辺境
国際問題についてほとんど知らない。 それが明確になるのは少し前の報道を見ればよい。 ならばアカデミックな側はどうか。 そんなことをぼやっと感じていたときに、この人の発行するメールマガジンを目にした。 この本を読めば、現在の世界情勢の一つの見方を知る事ができる。 読んだ直後は著者に対して好評価だった。 本の評価は本自体で行うのが筋である。 |
国際問題についてほとんど知らない。 それが明確になるのは少し前の報道を見ればよい。 ならばアカデミックな側はどうか。 そんなことをぼやっと感じていたときに、この人の発行するメールマガジンを目にした。 この本を読めば、現在の世界情勢の一つの見方を知る事ができる。 読んだ直後は著者に対して好評価だった。 本の評価は本自体で行うのが筋である。 |
逆説の日本史を読んでいるので、内容に新鮮味を感じなかった。 皇居近くにわりとセンスがよい銅像がある。 鎌倉幕府が滅んで、後醍醐天皇が力を持っていく様子を、いってみれば良質の週刊誌の記事のような目線でこの本は書かれている。
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雑誌掲載エッセイの後編にあたる新書である 政治以外の話題が半分以上しめている。 政治エッセイとローマ生活エッセイを2冊並べて販売するとしよう。 塩野七生さんのエッセイは政治を扱っているものが多い。 この巻の内容で、楽しかったのはローマのワインバーの話、ブランド品の製作者は中国人集団であるという話、そしてローマの歴史遺跡散歩。 |
何度読んでも感心する本がある。この本はその筆頭だろう。 通勤電車でもう何度も読んだ。海外出張先での夜にでも読み進めればきっと愉快だろう。そう思ってカバンに入れてきた。 で、実際読み進めると、もう何度も読んでいるのに、知っているはずのことを憶えていない。まいったなぁと気づく。 本なんてものは、一回読んだだけでは何もわかっておらんものだ。つくづくそう実感する。 正直にいえば、ぼくはこの歳になってそれに気がついた。 何を今さらという感もあるが、本は何度も読むべきだ。 読んでいくほどに、本全体の構成が見えてくる。最初に読んでいるときは、一時限的な展開としてしか把握できないものである。 解説であったとしても、物語のように過去と現在と未来があるように読んでしまう。そして全部読み終わったところで、すべてか過去になる。その時点で話の展開など一切をひっくりめたものが「過去」のこととして頭に残る。 それを「知識」と呼んできた。
しかし何度も同じ本を読んでいると、話を全体として把握できるようになる。最初と最後という一次元的な流れでの理解ではなく、全体を全体のまま。これが結構面白い。 とはいえ、だからといって「内容を理解した」とはとても言えない。やっぱり本を読んだくらいで、何かがわかるようになどなるはずはないから、仕方ないけど。 そう言葉にしてみてから、疑問が思い浮かぶ。 理系の判断基準ならばさほどむずかしくないが、文系のこういうテーマにについては、「理解した」とは一体何をさすのだろうかなぁ。 |
海外にいると、不思議と日本についての本を読みたくなる。 ここは外国なんだから、なにも日本について考える必要なんかないじゃん。今いる国について考えればいい。そう思っていても、不思議と日本について知りたくなる。 自分は日本人なんだから日本について冷静に考える。それって、環境変化が原因の、ある種の現状否定の気分なのか。あるいは自分がスマートにでもなったかのような勘違いなんだろう。それくらいの冷静はまだもっている。 こういう錯覚を肯定的に考えるならば、普段めったにみることができない普通の外国人の行動を間近に観察することで、自分を含めた日本の「へん」なところに気づくからかも知れない。まぁ、こじつけに近いかもしれないが。
ベッドメイキングの人は台湾人の若い女性であった。彼女がオーストラリアの砂漠のなかにあるホテルでこういう仕事をするに至った理由はなんなのだろうか。ワーキングホリディーをつかって外国生活を体験している学生さんなんだろうか。 中華系の人ならばこの本のタイトルの意味を理解することができるだろう。漢字でそのままだから。 客は日本人だと知っているだろうから、日本人がなぜ日本人論なんて読んでいるのだろうかという疑問をもったりするんだろうか。
日本の印象はどうですか?とついつい外国人に聞いてしまうような、「他人か自分がどう見られているのかが気になる」のは、日本人がダントツに高いとか聞いた事がある。 それはなぜか。 こういう解説はいろいろと聞いたが、それを地政学的・歴史的な見地から説明しているものが多かった。
例えば、内田樹さんの「なぜ」という問いかけがとても自然であり、またその答えにいたる理路がとても明確で自然な点。 こんな風に考えることができれば、どんなに楽しい日々を送れるのだろうかと憧れてしまう。 この本に書かれていることだが、何かを説明している本は、気がつくと著者の頭の良さを宣伝だったりするもの多い。解説本を読んでいて腹が立つのは、それが原因であり、意識しないまでも本の面白くなさの原因はそういう著者の動機にあったりする。 ところがこの本には、そういうところが全くない。
なるほど。なんと素敵な発想だろう。 こういう発想をもって説明している人って、日本にどのくらい存在しているのだろうか。 人と話し合うための基本ともいえるこのスタンスに、どうして多くの人は至らないのだろうか。 偉そうになってしまうことは自分にもあるから、反省しないといけない。 そういう具合に本を読んで反省する機会を得られるのは、この本を読んだ本人「だけ」である。 ならば、この本を読むたびに「自分のしょうもないところ」を思い出して、まだ残りの人生を楽しいものにしていこうと心に強く念じるのである。まぁ、無理なんだろうけど、やってみる価値はあるだろう。そう思いたい。 |