最低限の配慮はなされている。詳しい脚注があったりする。だからだろう、なるほどなぁと感じであっさりと読んだ。

 著者略歴のところに写真が載っている。アントニオさんの写真から判断するに、ちょっと優しい感じの人のようで、厳しさというものはあまり感じられない。母親がスゴイ人だと息子さんはやさしい人になるのかもしれない。しょうがないなぁという感じで、母親の面倒をみるような。まぁ、想像通りといえば想像通りであるが。
 

2009年11月17日

しがみつかない生き方

香山リカ
幻冬舎新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

 <勝間和代を目指さない>。この本の帯にそうあって、それを見たら書店で笑ってしまった。幸い人がまばらだからよかったが、しかし面白い帯だ。

 タイトルから内容を想像するに、もっと気楽に生きたらいいんじゃないんですかねぇというものだろう。日々の生活にでも気づけば結構楽しいことはいろいろありますよ。そういう精神科医の先生からの忠告のような本であろう。ぼくにはとりあえず必要ない本である。というのは、ぼくは仕事が忙しすぎるわけでもないし、つまらないわけでもないし、借金もないし、家族と問題なく暮らしているから。この本の結論にありそうな、「普通の幸せ」のまっただ中にいると思っている。

 そういう日々の生活にいてもときどき「勝間和代さんを目指さないと行かんのかなぁ」と思うときがあり、漠然とした不安を感じることもある。ぼくの仕事場には勝間本を読んでいそうな人も結構いる。ぼくはそんな人たちと勝負なんぞしていられんとばかりに、大きく方向転換してしまっているので、まぁ気楽な生活なのである。だからぼやっとした不安は、「とはいっても、まぁ普通の生活でいいでしょ」と開き直ることで頭から消えてしまっていた。

 この本でのテーマは、「普通の幸せ」というものを求めることが意外に難しいというものである。世間ではそういう状況になっているようだ。日本にもいろんな人がいるから、「日本人論」とまではいかない。テレビでも書籍でも「リーダーを目指せ」「勝ち組になれ」といったメッセージは溢れている。そんな社会に浸かっていると、リーダになれないならば人の価値は小さいといったような考え方する人は日本にも増えたのかも知れない。

 ちょっと考えてみればすぐにわかる。とんでもなくスゴイ人を目指すことを否定しないけど、とんでもなくスゴイ人というのは数人しかないのだ。勝間和代さんを目指す人は大勢いても、勝間和代さんレベルに達する事ができるのは数人だろう。ところが社会には数百万から数千万という人がいる。要するに、宝くじをどう考えるかと同じ問題のような気がする。みんな目指せば目指すほど挫折する人が増えることになる。社会にとって、それは良い事なのだろうか。

 この本での二番目のメッセージは、「努力は報われる」という信憑についてである。この言葉は「そうだといいよなぁ」という希望であり、昔ッから、人類史と同じくらい昔ッからある、とぼくは思っている。努力しても報われないからこそ、宗教なんてのが生まれるのだと思っている。がんばった人が報われるといいけど、実際はそうじゃない。それが社会なんだよね。この本はそう注意してくれている。

 この注意は別に目新しいものではない。しかし、不思議とこの注意をみな無視する。オリンピックの金メダル選手のような人が、優勝したあとで自分のこれまでを振り返って語るとき自分を物語の主人公にしてしまう衝動にかられるのだろう、「努力すれば報われる」と言い続けるのをよく目にする。そして、それがよい話になっていく。

 しかし、実際問題として、同じような努力をしてもうまくいかなかった人はたくさんいる。金メダルを取った人より努力したけれど、いろんな事情でうまくいかなかった人はたくさんいる。そもそも、スタートラインにすらたてなかった人もいる。そういう人の存在はすべて無視され、うまくいかなかった人は努力が足りなかったと断罪されておわるのである。

 著者がとりあげたことについては、不思議とぼくも同じような意見に着地していた。それは決して「人生を諦めた」という意味ではない。なにをどうやろうとも、人は死ぬんだよなぁとしみじみ考えていると、普通に今生きていられる事がとても幸せに思えるようになった。だから、幸せを得るためにがんばる、ということをしなくなった。ぼくにとってまぁまぁの生活。そんなものを目指すようになったのだ。そういう態度だと少し不安だったのだが、まぁこれもありなんだなと思うようになった。

 日々の生活をとくに楽しめるようになった。そのために自分なりに結論したことは、この本の結論とあまり変わらない。ただし、非常に上手に分かりやすい言葉で語られている。言葉の世界で生きている人は凄いなと思う。
 

2009年9月11日

セレンディピティの時代

茂木健一郎
講談社文庫
お勧め指数 □□■■■ (2)
購入店 BOOKS SAGA 長津田

 通勤の乗り換え駅のコンコースにあった書店でこの本が平積みされているのを見かけた。乗り換え電車までの時間が一分なかったので、これでいいやと思いこの本を購入した。本の装幀、挿し絵は劣悪なもので、普段のぼくならば書店で見かけても買うことはないだろう。ただ、巻末に「文庫オリジナルです」という一文があり、それならばいいかと判断した。最近の茂木健一郎さんはスゴイ活躍をされており、十分に考える時間もないのだろう。さっぱりと良い本が出なくなった。適当な雑誌の連載コラムを集めた新書などもう買うまいと思っているが、書き下ろしならば書きたい内容があるのだろう。締切りのためにやっているわけではないだろうし。面白いかもしれないと期待したのである。

 この本は少年少女向けの自己啓発書である。タイトルからして内容はセレンディプティーについてであり、偶然を許容しよう、偶然を活かそう、自分を変えていこうというような内容である。一応どの読者層にも当てはまるような配慮はされているが、茂木健一郎さんの著作が好きな人でないと受け入れれない本だと思う。茂木健一郎さんの博学(科学、文学、歴史などなど)権威を上手につかった説教なので。セレンディプティーそのものの面白さを解説するような内容ではない。茂木健一郎さんらしい脳科学(ドーパミンだの、偶有性だの)の味付けがしてあるが、それが効果を発揮しているとは言い難い。正直がっかりした。

 茂木健一郎さんの能力(短期間に出版に耐える文章をどんどん書くことができる技術)はスゴイと思うし、大学での研究も普通にやっているのだから立派な研究者であることに疑いはない。科学をベースに多くの分野についての発言ができる人で、一風変わった風貌もマスコミから好かれる理由なのだと思う。しかし、最近は本当に書くものが「つまらなく」なってしまって残念である。茂木健一郎さんの書籍を買うのならば、四年以上前のものか、その時代の内容が再編集されて出版されたものでないと必ず失敗する。同じようなことを言っているからマスコミにもそのうち飽きられるであろう。マスコミに登場しなくなってからの新刊を待つほうがいいのかもしれない。


2009年6月 3日

ブルー・アイランド氏の クラシック質問帖

東京書籍
青島広志
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 三省堂本店

 表紙を見て買ってしまった。このオジサン、何度かテレビで見たことがある。早口なのに論旨は明解で、ともすれば難解にしゃべることが知性があることに勘違いしている解説者が多い文化教養評論家にもかかわらず、語彙も平易なものを使ってくれる。だから「わかりやすい」ので好きなのだ。

 音楽の解説というと、カッコつけたオッサンが知的っぽさを振りまくような物言いが普通なのに。どうして門外漢の人にはさっぱりのことを言うのだろうなといつも音楽番組の解説者を見て思っていたものだ。NHKなどその典型。それじゃぁ普通の人がクラシックに近寄り難く感じるのもむりないよ。

 一方で、このオジサンは逆。偉ぶるところなどない。自分が理解したものを明晰に順序よく語ってくれる。だから、あれ、ぼくにわかりそう、という印象を与えてくれるのだ。なるほど民放の番組でよく登場するのも頷ける。

 内容は普通の人がクラシック音楽に対して抱くであろうことをQ&A形式で列挙している本である。クラシックのコンサートに行くときにの洋服はどんなものを着ればいいのかといった具体的なものから始まっている。そういうことは「本質でない」という人もいるかもしれないけど、いざ自分で行動を起こすときにはこういう「つまらないことが障害となるのだ。そのことを著者はわかっているのだ。普通の人向けの音楽の本なんだな、とうれしくなる構成である。

 本文にはイラストがたくさん入っている。それらはすべて著者のものらしい。オジサンなのにこんなマンガを書くのか。見ているとこちらが恥ずかしくなるような稚拙さや嫌な感じがない。自分で書いた記事に自分でイラストをつけるのが好きなのだろう。趣味ではじめたことでも長いこと続けているとかなりの腕前になるということだ。へぇ、ぼくもやってみようかなと思ってしまう。

 クラシックを今の社会で盛んにするには、大勢の人にコンサートへ来てもらうことがまず必要である。マニアの数は限られているので、普通人を呼び込まなければならない。音楽といえば歌謡曲という普通の人たちにクラシックへ関心を持ってもらうには、普通の人に語りかける言葉を使える人が必要である。「おれは偉い」とか「教養」といったことを言外に述べるような人ではなだめだ。普通の人が疎外感を感じそうなところを取っ払うことにこの本は成功している。

 講義でなく質疑応答形式でも本は成立するのだ。ぼくですら飽きないで最後まで読み通せたのだから、退屈しな本だということだ。こういう方法は音楽以外の分野にも適用可能だろう。問題は、その分野にこういう人がいるかどうか。古典文学にもいないかしら。


2008年9月16日

映画の構造分析

内田樹
晶文社
お勧め指数 □□□□■ (4)
購入店 amazon.co.jp

 映画論ではなく、映画を題材として現代思想を語るというお話である。お話というところがよい。

 物語を語るな、ということは、知ることも、批評することも、コミュニケーションすることも、すべてを断念せよということです。(P19)

 そういえば、あらゆることで「わかった」という事柄は「筋」をもっているような気がする。理解できたことは、「お話としてたとえ話をつかって説明できる」ことであるような気もする。

 「意味のある」断片を組み合わせて、「意味の通る」文脈を作り上げるのではありません。逆です。文脈が決まらない限り、断片は「無意味」なままなのです。まず「物語」の大枠が決まって、その後に現実的細部を帯びるようになるのです。「知る」ということは、それまで意味のわからなかった断片の「意味のが分かる」ということです。そして「意味が分かる」ということは要するに「ある物語の文脈の中に修まった」ということです。
 「知る」とは「物語る」ことです。物語抜きの知は存在しません。

 ああぁ、そうだったのか。いや、そうだよね。よく断言してくれました。そうかぁ、やっぱりそれでよかったのか。物語に変換出来た時点で「理解しちゃったもんね」となるのか。だから、人は物語を聞きたがるのかもしれない。

 そういえば、子供の頃、本を読むことが勉強することだと思っていた。小説を読んで勉強になるのだろうかという疑問はもたなかった。物語というものをたくさん自分に入れていくことで、また、物語が物語として面白かったりつまらなかったりするというバリエーションを知ることで、何かを理解したときの疑似体験にはなったのかもしれない。

 この本は映画をテーマにしている。それからいえば本筋の、あの場面はあのメタファー、みたいな説明って面白くなかった。「気づかなかったかもしれないけど、実はそうなんだよね」という説明はあとあと聞くと感心する。ブライアン・キーのCMの説明みたいなものだ。

 しかし、そういうのって製作再度の技術のような気がする。「なぜこの映画は面白いのだろう」という解説ならばありだと思うけど、あることに興味をもったとして、その理由を解説されると興ざめないか。面白いものを面白いという印象をもったまま生きていたほうがいいんじゃないかとも思ったりする。
 

2008年6月13日

コンスタンティノーブルの渡し守

塩野七生+司修
ポプラ社 1200円
お勧め指数 □□□■■ (3)
購入店 八重洲ブックセンター

 新刊の棚にでていて、おおと思った。ぼくにとっては幻の一冊。この存在はずっと知っていて、入手したいなぁと思っていたが、できないでいた。塩野七生の本は出せばうれるから、絵本や児童書の出版社であるポプラ社(よく知らないが、小学校のときにポプラ社の本をよく読んだ)が再版してくれた。ありがたい。

 絵本である。内容は恋物語で、どちらかというと寂しいものである。まぁ、塩野七生らしい妄想なのだが、果たして当初の読者は誰を狙ったものなんだろうか??? 若干、対応に困りそうな本で、土地ラかといえばコレクターアイテムなのかと思う。


2007年12月11日

走ることについて語るときに僕の語ること

村上春樹
文藝春秋 1492円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 タイトルどおり。健康を気にしてジョギングをするアメリカ人は嫌いなのだが、生活のバランスをとるために体を動かすという意味ならば気にならない。気にならないどころか、「やってみようかな」と思い浮かんでしまう。こういう本、好きです。

 走るときに何を考えるのかといえば、たいして考えない。我が身の記憶では、それどころじゃない、苦しいというものだ。走り慣れている人は違っているのだろうと思ったが、以外にそうでもないようだ。違うところは、走り慣れている人は文字通り習慣として走っているということ。楽に走っているのではないのか。

 生活に充分な余裕があるからだろう、ハワイに一月滞在し、そこで朝走るという生活が紹介されている。暑い日に走り、汗をかき、そして冷たいビールを飲む。健康的な人が主人公の話があるのかどうか、私は村上春樹の小説はあまりよんでいないのでわからないが、そんなに小説とちがっていない実生活を持っているのだろう。ちょっと、いいなぁと感じる。

 山場があるわけでも、読者に走ることを進めているわけではないのだが、なんだか自分も「毎日」走るという習慣を身に付けたくなった。毎朝3キロほど走っていた時期が自分にもあったが、それは20歳くらいのときだ。あれから体重は30キロくらい増えている。体力の衰えも著しい。しかし、歩くことから始めてみるのも悪くないような気がする。そうおもって、早速ユニクロでジャージ類を購入してしまった。

 そういう人が結構多いのだろうか。この本は発売してまだ間がないのだがもう5版になっている。これをきっかけに走り始める人って、結構多いんだろうな。だから、ユニクロのLサイズの運動着がことごとく売り切れになっているのかもしれない。

2007年5月 4日

適当論

高田純次
ソフトバンク新書 700円
お勧め指数 □□■■■ (2)

 テキトーに作ってある本だなぁ(笑)。本人が本を出そうなんて思っていないけど、テレビ番組のように企画したスタッフがいたんでしょうね。本人のおしゃべりで一冊新書は難しいから、和田秀樹との対談(というか、カウンセリング?)なんか入れて、過去の本から適当にダイジェストを入れて、最後に本人についての語りを入れて、いっちょあがり。コンなのありかよ。本の出だしは”いかにも高田純次らしい”コメントがかかれていて、高田純次が好きな私は買っちゃおうと判断したのだけど、失敗だよなぁ。この企画者にやられた。

 今、新書ブームということだからやたら新書が出版されているけど、ビックりするほど質はまちまち。新書を読むという行為は二十年まえなら「勉強する」「1トピックの知識を得る」というものだったけど、今は雑誌程度のものばかりだもんなぁ。エンタメ本を読むのと対してかわらん、心底思っていれば「新書ならば買う」というクセから抜け出せるのに。困ったものである。

2006年7月 7日

女には向かない職業2

いしいひさいち
東京創元社 600円
お勧め指数 □□□■■ (3)

 女性ミステリー作家の日常を漫画にしたものです。小学校の先生をやめて作家になったという設定。1巻が面白かったので、2巻も読んでみました。高村薫さんのような人がでてきて、「作家ってのは、えらく不健康な商売だなぁ」と思ってしまいます。自堕落な生活。ちょっとオーバーなのでしょうけど、当たらずとも遠からずのようなところがあるのだと思います。

 しかし、苦しんで(というか、疲弊して)小説を書いていて、楽しいのでしょうか? 会社員とは違うのだから、自分のなかから発生する動機が強い人がなる職業の人は、みんな人生をエンジョイしていると想像するのは錯覚なのでしょうか。こういうイメージを作家にもってしまうと、ミステリーって読みたくなくなるんですよね。まぁ、どうでもいいことですけど。

2006年6月 6日

女には向かない職業

いしいひさいち
東京創元社: 560円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 いしいひさいちの漫画である。何気なく立ち読みしたのだが、地味に面白かったので買ってしまった。「がんばれタブチくん」を思い出す。この漫画の主人公はミステリー作家の女性である。モデルがいるのだろうか。高村薫や宮部みゆきと同じラインの作家ということにしているようである。私は詳しくは知らない。だらしない生活を送っているが、小説はばりばりこなすという小説家、キャラとしてはなんどか見かけるのだが、ほんとうに存在しているのかね、こんなタイプの人。私はしらないけど。

2006年5月 2日

水族館の通になる

中村元
祥伝社新書: 750円
お勧め指数: □□□■■ (3)

水族館に対する素朴な疑問に答えている本。読みやすくて、ユーモアがある。日常生活にはトリビア的な内容ではあるのだが、飲み屋でいろんな話しを聞いたような、ちょっと得した感じがする本である。普段聞くことができない話しを通勤電車で読んでしまえる文章で読めるのでありがたい。

 最近は大きな水槽が増えた。あれはガラスではなくアクリルだそうだ。割れることは絶対にない。あの阪神淡路の震災でもっとも被害をうけた地域にあった水族館でも水槽は壊れなかったそうだ。ただ、配管系がこわたので水は漏れたそうだが。なるほど、それならば私も行ってみようかな。そんな気分にさせてくれる。

 裏話というほどではなくとも、ある専門化した仕事の常識というのは普通の人にとったら非常識なものばかりになる。そういうのって、役に立たないのだけど面白い。なまじ役に立つという知識は遊び後頃がなくなるのでつまらなくなるのかもしれない。そんな感想を持った。

2006年2月 6日

爆笑問題のハインリッヒの法則

爆笑問題
祥伝社黄金文庫: 562円
お勧め指数: □■■■■ (1)

 ぱらぱらと立ち読みしたら、ちょっぴり笑ってしまった。隣で本を探していた女の人がサッと離れてった。まぁ、いいじゃないか、面白かったんだから。そんな気分になる本である。

 しかし、購入は勧めない。ちょっと、「薄い」気がする。TVの喋り(とくに、「検索ちゃん」)の方が濃厚な気がするので、読後感は「ちょっとなぁ」であろう。私の場合は衝動買いだから、まぁ、仕方ないや、である。

 ハインリッヒの法則は、リスク管理の話題で耳にする。ただし、現象はある確率で現実化する、ということを認めるのならば、自明な気もする。300:29:1という細かい数値はべつにして、100:10:1という比率だと思えば特段不思議な気分はしないものだと思う。ただ、それを、「ネタ」に読み替えて普段の生活に笑いを探すための道具にするあたりは、太田さんのさえですね。


2006年1月28日

ラミーのすべて

「ラミーのすべて」製作プロジェクト
LOCOMOTION Pub: 1500円
お勧め指数: □□□■■ (3)

万年筆を買おうと思い伊東屋へ行った。ペンがずらっとならんだショーケースを見ていた。如何にも万年筆という形態で、しかも高いペンばかり並んでいる中、簡素なデザインのペンに気がついた。それが、ラミーの製品だった。文具に興味がない人でも、ラミーのペンは他のペンから見分けがつくと思います。デコレーションがあまりない簡素なつくり。メタルと黒、ヘアライン仕上げ。触ってみると「精度追及の結果からでたドイツ製品」という感じが伝わってきます。そんなラミー製品についてのカタログとラミー本社の訪問記、社長へのインタビュー記事でまとめられた小雑誌です。

 何らかの雑誌の記事を一冊にまとめた感じはしません。本の構成はシンプルなので、考えないで読めます。ちょっとしたカタログを兼ねているので、ペンを買う前に見ておくといいでしょうか。私は各ペンのリフィルの型番まで覚えてしまった。午後の紅茶を飲むときのお友にいいと思います。

2006年1月27日

やっぱり欲しい文房具

土橋正
技術評論社: 1580円
お勧め指数: □□□■■ (3)

 文房具を紹介する本。この手の本は、万年筆とノートについて語るものが多いが、この本は一般的な文具をあっさりと示す程度なので、趣味人でなくても愉しめるでしょう。ロディアやモレスキンといったちょっと大きめの文具店ならば扱っているノート、トンボやラミーのペンについての簡単な紹介なので、いいなぁと思ったら購入しに出かけよう。バカ高のものはないので、2回くらい夕飯を地味にすれば手に入れられるものばかりです。

 わたしも文具が好きです。この本を読んでから、伊東屋・丸善を回ってみました。高いものではないですが、ペンを買って幸せな気分になってしまいました。ちょっとした、休日の過ごし方です。


2005年11月28日

目玉の学校

赤瀬川原平
ちくまプリマー新書: 700円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 「路上観察学会」の人。視点が面白い。けど、だからなんだ、という気になる物でもある。新書だし、この人の見方のエッセンスでも知ることができるかなぁと思って買ってみた。内容は、過去を振り返ってというようなエッセイ?で、なるほど、という感想を持った。が、これも高いなぁ。ただし、この本で紹介されていた「ステレオ写真」はちょっと気になったので、本を購入してみます。

2005年11月27日

四国はどこまで入れ換え可能か

佐藤雅彦
新潮文庫: 590円
お勧め指数: □□■■■ (2)

 佐藤さんの思いつきは面白い。ほんわかしたところがあるマンガも。この本はレジ前で平積みになっているので手に取った。表題の発送がおもろいじゃない。四国と北海道を入れ替えたマンガがある。こういう発想は私にはできないなぁと思い、買ってしまった。内容は、ようするにマンガでしたが、まぁ、悪い物ではない。ただし、高いかなぁと思ったが。