2010年7月12日

辺境

田中宇
宝島社
お勧め指数 □□□■■ (3)

国際問題についてほとんど知らない。
その最大の理由は情報源が面白くないから。
べつにお笑いを求めているわけではないのだが、テレビにニュースは解説する側の意図が丸見えになっていて、どうもそれに寄り添う態度を取りたくないから見る気になれないでいる。

それが明確になるのは少し前の報道を見ればよい。
マスコミ(新聞・テレビ)の報道は一見分かりやすいが、しばらくたった後でニュース解説を見直すと、すごいバイアスがかかっていることがわかる。
報道されてしまえば、あとはどうでもいいという態度でニュースを作っているのが丸見えで、どうも信用が置けない。

ならばアカデミックな側はどうか。
これもまったく期待できない。
政府か新聞社のご用学者の言葉ほど、当てにならないものはない。
独自に取材して考察して結論を出すということは、国政情勢については不可能なのだから、それはそれで仕方がない。
彼らが悪いわけではないが、だからと言って信用できるわけではない。

そんなことをぼやっと感じていたときに、この人の発行するメールマガジンを目にした。
なかなか「よさげ」な解説をしてくれている。
この人のニュースソースはアメリカの新聞であり、彼の考察方法として数多くを目にする事でアメリカが何を考えているのか、世界情勢はどうなるのかを探ろうというものである。
その記事を読めば、ニュースソースも明記されているので、新聞よりは信頼が置けそうな気がする。

この本を読めば、現在の世界情勢の一つの見方を知る事ができる。
そう信じたい。
記事の書き方はそれなりにまとまっているし、少なくとも普通の人に聞かせるための配慮である「物語性」を入れてくれている。
だから、ぼくですら興味深く世界の紛争地帯について知る事ができたわけである。

読んだ直後は著者に対して好評価だった。
いい人を見つけた。
別の本も読んでみようというくらいに。
しかし、あるラジオ番組でこの人講演を聞いたのだが、まったく反対の印象を持った。
今では当てにするとろくでもないような気がして、情報源のリストからは外してしまった。

本の評価は本自体で行うのが筋である。
しかし、それだけだと不完全なんだと知った。ラジオの存在はとてもありがたい。
 

2010年7月10日

新・井沢式 日本史集中講座「鎌倉幕府の崩壊」編

井沢元彦
徳間書店
お勧め指数 □□□□■ (4)

逆説の日本史を読んでいるので、内容に新鮮味を感じなかった。
別のこの本が悪いのではない。
先日同じ著者の同じ時代を扱った本を読み終わったばかりのところに、この本を読んだからそういう印象になっただけで、内容自体はこのシリーズと同じように分かりやすい。

皇居近くにわりとセンスがよい銅像がある。
なる程そういう人なのか。
そうわかった。
陽気が良い休日には皇居の芝生へ行く。
たまにその辺りを自転車で散歩?する。
楠木正成候の騎馬銅像があるが、なるほどこの人はこの時代の一大イベントであった南北朝の時代に天皇側について戦い、最後まで筋を通して死んだ人だったのか。

鎌倉幕府が滅んで、後醍醐天皇が力を持っていく様子を、いってみれば良質の週刊誌の記事のような目線でこの本は書かれている。
変なゴシップはない。
過去の経緯と民衆・武士・公家の世論の沸き起こり方を、いってみれば池上彰さんのように語ってくる。
学者の書く歴史を普通の人が読むのは人生の無駄だが、歴史は知らないと損をする。
井沢元彦のような作家をぼくのような普通の人はもっと歓迎してもいいと思う。


2010年7月 2日

日本人へ 国家と歴史篇

塩野七生
文藝春秋
お勧め指数 □□□□□ (5)

雑誌掲載エッセイの後編にあたる新書である

政治以外の話題が半分以上しめている。
ごく普通の市井の人で、かつ政治には無力感をもっているぼくにとっては、前編よりもずっとよい。
そりゃそうだろう。
ローマでの生活やイタリアのブランド品の実情話のほうが、だれだって愉快な気分になれるのだから。
わざわざ身銭を切ってまで政治のことなど聞いても人生の無駄遣いでしかないだろう。
そこまで思わなくも、政治ネタに目を通すのはヒマを持て余した時だけで十分。
少し狭隘なぼくのポリシーだが、そういう人は少くないだろうと思うが、どうだろうか。

政治エッセイとローマ生活エッセイを2冊並べて販売するとしよう。
どちらが結果的に売れるのか、それは内容次第のところがあるが、そうはいっても想像はできる。
書店でこの本の前編と後編を並べて平済みにしたら、おそらく後編のほうがずっと減っているだろう。

塩野七生さんのエッセイは政治を扱っているものが多い。
政治を語るにはある種の「強さ」が文章には必要とされる。
人を無理やり引き込み、それも強くひっぱり込み、日常生活を変えてしまうようなことにコミットさせる。
そのためには緊張感を持たせ、行動に走らせるような物言いのほうがいいのだろう。
それはそれで塩野作品には必要な味なのだが、たまには別の側面があってもいい。

この巻の内容で、楽しかったのはローマのワインバーの話、ブランド品の製作者は中国人集団であるという話、そしてローマの歴史遺跡散歩。
そういうものを読むと新鮮な気分になる。
日常生活というものか。
書店で購入した本を帰り道にワインバーに立ち寄る様子、そしてどんな風にワインを選ぶのかなど、ローマでの生活についての話になるほどと感心した。
ローマについての歴史が頭に入っている人で、在ローマ歴がない達人はどんな時間の過ごし方をするのだろか。
旅行で立ち寄る程度のことしかローマに滞在する機会がないであろう人だって、興味がわく話だろう。
 

2010年6月16日

寝ながら学べる構造主義

内田樹
文春新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

 何度読んでも感心する本がある。この本はその筆頭だろう。

 通勤電車でもう何度も読んだ。海外出張先での夜にでも読み進めればきっと愉快だろう。そう思ってカバンに入れてきた。

 で、実際読み進めると、もう何度も読んでいるのに、知っているはずのことを憶えていない。まいったなぁと気づく。

 本なんてものは、一回読んだだけでは何もわかっておらんものだ。つくづくそう実感する。

 正直にいえば、ぼくはこの歳になってそれに気がついた。

 何を今さらという感もあるが、本は何度も読むべきだ。

 読んでいくほどに、本全体の構成が見えてくる。最初に読んでいるときは、一時限的な展開としてしか把握できないものである。

 解説であったとしても、物語のように過去と現在と未来があるように読んでしまう。そして全部読み終わったところで、すべてか過去になる。その時点で話の展開など一切をひっくりめたものが「過去」のこととして頭に残る。

 それを「知識」と呼んできた。


 だから思い出すとしても、思い出した場所を本の位置を頼りに探しだすことになる。全体ではなく、冒頭からの距離のようなものを指標としているから。つまり、話の展開を頭のなかで再現して、時間順に目的の場所へと到達するわけである。これだと思い出すのに時間がかかるし、初めのほうを忘れると終わりの方は思い出せないことになる。

 しかし何度も同じ本を読んでいると、話を全体として把握できるようになる。最初と最後という一次元的な流れでの理解ではなく、全体を全体のまま。これが結構面白い。

 とはいえ、だからといって「内容を理解した」とはとても言えない。やっぱり本を読んだくらいで、何かがわかるようになどなるはずはないから、仕方ないけど。

 そう言葉にしてみてから、疑問が思い浮かぶ。
一体、なにをどうすれば「理解した」と言えるんだろうか。

 理系の判断基準ならばさほどむずかしくないが、文系のこういうテーマにについては、「理解した」とは一体何をさすのだろうかなぁ。
 

2010年6月10日

日本辺境論

内田樹
新潮新書
お勧め指数 □□□□□ (5)

 海外にいると、不思議と日本についての本を読みたくなる。

 ここは外国なんだから、なにも日本について考える必要なんかないじゃん。今いる国について考えればいい。そう思っていても、不思議と日本について知りたくなる。

 自分は日本人なんだから日本について冷静に考える。それって、環境変化が原因の、ある種の現状否定の気分なのか。あるいは自分がスマートにでもなったかのような勘違いなんだろう。それくらいの冷静はまだもっている。

 こういう錯覚を肯定的に考えるならば、普段めったにみることができない普通の外国人の行動を間近に観察することで、自分を含めた日本の「へん」なところに気づくからかも知れない。まぁ、こじつけに近いかもしれないが。


 ホテルの部屋で、読みかけのこの本を枕元に置いて外出する。そのときに、ベッドメイキングの人はこの本をみてどんな気分がするのだろうか。

 ベッドメイキングの人は台湾人の若い女性であった。彼女がオーストラリアの砂漠のなかにあるホテルでこういう仕事をするに至った理由はなんなのだろうか。ワーキングホリディーをつかって外国生活を体験している学生さんなんだろうか。

 中華系の人ならばこの本のタイトルの意味を理解することができるだろう。漢字でそのままだから。

 客は日本人だと知っているだろうから、日本人がなぜ日本人論なんて読んでいるのだろうかという疑問をもったりするんだろうか。


 アメリカ人とはなにか、とかフランス人とはなにか、という自国民論が盛んなのは、日本人くらいなものだそうである。

 日本の印象はどうですか?とついつい外国人に聞いてしまうような、「他人か自分がどう見られているのかが気になる」のは、日本人がダントツに高いとか聞いた事がある。

 それはなぜか。

 こういう解説はいろいろと聞いたが、それを地政学的・歴史的な見地から説明しているものが多かった。


 それはさておき、面白い本が多い内田樹さんの著作のなかでも、この本は繰り返し読むには言い本だ。この本の随所に現れる「考える方法」が勉強になるから。

 例えば、内田樹さんの「なぜ」という問いかけがとても自然であり、またその答えにいたる理路がとても明確で自然な点。

 こんな風に考えることができれば、どんなに楽しい日々を送れるのだろうかと憧れてしまう。

 この本に書かれていることだが、何かを説明している本は、気がつくと著者の頭の良さを宣伝だったりするもの多い。解説本を読んでいて腹が立つのは、それが原因であり、意識しないまでも本の面白くなさの原因はそういう著者の動機にあったりする。

 ところがこの本には、そういうところが全くない。


 「同じ情報をもって、同じ理路にそって考えていけば、みな同じ結論にいたる」

 なるほど。なんと素敵な発想だろう。

 こういう発想をもって説明している人って、日本にどのくらい存在しているのだろうか。

 人と話し合うための基本ともいえるこのスタンスに、どうして多くの人は至らないのだろうか。

 偉そうになってしまうことは自分にもあるから、反省しないといけない。

 そういう具合に本を読んで反省する機会を得られるのは、この本を読んだ本人「だけ」である。

 ならば、この本を読むたびに「自分のしょうもないところ」を思い出して、まだ残りの人生を楽しいものにしていこうと心に強く念じるのである。まぁ、無理なんだろうけど、やってみる価値はあるだろう。そう思いたい。