山本七平
文春文庫 456円
お勧め指数 □□□□□
赤線を引いた個所の多さは過去最高です。本というものの役目の一つを完全に果している輝ける例です。司馬遼太郎を読んでも日ロ戦争以後の日本の危うさと第二次世界大戦の敗戦という結論、そして最近マスコミにみてとれる「ぜんぞがえり」に危機感を感じない人は、この本を読まれるとよいと思います。というか、教科書にいれてでも読んで欲しい。切にそう願います。Lesson's Learnedというのは、この本のことです。
マスコミは国という単位の神経にあたります。正しい情報を伝搬する。いいもわるいも伝搬する。情報のキャリアです。ところが、今は、いや、今でも新聞やニュース番組は意見を押し付ける装置になっています。いわゆる「扇動」という方程式を利用して。この行き着く先は、また同じでしょう。現実無視と無責任。こういった人に多くの人は泣かされる。
日本は歴史が浅い。ローマと比較しても、ルネッサンスと比較しても浅い。ひょっとしたら、人間に対する自然淘汰の途中なのかもしれない。戦時中の記述を読むたびに、私はそう思います。
引用していると切りがないです。それでも、一つ二つ紹介したいと思います。
”世界はすでに冷厳な事実をはっきり計算に入れいてると私は思っている。軍備とは何か、それは食糧だという事実を。すなわち平を動かさずとも、食糧を動かすだけ、あるいはとめるだけで、そして必要とあらば燃料をも止めれば、それだけで一国を「無条件降伏」させうることは、すでに現実の計画として立案されていると私は考える。”
”「事実論」は思想・信条・是非・善悪に関係がない。一つの実験成果と資料とから、中間段階で一つの判断を下した際、その判断自体に「停止」を命じたところで意味がない。というのは「停止」を命じてもその判断の基礎になった「事実」がなくなってしまうわけではないからである。また「なかったこと」を「あったこと」にしても事実が生れるわけではなく、「あったこと」を「なかったこと」にしても事実が消えるわけではない。”
”資料に基づき検討すると「日本は必ず負ける」という結論が出る。だが、発表したらどうなっていたか。いや、それをほんのすこしほのめかしただけで、軍部のお先棒かつぎの議員が「戦線で兵士がお国のために死を賭して戦っているのに、ナニゴトダーッ」という。すると担当大臣は「政府も国民も総力をあげて戦っているときに、こういうことを発表するとはまことに不謹慎、私自身も憤慨している。厳重に注意する…」という議員席から「責任をトレーッ」というヤジがとび、同時に「そんなことを発表するやつは非国民の敗戦主義者だ」ということになる。そして戦争が終わればみな知らんぷり「俺の責任じゃないよ、第一指揮権はないしね」”
このような文章を読んでいると日本は古代ローマ以前の段階にいることがわかる。そして、「自律」とは何かが見えてくる。カエサルは明らかに「自分を律していた」し、そもそも古代ローマ人は法「LEX」を最高位に置いていたことを思い出す。まだ、日本は地中海文明のレベルまで人間の「自然淘汰」が進んでいないのだ。そんな結論に思い至り、半分投げやり、半分気軽になる。