隠された十字架
|
梅原猛 法隆寺には謎がある。建築にしても、仏像にしても、これまで教科書で教えられていたことは事実と違うかもしれない。あの寺は仏教興隆のためのものではなく、聖徳太子の祟りを静めるための鎮魂寺なのではないか。この仮説が冒頭に出され、残りはこの仮説を支持ずる事実を拾い出し、それらを組み上げてくという著作である。 哲学者としてこの問題を扱ったのでこう結論づけられた。日本史の専門家ならば無理だったであろう。そのような内容を著作で語っているようである。たしかに、論理的に考えていく姿勢は流石だと思うが、実験ができないために仮説をささえる傍証には「?」とせざるを得ないものもあると私は思う。つまり、この著作の内容は哲学であって、科学ではないのだ。 |
古代はどこでもそうだったのかもしれないが、死者に対する恐れは現在では想像できないような実際的なチカラをもっていたようである。井沢元彦さんの「逆説の日本史」のシリーズを読んでいるので、そのあたりの事情は理解できる。不幸な死に方をされた人の「怨霊」は、疫病や天災を引き起こすと当然であったようだ。
その本を読んで、法隆寺を見たくなった。ついでに、大仏や運慶快慶の阿吽象も見たくなった。少し時期が外れていたが、奈良に行ってみた。法隆寺にたたずみ、怨霊鎮魂の意図を感じられるかとしばらく感慨にふけったが、コンパクトな木造建築だなぁという以外のものは感じかなった。残念。
日本史にある出来事の根本的な原因は「ファミリーマター」である。誰が後を継ぐ、そんなことばかりである。古代ローマ史とまったくちがう。「国」というコンセプトが成立していない。「人々」とい概念がないのだ、この時代には。読んでいて、ばからしくなる。日本人についての理解を得られるには違いないが、これから社会のなかで生きていこうという前向きの心をもった人には「全く必要ない」ものばかりである。日本史を読むくらいならば、その時間を古代ローマ史を読むことに費やしたほうが良いだろう。
梅原猛の著者であっても、日本史のくだらなさを実感するだけに終わったような気がする。