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ローマ人の物語〈12〉迷走する帝国

塩野七生
新潮社: 2800円
お勧め指数: □□□□□ (5)

 カラカラからはじまる皇帝の短期交替時期。途中、生きながらにしてペルシャシャプールに捉えられてしまうヴァレリウスや当面の安定化をはかったアウレリアヌスなどを含め、ディオクレティアヌス前までの皇帝について。

 この時期のローマの記述は「きっと面白くない」だろうと思っていた。結局、「俺が、俺が」の内紛のような状態で皇帝が入れ替わり立ち替わり変わったのだろうとおもったのだ。日本の戦国時代のようなものかと想像していた。ところが、その予想は全く外れ、なるほど、このように入れ替わるの状況にあったのも「これまで、ローマがローマであった理由」を成り立たせていた環境が大きく変化したことにより、大きな考え方の変更をしないで対応したために帝国が迷走したのだと分かった。この巻から得られる洞察は大きい。

 ローマがローマでなくなっていく理由は一つではない。良くできたミステリー小説のように、そのときの情勢に対応するため「よかれ」と思ってやったことが、じわじわとローマ的な法制、人々のメンタリティーを変え、これまでのローマでは国を維持できなくなるようにしていったようだ。いくつもあるその「要因」を著者はそれとわかるように教えてくれる。

 例えば、カラカラが行った「ローマ帝国にいる人はだれでもローマ市民権を持てる」というようなことがある。ローマの市民であることが実際上の生活で大きなメリットがあったし、ローマ帝国の市民の一人であるという誇りをもたせてくれたローマ市民権。自分の所属する名誉のために、街道や橋、公共設備に私財を投資してくれた裕福な市民、あるいは、住みにくい辺境の地で軍務につく軍隊などがいた。が、だれでもローマ市民ならば、ある意味、誇りを持てようがない。ローマ市民という人々を主役にして統治を行っていたローマの市民が、ローマ市民に魅力を感じなくなれば、だれが公共に投資をしてくれよう。政治を行うのは「無給」の名誉職であったのだが、その魅力がなくなれば有能な人はいなくなる。

 環境の変化に対応し、また、自ら変更していくときに「ローマ的のコア」となるものを失っていけば、ローマはローマでなくなる。これが衰退のものになる。次々と変わった皇帝達も、これまでとは違ってきた「蛮族」の対応に苦戦するようになった。蛮族が騎兵を中心にローマに進入してくるようになったため、対するローマ軍も騎兵に重みを置くようになった。「ローマ軍はつるはしで勝つ」という言葉の通り、重装歩兵があるから市民が中心の軍隊だったのが、騎兵の後ろ盾のような役割にかわっていけば、軍隊の質も変わっていく。そして、あのローマ軍も変貌していく。

 ここまで読むんできて、どうやら塩野七生は何を言いたいのはうっすらと分かってきた。それは、司馬遼太郎が言いたいものと同じではないか。「明治期というのは、一つの時代であって、<過去の日本>というものとして扱わないほうが良い。それは、一つの<国>のようなものであって、もう繰り返されることのない、人類の宝の一つとして数えられるものなのだ」というようなことを「明治という国家」のなかで司馬さんは書かれている。「国家というのは、一種の圧搾空気のようなものの上に乗っている。その圧搾空気をそこ国民が保てなくなったとき、政府は動脈硬化をおこし、やがて滅びる。」

 ローマ人を支えいてのは、Res Publicaという「気概」なのだ。敗者すら自分たちに同化させていく政策をとるローマには、民族主義などない。生まれ持った血が既得権となるものではなく、「自分はローマ人なのだ」という誇りを持てる、自信をもって生きられるブランドを「市民権」というコンセプトで明確化して、その価値を世界が認めている。自分がローマ人ならば、Res Publicaのためと思い、非ローマ人ならば「いつか市民権を」という思いをもつ。そうなれば、社会に活力がでるではないか。

 これが、一気になくなっていく状況を考える。そうなれば、いずれ「ローマ」は崩壊する。ただし、そうなる要因はたくさんあり得る。3世紀以後のローマには「そのような要因の例」が一気に起きるのだ。この本では、いろんな現象が持ち上がり、説明されていく。そして、著者が「これが原因で、こんなことが起きる」と解説してくれる。そして、つまるところ、すべては「ローマがローマである理由」が傷つけられていくことが分かる。だから、なぜローマが滅んだのか、という問いに一言で答えられるわけないのだ。

 蛮族の進入が状態化し、農耕地があれる。物流も安全でなくなる。しかし、軍事費は増加するので税金が上がる。これでは市民経済が破綻していく。耕作地を失い、人々は都市へと集まれど職はない。となれば、人々は不安の時代を生きるよりない。こうなると、「人間の背中を押してくれるローマの神々」よりも「人を導くキリスト教」へ人々はうつる。キリスト教はコミュニティーを形成し、その内部へはいれば歓迎されることから、入信者も増える。どんなにキリスト教とが増えようと、そもそもローマは滅びるべしと考える集団なのだから、ローマはますます悪くなる。こんな感じで崩壊していく。

 いろいろな事情が重なりあい、悪循環に入るところは是非とも学んでおきたい。なぜなら、それはスケールを変えればいかなる人間の集団でも同じ道を踏むから。

 このシリーズは古代ローマの通史を扱っているのだが、私は、以前よりもいっそう明解な「国がすべきことはなにか。人々がすべきことはないか。どうなったら、国の崩壊の兆候があるのか」についての自分なりの考えを持つようになった。

「出来事は繰り返さないが、人の心ならば繰り返す」という著者の言う意味も良く分かるようになってきた。私はこの年にして、この本の意図が分かるようになってきた。歳をとるのは結構楽しいことに思える。

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