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女の中にいる他人

成瀬巳喜男
東宝ビデオ[DVD]
お勧め指数 □□□□■ (4)

近所のツタヤで毎週成瀬巳喜男作品を借りている。
どうやらぼくの外に同じように定期的に全部見たおそうとしている人がいるらしく、次に見たいものが借り出し中になっているときが多い。
なんだか仲間意識をもってしまう。
おお、この人は浮雲まで行ったか、とか。
これを借りたときも高峰秀子作品が見当たらず、これはサスペンスだということで気が乗らなかったが借りてみた。

もうひとつだった。
舞台になる時代が「大分こっちがわ」に寄ってきた感があり、こんな風景ならば見た事があるよ、といいたい感じがした。
街の風景や部屋の感じに大分見覚えがある感がでてきた。
なので、昔の映画を観ている気がもうひとつしない。

それと、サスペンスというのもいただけない。
推理小説やミステリーをそれなりに見ているので、その手の技巧はいろいろ頭に入ってしまっている。
トリック的なものは積み重ねで進化していくから、現代人ほどいろいろ知っているようである。
だから、「全部読めちゃう」という問題がある。
伏線を貼っているところがバレバレ感があって、ストーリーはもうひとつだった。

ただし、この映画にはずばぬけていいところがある。
画面の作り方だ。
白黒ならではの光と陰、人の表情。
「この映像はアートだな」というシーンがいくつもあった。
手前の人の顔を陰にし、奥の女性の顔に光をあてるとか。
顔の輪郭をシルエットでだすとか。
そういう画面の作り方に感心してしまうし、見てて飽きない感がある。

能面のようなキレイさと怖さをたたえた表情をする新珠三千代に魅かれる。
高峰秀子好きのぼくからすると大分違う感じなのだが、それでもキレイな人だ。
でも、男性の方がよくわからない。
なんで主役が小林桂樹なのか。
せっかくだからカッコいい人のほうがいいのに。
役者としては一流だし、まじめな人柄であることを一見してわからせる必要があるからというキャスティングなのか。
新珠三千代とは釣り合いが悪いと思うが・・・(失礼だけど)。

この作品は昭和四十一年だそうだ。
なるほど、日本映画は下降しているなとわかった。
これまでみてきた作品よりも明らかによくない。
劇中にもテレビドラマがでていたけど、映画そのものが落ち目に入ったことがよくわかった。
知識ではなく、体感できた。
『乱れる』が作られたのはこの二年前でしかないのに、どうしてなんだろう。
一体何があったのだろう。
どうして、日本映画が下ってきたのだろう。

まだ数本しか見ていないのに、日本映画の盛衰を感じてしまった。
ぼくは30年代一杯までの映画が好きなんだとわかった。

まだ借りられる成瀬映画はあるから、そのあたりを考えながら見ていくと面白いかもしれない。