2012年1月29日

原発社会からの離脱

宮台真司+飯田哲也
講談社現代新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

最近になって宮台という人を知って、その発言の的確さと、まぁ呆れるくらい物事をよく知っている、ということに驚いた。
そして、その人の「物事の周辺を見わたしてからの」発言に興味を持って何冊かの本を読んでみた。

宮台さんは社会学者だそうだ。
そもそも社会学なるものにはある種の胡散臭さを感じていたので、この手の人には最初っから興味を持っていなかったのだ。
けど、こうしてこの人の本を読んでいる。
凄い人ってのは、どの分野の人であっても結果的に知ることになるんだなぁと納得する。
凄い人はいないか、なんて探さなくてもいいのかもしれない。

ところで内容について。

一読しただけであれこれ評論するなんてことは当然できない。
読んでいるとき、そうだったんだ、そうなっているんだ、そんな状態なんだ、の連発である。

その対象は、日本の政治(家)について、官僚について、マスコミについて、政策について、あるいは世界の政策についてなどに及んでる。

ぼくはこれまで原発事故についてはいろいろ読んできた。
が、「なんだよ、これよんどきゃ良かったのかよ」という気分になった。
原発関係で目に入った本はなるべく購入して読んでいたのだけど、どうして手に取らなかったのだろうかと疑問になる。

原発の問題は、結局のところ官僚の人事システムを変えないとダメみたいだ。

人事か予算に関係しないことはそもそも官僚がタッチしないそうだ。
また、官僚がその担当分野について何かを知っているということはなく、2年でローテーションするのでつねに素人だという事実もあるらしい。
そして、そんな官僚よりも政治家ははるかにものを知らないし、できないという事実もあるようだ。

日本の仕組みがわかれば、今の状態が続く先が暗いことはよくわかる。
これで日本がよくなったら、そりゃ奇跡だろう。
今の日本があるのは、太平洋戦争で軍隊や政治家を追っ払ったせいだ。
が、その効用も切れた。

原発問題についてどうするのかについてよりも、消費税や議員定数ばかり注目されている。
きっと次の総選挙はそれが争点になったりするのだろう。

結局、官僚にやられるんだろう。

とはいえ、命までとるまい、なんて思っているかもしれない。
が、太平洋戦争などは命がとられたし、福島の土地や難民などは命をとられようとしているわけだ。

ニュースで報道されていることとは違うことが、自分の命に関わることが、報道されないで起きてるということなんだ。

それにつけても、個人の無力感。

2012年1月27日

俺に似た人

平川克美
医学書院
お勧め指数 □□□□□ (5)

通勤電車で過ごす時間を本読みに充てているので、年間結構な冊数を読めるのだが、「こんな本を読めてホントに良かったなぁ」と思える本とである機会は思ったほど多くない。

いいなぁ、面白かったなぁと感じることはよくある。
だからこそ通勤時間が2時間半近くかかっても全く苦にはならない。
だからといって、感動して涙がでてしまうようは本などそうそう読めることはない。
ホント、メッタにないもんだ。

ところがこの本は、本読みであることを「実感」させれてくれるものだった。
読みながら涙がじわっと出てしまって、それを堪えるのに苦労した。

初老の男が本に感動して涙を流している。
そんな光景、傍から見て気持ちいいものではないだろう。
OLなどは隣の車両へ移るかもしれない。
が、まぁ、誰もこちらには関心など持っていないから特段気にする必要などないのだが。

この本では、著者が父親の介護をした体験が、過ぎ去った昭和の幻影とともに語られている。

一般的な意味では物語といえば、「そういう目にあってみたい」と思わせるものを題材にとるものだ。
が、この本では「そういう目にあってみたい」とは言えない題材を、しかも「絶対にあってみたくもない」とは思わせないように書かれている。
読んでみて、介護をするとはどういうことかの一例を教えてくれ、自分に生きているうえで必要なことの一つを悟らせてくれる。

この本の目指していることは説教ではないし、道徳でもない。
ただ、「自分がそんな状況に置かれたらどう行動するのだろうか」について自然と考えさせてくれるのだ。

介護の問題に、もちろん回答はない。
著者である平川さんのとった行動は回答の一つではある。
が、それを直接自分当てはめることなどできないし、そんなことを著者が想定しても期待してもいないだろう。
「はて、自分はどうするのだろうか」
そんな答えのない問題を自然に考えてみたらどうだろうか、という年長者からのアドバイスなのだと思う。

幸いにして、ぼくの両親は健在である。
が、いずれ平川さんような状況になるのはわかっている。
だから心の端っこにいつも恐怖であり嫌なことである「介護」がある。
この本を読むことで、そのことを正面に引っ張りだされた感がある。
本当に、どうするのだろうか、ぼくの場合は。

あらかじめ「答え」を出しておく必要は、必ずしもないのだろう。
その状況になれば、それなりに「適切」な行動を取れるはずだと、どこか自分を信頼している。
パニックにさえならければ、なんとかなるはずだから。

この本を読んでみて、介護に対して教訓めいたものやマニュアルめいたものを獲得した、というわけではない。
ただ、介護の場面に置かれたら、「そうか、ついにきたか。でも、2回目だよね」という気分にはなるだろう。

地震だって、突然魘われるのと緊急地震速報を受け手から遭遇するのでは、パニック度が全くちがう。
経験しているということは、心理的な意味ででしかないから、どれだけ状況にうまく対処できるかはわからない。
それでも、と思う。

せん妄ひとつとっても、手術一つともっても、それがどういう結果になりうるのかの「特解」を一つ持っている。
それは意外なほどに「自分にとって勇気をださせてくれる」はずだ。

本を読むのは、やっぱりいいことだ。
そんなことを再確認した。

2012年1月 1日

日本・日本語・日本人

大野晋+鈴木孝夫+森本哲郎
新潮選書
お勧め指数 □□□■■ (3)

森本哲郎さんの著作でまだ購入していないものがあるかなとアマゾンでリストアップし、持っていない本として購入した。
これは年末になるとやる癖で、とくだん欲しているわけではなくともついつい探して購入しちゃう。
もちろん古本をかうので、失敗してもあまり痛くない。
森本哲郎さんの著作はほぼもっているので、この本は共著(鼎談)だったが買ってみた。

3部構成になっている。
テーマは日本語であり、こたつに入ってよもやま話として話し合っている。
全員爺さんだから、現代の嘆きが中心であって、注意して読まないと不毛な本に見えてしまう。

とくに大野、鈴木の発言は「俺が一番偉い」ということをほのめかす典型的なもの。
さすがに読めなかった。

鼎談の中で、森本哲郎さんが提案しているものや疑問を呈していることだけを拾っていけばいい。

歳を取った人の本でも、読むに耐えるものと耐えないものがあるのは何故だろう。

これまでの経験上、学者・研究者が爺さんになって書いたものは「読む価値がない」と思っていいだろう。
それを再確認してしまった。

正月からもう一つのスタートだった。

2011年12月 5日

濹東綺譚

永井荷風
新潮文庫
お勧め指数 □□□□■ (4)

たまには古典を読まないと。

そういう気持ちになることが発作的な症状のようにある。
そして何を読むのかを決めるのは、そう思いついた直前に何を読んでいたのか、による。

というのは、「古典を読まないと」という気分にさせてくれるのは、本だから。
当然その本で紹介されている本を手に入れて読むことになる。

平川克美さんの本を読んでいて、永井荷風を読もうかなと思った。
その本では濹東綺譚が紹介されていたわけではない。
ぼくの貧弱な知識では、永井荷風ならばこの本だろう、と思ってのことだ。

選択の動機は、この本で描写される風景は僕の子供の頃にうろうろした街だから。

ぼくは向島で育った。
遊ぶ範囲は、西は浅草寺、田原町、北は玉ノ井くらいが境界だった。
この本の冒頭にでてくる言問橋は、近所に家があった。

この本を読むとき、地名だけで風景が頭に浮かぶ。
もちろん永井荷風の時代のものではなく、昭和40、50年代のものだけど。
小梅やら地蔵坂やら、ほんとに地元のことが書かれている。
へぇと感心しながら読んだ。

寺島図書館の辺りの風景、6号から西に伸びる狭い路地のような商店街の昔の様子を知って意外な気分になる。
「アラーキー」が語りそうな街だったのか。

意外に思ったが、小説としても面白かった。
が、風景どころか匂いまで頭に浮かんでくるので、果たして小説としてちゃんと読めたのか、わからないでいる。

別段「昔の小説」と断らなくても「十分面白い」ものは、今でもありだと納得した。
漱石のような「文学」ではなくとも、読むことに「浸れる」作品ならば、年齢や時代に関係なくよい。

小説って、そういうもんなのかもしれない。

2011年12月 2日

経済成長という病

平川克美
講談社新書
お勧め指数 □□□□■ (4)

平川克美さんを読み返したくなっていたが、一応これで完結ということになる。
この本も2回目。

一度読んだだけでは何も覚えていない。
そう改めて実感した。

どんな本でもそうだが、この本を読んで、自分の行動は以前とは違う方に「屈折」したはずだ。
つまり、読まなかったときと読んだときで、数年後には明らかに考え方やら行動方針やらが変わったはず。
で、結果的に「読まなかった時とは違う自分」になったはずである。

読んだ内容をテストされるわけではない。
憶えている部分のみみが自分にとって必要な情報だったのだ。
そうではないところはそもそも読んでもいないのだろう。

この本も「成長しつづけることが前提」の経済なんて、そのうちおかしなことが起こるんだから、ほどほどにしたほうがいいんじゃないか、と述べている。
読んでいて「まったくそのとおりだなぁ」と思ってしまう。

こんな風に素直に「そう」思ってしまうのは、ひとえにぼくが「研究職」についているからだろう。
「研究費は増え続ける」ということを前提するのが「おかしい」と思うのと同様に、経済発展がし続けるのが正しいと思っていない。

ぼくの研究活動は多額の予算を必要としないから、常に「研究費」というものを追いかける必要がない。
もっといえば、「研究なんて無くたって、知りたいことは知りたいし、実験したいことはしたい」と思っているタイプの研究者だからだろう。
予算なんて、ありゃあっただし、なきゃないで、何とかするのがいいのだ、と思っている。

エネルギー保存則というものが、世の中を全ている、ということを物理で学んでいる。
この発想は「心底」自分に身についている。

そういう話は抜きにしても、ちょっと立ち止まって考えれば、誰でもなっとくできることをこの本は主張していると思うが、それが通用しない世の中になってしまっているのだろうか。
実はそのあたりが実感できないでいる。