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逆説の日本史5(中世動乱編)

井沢元彦
小学館文庫: 600円
お勧め指数: □□□□■ (4)

 腹が減っては戦はできぬ。日本史で最初?に登場した「現実主義」の人たちの物語。いわゆる、鎌倉武士です。頼朝・義経・北条政子と1192つくろう鎌倉幕府、そして、鶴ケ岡八幡宮。こんな断片的な「知っていること」をいくらつなげても「意味をなすステートメント」はできません。ところが、この本は「なぜ、鎌倉武士に注目するのか、この時代から何を学び取れば良いのか」を示唆してくれます。自分の頭で「理解」した人の話は面白い。

 現実主義者という光をもてば、それ以前の人たち、あるいは、現在でも「主流」をなす人たちの行動の原因がわかります。ここでも、その切り口は「言霊」です。口に出したことは「現実化する」という信念、あるいは、無意識に感じる「自然の摂理」です。

 公家と呼ばれる人は仕事をしませんでした。なぜでしょうか? 答は簡単。彼らは実は「働いている」と思っていました。というのは、「言葉を出す」ことで実現するはずだから。つまり、「歌を読む」ことが政治そのものだったのです。

 ”コトダマ教(コトダマが現実を左右する)を信じない、現実主義の信奉者にとっては、この「宗教」やその信者である公家たちは、まさに嫌悪の対象といっても過言ではない。なぜなら彼らは歌を詠むばかりで「何もしないからだ」”

 ”彼らは「口だけ」で何もしない。そして、さらに悪いことには、それにもかかわらず、自分たちは「実効あることをした」と思い込んでいる。それだけではない、そう確信しているから、往々にして物事に実効的に処置した人を邪魔にし叱責すらする。”

 ”コトダマと穢れという信仰が公家たちにあったためだ。正確に言えば、彼らは「無責任」なのではない。いや、実態として無責任なのだが、主観的には「歌を詠み、歌集を編む」ことによって政治責任を果たしている「つもり」なのである。”

 これ、よくみると「役人」と同じなんですよ。「母親の愛情は子供の成長にとって大切です」というような内容の文書を作り、組織をつくることで「何かした気になっている」。

 わたしは、「あ、そうか、だからなのか」とこれまでの疑問が氷解しました。コトダマ信仰は「無意識」に信仰しているひとが大半ですが、日本人全員ちかく(敬虔なキリスト教徒の人は除く)そうなんでしょうね。

 こういう本、めったに会えません。よい本です。

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