正直、勉強しました

 大学入試にはずいぶんと長く付き合いました。2浪ですよ。もっとも、実際に受験した大学数は全部で2校です。いろんなところを受けまくって全部落ちてしまったら精神的に立ち直れなかったでしょけど、ぼくはすべり止めなるものを考えませんでした。長い受験生時代の後期には、好きなものだけ勉強した感があります。おまけにその年代になって初めて「本を読む」という悪いクセがついたので、逆説的ですが実に実り多き時期となりました。

 その反動だと思いますが、大学1年目はろくに勉強しなかった。だから成績は悪く、そのまま進級すると希望する学科へ行けないことが明らかだったのであえて一留しました。今考えればスゴイ判断です。留年といってもあらかた単位は取得してあり、必修科目の成績を上げることだけに専念すればよかっただけなので、暗い気持ちにはなりませんでした。むしろヒマだったので、ずっとアルバイトをしていました。ソフトハウスで正社員並に働いたのです。おかげで「勉強しないで社会にでるとどうなるのか」を目の当たりにできましたし、当時のMacが買えるほど貯金ができました。これまた逆説的ですが、留年のメリットは劇的に大きかった。

 残りの大学生活は正直勉強しました。本当に勉強しました。というのは、もう同級生のような人とは話が合わないくらい年齢が上でしたからね。いつも一人でした。ただ、それだけやっても世の中にあまたいる賢い人に成績では勝てませんでした。なんとも。それでも一桁の順位をキープできたことはラッキーだったと思っています。まずまずの学部生ということで、勉強自体に対するコンプレックスはなくなりました。

ぼくが行こうとしたところに道が開けて、ちょっと驚きました

 今でも不思議に思います。学部4年生になり研究室に所属をする段階になって、ある一人の先生が学科に赴任してきたのです。その先生は宇宙工学を教えるために着任されたのでした。当時ぼくは人工衛星を作る仕事をしたいと思っていましたので、迷わずその研究室を希望したのです。まるでぼくのためにできた研究室じゃないか。そう思っていました。だって、2浪1留しないと物理的に所属できませんでしたからね。

 その研究室、当然競争率は高かった。しかしぼくは成績は良かったですし、そもそも宇宙開発で働くと子供の頃から思っていましたので、他の人に負ける気はしませんでした。本当に。研究室所属の決定は、最後はじゃんけんでした。結局その研究室に所属することができました。とはいえ、宇宙開発の研究というのは何をやるのかさっぱり知りませんでしたが。

 とにかく勉強してNASAに行きたいというナイーブな就職感しかもっていませんでした。既に2浪1留だっため学部・修士卒であっても企業は相手にしてくれません。でも、そのことはあまり気になりませんでした。NASAに行くにはと博士へ進み、研究らしきことすること決めていたので。ちょうどこの時期、衛星設計コンテストというものが始まり、研究室の3人で応募したのですが、それが設計部門で優勝をとりました。また、翌年のコンテストもお手伝いで参加し、アイデア部門で優勝しました。ということで、自宅には優勝の賞状が2枚飾ってあります。

 2浪1留しなかったら、ぼくは宇宙開発の分野へ就職できなかったはずです。しかし幸運なことに、先生が天から降ってきた。これが今でも不思議です。だからでしょう、「意志あるところに道は開ける」という格言が頭にこびりついて。なぜか知らねど世の中はそうなっちょる、っていると信じるようになりました。いまでもそう思っています。

勉強から研究へ

 小型衛星の姿勢運動についてを修士論文として研究しました。学部から修士の時期、運動方程式を数値積分することでいろいろな物体の運動を調べていくことに興味がありました。当時高価で珍しかったワークステーションを使ってプログラムを書き、それでデータをとって論文を書いていく。この一連の作業に魅力を感じてました。想像するだけで「かっこいいかも」という気分で一杯で、楽しかった。

 当時のぼくには、ワークステーションでUNIXを使うことに憧れがありました。ある種のオタクだったのかもしれないですが、そもそも先生も助手の人も満足にUnixを使うことはできませんでしたから、かなり「優秀」に見られていた見たいです。そんなの学問と関係ないんですけどね。でも、コンピュータを使ってプログラムを書くという活動そものは「立派な学術研究である」と大学から保証されていたようなもので、なんの引け目も疑問も感じず計算機を使っていられました。

 そんなことをずっとやっているうちに衛星の姿勢運動についていろいろと勉強ができ、プログラムを書いていたので比較的早く論文ができ、なんとか修士課程は1年で終了させることができました。飛び級制度ができたのもこの時代からです。1留年していたので、1飛級でカバーしたことになりました。失われた1年を取り戻せたのです。ただし、2浪したことの溝は埋まらない。

どういうわけか、スペースシャトルで行う実験に参加

 
 不思議なことが続くものです。博士課程のとき、スペースシャトルのカーゴベイで実施される宇宙ロボットの実験に参加することになりました。この話は先生が持ってきてくれたのです。大学生なのにスペースシャトルで実験ができるなんて夢みたいな気分でした。ただし、自分の研究分野とは少し違う内容だったのですが、この際なんでもよい。計算機が使えればなんとかなるでしょうと思いその話にのりました。さらに、憧れだった「シリコングラフィックス ONXY」を研究室で買ってもらう快挙がありました。あのマシンがワン・ユーザーで使えるんですよ。わらってしまった。

 途中いろいろありましたが、ヒューストンのNASAまででかけて無事に実験を行うことができました。このときのテーマが当然だが博士論文の題材となり、そんな実験のチャンスを得られる人はほとんどいないので今にして思えばかなり甘い内容なんですけど、無事博士号取得ができました。こうなると、この人生はぼくがドライブしているんじゃないです。偶然がドライブしている。

 残念なことに当時使っていたPCはすべてMacで、しかも記録していたメディアがMOだったために、当時の記録はほぼ残っていないんです。論文はページメーカで書いてましたし、発表はPowerPointだったはずなんですが、それらのファイルも見当たらない。当時のぼくの記憶はなくなっちゃいました。デジタルって、怖いですね。