日本辺境論
内田樹さんの著作は何度読んでも面白い。同じ本を読むのをぼくは避けてるが、内田さんの本は話が別で、読みたいナと思ったら迷わず読むことにしている。この本もすでに一度読み、読書メモも書いている。が、また読んで、またメモをつけることことにした。普通の新刊を読むよりも面白かった。 印象深いところはいくつもあったが、日本語がもつメタメッセージ送信の部分の記述には感心する。いや、もう感動する。 私たちの国の政治家や評論家たちは政策論争において、対立者に対して「情理を尽くして、自分の政策や政治理念を理解してもらう」ということはあまり(ほとんど)努力を向けません。それよりはまず相手を小馬鹿にしたような態度を取ろうとする。テレビの政策論議番組を見ていると、どちらが「上位者」であるかの「組み手争い」がしばしば実質的な政策論議よりも先行する。うっかりすると、どちらが当該論件について、より「事情通」であるか、そのポジション取り争いだけで議論が終わってしまうことさえあります。自分の方が「上位者」であることを誇示するためには、いかにもうんざりしたように相手の質問を鼻先であしらって、「問題はそんなところにあるんじゃないんだ」と議論の設定をひっくり返すことが効果的であるということをみんな知っているので、「誰がいちばん『うんざり』しているように見えるか」を競うようになる。お互いに相手の話の腰を折って、「だから」とか「あのね」とかいう「しかたなしに専門的知見を素人にもわかるように言ってあげる上位者の常套句」を挟もうとする。 なるほど、本当にそうだ。 この方法はあまりにも効果的なので、政治家や評論家ではない人も使っている。自分だって、使ったかもしれない。他人がぼくの専門についてとやかく言ってきたときなど、実際に使った記憶はないが、こういう論法で「うんざり」した顔で、ようするに「だまれ」ということを言ったことはきっとあるだろう。 内田樹さんの指摘は心理メカニズムのすぐれた物理学のようなものだ。もう、ぐうの音もでない。当たっている、ホント。自分の感じ方や行動理由の自覚していない理由を内田樹さんから教えてもらっている。 さて、メタメッセージについての話に戻る。一度「上位者になるためのコツ」を知ったら、何にでも使いたくなるもの。それは誰でも同じだろう。自分についてはなんとか気をつけるにしても、他人からの挑戦には巻き込まれたくない。あとは以下にして、この状況に入り込まないかがぼくの考えることだろう。そしてそれは生き方ということになるのだろう。 |




