2010年2月23日

日本辺境論

内田樹
新潮新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

 内田樹さんの著作は何度読んでも面白い。同じ本を読むのをぼくは避けてるが、内田さんの本は話が別で、読みたいナと思ったら迷わず読むことにしている。この本もすでに一度読み、読書メモも書いている。が、また読んで、またメモをつけることことにした。普通の新刊を読むよりも面白かった。

 印象深いところはいくつもあったが、日本語がもつメタメッセージ送信の部分の記述には感心する。いや、もう感動する。

 私たちの国の政治家や評論家たちは政策論争において、対立者に対して「情理を尽くして、自分の政策や政治理念を理解してもらう」ということはあまり(ほとんど)努力を向けません。それよりはまず相手を小馬鹿にしたような態度を取ろうとする。テレビの政策論議番組を見ていると、どちらが「上位者」であるかの「組み手争い」がしばしば実質的な政策論議よりも先行する。うっかりすると、どちらが当該論件について、より「事情通」であるか、そのポジション取り争いだけで議論が終わってしまうことさえあります。自分の方が「上位者」であることを誇示するためには、いかにもうんざりしたように相手の質問を鼻先であしらって、「問題はそんなところにあるんじゃないんだ」と議論の設定をひっくり返すことが効果的であるということをみんな知っているので、「誰がいちばん『うんざり』しているように見えるか」を競うようになる。お互いに相手の話の腰を折って、「だから」とか「あのね」とかいう「しかたなしに専門的知見を素人にもわかるように言ってあげる上位者の常套句」を挟もうとする。

 なるほど、本当にそうだ。

 この方法はあまりにも効果的なので、政治家や評論家ではない人も使っている。自分だって、使ったかもしれない。他人がぼくの専門についてとやかく言ってきたときなど、実際に使った記憶はないが、こういう論法で「うんざり」した顔で、ようするに「だまれ」ということを言ったことはきっとあるだろう。

 内田樹さんの指摘は心理メカニズムのすぐれた物理学のようなものだ。もう、ぐうの音もでない。当たっている、ホント。自分の感じ方や行動理由の自覚していない理由を内田樹さんから教えてもらっている。

 さて、メタメッセージについての話に戻る。一度「上位者になるためのコツ」を知ったら、何にでも使いたくなるもの。それは誰でも同じだろう。自分についてはなんとか気をつけるにしても、他人からの挑戦には巻き込まれたくない。あとは以下にして、この状況に入り込まないかがぼくの考えることだろう。そしてそれは生き方ということになるのだろう。

2010年2月19日

Cello Love

石川敦子
パレード
お勧め指数 □□□□■ (4)

 アマゾンのお勧めということでプッシュされた本。なんな気になったのでそのままクリックして買ってしまった。いかん、年収の10%以上をアマゾンに吸われつつある自分に若干の嫌悪感を感じてしまった。

 大分前に『ネバー・ツー・レイト』という本を買った。その関係からお勧めが来たのだ。その本では、オジサンが一念発起してチェロを始める過程が綴られており、それを読んだ時期にぼくもオジサンになってからチェロを弾きはじめたという事情があり、読んでいた。まぁ、あまり良い本ではなかったのだけど。

 この本の著者はニューヨークでバリバリ働く30代女性がヨー・ヨー・マの演奏に感激してチェロを習いはじめるという話である。見つけた先生が良い方で、毎週の練習が楽しくて楽しくてしかない。毎夜の練習がとれないこともあり、会社にチェロを持ち込んで空き会議室で練習するという熱の入れよう。だからだろう、初めて7ヶ月目で市民オーケストラに入ったり、アマチュア対象のチェロ合宿に参加するためイタリアへ行ったりとバイタリティー溢れる女性の奮闘記である。嫌なことは何一つふれられておらず、あったとしてもすべて「不安」に置換えられ、それら最後に驚きへ昇華されている。

 こういう女性象は、ある種の女性のからはみれば完璧であり、ロールモデルであろう。そういう人が好きか嫌いかは別として、この本はほぼ一気読みだった。

 が、正直途中から引いてしまった。ごく普通の人が感動してチェロを始めた、という話だと思って読んでいたが、石川敦子さんは働きバチたる普通のの人ではない。「スマート」な人である。一市井のオジサンたるぼくとはそもそもからして違う世界の人なんだよね。ニューヨークでばりばりと働くという設定からして珍しい(でもないかもしれないけど)。

 だいたいにおいて、オジサンになってからチェロを始めるというのは、毎日の生活に満たされないものがあるからであって、しかも「働き盛り」のはずに練習時間がとれるんだから、要するにコースアウトしているということなんだよなぁと思うのである。まぁ、そうではない人もたくさんいるんだろうけど。

 ダメ人間が成長し何かを成し遂げるという形であれば、それはある種のおとぎ話の型だし、それはそれで面白いだろう。ただし、実際にはそんなうまい話はない。

 石川敦子さんのように、そもそもできる人がやっぱりできるんだよねという話の面白さは、自分がどの世界に属しているのかで変わってくる。ぼくのように、音符も読めないところからスタートした人にはそもそもからして参考になるところは少ないのが現実。単に、音楽好きの人はこういう生活するんんだなぁと知るだけで終わる。なるほどねぇ、というため息と一緒に。

 途中から気なったのは文章である。最初はとくに気にしないで読んでいたけれど、途中から言葉のリズムにどこか定型的なところが気になりはじめた。章の長さがまちまちだったから、これってブログかなぁと気がついた。なるほど読みやすく編集されてるが、プロの文章ではない。というか、市井の人の上手な文章とプロとはやっぱり壁のようなものがあることを初めて体感した。とはいえ、この文章はとても読みやすいので悪口ではない。ただ、気がついちゃったことを述べたまでである。

 この本を読み終えた翌日、チェロのレッスンへと通う。ため息がでる「下手くそさ」である。がんばってもできんやつって、いるんだよね。もっともそういう話は、「それは世間によくある話」だから、あらためて言うまでもないけど。

2010年2月18日

日本の宗教

村上重良
岩波ジュニア新書
お勧め指数 □□□■■ (3)

 書店で新書コーナーを見ていたら、帯に「待望のリクエスト改版」とあり、それが目に入った。よっぽどよい本なのかなと手にした。触った本には縁があると思うので、ちょっと今月本を買いすぎの感もあるが、我慢して購入した。

 原始から現代までのおおまかな宗教の流れを解説する本だった。対象は「ジュニア」ということだが、中学生向けの感じはない。出版された当時は中学生向けだったのかもしれない。ぼくが中学生だったら読まないだろうから、昔はみんな賢かったのかもしれない(とは本気では思っていないが)。

 読みはじめるとなかなか親切な書き味で、教科書とは全然違っていてよい。解説風の本ではあるが、大学教授が書くような「おれはえいらんだ」的な意図は伝わってこない。著者は歴史が好きだった人なのだろう。

 読み進めるうちに、歴史のイベントというか宗教が盛んになった理由についての考察がないことに気がついた。それは著者の憶測だからだろうか。

 「そうなりました」的な解説は、間違いは少ないのかもしれないが読者の記憶に残らない。何故かを問わない本は内容を記憶にとどめることはできない。だから、読んでも意味がないことになってしまう。ということは、結果的に歴史の教科書と同じになる。自分の記憶力が弱い事を棚に上げて、と言われるかも知れないが、現実的には読んでいないとの同じ結果なのでそう言うのも仕方がないだろう。

 こう考えると、井沢元彦さんの本がいかに強烈なものなのか。驚くと同時に、市井の人向けの教科書としては井沢元彦さんの方がいいだろうということになる。ぼくが読み続けている井沢さんの日本通史は最後まで読もうと決心してしまった。

 この本で良かったところ。それは現代に属する箇所である。戦前・戦後の宗教について「なるほどなぁ」の連発だった。その部分は最後の10ページに収まるから、その部分だけでも立ち読むする価値はあるだろう。

2010年2月16日

食糧がなくなる!本当に危ない環境問題

武田邦彦
朝日新聞出版
お勧め指数 □□□□□ (5)

 温暖化批判についての本を何冊かつづけて読んだので、ここは少し目先を変えようと食料事情の本を読んだ。といっても、武田邦彦さんの本なんだけど。

 この人の本を読んでいると役所やマスコミに対してついつい腹が立つ。だから読んでいて楽しくない。楽しくないものを時間をかけて読むのは嫌である。だけど、生きていくためには読んでおいた方がいいかなとも思う。そんな心境でこの本を手にした。

 なるほど。地球は温暖化したほうがいいという理路はわかった。寒冷化して得な事はない。それに現在は徐々に寒冷化しつつあるという研究もある。この意味からも、温暖化防止なんていらないとまわ思う、ホント。

 マスコミでもてはやされる理由は、人々が注目するからだろう。節約が悪に繋がることはないし。それに、人々の怠慢が絶滅を呼ぶという悲劇的なストーリーは「魅力的」でもある。

 悲劇を予感し、そうならないように立ち振る舞う行為こそ英雄への道である。地球温暖化を唱える人たちはある種の英雄像に自分たちを同化させているのだろう。温暖化防止に対して実際問題なにもできない市民でさえも、英雄になりたいのだろう。休日は高速道路1000円でマイカーを走らせ、スーパーではエコバックを使うことで貢献していると思っているレベルの人がいわゆる標準なんだから。

 地球温暖化防止の活動について、それ意味ないですよと現実的なことを言うと、彼らは猛烈に反発する。それが現実だと彼らが「良い人」「素晴らしい人」である根拠がなくなってしまうから。となれば英雄たちはこう主張する。地球温暖化懐疑の人はバカである。しかしそうならないことが現実になると、彼らはむしろ世間崩壊のシナリオが到来することをひたすら待ち望むようになる。人の心理ってのはそんなところがある。だから、地球温暖化防止を唱える人は、危険な人たちなのである。

 閑話休題。

 日本の食料自給率は低い。米くらいが安全圏にあるように思っているだろうが、米だけあっても意味がない。もう輸入なしには動かない社会に最適化されている。輸入が止まったら、都市部は全滅するだろうが、農村部だって生きれない。そんな状況になれば、いろんなところから侵略があるだろうし、それで一つの歴史に終止符が打たれるんだろう。

 では個人的に何が出来るのか。これも温暖化防止の活動と同じようなものかもしれない。実質何ができるかといえば、ない。「生活を変えない」ようにする方法は存在しない。置かれた状況に自らを対応させるよりない。そんな意識をもつくらい。

 食料についてどう考えるか。これって、政府レベルでしか対応できない。都市に住む人には対応する術がない。だからそうならないように、食糧事情について現実を知ろうなどと触れ回るのは、おそらくABCテストに引っかかる。というのは、

 A:食料自給率を上げると救済が約束される

 B:国内の食料事情について海外との関係による変動予想などの理論が存在する。

 C:人々にこの考えを理解してもらおうと広める。

 なるほどだからこの話をうっかり世間の人々に理解してもらうべく説いて回ると立派な「宗教」になってしまうのである。実に面倒なことである。

 となれば、個人的には「心構え」くらいしかとれる方法がない。それって実際にはなにもしないに等しい。なんとも無力感を感じる。

 何気なくこの本の出版社をみたら朝日新聞社とある。ホント、マスコミの主張っていい加減だよなぁ。 

2010年2月15日

しつこさの精神病理

春日武彦
角川oneテーマ21
お勧め指数 □□□■■ (3)

 しつこいって、人としてダメな性質なんだろうか。しつこい人は嫌われるけど、職人さんは歓迎される。芸術家なんてのは「美を追求する」と言われ良い評価が普通だが、なんてことがない「しつこい」からそれが可能のはず。ならばどうして良い評価なのだろう。

 この本のタイトルを見たとき、そんなことがちらっと頭に浮かんだ。

 この本を読んでみてわかったのは、しつこさが問題になるのは、あくまで「程度」であって、しつこさが「異常」だからなのか。そりゃ、異常というくらいだから異常なのだろう。そう突っ込みたくもなる。がよくよく読めば、「ネガティブなことにたいして忘れない」ということも問題視されている。

 良い出来事については、予感することも体験することも思い出すことも気分が良い。楽しい。うれしい。一方で悪い出来事は全てにわたって悪い気分になる。どうやら、その気分のあり方が精神に与える影響が問題のようだ。

 嫌な事をずっと忘れない、憶えている、思い出す。つまり恨みをずっと抱えている状態が続くと、それ自体はどんな人にもあることだが、頭の中で反芻する機会が増えてくると何が現実で何が想像なのかの境目がわからなくなってしまう。人によっては嫌な気分が増幅していく。となるとどうだろう、最後には現実よりも想像のなかにいる嫌なものを相手にして生きはじめてしまう。

 人は、長いこと考えているものに現実感を感じるものである。現実感を感じるからそれに合わせて現実の行動を変えてしまう。養老孟司さんの著作で読んだが、現実とは、その人の行動に直接影響を与えるものだということだ。ならば考えた事を理由に行動するとしたら、考えていることは現実なのである。こうして精神の病と呼ばれるものが発生する。 とまぁ、この本をよんで僕なりに理解したことはこうである。もちろん勘違いかもしれない。ただし、そんなに間違っていないとすれば、しつこさについての対処方はいたって簡単なものである。

 嫌な気分になることからは、全速力で逃げろ。

 それでいいんじゃないだろうか。それが出来ない場合があるとしたら、可哀相だけど結局のところ精神の病に近づいている。もし周りにそういう人がいたら、状況を少し想像できるだろう。なにが危なくて何が大丈夫か、動機次第では全速力でその人から逃げないといけない。それは、他人ばかりではなく自分にも当てはまる。